感情はその人だけのもの、 [雑文]

こんばんは。sadafusaです。

前回のコメントでもちょっとだけ書いたけど、
バラねこさんとのコラボ漫画、閲覧数も1600越えました。
たくさんのスキ、たくさんのブックマーク、ありがとう!

バラねこさんの明るくてコミカルで現代的な画風が
私の暗い話を蘇らせてくれたというか、

コラボのおもしろさ、ってというものを
しみじみと感じているところです。

えっと、もちろん、pixivで閲覧するだけでも楽しいけど、
今、ブースの方でも販売しています。価格は350円かな。

すごい、あのクオリティで350円は激安だと思います。
冊子にしかない、特典もいくつかありますので、興味のある方はぜひ、
部数に限りがありますので、早いもの勝ちです。

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さて、今日は自分の感情について話そうかなって思います。

実はね、最近どういうわけか暗いのね、春がきたというのに。
なぜなのか、自分でも原因不明なの。
まぁ、もしかしたら栄養バランスが偏っているとか、
そういうフィジカルな問題から来ていることもあるかなって思います。
(人間のメンタルなんて、しょせんそういう脆いもんなんですよ)

最近、以前みたいに夜眠れなくて悶々とするってこともないし、
それなりに、毎日つつがなく暮らしているというのに、
これはどうしたことでしょう…。

昔、そう、子供の頃のことだけど、
悲しくて泣いていると
「おまえは本当は悲しくなんかない!
 大げささんだ。親の気を引きたいから泣いているんだ!」

って、そういうネガティブな感情表現する度にめっちゃ叱られていたのよね。
そのときは、そんなもんか、自分って悲しくないのに、悲しいそぶりをしたりして
下品だよなぁ、みっともないよなぁって、反省していたのね。

すると、成人しても、その癖って抜けなくて、
もし、瞬間的に何か切なさとか理不尽さとか感じたとしても
それは自分がよこしまなことを考えたからで、
本当は自分は悲しくなんてないはずなんだって、思っていたというか、
そういう風に考えるようになっていたんだよね。

そうすると、なんての、すごくいじめやすい標的になってしまったっていうか、
だって絶対に怒らないんだもん。
やっぱ、人間は自分の尊厳を守るために
怒るときには怒らにゃあかん。

ピエロのように泣いているような、笑っているような、
おそらくそういう表情をずっとしていたんだと思うんだよね。

だけど、あるとき、それは間違いだということに気がついたんだよね。

人が何と言おうと、立場がどうであれ、
そのとき、私が「悲しいな」と思うことは、間違いとか、間違いじゃないとか
他人があれこれ言うべき領域の事柄じゃないんですよ。

あとね、だいぶ昔にサヨナラした知人がいて(もはやその瞬間に友人じゃないね)
そのとき、うっかり自分の悲しみをそんな人に話してしまった私も私だったんだけど、

その人はね、「世の中には、あなたよりもっともっと悲しい思いした人なんかどれだけだっている」
って言うわけよ。
そりゃ、そうでしょーよ。相対的にみれば
わたしのそのときの悲しさってちっぽけなありふれたものだったのでしょう。

そのときね、「あ、そうなのかな」って納得してしまったんだけど、
(私って吟味して思考する前に、「私が悪いんだ」って条件反射で思ってしまうんだよね)
でもさ、今になってよくよく考えればですよ、
そんな感情の相対化なんて、何の意味もないってことよ。

たとえば、肉親をなくした人がいたとか、失恋した人がいたとか、
その人が悲しい思いに包まれている時、
「そんなことは世の中によくあって、そういう思いをしている人なんかなんぼでもいる」


なんだよ、そしたら、世界で一番不幸と認定された人じゃなきゃ、
「悲しいな、切ないな」って感じたり、思ったり、言ったりしちゃいけないのかよっ!

アホか!



こんなこと言ってくる人間なんか、蹴っ飛ばしておけばいいってことよ。

どんなに高貴な身分の人であろうと、
他人に羨ましがられるような立場の人であろうと、
その人がそう思うことに、他人がつべこべ、言えないんですよね。

お釈迦さんだって、一国の王子サマで綺麗なお妃さまもいて、
息子も授かったばかりだったのに、なんか虚しくて出家したんでしょ?
そしたら、アンタ、お釈迦さんに言えるの?
「王子サマでいい暮らししてるくせに、何が悲しいのよ?」って。

感情とはそういうものです。
私は、長い間、感情に蓋をしていたので、
自分が今どう思っているのかわからないって期間が
結構長くつづきましたかね。

今日は、天気も良かったし、道を歩いていたら木蓮の花も美しく咲いていました。
それでも、「なんだか悲しいな、切ないな」って思う今の自分のこの気持ちを大事にしようなーんて、
改めて思う、この頃でございました。

最後に大江千里の歌をご紹介します。
昔の歌人はうまいこと言うなぁ~って思いますね。

月見れば
ちぢにものこそ
悲しけれ

我が身ひとりの
秋にはあらねど


ま、季節的には違うけど、春も秋も気温が不安定だから、
こういうふうに人はおセンチになりがちなのかもねw


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コメント 2

ぼんぼちぼちぼち

仰るとおりだと思いやす。
その感情はその人にしか解らないもの。
それなのに、世の中には、「もっと辛い思いしてる人なんていっぱいいるんだよ、それに比べたらアンタなんて、、、」ってなこと言ってくる人って、いるんでやすよね。
例えば、あっしが母親に虐待されて辛かったってことを話すと、「アフリカで餓死する子供よりよっぽど幸せじゃん」とか言ってくる人。
そういう人って、のほほ〜んと生きて来れちゃってるんでやすよね。だから、そういうこと平気で言えちゃうんだろうけど。
by ぼんぼちぼちぼち (2021-03-11 22:11) 

sadafusa

たとえアフリカに生まれ、飢えて死んだとして、それが母親に抱きしめられ、大声で泣かれたものであったなら、豊かな日本に生まれながら親に疎まれ虐待されながら生き続けるよりも、愛がある分だけ、その一生はある意味で幸せとも言えるって、そのバカに教えてやりたいですね。

自分の薄い経験値だけで、物を言う人間とは付き合いたくないものです。
by sadafusa (2021-03-12 00:41) 

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