遠心分離機、いえ、水切り器 [雑文]

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みなさま、こんにちは。
六月にしては、雨が降っていたとしても次の日はからりとして
毎日が過ごしやすいというか、肌寒いなぁと思うような日々が続きますね。

さて、わたしは最近、非常に有意義な買い物をしました。

それはね、冒頭の写真でもお分かりかなと思われますが、
手動遠心分離機ですね。
いや、そうではなくて、水切り器かな。

自分がいつもこれまで作るサラダは結構値段のいいものを買って来たとしても、
なんかイマイチじゃあ、と思っていたのですが、
料理教室の先生からコツを教わりました。

野菜は食べる直前に1分ほど非常に冷えた氷水に浸すと、
蘇ったようにしゃっきりする。
だけど、それだけじゃダメでやはり、水切りが大事と。

そうなんですよねぇ。まぁ、氷水で冷やした後、クッキングタオルかなんかで
野菜をきれいに拭けば解決なのかもしれませんが、
どう~もわたしは、ああいうチマチマしたことがするのが嫌いなんですよ。

でも、この手回しの水切り器に野菜を放り込み、
グルグルと三四回ほど手回しすると、
びっくりするほど、野菜に付着していた水が底に溜まっているものです。

便利、便利!
これから、いろんなサラダを作る季節に突入するかと思いますが、
これは必需品ですよ。

わたしは、玉ねぎのみじん切りとか、細かい仕事をするのが嫌いなので、
ハンバーグとかパスしがちでしたが、今から15年ぐらい前に、髭剃りで有名な
ブラウン社からフードカッターを買って以来、そういう苦痛から
逃れております。


やはりですね、毎日のことですから、めんどくさいことから解放されたいものなのですよ。
で、あんまりテマを掛けずにおいしいもの食べたいじゃないですか。
そういう意味で、これらのグッズはおすすめです。


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手動水切り器の奥の手がありまして、
冷やしうどんとか、素麺とか、スパゲッティとかにも使えるんですよ。
水切りできて、(お湯きりだろうか)タレも薄まることなく
美味しく食べられます。

うん、なにごとにもストレスフルな生活が好きです!
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最近、ちょっと気になることがら [雑文]

みなさま、こんにちは!

昨日は六月だというのに、湿度の低いとても過ごしやすい日でした。
空気が澄んでいるせいか、これまで見えたと思ったためしのない西山が
はっきり木々のひとつひとつまで鮮明にみえてしまうので感動!です。


さて。
最近、ちょっとなぁ、とおもうことがありまして
「ものを言わぬははらふくるるわざ」といいますので
ここらでちょっとすっきりさせようかなと思います。

この間、河原町三条のミーナに行って、エスカレーターに乗っていたら、
わたしのほぼうしろに、中国人がでかい声でなんかしゃべっているんですよ、
それもひとりで。

頭がおかしいわけじゃないですよ。
中国語は全く分からないながらも、すぐにピンときました。
おそらくこの人はYOUTUBERなのであって、
自分が京都へ訪れた取材っていうのかな、まぁ、そのトピックを
自分の感想と共に動画にしているわけですよ。

たぶん、内容はこう
「え~と、わたし、今京都に来ています。
ここはですね、京都の繁華街のファッションビルと思われます。
名前はえっとミーナと書いてありますねぇ。

まぁ、1Fは雑貨が置いてありました。さっきチラッと見たのですが、
結構素敵なスーツケースが置いてあったりしてなかなかすてきなんですよぉ。

日本のグッズはそれなりに洗練されています、でもぉ、台湾に住むわたしからいわせるとぉ~」

みたいなのを言ってるんだなってすぐわかりますよ。
これまで、そういう人の動画を何本か見ていたからだいたいのシチュエーションなどは
把握できる。

だけど、これをですね、実際にやられるとなんか「かんじ悪」ですよ。
まったく言語のわからない人間が、わが町にやってきて、
そのマチの人間に遠慮もなく、堂々と自分を主張する。

こう書くとなんにも悪いことしてないように思えるんだけど
実際は違うんだなぁ。

なぜだろう。
たぶんね、それは「傍若無人」だからですよ。
まったく人のいないところでなら、自分語りをしてもギャラリーがいるわけじゃないから、
どうぞ、お好きなようにとしか言えないっていうか、いや、実際にその場に遭遇しているわけじゃないからさ、止めようもないんだけど、

こういうのはね、なんだか「自分大好き」「わたしってかっこいいわ~」っていう
鼻もちならぬ、自己陶酔がどうしても潜むんですねぇ。
外国へ来て、現地の人がすぐそばにいるのにもかかわらず、
自分語りをしてしまう人。

そのとき、絶対にわたしは「なんか不愉快やわぁ~」みたいなオーラを出していたはずなんですけどね、まったくそういうのには頓着せず、
「どお? わたしってかっこいいでしょ~」みたいな。
エツに入っているのわかる。

で、それでYOUTUBEか、インスタかに投稿するんだろうね。

でもさ、ってここでわたしは考えるわけよ。
誰に向かって発信してるわけ?

