よい年末を。 [雑文]

皆さま、こんにちは。
今年も余すところわずかですね。

今年も一年、つたないブログを読んでくださってありがとうございます。

お休みのせいか、
小説を読んでくださっている方がとても多いです。
それは非常にうれしいです。

来年も頑張って新作を書けたらいいなぁと思っています。

また来年もよろしくお願いします。


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サプライズ [雑文]

皆さま、こんにちは。
いよいよ年の瀬も押し迫ってまいりましたね。

とはいえ、私はいつも通りの生活を送っております。

少しうれしいことがありまして、
膝が直りつつあります…!!

ああ~、身体が自由に動けるってことぐらい
ありがたいことってありませんね~。
思わず、鼻歌をうたっちゃいたい気分になります。

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クリスマスも過ぎ、
皆さま、プレゼントを贈ったり、贈られたりされたのでしょうか。


子供さんがいらっしゃるご家庭では、
それとなく、欲しそうなものをリサーチしていらしたのでしょうか?

さて、ですね、
今回のテーマはサプライズです。

実はわたし、サプライズがちょっと苦手なんです。

贈り物もですね、自分の欲しいものしかほしくない、という
超現実派タイプです。




昔は主人が気を利かせたつもりで
なにかちょこっとしたものをプレゼントしたりしてくれたのですが、
いつも、わたしが全く欲しくないようなうすぼんやりした
変なものしかくれないので、やめてくれ、といいました。

反対に、ですね。
わたしが選んだネクタイなどは夫の趣味ではないものが多いらしく、
もらってくれる時は
「わぁ、ステキだねぇ、ありがとう」と満面も笑みを浮かべてはくれるのですが、
それはいわゆるリップサービスというもので、
ネクタイを締める頻度をみれば、実際はあまり好みではないのだなとダダわかりです。


娘も母の日とか誕生日などにプレゼントをくれるのですが、
なんかタハハなことが多く、
でもせっかくの気持ちなんだしなぁと思いながらも
なんか素直に喜べません。

この間、
「こんどくれるときは、お母さんのリクエストしたものくれない?」といいました。
「うん、いいよ。なにがいいの?」
「バラの殺虫剤がなくなったから、それを買って」

わたしとすれば、どうしても必要なものだったし、
まぁ、結構なお値段なので、プレゼントにはもってこいだと思ったのですが、

「ヤダー! なにが悲しゅうて、プレゼントに殺虫剤なの? 夢が無さすぎる」

んー。それもそうですね。
じゃあ、食べてしまえばキレイになくなってくれる
お菓子でもリクエストするとしますか。



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ごあいさつ [雑文]

皆さま、こんにちは。

2018年も過ぎようとしていますね。
そして平成最後の年末、お正月を迎えようとしています。

皆さまにとって、この一年はどんな年でしたでしょうか。


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わたしにとっては、「ひたすら暑さを忍んだ一年」ということになるでしょうか。
あまりに暑くて、エアコン無しでは眠れなかったため、
ず~っとつけっぱなしにしておいたところ、
それまでなんともなかったはずの膝の周りの筋肉が収縮してしまい、
一時期は何をするのも「イタっ」という声をあげずにはいられませんでした。

つくづく健康あっての楽しい人生なのだなぁと
学ばせていただいたような気がします。

そしてまた、身体が衰えていく、老いていくとは
このようなことか、と自分が実際にその立場になってみないと
悟れないことって多いんだなぁと思います。

今年で結婚して30年を迎えました。
夫は大好きな「彼」だったので、結婚したときは本当に
天にも昇るような心地になったものですが、
まぁ、恋愛というのはおよそそこまででして、
結婚して子供が生まれてからは、
どちらかというと、チームsadafusaの相方というか、
戦友として一緒に、世間という敵と立ち向かってきたように思います。

別段大したこともしていませんが、
子供を二人産んで育てる。

結構大変でした。

でも不思議なもので、子供の将来のためならと
自分が我慢することなど、少しも辛くなかったです。
なぜなら、一緒にがまんをしているのはわたしだけじゃなかったからです。
常に夫と一緒に足並みと目線を合わせて、助け合って生きてきました。

