LOVELESS 不幸な一家の系譜 [読書・映画感想]

今日はこの本をご紹介しようと思います。





ラブレス (新潮文庫)

ラブレス (新潮文庫)

  • 作者: 桜木 紫乃
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2013/11/28
  • メディア: 文庫





桜木紫乃さん、初読みです。
これは夫さんが「非常に面白い大河ドラマだ」と薦めてくれたんですよ。

ラブレスは「愛(情)のない、愛されない、かわいげのない」と言う意味です。
じゃあ、もてない人間の物語なのか、といえばそうではなく、これは一種の機能不全な家の物語ですね。


今じゃ、当たり前に「機能不全」な家とか、「毒親」とか使われていますが、昔はそうじゃなかったんですよ。日本は親孝行が当たり前の国ですからね。
「今日まで生きてこれたのは、親があんたにおむつを替えてくれておっぱいを飲ませて大きくしてくれたおかげでしょ」って迫ってくる。

いや、自分が親になって思うのは、それはですね、自分が生み出した命に対しての責任がありますからね、それをするのは当然なんですよ。

子供に「育ててくれてありがとう」と言わせる親は、かえってどうかしていると思うんですよね。

たしかに子供を育てるのは、自分の時間やお金、労力を犠牲にしているところもあります。ですが、赤ちゃんは理不尽に天から降ってくるわけでも、地から湧いて出てくるわけでもない。
自分がちゃんと致すことを致した結果なんです。

そこをきちんと考えていないと大変なことになると思います。

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これは、そういうことを全く考えてないだらしない人間が親になったら、子供たどれだけ心的外傷を受けて辛い思いをするかって話です。


あらすじは簡単にいいますと、親子三代の話なんですよ。一世代目が大正生まれで生まれで、その次世代が昭和10年代生まれで、三世代が昭和40年ぐらいに生まれているのかな。だいたいそんな感じです。


主人公は百合江と里実という姉妹が主人公です。この人たちがいわゆる、二世代目で昭和10年ぐらいに生まれた人たちたんですよ。
彼女たちは北海道の道北の開拓村に生まれて育ったんだけど、非常に貧しい。しかも、ただ貧しいだけならまだしも、親がとんでもないのよね。
つまり、父親がアル中なんですよ。稼いだ分を全部、飲み代に替えてしまう。そればかりでなく、借金してまで飲もうとするんです。

もともと貧しいのに、このだらしない父親とそんな父親に逆らえもしない「自分」ってものをしっかりもってない母親に育てられたお蔭で、この姉妹はとんでもない辛酸をなめさせられることになるんです。

もともと百合江はものすごく向上心があって、努力家だったので、地元の高校へ行って、そして得意な歌を生かしたバスガイドになることを目標にしてました。
当時のバスガイドって、非常に華やかな女性の職業でして、今でいうスッチーさんのようなものです。

百合江はきれいな子だったし、頭もよかったし、もしバスガイドになれたら、一家安泰のはずなのです。ですが、この父親はこの貧乏から抜け出すための「投資」ってことすらしないんですよ。

昔の公立高校なんてどれだけお金がかかるっていうのよねぇ。わたしも公立高校でしたが、たしか一か月に学校に収めるお金は2000円だったような気がします。(ほとんどタダ)



しかし、こういう子供の向上心っていうのをすべて摘み取ってしまうんですよね。こういう親は。
父親は自分の借金の代わりに百合江を駅前の薬局にタダ働きの奉公に出すんですよ。

しかもあろうことか、薬局の主人というのは、若くてかわいい百合江に目を付けていて、奥さんがいないときに、乱暴してしまうんです。でも、百合江はドサまわり専門の旅芸人の一座の魅力に心を奪われていて、なにもかも振り捨てて、その一座に入っちゃうんですよね。

妹も里実も同じようによく勉強のできた子で、看護学校を出て看護婦になることが夢だったのだけど、当然、親はそんな金を持っているはずもなく、やはり散髪屋さんの奉公へ出すんですよね。

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ここまで読んでいると、ダメ親っていうのは、洋の東西を問わずみんなどこも一緒だなぁと思う。
例えば、ゾラの『居酒屋』とかトマス・ハーディーの『テス』とかさ。

みんな父(母)親や夫がだらしなくて甘ちゃんで、娘が身を売らなきゃならないような苦労をさせるんですよね。

わたし、なんでこんな親が生物的に自分の親だからって大事にしなきゃならないのかって思います。

親はまず、子供を無条件で愛することができてこそ、初めて親になれるもんなんですよ。
これらの物語は一般には当たり前と思われているようなことが、出来てないんです。
これが「愛のない」家庭、ラブレス、な家庭の悲劇の由縁ですよね。


その後、百合江は一座の中の男との間に女の子を設けました。
男は天才的な音感を持っていて、磨けば光るような才能の持ち主だったけれど、
やはり、生来の風来坊らしく、親として百合江と子供と一緒に堅気に暮らすってことができず、ふらっと行方をくらませてしまうんです。

ですが、百合江ははじめっからその男に父親としてどうにかしてくれるだろう、みたいな期待はまったくしてなかったので、一人でせっせと働くのです。

しかし、妹の里実がある縁談を持ってくるのですね。
断り切れなくて、その縁談を百合江は受けるのですが、この男がまたとんでもない男で、「ええかっこしい」で、分不相応な高級品を持っているんです。百合江はもともとこの男は資産家なのだと思っていたのですが、いやいやいや、全部借金なんですよ。

