同じムスリムでも…。 [雑文]

皆さま、こんにちは。

noteに引っ越してから、いいことがちょっとありました。
それはわたしのオリジナル小説『月蝕』が結構男性に人気があるのです。
女性ばかりでなく、男性にも興味を持って読んでもらえることに
歓びを感じています。

月蝕は結構、ハードな性描写がありまして、それってもう色っぽいとか
ロマンティックという範疇を超えて、結構バイオレンスに近いものがあるので、
実は女性が嫌いな部分なのかもしれないです。

ここに置いてあった時はその部分だけ妙に読まれていなかったですし。
自分は決してそういう描写が得意でもないし、好きでもないのですが
やはりそういう必要があって書くべきときは書かなければならないので、
腹をくくった部分です。

なんかその甲斐があってよかったなぁ~って今、余韻にひたっているところ。


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スミマセン。いつも変な前フリがついてw

さて、最近、イスラム文化に触れる機会が多くなったような気がします。
ヨーロッパのロココ模様とかアラベスク模様というのは、結局
ギリシャ文明がそのままビザンチンに移行し、
ビザンチン帝国が滅びて、ササン朝ペルシャなどの文化を取り入れた
アラビアに吸収されたのを、またヨーロッパが再輸入したような
形でしょうか。


最近、ネタが付きかけたのでまた我が娘の話になるのですが、
彼女はひょんなことで知り合った、ムスリム(男性 独身)の友達が二人います。

ムスリム社会は男女関係に非常に厳しいらしく、日本のようにフランクに付き合うことが
できない社会だそうです。

ひとりは以前、ここで紹介したことのあるトルコ人のE君。
もうひとりはチュニジアのG君。

ふたりともものすごく頭がよい好青年ですが、強度の日本のオタク文化を愛する人たちです。

でも、同じムスリムでも全然信仰の深さとか程度が違うんだなぁって
最近よくわかるようになりました。

なんだかんだ言って北アフリカに住むG君は、チュニジアなまりがあるといっても
日常使うことばはアラビア語。

対して、トルコ人のE君はトルコ語です。
トルコも日本のように、政教分離して近代化した国で、
それまではトルコ語を表記するとき、アラビア文字を使っていたそうですが、
近代化したときに、アルファベットに変わったそうです。

だから、E君はムスリムであっても、アラビア文字は読めない。

娘が昔グラナダ王国であったアルハンブラに行った写真を
ムスリム男子ふたりに見せたら、アラビア語ができるほうは
「ラー・イラーハ イッラッラー ムハンマド ラスールッラー」って
信仰告白(シャハーダ)がすらすらと読めるのに対し、
トルコ男子は読めなかった。

「え~? ムスリムのくせに読めないのぉ?」
と突っ込むと

「オレたちは、アラビアのやつらとは違うんだよ!」
というかつてはギリシャ世界、そしてビザンチン世界、そしてオスマン帝国の
末裔である誇りと意地を見せたセリフを発していました。

ん~、でも北アフリカのG君も
「ぼくたち、アラビアの人間じゃないから、
あんなに強烈なことはしないわw」
っていうスタンスだそうです。


この世で一番人口が多いのはイスラム教徒。

おんなじ仏教だって、さまざまだし。
イスラム教も
お国柄によってさまざまなんだなぁって思いました。

もっといろいろと知りたいなって思うことばっかりです。




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NHK 少年ドラマシリーズ [雑文]

今、わたくし、趣味で小説を書いているのですが、
今、10万字を超えました。

1月7日から書き始めましたので、一か月半弱というところでしょうか。
ふー、長いです。

今回は現代もので、主人公が高校生です。

というのも、私昔、NHKで夕方放映されていた
「少年ドラマシリーズ」っていうの、大好きだったんですよ。

まるっきり子供向けでもなく、かといってドロドロの大人の恋愛ものでもなく、
思春期の少年少女たちの、きゅんとした恋愛をベースに、ミステリが進行していく。

たいていそういう幻想的で素敵なお話が多かったような気がします。
『狙われた学園』でしょ、
『七瀬ふたたび』でしょ。
『時をかける少女』でしょ
『謎の転校生』でしょ
『幕末未来人』などなどなど。


結構長いことやってるんですが、
私が見ていたのは自分が中学生ぐらいの時だったと思うんですよね。
その当時人気女優だった多岐川裕美さんや古手川祐子さんなどが出ていました。

『七瀬ふたたび』はものすごくお気に入りだったみたいで、
もう忘却の彼方に沈んでいた主題歌がながれたときに、
ふわぁああと頭の中に蘇ってきて、なんと歌詞まで覚えていました。

なんかなぁ、ああいうちょっと切なさとミステリアスなカンジの
作品が読みたいと思って、しょうがないから自分で書いているという…。

よく考えてみれば、二三の例外を除いて好きだったのは
ほとんど筒井康隆さんの原作のものですね。
筒井さんてすごく作品数が多くて、作風がよくわからんと思っていまして、
自分は筒井さんの作品なんて読んだことがない!と思っていましたが、
実は結構読んでいました(アホ)


わたしはどっちかっていうとこうドラマティックに話が展開するのが好きで、
かつ、非日常的なものが好きなんですね。

それは何でかって言うと、やっぱり小さい時にうんと
手塚治虫や、石森章太郎、永井豪のマンガが好きでどっぷりつかっていたからかもしれない。

もちろん、萩尾望都や池田利代子とか木原敏江も大好きだったんだけど、
あの話のどんでん返しの仕方とか、ニヒリスティックな展開とか
やっぱり当時の少年漫画は光ってましたね!