ですが、子育ても終わり、巣離れをして今、この家に二人で住んでいます。

ある方が、もったいなくもわたしたちのことを八神純子の『約束』の歌にでてくる
ご夫婦のようだと褒めてくださいました。

本当にありがたいことです。
結ばれたばかりのふたりの歌ではなく、熟年カップルの歌なんですね。


あの歌の歌詞は、奥さんの心情をうたったものなのでしょうか、
でも少し文句を言わせてもらうと、
あの奥さんはちょっと旦那さんに対して思いやりに欠けていると思うんですよ。
というのも、あの奥さんは先に死ぬ気満々です。

でも、男の人はさびしがり屋だから、もし私たち夫婦が同時にガンになったとしても、
私はなんとしても、たとえ、一日でもいいから主人よりも長らえて
「ありがとう。必ずわたしも迎えに来てね」といって
送り出してあげたいのです。

そうすれば、残されてたとえ一人暮らししていても、土産話ができるじゃないですか。
残された人生だって、そう思えば一生懸命生きられると思う。
だって、必ず迎えにきてくれるんだから。

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少し、話が湿っぽくなってしまいました。
あかん、あかん。

それでは、とりあえず、皆さま、いい年末とお正月をお迎えください。
それではまた。ごきげんよう。



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2050年世界滅亡説? [雑文]

皆さま、あれよあれよという間に
年の瀬も押し迫ってきましたですね。

さて、最近、別段新しい本も読んでいないし、
ぼ~っと毎日を過ごしているんで、
しいてお伝えしたい!というメッセージもないのですが、

ちょっと気になったことをひとつ。

まぁ、身内でですね、
小うるさい、じいさんがいるわけですよ。
どこのご家庭にもいらっしゃるかとは思いますが。

この方と私って、空間上に浮かぶベクトルの違う直線同士というか
どこをどう探してみても、お互いに交わるところがないんですよねぇ。

いや、気質的には、ちょっと屈折しているところなんかは似ているとは思うけど
だからなのか、余計に反発しますね。

まぁ、それはそれとして、
いいたいことはですね、
この方齢を80越えなわけですね。

そして最近やたらと
「この世の中は2050年で滅亡している。
 それが証拠に男も女も一緒になりたいという性欲もない。
 だから結婚しない。同性愛も結構ある。
 そして人口は激減している。
 それなのに、ワシはこの世を心配しながらも
 生きていることができない」
とまぁ、このようなことをしょっちゅう口にしておられるんですよ。

いやいやいや。

なんかこういう日本会議っぽい発言、本当にきらい。


昔はですね、娯楽ってものがなかったんですのよ。
ですから、もう楽しもうと思ったら、そちらの方向しかなかったのね。

ゲイが多いとか、最近話題のフレディ・マーキュリーのことを
やたらとデスっておられますが、

いやいやいや。
昔から同性愛ってありましたでしょ。
プラトンの昔から同性愛ってあったでしょ?
レスボス島のサッフォーの昔からレスビアンはいました。

でも、途中でキリスト教がヨーロッパ社会に浸透していくと、
それはまぎれもない悪徳として、忌み嫌われていたので
表ざたにはならなかったのです。

人口だって、江戸時代は今より少なかった。
日露戦争で鉄砲玉にあたってくれる兵隊がほしかったから
「富国強兵」で子供をわんさか生んだんでしょ。
それまでの日本は、農村も子供は二三人ってところでした。

人口のことをいえば、先進諸国は減ってきているけど、
中国やアフリカは爆発的に増え続けています。

だから、人類は滅亡に向かっていないし、
ほろびもしません。

人間は無意識だけど、生き残るための巧妙な作戦を
DNAの中に残しておりまして、
いろんな種類の人間がいる。
痩せている人も太目の人も
それぞれ、生き残れる作戦のひとつなんですよ。

もし飢餓が来ても、太目の人なら生きていけるでしょ?

