天平の甍  [読書・映画感想]

こんにちは、sadafusaです。

私は読書が大好きです。もし本を携えていけるなら、
絶海の孤島にでも行くのも何とか耐えられると思うけど、
本を取り上げられたら、多分、生きていけない。

それぐらい本を読むのが好きです。

しかし、読書にもいろんな読み方がありまして、
自分は疲れている時は小説は読まないんですよ。
どっちかというと、新書とかノンフィクションみたいなものを読むんです。

意外と小説って読むのに力いるんだわw



しかし、このGWになんとノーベル文学賞候補にもあがった
井上靖大先生の傑作

「天平の甍」

を読了いたしました。


実際にノーベル文学賞を取るかどうかというのは、
そのときの社会情勢にもよるんですよね。運も関係ありそうだし。

しかし、三島由紀夫にしろ、遠藤周作にしろ、この井上靖にしろ、
はたまた現在、いつも候補に上がっている村上春樹にしろ、
こういう候補にもなるような方っていうのは、話の内容も外連味などまったくなく、
文体も非常に静謐で端正なんですよね。

やはり読むに値する素晴らしい名著だと思います。


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とはいえ、天平の甍って誰でもその名前だけは聞いたことあると思うんですよ。
私も名前だけは知っていましたが、「なんか難しそうだし、めんどくさそうだな」って
思っていました。

というのも、私、漢字の名前ってなかなか頭に入ってこないんですね。
というのも、カタカナの名前ならきちんと発音できるでしょ?

ですが「普照」なんてパッと書いてあったりすると、「ふしょう」ときちんと声に出して
頭にインプットしないと覚えられないんですね。

奈良時代のお坊さんの名前って聞いただけで、怖気づく。

しかしながら、私、最近、京都国立博物館で鑑真和上の展覧会へ行ってきたんです。
それで、いつもは唐招提寺の奥深くに秘蔵されているはずの
和上のお像を間近に見るという僥倖に近い機会を得たんですね。

失明して閉じられた和上の目には、細かいまつげがきれいに描かれていて、
いかにこのお像を作った作者が、鑑真和上に深い崇敬の気持ちを抱きながら、
細心の注意を払って、ていねいに作られたかっていうのが
見ている私にもじんじんと伝わってくるのです。

私、恥ずかしながら鑑真和上のことはほとんど知らなくて、
中国の偉いお坊さんで、たしか日本に渡ろうとして8回ほど遭難して
海南島にまで流されたこともある人で、
そしてその途中で失明して、艱難辛苦のあげくやっと日本に正しい仏法を伝えた人という
高校の世界史でざくっと習った知識しかなかったんですよね。


ですが、その展覧会でいろいろと鑑真関連の宝物を見ている内に
非常に胸を打たれまして、かつ自分の無知を恥じたのですね。
本当に何も知らないなぁと。

それで今更ながらですが、一念発起してこの本を読んだのです。





天平の甍(新潮文庫)

天平の甍(新潮文庫)

  • 作者: 井上 靖
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/02/07
  • メディア: Kindle版




一応ここには、現在、アマゾンで売られている新装版を貼り付けておきましたが、実は私、夫の本(それも多分、大学生ではなく、彼が中学か高校のとき、買ったもの)を借りて読みました。

ごくごく薄い本だったのですが、まぁ、長い年月のうちに紙なんて劣化して茶色の変色しているし、
字は今の本と違ってめっちゃ細かいし、「鑑真」の鑑なんて旧字体ですよ。

ですが、今回は精読致しました。さらっと読み飛ばして理解できるわけがないと思ったので。
井上さんの文章は格調が高いので、「須臾」なんて言葉もさらっと出てくるし、

しかも、時の時代の宰相の甥のことをわざわざ姪(てつ)と呼ばせているのです。
それをそのまま、わからないままに読み飛ばすと絶対に話がわからなくなるので、調べると、
中国では、自分の兄弟から生まれた子供(男であろうが女であろうが)のことを姪と呼び、
反対に自分の姉妹から生まれた子供(男であろうが女であろうが)を甥と呼ぶらしいのです。
さらに唐代までの漢文においては、姪(てつ)は甥のことを指すことが多いとありました。

