自分が生まれ変われるなら… [雑文]

皆さま、こんにちは。

ちょっと間があいてしまいました。
この間、私はせっせと薔薇の土の植え替えをしたり、なんだかんだで忙しかったのです。
でもお蔭様で今日で全部植え替えは終わりました。

で、夫がインフルエンザもどきにり患しました。
もどき?とはなんぞや。って感じなのですが、
症状はインフルなのですが、検査をするとそうじゃない。

でも、本人は苦しがっているから、そばてみてると大変です。


noteのほうもお蔭様で、『聖徴』と『月蝕』を無事に移植することができました。
『マダムX』のほうは実をいうと「処女作」でして、読み返す気にもならないくらい
へたくそです。途中で読むのやめたくなるくらい冗長なので、
この先、リライトすべきかなぁとも思い、noteには移しません。

そして「ベルばら二次創作」はどうしようかなって思っているんですよ。
それに、noteでは、オリジナルの作品を読んでくれる男性の方も多いんですよね。


どうしてもほしい、読みたいという方には、PDFファイルにてメイルでお届けするとか?

う~ん、なんだかそれも…って感じで、まぁ今のところ保留です。

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さて、今日のタイトルですが。
自分が生まれ変われるなら…どういう人間に生まれ変わりたいかって
ちょっと昨日寝る前につらつらと考えてみたんですね。

今の自分はもうある程度というか、かなり出来上がってしまっているので、
現在持ってる手持ちのカードでなんとかしなきゃならないんですよ。

でも、ほら、たとえば0からどういう素質を備えた人間になりたいかって夢想することないですか?

それ、です。

わたしね、今一番痛感しているのが、「体力がない。身体能力がない」ってことなんですよね。

もともと小さい時から運動することが苦手だったんですね。
うでの力っていうのかな、握力とか背筋力とか全然ないの。
うちの娘も生後三か月のとき、三か月健診にひっかかって、腕と背筋力が弱いって
言われていたので、それって案外と遺伝だったのかもしれません。

運動神経というか身体能力の高い人になりたいなって思うことが一番。
そうすると、ものすごく世界が広がると思うんですよね。
身体能力が高かったら、私は絶対に自動車とバイクを買って旅に出かけると思う。

体力は気力だと思うので、たとえ何十時間かかる船旅だろうが、トランジットばっかりの飛行機旅だろうができるだろうと思うんですね。

あと、おなかも丈夫であってほしい。


まぁ頭も学力がどうとかじゃなくて、知力はほしいよね。

そういうふうに考えていると、ああ、会社員とか嫌だな、なんかもっと自由にできるような…。

と思うとふと脳裏を横切る方がいるじゃござんせんか。

それは高野秀行さんですね。

冒険家でかつ、文筆業で生きていらっしゃる。
自分がしたとんでもない、冒険をルポになさる。

しかもどれもこれも結構危ない旅なんだよね。
ソマリアとか何回も行かれるし、
魔のトライアングルといわれる、首狩り族が潜む大麻の地へ潜入するとかさ。

彼かこそが、現代版、日本の「インディ・ジョーンズ」だと思うのよね。
しかも、高野さんは早大の仏語科出身で、語学が堪能。
たしか卒論はなにかフランスの文学作品をそのまま日本語訳にしたもの、っていんだから
たいしたものだと思うんですね。

だから、行くところ、行くところの言葉を習得するのが趣味っておっしゃるからすごい。

しかも、書かれる文章もそうとう知的です。



ああ、でもこういう人にはあと30回ほど生きて死に、死んだら生まれ変わってって
しないと無理なんじゃないかなって気がする。

とかこんなバカなこと言ってないで、ちゃんと毎日毎日を有意義に生きないと
すぐにお迎えが来てしまうじゃないの!

ってことで今日はおわりにしますね。
みなさん、バイバイ。



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お知らせ その2 [雑文]

みなさま、こんにちは。


小説の件ですが、noteというところで
今のところ『聖徴』のみUPいたしました。

https://note.mu/sadafusa_neo

今度のハンドル名はsadafusa_neo です。

まぁ、ただのsadafusaでも良かったのですが、いい加減飽きてきてしまって。
noteもイマイチ機能をつかみきれず、あたふたとしております。

そういうわけですので、よろしくお願い申し上げます。

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お知らせ [雑文]

皆さま、こんばんは。
今日も寒いです。
インフルエンザが猛威をふるっているとか?