それに、エイズだってアフリカの村が全滅したって、
絶対にそれにり患しないDNAを持っている人だっているんです。

もう、平安の昔から、
末法の世だとか、
ペストが流行って実に人口が三分の一に減ったときもあったけど、
それでも生き延びてきたんです。

それにね、わたしが子供の頃は
五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』が大流行りだったんですよ。
1999年7の月に世界が破滅するという。
子供頃、本当にこわかったです。

でも、実際に何にもなかったしね。

つまり、わたしはこういいたいわけです。

なんの根拠もないのに、そしてこういう今の世の中を作った一端を担ってきたくせに
若い世代に謝るでなく、労わる出なく、
傲然とこんな無責任なことを言い放つ人に虫唾が走ります。



こんな不透明な世の中だけど、若い人はつまづいてもいいから
常に前を持って、希望にあふれて生きて行って欲しい。

結婚もしなくてもいいし、
子供も作らなくてもいい、
それだけが生きた証と本当に言えますか。

特に女性は「嫁して三年、子なきは去れ」とか
当然の世界に生きてきた男性は、横暴です。

自分のやりたいことをやって生きていくのが一番です。

そういうこれまで常識とされた世の中の足かせがとれたことで
わたしは世の中前進していると思っています。
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怒るのを我慢するとき、我慢してはいけないとき [雑文]

さすがに師走だけあって、毎日が切れるように寒いです。
皆さまいかがかお過ごしですか。

さて、今日はちょっと
むつかしい話題にしようかと思います。

今日のテーマは「怒り」ですね。

私は娘に「短気だなぁ、おかあさんは」とよく言われます。
そして、このブログでもコメント欄で、よく怒っていたりします。

でも、日常のわたしといえば、
結構温厚な人で通っているのですよ。

でも私は鈍感な人間というわけではなく、
自分の内側から湧き上がってくる感情をなだめたり、抑えたりしているのですね。

喜びの表情は、少なくともにっこり笑っているときは人に
不快感を与えないので、隠さなくてもいいかとは思いますが、

しかし、哀しみとか怒りというのは、やはり人に見せると
あまりいいものではないので、
極力抑えてしまう傾向にあります。


でも、人間、仏様じゃないんで、ため込んだ怒りっていうのは、
許容量っていうのがあるんですね。

許容量に達するとドドーンと火山が噴火するみたいに
怒りが吹き上げることになるんですよ。

わたしもどうもこの、「怒りをため込んでしまう」タイプでありまして、
結構無理をして最後にドドンとくるのですね。

たとえば、わたしは時間にはちょっとうるさいタイプで、
約束の時間に間に合うことが当たり前なんですよ。
で、心配性なものですから、わりと早めにいくことが多いのです。

でも、知人友人の中では、こういう約束に必ず遅れて来る人が
少なからずいたりするんですよねぇ。

こういう人は自分が約束の時間に遅れてくること自体、
悪いことと認識していないので、
わたしが内心イライラしていることなんて知りようがないのですよ。

でも、待ち合わせして、これから楽しいことをしに行こうとしている矢先にですね、
「あなた、どうして時間に遅れるのかしら?」といちゃもんつけたくないんですよね。

そして、その友人にわたしは
「いくら待たせてもオッケーな人物」ということになり、
ますます遅れることに平気になっていくものなのです。

あるとき、一時間ぐらい遅れて
もう怒りの臨界に接しているときに
「ごめん、待ったぁ? 今洗濯物を干し終わったところ。今から出るね」
というラインが来たりすると
ああ、もうダメ。
どうして、約束の時間が過ぎているのに、のん気に洗濯物を干しているのだろう…。
「あ、ごめん。炎天下で一時間も待っていたら気分悪くなってきたので、
 帰ります」
この人は、自分が時間に遅れて平気で洗濯物を干しているとき、
相手がどうしているのかを思う想像力にかけているのだと思う。

でも、さらにはこの人は自分のことを
友人と見ているのではなく、単なる暇つぶしの相手、
便利に使えるコマと思っているのではないかという猜疑心にとらわれてしまうのです。
(こういうところが、ACで育って、自分に自信がない人間がとかく陥りやすい感情なんだ、
と自分で納得していても、ついそういう思考に走ってしまいますね)