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わたしの特技 [雑文]

皆さま、こんにちは~。

今、苦しみながら毎日作文しているので、なんていうのかな、
こちらに出向いてくるころには、燃え尽きてスカスカになって
何を書いていいのかわからない状態だったりします。

人間って疲れていると、何にも頭に浮かばないんだなぁって
最近つくづくと思い知ります。


~~~~~~~~~~~~~~~
さて、そういう最近のわたしの貧しい頭から
今日は、この話題。「わたしの特技」


それはですね、私結構、聞き上手なんです。
聞いているときは、結構真剣に聞いているのですね。

娘なんて学生の頃、ただしゃべり散らかしたいだけで、
ず~っとわたしを「自動あいづちマシーン」かなんかのように思っていたのか、
二時間でも三時間でもしゃべるだけしゃべっていたのですが、
私って結構真剣に、娘の友達の家の事情とかを聴いていて、
しっかり頭を整理していたのです。

だからっていって、また他の人にしゃべくり散らかしていたわけじゃないですが。

で、しゃべり散らかしていた当の本人はすっかりそれを忘れているんですね。
でも、わたしは覚えているんです。

そういうことが何の役に立つか、いや、立たんだろう、無駄な能力だわぁと
長らく思っていましたが、

最近、そうでもないなぁって思うんですよ。
それはそういうもろもろの話を作文の「あるある」エピソードに
使えるからです。

ってただそれだけの話でした! ちゃんちゃん!!
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光陰矢の如し [雑文]

皆さま、こんにちは~。
今日はあったかいみたいです。

京都の北野天満宮は早咲きの梅がキレいに咲き誇っているみたいです。
こないだテレビでやってました。

さて、最近、つくづく日が経つのが早いと思っている。
一日が本当に「あれえ?」っていうほど早い。

一月の7日くらいから、小説書き始めているのだけど、
これがなかなか進まなくて。

終わりますよ~っていう光が差してこないんですよ。

今丁度、8万字あたりを突破したのに、起承転結の転まで行けてないってことは
たぶん、ものすごく長くなるんだろなって思う。

小説書いている間は、自分の中の一定のリズムを壊したくないので、
小説に関連する書物以外は読まないようにしてるし、
実際パソコンに向かって、先を考えてるわけじゃないから、
結構ぼーっと寝ているときとか、お風呂に入っているときも
先々のあらすじとか展開の様子を考えていたりする。

はっきり言って、何かに憑依されているみたいで、
実は結構辛かったりするのです。

とは言って、書かなかったら書かなかったで、
「こんな無駄なことばっかりやって人生を空費しているなぁ」って
思ってたりするから、本当は小説を書きつつ、いろんなことができると
とってもバランスがよくて充実した人生が送れるんじゃないかと思ったりもするのだけど、
そんな器用なことができるはずもなく。
う~んな毎日です。

以前、結果的に18万字の小説を書いたことがあったのだけど、
それは本当にいつまでも終わらず、悪夢をずっと見ているようで、
書いているときは本当に辛いと思ったのだけど、
今回もたぶん、そういうノリですね。


はやく終わらせて、ゆっくりと編み物がしたいです。
でも編み物三昧の状況に陥ると、
それがまたなんとなく不満を感じたりするんだろうなぁって思う。


あなたは一体、なにをすれば満足なの~?
って時々自分に呆れてしまいます。






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華麗なるある人生 ~デヴィ夫人の生き方~ [読書・映画感想]

皆さま、こんにちは。

寒かったり、ちょっと寒さが緩んだり。
三寒四温の毎日です。

うちのバラちゃんたちも芽が出てき始めました。

私は『バラの家』でよくバラ、およびバラ関連用品を買っているので
たまに販売促進のためのメールマガジンが届くのですが、
葉っぱがないこの時期に、消毒を念入りにやっておくと、
このあと、黒星病などになりにくいのだそうです。

去年は本当に黒星病に悩まされてましたから~。

今年はたくさん花が咲いてほしいなって思ってます。


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さて、日本テレビの『世界の果てまでイッテQ』が大好きな我が娘。
しょっちゅうこれまで見て面白かった動画をlineに張り付けて送って来るのです。

で、しょっちゅう出川さんとデヴィ夫人のものばっかりが。
(そもそもデヴィ夫人はイッテQのレギュラーなのかな、よくわからない)

いや、出川さんとデヴィ夫人の掛け合いがおかしすぎる。
それでも、セレブのデヴィ夫人が、しかももうすぐ80歳だというのに、
空中サーカス、
バンジー・ジャンプ
イルカと一緒に曲芸、

いやもう、ありえない!ってくらい、いろいろなことに挑戦しておられます。
本当にすばらしい!
その俯仰不屈の精神、見ているだけで拍手を送りたくなります。