この人たちにとって、全く見ず知らずの人の「いいね」とか「フォロワー」っていうのが
大事なんだろうよ。

ああ、または自分の仲間にむかって「すごいでしょ、わたし」とマウンティングするための
素材にするのかなぁ…。最近のインスタってそんなんばっかりだよね。

たしかに世界中の人と繋がれて面白いツールであるよね、インスタなんかはね。
だけどさ、せっかく日本に着てるのにさ、ダイレクトに人と交わらないで
どうするんだろうって思うわけですよ。

あ、ちゃんとこのあと、他の人間とは交わっているのかな? 失礼しました。

そんなに不特定多数の人の評価が欲しいのかなぁとよく思う。
そうじゃなくてさ、カメラからのぞくのばかり必死成ってないでさ、
もっと自分の裸眼でものごとをよく見なよ。




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あとさぁ、最近のコスメの動画なんかみてもどうなのかなって思うよ。

最近の子ってめちゃくちゃ「自分がきれいでありたい」ってことに正直だと思うんだね。
だけどさ、素顔とまったくかけ離れた顔になってんじゃん?
ハーフメイクをして、真正面からみるとさ、
「あ、それなりにイケてるんかな」とはおもうけどさ、
やっぱり、これって横から見るとアウトなんだよね。
フェイクなんだってすぐわかるもん。


そしてこれも延々と美しい自分の顔を載せてる人が多い。
まぁ、悪いことだとは思わないし、メイクで自分のコンプレックスから抜け出せるのも
いいことだろうとは思うんだけどさ、
なんての、それだけに人生を終始させてるじゃん?

それってどうなの?って思うよ。

まぁ、福世優里さんほど卓越した技をもっていたら、
これはもう立派にYOUTUBERとして確固たる地位を持っているわけですし、
それはそれでいいんですけどね。


あの方は自分を客観的に見る「離見の見」っていうのができてるから
すごいですよ。わたしもフォローしてるしね。マジすごいと思う。

う~ん、この差はなんなのかっていうわれるとさ、
わたしもちょっとことばに詰まってしまうんですけどねぇ。

あの人はただの自分大好きじゃないと思うんですね。


それはさておき、ですね…。
わたしみたいに、人生をン十年もやっていると、
人間どうしても、老いには逆らえないのであってね、
メイクしようが整形しようが、筋トレしようがどうしたって、
人間は劣化していくものだよ。

だからさ、自分がキレイでいることよりも
なんてか、もっとすることがあるだろうって思うのよ。
ま、これも「余計なお世話」の範疇に入るんだろうけどさ。

んでいて、実際「彼氏いない歴〇〇年です、結構メイクも綺麗にして女らしいほうだと思います。
それなのに、どうして彼氏ができないんでしょう…。絶対に30までには結婚して専業主婦になりたいと思います」
っていいうの読むとさ、「あ~あ、人生空費してんなぁ」ってよく思う。
まぁ、あたしの知ったこっちゃないんですけどね。

メイクはさ、他人にとって「あ、感じのいい人だな」って思われるための
円滑剤というかさ、結局それは、ツールにしか過ぎないんだよね。
わたしが思うに、彼氏の前で素顔になれないほどの厚化粧は時と場合によっては
それはすっぴんでいるより却ってかなりのマイナスになるんじゃないかなって思うんだよね。

いろんな自分を演出できるのはとてもいいことだけどさ。

だけど、そういう「ここぞ!」っていう場合、彼氏とのすてきな時間を
自分の顔がどうなってんのかばっかりに気を取られてばっかだと
ちょっとそれは、みたいなことになっちゃうよね。

自分を盛り過ぎてんだよね…。虚像にばっかり力いれていてどうすんだろって
よく思うんだけど、どうなんだろ?