で、こうなってしまうと、この人とは疎遠。

自分の中では「顔も見たくないわ」と言うことになってしまう。

ですから、ここまで怒りを貯めることなく
上手に相手に自分の気持ちを分かってもらうように努力しなくちゃいけないのですね。

まぁ、こういうケースは比較的解決しやすいパターンかとは思うのですが、
世の中にはもっともっと複雑なことが多く、
時には
「ここで今自分が不快なことを相手に伝えるべきだろうか、
 いうべきではないだろうか」と
しばしば考えることがあります。

もちろん、感情的になって相手を怒鳴ることなんて問題外。
そんな自分の感情を吐き出して、人間関係がよくなることってありません。

ここは大人の対応で、
どうやって、自分に優位な対応を引き出せるか、目算することも
とても大事なことなのかな。


もしかしたら、自分は寛容の精神が、そして赦すという気持ちが
大幅に少ないのかもなぁと悩むことも多いです。

でも、結局いろいろと頭の中でシュミレーションしていることに
疲れてしまって、
ひとりで行動するのが、なんにせよ、楽だわと思ってしまうのって
どうなんでしょうか?










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英語 [雑文]

皆さま、今日は強烈に寒いですね。

風邪をひかぬよう、お体大事にしてくださいませ。

さて、今日は「英語」についてお話しようと思います。

皆さま、英語は得意ですか?

私は、別段得意じゃありません。
でも、最近、スマホなどの普及によって、英語がぐんと身近に感じるようになったのです。

私は、高校を卒業して、東京で就学するまで、
ホンモノの英語がネィティブの人の英語というものを
生で聞いたことがありませんでした。

まぁ、テレビでは洋画が放映されていても、すべて声優さんの吹き替えのものを
見ていましたし、ニュースでは各国の首相の英語なども聞いていたはずですが、
全然聞き取れた覚えはありません。

とにかくですね、若い頃は生きていくだけで精いっぱいだったので、
「は? 英語ってなに?」って感じ。
ただ、やはり受験英語とはいえ、英語の読み書きの初歩だけは
一生懸命した覚えがあります。

でも、それは結局受験英語なので、これはどう発音するのだろう?って
あまり深く考えることなく、一種のパズルのように覚えていたような気がするんですね。


ところがですね、最近、スマホやiPadの普及によって、
字幕で10時間ぐらい英語のドラマを見ていたり、
洋楽を聞いていたり、しているうちに、
なんとなく、聞き取れて来るから不思議。

ドラマなどは字幕があると、
「ああ、英語ではこうこう、こういう風な表現をするんだな」
みたいなこと感じられたりするんですね。

それに、編み物などしていると、世界の編み物好きのSNSなどがあったりして、
やはり、ある程度英語が必要とされるものなのです。

となると、使う必要があるから、やはり言葉って覚えるもので、
今まで、ほとんどカンケーないと思っていたものでも、
なんとか昔の知識を駆使して、意志の疎通をしたりしますね。

あと、便利なのが、グーグル翻訳。
こんな風に言いたい、と思って、日本語を入れれば、英語になる。
また相手の英語をグーグル翻訳に入れて、日本語にしてみる。

まぁ、完璧な翻訳ではないですが、少なくともそこから類推することは
できるんですね。

こういうツールを駆使しているうちに、英語も慣れてきたりする。
不思議なことに。


また、娘ネタで大変申し訳ないのですが、
彼女はたまたま外国人の友達をSNSを通じて得たのですが、
やっぱり、地球の裏側に住んでいる文化や宗教の違う人間であっても
なんていうか、今や世界同時進行なんですね。

本音はほとんど一緒です。

娘が地中海沿岸のアフリカの友達に
「昨日さぁ、お爺ちゃんと喧嘩しちゃって」
「君んとこのお爺ちゃん、いっつもつまんないことでイラついているよね」
「うん」
「だけどさ、そんなのやり過ごさなきゃだめだよ」
「まあね」
「ウチんとこのオヤジもまぁ、似たようなもんなんだけどんさ」
「昨日も夜遅くにアネキとやりあったらしいんだけど、 
 オレ、そんとき寝てたし」