ところで、最近当のデヴィ夫人が本を出されたそうで、
デヴィ夫人ファンの娘が、その本を買ってまず自分が読み、
そしてわたしに貸してくれました。

それがこの本。



選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論

選ばれる女におなりなさい デヴィ夫人の婚活論

  • 作者: ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/02/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



見てください、この表紙のデヴィ夫人の美貌。
もうこぼれんばかりの笑顔。

一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く

傾国ってもともと、こういう絶世の美女のことを言うんだなぁって思います。

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デヴィ夫人ってインドネシアの国家元首であるスカルノ大統領と結婚するとき、
それまでの名前、根本七保子という名前を捨てて、
ラトナ・サリ・デヴィというサンスクリット語の名前を付けてもらったそうです。
意味は「神聖なる宝石の女神」という意味らしいですが。

多分、デヴィって英語の divine と同じ語源に突き当たると思います。

ああ、ついつい趣味の名前のほうを見てしまいました。

次行きましょう。
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本はふたつに分かれていまして、
自分のこれまでの人生についてと

まぁ、婚活に苦しんでいる最近の女子への
応援メッセージって感じですかね。


はじめのほうのスカルノ大統領とのなれそめのあたりは
読んでいると、あまりにきれいごとしか書かれていないので、
眉唾もんだなと思い、
そこはすら~っと読み流して、

婚活女子に対するアドヴァイスが満載です。
読む前は、どんなキテレツなことが書かれているんだろうって思いましたが、
やはり数々の恋愛の猛者、
結構、ドストライクなことをおっしゃっておられまして、

こじらせ女子の方々は是非ともこれをしっかり読んで
幸せになってほしいなと思う次第なのです。

あんなにどんなものでもドンと来い!みたいなデヴィ夫人が一番最初に
「男には、自分の絶対に強いところをみせてはいけない」
って書かれてあったのには、正直、おかしすぎて吹き出してしまいました。

ひとりでやっていけるみたいな態度は論外。
いや、絶対にひとりでやっていけるはずの女性であるからこそ、
「風にも、え堪えぬ」って風情を演出するべきだと。

そうすれば男は「何としてでも守ってやりたい!」っていう男らしい心境になるものらしいです。

それとか、いい男がいる場所へ出かけろとかさ。
男から求められるまで、「好きだという態度」を見せちゃいけないとか。
あるいは「男に浮気されたとしても、彼が自分にとって別れたくない男ならば、
見て見ぬふりをして、自分を高めていくしか解決法がない」とかさ。
当たり前のことだけど、それを案外忘れがち。



あと、社交界におけるラブゲームというのは
『魅力ある人を求め、お互いに刺激を受け、優雅さを堪能し、機知をたのしむところ』
なんだそうです。
実際にコトに及ぶより、男が魅力的な女性を素敵なことばで口説く、
だけど、それをどのように応酬するのか、それが楽しみなんでしょうね。

ラクロの小説読んでたりすると、そういうのがよくわかります。

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まぁ、面白いけど、それほど目新しい部分はなく、
若い頃のデヴィ夫人の震えるほど美しい写真がいっぱいあって、
みていて楽しい、その割には1200円なら安いなって感じの本です。


でも、これを読んだあと、
なんか前半のデヴィ夫人の語る自伝の部分が
あまりにもきれいごとすぎて
「こんなのほとんど嘘だ」って読んでいて思ったんですよ。

それと同時に浮かび上がるのが
デヴィ夫人よりちょっと年上の美女、岸恵子。

あの人も誰も当時は『君の名は』で一世を風靡した
伝説の美女。今でもお美しいんですよ。
たしか25歳のころ、フランスの映画監督であるイヴ・シャンピと結婚。

当時はなかなか一般人は海外にでることすらままならない時代。
ほとんど日本人もいない場所で、孤独に耐え、フランス語のRの発音が
できなくてヒステリーを起こしている等身大の岸恵子の姿が描かれて
なかなか面白い。
あと、朝吹登水子。
おじいさんが日露戦争の長岡外史であり、
父親の叔母さんが慶応義塾大学の創始者、福沢諭吉の姉と、
すごい一家で超お嬢さま。
だけど、やっぱり語られる自伝では、結構苦労してるんですよね。

うん、そういう生き生きとした描写がないんですよ。

それで調べていくと、一切、デヴィ夫人はそういう泣き言をいわないけど、
スカルノ大統領と出会わせて、インドネシアへ送り込んだのは
当局の差し金だったらしいんですよね。

デヴィ夫人がスカルノ大統領と出会ったとき、
デヴィ夫人19歳、かたやスカルノ大統領は61歳でした。