そしてそういう男の影には、たいてい息子である男が甘やかしに甘やかせてスポイルさせてしまった、どうしようもない母親がついているもんなんですよ。
この母親は自分の息子が、ダメなところを見ようとしないのね。そして必ず、嫁である百合江にあたって、すべて百合江のせいにする。

なんかこういうの読むと、ダメ男がどうしてダメ男になっていくかっていうのは、その母親次第だなぁってつくづく思う。
マザコンになるように仕向けているんだもん。

反対に立派な母親っていうのは、自分の息子がどんなにグレていても、放置しているように見せて、きちんと見守っている。例えば、北野武のお母さんのサキさんとかさ。武が明治大学中退して浅草のフランス座へ行っても、文句も言わずじっと耐えて見守っていたんですよ。だからこそ、お母さんが亡くなられた時、武が号泣してしまうんですよ。やっぱり、その差かなって思う。



そして、このトンデモ男が百合江の命より大事な娘を、借金のカタにやくざに売っちゃうんですよ!

いや~、こういう男が一番怖いなって思います。表面上は男前で、口当たりの柔らかいことばで懐柔してくるんだけど、こういう恐ろしいことを、別段罪の意識もなくやっちゃうんですよね。

百合江は、必死になって自分の娘の行方を探そうともし、その男に教えるように迫りもするんですけど、しれ~っとして口を割らないんです。

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結構太い本なんですが、あっという間に読了してしまいました。

途中、途中に「これはこういう事情を目の当たりにしてないと書けないだろう」と思えるような描写がでてきたりして、もしかして桜木さんはこういったモデルケースを身内に持っておられたのかと思うくらいです。

たとえばですね、百合江の父親は自分が酔いつぶれるまで飲むことになんの抵抗も覚えない人ですが、一旦自分の妻がちびちび汚い飲み方をして、前後不覚になって、ケラケラ笑い出すようになると、その妻の腹を自分の足で思いっきりどーんと蹴飛ばすんですよ。

こういうの、最低の暴力、最低の男を描くのが非常にうまい。昔だって、わたしの子供の頃には小学校もいっていないお爺さんなんかそこらへんにいっぱいいましたけど、それでもきちんとしているひとは非常にきちんとしていた。なんだろう、この差は、ね。その人の気概の差なのかなぁ。




最後、結局読者は、百合江の行方不明になった娘がどうなったかを、びっくりするような展開で知るわけですが、これはね、読者によって意見が分かれるところです。

「良かった~。最後幸せになっていて胸にジンときました」と思う人。

「いや、なんにもよくない。こんなことで喜んでいる人は、人生の本当の幸せがなんたるかってことをわかっていない」と思う人の二つに分かれると思うんですよ。

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どうもある時点で百合江はわが娘がどこでどうしているかを、知っていたらしいんですね。
図らずも失った娘は幸せに生きていた。


やはり、百合江は貧しくとも親子ふたりで気概をもって生きていった、あのころのことを誇らしく思っていたからこそ、実は生きている子供も死んだものとして、位牌まで作っていたのだろうと思うのです。


ものすごく感動させられました。
まぁ、わたしもある意味機能不全な一家に育ったんで、とても他人事とは思えずに、没頭してしまいました。

子どもは良識をもった愛情深い二親に育てられてこそ、本来の力を発揮できるもんだと信じています。



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心に秘めた思いを告げる   『怪談』 [読書・映画感想]

さて、今日はこの本の紹介をします。

タイトルは『怪談』




怪談 (集英社文庫)

怪談 (集英社文庫)

  • 作者: 小池 真理子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2017/07/20
  • メディア: 文庫




前トピのようなリアルで怖いノン・フィクションでありませんで
こちらはフィクションです。全編短編ですね。

そして情熱的な恋愛モノを書かせれば右に出る人はいない小池真理子さんのものですから
当然、お話も艶っぽいものが多いのか、と思えばそうでもないのが、ミソです。

だれしも人間、人にはいいたくない話のひとつやふたつは心に秘めているものです。
ですが、そんな人が死んでしまったとき、やはり誰かにそのことを聞いてもらいたくて
この世に現れるということもあるかもなぁ…というそんなしみじみとしたお話が多かったような気がします。ま、中には映画の『シックス・センス』みたいな、自分が死んでいることにすら、気が付かなかったみたいな話もありましたけどね。


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怖い間取り [読書・映画感想]

今、古川日出男という方の『平家物語』現代語訳っていうのを読んでいる。
この本は、古典で文語文で書かれていたものを、現代語に置き換えたもので、物語を現代の小説風に再構成させたものではないのです。

で、昔のものだから、三井寺と比叡山の抗争みたいなものもよく描かれているし、当時の仏教的なものの考え方、みたいなものもよく出てくる。
これまでは「ああ、迷信くさいものの考え方だなぁ」「ん~、そんなのは迷信!」「そんなこと、あるはずないじゃないか」と思っていたのです、が。

ちょっと前、永久保喜一さんの『密教僧」シリーズを読んで、少し考え方変わりました。
私、ずーっとこれまで天台宗のものであれ、真言宗のものであれ、密教ってものすごい「現世利益」に徹底したうさん臭い宗教だと思ってきたのですよ。

でも、天台密教で修行を積んだ行者さんたちというのは、その辺のカルト宗教も真っ青の生死をかけた荒行なんか10年ぐらいするし、そうやって神通力っていうか「魔を祓う力」をつけていくんだなぁってわかったんです。