まぁ、今の人、二極化しているから、出来る人はなんでもできちゃうから
いろいろなんですけどね…。





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あと、三つ目。
これはさ、コメント欄の話なんだけどね。

他人さまのたとえば、まぁ、YOUTUBERさんのコメント欄なんかでもよく見るんだけどんさ、
なんかめちゃくちゃ、罵詈雑言を書いておいてですよ、最後に
「よく知らないものがあれこれ言いました」とかさ。
「わがままですけど、あれこれ言わせてもらいました。当たっていなかったらごめんなさい」とかさ。

なに? アンタ人のコメント欄にこれだけ、はちゃめちゃなこと書いておいて、責任持ちたくないから、こういう透かしっぺみたいなことしているの?
ってよく思うよ。

別に罵詈雑言書いてもいいとは思うんだね…。自分が本当にそう思ったのであれば。
だけど、こういうのに限って、便所の落書きみたいなこと書いていくじゃん。
それでもって匿名であるにもかかわらず、それでも自分の書き込みにたいして、攻撃されるのが嫌で、責任とるのが嫌で、こういうことをする。

いったん、書いたんだったら自分の文章に責任もちなさいよぉっていつも思いますね。
そうじゃなきゃ、安易に人のところへいってコメント書かなきゃいいのにって思います。

人の感受性はさまざまだから、その主催者さまや周囲の人の考えと違っていても別にいいとは思うんですよ。同調する必要は全く無い。だけど、その気持ちをもっと冷静に、きちんとした文章にしてみなさいってことよ。
どんなに稚拙な文章であっても、誠意を込めて書いた人の文章はきちんと伝わるものだとわたしなどは思いますね。






はい、今日ははっきりいってグチトピでしたね。

それでは、みなさま、今日も一日、お元気で~~

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聖地 [雑文]

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このところ、ちょっとオカルトまがいのものをたくさん読んで思うことがある。

よく「いい気、悪い気」みたいなこといいませんか?

あれってなんなのだろうってよく思うのですよね。
この間から廃墟ビデオよく見ていたんですが、やはり見ているとなんとなく
荒んだものを感じるんですよね。
蒲団が荒らされていたり、埃が被っていたり…。

この間、真夜中に自殺の名所である東尋坊を訪れて撮影していた人のビデオ見ていましたが、
ビデオの中でこれまで何人もの人がその場所で飛び降りたであろう
そのまさにその場所のすぐそばに女子トイレがあるんですねぇ。

で、撮影している方がカメラを手にしてこうおっしゃるんです。
「ぼくは、人が『怖い、怖い』とよく騒いでいるこういう場所に来ても、
怖いなどとはほとんど感じない方ですが、
それでも、あの場所へ今近づくのは、きついものを感じます」と。

動画みてると、真っ暗な中に蛍光灯が瞬いているのが、なんとも禍々しい感じがするんですよねぇ。
たしかに真っ暗なところより、気持ち悪い感じがします。

そういうのは、その灯りをよりましにして、なにか悪霊というか、悪しき想念というべきか思念というかまあ、そういうものが集まって来ちゃっているんでしょうか…?

軽々しく断定はできないですけどね。

そんな感じがするということです。


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以前のトピにも永久保貴一さんの漫画をご紹介したかなと思います。



密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 1 (HONKOWAコミックス)

密教僧 秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅 1 (HONKOWAコミックス)

  • 作者: 永久保貴一
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2012/09/07
  • メディア: コミック



この中でですね、語り部である秋月さんが霊と呼ばれるものにもふたつあって、
生きていた人が亡くなって、この世に留まっている状態のものと
人の想念が集まって出来上がるものと二種類あると。

で、地縛霊みたいなものは、例えばある人がその場所で殺されたりしているわけだけど、
土地がその殺された記憶をそのときの衝撃と共に残しているんだという考えかな。

なんか考えれば考えるほど難しいのですが、
要するに、想念というものは案外侮れないものなのだなぁということ。

ある人があることを考えることによって、もともとどこかにあったその概念というものが
その人の想念に引き寄せられて、この世に出現してしまものなのかなぁと。

まぁ、間違っていたらごめんなさい。
難しいことですよね。


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聖地についてでした。
そう、どうして私たちはその土地を聖地だと感じるのか。
木々がうっそうと茂るさまに神のような神々しさを感じるのか。
水のせせらぎが清いからか。

清ければ美しければそこは聖地なのか?