しかもスカルノ大統領は、妻が愛人がうようよいるような人で
政治家としても有能だったみたいですが、
要するに『英雄色を好む』という部類だったらしいです。

でも、当時の日本はどうしてもインドネシアの援助が欲しかったのです。
それで差し出されたいわば「人身御供」だったんですね。

そしてその結婚も、日東貿易社員として、
スカルノ大統領の秘書として働くという名目だったみたいだけど、
実際は愛人稼業だったみたいです。

そのおかげで日本にいる母親と弟を亡くしてしまった。
これについては本当にデヴィさんが可哀そうだと思います。

デヴィさんは、使い捨ての駒にされたんですよね。
それならせめて病気の母親と大学生の弟さんの立場ぐらい守ってやったら
よさそうなものだったのに。

今日の日本の繁栄っていうのは、
案外こんなふうに影でデヴィさんみたいな女性がたくさんいたのかもしれないです。
日本も、北朝鮮の拉致のことなんか悪くいえないですね。
こんなことをしてたんじゃ。




なんかこれ、すごく可哀そうな話だと思うんですよ。
たしかにデヴィ夫人は超弩級の美貌を誇っていた。
だけど、もしデヴィ夫人が岸恵子のように、きちんとしたエリートサラリーマンの娘だったら、
こういう人権をないがしろにした話は出て来なかったと思うんですよ。

そこへ喰うや喰わずの、さらわれても誰からも文句を付けられなかった
娘を選んで人身御供として差し出す。

日本もこういう時代があったんだなぁってシミジミします。



実際、デヴィ夫人の前にもこういう人身御供みたいなことはあったみたいですが、
あまりにスカルノさんの周りの愛人同士の人間関係が熾烈で
疲弊しちゃって亡くなったそうです。

そこへ持ち前の負けん気と、聡明さで、
愛人レースを勝ち抜いてたとえ第三夫人でも、
国家元首の妻の座をつかんだんだからたいしたものだと思います。

小さい時から、貧しさに堪え、いつかこの境遇から抜け出して
出世してキラキラと輝いて見せるという、強烈な上昇志向があったから、
抜け目なくお金を別の口座を作って守ったと言われてますし、
スカルノ大統領が亡くなったときに、妻として財産分与された時の
金額も20億を下らないだろうと言われているそうです。

だから、フランスの社交界で『東洋の真珠』と謳われて
君臨することができたのでしょうね。

いや、本当にすごい人です。
ただ、単にキレイだったというだけではすませられない人生です。

普通だったら、自分と過去の相手について、あることないこと書くのが普通なのに、
それらのことを一切お書きになっておられない。
「みんなそれぞれ素敵な人たち」っておっしゃっておられるところが
本当にごりっぱです。




でも人に言われるぬ苦労をなさってきたとしても、
一人娘さんとお婿さんの間に、お孫さんもたくさん生まれて
それぞれお幸せに過ごしておられるからよかったなって心から思います。




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『こじらせ女子』に対するオバサンのイチ考察 [ひとつの考察]

皆さま、こんにちは。

いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?


最近、自作の小説を置いておくためにテキトーなところはないかと
物色してnoteにたどり着いたんですが、
あそこってわたしみたいなバーサンはほとんどおらず、
比較的若い人が書いているみたいなんですが、
読めば読むほど、悩める場なんだなぁと
しみじみします。

今の若い子たちは、それこそsmapが歌っていた「世界でひとつの花」のように
なんか個性的に、NO1に生きなければならないという過酷な刷り込みをされて
そのため、平凡に生きることを許されず、疲弊しているように思えるんですよね。

たしかにわたしが若い頃のように
「女は男や親の言うことを聞いていれば間違いがないんだ!」とか
「女が妙に頭がいいのはけしからん!」とか
「早く嫁に行け!」などと言われなくて
今の若い人たちは幸せだなぁと思っていました。
しかし、そういう重しがなくなると、却って選択肢が多すぎて
もがき苦しんでいる人のなんと多いことか…。

今日はちょっとそういう方を取り上げてみたいと思いました。

まずですね、だいぶ古い本になるのですが、
『女子をこじらせて』

女子をこじらせて

女子をこじらせて

  • 出版社/メーカー: ポット出版
  • 発売日: 2011/12/06
  • メディア: Kindle版



の雨宮まみさんですね。
「こじらせ女子」という言葉の発端はこの人にあるらしく、
世間に皆目疎いわたしは、
「そもそも『こじらせ女子』とはなんぞや?」と思って今更ながら
手に取って読んでみた一冊です。

感想はですね。これほどに繊細な感受性を持っていて、知的な雨宮さんなのに、
完全に進む方向が間違っているとしか思えない!ってことです。

この方は、お母さんが教育ママで、小さいころから「頑張る」ことを強要されてきた方ですね。
親の期待に応えるべく、一生懸命お勉強をして、地元では一番の進学校に合格する。

ここまではいいんですよ。

で、大学受験するために上京したホテルにAVヴィデオがあった。