家に帰って来たら、必ず手洗いとうがいをして防ぎましょうね。

そういえば、私、インフルエンザにここ20年ほどかかったことがないのです。
どうしてなのかなぁと考えていましたが、
私は家に帰るといの一番にお化粧を落とさないと気が済まないのです。
だから顔を洗っているついでに手もしっかり洗っていたから、風邪も防げたのかなぁ
などと考えたりします。それでも小さな風邪ならしょっちゅう引いてますが。

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ところでみなさまにお知らせがあります。

ここで掲載していました自作の小説ですが、
思うところあって、一旦全部引き上げた状態にしております。

だらか小説読もうと思っていらした方、「な、ない!」と
焦らないでください(そんな人おらんか…)

ブログという形にしますと、だんだんと小説が後ろのほうに流れていきますし、
昔はそういうのを更新していたのですが、
まぁ、いろいろとトラブルがありまして。

それに、昔、「日々好日」のほうでシリーズで書いていたコラム的な文章も
あらたに加筆修正しておきたいと常々考えていたんですね。


ちかぢか、別の形でUpしようと思っておりますので、
はっきりしたことが定まりましたら、また改めてお知らせしますね。

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自分のブログとSNS [雑文]

皆さま、こんにちは。
日差しが明るいのがいいですね。

いつもこの季節になると、たとえ吹く風が厳しくとも
心はウキウキします。
この季節が一番好きです。
ほのかに漂う春の気配。
もうすぐ春がすぐそこに、すぐそこに。

そういう春のウキウキ感っていうのがたまらないです。
反対に、春爛漫、まさにその中にいると、
「ああ、これから辛い夏の時期に移行していくのだなぁ」と
なぜかその美しさに酔うことができないのですね。

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さて、今日のテーマは「自分とSNS」というものです。
お蔭さまで『sadafusaの日々是好日』より、わたくしのブログも
八年目に突入しました。
月日が過ぎるのは早いものです。

さて、わたくしだいぶ昔にバイトで通販のオペレーターを
ほんのちょっとだけやったことがあったんです。

そのときですね、嘘みたいな話だけど、ケータイも持たなきゃ、PCも持ってない、
そんな生活をしていたんですよ。
だけど、ケータイも持たなきゃ、PCも持ってないんじゃ、
結局、今の人の気持ちなんてわかるはずもなく、
挫折してすぐそのバイトをやめちゃったんですが、
そのとき、やはり「世の中の吹く風を知ろうと思ったら、
やはりケータイは主義だから持ちません」なんて言ってられないわと思って
そのとき、ケータイとPCを買いました。

で、今では、なんだかんだでSNSを七つぐらいやっているのかなぁ。
でも、わたしって熱しやすくて冷めやすいタイプなので、
一時期、インスタもガンガン写真をUPしていたこともあったんですが
何か途中でどうでもよくなってきて、今じゃ、
2週間に1回か下手をすると一か月に1回ぐらいしかUPしておりません。

FBに至っては、もう放置してあります。




実はtwitterって結構早い時期にやっていたのですが、
今ほど世間を席巻していたわけでもなく、楽しくなくて放置していたんですね。

でもで、去年の9月ごろからなぁ。
実は娘に素敵な小説ネタをもらったんですが、
それはやはりtwitterをやっていないとわからない心理のものだろうなと思ったので、


あともう一つの目的があって、わたしの生きがいともいえる、
このブログ、ひいては「小説」の読者の部数を増やしたい、
っていうのもあったんですわw


結局、10月ぐらいからやり出したのね、本格的に。

そういうヨコシマな思いを抱えてやってみたtwitterですが、
ふたつ目のこのブログの読者を獲得したい、というのは
あんまり効果がなかったみたいです。
家の人間に言わせると、わたしのブログって長くて
疲れている人間を楽しませるものではないそうです。