という会話が英語で続くのですよ。

今朝、彼女からチャットした文章が写メされてきました。

愚痴を英語で言ったり聞いたりするのって、知らず知らずのうちに
案外、英語力がついたりしそうですね。

「そんなのやり過ごさなきゃだめだよ」
っていうのの、元は

Don't let it get to you

直訳したら、
「それがあなたに受け取らせてはいけない」
って感じになるのか、とは思いますが、
let の使役も入って難しいなとは思いますが、
なんとなくわかってきますね。
アナ雪の「let it go」もありましたしね。


昔は逐語訳をすることを学校から強制されていましたが、
今は大意をがっと掴めたらいいな、と思っています。







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母と息子の関係  『無垢の領域』 [読書・映画感想]

皆さま、こんにちは。

こないだまで暑い、暑いとふうふう言っていたのに、
今はこんなに寒い。

夫は羽根布団二枚重ねて、寒い寒い、と震えています。


最近、ぼんやりしていることが多いので、なかなか本が読めなかったのですが、
久しぶりに大好きな桜木紫乃さんの『無垢の領域』っていうのを読みました。


無垢の領域 (新潮文庫)

無垢の領域 (新潮文庫)

  • 作者: 桜木 紫乃
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/01/28
  • メディア: 文庫



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桜木さんはわたしが大好きな作家のひとりです。
舞台はたいてい釧路などの近郊の街です。

わたしは、北海道は一度しか行ったことがないのですが、
札幌は結構華やかな都会であっても、
道東といわれる釧路などは、札幌から電車で4時間ほど。

京都・東京間が新幹線で3時間足らずで到着することを思えば、
それが心理的にどんなに遠いところかわかります。

実際に住んだことがないので、わかりませんが、
道東の天候は夏は湿度が高く、冬はカラカラに乾いていて、
しかも、夏と冬の寒暖差がプラスマイナス20度というあたり、
もはや京都に住んでいる私の想像の範疇外にあります。


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劇中には四人の男女が出てきます。


ひとりは釧路で活動している売れない書家秋津龍生。

釧路で書家をやっているってあたりで、
わたしなどはたじろいでしまうのですが、
非常に不遜な言い方で申し訳ないのですが、
そんな田舎で字を書いていても仕方ないだろうと思うんですよね。
やはり東京か、京都に出ないとと。

しかし、桜木さんの作中の人物は芸術家っていうことが多い。

片田舎でも、文化に携わる人はいるのです。

しかしながら、この人は書家としての登竜門である 墨龍会の公募展に
これまで入選すらしていないようなのですね。

私も娘が絵を描いているから、ここら辺の事情っていうのがよく解るのですが、
一応、世の中で「私は画家をしています」とか「書をしています」「彫刻をしています」
というなら、少なくとも一度は何等かの権威ある公募展に出品して、
入賞しなければならないのです。

公募展に入選してから、プロの書家と言えるのですね。
だから、秋津は40歳を過ぎても、まだスタート地点にもついていないのです。

そしてその妻、伶子。
彼女は高校の養護教諭をしているので、
一応、普通の男並みの給料を稼いできます。
そして、家で書と格闘しながら、6年前に倒れた姑(男にとっては実の母親)の面倒を見ている
夫の家計を女ながら一手にサポートしています。

もう、一方の男女は、指定管理者制度のため民間が管理するようになった図書館へ
札幌から赴任してきた男、林原。そしてその恋人の里奈。

やはり、林原も書に関わって来た人間で、彼自身はしないのですが、
祖母と母親が書家でした。
母親は、才能ある書家でしたが、あるとき自分の才能に絶望を感じ
自殺してしまいます。

そしてもうひとり残された、父親違いの娘、純香。
林原も妹の純香も、いわば、母親の私生児なのであって、
父親の顔も知りません。

林原自身は非常に優れた人間なのですが、こういった生い立ちから
自分の人生を前向きに進んでいくことができないのです。

そして、妹の純香はおそらくの自閉症なのだと思います。
彼女は一度みた書をホンモノそっくりにコピーする才能があるのです。
たぶん、頭の中にカメラがあって、パチッとシャッターを切った後、
その画像をいつでも自分の頭の中に再生させることができるのでしょうね。

