境界の旅人2 [境界の旅人]

京都×青春×ファンタジー×ミステリー。 ページを繰る手が止まらない?





第一章 転機 


「由利、由利」
 リビングで玲子の呼ぶ声が聞こえる。自分のベッドでうとうとしていた由利は、枕元に置いてある目覚まし時計を取り上げた。
「ん・・・? 今何時?」
 時計の針を見ると夕方の五時半を指している。もうすぐ冬至なので部屋の中は真っ暗だ。それにしてもこんな中途半端な時間に玲子が家にいるのは珍しいことだった。
「由利! いないの?」
 玲子は声を荒立てた。由利は母親の機嫌がこれ以上悪くならないうちに、大声を張り上げた。
「はーい! いるよー。ママ!」
 由利は寝起きの顔のまま、母親のいるリビングまで行った。
「由利、いるならいるで、ちゃんと返事しなさい。このまま出かけちゃうところだったでしょ?」
「うん、ゴメン。ママ。気が付いたら寝てた」
「そうなの? うたた寝もいいけど、気を付けないと風邪を引くわよ。それよか、由利。クリーニング屋さんに行ってママのスーツ取って来てくれた?」
「ん・・・。ママの部屋のクローゼットに掛けてある」
「ああ、よかった。ありがと、由利。今度の金曜日には社外クライアントに向けてプレゼンがあるからね。顔映りのいいのにしないとね」
 母親の玲子は大和フィルムズ中央研究所に勤務している。
 難関大学の中でも最高峰といわれる帝都大学の工学部を難なく突破、大学院に進学、学位を取得した後フランス国立研究所に博士研究員として二年間の勤務を経て、現在の研究所で働くようになった。玲子はワーキングマザーと言えど、どこからどう見ても、一点の曇りもない華やかな経歴の持ち主だった。
 今年で四十二歳になるが、生まれついての硬質な美貌にはいささかの翳りもない。場合によっては三十代前半にも見られることがある。必ず週三回は体力づくりも兼ねて早朝にフィットネスジムに通って身体を鍛えているお蔭で、中年にありがちな余分な脂肪も身体についたこともなく、いつもシャキッと背筋も伸びて、七センチヒールも軽々と履きこなす姿はほれぼれとするくらいだ。
 そんな完璧な母親に対して由利はただ従うしかない。少なくとも、これまでは。
「ママ、どうしたの。こんな時間に家にいるなんて珍しいね」
「あら、由利。忘れちゃったの? 今日はあなたの塾で志望校を決めるための懇談だったじゃないの?」
「あ、そっか」
 由利は母親のことばの調子に不穏なものを感じた。
「まあ、そこにちょっと座りなさい」
「はーい」
 玲子はカバンからA4の分厚い封筒を取り出した。
「さっきね、塾の先生に成績表を見せてもらったんだけど、由利、あなたこの間の塾の全国模試、ものすごく番数が落ちているの。自覚ある? もう年末だし、本番は二月でしょ? で、志望校を決めなきゃならないんだけど、この調子だとこれまでの本命が危ないって塾の先生に言われたわよ。由利。でね、ママは思うんだけど・・・」
「うん、ママ。解ってるよ」
 由利は玲子の話を遮った。
「解っているじゃないでしょう? もうっ、あなたって子は本当に暢気なんだから。もうちょっとピリッと気を引き締めて勉強しなさい」
 玲子自身は、いわゆる進学校も塾へも通わず自分だけの実力で帝都大へ行ったにもかかわらず、一人娘の由利の教育に関しては過剰と言ってもいいくらい熱心で、これはもう立派な教育ママと言ってもよかった。
「・・・」
「今から集中して勉強すればまだ間に合うはずよ。滑り止めと日程さえ合えば、これまでの本命だって受けられるはず。今からきちんと日程を調整すれば・・・」
「うん、でも、ママ」
 いつになく由利は態度を硬化させ、自分のことばに従おうとしない。玲子は少しイラっとした。
「何なの? 言いたいことがあるはら、はっきり言いなさい」
「あの、あのね、ママ・・・。実はあたし、京都のおじいちゃんちへ行くつもりにしている」
「はあ・・・? 何ですって? 京都? おじいちゃん?」
 玲子は一瞬あっけにとられたような顔をした。
「うん」 
 消え入りそうな声で由利は答えた。
「由利、何を夢みたいなことを“ もうすぐ年も改まるっていうのに! 願書のことだってあるじゃない」
「うん。だけど九月頃に学校の担任の武田先生に相談したら、それもいいかもって、内申書も書いてくれた。過去問も取り寄せてくれたし、願書もあるよ。あとはママの承諾だけ」
「まっ、一体それはどこの高校なの?」
 由利はテーブルの上にクラスの担任が取り寄せてくれた願書と出願要項を置いた。玲子はそれを取り上げてまじまじと眺めた。
「桃園高等学校?」
 玲子は素っ頓狂な声を上げて、これから由利が行こうとした高校の名前を読んだ。桃園高校は京都にある玲子の母校だった。
「由利っ! これは一体何の悪い冗談なのっ! 誰にそそのかされたのかは知らないけど、ママは反対よ。他に選択肢がないのならともかく、桃園高校なんてそんなの、お話にもならない。第一、今受ける滑り止めよりずっとランクも下じゃないの? この環境より明らかにレベルの低い場所へ行く目的は何? それにいくら成績が下がったからって、何も今、あてつけがましくママから離れて京都へいくことはないじゃないの!」
 玲子は自分の娘をあしざまに罵った。
「ママ。そうじゃないの」
「なぜ? 由利? 私たちこれまでうまくやって来たじゃない? 何が気に入らないっていうの?」
 詰め寄るようにして玲子は由利に迫った。
「うん。ママが一生懸命働いて、育ててくれたのは、あたしだって解っているし、感謝しているよ」
 由利が小さいときは、玲子の職場環境は相当に過酷だった。
 病気になるたび、玲子は自分が看病するために職場を休むわけにもいかず、結局、病気で保育園や小学校へ行けない場合は看護師の資格を持つベビー・シッターさんに来てもらうことも度々だった。
 そのための出費があまりに多すぎて、月給も右から左に消えることも珍しくなかった。一時期はこれでは何のために働いているのかわからないほどだった。何より子供か仕事か、いつも二者択一をさせられていることは精神的にもかなりきつく、毎日が綱渡りだったのだ。
 だからそんな玲子の苦労を知っているだけに、由利はこれまで母親に対して強く出ることができなかった。
「だけどあたしはママみたいにバリバリ勉強して、バリバリ働いてっていうキャリア・ウーマンタイプじゃないもん。たとえママの言う通り勉強しても、帝都大学なんか逆立ちしたって無理だし。それにそこそこの大学へ入ったとしても、あたしはママみたいな理系女子じゃないし。かといって法学部とか経済学部なんかへ進学するのなんか絶対に嫌。興味ないもの」
「由利・・・」
「うん。それにママは最近、平日は仕事を一生懸命して、お休みは信彦さんと過ごようになったじゃない? あたしはひとりで家で過ごすわけだから、結局のところどこにいたって一緒じゃないかな?」
 痛いところを突かれて玲子はくちびるをかんだ。玲子は六歳年下の男と交際しており、そこは娘も納得してくれていると簡単に考えていた。しかしまだ思春期のただ中にいる娘は、そんな母親のあけっぴろげな態度に傷ついていた。
「由利! 信彦のことは謝るわ。前にも言ってあるでしょ? 信彦が嫌なんなら、嫌と言ってちょうだい」
「違うの、ママ。あたしは何もママたちの仲を邪魔したいんじゃないの。だけどもう、こんな生活、正直疲れた」
 たしかに玲子ひとりでは掃除や洗濯など日常のこまごまとした家事までには手が回らず、家政婦を雇っていた。だからといって、それで家にひとり残された由利の孤独が癒せるわけではない。玲子は自分の愚かさ加減にほぞをかみたい気分だった。
 もっと娘と一緒にいるべきだった。だが今更後悔しても仕方がないことは、玲子が一番よく解っていた。
「あたしはもう、これ以上ママを待ちたくない。初めからママに期待さえしなければ、もっと気持ちも楽になれるはず」
 聞き分けのいい娘は、初めて本音を漏らした。
「・・・だからといって何も京都へいくことはないでしょう」
 どうにかして玲子は娘を引き留めようと必死だった。
「お願い、由利。どうか考え直してちょうだいよ。信彦とは絶対に結婚しないし、別れろっていうなら、今すぐにでも別れるわ。ママにとってこの世の中で一番大事なのは、由利以外にはないのよ」
 玲子の懇願を聞いているのは身が刻まれるように辛かった。だがここで負けてはならないと由利は自分に言い聞かせた。
「うん・・・うん。ママ。ありがとう。あたしもママのことが大好きよ。そこは誓って本当。信じて」
 由利は興奮している玲子をなだめるように言った。
「でもね、そんなふうにママに何かを押し付けるのは嫌なの。ママはこれまであたしを育てるのに、ものすごく苦労してきたんだから、信彦さんと結婚するのもちっとも嫌じゃない。ママには幸せになってほしい。でもママのあたしに対する期待っていうのは、正直重い。あたしはママの希望通りの人間にはなれそうもない・・・だから、だから今は少しママから離れて、これから先の自分の将来についてひとりで考えてみたいの。これまでみたいにママにレールを引かれてその上を歩くんじゃなくて、自分の本当にしたいことは何かをじっくり考えてみたいの。ほら、ママはいつも自分の人生に主体性を持てって言ってたじゃん? それにあたし、自分のおじいちゃんにも会ったことないし」
 玲子とその実の父親である辰造は、絶縁状態にあった。
「そう、京都のおじいちゃんだって、あなたに急に来られたんじゃびっくりするわよ。まぁ、あの人にはあの人の都合があるだろうし」
「ん。でも手紙書いてみた」
 由利はひとりでもぬかりなく、着々と計画を立てて実行していた。これはもう引き留めることはできないのかもしれないと話している中で玲子は次第に観念したようだった。
「まぁ。それで、おじいちゃんは何て?」
「いつでも大歓迎だって。遠慮なく来なさいって」
「由利・・・。本当に私から離れて行ってしまうの?」
 いつもきりっと表情を崩さない玲子が、いつになく涙ぐんでいた。
「ママ、いつもありがと。感謝してる」
「感謝だなんて、由利。親子でしょ?」
「でも京都へ行ったって、親子であることは変わりがないんだし、あたしだって十五歳で半分大人でしょ? 自分のこれからは自分で決める権利があると思う」
 玲子は椅子から立ち上がって由利の傍まで行き、今では自分よりも背が高くなった娘の身体をぎゅっと抱きしめた。
「もう何でもできる大人ね。由利、わたしの可愛いユリちゃん。いつまでも小さい子供だと思っていたら、いつの間にかもうこんなに大きくなってしまって。でも誤解しないで。ママは確かにいい母親じゃなかったけど、由利を心から愛していることだけは本当よ。学費や京都での生活費はママがきちんと払うからね。それにお小遣いだって必要でしょ? お金が必要になったら、遠慮なく連絡してね」
nice!(2)  コメント(7) 