ですが、ひとつめのtwitterをやっている人間の気持ちをつぶさに味わうっていうのは
本当によく解りました。



とにかく、twitterっていうのは、情報を手っ取り早くつかむには
本当に優秀なツールですね。

何が今、起こっているかっていうのは、本当に早く伝搬する。

ツィッターって別名「バカッター」って言われていて、
一日中、ツィッターを見ている人を「ツィ廃」とか言うそうですが、
うん、そういう心理わかりますわ。

で、クラスタっていうそうですが、
一種のサークルのようなもののところへ、自分を投入するんですね。

で、本当に様々に素敵な出会いがあって、
あまりに素敵すぎて、くらくらとめまいがしそうだったのですが、

おっと結構きをつけなきゃならないことも多かった。


っていうのはですね、ツィッターで一度に書き込める文字数っていうのが
限りがあって、
ここのように、心おきなく書き凝ることが出来ず、
どうしても端折ってしまう言い方になってしまうのです。

ですから、ディベートなんかには全く向いてないってことなんです。
昔、大学にいるとき、「学術論文序論」っていう、自分の意見を言う
授業を受講していたことがありますが、
人間、ひとつのことをきっちり言葉で理解させようとすると
少なくとも1万語は必要なそうなので、
とてもじゃないですけど、twitterはことば足らずになって、
自分も相手を誤解してしまうし、誤解させてしまうときには危険なツールにもなりえるんだなぁ
って思ったりもしました。


ことばというのは、時としてものすごく人を慰めるすばらしいものでもあるのですが、
反対に相手に相当なダメージを与える凶器ともなりえる。

あとtwitterに限らず、SNSならどこでもそうなのかもしれませんが
ネットスラングが多すぎて、世間とあまり付き合いのないおばさんは
結構マメにネットスラングをググってみないと
その方がなにを言わんtとしているのかが
よく解らないこともたくさんあります。


そういうSNSのよいところ、わるいところを知悉して
今後お付き合いしていこうと思っています。


ですから、自分の気の合いそうな方といきなりではなく、
少しずつ距離を縮めて行って、
本当によく知り合いたい、と思ったら、DMのほうに移行して
ゆっくりとお互いにお話するのがいいと思いました。


まぁ、わたしはふつうなら全く出会えることもない、たくさんの素晴らしい方と
知り合えることも出来たのですから、
やはりわたしの根拠地というのはこのブログです。

というわけで、みなさま、よろしくお願いします。m(__)m






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薔薇の剪定をしました。 [雑文]

みなさま、こんにちは。

最近、新作を書き始めたのですが、秋に挫折したときとは違って、
結構サクサクと進んでおります。
でも、自分としては「ハラハラして読む」と「伏線とその収拾」というのに重点を置いているので、
なかなか最初の一歩もしんどいんだけど、文章を整えるのも大変です。

だいたい完成度が自分の中で6割ぐらいをめざしているんですが
なかなかです。

やはり私は職業作家にはなれない、と痛感する日々でございます。

それでも今は便利な時代で、昔なら知人に「ね、読んで」と頼んでも
読まれないし、恥ずかしいし、って辛い経験をするはずなのに、
こんなところで見ず知らずの方にサクッと読んでもらえるのがいいなと思います。

で、詰まると、他のことに移行するのがいいんですよ。

昨日は編みかけのカーディガンを編んだりすると
だんだん考えがまとまっていくなぁとも思います。

そして、そして1月から2月は薔薇の植え替えと剪定の時期です。
薔薇は本当に手間がかかる植物ちゃんでして、
本当にさまざまの病気になったりもするし、
やはりキレイな花を咲かせるためには毎年植え替えるか、
出来る限り、植木鉢でも古い土でも掻きだして、養分がたっぷり含まれた
きれいな土に入れ替える必要があります。


今日は、全部の鉢に剪定のハサミをいれました。
古くて枯れている太い枝も先日楽天で専用ののこぎりをかったので、
ジーコジーコと面白いように引けます。

結構ぼうぼうと好き勝手に大きく育っていたので、
わりとコンパクトに収斂させました。
どうせ芽吹くとどどどと大きくなります。

少し心配なことがありまして、
健康な薔薇というのは根をしっかりと張っていて
のこぎりを入れてもぐらついたりしないものなのですが、
去年病気になりまくっていてオスカル・フランソワの根がぐらぐらだったんです。