ですが、彼女は精神年齢は異常に幼く、おそらく抽象思考ができるようになる
「9歳の壁」というのを超えられなかったような気がします。


この二組の男女の間に共通するものは、
寝たきりの母、そしてハンディキャップのある妹がいる、ということです。

こういう重たいものを抱えていると、やはり人間は自分のやりたいようには
生きていけないものなのでしょうねぇ。

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交わるはずのなかったこの二人の男女が、書を通じて、
あるとき、交わるのですね。


図書館長である、林原と秋津の妻の伶子。

この秋津の妻の伶子なのですが、いかにも作者である桜木さんらしい、
造詣で、つかみどころのない、どんなことにも心を動かされることもない
冷めた人物として描写されます。

彼女は実は、夫の秋津と結婚する前、同じ学校で働く同僚と不倫をしていました。
でも、それはその同僚が燃えるような恋をしたわけでもない。
ちょっとした心の隙間を埋めるための単なる情事にすぎないのでしょうね。

桜木さんのこのタイプのキャラクターには、よくあることなのですが、
たぶん、世の中の底というものをつぶさに見て来たため、
彼女は明るい夢を見ないのですね。

そして自分の身のほどというものを、客観的に把握して
世の中に目立たないように生きていくのです。


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このふたりは、一見、どうと言うこともないような、つきあいともいえないような
つきあいをするのですが、

あるとき、林原が伶子にポール・ボウルズ作の『シェルタリング・スカイ』の翻訳本と
映像化された映画を貸すのです。


『シェルタリング・スカイ』ってご存知ですか?



シェルタリング・スカイ (新潮文庫)

シェルタリング・スカイ (新潮文庫)

  • 作者: ポール ボウルズ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1991/01
  • メディア: 文庫






シェルタリング・スカイ [Blu-ray]

シェルタリング・スカイ [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • メディア: Blu-ray



もう、本当に一度見ると忘れられないような映画で、
美しいけれどあの絶望的な映像は忘れることは出来ません。
そして、音楽は、坂本龍一が担当しているのですが、
あの、曲の中のちょっとわざと外した音が、
囲われた空の下で生きる夫婦の、息の合わなさっていうものを
象徴しているような気がして、非常に印象的でした。

この『シェルタリング・スカイ』を小道具に使ったのはうまい演出だなぁと思います。


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まぁ、あらすじは非常に複雑で、ここで語ることはしませんが、
印象に残ったのは、

出て来る登場人物のほとんどが
親の犠牲になっている、ということです。

主人公のひとりである秋津もそうです。
彼の母親も地元では結構有名な書家でした。

母親は小さい頃から、書家となるべく育てられたのです。
しかしながら、私からみると、秋津はそこそこの素養というものを持っていたかもしれないけれど、
一人前の書家となるには、才能が足りなかったのです。

そこを母親が自分の我欲で、彼を、彼の人生をがんじがらめにしてしまうのですね。

果ては、おそらく『詐病』という恐ろしい手段を使ってまで、息子を自分のいいなりにさせようとする。
これは、息子を愛しているようで愛していない。
結局は自分のために息子を道具として使っているのです。

他にも、妻の伶子の母親。
彼女も、毒親です。

そして林原兄妹の母親も。
彼女は育児放棄した末に、勝手に自殺してしまう。
当時13歳だった林原の内面にいいようのないダメージが与えられてしまう。

そして、伶子の学校の生徒である沙奈。
彼女も男の子ばかりを溺愛する娘として、いいようのない虐待を受けています。

さらには、秋津の書道教室に通ってきている、母親が画家である少年。
彼も、秋津の母親と同じ、小さい時から画の英才教育を施していたのです。
書道教室も「筆の使い方を覚えるための教育の一環」だったのですね。

そして、彼も小中学生の画のコンクールで入賞。
しかし、彼もわかっていました。この入賞は、画家である母親の力によるものなのだと。
おそらく、自分は画家として大成することはないのだと。

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読んでいてため息が出ます。
なんと、母親と子供って厄介なのだろうと。