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よくわかりません。

でも、反対に言えば、ただ木々が茂って水のせせらぎが聞えるところでも
なんか禍々しくて気持ち悪いものを感じるところもあります。

それって気のせいでもないのかなぁと…なんだかいつまでたっても
考えはメビウス状にまとまりません。

わたしって結構スピ系は好きなんだけど、
安易に「幸運をゲットするためのおまじない」みたいなことは大嫌いだったりするんですよね。

そんなまじないで人の運命を変えることができるんなら、
人間苦労はせんわいと。

やはり秋月さんがおっしゃるように
神になにかをお願いしたら、その「対価」は絶対に必要だ、という考えのほうが
シビアだけど腑に落ちるのであります。


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小籠包  [雑文]

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台湾にちょっとした観光旅行へ行ったことは、前のトピで書きました。

でついたなり、屋台でうってる肉まんっぽいものを食べてお腹壊したことも書きましたね。


旅先でお腹を壊して、吐き下したりするのって本当に辛いものです。
その日は、結局デパートでお寿司を買ってホテルで食べました。
なんていうのかなぁ、実は台湾のアジアン的な原色にあふれるカオス状態に圧倒されちゃって、
気分悪くなったのかもしれないです、今にして思えば。

で、中山の新光三越の地下でお寿司買ったのですが、その地下に
小籠包専門のお店がありましてですね、列ができていたんですよ。

外からみてもおいしそうでね…。
大きなせいろに入れて、ふわ~っと湯気が上がっているのが
とてもいい感じなんですよ。

ベッドに入っても、その光景が幸せなオーラを放ちながら、頭の中に浮かび上がるんですよ。
「あしたは小籠包食べたい…」
と思いながら寝ました。

もともとこの旅行は故宮博物館へ行って、玉で出来た御物と焼き物をみるのが目的だったので、
朝いちばんに博物館へいって、まずはあの超有名な白菜の石と肉型石を見て、
それからゆっくりと玉を見て、焼き物を見て、って感じでゆるゆる館内を廻っていました。

で、お腹空いて来たんですよ。
すると博物館の横に、故宮晶華っていう、どっか外資系のホテルがやっている高級レストランがありまして、そこへ行って小籠包頼みました。

そしたら、ショウガがもう糸のように細く刻まれておりましてね、
醤油を入れ、酢を醤油の三倍をほどいれて伸ばし、
小籠包につけるんです。



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わたしは今まで小籠包というのは、肉まんの小型版だとぐらいにしか認識しておりませんでしが、まったくの別ものね。

餃子でもシューマイでも、肉まんでもなく、小籠包は小籠包でしかありえない!!
いや、おいしかったです。

薄い、薄い、皮で肉のあんを包んであるのですが、
中国ではそのあんをつつむとき、皮をなるべくギャザーを細かくいれることによって
美味しさが増すといわれているようで、それはそれはきれいな襞が中心に向かって
付けられているのですねぇ。

本当、こういうところが中国的な律儀さというか、繊細さなんですよねぇ。
日本人も細かい細工が好きだと思うけど、中国人の芸の細かさには敵わないんじゃないか、
と思うんですよねぇ。
ともすれば、綺麗な顔をしているウェイトレスさんが、ありえない粗雑さで、
お料理をドンッとぞんざいに置いていくのが中国です。
そういう細心の細工とありえないぞんざいさが齟齬をきたすことなく、収まっているのが中国という国。

話がそれました、そして、薄い、薄い皮ですので、破れないように、蓮華に乗せて
そっと口まで運ぶ。

口に入れたとたんに中でじゅわ~っと肉のうまみとスープが溶け合って絵も言われぬ幸福感が
口腔すみずみに広がっていくのです。
思わず、にっこりして見つめ合うわたしたち…。おいしさは人を理屈抜きで幸せにしますね。
この場合掛け合う言葉はひとつね。
「好(ハオ)!」


ホント、おいしかった。
で、食べ終わってから、また故宮博物館へ戻って、また1Fの企画展などを見たんですが、
もう、ひとつひとつの作品がパワーあり過ぎてもう、見ることできなくなって、それでおしまいにしたんですね。夫が昨日いった中山にある三越へ行っておみやげを買いたいというので(この人はとにかくお土産を買うのが好き)三時ごろかな、そこへ行って、お土産買ったあと、
やっぱりどうしても昨日見ていたお店に入りたくてたまらなくなったので、
そこへ行きました。
さいわい、食事どきじゃなかったので、人もちらほら程度でした。

そこで、やっぱり小籠包頼んで、夫はあんこ入りの小籠包頼んで、
白いキクラゲ入りのデザートを頼んでみました。

ここの小籠包も激うまでした。
やっぱり食べての良かった。

で、ホテルに帰ったあとも、近くに小籠包で有名なお店があるというので、
そこへいって、看板メニューの7色の小籠包を食べました。

ここは、酢が黒酢でして、ちょっと味に癖があったかなぁ。
色が付いた皮は結局、ヨモギとかウニとかが練り込んであるので、
そういう味がかえって小籠包の本来の味を消してしまっているようで、
わたしの好みにはちょっとあわなかったかも…。
まぁ、だからといってまずいわけではなく、もちろんおいしくいただきましたよ。

結局、一日中小籠包だけを食べていたのでした。


ああ、小籠包食べただけでも、行った価値はあった。
お腹こわしても、がっついて食べただけのことはあった、と満足しておりました。

ですが、三越に入っていたお店ですね、
京都の高島屋にもしっかり入っていたのですよ!

