残酷な神が支配する [読書・映画感想]
みなさま、今日は台風が通過します。
なんとなく外は不気味な灰色をしていて、空気も生ぬるい。
なるべく被害が最小限でありますようにと祈らずにはいられないですね。
さて、先日萩尾望都先生の『残酷な神が支配する』10巻を大人買いしました。
やはり、10冊もあるとkindleで読むのが大変便利です。
ただ、kindle化するのもいろいろ方法があるらしく、
冊子になった漫画を全部バラバラにしてスキャンする方法と
かなり面倒ですが、原稿を直接スキャンする方法があるとのことです。
私は、以前amazon unlimitedで 竹宮恵子先生の『アンドロメダ・ストーリー』を読んだのですが、
実際の原稿とは、実際の色付き原稿とはこんなに美しいものなのかと感動して覚えがあります。
ですが、この『残酷な神』はどうも冊子からスキャンされたらしく、あまりよい状態で
読めるわけではありませんでした。しかも、カラーページも再現されていないし。
少女漫画に大きな影響を与えた、これほどまでに素晴らしい作品の電子書籍化をするにあたり、
こんなチープな方法を取られたのが残念でなりません。
ぜひ、もう一度、原稿からスキャンしてもらいたいものだな、と思います。
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わたしは小学生の頃から萩尾望都先生のマンガを読み続けてきました。
ですが、ちょうど結婚して妊娠出産を経た10年ほどは、一切漫画は読まなかったのですね。
どうもそのころにこの漫画は執筆されたらしく、今日まで読むことがありませんでした。
わたしにすれば、萩尾望都先生といえば、「ポーの一族」とか「トーマの心臓」といった耽美的で繊細な描写がすぐ頭に浮かぶのですが、
今回は全く違うアプローチにびっくりしました。
まぁ、この作品はBLと言えばいえるのかもしれませんが、
竹宮先生の『風木』は美しいフィクションであり、その中に『児童虐待』というアイテムも含まれるって感じがしますが、
この「残酷な神」のほうは、フィクションの形をとって「児童虐待」とか「崩壊家庭」の真実を描いているような気がしました。
ですから、非常に起承転結もあいまいで、こういうファンクションをしたから、次はこうなる、みたいな劇的な転換がないのですね、現実世界のように。
いつまでたっても、核心には触れることの出来ないもどかしさ、っていうものが読んでいてよくわかります。
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話の発端はこんなふうに始まります。
アメリカの東海岸に父親のいない、母親と息子が住んでいました。
母親のサンドラ、息子はジェルミといいました。
母親のサンドラは最初からシングルマザーなわけではありません。
きちんと結婚して息子のジェルミをもうけたのですが、その父親が8歳のとき、亡くなったのです。
このとき、ジェルミは16歳。少女と見まごうような美少年でした。
なんとなく、造形的に若い時のヒュー・ダンシーがやればぴったりって読んでいて思いましたね。
サンドラの年齢ははっきり書かれていませんが、たぶん30代の半ばというところでしょうか。
容姿はいつまでも美少女の面影を残した金髪美人だったのです。
そんな二人の前に、晴天のへきれきというべきか英国紳士の典型のような立派な男性が現れ、サンドラに「ぜひ、後妻に」とプロポーズするのです。
この結婚にジェルミは喜びました。なぜならサンドラは自分の道は自分で切り開くといったような、精力的な人間ではなく、常に誰かの庇護下にあって守ってもらいたいと望むようなそんなはかなげで感受性の強い女性だったからなのです。
で、ここまではいいんですよ。
で、そのサンドラの婚約者のグレッグ・ローランドが突然、義理の息子にあたるジェルミに「性的な関係」を迫ってくるのです。
もちろん、16歳のジェルミはまだ子供と大人の葉境にいますから、興味はありつつ、未経験でした。ましてや男色なんて迫られてびっくりです。それもこれから自分の母親と結婚しようとしている人物に!
ジェルミはもちろん、最初は断りました。すると、グレッグはサンドラとの婚約を解消したのですね。すると母親のサンドラは絶望のあまり、自殺未遂をしてしまいました。
ここでジェルミの進退は極まってしまいます。
感受性が強くて、か弱い母親を守るためには、自分は犠牲にならなければならないのだと。
そんな窮地の中でも,なんとかしてジェルミは、故郷のボストンからイギリスのロンドンへ行かないように、いろいろと工作するのですが、海千山千のグレッグは難なくそれを突破してしまいます。
そして、義理の父親以外しることのない密室での虐待は4か月以上続くのです。
ここら辺は、ドライで突き放した描写にすさまじく迫力があって、「これがあの、ポーの一族のエドガーを書いていた人と同じ人なのか」と疑うくらいでしたが、このころ萩尾先生は40代の絶頂期だったのかもしれないです。こういう暴力シーンって描くのが非常に難しいと思うのだけれど、ずーっとクールにテンションが一定っていうのが、もう、信じられないくらいです。
で、ジェルミはだんだんと自分の人格が壊れていくのです。でも切り札は常にグレッグに握られていて「いうことを聞かなければ、おまえのおふくろはどうなるかわかっているのか」とすごまれると、お屋敷から逃げ出すこともできなくなるのですね。
ですが、とうとうジェルミはグレッグを殺すことを決断するのです。用意周到に、人に気づかれることなく、ゆっくりと…。
ですが、巻き添えを食らって、母親のサンドラまで死んでしまった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まぁ、ここまでがジェルミの話なのですね。
いわゆる家族崩壊の話なのですが、実はグレッグには前妻の間に息子が二人いまして、
ひとりがこの物語のもうひとりの主人公の「イアン」なのです。
イアンはまるでアポロンのような美青年で、しかも非常に聡明で出来がよく、父親のグレッグに溺愛されてきた人間なのです。
イアンは自分の父親はあらゆる面ですばらしい人間だと尊敬していたのですが、その父親がいかに残虐な人間であったのかをジェルミの口から、そして残されたサンドラの日記や父親の虐待の道具や写真などから否応なく知らされていくのです。
ここからのイアンとジェルミの葛藤がすさまじくて、読んでいるのが辛く、何回も中断してしまうのですね。
イアンは根は善良な青年ですから、なんとか解決の糸口を見つけようとせっかちに、ジェルミの傷ついた心の中に無遠慮に入って、「あれしろ、これしろ」と居丈高に命令口調です。
でも、こんな大きな心の傷はそう簡単には直りません。
ジェルミは傷つきすぎて、もはや満身創痍。どこが痛い、ここが痛い、と指さして傷口を示せるような段階じゃないんですよ。
全身が火であぶられているように、痛い。だが生きていくためにはその痛みを無視しなければならない。
もはや、心と身体が連動していないのですね。
でも、そうやってイアンがジェルミにいろんなことを強制しているうちに、なんというか、身体を支配する、された というまた間違った方向に進展していくのです。
結局、優秀だ、年より大人だといってもイアンだって所詮は、ジェルミより2歳年長なだけの「子供」に過ぎないんですよ。彼だって、十分に父親や自殺してしまった母親から傷つけられているのです。でもそのことに自覚がないから、いつまでたっても二人の関係はよくならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こういった感じで話は、何度も何度ももどかしいかんじでとん挫してしまうのですね。
最後はかなり哀しい「真実」をふたりとも認めなければならなかった。そうやってそれを受け止められた時、初めてこのしんどい体験を乗り越えられたのですね。
いや、だけど、元通りというわけにはいかない。
傷を抱えながら、なんとか生きていく方法を見つけていく、というかなりシビアな終わり方です。
萩尾先生はこの作品を執筆するにあたり、そうとうな数の心理学の本を読んでおられただろうと思います。それほどに人間の中では、「親子関係」っていうのは難しいものなのだということです。
そして、すべての元凶であるグレッグさえも、そういった親子関係の悪の連鎖の犠牲者であったというふうに作品にほのめかされています。
なんてか、生きていくのは本当に難しい…。
読後感はさわやかではありませんが、深い作品でした。
おはよーございます♡ [雑文]
やっと暑いあつい夏が去って
涼しい秋が急にやってきた!って感じがします。
空気がひんやりと冷たくてとても澄んでいる感じがしますね。
雲水さまも「ほーい、ほーい」と言いながら家の前を通り過ぎていきます。
さすが、京都。
この間、フラワーアレンジメントのおけいこで先生が「しょうびん」ということばを使われました。
意味は「けち臭い、とか貧相とか、見栄えが悪い」とかそういう感じですね。
「見えないからと言って、後ろにグリーンを置かないと全体的に作品がしょうびんなイメージになるので…」
わたし…京都へお嫁に来てから、ほぼ30年になりますが、「しょうびん」と言うことばは使うことはもちろん、聞いたことも無かった。
生まれも育ちも京都人の夫に「しょうびん知ってるか」って訊いたら「うわ、しらんなぁ」とのこと。
で、中京区は「しょうびん」ということばは今でもしょっちゅう使うということです。
先生のところは中京区だからうちとは違う京都弁なのだろうか?