あした、いの一番に植え替えをしてやって、根の状態を調べようと思います。
なんかへんな病気じゃなかったらいいんだけど。

薔薇のお母さんは、どんな子供でも愛しいし、心配なものなのです。
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腐女子カースト

皆さま、こんにちは。

今日はいつもよりもちょっとあったかいみたいです。
それでも、インフルエンザが猛威を振るっていますので、
家に帰って来た時、必ず手洗い、うがいをしてふせぎたいものです。


さて、昨日、ツィッターでにぎわっていた話題について
自分も思うところをつづってみたいと思います。

昨日、『腐女子カースト』って漫画の一部が無料で読めたんですよ。
おそらく、今も読めるんじゃないかと思うんですが…。

腐女子カースト~底辺同士のマウント合戦(1) (COMIC維新りあら)

腐女子カースト~底辺同士のマウント合戦(1) (COMIC維新りあら)

  • 出版社/メーカー: WコミックスZR
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: Kindle版



サブタイトルがね『底辺同士のマウント合戦」と
なんとも、インパクトのあるというか、なんというか。

腐女子って「底辺」なんでしょうか?
まずこの決めつけが怖いと思いますね。

わたしも勝手に小説書いてて
それで自分のオリジナルの他に二次作品三本書いたことがあって、
「ああ、なんか自分もしかしてオタク?」と思ったこともあったのですが、
オタクとか腐女子の道というのは、結構厳しい掟みたいなものがあるらしく
正直今でもよくわからないし、はい、わかりません。

で、そんな私が何を語れるというわけでもないですけど、
その漫画を読むと「これって、ちょっとな」と思うことがありまして。

ま、どんなジャンルにせよ、自分自身で何かを創作するってことは
結構勇気のいることでもあるし、ものすごくエネルギーを使うことでもあります。

で、この方たちは、コミュケに向けて自分で文章を書いて、
それを印刷屋さんにもっていって、
会場で売るんですよね。

それってものすごくエネルギーとお金のかかることだと思います。

だけど、そこに必要なのは、文章を書く力だったり、
お金だったり、管理能力だったりするわけじゃないですか。

コミュケで自分の文章を売りたいがために、働く人もほとんどです。

ね、だけどそこに
「正直言って微妙な顔」とディスられておられますが、
文章描くのに、顔の美醜って関係あるんですか?

お化粧好きな人は、お化粧「オタク」なんですよ。
あたし、一時期youtuberのマリリンさんの動画にはまってずっとみていた時期がありましたが、
お化粧するんだってめちゃめちゃお金がかかります。

とにかく、何か一つをある程度極めようとすると
どうしたって、お金を使わなきゃならないハメになるだろうし、
そういう時は、他にはお金をかける金銭的余裕はないでしょうね。

つまり、腐女子として作品を作って、売っておられる方というのは
もう、それだけに集中しないとやっていけないのです。
化粧がとか、服がとか、って言ってますが、
そんなもの気にしている精神的余裕がないのだと思いますね。

そんな第三者の視線が気になるようなら、そもそも
こんなことをやってないと思うし。


だから、一生懸命やっている人を
「あの人、だっさーい」と一刀両断しないでほしいと思うんですよ。
やっぱりね、キレイに生まれた人っていうのはいるんですよね。
でもさ、それって努力してそうなったんじゃないって部分大きいでしょ?

そういう天の恩恵に恵まれた人は、「ああ、良かった」と思って
神様に感謝して、エネルギーを他のことに向けてあげてください。
間違っても自分より顔やスタイルの造形に恵まれなかった人を揶揄するのに
向けるエネルギーにはもっていかないでほしいな。


とにかく、その方たちにはBL小説にせよ、なんにせよ
書きたい!っていうすごい情熱があるんですよ。

どんな小説にせよ、書くのってものすごくエネルギーを使うんですよ。
10分で読めてしまっても、その文章を書くのは、
ものすごい時間がかかっているものなのです。


その消えることのない情熱をわかってもらえたらな、とわたしなどは思ってしまいます。


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ポジティブ・シンキング [雑文]

