『ボヘミアン・ラプソディ』を観て [読書・映画感想]

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皆さま、こんにちは。

今日は娘とふたりで久しぶりにデート。
往年のロックの大スターであるバンドQueenのボーカリストである
フレディ・マーキュリーを主人公にした『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行ってまいりました!

このフレディをというか、Queenを映画化するという話は、結構昔からあってですね、
サシャ・バロン・コーエンをフレディにとか、
いや、ジョニデがフレディをやればいいとかいろいろ話はあったみたいですが、
どれも途中で頓挫したみたいですね。

それが、今回のこの快挙。
主役のラミ・マレックさんにしろ、他のメンバーの役者さんにしろ、
素顔は全然別の人です。
ですが、演技でここまで似ることができるのかっていう迫真の演技でした。

ボヘ・ラプのメイキング・ヴィデオを見ていると、
フレディはもちろん、他のメンバーさんにも
彼らの演奏するときのクセとか、しゃべるときのクセとか
すべてにわたってコーチする人が付いたみたいですね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、フレディ・マーキュリーですが、
彼は、インド生まれなのですが、
実は古い時代にペルシャから、ムスリムたちに国を追われて
インドから逃げてきたパールシー(ペルシャ人という意味)といわれている
ゾロアスター教徒の末裔なのですね。

フレディの一家は、アフリカのザンジバルに住んでいたのですが、
(インドもザンジバルのイギリスの統治下という理由からだと思うけど)
フレディがたしか17歳ぐらいに、当地で革命が起きて、
着の身着のまま、難民としてイギリスに逃げてきた一家なのですよ。

わたしは、Queenが現役の時から知っていて、兄が買っていた「ミュージック・ライフ」
をよく読んでいたのですが、
その時、フレディは外交官の息子として紹介されていて、「へぇ、すごいエリートなんだな」
と感心していた覚えがあります。
当時の日本人の女の子から見たら、長髪のフレディって、本当に王子様に見えたと思うんですよ。

少し話は変わりますが、当時の芸能界の、沢田研二、西城秀樹、野口五郎などの衣裳は
絶対的に当時のQueenやレッド・ツェッペリンなど、有名なロックバンドの影響を
受けていると思うのですね。

そして、もっと言えば、『ベルサイユのばら』をはじめとして
『エロイカより愛をこめて』などのファッションなども、
実はロココのものでも、革命後のものでもなく、1970年代のブリティッシュロックの
ファッションの影響がものすごく強いと私は思っています。

フレディの魅力は、結構アンビバレンツな複雑なものだ、と私は思っています。
彼は、ルックスが決して万全じゃないんですよね。

妙に高くてとんがった鼻、そして出っ歯で、えらが張ったしもぶくれの顔。
最初は「えっ、ドラキュラみたい」とか「気持ち悪い」っていう印象なんです。
でも、なんていうのかなぁ、フレディには果物のドリアンとか、クサヤのひもの的な
魅力があって、何とも言えない異臭がするけど、それに一度ハマってしまったら
もうのめり込むように、それにおぼれてしまうような、そんな悪魔的な魅力があるんですよね。


芸術家らしく、ピュアでセンシティヴなシャイな面と、ずうずうしいくらい高飛車で自信満々な面。
最初の恋人だったメアリーを「生涯の恋人」と愛したのも本当なのですが、
ゲイとして男色におぼれていたのも確かなことなのです。

フレディはいわば、自分の中に飼いならすことのできない猛獣のようなものが潜んでいて、
全生涯、それと葛藤して、そして死んだような気がするのですね。


美しい曲の数々。
Queenの曲は、毎日だれかにカヴァーされて、耳にします。
それも一曲や二曲じゃない。
ボヘミアン・ラプソディ、サムバディ・トゥ・ラヴ、
サムワン・バイツ・ザ・ダスト、
バイシクル・レース、ウィ・アー・ザ。チャンピオン、などなどなど。
数えれば、キリがないほどです。


有名なレディ・ガガの芸名も実は「レディオ・ガガ」から来てますしね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
フレディは、自身がバイセクシャルだと自覚したあたりから、
恋人のメアリーとステディな仲を解消します。
それからがもう、放埓に放埓を極めた生活をしていて
おそらく、このころ、エイズに感染したと言われています。

昨日、ソロで作った曲である「you don't fool me」ってのを聞いたんだけど、
声とか曲の調子が重くて、荒んだ感じがして、聞いてられないんですよね。
たぶん、彼はこのころ、自分の死というものを受け入れられずに
苦しんでいたのかと思ったりします。

ですが、最後のアルバム「イニュエンドウ」になりますと、
もうフレディは、身体は現世にありながら、心は彼岸に行っているみたいで、
突き抜けているんですよ、すべてが。
妙に明るい曲の後には、この世の人々すべてにさようならを告げているかのような
悲しい曲。また、明るい曲、また、暗い曲と交互に入っています。