ひえぇえ~、ですね。こんなのは序の口でございまして、
唐の時代の官僚の名前とか当たり前にさらりと出てくるしで、
やっぱり、ノートにわからないことを書いて、調べて、実にノロノロとではありますが、
この名著を読んでいたのですね。


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さて、この物語には五人の留学僧が出てきます。

ひとりは、普照(ふしょう)。
この物語の主人公です。彼は日本を離れたときは28歳ぐらい。
この人は大安寺のお坊さん。ものすごい秀才でした。


ふたりめは、栄叡(ようえい)。
この人は美濃国出身。興福寺の僧。
大柄で、ちょっと頑固な人です。

三人めは、玄朗(げんろう)。この人は紀州出身。普照と同じく大安寺のお坊さん。
しかし、不思議なことに普照が大安寺にいたときには、
顔を一度もあわせたことがありません。
この人は一番年若く、25歳。容姿や挙措などが
いかにもいい家の坊っちゃんといった雰囲気を漂わせていました。


四人めは、戒融(かいゆう)。この人は筑紫の寺にいたお坊さんです。
この人も普照と同じく28歳。どこか狷介な性格で、一匹狼タイプでした。

そして、五人めは、業行(ぎょうこう)。
この人は、先の四人が唐の東の都である洛陽に来た時に出会ったお坊さんでした。
業行はすでに、唐の滞在歴は30年近く。ということは、もう50歳ぐらいなのでしょうか。

ともかく、この四人は、それぞれ唐に行ったら、「ああしよう、こうしよう」という
若い人なりの大志を胸にいだいて渡航してきたわけなんですよ。

日本にいたときはそれなりに秀でていたから、「我こそは」という自負心もあったのです。
ですが、実際に大海原を越えて唐に着いて、それから陸路を取って長い旅を重ね、
東の都の洛陽、そして西の都の長安につく頃には、
だんだんと自分たちの立ち位置っていうものが分かってくるのです。

いかに日本が遅れた国であるか、
そしていかに自分たちが仏法の真髄ってものを知らずにいたかということが。

それはそうなのです。
日本には、中国には当たり前にある経典が全く伝わっていなかったんです。

お経も死ぬほどあるけど、またそのお経に対する「義疏(ぎしょ)」
という解説本っていうのも、死ぬほどあるんですよ。

で、四人はこれは一生唐にいて、勉強してもとてもじゃないけど
間に合わないってことがやっと分かるんですよね。

じゃ、どうする?ってことになるのですが、そこは登場人物5人それぞれの思惑が交錯するんです。

普照は、一番現代人っぽい考え方で、己の自己実現、自己完成っていうことを望むのですね。
唐にずっと留まって、仏法の真髄をとことん学び尽くしたいと思うのです。

一方、栄叡は自分よりも故国のことを考えるのです。
日本には、まだきっちりと「律や戒」が整っていない。
これはですね、現代では出家っていうと、すぐにでもなれると思うかも知れませんが、
昔は僧になるにも、きちんと律師という免許のようなものを持った人が
僧になることを希望する人がきちんと仏法を学び、修行をしたことを見定めて
「戒」を授けて初めて、正式な僧侶になれるのですよね。

だから栄叡は、日本には未だそういう正式な戒を授ける人がいないということで、
だれか日本に渡ってもいいと行ってくれそうな高僧を探すことをライフワークにするのです。


しかし、坊っちゃんの玄朗は、脱落してしまい、出奔して唐人の女と暮らすようになります。

そして狷介な性格の戒融は、死ぬような思いをして唐まで来たからには、座学などに時間を割かれるのは無駄だと判断し、托鉢僧として広い大陸を行脚し、実際に自分の足を運んで、自分の眼で広い世界を見る道を選ぶのです。