皆さま、こんにちは。

正月から、薔薇ちゃんたちを休眠させるために
はっばをむしる作業をしていたのですが、
まぁ、結構大変でした。

それに去年たくさん鉢も購入したので。

去年は春はともかく、秋は天候不順だったため
薔薇もイマイチな咲き方でした。

今年も剪定や植え替えをばっちりして
また大きな花を咲かせて欲しいと願っています。

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さて、今日のテーマは
『positive thinking: ポジティヴ・シンキング』についてちょこっと考えてみたいかなと
思います。


というのも、最近 twitterなんかで、
ハッシュタグをつけて「ポジティブ・シンキング」と書いて繋がろうとしている人を
多く見かけるようになったからです。

ポジティブ・シンキング、
それはものごとを悲観的に見るのではなく、楽観的に見ましょうという
そういうことだと思うのですが、
これっていいように見えて、実はなんとなく危ないものを感じてしまうのは
いつもうがった見方しか見られない私のサガなのでしょうか。

よく引き合いにだされるのが、
「コップに半分の水があります。あなたはこの水を見てどう感じますか」
ってものですね。

楽観的な人は「ああ、まだコップには半分も水がある」と見て、
悲観的な人は「ああ、もうコップに半分しか水がない」と思うんだそうです。

コップに半分水がある、そこにはそれだけの事実しかないけれど、
ひとの感情のフィルターをかけると、希望的観測や悲観的観測という感情がそこに
付け加えられてしまうということです。

まぁ、楽観的にとらえたほうが人生は生きやすいのかもしれませんが、
ちょっと待て!と私は思いますね。


世の中、ポジティブ、ポジティブと言い過ぎると思うんですよ。まるで
お題目のようにそれさえ唱えていれば、安心、安全とでも言うように。

私は、ですね。ポジティブとネガティブは両方あるべきだと思いますね。
楽観的になるのはそれはそれで結構なことだと思います。
むやみに悲観的になるよりはずっと健康的だとも思います。

ですが、ポジティブ、それはよいことだ、思考停止、になっているような気がするんですよ。

例えばさっき言った「コップに水が半分ある」という事実は
たしかに「水が半分もある」という楽観的なとらえ方もできますが、
それで全部安心、ってわけじゃないのですよ。

「でもやっぱり、半分しかないのだから、大事の飲もう」とか
「これが無くなる前に、新しいペットボトルを買っておこう」という用心深さが必要になるわけです。

ですから「コップに水が半分しかない!」と
悲観的になって「もうだめだ!」と思考停止になるのではなく、
「では、コップに水を満たすためにはどうしたらいいのだろうか」と
冷静な思考とか分析が必要になると思うんですね。


また、たとえば自分が悲しい気持ち、いわゆるネガティブな気持ちになっているとき、
「いえいえ、そういう感情は不健康です。もっとポジティブになりましょう」といって
「ポジティブなことを一つでも探してみましたか?
 そう、今日も朝ごはんはとてもおいしかった、それだけでもハッピーになれますね」
みたいなことをよく言われますが、
私は、「オイ、ちょっと待て!」と思います。「問題をすり替えんなよ」とも思いますね。
たしかに、どんなに世界が不幸でも、明けない夜はない。必ず朝日が街を照らすのです。
それはとりあえず、幸せともいえますが、それと今の惨めな感情を封印することとは違います。

なぜ、自分がこれほど、惨めで傷ついているのか、それをきちっと言語化して
自分を分析しないと、いつまでも心の中で言語化されないモヤモヤした気持ちで
自分が支配されているものなのです。

ですから、あながち、自分が嫌な気持ちになることが悪いことだと考えてはいません、私はね。

やはり、事実は事実として、冷静に感情を交えず分析してみる。

そこから本当のポジティブ・シンキングというものが生まれると思うのです。


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他人の子供嫌い [雑文]

皆さま、こんにちは。
今日は七草がゆの日ですね。

さて、タイトルのとおり、今日はちょっぴり
辛口です。

『他人の子供嫌い』とは、子供が嫌いという意味ではありません。
大人の場所にそぐわない子どもがいることが嫌いという意味です。

たとえば、プロポーズをするために高級なレストランに入ってたら、
となりのテーブルの赤ちゃんがギャン泣きしていたらどう思います?
ロマンティックな雰囲気ぶち壊しじゃないですか。


sadafusa、子供が嫌いなんだと思わないでください。子供は好きです。
見ていると癒されます。
子供が公園で遊んでいる声などを聞くと、生気にあふれていて
元気がもらえるような気がします。