ですが、どの曲もどの曲も、声は澄み切って、エイズに侵され、やつれ切った身体のどこから
そんなに力が潜んでいたのだと思うくらい、力強く熱唱しているのです。

イニュエンドウを聞いていると必ず、その声のワンフレーズ、ワンフレーズから、
魂のほとばしりというか、命のかけらのようなものが天に向かっているような
そんなゾクゾクするようなそんな感触を受けます。

最後、映画が終わって、クレジットであの名曲
「show must go on』が流れてくると、なにか胸に熱いものが突き上げて来て
涙が止まりませんでした。

そして、どんなに迫真の演技を見せているにせよ、それはやはり演技であって
フレディの不在というものを、改めて知って、彼の歌と共にあった自分の青春というものが
二度と帰らないものであるということを強く感じてしまいました。

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シャワートイレ [雑文]

わたしの家には古い、古い、ウォシュレットがありました。

もともとわたしの亡くなった父がジヌシだったので、
必要に駆られて購入したのですね。

買った後しばらく、実家は区画整理の対象区域となりまして、
家を大幅に改築することになり、トイレもウォシュレット一体形成型のものにしたので、
父が大型ごみのところに持って行ったのですが、
わたしはそれを見て、
「まだ使えるじゃん」といって拾ってきたのです。
それが今からおよそ30年以上もの話。

私は、その使いさしのウォシュレットを持って、東京の主人のもとへ
お嫁入し、その後、子供ができて京都に移り住むことになって
京都のアパートへ引っ越しする時もそのウォシュレットを外して持っていき、
その三年後、新居を購入して新しいトイレを設置したときも、
「あ、まだ使えるウォシュレットがありますから」と
しつこく使い続けてきた、愛着ある一品だったのです。

もうですね、30年以上も使い続けていますと、
「押す」というボタンのところが擦り切れてぼろぼろになって、
すごいことになっていましたが、
しかし、わたしは実を重んじる人間ですので、
要は、役に立てばよいのです。

しかし、こんなに遣えてくれたウォシュレットも長い年月には勝てず…。
ある日…。


先日、仕事から帰った主人を捕まえて、わたしは、厳かにこう、告げました。
「あの、ですね。悲しいお知らせがあります」
主人はそれを聞いたとたん、顔色が変わりました。
「そ、それは、どんな悲しいことなのですか?」
「あの、ですね、ウォシュレットさまがお亡くなりになりました…」

私としては発売当時、ウォシュレットって20万か30万ぐらしていて
とってもじゃないですけど、庶民の買えるものではないという、アタマがあったのですね。

たかが、オノレの尻ひとつにそんなに金なんかかけられるかと思いはしたのですが、
やっぱり長年の習慣で、あれがないと非常に気持ち悪いのですね。

わたしが深刻ぶって話したのにもかかわらず、それを聞くと、主人は急に笑顔を取り戻しました。
「あ~、なぁあんだ、そんなことですか! もうボーナスも近いですし、
 すぐに買ってあげましょう。
 たしか先日エディオンのチラシの中にシャワートイレもありましたよ」
と、さっそく電話して注文してくれました。
すると、翌日には工事の人がウォシュレットを持って、すぐに取り付けてくれました。

わたし、知りませんでした。昔、すごく高価だった、ウォシュレットも
いまや、二三万で買えるということを!

再び、我が家は平和が訪れたのです。


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小さな奇跡 [雑文]

皆さま、こんにちは。



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涙と汗のファックスの送付状 笑



さて、今日はわたしの身に起こった、奇跡の話をしますね。(ちょっと大げさかな)

わたしのブログの愛読者さまならお分かりいただけていると思うのですが、
今、わたしのところに、トルコの青年、E君が滞在しています。

E君は、トルコでもエーゲ海といいますか、ロードス島の近くの出身です。

E君のお父様は、トルコの政変の折に、ご家族で西ドイツのほうへ難民として逃げて、そ
のまま西ドイツで教育を受けて成人されたとのことです。
ですから政変が収まって、トルコへ帰ってきた当初は、
まったくトルコ語が話せなかった状態だったらしいです。

そんなとき、お母さまと出会って結婚されて生まれたのが、E君です。
E君はホテル教育の高校を卒業したのち、これまたホテル教育の大学へ入るためのお金を作るため、
2年間働いて、大学へ2年通い、
また学資金を作るために働いて残りの2年大学へ通ったあと、
兵役を一年、勤めました。

彼の住んでいるところは、トルコでもとっても田舎なので、
日本語はもちろんのこと、英語の語学学校すらありません。
でも、彼は20歳ぐらいのときから、いつかは日本へ行くという夢をもっていたそうです。
ですから、独学で日本語と英語をマスターされたのです。

こういうふうにサラッと一言でいうのは簡単ですが、これがどんだけすごいことか
わかりますでしょうか。
大学の学費は自分の力ですべて賄い、そして、ネットやyoutubeを聞いて
日本語を学んだというその精神力。