ちょっと欧米のエクソシストやっている方たちとは違いますね、日本の行者さんたちは。

で、そういう方の「いのりの力」というのは、本当に強くてこの世に浮遊している悪霊などを退散させる力を本当に持っているんだなぁって深く得心しました。

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話は変わって、今日はAmazonでベストセラーでよく売れてるという、評判の本を読んでみました。

タイトルは「怖い間取り」です。

事故物件怪談 恐い間取り

事故物件怪談 恐い間取り

  • 作者: 松原 タニシ
  • 出版社/メーカー: 二見書房
  • 発売日: 2018/06/26
  • メディア: 単行本



表紙からして怖い感じです。

これは著者がお笑い芸人さんなのです。(わたしは日ごろテレビを全くといっていいほど見ないので、この方のお顔も存じ上げないのですが)

ともかく、お笑いの世界は厳しく、人を笑わせる職業というのは本当に苦しいものらしいです。
それで、あれやこれやと考えておられるうち、「人がしていないことをしよう」と考えつかれたのですね。そうはいっても今の世の中、人が手に付けていない領域というのは、なかなかないものです。

そこで、あるとき事故物件というものは、安くしてあってもなかなか入りたがらないものだ、ということに着目して、事故物件ばっかり探してそこに住むわけですよ。

その事故物件のおへやの詳細な間取りが、お話とともについているわけですね。

事故物件というのは、おおよそ次のみっつだそうです。
①自殺
②他殺
③自然死なんだけど、誰も見とる人がいなくて、事後処理が大変だった部屋。

私からしたら③なんて、夫婦であろうが、子供がいようが、避けられない事態なのであって、かくいうわたしだって、腐乱死体で発見されちゃうかもしれないっていう可能性はあるので、「これは仕方ないんじゃないのか」とも思うんだけど、でもこんな風になくなってしまう方は、それなりに無念を抱えて成仏できない方も中にはいらっしゃるらしいです。


この方がおっしゃるには、「自分はまったくそういうのを感じる力がない」そうなのです。
たいていのお部屋は「なんか不気味だなぁ~」というゾワっという感覚はそれなりに生じるものの、具体的になにかが見えたわけじゃない、っていうのが多数です。

ときどき「それで、それで?」って追求したくなる話もあるのですが、やはり本物の物書きじゃないせいでしょうか、「だからどうした?」みたいな話もあります。
でも、霊感のないこの方でさえ、真っ青になって叫びだしたくなるような怖い目には一度二度、あってらっしゃるのがやはり、怖い!

で、この本は全編が怖い間取りばっかりじゃなくて、
「出る!」と言われている恐ろしいスポットにも、自ら赴くんですね。
こっちのほうは、読んでいて本当に怖くて、恥ずかしながらわたくし、夜中にトイレいけませんでした、トホホ。

魔界スポットに友達と連れ立って、歩いているのに、隣の友達からラインのメッセージが来る。
「おまえ、やめろよ、気持ちわりーな」とか言って、ラインのメッセージ開いてみると、
意味不明の文章が…。

全く言葉になっていないのだけれど、この文字の選択の仕方はただの文字化けではない、非常に気持ちの悪さを感じてゾっとなりました。

あと、車の中にケータイを落として、見つけるために他のケータイを発信したら、ワンコールでつながって全く知らない親父の声で「おまえ、〇〇ダム行ったやろ?おまえ、〇〇ダム行ったやろ?おまえ、〇〇ダム行ったやろ?」と連呼されて切られちゃったとか…。あの声は…何?
とぞ~っとする話。

江原さんがおっしゃるように、「ここは怖いところだから行っちゃいけない」と言われているところは、やっぱり行っちゃいけないんだなと思いました。
たぶん、こういう魔界スポットのセオリーはですね、ひとつなにか魔がいたりすると、共鳴する魔が集まってきて巨大な軍団になってしまうらしいんですね。死霊ばっかりじゃなくてでも、死んだときの無念、とか苦しい思いの念、「念」も集まると結構怖いものらしいです。

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全体的に非常に怖く、かつ、面白かったですね。

アグレッシブに悪霊と対峙してみようというこの方の意気込みがすごいです。
幽霊や悪霊でさえ、メシのタネにしてやろうという、そのふてぶてしいまでの生命力。
ユーレイさんの中にはこの方の生き方に感動して、成仏された方はたくさんいらっしゃったんじゃないでしょうか? 

なにかこの方の守護霊さまも、すごい方がついていらっしゃるような気がしました。




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夏バテです… [雑文]

書きたいトピはいろいろあるのですが…。
暑さやばい!やばすぎる。

ちょっとダウンしておりまして…
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平和への祈り  『暗幕のゲルニカ』 [読書・映画感想]

みなさま、こんばんは。
昨晩の京都はすごい風でした。
夜も更けて、蒲団に入ったとき、吹き抜ける風があまりにすごいので
「バラちゃん、大丈夫かな?」と思い、
避難できるバラちゃんはすべて玄関に入れ、大きすぎるものは枝が折れるのが嫌なので、全て横倒しにしました。

薔薇は、動けないのでついお世話するのも力が入ってしまいますね。

さて、連日「マッツ、マッツ」と連呼していましたので、いい加減うんざりしている方も多いかと思いますが、わたしは一度気に入るとず~っとそればっかりを「食べ続ける」とか「聞き続ける」ことが多いんですね。
ですが、現時点でマッツ・ミケルセンの出ている作品は見たかもしれません。

「見るべきものは見つ」

なので、これからは今まで読んでいた読書感想をしていきたいと思います。


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さて、今日は原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』をご紹介したいと思います。


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暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

  • 作者: 原田 マハ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/06/28
  • メディア: 文庫