なんとなく、中京区と上京区でも結界が張られているような気がする。
祇園祭りも「京都」のまつりって思ってるでしょ?
でもうちらのお母さんあたりは
「あれは中京の人らのお祭りなんであって、うちら上京の人間の祭りと違う。うちらは今宮さんの『やすらい祭りがあるやんな』」
とさも憎さげにいうものいいがなんとなく可笑しいです。
まぁ、うちは今宮神社の氏子ですけどね。
江戸時代までは今のように、上京区と中京区は面として隣接しているわけじゃなく、
その間に田畑が横たわっていて隔絶されておりました。
ただ、室町通一本が中京区と上京区を繋いでいたんですね。
そのせいか、ちょっと文化が違うのかもしれない。
う~む。
涼しい秋が急にやってきた!って感じがします。
空気がひんやりと冷たくてとても澄んでいる感じがしますね。
雲水さまも「ほーい、ほーい」と言いながら家の前を通り過ぎていきます。
さすが、京都。
この間、フラワーアレンジメントのおけいこで先生が「しょうびん」ということばを使われました。
意味は「けち臭い、とか貧相とか、見栄えが悪い」とかそういう感じですね。
「見えないからと言って、後ろにグリーンを置かないと全体的に作品がしょうびんなイメージになるので…」
わたし…京都へお嫁に来てから、ほぼ30年になりますが、「しょうびん」と言うことばは使うことはもちろん、聞いたことも無かった。
生まれも育ちも京都人の夫に「しょうびん知ってるか」って訊いたら「うわ、しらんなぁ」とのこと。
で、中京区は「しょうびん」ということばは今でもしょっちゅう使うということです。
先生のところは中京区だからうちとは違う京都弁なのだろうか?
なんとなく、中京区と上京区でも結界が張られているような気がする。
祇園祭りも「京都」のまつりって思ってるでしょ?
でもうちらのお母さんあたりは
「あれは中京の人らのお祭りなんであって、うちら上京の人間の祭りと違う。うちらは今宮さんの『やすらい祭りがあるやんな』」
とさも憎さげにいうものいいがなんとなく可笑しいです。
まぁ、うちは今宮神社の氏子ですけどね。
江戸時代までは今のように、上京区と中京区は面として隣接しているわけじゃなく、
その間に田畑が横たわっていて隔絶されておりました。
ただ、室町通一本が中京区と上京区を繋いでいたんですね。
そのせいか、ちょっと文化が違うのかもしれない。
う~む。
聖天さまの好物 清浄歓喜団 [インスピレーションのみなもと]
皆さま、こんにちは。
そろそろさわやかな秋風が吹いてもいい頃なのですが、やたら降水量が多いような気がします。
関西だけなのかしら…?
関東はとても涼しいと聞きましたがどうでしょう?
さて、わたくしお彼岸の日に、非常にめずらかなお菓子を食しました。
それは「清浄歓喜団」というお菓子です。
これは上からみたところ。
これは横からみたところ。
これが断面図です。
この清浄歓喜団というお菓子は非常に古い時代に大陸から伝わったお菓子なんです。
わたし、このお菓子は今から20年ほど前に『サライ』という雑誌で初めて知りまして、八坂神社の近くのお店でわざわざ買った思い出があります。
そのとき、食べた記憶は「なんか硬い!」というものです。記憶って20年も経つうちに変化するものらしくて、その硬い原因は中のアンが棗とか干し柿とかそういうドライフルーツが入っていたからだと思っていたのですが、そうではありませんでした。
ただ、渡来した当時はそういうものが詰まっていたのだけれど、江戸時代になると中があんこに変わったということが書かれていましたので、いつのまにか記憶もそのように書き換えられていたらしいです。
やはり記憶なんて自分のいいように書き換えられてしまうのですね。
ということで、予めそれほど、おいしいものではないということを知っておりましたので一個で十分。そして、以前は知る人ぞ知るといったお菓子も、今や伊勢丹で買えちゃったりするんですよね。
便利な世の中です。
ということで……、包装されていた透明の袋を開けますと、辺り一面に香ばしいゴマ油の香りがします。
撮影するため、素手でお菓子を触っていましたら、油でベタベタになりました。結構油っぽいです。
で、その甲殻のような外側を包丁でなんとか割るようにして斬りますと、まあ、見た目はふつうですね。
で、夫と一緒にティスティングです。
感想は非常に甘味の強いあんこで記憶にあるものより、ずっとおいしかったです。
食べた瞬間、肉桂の香りを強く感じました。「硬い」と感じていた外側の皮も、パリパリとしていてそれほど硬いとは思いませんでした。
ですが、後口にそのほかの、よくわからないけどお線香のような香りがずーっと口の中にとどまっています。どう表現すれば一番適切かよくわからないけど、なんていうか、口の中をお香で消毒というか清められた感じがします。
これまで、この清浄歓喜団、京都の方は略して「お団」と呼びますが、単に比叡山に昔から伝わる仏様のお供物としてのお菓子なんだという認識しかありませんでした。
ですが、わたくし、最近永久保貴一先生のお坊さんシリーズのマンガにはまっていて、その中にこんなシーンが書かれているんですよ。
扉を閉ざしたままの厨子を拝むお坊さんの前に供えられたお菓子…。
これはどうみてもお団でしょう!
この閉ざされた厨子に入っている仏さまは「聖天」さんこと、歓喜天さまなんですよね。
歓喜天さまは非常に扱いの難しいといわれる仏さまなので、普通行をしているお坊さんしかその像を拝むことができません。ま、秘仏なんですね。
この方がお好きなお菓子なんだなぁとわかって、清浄歓喜団→歓喜天
ああ~!そうか、これは聖天さまにお供えするお菓子だったのか!
だからこういう不思議な名前だったのね!