境界の旅人1 [境界の旅人]



予兆




 暗くて少し湿っぽい匂いのする古い玄関。それでも下駄箱の上には、祖父が自己流で活けた花が飾ってある。それは春の到来を控えめに由利に教えてくれていた。
 まだ馴染んだとは到底いいがたい式台に腰を下ろして、由利は三和土にきちんと揃えてあるスニーカーを履こうとした。初めてここへ訪れたとき、無造作に脱ぎ散らしたスニーカーを、祖父がなにも言わずにきれいに並べ直してくれたのだ。これまで全く気にもかけてこなかったが、祖父の生活ぶりを見て、改めて自分の行儀の悪さを自覚せずにはいられなかった。
 スニーカーに足を突っ込んだとき、ふとこれまでのように野放図に暮らしてはいけないことに気づいた。もはやひとりきりではないのだから。家の奥の方からカターン、カターンとリズミカルに響く手機の音がする。
「そうだ・・・。おじいちゃんに出かけるって言ってなかった・・・」
 由利はひとりごとを言うと、上がり框に腰を押し付けながら身体をひねり、奥に向かって叫んだ。
「おじいちゃん! おじいちゃん!」
「あいよー」
 孫娘の声に気づいたらしく、祖父の辰造は仕事の手を止めて返事をした。
「おじいちゃん? ねぇ、今からあたし、ちょっと散歩してくるから!」
「ほう、散歩か・・・」
「うん」
「どこへ行くんや?」
「えっ? とりたててどことは決めてないけど・・・」
 祖父はしばらく手を止めて考えごとをしていたらしく、会話に間が空いた。
「そんなら、御所のほうへ行ったらどうや? 児童公園の桜も、きっときれいに咲いてる頃やろ」
「御所? 児童公園ってどこ?」
「御所はな、京都御苑のことやで。児童公園ちゅうんは、昔、近衛さんの屋敷があったところや。そこの桜がな、糸桜ちゅうて昔から有名なんや。あすこは咲くのが早いから、そろそろ見ごろやないかな」
 由利はポケットに入っていたスマホで場所を検索した。
「ああ、おじいちゃん。児童公園って京都御苑の一番北の場所だね」
「そうや。今出川通りを挟んで道の反対側には、同志社大学と相国寺があるんやで。すぐにわかる。けど、あんまり遅うならんようにな、由利。晩ご飯までには帰って来るんやで」
 晩ご飯。
 由利は昨日、祖父が台所に立って手料理を作っているのを見た。これまでの由利にとって食事というものは晩ご飯に限らず、コンビニやスーパーで弁当を買い、ひとりで食べる行為だった。
「夕ご飯作るの、おじいちゃん? それじゃ、あたしもご飯作るの、手伝わなくても大丈夫?」
「ええ、ええ、かまへん。今日は豆腐屋がこっちへ回って来よったからな。晩は湯豆腐やし、簡単や。そんなん、気にしんと行ってきよし」
 この辺りは驚いたことに、昭和の時代さながらに、パープーとラッパを鳴らして豆腐屋が豆腐や油揚げの入った台車を押しながら売りに来る。それに辰造がそれとなく自分に気を配ってくれるのが、今の由利にはうれしかった。
「うん。じゃあ行ってくる!」
「気ぃ付けてな」