原田マハさんはもともと、学芸員をされていて単なる一愛好家としてではなく、研究者の立場から描いた絵画サスペンスみたいな小説が多いです。

だいたいは現代と画家が生きた時代を交錯させながら、華麗なドラマ作りをするのが得意な方だと思います。
ドラマティックなストーリー展開をさることながら、この方の文章はさながら、美しいドラマを見ているような絵画的なところがあり、それが食事の風景だったりすると「ああ、いいなぁ~」と素直にその世界に浸れるほど、リッチな描写が秀でていると思います。

『楽園のキャンバス』では舞台がたしか、スイスかドイツだったかな、ちょっとゲルマンっぽいの硬質な空気が非常に美しく描かれていましたし、今回はパブロ・ピカソが主人公ですので、ラテンの国、スペインらしい端正さが非常に華麗な筆致で描かれていたのがさすがです。

この作品で非常に重要な登場人物である「イグナシオ公爵」と言う方が出てくるのですが、その公爵のお屋敷の様子、食事の様子、非常に素敵です。

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あらすじは、現代のニューヨーク。9・11事件から話が始まります。
MoMA美術館のキュレーターである、八神瑤子は専門がピカソ。

ですが、9・11のとき、イスラム過激派のテロ攻撃を受けて、夫を失ってしまいます。

呆然自失としている彼女がテレビを見ていると
イラクの報復攻撃をすると発表した国連の『ゲルニカ』の複製のタペストリーに暗幕がかけてあるのを見て、腹の底から怒りがこみ上げるのです。

彼女はどんな場合にも暴力という手段はよろしくないと考えているのです。
しかもどんなときでも平和裏に解決しなければならないはずの国連が、臆面もなく武力による報復をする発表した。いつもなら、重大な発表をするときは必ず、平和の象徴でもあり、暴力による悲惨さを訴えた『ゲルニカ』のタペストリーをバックにしていたのに。
今回は「あんたはちょっと黙っていて」とでも言うように、暗幕をかけるなんて。


実はこのタペストリーはロックフェラー財団が、平和の尊さを忘れないために国連に貸し出していたもので、その代表であるルース・ロックフェラーの怒りも並みではありませんでした。

折も折、MoMA美術館はピカソの回顧展を企画していましたが、スペインの至宝である『ゲルニカ』を貸し出すことは以前から無理なことだと瑤子は知っていました。
ですが、ミセス・ロックフェラーは瑤子に命じます。「世界に平和を取り戻すために、ぜひともゲルニカを奪い取ってきてちょうだい!」と。

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ま、このようにどこどこまでのドラマティックに話は進行するんですね。

このピカソのゲルニカというのは、スペインのバスク地方の一地方であるゲルニカがナチスドイツによって空爆された悲惨さを描いたものだったのですね。
フランコ独裁を嫌って、ピカソは故国であるスペインを離れパリに移り住んでいたのですが、新聞でゲルニカ空爆の事実を知り、怒りに駆られて作ったのがこの作品なのです。


やはり時代は違えど、平和を祈り気持ちはひとつ。
イスラム過激派によるテロ行為は赦すことのできない残虐行為ですが、だからといってイラクに住んでいる何万という無辜の民の命が犠牲になってしまっていいのでしょうか。

これはたぶん、原田マハさんが岡山出身で、広島にごく近い地域に生まれた影響かと思います。
アメリカは「戦争を終わらせるためには、原爆投下は必至だった」といいます。
ですが、原爆投下は当時から禁止行為だったし、それを正当化する理由は実はない。
「勝てば官軍負ければ賊軍」のセオリーですよね。
それはおかしいとマハさんは思われたのでしょう。


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さて、肝心の『ゲルニカ』ですが、私は実は実物を約30年ほど前に、プラド美術館で見たことがあります。当時からゲルニカは分厚い防弾ガラスに囲まれていました。
当時何も知らなかった私は「すんごいなぁ~。こういうことする必要があるのかなぁ」と思っていましたが、この小説を読めば、それもむべなるかな、と思い知りました。


プラド美術館は本当に素晴らしい美術館で、当時の日本人は『裸のマハ』と『着衣のマハ』そして『ゲルニカ』のみっつをみたら、「見た、見た」と満足して帰っていきましたが、実はここには他にもティッツィアーノやベラスケス、ヒエロニムス・ボスなど、超弩級の絵画が無造作にかけられているのです。ほとんど誰もいない素晴らしい王宮の大広間に夫と二人でじっくりと見て回ったことを思い出します。
30年も経ったんだから、もう少しにプラド美術館もにぎわっているのでしょうか。

当時を懐かしく思い返しながら、読書しました。


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ただ、『ゲルニカ』はそういう反戦という意味では重要な作品なのかもしれませんが
芸術性が高いのかと言われると、私はちょっと「わからない」としか言えないのです。

というのも、私あんまり『ゲルニカ』が好きじゃないんですよ。
最初、戦争の悲惨さを描いた絵とすら認識できず、
「なんか馬とか人が暴力的なポーズをとっているなぁ」ぐらいにしか思えず…。

白黒ですから、陰気ですしね。

まぁ、ピカソはあらゆる意味で「常識」というものを打ち破って創造活動をしてきた巨人ですから、専門家からみたら、それなりに価値はあるのでしょうが、わたしは素直に気持ちが天上に向かうような美しい絵を見ていたいと思います。



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マッツ・ミケルセンの別な側面 『偽りなき者』 [読書・映画感想]

皆さま、こんばんは。

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一時、ものすごく涼しい日があったと思ったら、
またジメジメと暑い日が続いて身体が悲鳴をあげております。