そして、聖天さまの好きなものは大根と巾着と言われていますが、
どうして、このお団がこういう不思議な形をしているのか、一瞬で理解できました。
これは巾着をあらわしているのですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ところで、聖天さまはインドではガネーシャと言われています。
密教はもともとバラモン教の神さまを天部の神として参入されています。
つまり、バラモン教の人にはちょっと失礼なんだけど、仏によってこれらの神を教化したってことになっているんです。
で、まぁこの聖天さまって男女の像人が抱き合っている(といっても向かい合っているという感じ。あっちのタントラ像のように激しい形ではありません)形をとっておられます。
なぜかというとこの世でやりたい放題をしているガネーシャをみて、聖十一面観音さまが自らメスのガネーシャに化け、このガネーシャの心を鎮めたからなのですね。
ですから、これは半分、ガネーシャで半分は観音さまなんですね。
そこがちょっと、本来のバラモンの神と仏教の天部の神との違うところなのかなぁと。
それでですね、また永久保先生のマンガに書いてあったのですが、ガネーシャはたくさんの手を持っていますが、その手のひとつはお菓子を持っているのですね。それが「モーダカ」といいまして、いわゆる「最中」の原型なのではってことです。
https://kimcafe.exblog.jp/26425790/
ここに詳しいモーダカの説明および、レシピが書いてあります。
非常に面白いのは、ガネーシャはお腹が弱いので、油を使ったお菓子を食べるとすぐにお腹を壊してしまうので、モーダカというのは、蒸し菓子であるということ。
日本に伝来するころには油で揚げてありますからねぇ。これじゃガネーシャはお腹が痛くなってしまいますが…(笑)
昔、自分が知りたい、手に入れたいという情報をゲットするには多大な労力と時間とお金を費やさなければなりませんでしたが、インターネットがあれば、「モーダカ レシピ」と検索するだけでこんなにすぐに情報が入手できる。すごいことです。
あっという間に、「清浄歓喜団」のルーツまでさかのぼれることが出来してしまうのです。
便利な世の中になったなぁとつくづく思います。
祈りのことば ドラマ『エクソシスト』 [読書・映画感想]
みなさま、こんにちは。
今日はお彼岸。これから夜が長くなっていくのですね。
でもまだ暑くて半袖ですし、実感としてはまだ夏のような気がしています。
日本は民度が高くて、豊かな国だなと思うんですが、たったひとつ近年のこの過酷な夏さえなければなぁと思います。
昔はどんなに昼間暑くても、日が落ちれば涼しくなりましたし、
「盆が過ぎたら、寒くなる」とかいいましたもん。
確実に変化が起きていますね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、今日はドラマ『エクソシスト』のご紹介です。
このドラマは実は春ごろ、暇つぶしに見ていたのですが、
小説を書くのに取り掛かっていたら、すっかりその存在を忘れていた作品です。
わたしは映画の『エクソシスト』そして小説の『エクソシスト』はアメリカ文学界に輝く、超傑作だと思っていますが、このドラマはあの映画のコケ脅かし的部分しか強調されてなくて、とても残念な作品ですね。
オリジナルと同じように、ふたりの神父が悪魔祓いに取り組むのですが、オリジナルの神父たちの神を希求する真摯な態度、博愛の精神、自己犠牲など微塵も感じられず、どこかガードの甘い、緩い作品ですね。
このドラマにはマーカス神父とトマス神父という二人の神父がいるのですが、マーカス神父は善意で悪魔祓いをしたにせよ、上の言うことを聞かず、自分勝手に突っ走ったため、神父をやめさせられた人です。
一方トマス神父はスラム街が自分の教区で、熱心に普及活動などをしている一見真面目な人なのですが、裏では人妻と情事にふけっていたりして、精神修養の足りない人です。
見ていて思うのは、これから「悪魔祓い」をする、って人は日本の行者のお坊さんみたいに、精進潔斎して、肉を食べず、酒も飲まず、滝のひとつにでも打たれて、百万遍数珠を手繰ってお経をあげて自分の心身を神や仏の神気で鎧を作るようにガードでもしやがれ、って思うんですよ。
女と寝てきたその足で、悪魔祓いなんかしたって、悪魔はとれちゃあ、くれませんよ。
で、「甘いなぁ、緩いなぁ」って思うのは、最終回ぐらいで悪魔との最終決闘しているときに、信仰告白みたいなことを言うんですよね。「わたしは、これこれこういう罪を自分が犯して、それを赦してしまっている弱くて甘い人間です」とかさ。
いや、だからね、人間は罪を犯すものですよ。それはいいんです。だけどね、知らず知らず犯してしまっているのが性だとは思うけど、どう見たってそれは大罪だろうっていうような罪を、精進潔斎中みたいなときに犯さなくてもいいだろうって思うのね。例えていうなら、運転前に酒を飲もうとする人はいないでしょうってこと。もう、そういうことをやってる時点で自分はこの悪魔祓いという人の命がかかっている大変な仕事から手を引くべきだと思うし、よほど自己というものを戒めなければならない高い人格を必要とする神父なんかやれる資格ないなって、思うのよね。
かなり厳しい意見だけど、在家の信者ではなく、僧侶なんだから、それぐらいの決心をしてくださいよ。というか、神父になるとき戒を与えられませんでしたか。
そう、そういうのは破戒ですよね。
というわけで、どうやらシーズン2、シーズン3と続くらしいけど、なんか聖職者をくそバカにしたような内容なので、見る気がうせた。
確かに昨日、インドのケラーラの司教が尼さんを二年間にわたって強姦していたってニュースになっていて、非常にけしからん事件だったけど、やはり世の中いる神父さんの多くは、一生懸命使命に燃えて活動している人もいるので、こういうので「宗教は腐っている」と思われてしまうのは心外ですね。
今日はお彼岸。これから夜が長くなっていくのですね。
でもまだ暑くて半袖ですし、実感としてはまだ夏のような気がしています。
日本は民度が高くて、豊かな国だなと思うんですが、たったひとつ近年のこの過酷な夏さえなければなぁと思います。
昔はどんなに昼間暑くても、日が落ちれば涼しくなりましたし、
「盆が過ぎたら、寒くなる」とかいいましたもん。
確実に変化が起きていますね。
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さて、今日はドラマ『エクソシスト』のご紹介です。
このドラマは実は春ごろ、暇つぶしに見ていたのですが、
小説を書くのに取り掛かっていたら、すっかりその存在を忘れていた作品です。
わたしは映画の『エクソシスト』そして小説の『エクソシスト』はアメリカ文学界に輝く、超傑作だと思っていますが、このドラマはあの映画のコケ脅かし的部分しか強調されてなくて、とても残念な作品ですね。
オリジナルと同じように、ふたりの神父が悪魔祓いに取り組むのですが、オリジナルの神父たちの神を希求する真摯な態度、博愛の精神、自己犠牲など微塵も感じられず、どこかガードの甘い、緩い作品ですね。
このドラマにはマーカス神父とトマス神父という二人の神父がいるのですが、マーカス神父は善意で悪魔祓いをしたにせよ、上の言うことを聞かず、自分勝手に突っ走ったため、神父をやめさせられた人です。
一方トマス神父はスラム街が自分の教区で、熱心に普及活動などをしている一見真面目な人なのですが、裏では人妻と情事にふけっていたりして、精神修養の足りない人です。
見ていて思うのは、これから「悪魔祓い」をする、って人は日本の行者のお坊さんみたいに、精進潔斎して、肉を食べず、酒も飲まず、滝のひとつにでも打たれて、百万遍数珠を手繰ってお経をあげて自分の心身を神や仏の神気で鎧を作るようにガードでもしやがれ、って思うんですよ。
女と寝てきたその足で、悪魔祓いなんかしたって、悪魔はとれちゃあ、くれませんよ。
で、「甘いなぁ、緩いなぁ」って思うのは、最終回ぐらいで悪魔との最終決闘しているときに、信仰告白みたいなことを言うんですよね。「わたしは、これこれこういう罪を自分が犯して、それを赦してしまっている弱くて甘い人間です」とかさ。
いや、だからね、人間は罪を犯すものですよ。それはいいんです。だけどね、知らず知らず犯してしまっているのが性だとは思うけど、どう見たってそれは大罪だろうっていうような罪を、精進潔斎中みたいなときに犯さなくてもいいだろうって思うのね。例えていうなら、運転前に酒を飲もうとする人はいないでしょうってこと。もう、そういうことをやってる時点で自分はこの悪魔祓いという人の命がかかっている大変な仕事から手を引くべきだと思うし、よほど自己というものを戒めなければならない高い人格を必要とする神父なんかやれる資格ないなって、思うのよね。
かなり厳しい意見だけど、在家の信者ではなく、僧侶なんだから、それぐらいの決心をしてくださいよ。というか、神父になるとき戒を与えられませんでしたか。
そう、そういうのは破戒ですよね。
というわけで、どうやらシーズン2、シーズン3と続くらしいけど、なんか聖職者をくそバカにしたような内容なので、見る気がうせた。
確かに昨日、インドのケラーラの司教が尼さんを二年間にわたって強姦していたってニュースになっていて、非常にけしからん事件だったけど、やはり世の中いる神父さんの多くは、一生懸命使命に燃えて活動している人もいるので、こういうので「宗教は腐っている」と思われてしまうのは心外ですね。
超絶イケメン四人+イケオジが楽しめる『マスケティアーズ パリの四銃士』 [読書・映画感想]
今年の夏はひたすらドラマばっかり見ていた夏でした。
なにを見ていたかというと、『オスマン帝国外伝』と『ハンニバル』と『マスケティアーズ』かな。
こう書いちゃうと、「な~んだそれだけ?」って感じだけど、
いやいやいや、ほんとみんなそれぞれに長いのよね。1シーズンにつき10話ほど詰まってるし、1話が約小一時間だしね。
今日、ご紹介する『マスケティアーズ』はなんつーか、別に話の筋が込み入っているわけでもなく、例えていうなら日本の『痛快娯楽時代劇』ってところなのかな。
マスケティアーズって何?って思いません?