 由利はグーグル・マップを見て御所への道順を確認した。御所は由利の家から見て東にある。
「ン・・・と。ここが堀川通り、そして烏丸通りか・・・」
 京都は知っての通り、東西が碁盤の目のように区画がなされている。由利が住んでいるところは西陣といわれ、いわゆる織物の街である。昭和三十年代の西陣は、都市銀行がずらりと並んだ活気ある街だったらしいが、現在はかつての賑わいを想像することさえ難しい。
 家から東のほうへ向かうと、すぐに大きな通りに出る。そこが堀川通りだ。
 信号を待ちながら由利は手元にあるスマホの画面を見て場所を確認していたが、ふと顔を上げるとなんだか周りの空気が変わったように思えた。
「あれ・・・。ここってこんな感じだっけ?」
 由利は今自分が見ている風景に、どこか違和感を覚えた。
「ここってずいぶんとクラシックな街だったんだなぁ・・・」
 堀川通りに掛かった横断歩道を渡り、京都御苑のほうへ向かうにつれ、街はどんどん鍾馗の魔除けが付いた黒瓦に格子の桟の純然たる日本家屋ばかりになってきた。これがずっと京都に住んでいる人間だったら、今自分が歩いている空間がいかに異様であるかを一発で気づけただろうが、あいにく由利は、昨日、東京からこの京都に来たばかりだった。

 さらに烏丸通りを越えて、京都御苑の入り口のひとつである、乾(いぬい)御門をくぐると、鬱蒼とした木立の中に見事としかいいようのない桜の木がいくつもいくつも植えられている。この御苑の桜は日ごろよく見かけるソメイヨシノとは違い、そのほとんどが色の濃い枝垂れ桜だった。それぞれに微妙に色調が違い、中には紫に近いものもあった。しかしどれもこれも小さな花弁が上から下へと滝のように流れている。
「うわぁ、キレイ・・・」
 由利は思わず感嘆の声を上げた。
 だがこれほど壮麗な桜の苑なのにもかかわらず、由利の他にも人の影ひとつ見られない。普段なら家の外へ一歩でようものなら、観光客があふれているものなのに。
「うーん、なんか変だなぁ。ここって観光客も知らない穴場なのかな・・・」
 由利は思わず首を傾げた。
 それに先ほどスマホで確認した、児童公園らしきものも見当たらない。不審に思いながら先を急ぐと、急に視界が開けた。
 ここはどうも公家の邸の敷地内のようだった。よく見れば、庭に向かって開け放されている屋敷の大床に、この邸の当主と思しき男が奥方らしき女と一緒に座っていた。
 広く手入れ行き届いた庭には、大の男が両手で抱えてもなお届かぬほどの太い幹を持つ桜が幾本もあった。それらのいずれもが長い花房をつけた枝を幾本も垂らしていた。その傍には朱に塗られ内側を五色の糸でかがられている野点傘が、花の木ごとにいくつも掲げられていた。
 そして鮮やかな緋毛氈の上には、絢爛豪華な打掛の衣裳の女性や、直衣に烏帽子を付けた男性が座っていた。そして三々五々と酒を酌み交わしながら、この壮麗な花見の宴を楽しんでいる。
「なに、これ? コスプレ大会?」
 コスプレと一口にいっても随分とお金がかかっていそうだ。衣裳も見るからに高そうな金襴が使ってあるようだし、鬘もそんじょそこらの安物には見えない。それに紅毛氈に広げられている杯やお重は、黒い漆に金の蒔絵が施されていた。由利は関心しながら邪魔にならぬよう、花見を楽しむ人々の周囲を遠巻きにして歩いて行った。
「へぇ~、本格的! みんな役になり切っているじゃない」
 人々を観察していると、単に衣裳が本格的というだけでなく、所作も板についていた。箸やお皿の扱い方、そしてたもとに手をやるさりげない動きはまるで時代劇を見ているようだ。これは一朝一夕にできるものではないことぐらい、素人の由利の目からみても明らかだった。
「すごい・・・! これってもしかしたら、コスプレじゃなくて何かのドラマのロケなのかな」
 だがドラマのロケにはつきものの照明やカメラを操る人々の姿もない。
少し遠くのほうへ目をやると池があった。そのすぐ脇には一段高く作られた場所があり、そこには三味線、琴、尺八と和楽器を前にした奏者が三人座っていた。三味線を手にした女がおもむろに歌い出した。

 九重に咲けども花の八重桜
 幾代の春を重ぬらむ
 然るに花の名高きは
 まず初花を急ぐなる近衛殿の糸桜
 見渡せば柳桜をこき交ぜて
 都は春の錦燦爛(さんらん)たり