本当にすごいことだと思います。

彼はちょうど、うちの娘がSNSで、画家としての自分の知名度を上げようという
自分なりの信念のもとにどんな人でも、承認申請をしてきた人は無差別で承認していた時期があって、
そのとき、娘とSNSで知り合ったのです。

始めは、娘も結構警戒して付き合っていたのですが、
付き合っていくうちに、彼の日本に対する情熱、
そして努力にだんだんと彼の人となりがわかるようになり、
だいたいほぼ毎日、彼とは15分ないしは20分ほど、日本語の会話の相手をしていました。
会話の練習といっても、たいていはごくごくたわいない話ばかりで
今日、どこでどんな話があったとか、そんな話でしたが。

だいたい今年の夏を過ぎたあたりで、
E君が来日して就活したい、という希望があったので、
娘も彼の期待にこたえたいと思い、それなりに周囲にツテはないかと聞いていたのですね。


なんせ、トルコは一か月一生懸命働いて3万ぐらいの収入を得ることしかできないので、
彼は8か月間、一生懸命働いても日本人の月収ぐらいにしかならないわけですよ。
ですから、滞在日数は2週間。

ある方に
「本当にものすごい力のある人を紹介してあげる。大船に乗った気持ちで安心してください」
っていわれ、娘はかなり警戒して
「本当ですか。そのお言葉をそのまま、文字通りに理解して大丈夫ですか?」
とかなりしつこく念を押したのですね。
「大丈夫です。本当に安心してください」
って言葉を信じたのですね。

ですが、これが失敗で、その方の言っている「成功」とか「安心」というのは、
わたしたちが思っているようなものとはかなりかけ離れていたのですね。

E君は、喜び勇んで日本に来たのに、なんの成果もありません。
でもそのとき、ふとわたしの脳裏にひらめいたことがありました。
たしか、大坂で外資系の超一流ホテルに勤めている娘の幼なじみがいることを!
わたしは娘にいいました。
「たぶん、90%以上はダメだと思う。だけど、ダメもとでも
 トルコ男性で、英語と日本語に堪能なホテルの専門教育を受けてきた人がいるってことを
 伝えてほしい」

まぁ、もともとダメだろうと思ったのですが、ところが!すぐにメールの返事が返ってきました。
「それこそが、うちの人材にもっとも必要とする人だと思う。人事課長がすぐに履歴書を書いて
 FAXで送ってほしいと言っているからお願いします!」と。

そこから、秘密の扉が開きました。

FAXを送ったあと、娘が日本の履歴書に慣れてない、E君をビシバシ叱咤して完璧なものを
書かせたのです。製作時間4時間。
「E君、日本の世の中は厳しいよ。一度言われたことを、二度、三度ミスするということは
 社会人としてありえないことなの。こんなことができないくらいなら、とっととトルコに帰って!」
「アンタ、バカじゃないの? もしか勉強オタクなの? 仕事できないんじゃ話にならない!」
とかものすごいこと言って、さすがのE君も涙目に。
それをみて娘が
「アンタ、何しに来たん。泣いてるよりすることあるやろ? 泣くのはトルコへ帰ってからにしな!」

そして、そして、ネットのテストの案内が。
娘の幼なじみさんのアドヴァイスもありました。
「このテストは採用の中で非常に大きなウェイトを締めます。これが通れば、面接へと行けますから
 頑張って。どんなトラブルにでも、明るく接して、お客様が楽しめる、それが基本だからね!」

テストはわたしの家で受けてもらいました。
ただ、どういうわけか、途中でレジストリができなかったり、フリーズしたりして、
喉がからからになるほど、緊張しましたが、トラブルがあったら、そくホテルの人事部に
電話をして対処法を聞いたりしまして、最後、パソコンだけでなくiPad、iPhoneを総動員して
フリーズしている画面を動かしました。
中身は彼が答えているとはいえ、そばでみているわたしも緊張して、手が震えました。

そして、ネットのテストもパスしました。

ですが、彼はなんと!スーツを持ってきてなかったのです。トルコでは面接のとき、スーツをきる習慣がないのだそうなんですね。

で、真っ青になりながら、E君をつれてスーツの量販店に連れて行きました。
彼は日本人と比べると、首や手や足が格段に長くて細いのに、肩幅、腰回りが大きいんですよ。
で、どうしてもスラックスを治さなきゃならなくて
「お願いです、かくかくしかじかのワケがありますから、お金はかかってもいいです、
 今日中に直してください」
と必死の形相で頼んだのが功を奏したのか、店員さんもなんとか手配を取ってくれました。

お直しの間に彼に、ホテルの下見をさせるため大坂へ一人でいかせました。

当日、娘はず~っと胸の前で手を合わせていましたね。
いつまでたっても、連絡がこないのでじりじりしていましたが、
4時半ごろ、
「今まで四回、面接をして、五時半から、ホテルマネジャーとの面接があるんだよ」
と連絡してきました。
どうか、どうか、うまくいきますように!