そこからこの人の人生が狂い始めるみたいです。

女だって、性欲っていう本能があるんだから、まぁ、こういうものに興味があっても
全然かまわないと思うんですよね。

ただこの人はたぶん、全然免疫がなかったのかな。

それでなんだかんだでAVライターになるんですよ。

もうね、ここら辺がオバサンにとってはめっちゃ驚きなのね。

雨宮さんが人と群れることをよしとせず、
また、男にもてたいとも思わず、
完全に一匹オオカミで生きてける自信とタフな根性があるんなら
AVライターでもなんでもやっていてくださいよって思うのね。

だけど、この人は人一倍傷つきやすく、人に愛されたいと思う願望が強いのに
どうしてこんな、誰が見ても間違っているみたいな道を突き進むのだろうかと。

この人、自分の容姿に自信がないんです。それでも大学生のとき、
バニーガールのバイトもやっていたんですよね。
わたしにしてみれば、ああいう網タイツ履いて、バニーコート着て、ハイヒールを履けた時点で
「あ、やっぱりあたしもそれなりに大したものなのだな」って納得して
普通のOL生活を始めると思います、たぶんね。

しかし、この人はAV女優を見て非常にうらやましい、輝いて見えるって思うらしいんです。
たしかにAV女優は身体がきれいであるってことが絶対必要条件だとは思うのですが、
ですが、一部の人をのぞいて、こういう人ってAV女優であることを
ひた隠しにしているものでしょ?

動機はどうしてもたくさんのお金を稼ぎたい、ってことじゃないですか。

しかもソープかなんかで働いているなら、まだしも不特定多数の人に顔をさらしているんだから、
いつバレるんじゃないかとびくびくしながら生きて行かなきゃならない。
自分の親に対しても、非常に親不孝な所業だと思うよ。


ちょっと考えてみれば、そういうことはすぐにわかりそうだと思うんだよね。
なのに、あんなに勉強することを強要していた親も
AVの出版社に勤めることを反対しない。

同じ親の立場に立つものとして非常にこれは不思議でしたね。
なんか親のほうも「どういうことが美しいのか、人としてまっとうな生き方とはなにか」って
美意識が欠如しているのかなぁって考えこんでしまう。

ただ、こういう既成概念を覆すためにあえてそれをやっている人もいるにはいるけど、
それには俯仰不屈の鉄の信念が必要ですよ。


それをイージーに「あ、やりたいの? おやんなさいな。でも自己責任だからね」
なんて親としては言えないはずだと思うんですよね。




まぁ、わたしとしては雨宮さんが「男」なら「まぁ、そういういばらの道を進むのか」と
不本意ながらも黙認するでしょうが、雨宮さんは女でしょ?
どうしてそういう「男」の後ろ暗い本音の部分の携わる仕事に女が付かなきゃならないのか、
それが大いに疑問でしたわ。


普段、ガラスのような心を抱えて悩んでいる雨宮さんなのに、
AVの仕事に就いています、って他人に言うことには抵抗がなかったのかって
本当に不思議です。

私は、雨宮さんほどデリケートじゃないと思うけど、
仕事がAV関係っていうのは嫌だ!って思う。

なんか自らの手で、幸せを逃しているような気がしてならないんですよね。

あと、もうひとり「この人もちょっとなぁ~」と思う人が。
最近、ツィッターかなんかのネットニュースで読んだんですが、
700万かけて整形したタレントさんの話。

この人も雨宮さんと一緒で、親に勉強を強要されて、
大学まで必死になって生きてきた人。

大学になってバイトでメイドカフェで働くんですよ。
そこがね、わたしにしてみれば進む道が間違っているって思うんですよ。
だってさ、メイドカフェって、性格とかその人が持っているいいところなんて
まりっきり無視して、「いかに美しいか、いかに美しい身体をしているか」だけが
特化されて評価されるところじゃない?

そんなところで、普通の容貌をしている人が評価されるはずがない。

そこで、この人はものすごく世の中に対して、不公平感を募らせるんですよね。
で、やっぱりもてたいからキレイになろうって美容整形するんですよ。

まぁ、わたしはあんまり自分の顔に対してコンプレックスがありすぎて
一日中そのことばかり考えて前に進めないって思うくらいなら、
整形したほうがいいと思うんです。

実際にきれいな二重になって人生変わった人って多いと思うし。

ですがね、この人の場合はやりすぎなんですよ。
やりすぎて「不気味の谷」までいっちゃっているんですよね。

もっと人に気づかれない程度にすればよかったものを
ここまでくるとだれがどう見たって「整形美人」なんだなって解ってしまう。

この人は「誰かに愛されたい」と思って自分がキレイになりたいから
そうしたんだろうけど、一体誰に愛されたかったのでしょう?

不特定多数の人間のアイドルになることと
ひとりの人にきちんと愛されるってことは、似ているようで
全然違うことだと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
雨宮さんにしても、このタレントさんにしても
たとえば、普通の優秀なサラリーマンが「この人と結婚したいな」とは
絶対に思ってもらえないようなところへ行ってしまっているんですよ。