これはね、ルイ13世の御世に出回っていた「マスケット銃を持った人たち」つまり「銃士隊」ってことですよね。
あ、申し遅れましたが、『マスケティアーズ』とはかの有名なフランスの大文豪の傑作、
『ダルタニャン物語』(日本じゃ、最初の部分の『三銃士』だけが有名)が原作です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
BBC版「マスケティアーズ」!!
はい、もう、超絶イケメンパラダイスであります。
よくも集めてきたなぁっておもうばかりのイケメンばかりでございます。
いろいろこのドラマについて書きたいんだけど、全部思ってることを書くと長いしなぁ。
まぁ、人物紹介といきますか。
①ダルタニャン
日本語でも英語でも「ダルタニアン」と発音していたけど、本当はダルタニャン。フランスじゃことわざでも「友を持つならダルタニャン」って言われるほど、友情に篤い好人物に書かれています。最初の『三銃士』の頃はまだ少年で威勢がよく、明るい人物ですけど、途中で出世もせず、実力があるのに銃士隊の万年副隊長でくすぶった哀しい男として書かれています。
はい、ではどういうお方がやってたのでしょうか!
じゃ~ん、この方でございます。ルーク・パスカリーノ。
この写真はこの人の得意な表情よ。片眉だけをお道化たように上げる。
この方は187センチの長身で、本当に手足が長い!
で、シーズン1の頃はまだ少年っぽさが残っていたけど、シーズン3になると(実際に年月も経っているせいか)ぐっと精悍で大人っぽく成長しておられました。
この人って名前を見てお分かりの通り、イタリア系なんだよね。両親がイタリア人とのことだけれど、ナポリとシチリア出身だとか。だからかこの人にはちょっとアラブというか、アフリカの血を感じさせる。まるっきり西洋人という顔でもないんですよね。かなり浅黒いし。
なんかこの人見てると、『スラムドック&ミリオネアー』『ライオン』の主人公のインド系のデーブ・パテールとかキアヌ・リーヴスとか彷彿とさせるんですよね。顔がっていいうより、なんかエキゾチックなところとか、身体がしなやかなところとか。
このドラマでダルタニヤン役を仕留めたとき、世の中は「おお、なんだ!このメッチャイケてるにいちゃんは!」って沸き立ったってことですが、しかし私はすでにこの人を知っていた。この人は『ボルジアズ』で最初のルクレツィアの恋人の役で出ていました。そのとき「端役にしては妙にイケメンだな」と結構印象的だったんですよ。
②アラミス
アラミスは原作では、大貴族の次男という設定。家督を継げないから僧侶になれってんで、神学校へいって神父にはなったんですが、なんていうのかなぁ、この人はそういう抹香臭いのが嫌いなんです。もう水も滴るような美男で色男。どんな女でも落ちない女はいない。という凄腕の女たらしなんですよね。
で、それでもって結構腹黒いヤツでありまして、原作ではイエズス会のパリ管区長となりおおせ、あわよくば法王のポストも狙おうと虎視眈々と姦計を練る人物なんですよ~。(知ってた?)
四銃士は基本的にみんな仲が良いのだけど、ダルタニャンとアラミスがどっちかっていうと性格がダークなのに対し、アトスとポストスは忠犬ハチ公のような性格なんだよね。
で、やはり似たような性格だと衝突することが多いせいなの名k、ダルタニャンとアラミス、アトスとポルトスが組むことはあんまりなくて、ダルタニャンとアトスとか、アラミスとポルトスっていう風に組むことが多いのです。
アラミスは結局、誰よりも長生きするんだけど、愛する友三人を次々と見送らなきゃならないという悲しい宿命を負っているんですよね。
ま、前ふりはこれぐらいにして、アラミス、どんな方が演じておられるのでしょー?
はい、この方はチリ出身のサンティアゴ・カブレラという方です。カブレラって名前からしてポルトガル系のような気もするけど、かっこいいですねぇ。
ばっちりわたしのドストライクゾーンを通過しております。
秀でた額、すこしアンニュイな切れ長の瞳。筋の通った鼻。きりっとしまった口許。フェイスラインもしゅっとしていていいです~。
この人、ラテン系なのでしょうが、そういわれないとちょっとわからないね。ラテン系独特の濃さってものをあんまり感じさせないけど。でも視線の強さがそうなのかなぁ。
まぁ、ドラマのアラミスも原作にたがわず色男です。しかも!なんというか王妃様とデキてしまっているという…。
映画の『仮面の男』ではルイ14世の父親はダルタニャンということになっておりましたが、なんての、世間ではアンヌ・ドートリッシュから生まれたルイ14世はルイ13世の子供ではない、っていうのが定説になっているのでしょうか?
まぁ、なかなか生まれなかったってのは事実らしいよ。
この人、他の三人と比べるとエレガントなんですよね。ベルトの下にいつもサッシュ巻いていてなかなか細かい演出が効いていてよい。
この写真のベルト辺りに注目。
③アトス
アトスは四人の中では一番の人格者でまとめ役です。アトスはたしかリシュリユーかな、もしかして王様だかに「アトスだと? それは山の名ではないか?」と言われてしまいます。
彼は本当はラ・フェール伯爵って言って、「貴族の亀鑑」ともいわれたほどの立派な人だったんですが、惚れぬいて結婚した女がなんとミラディだったんですね。ミラディはうそつきの大罪人だったのだけれど、ものすごい美女だったので、人のいい伯爵は騙されてしまったんです。ミラディを領地内で処刑させたあと、すべてを捨てて一兵卒として銃士隊へ入ったのですが…。処刑したはずのミラディがなんとなんと、生きていてリュシュリューの手下として働いていたという驚き!