と思っていると、「合格したよ!」との連絡が。

もうもう、娘と主人と抱き合って喜びました。

ホテルの支配人が
「親にお金をかけてもらって、教養を身に着けた人はたくさんいるが、
 ひとりでここまで完璧に、英語日本語を話せる人間をわたしは初めてみた。
 これは、まさに奇跡だ、合格です、おめでとう」
と言ってくださったそうです。

もう、うれしくて、うれしくて…。

他人の成功がこれほど身に染みてうれしいと思ったことはありませんでした。
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昔の番組でも面白い  『¥マネーの虎』 [雑文]

皆さま、こんにちは。

今日はちょっと今更感が強いのですが、お気に入りのyoutuberである
えらてんさんの「えらてんチャンネル」を見ていたら
関連動画で『¥マネーの虎』ってあったので、見ていたのです。

私、昔からテレビを生で見る習慣がないので、こういうヴァラエティ番組は見ないのですが、
ざっと、この番組の概要を説明しますと、

『¥マネーの虎』(マネーのとら)は、2001年(平成13年)10月から2004年(平成16年)3月まで日本テレビで放送されたリアリティ番組。 一般人でもある起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家たる審査員らが出資の可否を決定するという内容だった。後に『Dragon's Den』などの名前で同じ形式の番組が世界各国で制作された。(ウィキペディアより)

ということでございます。

一般人である起業家というより、起業家志望の人間が、起業することによって
何十億、何百億と儲けているプロの前で自分の事業計画をプレゼンするのですね。



虎たち(プレゼンを聞いて自分のお金を出資するかどうかジャッジする社長たち)は
みんなひどい時は、事業に失敗してホームレスになったこともある。
やっぱり起業というのは、一種のバクチみたいなものだと思うんですよね。
でもそこに独特のカンが働いて、ここまで大きくのし上がってきたんですよね。
だから、視聴者の人間よりもずっとずっと、シビアなんですよね。


で、人の懐をアテにしてプレゼンする輩には、当然ゴミというかカスみたいなのばっかりで、
「よくもまぁ、イケずうずうしくこんなコト言えるなぁ」
みたいな輩ばっかりなわけですよ。



一番ひどいなと思ったのは25歳の青年だったんですが、この人の夢は
「アメリカで悩める日本人のためのレストランを作りたい」ってやつで、
この人は、日本の中高がなじめなくて、新天地を求めてアメリカへ行ったそうです。
ですが、そこでも引きこもってしまって、そのときの体験をもとに
アメリカの留学生の安らぎの場としてのレストランを作りたいとか。

なんか、話聞いてて呆れてしまったのね、わたし。
親に理解がなくて、って言ったって、アメリカの渡航費用や学費や、滞在費用を
出してやったのは親でしょうよ。
それに、日本でうまくいかないからといって、ちゃんと語学の勉強をしたんでしょうか?
なんか、甘ったれた人間だなぁ~って思うのよね。

あと、エルメスオタクのおばさんとか、
受験オタクのおばさんとか、
離婚相談所のおばさんとか

女性は、世間知らずもいいところ、と思うような人ばっかり。
虎たちも言っていましたが、起業するセンスゼロなんですよね。
「己の分を知れ」って怒鳴っていましたが、
本当にそうだなと思うんですよね。

こういう女性たちって、見ていて思うに、もともとの顔の造作がどう、というより
「不幸を一身に背負っている」っていうか、なんか何とも言えない醜さみたいなものが
顔に現れているんですよね。

ここまでひどい人っていうのもちょっと見たことないなぁっていうか。

男の人でも、うどんやをするために、お金を貸してくれって来た人もいますが、
出資金の中には自分の住居部分まで入っていたりして、虎たちが怒るのなんの。
(でも、そういうところがみていてツボ)


で、最後に司会の吉田栄作さんが、無表情に「ノーマネーでフィニッシュです」
と死刑宣告をする。

まぁ、万が一、出資することに決まったとしても、この番組のモットーは
「ノーサクセス、ノーマネー」なので、
出資者の鬼のようなチェックが入りまくるので、
それはそれで新たな地獄の始まりですが(笑)
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とまぁ、なんとなく「面白い~」だけで見ていたのですが、
虎たちの現在っていうのをググってみると、
二三人を除いて、ほとんどに人がコケて何十億という負債を抱えていたんです。

放送していたのが、2001年から2004年ぐらいだというから、
たぶん、このころから外国のAmazonなんかが幅を利かせ始めていくんじゃないかな。
もう、あんなマンモスのような企業じゃ、誰も太刀打ちできないですもんね。

Amazonは本当に検索機能が並外れてよく、たとえばその本のタイトルを知らなくても
「室町時代について調べたい」とか「フィボナッチ数列について調べたい」と思って
「室町時代」「フィボナッチ」って入れるとそれだけで本を探してくれます。

ですが、e-honなんてばっちり本のタイトルを正確に入れなければ絶対にヒットしないし、
たとえ、正確に入れたとしても、サブタイトルまで入れちゃったりすると、
ヒットしなくなったりして
結局、e-honで検索しているつもりが、いつの間にかAmazonに持っていかれちゃっているのよね。