 曲に合わせて目にも綾な衣裳を身にまとったひとりの男が、扇を手にして舞い始めた。歌われている詞(ことば)は文語体なので、高校にもまだ入学していない由利にはよく理解できなかった。だが『近衛殿の糸桜』というのは、かろうじて聞き取れた。
「へぇ、ここって歌にも謳われるような有名なところなんだ・・・」
由利は非日常的空間が突如として現れたことにあっけにとられながらも、半ば陶然としてその光景に見入った。
 だが日ごろ慎重な由利は、そこでいつもの彼女にあるまじき決定的な誤りを犯してしまった。
 もっと舞をそばで見たくなり、つい太秦の撮影所の中にでもいるような気になって、大胆にも座っている人の中へ足を踏み入れてしまったのだ。すぐにいきり立った侍の恰好をした男に咎められた。
「女! おのれは一体誰の許しを得て、この場に入った?」
「えっ? 京都御苑って入るのに許可が要ったんですか? ごめんなさい、知らなくて・・・」
 男の度外れに高圧的な態度に気圧されながらも、もしやこれは主催者側のその場の雰囲気を壊さぬためのパフォーマンスなのであって、近年流行りだしたコスプレ必須で高額な有料制の花見の宴に紛れ込んでしまったのかもと、由利はとっさに思った。
「下﨟が! なんと心得る? ここは近衛さまのお屋敷じゃぞ? しかもそんな珍妙な恰好をして・・・」
 男は由利の無礼をなじっていたが、一瞬ことばに詰まると、ハッとして由利の顔へ目を走らせた。
「おい、おまえ。もしかして人間なのか?」
 気が付くと、周りの人間がしゃべるのをやめて、一斉にじっと自分に目を注いでいる。由利はそこになにか異常なものを感じ取り戦慄を覚えた。
「おい! 各々方、聞し召されい、こいつは生身の人間じゃ!」
 男は叫んだ。すると周囲は急に色めき立った。
「なんじゃと? 生身の人間? とすると生きの良い肝を食らうことができるのか?」
「おお、おお。生き胆など、久方ぶりじゃのう。思わず生唾が湧いてくるわ」
 そこに集った者たちが一様にさざめきあったかと思うと、優雅な花見の客から一転して、気味の悪い物の怪に変わった。
「きゃ~っ! 」
 あまりのことに、由利は思わず悲鳴を上げていた。
「な、な、何なの、これ?」
 その場から逃れようとしたが、むんずと足首を物の怪のひとりに掴まれて転んでしまった。物の怪の一群はじわじわと由利に近づいてくる。
「た、た、助けてえっ! だれか!」
 頭を手で覆い、ぎゅっと目をつむっていた由利の傍で声が聞こえた。
「おい、立て!」
 恐る恐る目を開けると、先ほどまで地唄に合わせて舞を踊っていた男が、自分に声をかけているのだとわかった。よく見れば、それは自分とさして年も違わないような少年だった。
「おまえ・・・なんだってこんなところに来たんだ・・・?」
 少年は呆れたように尋ねた。
 この人はあたしを助けてくれるんだろうか、由利は微かな希望の光をその声に見出そうとした。だがそれにしては、少年の顔はいやに冴え冴えと冷たい。
「なんだってって、言われても・・・。あたしだってこんなとこ、来たくて来たんでは・・・」
「まぁ、そりゃ、そうだろうな・・・」
「お、おまえ・・・」
 少年は自分のほうへ向けた由利の顔を見ると、一瞬驚いたように目を見張った。だが次の瞬間には、表情はもとの冷ややかなものに戻り、そして決心したように言った。
「参ったな・・・普段は決して助けたりしないんだが・・・今回だけは例外だ」 
「何をぐずぐずしておる、三郎! その娘をよこせ!」
 少年は倒れたまま由利の前にさっと立ち、物の怪たちを相手にした。
「これは、わたくしめが自分のために用立てて、召し使っている者にございます。今回は何卒ご容赦を」
「いや、人間の生き胆を食らうと二十は若返るというでな。三郎、黙ってそれをわしらによこせ!」
 物の怪たちは狂ったように叫んだが、三郎と呼ばれた少年は、胸元から扇を取り出すと、片手でぱっと広げて謡を謡った。

 花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎(とが ※)にはありける
     ※ 他人が非難するのももっともな、欠点・過ち、けしからぬ行い

 たもとを広げて静かに舞う三郎のもとへ、まるで引き寄せられたかのようにさらさらと、桜のはなびらが宙に風に舞い上がった。由利は恐怖に凍り付きながらも、金砂が蒔かれた色鮮やかな絵巻物のような光景に目を奪われていた。
 そしてそのあと、少年は誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
「たとえ生身の人間が、花に引き寄せられてここに参ったとしても、それはそれであわれなこと。引き寄せた桜にも咎はなかろうが、引き寄せられた者とて咎はないはず。見逃してやれるほどの度量を持たなければ・・・。それがたとえ人外のものと成り果てたとしてもな」
 だが物の怪たちはそんなことには構っていられない。我も我もと由利をめがけて襲い掛かってこようとする。
「消えよ!」
 少年が一喝して扇をかざすと、物の怪たちは強い光に吹き飛ばされて、急に視界から消滅した。
「えっ? これは一体どういうこと? あなた、何をしたの?」
「結界を張って、違う次元に逃げ出したのさ。だがそれもほんの一時のこと。あまり時間がない。さあっ、立てっ! おれと一緒に走るんだ!」
 少年は疾風のように駆けていく。手を引かれながら由利も必死になってその後ろを走った。やがて通りに面した今出川門のところまで来た。
「今からおれの言うことをよく聞けよ。まずここから急いで鴨川まで走っていくんだ。いったん川を渡ってしまえば、あいつらは追って来られない。本当は幸神社(さいのかみのやしろ)に寄ってから、鴨川へ出て欲しいところなんだが」
「え、さいのかみのやしろ? そんなとこ、あたし知らない!」
 息を切らせ、由利は泣きそうになりながら答えた。少年はそれをちらりと横目で見た。
「ふ・・・。じゃあ、とりあえず東に向かって走るんだ、そしたら大きな川に出る。そこからタクシーを拾え!」
「えっ、だってお金持ってきてないよ」
「そんなの、後から家の人に払ってもらえ。いいな」
「うん」
 由利は黙って首を縦に振った。
「まず、車で北大路まで北上して、そこから西に向かって西大路まで行ってもらうんだ。そして一条通りまで下がったなら、そこから改めておまえの家へ向かってもらうように運転手に頼め」
「なんでそんなに大回りしなきゃいけないのよ?」
「さっきみたいな魑魅魍魎に、また襲われたいのか?」
 三郎はまたちらりと冷たい一瞥をくれた。
「い、いやよ!」
 由利は即答した。
「じゃあ、黙っておれの言うことを聞くんだな」
「あ、は、はい」
 そういわれてしまって由利は、三郎のことばに従うしかない。
 別れ際に少年は、由利の額に手を当てて不思議なことを言った。
「今のこと、そしてわれのことは忘れよ」
 気が付けば件(くだん)の少年の姿はかき消されたようになくなっていた。気が緩んだせいか涙が後から後からこぼれてくる。それでもとりあえず由利は言われた通り、鴨川にまで走ることにした。
「なに、今の? ただ『忘れよ』って言ったって、あんなこと、記憶喪失にでもならない限り、忘れられるわけないでしょ? 妖怪に襲われたんだよ、あたし」
 

nice!(2)  コメント(6) 