まぁ、勇敢なんだけど、人の好過ぎるところもあるちょっと哀しみを背負った人物として描かれています。
はい、どんな方が演じておられるのでしょうか。
トム・バークと言う方です。
アトスという役は美男子という要素より、貴族としての風格とか威厳というものを感じさせる、多少無骨な俳優さんがやるほうがいいです。そういう意味ではこの俳優さんはピッタリでした。とはいえ、他の三人に比べればって話ですので、やはりものすごく長身で素敵な方です。
④ポルトス
ポルトスは本当に人が良く、おおらかでこだわらない好人物として原作には描かれています。四人の中の誰よりもお金持ちですが、平民出身ですので、ちょっと成金っぽい趣味があるというか。いつもわかりやすい派手な服をきている、っていうのがポルトスです。
そういうポルトスをやるのが、この方ですね。
ハワード・チャールズ。
この方は、パッと見たらわからないんですが、アフリカの血が入っているんですよね。そういう意味では今までにないポルトス像です。でも、今までのあまたある三銃士関係のドラマや映画の中では突出して魅力的な人物に描かれていました。
ドラマの設定では、さる公爵の息子なのですが、アフリカから連れてこられた奴隷女が母親なのです。母親は父親と別れてパリのスラム街でポルトスを産み落とし、育てられるのです。
しかしポルトスってのは、そういうスラム街で育ったことに一種の矜持ってものを持っているんですよね。「おふくろはおれのことを誰よりも愛して育ててくれた」ってね。
これは原作者のデュマ自身がこういうアフリカの血が入っていて、デュマのおとうさんがポルトスのような軍人だったのです。そこらへんをリスペクトして作られた設定なのかなって思いますね。
ですから、この人は困った女の人を見ると助けずにはいられないんです。お腹の大きい未亡人のお産に立ち会ったりしてね。誰もいなくて心細い思いをしている未亡人の手を大きな手でしっかり握って「おれはスラム街で育って、こういうのには慣れてるんだ。だから安心して任せてくれ」ってね。頼もしいわ。恋人や夫にするんなら絶対にポルトスだなって見ていながら思いましたもん。
⑤トレヴィル隊長
普通なら、トレヴィル隊長まで入れませんが、このドラマではトレヴィル隊長は結構重要な役なので、紹介しておきます。
役者さんはヒューゴ・スピアーと言う方です。
この人もめっちゃ渋い俳優さんで、なんていうのかな、英国美男子のひとつの典型じゃないかなぁと。
この人って『美女と野獣』のガストン役をやっていた、ルーク・エヴァンズを老けさせるとこういう顔になると思うんですね。(ルーク・エヴァンスは映画でアラミスを演じていました)
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特筆することがあるとすれば、衣装でしょうか。
普通、三銃士の衣装というものは、もっとハデーでカフスや襟がぴらぴらしたレースがついているのが定番ですが、このドラマってそういうものを極力排除して、渋く渋く作っています。
しかしながら、フランスと違いイギリス独特の美意識で色の選択をしておりまして、銃士隊の制服であるマントがトルコブルーっていうのは意表を突かれて新鮮でした。
こういうのがだいたい我々の中にある既存のイメージ。(ダサいよね…)
隊士の服がブラウンですので、こういうブルーは意外と映えます。無骨ながらも、このマントを斜交いに肩にかけて馬に乗っているシーンなどは、かっこよすぎてしびれます。
やはりこういうマントってロマンを感じさせる重要なアイテムですね。
あと、この時代は襟は袖口に豪華なレースなどを持ってきて飾るのが流行っていたのです。もちろん王様なんかは非常に凝ったレースの襟飾りなのですが、途中で貧乏貴族っていうのが登場しまして、その人は貧乏な故に、白い麻をタティングレースで飾っているのです。
タティングレースとはこういうものです。
これには参りました。タティングレースというのは、最近日本でも結構流行りの手芸になっているんですが、シャトルというものをひねりながら作るのですね。かぎ針で作るレースともちょっと違うのですが、早く出来るという意味ではブリュッセルなどで作られるボビンレースなんかとは全然違うのですよ。ボビンレースは専門の職人に作らせなければできないものですが、タティングレースは奥さんでもできる。そこらへんが実にリアルでよいなぁと思ってみておりました。
参考画像としてヴァン・ダイクの肖像画を張り付けておきます。
ヴァン・ダイクはイギリスの王室の専属肖像画家ですので、これは非常にきらびやかな例ですね。
ミラディや王妃さまの衣装もなかなか斬新でよかったのですが、それを言っているといつまでも終わらないので、今日はこのへんで。
台風が去った後のばらちゃんたち [園芸]
台風が来たときは絶対に吹き飛ばされると思って、避難させておいたのです。
ですが、ばらちゃんたちって締め切った空間にいることが苦痛なのね。
で、ちょっとでも風に吹かれていたいだろうと思って、外に出したら…、
こんどはざあざあ雨が降ってきちゃって…。そのときわたしは
「も~、さっき外だしたばっかなのにぃ~。もういいや」
と思って、そのままにしておきました。
すると…。毎日、毎日、葉っぱが黄色くなって落ちていく~。
黒星病になってるぅ~。
オーマイガッ!
膝が痛いんだから、何度もかがませないでぇ~~。
でも、秋バラってものすごく色が濃くて香りも濃い。
オスカルさまもシュートが出てきたようです!!
(悪いことばっかでもないのね…)
ですが、ばらちゃんたちって締め切った空間にいることが苦痛なのね。
で、ちょっとでも風に吹かれていたいだろうと思って、外に出したら…、
こんどはざあざあ雨が降ってきちゃって…。そのときわたしは
「も~、さっき外だしたばっかなのにぃ~。もういいや」
と思って、そのままにしておきました。
すると…。毎日、毎日、葉っぱが黄色くなって落ちていく~。
黒星病になってるぅ~。
オーマイガッ!
膝が痛いんだから、何度もかがませないでぇ~~。
でも、秋バラってものすごく色が濃くて香りも濃い。
オスカルさまもシュートが出てきたようです!!
(悪いことばっかでもないのね…)
義理ムスが帰ってくる~♪ [雑文]
明日、わたしの(もしかして実のむすめよりも)大事でカワイイ婿が帰ってきますの~。
絵が天才的にうまくて、ものすごく義理母にも優しいんざます。
その婿が「サーロインステーキを300グラム食べたいです!」っていうのよ。
うげ~、サーロインとか…。ここ20年ぐらいそんなしつこいものは食べたことがない。
(わたし胃弱なんですワ)
それを300グラム!
肉屋のにいさんに「どんだけ大食いなんだよ、おりゃ、絶対にたべられないわ~」
とぼやかれながら300グラムに切ってもらったざんす!
あした、早く帰ってこ~い!!
待ってます。
絵が天才的にうまくて、ものすごく義理母にも優しいんざます。
その婿が「サーロインステーキを300グラム食べたいです!」っていうのよ。
うげ~、サーロインとか…。ここ20年ぐらいそんなしつこいものは食べたことがない。
(わたし胃弱なんですワ)
それを300グラム!
肉屋のにいさんに「どんだけ大食いなんだよ、おりゃ、絶対にたべられないわ~」
とぼやかれながら300グラムに切ってもらったざんす!
あした、早く帰ってこ~い!!