おおお!
なんと!
日本って偉いなぁ、もはや本場に出張っていかなくても
おいしいものには巡り会えるんだ…。

でも、メニューを見るとかなり限定されているので、
やっぱり、行ってよかったとほっと胸をなでおろしたのでした。

「よしっ! 今度は高島屋行こう!」

…当分、小籠包熱は収まりそうにありません。
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芸術家のジレンマ  『ファントム・スレッド』 [読書・映画感想]

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みなさま、おはようございます!!

さて、昨日わたしは、『ファントム・スレッド』という映画を観て参りました。
これってアカデミー賞も取っている作品なのに、イマイチ日本人にはアピールできない作品なのか、
あんまり人は入っておりませんでした。

で、そしてまた主演を務めた天才仕立屋・レイノルズ・ウッドコックをダイエル・デイ・ルイスが。
そしてこの作品を持って彼は俳優を引退することにしたそうです。
いわば「引退記念作品」なんだそうです。

まぁね、今でもものすごくハンサムですけどね、さすがに年取ったなぁって感じですよ。
この人と、ジェレミー・アイアンズとレイフ・ファインズは、なんていうのかなぁ、
いわゆる英国人の典型的なハンサムといった感じで、互換性があると言ってもいいような気がする。
似てるんだよね、顔の配置とか、輪郭とか、身体の線とか…。

彼を知ったのは『存在の耐えられない軽さ』だったかと思いますが、
それからこんなに年月が経ったんですね。
本当に人間の一生とは短い…。そう思います。

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さて、この映画の見どころっていうのは、
なんといっても、出て来る衣裳、これに尽きますね。
素晴らしい衣裳の数々。
お金持ちのマダムがお召しになる、外出着っていうのかな、スーツ。
そして夜会服。
そして花嫁さんのドレス。


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時代は1950年代。第二次世界大戦が終わって、少し世の中に活気が出始めたころ。
50年代ってね、コルセットはなくなっているけど、ちょっと昔のクラシック路線が流行ったころですよ。きゅっとウエストを絞って、丈が眺めのソワレが流行った。実際、博物館でこの頃デザインされたものは、コルセットを締めて丈が長いのが当たり前の時代のものをインテグレードされ、表現されたものが多く、ローブ・ア・ラ・フランセーズはこう、とか、エドワーディアン時代の服はこう、っていう締め付けから解放されて過去のありとあらゆる手法がリバイバルとして表現されていて、見ていて楽しい。


舞台がフランスじゃなくて、イギリスっていう設定も良いですね。
物語の終盤に主人公の仕立屋の贔屓筋だった伯爵夫人がよそのメゾンに行ってしまったんですよ。
そしてたら、すごく怒っちゃって、経営マネジメントを一切任されている姉のセシルに問うんです。
「なぜだ? 今まで作って来た洋服に問題はなかったはずだ!」
「よそのハウスに目移りしたのよ。今はやっているシックな服とかにね…」
「シック? シック! シックってなんだ? シックって意味が解らない! ああ、シックって言葉が僕の感情を傷つける!」
って苦悶するんですねぇ。

…シックってのは、シャネルから来てるんじゃない?
でも、シックが看板のシャネルも破れて
華やかで遊び心のあるスキャパレリが台頭してくる。
流行って流行であるかぎり、普遍的なスタイルってないよね。
華やかなのが流行れば、シックなものが流行るのよ。


あと、メゾンのスタッフの年季の入った縫子さんたち。
ン百万もするお召し物は決して、ミシンで縫われることはないんですのよ。


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編み物もそうだけど、ソーイングもね、機械がすると、優しいソフトなラインが出来ないものなのね。
だから、細かいカッティングがものを言う縫い仕事っていうのは、
縫子さんたちの超絶技巧でもって仕上げられるものなのです。

本当のプロの人たちの縫い目ってね、ミシンよりも綺麗。そして指の先で布地の特徴をとらえて、微調整しながら、塗っていくからねぇ。本当に素晴らしいものですよ。

たぶんこういうメゾンのお召し物というものは、布地からして特注。大量生産しないんですね。
で、裏地もたぶん絹を使って、職人の手で丹念に仕上げられるからン百万もするんでしょう。