うん、そういう時代だと思う。
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で、虎たちの中で唯一、「へぇ~」っと思う人がいました。
それはかの偉大なる歌姫、美空ひばりの息子の加藤和也さん。

このときは加藤さんは30そこそこぐらいなんですが、
ふうぼうは「ごくせん」にでてくるチンピラそっくりで
全然風采が上がらない感じで、甘ったれた人間なのかと思うけど、
話を聞いていると、なんだか非常に性格が温厚で、かつ冷静。

だんだん見ているうちに「案外この人は、手堅い商売しているんじゃないかな」って
思うようになりました。


で、この人は現在も会社社長で頑張っているそうです。
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アラブ女子の生態 『サトコとナダ』 [読書・映画感想]

今、うちの娘のところにトルコから男の子が遊びに来ています。
なんと知り合ったきっかけはSNSなんですよね。

今年の1月ぐらいに、知り合ったのですが、
うちの娘がなんでそんな見ず知らずの外国人男性を受け入れるようになったかと言うと
画家なので、絵を売るためには、ある程度知名度を必要とされるものらしいのですね。

それで、今はやめましたが一時期、誰でも無差別に承認していたらしいです。

その中のひとりだったのがトルコ人の彼です。
初めはただのひやかしなのかなと思ったのだそうですが、
彼はトルコの片田舎に住んでいて、日本語学校はおろか
周りに日本人がひとりもいないところで
一人で日本語を独学で学び、
今は、あるところへ面接のために来日したのでした。

発音なんかも非常に違和感なく、外国人独特の変なイントネーションもなく
立派なものだなと思います。

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まぁ、上記のような理由で最近、わたくしも
世界で一番人口が多い、ムスリム(ムスリマ)世界はどうなっているのか
知りたいと思うようになったのですね。

そんなとき、あるツィートを読んでいて知ったのがこの本。
『サトコとナダ』

サトコとナダ(1) (星海社コミックス)

サトコとナダ(1) (星海社コミックス)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/07/08
  • メディア: Kindle版



サトコとナダ(2) (星海社コミックス)

サトコとナダ(2) (星海社コミックス)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/12/08
  • メディア: Kindle版



サトコとナダ(3) (星海社コミックス)

サトコとナダ(3) (星海社コミックス)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/04/28
  • メディア: Kindle版



漫画の形態はストーリーがずっと流れているのでなく、
エピソードをつづった四コマ漫画なので、
結構ゆるゆると楽しく読むことができました。

イスラム世界というととかくわたしたち日本人は「怖い、厳しい」と思うものですが、
本当に戒律に従って生活しなければならないのは、
いわゆる「アラビアの方たち」なのだそうで、件のトルコ青年なんかは
毎日、きっちりきっちり一日五回お祈りなんかしないらしいし(それでも夜寝る前にはするらしい)
食べ物もアラビアほどには、うるさく言われないらしい。
服も日本人と全く変わらないごく普通の恰好です。

というように、一口にイスラム世界といっても
地域によりいろいろだということです。

日本だって、仏教の国のカテゴリには一応入っているかもしれないけど
上座部仏教の人たちと比べてみると、「同じ仏教徒です」って言えないと思うほど
かけ離れているものでしょ?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、本題。

サトコとナダは、アメリカに留学した者同士なのです。
ナダが一緒に住んでくれるルームメイトを探していたのですが、
案の定、ナダが黒いのをすっぽりかぶったイスラム女性だと知ると、
誰も一緒に住もう!と言ってくれる人がいなくて
困っていたんですね。

そこへ来たのが、日本人のサトコ。
サトコもはじめ、目だけを露出して、あとはすっぽり黒い覆いで包まれているナダを見て
一瞬たじろぎましたが、
「でも、これが国の外へ出るってことなんじゃないかな」と思い、一緒に住むようになるのですね。

男性がいる家の外に出る時は、黒い覆いをかぶらなければならないナダですが、
サトコとふたりっきりのときは、おしゃれが大好きで流行のものにとても敏感な
普通の感覚の女の子に戻っています。

イスラム世界では、肌や顔を露出させてはいけないというきまりがあるので、
ナダたちはその教えに従っているのですね。

それに対してどう思っているのかとサトコがナダに訊くと
意外な答えが返ってくるのですね。

というのも「こうやって顔の美醜を隠しているお蔭で、不美人だからという差別を
男の人から受けることはない」とのこと。

なるほどなぁ~と思いました。

あと、一夫多妻制の制度のこと、
女性の在り方のことなど、
いろいろと出てきます。

サウジアラビアは、女子の教育はありますが、
学校に「体育」の時間がなく、
ナダは身体を動かすことを怖がります。

身体を動かす快感というものは、男女限らずあると思うので、
それは惜しいことだなと思うのです。

あと、アラブの男女の結婚というのは、
たいてい父親と当事者の男兄弟が決めるものなのだそうです。

アラブは男女交際というものは基本的になくて、
いきなり結婚式から始まることが多いらしい。

ただ、じゃあ、それで夫婦仲が悪いのかというと
案外擦れてない分、「これが宿命」と思っている人も多いせいか、
結婚してから、恋愛をしている夫婦も多く、結構仲睦まじいカップルは多いと聞きます。