待ってます。
夏も終わりぬ… [雑文]
みなさま、こんにちは。
ようやく涼しい季節の到来でしょうか…。
もう夜にエアコンつけっぱじゃなくて本当に良かった。
かといって、今年の夏はつけないととたんに部屋の温度が28度か29度くらいになって、
暑くて暑くて、更年期まっさかりのおばさんには相当こたえました、ですよ。
だけど、血のめぐりっていうのが若い時と比べて、各段に悪くなっているんですよ。
上半身は暑いけど、膝から下はどうもしびれたような感じになっているんだなぁ。
で、だんだんと朝起きると身体が痛いなと思うようになり、そして、
膝が痛い、でとうとう、膝が曲がらんやないけ!みたいな状態になっているんですよ。
もう、階段なんて80ぐらいのばぁさんみたいな一段一段ガッコガッコみたいにしか降りられないし、
なんと若さと健康というものはありがたいものなのであろうと、気が付くのでした。
人間って不遜よね。
で、こういうとき、すぐに外科かなんかに行くんだろうけど、
要するに、クーラーにあたりすぎて、身体の筋肉が萎縮してるんでしょうよ、ってことで
さらっと「膝痛い時のほぐし体操」で検索してみましたのよ。
で、「あなたが身体カタいかどうか見極める動作」っていうのがあって、
かがんでかかとがおしりにくっつかない場合は、そうとうです。
って書いてあったの。
当然ながら、全然、のぜの字よ。
で、膝って膝のお皿の周りに結構いろんな神経が通っていて、それでちょっとでも不調になると
その神経に触って「痛い!」ってことになるらしいです。
で、まず脚の前側の筋肉を伸ばす運動をするんです。でも3分ぐらいでおわっちゃうから楽勝~。
あと、めっちゃこれは効く!と思ったのは、お風呂の中で正座ね。
これは浮力を利用しているので、案外ぐい~んと伸びますね、筋肉が。
まぁ、正座して膝立ちして、また正座っていうのをお風呂の中で何回かします。
そして、膝のお皿のまわりを指で押して「痛いな~」ってところにバンテリン貼って寝ました。
きのうはもう、吹く風がひんやりと心地よくて、さわやかで
思わず「ああ、なんて気持ちいい~。神様ありがとう~」って気持ちで朝までノンストップで眠れました。ああ、やっぱり質のよい睡眠は人を元気にさせるねぇ。
起きましたならば、昨日よりは確実に膝の痛みが軽減されておるではないか!
きっと皆さんの中にも、膝が痛くてひぃひぃ言ってらっしゃる方も多いと思うの、
そういう場合、すぐにサントリーのコンドロイチンじゃなくて、
ちょっとこういうのも試してみたらどうかしら???
ようやく涼しい季節の到来でしょうか…。
もう夜にエアコンつけっぱじゃなくて本当に良かった。
かといって、今年の夏はつけないととたんに部屋の温度が28度か29度くらいになって、
暑くて暑くて、更年期まっさかりのおばさんには相当こたえました、ですよ。
だけど、血のめぐりっていうのが若い時と比べて、各段に悪くなっているんですよ。
上半身は暑いけど、膝から下はどうもしびれたような感じになっているんだなぁ。
で、だんだんと朝起きると身体が痛いなと思うようになり、そして、
膝が痛い、でとうとう、膝が曲がらんやないけ!みたいな状態になっているんですよ。
もう、階段なんて80ぐらいのばぁさんみたいな一段一段ガッコガッコみたいにしか降りられないし、
なんと若さと健康というものはありがたいものなのであろうと、気が付くのでした。
人間って不遜よね。
で、こういうとき、すぐに外科かなんかに行くんだろうけど、
要するに、クーラーにあたりすぎて、身体の筋肉が萎縮してるんでしょうよ、ってことで
さらっと「膝痛い時のほぐし体操」で検索してみましたのよ。
で、「あなたが身体カタいかどうか見極める動作」っていうのがあって、
かがんでかかとがおしりにくっつかない場合は、そうとうです。
って書いてあったの。
当然ながら、全然、のぜの字よ。
で、膝って膝のお皿の周りに結構いろんな神経が通っていて、それでちょっとでも不調になると
その神経に触って「痛い!」ってことになるらしいです。
で、まず脚の前側の筋肉を伸ばす運動をするんです。でも3分ぐらいでおわっちゃうから楽勝~。
あと、めっちゃこれは効く!と思ったのは、お風呂の中で正座ね。
これは浮力を利用しているので、案外ぐい~んと伸びますね、筋肉が。
まぁ、正座して膝立ちして、また正座っていうのをお風呂の中で何回かします。
そして、膝のお皿のまわりを指で押して「痛いな~」ってところにバンテリン貼って寝ました。
きのうはもう、吹く風がひんやりと心地よくて、さわやかで
思わず「ああ、なんて気持ちいい~。神様ありがとう~」って気持ちで朝までノンストップで眠れました。ああ、やっぱり質のよい睡眠は人を元気にさせるねぇ。
起きましたならば、昨日よりは確実に膝の痛みが軽減されておるではないか!
きっと皆さんの中にも、膝が痛くてひぃひぃ言ってらっしゃる方も多いと思うの、
そういう場合、すぐにサントリーのコンドロイチンじゃなくて、
ちょっとこういうのも試してみたらどうかしら???
日本が世界に誇る古典の現代訳 『平家物語』古川日出男訳 [読書・映画感想]
今日はちょっと真面目に『平家物語』を語ってみようかなと思っています。
日本人で平家物語を全く知らない人はいないと思う。中学か高校のときに覚えさせられませんでしたか?
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、勝者必衰の理を表す、おごれるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、猛きものもついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵におなじ…」
うわ~、今でも暗唱できるわ、私。やっぱり若い頃に覚えたことって忘れないんだなぁ…。
そう、この超有名な名文で始まるのが『平家物語」です。
平家物語のテーマはこの冒頭の文をよく読んでお分かりの通り、「諸行無常」ですね。
つまり、どんな人間も最後は死んでしまうんだよ、ってことです。
ひとつの「滅び」をテーマにした文学なのです。ですが平家物語は単にある栄えた一族の滅亡の記録にとどまらず、「滅びの美学」のエッセンスがぎ~っしりと詰まったオハナシなんですねぇ。
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これまでは、テレビの大河物語では小さい時に、うっすらと『新平家物語』は知っていて、近いところでは『義経』『清盛』とか、面白く見ていました。
滝沢秀明主演 大河ドラマ 義経 完全版 第弐集 DVD-BOX 全6枚【NHKスクエア限定商品】
- 出版社/メーカー: NHKエンタープライズ
- 発売日: 2014
- メディア: DVD
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- 発売日: 2017
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でも、テレビではよく解らないこともあったりして、
宮尾登美子の『平家物語(これは大河ドラマの『義経』の原作」を読んだりしてきましたが、こういうのは、つまり平たくいうと二次創作なのであって、宮尾登美子さんのものであったなら、宮尾登美子さんのフィルターを通して描かれたものなので、やはりどうしてもオリジナルとは違うものなのですね。
で、この度は、オリジナルの平家物語の現代語訳を読んでみようという、まぁ、一種のチャレンジなわけですよ。でも、それならば例えば図書館などにある「日本古典体系 平家物語」を読めばいいじゃんと思われるかもしれませんが、ああいうのは、逐語訳でしょ? そうそう、高校の古典の参考書の現代訳を読んでいるようで非常に味気ないわけですよ。
そこで、プロの文章なんです。
実は、この訳をされた古川日出男さんという方は、それほど多くの著作を読んできたわけじゃないのですが、非常にペダンチックで色彩溢れた美しい文章を書くのが上手い人なんですよ。
だいぶ前になりますが、この方の『アラビアの夜の種族』っていうのを読んだんですよね。
まぁ、話の筋もさることながら、なんていうのかな、まるでドラクロワの絵を文字で読んでいるというか、鮮やかなオレンジとか金色とか、エメラルド・グリーンとかラピスラズリの青などで飾られた豪華絢爛なイスラム世界が忽然と目の前に出現するんですよね。
そう、ですから、この古川さんなら! きっと金砂子が舞い散るような美しい平家の公達が落ちていく様を語ってくれるに違いない!と確信したんですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
読んでみると、非常に気持ちの良いリズムとテンポでオハナシは語られるのです。
古川さんは前がきで、「訳しているとよくわかるのだが、途中で作者が突然変わったなってわかる。というのも全く口調が違うからです。でも、これは不思議なことではなく、もともと「平家物語」というのは特定の作者がおらず、琵琶法師が語った物語で、時代が下るにつれ、いろんなエピソードが加えられていったのだと思う」とのことだそうです。
話の構成も、悲しくてしんみりするときは、琵琶の語り手はひとりで、しっとりと語るように書かれていますし、勇ましい闘いのところは、琵琶は三人でいっせいに声をそろえて語る、という具合に描かれています。この演出は非常に秀逸だったと思います。
で、平家物語って十二の巻と最後、「灌頂の巻」といって待賢門院のところへ後白河法皇が御幸されて、物語をするというところで終わっています。