子供はなんにも悪くないですが、要するに大人の時間をたのしみたいのに、
そういうことを無視する親が増えているのかな…というお話。

昨日、月一回の編み物のお稽古のために、神戸の三ノ宮までいくのですが、
いかんせん、私は大の出不精で、出かけるまで
「ああ、なんで三ノ宮まで行かなきゃならないんだろう」って思っているのですが、
出かけちゃったらそれはそれで非常に楽しくなる人なんですよね。

で、たいてい出るのが嫌な自分のために、ちょっとしたお楽しみっていうのを用意するんですね。
三ノ宮に、名前は申せませんが、ステキな喫茶店があるんですよ。
一種の音楽喫茶っていうのかな、いつもLPレコードから心地よいクラシックが流れ、
お店の方が丁寧に丁寧にコーヒーを淹れてくれます。
それで器がいつも、ヘレンドみたいな欧州の一流陶磁器を使ってくれているのですね。
お店もキンキンに明るくなく、間接照明で落ち着けますし、お店の中がちょっと暗い茶色と紫で
統一してあるのも自分的に大変好みなんですよ。

で、そこでしばし世間も憂さもわすれてコーヒーを楽しんでいるんですよね。
ちょっと自分がいつもより「オトナ」になった気分。
(いや、もう大人を通り越して老人の域にはあるんですが…(笑)


そうやって、お店の方にコーヒーのカップをいただき、さて口を付けようかなとしましたところ!
なんかがやがやとたくさんのお客さんが来られた様子。

わたしの横にすわった人を見ると、
小さな子供をふたり連れた夫婦でした。

それまで自分が「いい女」になれた非日常の場所が急に何と言いましょうかねぇ、
所帯臭いこちゃこちゃした場所に成り下がっちゃったんですよ。
「パパ、パパ!」
「ちいちゃん、なにが食べたい? チーズケーキあるよ?」
「ケーキ!ケーキ!ケーキ!」

ああ、萎えます。
もうわたしはコーヒーの味などゆっくり味わうことはできなくなり、
そそくさとその場を後にしました。

お願いです。こういう場所には子供は連れてこないで欲しい。
あなたたちも日頃、子育てで疲れているのかもしれないけど、
一杯のお値段が他の倍の値段を払っているのは、
ただコーヒーがおいしいからという理由だけではないのです。

日常の喧騒を忘れ、美しい非日常の世界に漂いたいお値段だったのですね。



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初詣は大神神社へ [雑文]

皆さま、こんにちは。

もう正月も開けて早三日。
明日からお仕事という方も多いでしょう。

このお正月はどのようにすごされましたでしょうか?


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さて、我が家は娘が三年前に嫁に行って以来、
元日は晴れたときに限って、
今まで行ってなかった神社仏閣を訪問しようというイベントの日に変わりました。


一年目は信貴山縁起絵巻で有名な信貴山へ。
二年目は、石清水八幡宮。

そして、今年は、かねてから行きたかった奈良の桜井にある
大神(おおみわ)神社。

IMG_0356.JPG



この神社は一説によりますと、出雲大社より古いそうで、
三輪山そのものがご神体です。

よくは解らないのですが、印象としてなんとなく、
しめ縄の感じが出雲大社のものと似ているような気がしました。

大神神社は奈良でも超有名な神社なので、
どうせコミコミなのはわかっていましたが、
でも、駅から降りたとたんに、
非常に強いご神気というものを感じたように思います。


それに私は普通なら人混みが非常に苦手なのですが、
どういうわけか、にこにこず~っと笑っていられたほど、
それが苦になりませんでした。

参道はうっそうと茂る大木に覆われており、
空気は清々しく住んでいるような気がします。

こんなに清々しいのに、どこかこの神社はおおらかな感じがして
非常に好ましいなぁと感じました。

一応、本殿のほうへお参りを終えた後、
息子は一年中車で旅をするのが仕事なので、
古いお札を納めて、新しい交通安全のお札をいただいていました。

すると、奥のほうに狭井神社いうのがあって、
多分、大神神社の摂社かなんかかなと思いながら、そっちのほうへと
向かいました。

実はこの狭井神社というのは、三輪の神様の荒魂を祀ってあります。
力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤いそうです。

狭井神社に向かう道中では、両脇の献灯に寄進者の名前が書かれていますが、
たいてい製薬会社だったので、息子と一緒にひとつひとつ名前を見ながら
「あ、これは〇〇製薬だって」「こんな薬の会社知らないなぁ~」と
冷やかしながら行きました。

そして、手水所で手を清めようかなと思ったところ、
後ろのほうになんと!三島由紀夫の『清明』という碑を見つけました。

実はこの大神神社に行きたいなぁという理由のひとつには
彼の最後の作品である『豊穣の海』の第二部『奔馬』というのが
ここ、大神神社が舞台なのです。

小説の冒頭には、6月に行われる三枝祭りが描いてあって、
非常に美しく、もとが文学少女の成れの果ての私は、その幻想的なシーンを
何度も何度も夢に見ました。

で、実物を目の当たりにして「ああ、こんな感じだったのか」と
なぜか非常に納得してしまっているあたり、不思議です。

なにか非常にご縁というものを感じました。


あ、かなり横にそれましたね。

まぁ、去年は非常に膝痛に悩まされたし、
狭井神社に念入りにお参りして、
霊験あらたかといわれる「ご神水」をいただき、
(ペットボトルに詰められて、100円で売られていた)
足腰のお守りもいただいて非常に満足でした。

そのあと、比較的人のいないお茶屋に到着して、
三輪の名物、にゅう麺とお寿司のセットをいただきました。
ここら辺はそうめんの産地でして、
非常におそうめんがおいしいです。

そこからさらに久延彦(くえひこ)神社へと向かいました。
この神さまは知恵の神さまなんだそうです、

息子は奉納されている絵馬を見て、
「ちぇっ、地元の高校の合格祈願ぐらいしかない~。つまんない~」と言ってました。
まぁ、うちの近くの学問の神様の北野天満宮と比べたら、そりゃ、あかんだろう。

途中、大和三山を見渡せる展望台もあり、
お天気だったので、畝山も耳成山も非常にキレイでした。
そして遠くに連なる山々も、清澄な空気の中で青々として、
見ていて非常に心が洗われるような気がします。


とにかく、たかが神社を参拝しただけだというのに、
妙に達成感があり、喜ばしかったのは、
やはりおおらかで優しい三輪山の神様の
ご神威に触れたせいでしょうか…。

いろんな神社の中には、自分と相性が合う、合わないというものが
あるそうですが、ここはばっちりです。

こんどはササユリが咲くころに娘をつれて、
ここに来ようと深く心に決めたのでした。










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あけましておめでとうございます [雑文]

皆さま、あけましておめでとうございます。
本年も何卒、よろしくおねがいします。

去年は、いろんな意味でで試練の年でした。
夫の一昨年の年末から年始にかけて、パワハラをくらって、
精神的恐慌をきたしていました。

でも、こんな嫌がらせに負けるのは
私の矜持が許さない。

ありとあらゆる手段を使って、最後労働基準監督署より、
もう一段高い労働局の勧告まで取り付けました。
本当は、弁護士を雇って会社相手に訴えてもよかったんだけど、
まぁ、そこまですると、夫も職場に戻りにくかろうと
やめときました。
売られた喧嘩は絶対に買います!
泣き寝入りは絶対にしません!

そのあと、二ヶ月かかって、小説を書いて、そのあと、
地獄の夏が来て、
クーラーのかけすぎで膝を痛め、地獄のような苦しみを
味わいました。
そしていかに健康が大事かも思い知りました。



娘がSNSで知り合った男の子を
行きがかり上、世話して、見事就職できたという
素晴らしい快挙を見ました。

今年は、去年の反省をもとに
健康には留意していきたいなと思っています。

若い時ほど、体力も気力も衰えてはいるのですが、
それでもそれなりに、楽しくやっていきたいと思っています。



今年も一生懸命、面白い話題、
面白いドラマ、映画、舞台、小説の紹介なども
していけたらな、と思っています。

どうぞよろしくお願いします。
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