ある意味『乙な店』 [雑文]

みなさま、こんにちは~。

今日はちょっと面白い話をしようと思います。

実はわたしのかわいい婿が4月にイギリスから帰国いたしまして、
ささやかですが、家族で歓迎パーティらしきものをどこか、おいしい店で
しようということにしていました。

で、場所は娘が友達と一回一緒に行ったらとてもおいしかった、ということで
そのお店にいたしました。

なんでも、ベトナム料理にタイ料理にフランス料理をするところで、
予約のお客のみ受け付けるとのことでした。
何度娘からきいても、店のコンセプトがわかりませんでした。

「タイ料理とベトナム料理っていうのは、なんとなく近いからって意味でわかるけど
どうして急にフランス料理に飛躍すんねん?」

あ~、娘にそんなことを聞くほうが間違っていました。

当日
4月にしてはとてもとても寒い日でした。

娘からラインがきて
「〇〇のところで待ち合わせね」

私はそれをみて
「直接店に入って待ってりゃいいのに」
と思ったのですが、実際出向いて娘の意図したことがやっとわかりました。

その店は一種の「隠れ家」的存在の店でして、
看板も表札も何も上がっていないので、
外からは絶対にわからないのです。

予約した時間より五分ほど早めに行くと
なぜか店主の友人という人が店を開けてくれました。
その人曰く、
「あ~、すみません。今店主は、タマゴを買いに外出しておりまして…」

その時、私の目は点になりました。
こういった仕込みみたいなものは、午前中にするか、
あるいはランチが過ぎたもっと早い時間にするものではないのかなぁと。

ま、わたしも古い人間になりつつあるので、
最近の人はこういうもんなのかなと一応納得して店内に。

部屋に通されたので、部屋にかかっているフックに来ていたコートをかけ、
テーブルの空いていた椅子に持っていたバッグを置きました。

すると店主が帰ってきたらしく、わたしたちのほうにくると
「いらっしゃいませ」とか「お待たせしてもうしわけございません」
でもなく、
「あ~っ!! このフックは、〇〇するためのものであって、
服をかけるためのものじゃないんですよっ! 廊下に出たところにある
フックに掛けなおしてくださいっ!」
「かばんは椅子に置くんじゃなくて、こことあそこに入れる箱があるんで
そこに入れてください」

ってアンタがやるんじゃないくてセルフかよって、そこでまずびっくり。
しかもニコリともしない。口調はめんどくさそうに言うんですよ。

そして、店主がメニューを持ってきたのですが、
今はやりのタブレット。

なんで、タブレットなんだ?

それでもって非常に見づらいんだよね。

店主にしかわからないメニューのマイ・ルールを説明されても
ちんぷんかんぷんです。
言っとくけど、わたしは理解力はその辺の人間より、ずっと優れているんだからね。
わからないのは、あたしのせいじゃないです。
しかも
「四人なら四人用の一括メニューがありますんで、それを
参照してください」

このオヤジそうとう来てんなと思いながらも、
なんとか四人で和気あいあい(!)と選び、
待つこと一時間。

ちょっと! サラダごときになんで一時間以上もかかるのだろうと
思いながら、それでもせっかくみんなで集まったんだしと
お互い、自分のイライラをなだめながら、雑談しておりました。

でもね、たのんだのは単なるニースサラダなんだよね。
タマゴがなくて生卵から茹でたのにしろ、これはちょっと時間がかかりすぎじゃないかなぁ。

で、ひとつひとつの料理は、ひとつひとつ、急ブレーキをかけたように、
ガッタン、ガッタンと大揺れしてやっと出てくるって感じなんだよねぇ。

で、この店に来てわかったことなんだけど、
この店のフランス料理というのは、本当のフランス料理じゃなくて
北アフリカ料理なわけよ。
クスクスとかさ、クミンとかちょっとアラビアっぽいわけ。

そこでやっと「ああ、なるほど。この店はフランスの植民地料理をサービスする店なのか」って。

ほかにもいろいろと、牛肉のビール煮とか、
肉の塩漬けにシュークルート添えとか、
アンディーブのハム巻きのグラタンとか
カスレとか
タジン料理とか出てきましたが、

はっきり言って、全部アチキが作れる料理じゃんよ!


しかもアチキのほうが、この店主より味付けうまいぞ。
それに、手際も早いし。




だいたい二週間前に予約してるんだから、
どうして四人来ていて、あんなふうに尊大に「オラオラ、タブレットめくらんかい!」って
言っていたくせに、
どの料理も四人前なかったのはなぜなのか?

それならさ、電話で予約したときに、「仕入れの関係上、メニューを今、お決めくださいますか?」
って言わないんだろう?解せぬわw


何でも予約したのは、娘なんだけど、そのとき
普通なら「ハイ、〇〇でございます。ご予約でございますか?」って
普通なら聞くのに、「もしもし」だけであとは無言なんだってよ。
仕方なく娘が「あのぉ、予約したいんですけど」
っていうと普通なら
「ありがとうございます。それではお日にちとお時間、そしてお名前をお聞かせできますか?」っ
て誘導するじゃん?
全くフォローなし。
仕方なく、娘が「あの、すみません、〇〇日、の〇時に四人、予約お願いします」
って言ったんだって。そしたら
「名前は?」
「えっと、〇〇です。(〇〇は山田とか鈴木とか、よくある一般的な名前)」
「名前を言うときは、もっと大きな声でゆっくり言ってください!」

わたしの血が濃い娘は、かなりムカついていたらしいんだけど、
根が優しいので
「〇〇〇です」
「漢字は?」
なんなんだ、この傍若無人さは?
なんなんだ、このサービス業に似合わぬ尊大さは?

帰りのタクシーでは
心優しい夫を除いて、私、娘、婿で悪口大会でした。
「ちょっとありえない対応じゃないかった?」
「いや、ネタとしては面白かった」
「あれは一種のコミュニケーション障害じゃないの?」


京都は味もサービスもみなしのぎを削って
切磋琢磨しないと生き残れないところ。


一年後も店が存続していたら、ある意味すごいですが、
まぁ、客のことを一切忖度しないオヤジがやっている
こわい店というコンセプトで押し切れば、
続くかもしれない…?