一から四までは、清盛が生きて、どれだけ世の中に幅を利かせたかという花々しい話なんですね。しかしおごり高ぶった清盛のため、天は平家の運を清盛一代限りにして見限った、と書かれています。
清盛の長男、小松の大臣(おとど)こと、重盛は度量もあり、人格者であり、しかしてまた頭を相当にキレる人間として書かれています。この長男が一族の棟梁として清盛亡き後、率いていけばきっとこれほど惨めに潰えることもなかったのでしょうが、あにはからんや重盛は40そこそこで病没してしまうのですね。
そこで三男の宗盛が率いることになったのですが、(次男は夭逝した)この宗盛と言う男は、兄の重盛とは違い、深謀遠慮することもなく、覚悟もない要するに人の上に立つような人物ではなかったのです。それがこの一族の悲劇でしたでしょうか。
ですが、やはり一族には心映えの優れた人々がいっぱい出てきます。
清盛の年の離れた弟で、歌の名手の忠度(ただのり)
牡丹の公達と呼ばれた、重衡。この人は南都を焼き、その咎で南都で処刑されました。
勇猛果敢な武者、能登の守、教経。
同じく「見るべきものは見つ」といって果てて行った清盛の四男知盛。
また、総領息子でありながら、戦下手で倶利伽羅峠の合戦でも、一の谷の合戦でもぼろ負けした重盛の長男、維盛。
この人は戦士としてはダメでしたが、貴族的な貴公子として、その最期はしみじみと哀しいものです。
まぁほかにもいろいろとあるのですが、
これはまぁ、タイトルのとおり、平家一門の滅亡の話でもありますが、また源氏が滅びる話でもあります。
戦の天才だった木曽義仲も九郎義経も、結局は逆賊として頼朝に討たれてしまいます。
まさしく「猛きものもついには滅びぬ」のことばどおりなのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
古典というのは、筋が結構難しく、一度読んだからといって、隅々まで理解できたわけではないのですね。何度も何度も読んで少しずつ、身体に沁み込ませていく必要があると思います。
本当をいえば、現代語ではなく、本当の古文のままの原文で全部読めばいいのかもしれませんが、そんなことができるのは、ほんの一握りの人たちだけ。
ですから、こんなふうに現代人に面白い、と思えるような現代語訳が生まれたのは非常に喜ばしいことだと思います。
でも、もうひとつ言えば、「あさきゆめみし」のような傑作が「平家物語」にもあればなぁと思うのです。なぜかといえば、私に限って言えば「あさきゆめみし」は死ぬほど読んだので、源氏と女君たちの相関関係はばっちり頭の中に入っているのですね。
それってやっぱり、大事なことだと思うのですよ。
それを知ったうえで、瀬戸内寂聴さんの現代語訳を読んで、原文にあたるとさらに理解力は深まるだろうし、世界も広がる。
また、最近永久保貴一さんの密教の行者のマンガをずっと読んでいたお蔭で、この時代の人の仏教観、人生観というのが、より一層深く理解できたような気がします。
劇中で、重盛や重衡が抗弁というのをするのですが、昔なら「なんだ? この迷信深いもののいいぐさは?」と一笑に付したと思いますが、それは私が現代人のほうが優れていると高をくくったものの考え方であって、やはり彼らの流れるような論理展開には目を見張るものがあります。さすが、当時の仏教の教義、かつ和漢の故事に精通している平家の公達は言うことが違うなぁと思いました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まぁ、ページ数にして900ページもある大作で、読むのに相当な覚悟が要りますが、それでも読んで損はなかった!
試し読みというのもありました、これでトライして、大丈夫そうだったら本番!と言うのもありです。
元気なうちに考えておくこと [ひとつの考察]
生まれて初めて体験するようなすごい台風が過ぎ去った思ったら、息継ぎをする間もなく、
北海道に大地震が起こってしまいました。
うわぁ~、災害列島日本です。
なんか神様がお怒りなのですかねぇ。人々が慢心しているから?
いやぁ、そんなことよりわたしは日本人の和を尊ぶ気質が本当にすごいなと思います。
北海道の方々、みんなで水や食べ物を分け合って昨日は過ごされたみたいです。
それに、わずか一日で北海道の電気が3分の1復活したんですよね。
それってすごいことだと思います。
災害地のみなさま、お風呂に入れなかったり、お水がなかったり、暑かったり寒かったり、わたしの想像もつかないような、いろいろな困難に見舞われているとお察しします。一日でも早く、回復に向かうよう、切にお祈りいたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、誕生日のことです。
こんな歳にもなりますと、誕生日祝ってもらうのもありがたいような、ありがたくないようなで複雑な気持ちになるのですが、でもやはり、つつがなく今日の日を迎えられたことに感謝しようと思いました。
これまでは、夫婦で外食してお祝いすることが多かったのですが、やはり寝る前の夜にお酒を飲んで、消化の悪いものを食べる、しかも夏バテしているときに食べると、ものすごく身体にダメージをくらっちゃうので、今年からは、外食じゃなくて、お昼に少しおいしいものを食べるのがいいなと夫にお願いしました。
夫は娘を招いて、ウナギをごちそうしてくれました。あと、デパ地下でかったちょっとしたオードブルと白ワインを飲みました。
わたし、本当にお酒が飲めなくなって、グラスに軽く一杯か二杯で十分でした。つくづく年取ったなぁと思いました。
で、まぁ、このように元気なときじゃないと話せないことを娘と三人で話し合ったのです。
実は自分たちが死んだあと、すなわちお葬式と埋葬のことについて話し合ったのですね。
わたしは、ここを続けて読んでいらっしゃる方はよくご存じだと思うのですが、籍だけは日本聖公会という教会にあるのですが、まったく教会に行っていません。
まぁ、それにはいろいろと理由があるのですが、今ここではあえて書きません。
夫自身も別に信じている宗教はないようです。
我々夫婦は、神様入ると思っているし、死んだあとの世っていうのも信じてはいるんだけど、それがそれぞれの宗教に縛られたくはないと思っているんですね。
つまり、神様はいるけど、神様というのはキリスト教とかイスラム教とか仏教の教義に定義されるものじゃないんですよ。ある程度霊能力のある人はあの世というか霊的な世界を垣間見ることはできたとしても、その奥義をきちんと理解しているとはとうていいいがたいのではないかと。
神は人間に認めてもらえなくても、また、きがついてもらえなかろうと、定義されなかろうと、また人間が滅び去ろうとも、て原初から存在して、存在し続けるものなんです。
ま、この話もあんまり深く掘り下げないでおこうと思います。深くなにかの宗教に帰依されて、その信仰をきちんと守っておられる方はそれはそれで大変尊いものだとも思っています。
で、お葬式のとき、お寺さんを呼ぶにしても、教会でミサをあげるにしてもえらくお金がかかるわけですよ。なんかそういうの、普通にやると軽く300万以上かかってしまうんで…。
昔はそれでもよかったのかもしれませんが、今は平均寿命も延びて来て、リタイア後の生活が厳しくなることも予想に入れると、そうそうそんな贅沢なことはしていられないんですね。
ですから、かなり前からあるところと契約して、必要最低限度の葬儀はできるようにしてあるんです。
棺とか、霊きゅう車とか、お骨にしてもらうにもそれなりにお金がかかるんですよ。
あと、お墓なんですが、わたしあの、石だらけのじめ~っとした墓場の雰囲気が好きじゃなくて。
それにいつまでも、骨壺に収められてかろうとの中で朽ち果てずに「ある」ってことが、なんとなくイメージ的に嫌なんですよ。
それで!最近、発見したんですが、樹木葬ってところがあるんですね。
まぁ、樹木葬というのもなんだかいろいろありまして、単なる墓場にお花を植えてあるみたいなものもあれば、桜の木の下にずらりと植えるもの、本当に人が自分のイメージする死後の在り方ってさまざまなんですよ。
わたしはできれば、あんまり長い時間自分がこの世を生きていたことを後世の人に知られたくないタイプね。ひっそりと忘れていってほしいのです。とにかく凡人ですので。
わたしが今、死んだら、大阪にあるきれいな薔薇園であるメモリアルパークにしようと思っています。
いろんな設定があるのですが、夫婦で入って、どっちも死んじゃって、最後の一人が13回忌を迎えたところで、合祀するというものらしいです。
わたしが死んでも生きてことを思い出してくれるのは子供ぐらいだろうと思うので、それぐらいがちょうどいいんじゃないかなと思うんですよ。墓参りも大変だしね。そのころ、子供がどこに住んでいるのかわからないし。
自分の眠るところが墓石じゃないってところも気に入っています。
ただ、やはり、公園を美しく保つ管理は結構大変なんじゃないかなーって思うんですよね。薔薇の花って手入れが大変だし。
まぁ、京都にもこんなふうなメモリアルパークができれば、大阪まで出向く必要もないんで、それはそれでいいんですけどね。でもしばらく様子見かなぁと思います。だって会社が経営破たんしたら、すぐにこんな霊園草ぼうぼうになって怖い感じになるものね。
それでも、それなりに死後の準備も怠りなくお金を貯めないといかんなぁとしみじみ思いました。
死ぬのも結構お金使って大変です。
娘に釘をさされました。
「万が一お父さんが先に死んじゃったら、お母さんしょっちゅうお墓に行って、勝手に珍しい薔薇とか植えたりして、公園の管理員の人に迷惑がられるタイプだよね。やめようね」
たしかにそうかも…。
北海道に大地震が起こってしまいました。
うわぁ~、災害列島日本です。
なんか神様がお怒りなのですかねぇ。人々が慢心しているから?