モテ子になろうとして、キワモノになってしまっている。


まともな男性のだれが、AVライターや、アニメ顔の美女を
自分の母親に紹介したいと思うでしょうか?


戦略からして全く行ってはいけない方向に行ってしまっているっていうのが、
なんかとっても残念だと思うんですよね。



雨宮さんはもうすでに亡くなっておられるそうで、ことばもありません。
もし、大学生ぐらいのときにしっかりとした意見を持った大人が傍で
助言をしてあげていたなら、もっと幸せになっていたと思うのです。





幸せはもっとひっそりとしたもので、全世界に「私は今、幸せです!」と
表明しなくてもいいんですよ。


幸せは、平凡でいいんです。人から見て「平凡」と思われるようなことがら。
人口に膾炙されてきたようなことがらでも
その人にしてみれば、初めて経験することばかりでしょ?

結婚して、妊娠して、出産して、子供を育てる…。
当たり前のことですが、経験しなきゃわからないことばかりです。

そういうことに、まず気が付いてください。




自分が冴えない不美人でも、
相手の男性ももっさりした人でも
自分たちが心を通わせて、お互いのことを
思いあえたらそれでいいじゃないですか。


ふたりで見つめた空の色が美しかったり、
道で咲いている花がキレイだったりして
「きれいだね」
「そうだね」

って自分の思いを言の葉にして、
それを「そうだね」ってうなずいて笑ってくれる人が傍にいてさえくれれば―。






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冷めたバレンタインデー [雑文]

こんにちは、皆さま。

三寒四温の毎日ですね。
ですが、わたくし、この時期の寒さがあまり苦になりません。
そりゃ、寒いは寒いですが、
それでもなんとなく、日の光が明るくて
気持ちがウキウキしてしまう。

何度も言いますが、今のこの時期が一番いいかなって思います。

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さて、もうすぐバレンタインデーですよね。
わたし、去年まで一生懸命、家族みんなのために買っていたのですが
なんか今年になりまして、心境の変化といいますか、
なんか急にバカらしくなってきちゃって。

長男にこれまでず~っと送り続けていましたが、
あの人はラインに「ありがとう」の「あ」の文字さえ、返してこないんですよ。
しびれを切らして「チョコ届いた?」って送ると「うん」で終わり。
おいっ!「ありがとう」ぐらい言え!
って思いまして、少し悲しくなりました。

つまりですね、贈り物全般にも言えることですが、「相手の喜ぶ顔」なんぞを期待するほうが
そもそも間違っておるわけですよ。

わたしが長男にチョコを送り続けていたのは、いわば、わたしの勝手であって、
息子にとっては迷惑千万の所業かもしれないでしょ?

それなのに「ありがとう」を言ってくれなかったからといって、
しょんぼりするのは結局、きつい言い方ですが、それは息子のためじゃなく、自分のため。

そう思って、善人ぶるというか、いい母親ぶるのはやめとこうと思いました。

そういうふうにいい母親づらをしたい自分のために
お金を使うのはやめようと思いまして。

まぁ、それが理由のひとつ。

あと、なんだか高級チョコあさりもだんだんとエスカレートしていくと
なんだか却ってみっともないような気がするというか、あさましいというか。

自分はそんなゴディバとかノイハウスとかピエールマルコリーニとか
そんな一粒何百円もするような高いチョコを食べられるような身分じゃございません。

それならロッテのガーナで十分だわと。

今こそ、竜安寺のつくばいの四文字を知るときだとふと思ったのです。

我、唯、足るを知ると。
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二条城の砂利道がアスファルトに [雑文]

20190206-OYO1I50006-1.jpg



ツィッターを閲覧していたら、
二条城の砂利道をアスファルトに舗装することに京都市が決定したそうです。


https://www-yomiuri-co-jp.cdn.ampproject.org/c/s/www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20190206-OYO1T50028/amp/?usqp=mq331AQECAEoAQ%3D%3D

はぁあ、なんか読んでいて辛くなりました。
京都市が拝金主義でそういうことをすることにもがっかりしましたが、
そもそも二条城に敷き詰められている「砂利道」っていう言い方がもう嫌ですね。

『玉砂利』っていうんですよ。

ちょっと明治神宮さまのホームページでこのようなものをお借りしてきました。
http://www.meijijingu.or.jp/qa/jingu/11.html

これには、玉砂利というものは、どういうものかを説明されています。
これによりますと、『玉砂利』というのは「砂利」を装飾することばです。

玉水、玉串、玉垣、雪の玉水っていうことばもあるように、意味は「宝石のように美しい」っていう言いです。