外に出かけるのが非常に苦痛なので、家で籠って本を読んでいるか、
ドラマか映画見ているかという、そういうものぐさ三昧の日々です。

ここに何かをUPして、自分が感動したこと皆さまにもお伝えしたい、と言う気持ちと
なにもかも億劫でめんどくさいわーという気持ちが半分ですね。
こういうふうに身体が弱っていると、意外と自分の思いを的確に文章に綴るのも体力と集中力が必要なんだなと気づきました。

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さて、ご承知のとおり、今のわたくしのマイブームは『マッツ・ミケルセン』ですね。

ハリウッド映画では強面の悪役が板についたマッツですが、
この映画は彼の故郷デンマークの映画でして、いつもビシっとスーツを着こなすダンディなマッツとはまた別の側面を垣間見ることができて非常に興味深いものがありました。

タイトルは『偽りなき者』。


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タイトル、あんまりよくないと思うんですね。まぁ冤罪の映画だからそういってもいいのかもしれないけど、なんかしっくりこないです。

この映画はイアン・マキューアンの小説の『贖罪』同名の映画『つぐない』と非常に似ていると思うのです。

男の人の女性に対する性的暴行は、絶対に許すことの出来ない犯罪ですが、
しかしだからといって、一見怪しいと睨んだ男性でも、きちんとした証拠があって
『有罪』となった場合、法的に処分されるべきものなのであって、
やったかどうかわからないのに、「おまえは変態だ!」とか「卑劣な犯罪者だ!」といって
普段つもりに積もった鬱積を晴らすためのスケープゴートにしてはいけないなという
非常に厳しい内容の映画でした。

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主人公のルーカスはデンマークの片田舎の幼稚園で勤めている離婚歴アリの独身男、42歳。

本当は小学校教諭だったのですが、過疎化のために小学校が閉校したため、しかたなく幼稚園へ勤務したのです。
ですが、ルーカスはそれなりにそういった日常を楽しんでいました。
別れた妻とは一人息子がいますが、一緒に暮らすことを希望しています。

そんなあるとき、幼稚園の園長から
「ある子供から、あなたに性的暴行を受けたという告白があったのよ!」と寝耳に水のような宣告を受けたのです。ルーカスは誓って潔白でした。
「どの子ですか、そんなことを言っているのは?」
「言えないわ」
「いつあったと?」
「それもいえないわ」

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本当は幼稚園のクララという女の子がいつも優しくて男前のルーカス先生が好きだったんですよ。あるときクララは先生のくちびるにチューして、アイロンビーズのハートをプレゼントしたら、
「くちびるにチューは無しね。それからハートのプレゼントは、お母さんに訊いてから頂戴ね」
クララからしたら、心外な返事だったんです。本当はルーカス先生に喜んでほしかったのに。

ちょっと傷ついたクララは、腹いせに中学生のお兄ちゃんがiPadで見ていたいやらしい写真を思い出して告げ口をすることにしたのです。
「ルーカス先生が、おちんちんをわたしに見せたの」
びっくりする園長先生。

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でも、あの色男のルーカスならこういうこともありそうだわ、とその時点で断罪してしまう。

それから、あれよあれよというまにルーカスは村では誰一人知らぬもののいない「変態野郎」ということになってしまうのです。

それからの村の人間によるルーカス先生いびりっていうのが半端ないんですよ。

村に一軒しかないスーパーへ行くと、カン詰めを投げつけられ、肉屋の親父に殴られ、
「もう店に来るな! 他のお客に迷惑だ!」と言われてしまう。

なにもかも失ってしまったルーカス先生…。


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そのあとはぜひ、映画をご覧ください。

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中野信子さんの著書に『シャーデンフロイデ』という本がありますが、
シャーデンフロイデとは「他人の不幸を喜ぶ気持ち」をいうそうです。
いわゆる「メシウマ(他人の不幸でメシが上手い)」状態のことをいうようです。


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たぶん、私が思いますに、ルーカス先生は42歳のわりには、全くぜい肉が付いておらず、
今でも十分にいい男なんですよね。
そして、やっぱり現役で「女にもてる」
そのことが、同い年でも、油ギッシュで三段腹でハゲ親父たちの嫉妬を買ったのかもしれません。

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マッツってハリウッド映画だと、十分にマッチョな巨漢の役ができるのですが、
それは相対的な問題であって、故国のデンマークでは決して背が高いほうでもないのかなぁって
感じです。(マッツは183センチ)

映画では2メートルを超すような人がバンバン出てくるので、マッツなんて非常に華奢に見えてしまうんですよ。
ダサい恰好をしているほうが、かえって本来の男前度がわかる映画なんだなぁと
別なところで感心してしまいました。

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この映画は日本では、アートフィルム系の映画館では上映されたみたいですが、
ほとんど知られていません。

それでもカンヌ国際映画祭でばっちり「男優賞」にマッツが輝いた秀作です。





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究極の二次作品 『ハンニバル』season3 [読書・映画感想]

とうとう、念願だった『ハンニバル』シーズン3をもって
全シリーズを見終わることができました。
脚本からカメラワーク、俳優、衣装、美術、ロケーションなどなど
これほどまでにこだわりぬいて作ったドラマは数少ないと思われます。


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たぶんこれは、トマス・ハリスの小説『羊たちの沈黙』に始まって、『レッド・ドラゴン』『ハンニバル』『ハンニバル・ライジング』の愛好者たちがそのシリーズすべてを読了し、
また、各々の映画を作ったあと、