いやぁ、そんなことよりわたしは日本人の和を尊ぶ気質が本当にすごいなと思います。
北海道の方々、みんなで水や食べ物を分け合って昨日は過ごされたみたいです。
それに、わずか一日で北海道の電気が3分の1復活したんですよね。
それってすごいことだと思います。
災害地のみなさま、お風呂に入れなかったり、お水がなかったり、暑かったり寒かったり、わたしの想像もつかないような、いろいろな困難に見舞われているとお察しします。一日でも早く、回復に向かうよう、切にお祈りいたします。
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さて、誕生日のことです。
こんな歳にもなりますと、誕生日祝ってもらうのもありがたいような、ありがたくないようなで複雑な気持ちになるのですが、でもやはり、つつがなく今日の日を迎えられたことに感謝しようと思いました。
これまでは、夫婦で外食してお祝いすることが多かったのですが、やはり寝る前の夜にお酒を飲んで、消化の悪いものを食べる、しかも夏バテしているときに食べると、ものすごく身体にダメージをくらっちゃうので、今年からは、外食じゃなくて、お昼に少しおいしいものを食べるのがいいなと夫にお願いしました。
夫は娘を招いて、ウナギをごちそうしてくれました。あと、デパ地下でかったちょっとしたオードブルと白ワインを飲みました。
わたし、本当にお酒が飲めなくなって、グラスに軽く一杯か二杯で十分でした。つくづく年取ったなぁと思いました。
で、まぁ、このように元気なときじゃないと話せないことを娘と三人で話し合ったのです。
実は自分たちが死んだあと、すなわちお葬式と埋葬のことについて話し合ったのですね。
わたしは、ここを続けて読んでいらっしゃる方はよくご存じだと思うのですが、籍だけは日本聖公会という教会にあるのですが、まったく教会に行っていません。
まぁ、それにはいろいろと理由があるのですが、今ここではあえて書きません。
夫自身も別に信じている宗教はないようです。
我々夫婦は、神様入ると思っているし、死んだあとの世っていうのも信じてはいるんだけど、それがそれぞれの宗教に縛られたくはないと思っているんですね。
つまり、神様はいるけど、神様というのはキリスト教とかイスラム教とか仏教の教義に定義されるものじゃないんですよ。ある程度霊能力のある人はあの世というか霊的な世界を垣間見ることはできたとしても、その奥義をきちんと理解しているとはとうていいいがたいのではないかと。
神は人間に認めてもらえなくても、また、きがついてもらえなかろうと、定義されなかろうと、また人間が滅び去ろうとも、て原初から存在して、存在し続けるものなんです。
ま、この話もあんまり深く掘り下げないでおこうと思います。深くなにかの宗教に帰依されて、その信仰をきちんと守っておられる方はそれはそれで大変尊いものだとも思っています。
で、お葬式のとき、お寺さんを呼ぶにしても、教会でミサをあげるにしてもえらくお金がかかるわけですよ。なんかそういうの、普通にやると軽く300万以上かかってしまうんで…。
昔はそれでもよかったのかもしれませんが、今は平均寿命も延びて来て、リタイア後の生活が厳しくなることも予想に入れると、そうそうそんな贅沢なことはしていられないんですね。
ですから、かなり前からあるところと契約して、必要最低限度の葬儀はできるようにしてあるんです。
棺とか、霊きゅう車とか、お骨にしてもらうにもそれなりにお金がかかるんですよ。
あと、お墓なんですが、わたしあの、石だらけのじめ~っとした墓場の雰囲気が好きじゃなくて。
それにいつまでも、骨壺に収められてかろうとの中で朽ち果てずに「ある」ってことが、なんとなくイメージ的に嫌なんですよ。
それで!最近、発見したんですが、樹木葬ってところがあるんですね。
まぁ、樹木葬というのもなんだかいろいろありまして、単なる墓場にお花を植えてあるみたいなものもあれば、桜の木の下にずらりと植えるもの、本当に人が自分のイメージする死後の在り方ってさまざまなんですよ。
わたしはできれば、あんまり長い時間自分がこの世を生きていたことを後世の人に知られたくないタイプね。ひっそりと忘れていってほしいのです。とにかく凡人ですので。
わたしが今、死んだら、大阪にあるきれいな薔薇園であるメモリアルパークにしようと思っています。
いろんな設定があるのですが、夫婦で入って、どっちも死んじゃって、最後の一人が13回忌を迎えたところで、合祀するというものらしいです。
わたしが死んでも生きてことを思い出してくれるのは子供ぐらいだろうと思うので、それぐらいがちょうどいいんじゃないかなと思うんですよ。墓参りも大変だしね。そのころ、子供がどこに住んでいるのかわからないし。
自分の眠るところが墓石じゃないってところも気に入っています。
ただ、やはり、公園を美しく保つ管理は結構大変なんじゃないかなーって思うんですよね。薔薇の花って手入れが大変だし。
まぁ、京都にもこんなふうなメモリアルパークができれば、大阪まで出向く必要もないんで、それはそれでいいんですけどね。でもしばらく様子見かなぁと思います。だって会社が経営破たんしたら、すぐにこんな霊園草ぼうぼうになって怖い感じになるものね。
それでも、それなりに死後の準備も怠りなくお金を貯めないといかんなぁとしみじみ思いました。
死ぬのも結構お金使って大変です。
娘に釘をさされました。
「万が一お父さんが先に死んじゃったら、お母さんしょっちゅうお墓に行って、勝手に珍しい薔薇とか植えたりして、公園の管理員の人に迷惑がられるタイプだよね。やめようね」
たしかにそうかも…。