神のみぞ知る。













nice!(2)  コメント(0) 

ハンガリーのクルチザンヌ 『薔薇は死んだ』 [読書・映画感想]

274333_1449772373_5962 (1).jpg



昨日、アマゾンプライムにて映画を視聴しておりました。

見ていたのは、コレです。
『薔薇は死んだ』って映画です。

制作はなんと珍しいことにハンガリーなのですね。
私はハンガリーの映画って初めて見るかもしれない。
結構雰囲気のある、素敵な映画でした。

このお話は第一次世界大戦前のハンガリーの話ですね。
だからまぁ、年代的に言えば、1915年ぐらいの話かな。
ハンガリーはその当時、ハプスブルグ帝国の一部に属していたのですね。


まぁ、出てくるのはクルチザンヌ(高級娼婦)、つまりヨーロッパにおいては
必要不可欠な人種、半世界のヒロインです。


ゾラの『ナナ』なんかを読んでみるとわかるんだけど、
たいていこの手の女って「女優」を名乗っているよね。
で、パトロンが大金持ちの旦那です。


映画を見ているうちに、いくつかのことと対比させていました。

これを見ていると、どうしてもジェレミー・アイアンズとオムネラ・ムーティが主演した
『スワンの恋』を思い出さずにはいられなかった。

これも同じ、高級娼婦とパトロンの話です。

どっちもおんなじ立場ながら、パリってところはやっぱり垢ぬけていて
ドレスにしろ、宝石にしろ、このハンガリーの娼婦のものより
どれも桁がひとつほど違うな、って感じがした。

『スワンの恋』をみたときは、私自身が二十歳ぐらいだったけど、
「うわぁ、素敵だなぁ」って素直に憧れました。


パリのほうでは、カルティエかショーメあたりであつらえた
ダイアモンドのネックレスをさらっと旦那がクルチザンヌプレゼントするのに対し、
ハンガリーの旦那のほうはなんとな~く暴君で、
それなりに高いんだろうけど、スワンがくれるようなデラックスなものはくれない。

パリの高級娼婦が住んでいる館は、小ぶりながらも
すんごくハイセンスなおうちで、オスマンのパリの大改革が終えたばかりのせいか
家具にしろ、床板にしろ、壁紙にしろ、きれいなのよ。新調されていてね。

でも、ハンガリーの館は贅沢なのかもしれないけど、
古いものをそのまま使っているような感じで、
なんとなぁく、全体的にぼろっちい感じがした。

なんとなくこれが当時の国力の差なのかなって
そういうことにずいぶんと感心しながら見ていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ふたつめは、高級娼婦の館で下働きをすることになった少女のことね。
たぶん18歳ぐらいかなって思うんだけど、
そりゃあまあ、別嬪さんなの。
お肌がつるつるでピカピカで真っ白で、
こう匂い立つような清冽な美しさっていうのかな、
若さだけが持ち得る魅力というのかな、
そういうのがものすごく強調されていてよかったです。


でも、こういう「若さ」に付随した美しさって他の女優さんだってあるわけで
小川洋子原作の『薬指の標本』に主演していた、オリガ・キュリレンコや
『真珠の耳飾りの少女』に出演していたときのスカヨハも同等美しさがあったです。

でね、このカトゥちゃん、ものすごく目が大きくてかわいい顔をしているんだけど、
見ているうちに「あ、この顔、どこかで見たような顔だなぁ」って思っていて
それはね、ルーベンスの最初の妻、イザベラ・ブラントにそっくりなんですよ。


images.jpg
peter-paul-rubens-isabella-brant-rubens-first-wife-1621_u-L-P13UQX0.jpg


C2nhrwLUQAY5itM.jpg

この女の子、カトゥっていうんだけど、(ドリフターズのカトちゃん?)
おそらく、カトリーヌかキャサリンという名前をハンガリー風につづめたものだと思います。
この子は粗末な身なりで、編み上げブーツを履いているんだけど、
一瞬、その華奢で細い足首が写るんですよね。(ブーツ越しにですけど)
それがなんともいえないほど、魅力的なの。
脚で殿方を悩殺できるわってかんじかな。



まぁ、こういうたぐいの話はほかにもコレットの『シェリ』だとか
ほかにも探せば似たような話はあります。

たいていものすごい美少女だけど、貧しい娘が
こういうふうに貴族かブルジョアの男の妾になって
贅沢三昧するんだけど、

どうしたって、その美貌は歳とともに衰えていく。
この映画のヒロインである、クルチザンヌのエルザも35歳なのよね。
憂いを帯びた美人なんだけど、
もうすぐその賞味期限も切れそうだなって感じの美貌なんですよ。
崩壊一歩手前っていうかさ。

だからこういう終わり方、よくあるだろうなって感じでした。

そういう意味でも『スワンの恋』のオデットは、あの手この手で
スワンを惑わして、めでたく奥方の地位をゲットするんだから
やっぱりどえらい女だなって思ったの。
nice!(1)  コメント(0) 

オーストラリア [読書・映画感想]

ダウンロード (3).jpg




昨日、以前から「いいよ」と言われていた「グレイテスト・ショーマン」を見ようと
アマゾン・プライムに行ってみると
残念なことにもう終了していました。

本当はドラマを見てもよかったのですが、
でもドラマって見るまでがなんとなくおっくうになりがちです。



というわけで、HULUでもうすぐ終了になる『オーストラリア』を見ました。

主演はニコール・キッドマン。
わたしの大好きな女優さんです。

結構男勝りの女傑、みたいな役どころをさせるとうまい。

彼女は長身で、おそらく180センチと世間的には公表されているけれど、
おそらく逆サバを読んで本当のところは182センチくらいだろうというのが
世間で通っている噂らしいです。

それにただ美しくて勇ましいというだけじゃなくて、
こう包み込むような母性溢れた演技力、
そして、持ち前の何とも言えないかわいらしさっていうのが
この女優さんにはありますね。

しかもやはり主役を張れるだけの、
華ってものを持ち合わせているように思いますし、
途中でダンス・パーティのシーンがあるのですが、
スタイルのよい彼女が素敵なドレスを着ていると映えます。