「わたしがハンニバルというキャラクターを使うドラマを作るならきっとこうする!」
というハンニバル愛好者たちが集まって作り上げた究極のドラマだったんじゃないかと
思うのですね。

この作品は原作を下敷きにはしていますが、まったく原作の通りではなく、いわば原作のパラレル・ワールドのような世界観なんですよね。


と私が思いますに、ハンニバル・レクター博士はプリマヴェーラの模写をしたり、チェンバロでバッハを奏でたり、原語でダンテの詩を暗唱できたりもする超弩級の教養人でもあり、外科医でもあり、精神科医でもあるのですが、『食人鬼』でもあるのです。

で、原作では迷宮入りしている操作のために、当時まだFBIアカデミーの訓練生だった
クラリスを使って、ハンニバルの知恵を借りようとするところから話は始まるのです。

クラリスの上司であるクロフォード捜査官の思惑どおり、ハンニバルはクラリスの知性や美貌に
一目ぼれして、難航している操作に知恵を貸してやるのですね。
ですが、ハンニバルはその後、『ハンニバル』ではクラリスの心をを操作して自分の情婦にしてしまうという…。わたしからしたら「え~? そんなのアリ?」みたいなちょっと残念な結末で終わっているのですよねぇ。

あのレクター博士がそういう、並みの人間みたいなことをするだろうか?

というのをたぶん他の愛読者さんたちもわたしと同じことを思ったんだろうと思うんですよ。
で、この作品が生まれたんじゃないかなと思うんですね。


以前のトピにも書きましたように、『ハンニバル』のドラマにはクラリスは出てきませんで、小説『レッド・ドラゴン』でレクター博士と対決したウィル・グレアムがその本来のキャラクターにクラリス的な要素が備わっている人物として描かれているのがとてもとても、秀逸だと思うのです。

ウィル(ヒユー・ダンシー)は自閉症スペクトラム障害といって、わたしもイマイチそれがどういうものなのかはわからないのですが、殺人現場などへいってその光景を見ると、事件が起きたその一部始終を頭の中に再現できるのですよ。そしてその殺人者がそのとき、どんな心理でいたかというのも。一種の特殊な共感ができるという、なんか超人的な能力を備えているのです。


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ウィルは自閉症スペクトラム障害で、他人の意思とほぼ同一に共感することができる能力があるため、精神的にもろいところがあって、こういう恐ろしい現場を次々と見せつけられていくと、心が病んでいくだろうと心配されて、「超一流の精神科医」であり、セラピストであるハンニバル・レクター博士のところへセラピーを受けに行くことを義務づけられるのですね。

まぁ、レクター博士は羊の皮をかぶった狼どころか、悪魔ですので、ますますウィルは病んでいくのですが…。

ですが、レクター博士には目論見があったのです。
ウィルには自分と同じ要素があるということを。
今はまだ覚醒していないけれど、きっと鍛えて行けばいつかは…。
という危ない欲望があるのです。

ここがドラマのオリジナルなところでしょうか。
なんかぼーっと見ているとBLなんか?と思ったりもするのだけれど、なんというかそういうチープな愛ではなく、ちょっと説明しがたいんだけど、もっと高度な愛情をレクター博士はウィルに抱いているのですねぇ。


で、俳優さんの選び方がいいな、って思うのね。レクター博士にはマッツ・ミケルセンじゃないですか? この人、もともとセクシーなんだけど、そこになんていうのか、一種の清潔感があるんですよ。それにもともとダンサーだっただけに、プロポーションも抜群だし挙措も優雅だしね。

で、ウィルにはヒュー・ダンシー。日本人の私たちからみれば、イギリス人の彼は歴とした男なんだけど、彼は大学生の頃「美少女」っていうあだ名があったくらい「美青年」だったらしいんですね。
とにかく、美少女とあだ名されていたころはグリーンアイがキッラキラにきらめてていて、ダークヘアーも天使のようにカールしているという…。まぁ、このドラマの頃は、もう30代だからどう見たって男性なんですが、要するに彼はどこか「中性的」な魅力があるんですね。だからといってオカマっぽいというわけでもないんですが。

でも、絵としてヒュー・ダンシーとマッツ・ミケルセンが並んでいる図は美しいんですよ。

あとですね、なんとレクター博士自身もセラピーを受けていて、ものすごく優雅で美人のペデリア・デュ・モーリア博士のところへ通っているのですね。(ついでに言えば、デュ・モーリア博士のしゃべり方がまた、すんごくいいんですよねぇ)

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ですが、このデュ・モーリア博士の謎な美女でレクター博士の正体を知っているんですよ、実は。
「自分だけは私に食べられないとでも思っているのか?」と畳みかけられると、
「いいえ。でも、今じゃないわ…」って答えるんですよね~。

恐れているわけでもないし、レクター博士を男として愛しているっていうんでもない。
不思議な関係でした。たまにウィルが「ハンニバル、お願いだ、頼むよ」って言うと、ハンニバルの目元と口許がわずかに緩むんですよね。マッツってこういう演技が本当に上手です。


でも、最後にレクター博士を晩餐に招くシーンがあって、そのテーブルに置かれたものを見て
「んんん?」と唸ってしまいました。あ、あれは…。


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本当はこのドラマはまだまだ続くはずだったらしいのですが、いろんな理由があって
シーズン3で、一応終わるのです。

ふたりは『レッド・ドラゴン』ことフランシス・ダラハイドを討つべく、岸壁に立つ建物でワインを飲もうとするのです。ですが、ダラハイドがレクター博士の腹部を貫通させてワイン・ボトルを粉々にするのですね。