玉砂利の意味は。説明にもありますように、砂利とはもともとさざれ石のことを指すようですね。
宝石が砕けて細かくなった石、みたいなイメージでしょうか。あるいは真っ白な小石とか。
しかしどちらも、「清浄」という意味合いが強いのだと思うのですね。

観光客が歩きやすいようにするため、というのが舗装する趣旨だろうけど、
「歩きやすい」そんな短絡的な理由だけで、日本人が古来より連綿と受け継がれてきた
精神的遺産の表れである玉砂利を撤去する理由になるのかなって思ったりするのですよ。

玉砂利あっての二条城だと思います。
たしかに、二条城とは徳川家が築城した城であって、神社や御所のようなところではない、というムキもあるのかもしれませんが、
昔は武家だろうが、公家だろうが、身分の高い人のお住まいを『御所』といいます。

それが証拠に家康は家督を息子に譲ったら、「大御所さま」と呼ばれていたじゃないですか?

17世紀の初頭に作られ、連綿とこれまで守り続けてきた大事な文化遺産です。
それがより、多くの集客が望めるから、それだけの理由で
こんな蛮行がまかり通ること自体、驚きですよ。



それからですね、ベビーカーも通しやすいようにとの配慮があるそうです。
私ね、これ姑根性でこんなことを言うわけじゃないですが、
もともとこういう文化遺産には敬意を払わなきゃいけないと思うのね、
ただの建物じゃないんですよ。
そこには魂が籠っているんです。


こういう場所にまだ、小さくて聞き分けのない子供を連れて来るべきじゃないと思うんですよ。

「じゃあ、親子で楽しめないじゃない!」とお怒りになる人がいるのも十分わかっています。
わたしだって、小さい子供を育ててきたんです、その気持ちはよく解りますよ。
ですが、ちょっと他の人のことも考えてみてください。

他の人だって、この日のために一生懸命貯金して、京都へ来た人だっていっぱいいます。
それが、子供がわぁわぁ、ギャアギャア泣きわめいて、雰囲気が台無しになってしまうこともあるでしょう?

だから、結局は小さい子供を遠慮させるというのはその子のお母さんも含めて、見学にくるみんなのためだと思います。親子づれを排除するとか、いうそういう意地悪な気持ちで言っているのでは決してないです。
なんかこういうのを読むと「朝三暮四」っていうか、自分だけが良ければよい、目先の箏しか考えていない、浅はかな考えだと思います。


っていうか、京都市が一見親子連れに親切なように見せかけて、それを舗装化する口実に使っているってところがむかつきます。本当に母親や赤ちゃんのことなんか考えてるわけじゃないんですよ。

京都市が本当に親子連れのことを配慮するのであれば、託児所を作るんですね。

まぁ、ハンディキャップのある方のことを考えますと、この方たちに「我慢せい」というのは
それこそ、差別になりますので、手押し車でも通りやすいように、砂利の上に板を渡すとか
なんか工夫が必要です。





ああ、アスファルトで舗装されてしまった二条城の勅使門など見たくありません。

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あいらぶヒロシマ [雑文]

皆さま、こんにちは。

今日は、いつになく寒いでざーますわねぇ。


ところで、先日、出不精のわたくし、広島へ一泊二日の小旅行をしてきました。
広島は以前に一度宮島に行きたかったので初めて旅をしたのですが、
いや~、本当にいいところだなって思います。

なんていうかな、街だって結構ハイブランドのお店もあるんですよ。
それでいて、こっちが気が引けるほど『洗練されすぎていない』どこか家庭的な
優しさって言うのがあって、本当に「ちょうどよく」オシャレ。

そう、気取りすぎてない、そこが広島のすごくいいところですね。
広島に人は京都の人間みたいにスカしてなくて、温かいです。
それでいて、本当の田舎の人間よりもずっと洗練されている。
この絶妙なバランス感覚が素晴らしいと思う。




実はね、以前行った時、食べ物がおいしすぎて、絶対また行きたいと思っていたんですね。

で、娘が仕事に広島へ一週間滞在することになっていたので、
わたしはその最終日に行ったのでした。

まぁ、打ち上げも兼ねて、娘とどこのお店へ行こうかって
八丁堀あたりをうろうろしていたんですよね。

どこのお店もおいしそう!
わたしはお刺身のおいしいのが食べたかったので、
二三物色していたのですが、なんか途中で雰囲気のよいお店があって
ちらっとのぞいたら、入り易そうだったので
「ここにしよっか」
って言ってふたり入ったんです。

壁にずら~っとお品書きがかかれてあって、どれがいいのかさっぱり見当がつかなかったので、
「大将、今日のおすすめはなんですか?」
って訊いたら、
「広島のさわらは絶品だよ!」といわれ、オーダー。
こんなに脂がのって旨いさわら、食べたことなかったです!
人生初のうれしくもおいしい体験。
「生のアナゴは食べたことある?」
ないので、それもオーダー。
「いわしのおつくりも絶品だよ」といわれ
それもオーダー。
もうもう、めちゃくちゃおいし過ぎ。
わたしも日本海側のおさかなのよくとれるところに育ったので