それは、父親と兄弟が一生懸命、娘、あるいは妹に出来る限り、
見目好く、お金持ちで、性格もよい男性を探すからだと思います。

選択の中に限りなく肉親の情愛があって、なされるものなのだろうと思いますが、
やはり、人って付き合ってみないとわからないところもあるので、
場合によっては、「不幸な結婚」「DVの旦那」ということもあります。

でも、イスラム教ってカトリックみたいに一生結婚を強いることもないらしく、
離婚はできるのだそうです。


まぁ、こういう恋愛観を持っていた、ナダですが、
やはりというか、お父さんとお兄さんが、
まったく見ず知らずの男性と結婚を決めてしまったとき、
非常に立腹するんですね。

「結局、わたしは売られていくのね」

まぁ、昔女は家畜とおんなじ扱いというか、「財産」だったんですよね。

女は持参金をつけて嫁にも行くけど、男側のほうだって、嫁の家のほうに
結納金を払わなくちゃいけない。
つまり、貧乏な男は結婚できないってこともあるんじゃないかな。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アラブ社会は、つい最近まで女性に参政権がなく、
自動車を運転することも禁止。

つまりは男性が庇護しなければならない存在だったのですね。
まぁ、そういう意味で夫に非常に大事にされている女性も多いのですが、
反対に、夫に死なれて、職もなく、道端で物乞いをするしか生きる道がないというのも
アラブ世界の一面であったりするのですよね。


だから、こうすればいい、という提言は作品の中で一切されていません。
日本人はただ、事実をありのままにみている観察者なのです。


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『オスマン帝国外伝』season2 を見終えて [読書・映画感想]

皆さま、こんにちは、sadafusaです。

もうすっかり秋も深まりましたね。

さて、今日はまたまた『オスマン帝国外伝』について語ろうと思うわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今まで日本には西洋の歴史などはよく知られているものの、
中東の歴史ってあんまりよくわかんないって感じだったと思うんですよね。

でも、トルコ側から見たトルコの歴史および、西洋のキリスト社会の歴史など
トルコ側の人間がどう思っているかっていうのは、これまでわからなかったのです。

ですから、なんとく、砂漠、夜空、ハーレム、モスク、ベールなどと
こうエキゾチックでスパイシーな幻想を見ていただけに過ぎないのですが、
これはある意味、日本人にとってトルコの歴史の啓蒙ドラマかなぁって思うわけですよ。



ですが、とっても不思議に思うのは、
オスマン帝国の後宮の在り方っていうか、
もっと広く言えば、帝国の身分制っていうものですね、
日本人には不思議に思うところがいっぱいあるのです。

例えていうなら、江戸城ですね、
あそこには、将軍と御台所サマと側室、そして瀧山のようなお局さまが控えております。

それがだいたい、中国か朝鮮でひっとらえてきた奴隷だったとしたら?
なんか不思議じゃありませんか?

要するに、将軍さまはそうやって、
中国や朝鮮からひっとらえてきた美女を御台や側室にしていると、
将軍サマご自身だって、いつしか日本人の血統っていうものは
薄く薄くなっていくものじゃありませんか?

その一方で、お江戸の城下では代々続く、生粋の日本人ばかりなのです。

また、家来にも同じことが言えたりして、老中は井伊直弼みたいな殿様じゃなくて
フィリピンなどでひっとらえてきた奴隷だったりしたら?

なんか一般庶民にとって、お城ってところは、
気ごころの知れない場所になるような気がするのですが。

まぁ、それが世界宗教であり、現在も信者数ナンバーワンのイスラムの国だったから、
そして、三大陸にまたがる帝国だったから、
そういうことも実現できたって言えるかもしれないです。

そこらへんは非常にローマ帝国の在り方にも似ているような気がしますね。
たしかローマ帝王は、シリア出身の皇帝もいたんじゃないかな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

というわけで、本題。

たぶん、主人公はヒュッレム・スルタンなんだと思うんですよ。
彼女はルテニアっていう、今でいうウクライナにある場所で生まれたのですね。
しかも正教徒の司祭の娘だったそうです。(清教徒は司祭でも妻帯できた)
そして幼なじみの男の子がいいなずけだった。

もし、ヒュッレムが突然運命を狂わせられなかったら、
ルテニアの地で、生涯、よき妻、よき母として
穏やかな人生が遅れたに違いないと推測するのですね。

しかし彼女が14歳のとき、タタール人に村が襲撃され、
親きょうだいは皆殺しにされた。
ヒュッレムは美少女だったので、金になると思われて
奴隷船に載せられ、イスタンブールに送られたのでした。