目の前で恐ろしいことが起こっているにも関わらず、ウィルは注がれたワイングラスから、何事もなかったかのようにワインを一口飲む。
うわ~、こいつ、ここで覚醒しちゃったよ!って感じです。

ふたりとも大量の血を流しているにも関わらず、肉弾戦でダラハイドを殺し、そのあと、ふたりで抱擁したあと、東尋坊の3倍ぐらいありそうな崖の上から落ちていくのでした。
まぁちょっとBLチックな演出のようにも思えるけど、わたしはなんか不動明と飛鳥亮を思い出しましたけどね。ふたりはいわば同一の陰と陽だったんだな、って感じで終わるのです。

余談ですが、アメリカに住んでいるとき、レクター博士は非常にかっちりとした仕立て上がりの結構ド派手なグレンチェックのスーツに、ネクタイのノットを結構ぶっとく結んでいたりするんですが、フィレンツェへ行くと、急にやわらか~い色のやわらか~い仕立てのスーツを着こなしているんですよね。一瞬、レクター博士は宮廷服を着ているのかって思うほど優雅でありました。それと呼応してデュ・モーリア博士のおしゃれもアメリカ東部のおしゃれからイタリアっぽく変わるのが素敵でした。




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本当は続くはずだったから、またウィルとレクター博士は蘇って
二人で共謀して恐ろしいことをやるはずだったんだと思うのですが、
でも実際、ドラマはそうはいっても、筋が複雑で込み入っており、なおかつ非常に重たくて見るのに緊張しますし、何度も何度もウィルがレクター博士によって非情な方法で殺されそうになるので、見ているうちに同じ悪夢を繰り返して、見ているような気になってきて、実をいえばシーズン3で終わってくれてホッとしているのでした。


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「あなたは神になろうとしているのか?」
「わたしは神ほど気まぐれでも残酷でもない。だって神は意味もなく信心深い修道女が祈っている教会の屋根を落としてその命を奪ったりするんだからな。わたしはそんなひどいことはしないんだよ」



次に見たいドラマも控えているのですが、ちょっと今は気持ち切り替えてみる余裕がないなぁって感じです。



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オルトラン [園芸]

ちょっと前、うちのバラちゃんたちに水をあげていると
なんとなんと、黄金虫がバラちゃんの葉っぱを食べていやがった。

戸外で生きている黄金虫をみるのは初めてで、
なんかぬめぬめと玉虫色に光っていた。

うげぇええええ~、きもちわりぃ~。たすけて~。

バラちゃんを育てている上で一番いやなことは虫にたかられることです。
いやですねぇ~。でも、虫もおいしいものがわかっているのでしょう。

黄金虫は土中に卵を産み付けられると非常にやっかいな虫でして
幼虫がそれまで元気に育っていた根を食い荒らして、気が付いたころには
茎が根元からすぽっと抜けてしまうんだそうです。

これまで朝に晩にお世話していたのは、黄金虫の幼虫の餌をつくっていたためではない。
とりあえず、あわわとしていたら、黄金虫はどっかへいってしまっていたところなので
手持ちの害虫用スプレーを気が狂ったようにバラちゃんたちの葉っぱに吹き付け、
そくAmazonにてオルトランを注文しました。

次の日、水をやりにいくと、ひん死の黄金虫を発見。
ちょっと葉をゆすると、ぼとっと無様に土に転がっていました。
でも、安心できないので、剪定ばさみの凄い枝をぶっちんできるやつを持ってきて
身体を真っ二つにしてやりました。(ハンニバルを見過ぎたせいかしら…)
そのあと、Amazonから特急で届いたオルトランを鉢に散布して
土深く薬が届くよう、散水しました。


うへぇ~、オルトランの匂いって吐き気がするほど、変なにおいですね。
でも、やはりバラには害虫はつきものですから、ありがたいです。

今年は酷暑だったにもかかわらず、うちのバラちゃんたちは全般的に元気で
夏場でもよく花を咲かせていました。


九月の半ばになりますと、今度は夏剪定をして
10月から11月の秋バラが一番美しく咲けるベストシーズンに咲くことができるよう、
一生懸命お世話する所存でございます。


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アニメの『banana fish』 [読書・映画感想]

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バナナフィッシュがアニメ化されていて、
毎週視聴している。

感想は、まあまあ良くできているけど、
それ以上でもそれ以下でもない。

アッシュや英二のイメージが原作どおりだとか、そうじゃないだとか
たしかにそういうことも大事だろうけど、

この作品はデティールがよくかけてないし、
全体的にどんなイメージにしたいかという俯瞰的に見た
コンセプトってもんがあんまり感じられないんだよ。

ベトナム戦争をイラクに変えて、アッシュの生きた時代を2018年現在にもってきた
意味ってどこにあるんだろうとか思うんだよね。

ベトナム戦争とイラク戦争の起こったバックグランドは違う。

そして、貧しい環境の中で、美少年でかつ、天才として生まれて死んでいった
アッシュの悲しみっていうのも、それによって意味がずいぶんと違ってきてしまうと思う。

日本のマンガは基本白黒だ。
絵は見る人の心を反映してどんな色にでも変幻自在だ。
そして、色がついていない分、動きがシャープにみえるはずだ。

そこに色がついて動きがつくとどうなるのか。

ただ、原作を動く電動紙芝居にしてはならない。
原作に忠実になるあまりに、ちんまりまとまってはならないと思う。

アニメにはアニメなりの世界観や表現方法があるのだから。

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『ロイアル・アフェア』  知られざるデンマークの歴史 [読書・映画感想]