子供は自分の生き方を決める権利があります。
それがたとえ、母親である自分の意に沿わないものであっても、
子供は自分とは別の人格であることを知るべきなのです。

いつも思うのですが、桜木さんはきっと
機能不全家族の中で育たれたのではないだろうかと思うのです。

お写真を見ると、とても知的で静かな雰囲気の方ですが、
心の中でどれだけ、どろどろとしたものと葛藤されてきたのでしょうか。

きっと聡明な方だったので、作中の沙奈や令子と同じように、
自分の力だけで生き抜いてこられたのではないでしょうか。

不幸ですが、母親にねじ伏せられていいように操られている男たちより
ある意味、有意義な生き方かもしれません。


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息子というもの [雑文]

みなさま、こんにちは。

日に日に寒さが増して…と思いきや、フェイントをかけて
生ぬるい日が来たりして、それで却ってお風邪を引いちゃった人も多いと思います、
が、
いかがお過ごしでございましょうか…

ということで、今日はちょっと息子、に対して日頃つらつらと
考えているところを述べようと、ま、このように思うわけでございますね。


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さて、わたしと息子の出会いはかれこれ四半世紀前のことでございます。


息子というものは、母親にとってかなり厄介なものと断言しておこう。
彼は私が30歳のとき、生まれた子である。

上は娘だったので、彼は二番目の子だった。

娘は生まれたときから女だが、息子はそうじゃない。
息子は生まれた時は、天使だった。

私も息子が生まれる前は、絶対に女の子のほうがいいと思っていた。
たしかに女の子は大きくなって母親の話相手にもなってくれるし、
にぎやかだからいいのだけれど、

息子の可愛さというのは、そういう「〇〇が〇〇だから」という理由はない。
ただ、ただ、カワイイのである、無性に可愛いものなのである。

男の子というのは、自分から生まれた人間であるけど、
自分とはまた、全く違った興味や関心をもつ存在として
母親を引き付けてやまないものなのかもしれない。

うちの息子は小さい頃は本当に神経質というか、デリケートで
手のかかる子だった。

10歳をすぎるようになると、
わりとキツイこともいうし、母親に自分の領域を絶対に跨がせないという意味で、
結構白黒はっきりしていたけど、

高校生になっても、なにかあったら、わたしの蒲団に入り込んでシクシク泣いているという、
よそ様にはとても言えないような甘えたことをしてきて
それがちょっぴり、母親にしてみれば、うれしいような困ったようなだったのだが
大学に入ったときに、そういうのがぴったりなくなって、
すごくドライな青年になってしまった。