ま、日本の着物もいいものを買えば、百万、二百万は当たり前だから、同じね。


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はい、ではあらすじに行きましょう。

この話はね、結局のところ、一緒に生活を共にする人は、
それはまぁ、結婚相手でもあってもいいんだけど、
とにかく一緒に生活をするとき、お互いに同じ価値観、同じ知的水準でないと、
その生活はとてつもなく苦しいものになるということ。

主人公のレイノルズは、仕立屋。まぁ、仕立屋といっても、ハウスを構える
デザイナーですから、芸術家なわけですよ。
でも、芸術家といっても、絵とか彫刻ではなく、人に服を着せることなので、
どうしてもインスピレーションを沸かせる、こうなんていうかなぁ、
着せてみたい!と思えるような人が常に必要なんですね。


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まぁ、ときにはそのインスピレーションの源となる、ミューズとも恋に陥ることもある。
まぁ、そういうデザイナーの受難の話ですよ。



ロンドン(たぶん)で店を構えるレイノルズは独身。
姉のセシルも独身。

つまりですね、実質的にこのふたりは想像面はレイノルズ、お店の運営などはセシルが一手に引き受けてきて、二人三脚で生きてきたわけよ。

結局このふたりは、これで完結しているのね、お互いにこれ以上といっていいほど、よくわかりあっているんだよね。姉弟だから、阿吽の呼吸ですべてを掴んでいるですよ。

ですが…。創造に関わった仕事をしているレイノルズは、それだけじゃ足りないんですね。
自分の霊感を高めてくれる女が必要なんです。

これまで彼のミューズをしてきた女には飽きがきて、姉のセシルは「ほかのだれかを見つけて来なさい」とレイノルズを旅に送り出す。

そしてふらりと立ち寄った田舎のレストランで、ガチャガチャとあか抜けない動作で給仕してくれた女の子を見て、レイノルズは雷に打たれたように魅せられてしまう。


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ですがね、そのウエイトレスであるアルマですが、なんか微妙な顔で、はっきり言ってそんな美人じゃないんですよ。思わず、ムンクのお姉さんの肖像画を思い出してしまったんですけど、妙にあごががっしりした顔なんだよね。

で、本人は「妙に首が長くって、肩幅があって腰もそれなりに細いんだけど、お尻周りがあり過ぎて、
そのわりには胸がない」と思っていてコンプレックスを感じているんですねぇ。
だけど、レイノルズはこういうボディを持った人間を探していたというわけです。

まぁ、ここまではよかったんですが、一緒に暮らしてみるとこの女、本当に教養も教育もないガサツな人間で、バタバタバタバタ、常になんかしら音を立てるんですよ。
お茶を飲むにしても、トーストを食べるにしても。朝は静かにインスピレーションが降りて来るのを待っているレイノルズの感情をかき乱すんですね。

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で、また、なんていうのかなぁ、女が幼稚で、わたしなんかは本当の愛とは想像力を持って、相手が喜ぶようなことをすることであって、決して自分の思い通りにさせようと相手を調教することではないとは思うんだけど、このアホ女はやってしまうんですなぁ。

で…もう、レイノルズを逆上させて、どうなるんかとハラハラしていると、「え?」っていう方法でレイノルズを黙らせるんですわ。

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まぁ、ある種の毒を料理に盛ってですね、死なない程度に身体を痛めつけて、抵抗できないようになると子供を介抱するように優しく接してやるんです…。

うわ~、なにを考えているんだ、この女…。と思いながら、手に汗を握りながら見ておりました。


最後はですね、またあり得ない終わり方でして…。
最後のシーンはあれは、来世の話かあるいは、女のほうのあり得ない未来の話なのか?
で終わるんです。

まぁ、決して心地よい映画ではないんだよね。
私的にはね。

わたしは悲劇でもいいんだけど、こういう割り切れなさっていうのは嫌なんだな。

でも、最後まで飽きさせないで見れたので良しとします。



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自分を把握しておく [雑文]

わたしは、去年の11月ぐらいまで、とある中高年向けの女性オンリーのジムにほぼ3年通っていたのですが、なにか雰囲気というか、自分が目指す方向とは真逆なような気がして退会してしまったのです。

わたしはもともと体力も身体能力も全く自信がないので、あんまりハードなジムへいって恥ずかしい思いをしたくないなぁとそこへ行ったんですよね。

でも思ったほど筋力もつかないし、自分だけ把握しておけばいい身体測定とか、まるで自己管理能力のない子供を扱うかのようにトレーナーさんに測定されようとするし、
だからといって、落ちない体重とか、上がらない体力をどうにかしたいと思っても、
明るく笑顔で「頑張りましょう!」って言われるだけ。