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おはようございます。お盆ですね。
帰省して、忙しい方もいらっしゃるかと思います。

さて、ハンニバルを視聴中の私のマイブームは「マッツ・ミケルセン」です。
この人ねぇ、ハンサムなのかって言われると「うん!」と即答はできないんだけど、
まぁ全体的な雰囲気は端正かなぁと思うね。

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まぁ、「カジノロワイヤル」とかこの「ハンニバル」で世間的にはばっちり「悪役」というイメージが付いているマッツだけど、故郷のデンマークじゃ「デンマークの至宝」っていって尊敬されているそうです。

「ハンニバル」はめちゃくちゃお金のかかったドラマなので、グロい殺人以外にもいろいろと見どころがあります。美に造型の深いレクターのスーツや家の内装、キッチングッズ、テーブルウエアなど、とても美しい。
まぁ、それでも43分のドラマの中には必ず一度や二度は緊迫したシーンがあるので、「軽く」見るわけにはいかないんだよね。

で、昨日そんなわけでちょっと別のテイストの映画を観てみようと思ったわけです。

タイトルは「ロイアル・アフェア 愛と欲望の王宮」
まず!このタイトルがダメです!こんなんじゃなんかスキャンダラスな、下世話な話なのかと思ってしまうじゃないですか。

そうではなく、これはフランスで革命が起きる以前にデンマークで一介の町医者という身分でありながら、一時的にも一国の宰相としてデンマーク王国を近代的な政治を施行した男の話なのです。

話はまさにフランス革命前夜と重なるのですが、イギリスからデンマークへひとりの王女がお輿入れします。彼女こそデンマーク王クリスチャン7世の妃となるカロリーネ。

イギリスから希望にあふれて嫁に行ったカロリーネですがついて見ると、夫となる国王は奇行を繰り返すちょっと頭に問題のある人物。

知性があって芸術にも造詣の深いカロリーネはがっかりします。しかしそれでもとりあえず故国に母親の言葉を思い出して、お世継ぎを作ることだけはしっかりと果たしたけれど、無事お世継ぎとなる男の子が生まれれば、夫の存在など疎ましいだけ。

完全に別生活を送るようになるのでした。
王様の頭が弱いのをいいことに、貴族はやりたいほうだい。デンマークは疲弊しきっていました。

ですが、そのとき、町医者であったストルーエンセが王様の侍医になるのですね。
このストルーエンセは貴族でもなんでもなく、ただの平民でしたが、誠実な人間だったので
次第に孤独な王様の心をつかみ、夜も昼も行動を共にするようになり、
やがて政界にも嘴を突っ込むことになるのですね。

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本当はそうはしたくなかったのかもしれませんが、教養や知性、それよりもルソーなどの啓蒙思想を深く理解していたストルーエンセにしてみれば、今のデンマークのさながら中世に逆行したような政治形態には我慢ならなくなり、次第にもっと市民にやさしい、福利厚生や思想の自由、人権の尊重をを保障した近代的な政治を敷いたのですが、性急にやりすぎたのか旧態依然として自分の利権にばかり執着している貴族の集団に陥れられて、最後は粛清されてしまうのですねぇ。


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話の大きな枠組みとしてストルーエンセという人の生涯はこんな感じなんですが、
ストルーエンセはまた、別の一面がありまして、
国王クリスチャン7世に愛想を尽かしてへきえきしているカロリーネ王妃の愛人となってしまうのです。

二人とも知性や教養にあふれ、共感することが多かったのです。
そしてある夜会でふたりは踊りを踊ります。
それがふたりの恋心に火をつけるのですね。

でも敵の多い貴族はこんなおいしいスキャンダルを見逃すはずはないのですよ。

そして、話はだんだんと悲劇に向かってひた走ってまいります。


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カロリーネやっている人はものすごくかわいくてお姫様~~、って感じの人です。
なんか若くて色が真っ白なんですね。こういう若い女の子ってうなじとか耳のあたりがほんのりと
桜色に染まっていて本当に初々しくてきれい。

しかしですね、このいうおとぎの国のお姫様みたいな人にマッツ、っていうのはちょっとなぁ~って気もするんですよね。「シャネルとストラビンスキー」んときみたいにアナ・ムナグリスみたいな大人な女の雰囲気があったほうが、お似合いのような気もするけど、でもまぁ、こういうふうにいっそのこと親子にも思えるほど違う雰囲気の二人っていうのもアリなのかって気にもなって来るのですね。

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白眉は、途中でふたりで踊るところ。マッツは強面ですが、もともとダンサーだった人。
驚くほど優雅に滑るように踊っているのはさすが!でした。

ベルばらチックな時代なのですが、マッツは最初から最後まで黒い衣装で決めていました。ヒラヒラとしたレースのクラバットなどは一切絞めず、黒のクラバットというのが渋かったです。

あとは王妃さまのヘアスタイルなどは惣領冬実さんが描いた『マリー・アントワネット』に出て来るのにそっくりで感動しました。
あと、実際に男の人もカツラではなく地毛でいわゆるロココ風な三段ロールを結っているのもあって、コスチュームが好きな私は大変参考になりました。
ソフィア・コッポラが作った『マリー・アントワネット』は非常におしゃれな画像だったけど、ああいうのは演出のため、案外ウソも多く混じっているような感じなのに対して、こっちのデンマークの映画は武骨だけれど、わりとそこらへんは史実に違わず作っているような気がします。


予告編のトレイラーはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=3C_HDMH3Arc

現在、アマゾンにて有料(400円)で視聴できます。


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