そして見るまでは知らなかったのですが、
ニコール・キッドマンの恋人役には
まさかのヒュー・ジャックマンでした。
ニコール・キッドマンのお相手をする男性って
ほとんど190センチ近い超高身長の男性がほとんどですw

~~~~~~~~~~~~

さて、ですね。

この『オーストラリア』という映画ですが
タイトルの通り、第二次世界大戦中のオーストラリアを舞台に、
話は進んでいきます。

この映画はレディ・アシュレイことニコールキッドマンと
ドローヴァー(牛追い)こと、ヒュー・ジャックマンの恋を縦軸にして
いろんな話が重層的に織りなされているのです。
大きく言えば、この映画のテーマは『差別』でしょうか?


ふたりの素敵な恋の話は、実際映画を見て楽しんでいただくとして
ここでは差別について少し、語っていきたいと思います。

hyujakkumann.jpg


いろいろとこの映画には差別が出てきます。
女への差別、人種差別、階層的な差別 。などなどなど。

差別というのは「差別する側」が「差別してやろう」とか「悪いことをしてやろう」という
意識が全くない、というのが一番罪深いっことなのですね。


「やって当然」とか「そうするしか自分たちの安寧は守られない」
あるいは「こうするのが相手側にとっても幸せはなず」
「社会的な秩序が守られるためには仕方がなかったんだ」

ってことを言いがちです。
ですがこういう意識が行きつくところまで行くと
戦争になる、ってことをよく覚えていてほしいのです。

戦争とはどちらの側にも「大儀」があり、どちらの側にとっても「聖戦」です。
どちらも自分たちのほうが「正しい」と信じて戦っているのですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~
で、このオーストラリアで取り上げている大きな差別とは何なのか?
それを少し説明したいと思います。



オーストラリアは『白豪主義』っていうのを 貫いていました。

『白豪主義』って聞きなれない方のために、一応説明いたしますと、
「オーストラリアにおける白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策」とのことです。
つまり、白人が入植するまでオーストラリアには先住民族であるアポリジニの土地でした。
ですが、白人が様々な手段でアポリジニを駆逐していこうとしていたのですね。




で、この映画の大きな骨子になるのですが、
『盗まれた世代』と呼ばれた人々がいます。
どういう人たちかというと、アポリジニと白人の間にハーフの人たちのことです。

国はこういう混血の子供をアポリジニの親元から引き離して
一か所にまとめ、
白人と同じ価値観の教育を受けさせようとします。


でも一見、無知蒙昧なアポリジニにから文明の開けた環境で育ててやるんだから
結果的にいいじゃないかと思われるかもしれませんが、 本当はそうではありませんね。

だいたいにしてアポリジニの人々を「無知蒙昧」とか「文明を持たない」と思っているのは
上から目線の白人たちなのであって、
アポリジニの人たちは自分たちの伝統や文化に沿って 生きているのです。

文化の多様性というのを全くもって認めようとしない きわめて視野の狭いものの見方でしたが、
当時はそれが当たりまえでした。


そしてまたこれには裏の側面がありまして、
白人はこういう中途半端な人間をそばに置いておきたくなくて、
「教化する」という体のいい名目を使って
アウシュビッツのように収容していただけなのですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

レディ・アシュレイの牧場には
ひとりのアポリジニと白人のハーフの子供がいるのです。
名前は『ナラ』といいました。

どうやって生まれたかというと、白人男性がアポリジニの女性を強姦した結果、
生まれた子供なのです。

レディ・アシュレイはこのナラを非常に愛しく思い、
わが子同様に育てます。
でも当局の手が伸びて、
執拗にナラとレディ・アシュレイを引き離そうとするのですね。



レディ・アシュレイが「正式に縁組してこの子は、私の子供として
責任をもって育てる」と言っているのに、
「女のたわごと」として世間は非常に身分が高いレディ・アシュレイといえど、
本気で取り合おうとしないのです。

それがまぁ、女への差別ですよね。


レディ・アシュレイで『伝道の島(世間から隔離された一種の収容所)』に連れていかれそうになっているナラに取りすがって、話されまいと懸命になっているのに、それを見守っている人々の目は冷ややかです。
「貴族のくせにみっともない。みんなの前で愁嘆場をやらかして」
こういう場合、女性のほうがさらに差別に追い打ちをかけますね。



ですが、反対に言えば、
白人で男性でさえあれば、こういった力の頂点に立つことができるので、
結構悪辣なことをしても、世間が容認しているってことが
非常に恐ろしいなと思いましたね。

ちょっと前の世の中というのは、そういうことが当たり前の世の中だったんですよ。

今じゃ生まれたときから参政権はあるし、財産の相続も認められる、
男と同等な教育も受けることができる。
(とはいえ、まだまだ差別というものは、この世からなくなってはいませんが)

ですが、これは過去にレディ・アシュレイのような女性たちが
孤独に耐えながらもひとつひとつ、勝ち取ってきた尊い権利なのです。




そして一度はアポリジニの女性と結婚していた
世間的に見れば脱落者であるドローヴァー(ヒュー・ジャックマン)
とナラを取り返しに行くという話でもあるのです。

この三人は全く血のつながりはありませんが、心情においては
レディ・アシュレイは母親だし、ドローヴァーは父親なんですよ。

331364_009.jpg


~~~~~~~~~~~~~~

そしてもうひとつ、大事なことがあります。
アポリジニとしてのアイデンティティということでしょうか。

実はナラのお祖父さんは、なんというのかなぁ、
一種の賢人というか、魔法使いというか、
そういう神聖な人なのですね。

裸にふんどし一丁という姿ですが、
荒れ果てた大地にフラミンゴのように片足だけで立っている姿は
威厳に満ち溢れています。


この人は神の声が聞ける人なのですね。
ま、一種の預言者なのです。




アポリジニの子供はある年齢に達すると
旅に出なければならないのです。

それはアポリジニとして生まれた男の子なら
どんな子でも体験しなければならない
通過儀礼でもあるし、
またそれを潜り抜けたことで、
一人前の男になっていくのですね。

レディ・アシュレイは母性の人ですから
自分の息子から引き離されるのを拒みます。

ですが、ドローヴァーは男ですから
そういう通過儀礼の大切さを身をもってよく理解しています。

「行かせなければならない」って
レディ・アシュレイを諭すんですね。

やはり男と女の役割ってそれぞれあるんだなぁって
見ていて決壊していました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ニコール・キッドマンは『ライオン』っていう映画でも
インド人の孤児を引き取るオーストラリアの女性の役をしていました。

また実生活においても、養子をふたり育て上げています。

血がたとえつながらなくても、親子の絆はつなぐことができる、
そしてまた、実際の血縁というものよりもずっと、
そういう精神的なつながりのほうが大事なんだと
映画を見る人に訴えかけているようにも思えるのですね。


nice!(3)  コメント(0) 

つれづれなるままに、最近のいろんなこと [雑文]