打開策がないんだなぁ…。


で、台湾行った時、あまりにも歩けないので「うわ、これで歳を重ねて行ったら
生きているだけになってしまう。まずい」と思い、
近くにあるD大学が経営しているジムにいってみたんです。


ああ、来て良かったと思いました。
わたしやっぱり、それでも前のジムにかなり真面目に通っていただけあって、
自分で思っていたほど、筋力も持久力も落ちていたわけじゃなかったです。

ただ問題としては、年の変わり目からくる、急激な体重増加と、
身体の柔軟性がかなり衰えているなぁということ。

前のジムは自分がどれだけ負荷をかけてマシーンを使っているかなんてわからないので、
達成感も充実感もなかったのだけれど、

今日は自分がマシーンを使うとき、それがしっかり数値化していたので、
自分のことがしっかり見つめられてよかったと思います。

なんか最近、身体についてウジウジ悩んでいることが多かったので、
前向きになれたことが、一番よかったことです。


やはり、現状を知って、一番自分の底値を知っていれば、上に向かおうって
気になって来るものね。

まずは体重がどうのというより、体力と筋力をつけたいなと思います。
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近くて遠い国 台湾  信仰のこと 台湾省城隍廟と龍山寺 [雑文]

みなさま、ちょっとお久しぶりです。

わたしは、二泊三日で台湾の台北に行ってきました。
完全なる観光旅行だったのですが、
目的は
① 故宮博物館へ行く
② 屋台グルメを満喫する

という単純な理由です。

だいたい、春か秋に夫婦でどこかへ旅行に行くのですが、
たまたまわたしがなんかの折に「故宮博物館へいって宋時代の焼き物がみたいよぉ」といったらしいです。(夫に)
それで夫も俄然行く気になったという…。決めたのはまだ肌寒い4月のことでした。

さて、
「行けばなんとかなるだろう…」と思い、二人で行ったのまではいいのですが…
まず、到着した時点で台湾は真夏でした…。

ああ、だってねぇ、沖縄より南なんだもん、熱いはずだけどねぇ、
こんなに暑いとは思いませんでした。
もう、なんてのか歩いてられないんですよ。あまりに暑くて。

で、ホテル着くまでに屋台があってそこで、飲み物と肉まん的なものを買って、
ホテルで食べたんです。

そしたら、食べて少しすると、もうめちゃくちゃ気分悪くなってきて、
戻すは下すは大変だったんですよ。

ということで、目的②はもうあっさり諦めました。
それからは高級店でしか食べませんでした。

しかし、妻のそういうとこには慣れっこの夫さんは全然心配しないで
夕方になると、「さあ! 外へ出よう!」っておっしゃるんですよ~。

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はい、ということで、タイトルのことについて
お話したいと思います。


わたしたち、日本人はほとんどの人は「家は〇〇宗だけど、あんまり信仰してない」
なんじゃないかなぁと思うのですよね。
お経を聞くのも、法事とかお葬式ぐらいじゃないのかなって思ったり。


日本も中国も同じ仏教の国だから、まぁ、多少の仏さんの違いはあれ、
あんまり本質的に違わないだろうと私なんかは軽く考えていたのですね。


ほら、タイやチベット仏教は日本のものとはかなり違うけど、それでも仏教ってわかるし、
もともと密教や禅宗だって中国渡りなんだし、そんなに違ってないって、思っていたのですね。

しかし…。

台北って故宮博物館以外はあんまり観光として行けるところなくて、
まぁ、もうちょっと足を延ばして、ジブリの映画のモトとなっているといわれている九份
などへ行けばよかったのかもしれないけど、
体調激悪かったので、辞めました。

で、ホテルのすぐそばに町の中でものすごく人気があるお寺があるっていうんで
行ったんですよ!!
名前も「台湾省城隍廟」

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ここです。ごちゃごちゃした町の真ん中に突然、現れるのね、
ずらっとぶら下げられたちょうちんが赤々とかがやいているさまは
日本人の目からみれば禍々しいと思われるほどでした。

で、ここはお寺といっても、仏教と道教が半分半分ぐらいに融合しているところなんですよ。

日本だっていってみれば、本地垂迹説 (ほんじすいじゃくせつ)っていって、
日本の神さまと仏さまは融合されていたりするものだし、
まぁ、多少なりとも神さまってそういうところがあるものだとは思っているのですよ。