そして、業行。この人はどこにも行かず、日本にお経を伝えるため、
ただただひたすら、机に向かって写経をしていたのです。

劇中の登場人物たちは、わざわざ唐まできて、どこにも行かず、学ばず、写経にあけくれる
業行のことをバカにします。

しかし、と私は思うのです。
皆さん、博物館や美術館で、昔の写経の巻物をご覧になったことがありますか?
今のようにワープロもなく、印刷機もない時代。
貴重な紙に一字一字写して行くのが、どんなに苦しい作業か。
墨で漢字を書いていくのですから、間違いは許されません。
ものすごい集中力が必要です。

業行はそんな苦行を30年以上もやっているのです。
こんなことは、ちょっとやそっとの意思ではできないと思います。
読んでいて、バカにされつつもひたすら写経に明け暮れる業行が
こう、なんていうか胸が締め付けられるくらい健気で愛しく感じられるのです。


普照らが何年か滞在していた時、日本へ帰る船が出ることになったのです。
普照は業行にこれまで彼が写してきた膨大な数の写経の一部を船に乗せてはどうかと
打診するのですが、きっぱりと断られるのです。

「いざというとき、お経の代わりに自分が海に入るくらいの気概がある人でなければ」
と。

それはそうですよね。自分が心血注いで書いたお経をそう簡単に海の藻屑にされては
かなわないってことです。
そこらへんのこだわりは並の人間にはわからないんですね。

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一方、律師を探していた栄叡は、ついに日本へ行ってくれるという高僧を探し出すのです。
その人こそは鑑真。

しかし、鑑真は唐でも国の宝と思われるほど、徳の高いお坊さんですので、
日本などへ行かせたくはないのです。
「そんな野蛮な国へなど行って、何になるというのですか?」
とにかく、鑑真の真の価値を知っている人ほど、彼の日本行きを邪魔しようとするのです。
そして、鑑真に日本行きを決意させた日本人である栄叡や普照らを憎むのですね~。

しかし、何回となく座礁しても、鑑真の堅い決意は変わらない。
「行くと決めたからには、必ず行く」

しかし、海南島に流された時、頑健な身体、堅固な意思を持っていたはずの栄叡が
病に倒れ、死んでしまうのです。


ひとり残された普照はなんとか業行に掛け合い、彼が写経したお経を一緒に携えていこうと
説得します。
業行はすでに齢、六十を越えた老人となっていました。
写経に人生をほとんど費やした彼は、異様なぐらい自分の膨大な写経に固執するのですね。
渡海する時、必ず自分の乗船する船と一緒にお経がなければ承知しない。

本来ならば、冷静に考えれば、出航する船は四隻あるのだから、四分の一に分散するべきなのです。
たとえ、一隻でも日本に付けば、少なくとも彼の本懐は果たしたことになるからです。
しかし、頑迷な老人と成り果てた業行は、それを承服できないのですね。

結果として、業行を乗せた船だけが、沖縄の海中沖で沈んでしまうのです。

もう、泣きました。
こんなことになるなんて、本当に神も仏もあるものか、と思ってしまいます。
そして彼の人生って何だったのと。


井上さんは、業行に空海が留学するまで伝わらなかった秘密部(密教)の経典も書かせています。
もしも、このお経が伝わっていれば、もっと早く密教、もっと完全な浄土宗の教え、
そして、中世にやっと伝わった禅の教えも伝わったはずなのですねぇ。

唐の時代には、すでにすべての教えが存在していたのです。
私はそんなことも今の今まで知らなかったですね。



ともあれ、艱難辛苦のあげく、鑑真は日本に四年とどまり、そして亡くなられたのです。

彼が日本に正しい律をもたらしたことも素晴らしいことなのですが、
そこに至るまでの俯仰不屈の精神、それを助けた人の意思、
それこそが奇跡だと思うのです。



静謐で深い感動、これが井上文学の真髄かもしれないですね。
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