ヒュッレムは、そこでこれまでの人生が終わったんですよ。
彼女は一度そこで死んでいるんですね、精神的に。

で、イスタンブールに着いてからの人生というのは、
正教徒の司祭の娘であった彼女のこれまでの価値観とか
倫理観とかをすべてぶち破ったものだったのです。


ヒュッレムは、日本人の私たちから見ると、決して正直でもないし、
結構姦計を巡らして、宿敵である寵姫マヒデブランや他の女性を
次々と倒していくのです。

そして皇帝の愛をわがものだけにしようとするのですね。

それは一見、ものすごく日本人から見れば、容赦のない姿なのだけれど、

でも考えようによれば、否応なく故郷から引き離され、
理不尽に奴隷として売られてしまった彼女の
この世における復讐ともいえると思うのです。

一夫一婦制ではなく、オスマン帝国のハレムという世界。

あまたの奴隷女がひとりの皇帝に、侍って愛を乞う世界。

そういう世界に彼女は一糸報いてやらねば、気が済まなかったのでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

宰相であるイブラヒム。彼も当時ベネチア領だったパルガという島の漁師の息子でした。
やはり、幼い時に、さらわれて奴隷にされて聡明で勇敢だったのを買われて
皇帝の側近になった人物です。


ヒュッレムとイブラヒムは、男と女という違いだけで、資質においては
大変よく似ているもの同士だと思う。
けれど、結束すればこれほど、強い絆はないとは思うものの、
彼らはお互いを嫌い抜き、いずれは亡き者にしようと虎視眈々と
チャンスをうかがっているわけです。

その容赦のない姿勢っていうのは、本当に戦慄するほど残酷なものなのですが…。

ヒュッレムはあるとき、イブラヒムにこういいますね。
「おまえはいつか、おまえ自身の血の海の中でおぼれ死ぬ」と。

なにかこう、皇帝も含めて、このドラマの登場人物は繋がっているようで繋がっておらず、
みんな砂のようにバラバラで、孤独です。

皇帝の愛を繋ぎ留められたと思っても、それはほんの瞬間で
永遠ではない。

ヒュッレムは皇帝の間に五人の子供を成しますが、
それでも、ホンモノの夫婦の情愛とはちょっと違う。

皇帝は、皇帝であるがゆえに、常に公正であろうとし、
公正であろうとするがゆえに、ヒュッレムやイブラヒムを何度も何度も試すのです。







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PCやばい。 あと京都人気質について [雑文]

皆さま、こんにちは。

最近低浮上のsadafusaです。

いや、こんなしょうもないブログでも、書くとなったらそれなりに
集中力がいるものですね。

最近、PCの調子が悪くて、so-netにログインが突然できなくなって少々焦りました。
新しいPCは実は買ってあるんですよね。
だけど、セットアップがめんどくさくて、一時的に中身をハードディスクに
吸いだしてもう一度新しいものにアウトプットしたとしても、
全部入れてくれるわけじゃないし~。PCってそこらへんがアイフォンと違って
めんどいところだなと思っています。


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さて、昨日、ツィッターで、ある方が

「わたし京都育ちなので美味しい和菓子しか食べたことないんですよね」「京都の和菓子はパリのチョコレートみたいに菓子というより芸術品なんですよ」「地方の和菓子って粗雑ですよね」とかいう京都人特有の語りを久々に生で聞いて感動した

っていうつぶやきに対して、ちょっと思ったことを書きます。

>「わたし京都育ちなので美味しい和菓子しか食べたことないんですよね」
もしですね、前提としてこの京都育ちさんが、京都の和菓子しか食べたことがなかったとしたらですね、いつも食べている和菓子は、この人にとっておいしいもおいしくないもないと思うんですね。
いわば「当たり前の味」なのであって、評価はプラスでもマイナスでもなく、ゼロだと思うんです。

でも、京都には当たり前だけど、お茶事や、お寺の法要などに使われる虎屋や老松や川端道喜などという、トップブランドの和菓子屋がある一方で、スーパーで売られている「あんころ餅」みたいなものも依然としてあるんですね。
いくら京都に住んでいたとしても、当然のことながら、お菓子の幅っていうのもあるんですよ。
ま、それがひとつ。

>京都の和菓子はパリのチョコレートみたいに菓子というより芸術品なんですよ
もし、京都の和菓子が唯一無二の芸術品だと心の底から信じているなら、
絶対にパリのチョコレートなんぞと比較しないでしょ。
プライド高い京都人はそういう比較の仕方は絶対にしない。
スタンスはいつも、「よそさんのことは、よう知りまへんけど~」
とうそぶくのが京都人です。

それがふたつめ。


>地方の和菓子って粗雑ですよね
これさ、京都の和菓子しか食べたことがない人がどうして、他府県のお菓子のことを言えるのか。
矛盾しているやろ、って思うのよね。
それに、ふたつめに被るんだけど、誇り高い京都人は、他人とおのれを比較しない。
「よそさんはよそさん、ウチはウチ」
そりゃあ、内心は細かくランク分けしてますでしょう。
その中で自分がどこに位置しているかを考えているでしょう。
ですが決して表には表さない。
それですわw