ですが…何に一番驚くかっていうと
祈っている人が本当に多い。
そして、結構熱心。いや、熱心というより無我夢中というか、傍若無人というか
なんといえばいいのか、ちょっとわかんないけど、その没頭ぶりが半端ないんですよ。

日本と違って、お灯明の形も違うし、それに線香も違うんだよね。

何回も何回もお線香を捧げ持って、仏様に跪く。
それこそ、ラストエンペラーの映画にでてくるように三歳児でも、もはや皇帝なら
って感じで地面に這いつくばって頭下げていたじゃないですか、
あれって
三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)っていうらしいですけどね、
アレですね。あんな感じで拝んでいるんですよ。

初めは結構年配の人がそれをやっていて、
「ああ、重篤な病気のご主人でもいらっしゃって、
神さまによくなるようにって拝んでおられるのかなぁ」って見ていたのですが、
そんなふうに拝んでおられるのは、なにもその人ばかりじゃないんですよ。
まだ、学生みたいに若い男の子や、会社帰りのOLみたいな人も
みーんな、一心不乱に拝んでいる。

ぜんっぜん、人の目なんか気にしてないですね。

うん、日本人にありがちの右みて左みて、ってのがありません。

ですが、この施設、なんか奇妙な雰囲気なんですよ。

日本でいうところの山門にあたるところに電光掲示板で明るく「台湾省城皇廟」って
点滅するの、パチンコ屋のように。

拝み方の熱心さは日本人の1000倍ぐらいだけど、
この周りの猥雑な雰囲気がまたすんごい違和感があるのよね。
そして、仏様。

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これはね、観音さんなの。わたしが解った仏さまは唯一これだけだったけどね。
優しいお顔をしておられるけど、めっちゃ怖い!!
中国の仏様は何でもかなえてくれる寛容さはあるのかもしれないけど、
日本の仏さまから感じる崇高さ、っていうのがないようなするんです。

で、いっちゃ悪いんだけど、観音さまの顔をした妖怪がいるんじゃないかって気がして…
もう、とってもじゃないけど、落着いて祈るどころではなく、
逃げるように帰ってきてしまいました。


でも…こんなことではいかんかなぁと思い、
ふたたびチャレンジしました。「龍山寺」
ガイド本によりますと、ここは台北随一の古刹でありまして、
寺院としても大変格式のあるもの、ということでした。

ですがついてみると。

やっぱり前いったところとほとんど変わらず。
造りは立派なんでしょうけどねぇ。
もう、赤に黄色という原色が目にまぶして過ぎて…。

日本のわびさびっていう美意識に知らず知らずのうちにどっぷりつかっている
私たちにしてみれば、こういう猥雑さってなんか受け入れ難いものがあるような気がするんだよね。


こういうのって、スペインの人が南米のウルトラバロックのお寺をみて
「ひえー」って言っているのにもしかしたら近いもんがあるのかもしれない。



わたしは、派手派手で好きじゃないなぁと思っている、近所の「北野天満宮」の社殿を
あとから見直したけど、やっぱりこの台湾のものと較べれば、ぜんっぜん、なんですよ。

たとえ、日本のバロックっていわれててんこ盛りの「日光東照宮」であったとしても、
やはり台湾のものには及ばないと思うんだなぁ…。

で、この龍山寺ですが、本当に信仰深いんですよね。
お参りに着てる人、数珠をまさぐりながら、お経を一回、二回と唱えておられるのです。
日本人の一般人でこんなことする人めったに見かけないような気がするんだけど…。
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お経を拝見させていただくと、きちんと鳩摩羅什訳と描かれてあったことに感動します。


とはいえ、ここはお坊さんの姿も見えず、ましてや、お勤めするスペースもなさそうだし
どうなってんの?みたいな感じがしました。
お経を見ると、ばっちり現世利益に強そうな密教系だし。
ここの神さまは衆生にばっちり拝まれているから、力強そうだよね…。



ただ、「女の子を授けてくれる神さま」っていうのがいらっしゃって、
娘が生まれると必ずお礼参りして、お花を捧げておられるのがやっぱりエライと思うんですよね。
日本人で願解きにお礼参りに行く人ってあんまりいないじゃない?

IMG_2119.JPG

まあ、すごく違和感があるのは、道教が混じっているからなんだろうと思う。

これを帰って娘に話すと
「たぶん、中国から日本に伝わったときにはいちばん上澄みの美しくていいところだけ、つたわったんだろうね」
と言ってました。

日本のように庭もなく、ほとんど石で作られている台北の仏教寺院、祈りのあり方とは
その国その国によって違いがあるものなのだなぁと感心して帰ってきました。




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