社会人になって、東京に移り住んで、今はひとり暮らしで、かれこれ3年になるけど、
私も夫も一度として、彼の住居へ訪ねたこともない。

実に淡々としたものである。

それに帰省するのが、正月ぐらい、あとは関西に出張があったとき、
顔をみせるだけで、年に二回もあえばいいほうだろうか。

そうなのだ、こんなに自分の人間として一番成長できるはずの
この時期に、すべてを子供たちを育てることに使ったんだなぁと忸怩たる思い…。

いや、決して、子供を育てたということは無駄なことだとか
人生の浪費というつもりはない。

だが、子供を育てるということは、手間も暇も金もかかることだったと思う。
しかも、決して見返りを要求してはならないことなのだ。

私は、彼がこの先、直面する諸問題について、心配はするけど、
おそらく、それを口にはしないだろうし、介入もしないと思うのだ。

彼自身の問題は彼が解決すべきものであって、母親が無駄に介入すると
こじれることばかりだろうと思う。

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この間、トルコから青年が来たことを先日書いた。

彼の家族は、弟がロシア人の彼女と年明けにアメリカへ移住することに決まっていて、
そしてお父さんは仕事の関係で、年の大半をモンテネグロで過ごしているという。

そして、今度は彼が、就労ビザの申請が無事に通過して
日本へ来ることへ決まったら、
トルコのマルマリスに住んでいるお母さんはひとりぼっち。

マルマリスのお母さんは、彼が日本の外資系の一流ホテルの就職試験に通ったことを知って
大泣きしたそうだ。

私が、
「トルコのお母さん、可哀そうね、ひとりぼっちじゃん」
彼のお母さんは、18歳の時、彼を産んだ。

「そうはいっても、ぼくにはぼくの人生がある。ぼくはお母さんのために生きているんじゃない」
と生意気に反論する。

「そりゃあね、理屈から言ったらそうでしょうよ。確かにね。
だけどさ、これから人生の一番美しい時が始まる、まさにそのとき、
アンタが生まれたんだよ。君のお母さんは、その美しい時間を君のために捧げたんだよ。
そういうお母さんの気持ちを汲んで、そういう厳しい、哀しいことを言ったらあかんで」
「じゃあ、どうしろと?」
「それはね、お母さん、ごめんねと謝るしかないでしょ」
「なんでぼくが…?」
「君も父親になったら、お母さんの気持ちがわかるでしょ、今は無理」


まぁ~、息子ってひとりで大きくなったみたいにどの子もどの子もこんな感じ。

だけど、だからこそ、恋愛して、結婚しようという気にもなれるんだと思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こういうふうにちょっとかわいそうな息子のお母さんだが、
わたしには、救いがあった。


それは、娘の夫という存在だ。つまり婿さんですね。

この世で、娘の婿という存在ほど、優しいものはないと思い知りました。
なんせ、大事な大事な嫁さんのご母堂サマなのである。
機嫌を損じることは決して許されない。

婿はイギリスに住んでいるのに、ちょくちょくとお土産を携えて
「お父さん、お母さん、お元気ですか~」
とご機嫌伺いに来る。

きっと、ボケても少なくとも施設には入れる手続きぐらいはしてくれると思う。

一番頼れるのは、他人様の息子だったという、この不思議。



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作ることだけが生きがい [雑文]

皆さま、こんにちは。
あれよあれよという間に2018年も12月に突入しました。

平成最後のクリスマスになりますね。


さて、タイトルのことですが、わたくしのことです。

作ることだけしか、興味がない。

作るときだけしか萌えられないし、燃えられない。

わたし、自分のことがあんまり好きじゃないんですね。
まぁ、中身を否定しているわけじゃないんですけど、
あんまり自分の外見というものに興味がないのです。

いじり甲斐がないとでもいいましょうか。

ですから、自分の思い出の品なんか捨てるの、平気だし、
これといった思いれのあるものってあんまりないかな。

わたしは自分の服はほとんど自分でつくっちゃうんだけど、
それも最小限度しか作らないのね。
なんでかっていうと、邪魔だから。

わたしはテーマを決めて、それに沿った創作をするのがすごく好きです。
自分にはほとんど、そういった意味で好き嫌いってないかもしれない。

シチュエーションに沿ってかっこいいか、かっこ悪いかがあるだけのような気がする。

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今、編み物とソーイングとクッキングとフラワーアレンジメントやっています。

その前は、もっといろいろやっていた。けど、もうキリがないからやめました。
また、習いに行かないまでも、自分で熱中してやっていたというか、
やっているものもあるし。

文章書くのはすごく好きだけど、人に「あーしろ、こーしろ」って言われるのが
本当に嫌だと思ったので、誰にも教えられずに勝手に書いています。


今から5年ほど前ぐらいにヨーロッパの絵付けみたいな教室に通っていたんだけど、
そこの特色はとにかく唐草模様をきれいに描くことだった。

職人仕事だから、本当に難しかったし、今も完全に習得したとは言い難いんだけど、
昨日、オスマン帝国外伝のお姫様たちがつけている、唐草模様の繊細な髪飾りを
創ろうとして、ふとその絵付けのことを思い出したのでした。

なんかほとんど関係ないようなものでも、何かの時には役にたつ。


なんか取り留めない話でしたね。

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この間、Queenの「you take my breath away」というのを
久しぶりに聞いていたのだけど、
この take one's breath away
って直訳したら「誰かの息を取り去る」ってことだけど、
なんのこっちゃですよね。

グーグル先生に訊いたら、
「息をのむほど、あなたに夢中」という
向こうの殺し文句としては常套句なのだそうで…。

ああ、そうなのか、とひとつお利巧になりました。
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