おさかなのおいしさは知っているつもりだったけど、
瀬戸内のさかなのおいしさっていうのは、日本海側とはまたちょっと違いますね。

大将におつくりをしょうがを入れた酢か塩につけて食べてみてくださいと言われ。
絶品!

もう、それから食べて、食べて、食べまくりました。
黒和牛のタタキ、真鯛の昆布締め、あとなんだっけ?

よっくもまぁ、胃袋に入ったなぁって思うくらい。

それに30年ぶりぐらいに車エビの塩焼きを食べました。
本当に新鮮なエビってエビ臭くないんですよね。
焼いてもらったのを食べたあと、頭で出汁をとって味噌汁にしてもらいました。
それから最後は葉ワサビのお茶漬けを一つ頼んで、娘と半分こしてシメにしました。

本当は、さよりのおつくりも食べたかったし、太刀魚の焼いたのも食べたかった。
さすがに食べられなかったので、それは次回のお楽しみということにして。


帰りに素敵なバーがあったので、寄りました。
カクテルといっても何の知識もないので、
バーテンダーの方に「あんまりアルコールが強くなくて、すっきりしたものを」とわたしが頼むと、
娘はミルクベースにしてほしいんだけど、「カルーアミルク」なんて普通すぎるから
もうちょっと凝ったものにしてくださいとお願いしました。

出て来たものの、名前を聞いたんだけど、かなりその時点で出来上がっていたので、
ふたりとも名前が解らなかった。
でも、すごくすっきりした柑橘系のカクテルで変に甘すぎずもせず、好かったです。
一方娘のほうは、ココアのフレーバーも入っていたらしい。



美味し過ぎです。ヒロシマ。
たくさん川も流れていて美しい。
川の中に海の潮が流れてくるさまをすてきなカフェで
これまたおしゃれなカップに入れて下さったものを飲みながら眺めているのは
めちゃくちゃ不思議な光景で感動しました。


他にも川べりに素敵なカフェがいっぱいありました。





五月の末のあたりでまた娘が仕事があるらしいので
それにかこつけて、また行きたいと思います。






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赤ペン [雑文]

皆さま、こんにちは。

sadafusaでブログ検索すると
『フーガ』と出てきます。
しかしながらそこをクリックしても小説は出てきません。申し訳ないです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、今noteのほうに自作の小説をUPしているのですが、
ちょっと気が付いたことがあります。

あそこはですね、自分を表現したい人ばっかり集まっていますが、
かといって「読みたいわw」と思っている人がほとんどいない、ということです。

それにnote人口100万人だっけ(間違っていたらごめん)って公表されているけど、
あれって実はそうでもないんではないかと思うんですね。

というのも、「わーい、noteだ!」といって一生懸命最初のうちは書いても、
次第に更新されなくなって止めちゃう人が多いんではないかなぁと思うんです。

とにかく、こういうものって作り手がいて、読み手がいるっていうのが
一番望ましいんですよねぇ。

過疎ってきて、崩壊しなけりゃいいんですけど。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というわけで、今日のお話。

赤ペンです。

今、自作の小説を書いていますが、書けるときはバンバン進んでくれたりするんだけど、
ちょっと気を緩ませると、あ~ら、本当に筆が進まなくなるもんなんですよぉ。

ときどき、「自分って何のために書いているんだろう」って悩むの。
くよくよしていると、夫が「遊びをせんとや~、うまれけ~ん」とか歌ってくれたりするから、
そうだよな、所詮、人生なんて遊びさ、と達観するけど、
なんかちょっと悲しいぞw


こうやってしょぼーんとしているとき、自分を鼓舞してくれるのが赤ペン!

わたしはもともとものすごく達筆なんですが(ウソ)
自力で原稿用紙に文字を埋めていると、10年かかっても作品は作れない!
ので、ワードに頼り切っています。

詰まると、ワードで打ったものをプリントアウトして印刷します。

すると、わたしは多重人格なので、他の人格になって
「なんだ~? このへたくそな文章は!」
とディスり散らして、赤ペンを入れるわけです。

もともと達筆なわたしですが(ウソ)
赤で字を書くと、さらに上手くなり(ウソ)
非常にこう、のびのびと、そう、のびのびとアカを入れることができますね!


わたしに近しい友人はわたしが赤ペンの愛好者だということを知っています。
赤ペンは結構すぐになくなってしまい、
私は夜中にコンビニまで行って赤ペンを買い求めてきました。
ですが、どんな赤ペンでもいいってわけでもなく、
わたしは筆圧が強いので、細いミリペンとか使うと芯の先をすぐにつぶしてしまって
よろしくない。

また、細すぎる線も嫌いです。

こう、性格がおおらかなので(だらしないともいう)
大きく描ける赤ペンがよいのです。

ああ、赤ペン!

赤ペン、万歳!

赤ペンよ、永遠にあれ!


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