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まぁ、イケズな感じで京都人を解説しましたけど、
大前提として、このツィッターで「わたし京都そだちなので~」って言っている人は、エセ京都人じゃないかと思うわけです。

本当においしいものばかり食べている人は、他人にねたまれるのが怖いので
決して外ではそういうことを口にしません。

なぜっていえば、京都は狭いからです。
そして、長年そこに住んでいる人が多いから、
嘘がすぐばれてしまうからなのです。

まぁ、匿名性がなくて排他的っていうのが、
お江戸の文化とはまた違うところでしょうね。


また、たいていの京都人は庶民ですが、恐ろしいことに、京都ってところは
お茶やお花の家元が少なからずいますし、本当の目利きがいるんですよ。

もし「本当においしい和菓子しか~」などと超身の程知らず発言をしようものなら
「あなたどこの先生についてらっしゃるの?」
と突然質問されるでしょうね。

どこの先生っていうのは、もちろん、お茶とかお花とか香道の先生のことですよ。
「なにもやっておりません」
って答えたら、それは問題外。

「〇〇先生です」って答えたら
「ふーん、そらええなぁ」と受けられるでしょうけど、
その瞬間、あなたの査定は終わりました。

ってことになるので、京都の人は
初めから、「うちらおいしいもおいしゅうないもわからん不調法もんやしぃ」
で終わらせるんですよ。
思いあがったことを言わないほうが、実は自由でいられるってことを知っているんです。

下には下がいるでしょうけど、上には上がいるってことを知っているんです。
京都は公家文化が平安の昔から続いてきたという歴史がある一方で
権力にはそう簡単にはへつらわない町衆の心意気の歴史てっていうのも、
連綿として続いてきたのです。
(お公家さんお武家さんに地位を奪われて、貧乏に甘んじなければならなくなったけど
知識と教養だけは必死に磨いて、その矜持を高く持っていたという根性もある)


ある意味、京都人はお金に物を言わせるような、
ぶしつけな人間、無礼な人間には容赦のないところです。
こわい、こわい。
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雨の日の『横浜イングリッシュガーデン』 [雑文]

皆さま、お久しぶりです。お元気でしたか?


わたしは先日、夫と一泊二日で横浜・東京へと出かけていました。
直前になって膝の症状がどういうわけか悪くなったので、
とにかく階段の多い東京行きは危ぶまれたのですが、
まぁまぁ、どうにかひぃひぃ言いながら行きおおせました。

本当は横浜に行かなくても全くよかったのですが、
でもどうしてもここへは前々から行きたくて。
横浜イングリッシュガーデン。

以前、松江のイングリッシュガーデンに行った時から、非常に感動しまして
なぜ感動したのか、っていうとやはり
ただ、公園があってただ漫然とバラが植えてあるわけではなく
きちんと作庭家がいて、あるコンセプトのもとに
まぁ、あるコンセプトというのは英国的美意識を取り入れて
作ってあるってところなんですね。

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ですから、まぁいまどき、バラのアーチぐらいならどこでもあるんですよ。
ですが、バラの木の足元に下草として低い草花を植えたり、そういう細かな気遣いがあって非常に
見ごたえがありました。

実は相鉄線に乗ろうかなと思うとき、空はもう、ザーザー雨で
「これでも行くの?」って感じでしたが、
わたしはもともと
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という
反骨精神で生きてきたので、
こういう雨の風情も絶対に心打つものがあるはずだ!と勇んでいきました。

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するとどうでしょう?
もう、雨に濡れそぼった花の美しいこと。

強い雨は大きなしずくを花の上に落としまして、
まるで、貫きとめぬ玉ぞ散りける
といった風情で、非常に美しい。

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このお庭は、大きく分けて5つのセクションがありまして、
赤の花のセクション、黄色の花のセクション、紫の花のセクション、白い花のセクション、
そして総合セクションなのです。

どれもどれも非常にうつくしかったですが、特に白のバラのセクションはなんともいえず、
清楚でした。

途中で雨脚が強くなると、建物の中に入って、雨が弱くなるのを待ち、
そして、また庭を拝見し、を繰り返し、気が付けばこのお庭に2時間か3時間ほど滞在しました。

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イングリッシュガーデンの方がおっしゃるには、
「このお庭は、お天気のよいときには、券を買うのに小一時間かかるほど、人がいらっしゃって、
花はもちろんきれいだけど、それ以上に人がいます。今日はよろしかったですね。ほとんど貸し切り状態です。考えようによれば非常に贅沢なことですよ」と。

わたしもそれはそうだと思い、こういう機会を与えて下さった神に感謝しました。

IMG_2509.jpg

本当に美しい写真や動画を数えきれないほど撮りました。
あんまり夢中で服や靴がびしょびしょになりましたが、
な~に、かまやしないさ。
感動することにはそんなにしょっちゅう出会えるもんじゃないんだから。


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