去年の夏からパソコンの調子が悪かったので、
買ってはあったのですが、とにかくセットアップするのが
超面倒臭くて、ずうっと放りぱなしにしておいたんですね。

小説書いてるときも、ワードで文章が吹っ飛んだってことも
何回もあったし、懲りてさっさとセットアップすればいいものを
それでも使い慣れたパソコンっていうのはありがたいもんなんですよねぇ。

しかし、そうやってだましだまし使っていたのだけれど、とうとう昨日、ご臨終になり
今日、いやいやセットアップしました。
ま、それでも夫が休日だったのでよかった~。
たいていやってもらっちゃったんだもん。
リージョンを探しているとき、なかなか日本が見つからなくて焦っていましたが、
南極、日本、米国の順に並んでいたので笑っていました。


noteについて少し書こうかなぁって思います。
たしかにね、noteってブログなんかよりもずば抜けて閲覧数が多いの。
だから、これまで「日々是好日」なんかで書き溜めておいた
読書感想文なんかはせっせとnoteのほうへ移しておくべきかなぁとも思い、
今、それを中心にやっているかなぁ。

だけど、noteはnoteならではの良さもあるけど、欠点みたいなものもあるんだよね。
なんかさ、下手すると自分のトリセツみたいなのを延々を書いている人がいたりして
そんなの全く興味ないから!って思うよね。
というか、ブログ的な日記として使うところじゃない、って思うのよ。

いやさ、そういうのも別に悪かないけど、そういう自分のぐちぐちした心情を語るには
なんていうのかな、かなりの文章力がいるんですよね。
たとえば太宰治みたいなね。
あの人の作品はみんな女々しい。だけど文章に品格があるから、
そういう女々しさを「いやだな」とは感じさせないんだよね。

文章にするには、自分の赤裸々な心境を一度第三者の目になって
フィルターにかける必要があるんだね。
いわば、それが世阿弥のいうところの「離見の見」ってやつじゃないかな。


私もこう、本当は自分のどろどろしたものをもっとここで語ってみたい
とは思うんだけど、どうもね、書いていると嫌な気持ちになってくるんだよねぇ。

だから、読む人はもっと嫌なものを感じるだろうと思うし、
やはり筆力がいることかなぁって思う。

まぁ、そうだね、noteって課金することもできて、
自分が一生懸命書いたというプライドがあるものをよそさまに披露するには
すごくいい場所なんだろうけど、

日々のタルい所感、つまり、いま書いているようなものだけど、
こういうのは自分のホームであるここで書くのがいいのかもって思う。

そうね、ブログはホーム、noteはアウェイって気がする。

でもね、noteってさすがにいろんなプロが集まっているだけあって、
課金するだけのことはある、っていう情報満載の記事って多い。
私も結構、買いました。


小説もまぁまぁ売れてます。
皆様も応援よろしくですわ。

ベルのほうも婿にドレス姿のOさまのイラスト描かせて、新作書いて、課金すべえかと
考えたりするこもありますけど(実行するかどうかはわかりません)


まぁ、好きなことを好きなままにやっていられるのがアマチュアの楽しさなんで、
これがプロだったら、本当に大変。
画家の娘を見ていると、つくづくプロって大変だなぁ、
芸術をお金にすることは、企画力、そして営業力、行動力、体力、などなどなど
人間力が本当に必要だなぁと思います。


nice!(3)  コメント(0) 

天正少年遣欧使節『MAGI』 ファンタジックに語られる四人の少年の物語 [読書・映画感想]

wJH9Y9ukZqQhMDXDXjN2FFIUb714uDQkkRpuneWlf8rZOCutXsMJhz8NYOzp742j.jpg


こんにちは~。今年は桜の花のモチが異様に長くて本当にいい春でした。
私は三月の下旬ごろに、『錦帯橋』の絵をかいて欲しいという、オーダーが入った
娘について行って岩国まで行ってきました。岩国の春も本当に美しかったです。
今年はいつも行っている吉野はやめにして、三井寺に行ってきたのですが、
三井寺ってこんなに桜が美しい所だったのですね、三井寺の山全体が桜色に染まって本当に
きれいでしたし、さすがに昔から名刹として名高いお寺だけに
伽藍も非常に立派でした。

ちょっとお茶目なのは「るろうに剣心」の看板が立っていて、
「ここで撮影されましたよ」って書いてあったの。
私は映画を見ていて「ここって高野山?」と思っていたので、
疑問が解けてスッキリしました。

京都は昔から何度も何度も火事で街が焼けてしまって、
意外とふるーいものって残ってなかったりしますが、
比叡山を越した、坂本あたりは、室町時代以来の古い以降とか
庭園などが残されていて結構面白いところです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて!
1月からずうっとずうっとパソコンに張り付いて、
来る日も来る日も小説を書いていたのですが、
三か月も書いていると、頭の中にあるものはすっかり出尽くした感じがします。
やはり気候がよいこれからの季節は
しっかりと外へ出かけたり、本を読んだり、ドラマや映画を見て、
内面を肥やすことに時間を費やしたいと思います。

さて、そういうわけで脱稿したあと、さっそくドラマを見ました。
それはじゃ~ん『MAGI』です。

これは私がAmazonプライムに入会しているので
見られる特典なのですが、
このドラマはAmazonが作ったもののようです?
(よくわからないのですが)

2019年1月から世界に向けて同時公開と書いてありましたので
比較的新しい作品でしょうか。

このドラマの主人公は戦国時代にイエズス会によって西洋に派遣された
四人の少年です。
「天正遣欧使節」ですね。

伊東マンショ、原マルティノ、中浦ジュリアン、千々和ミゲルという四人の少年です。
これって、歴史の教科書にもちらりと書かれていると思うからみんな一応名前だけは
聞いたことがあるわって思う人が多いと思うんですよ。

あたしもそれと全く同じで、
へぇーそういうのがあったんだ。ってぐらいしか知りませんでした。

で、今から10年ほど前かなぁ、
この四人の少年たちについて書かれた本があって
それで初めて、この少年たちがどうしていたのか全貌をつかむことができました。




クアトロ・ラガッツィ 上 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ 上 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

  • 作者: 若桑 みどり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 文庫



クアトロ・ラガッツィ 下 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ 下 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

  • 作者: 若桑 みどり
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/03/19
  • メディア: 文庫




作者は若桑みどりさんという方で、この方は学者さんなのですね。美術史の。
だから、非常に詳しいのだけど、ちょっと文章が難しくてなかなか読むのに骨が折れた本です。
それでも、この本は学術論文ではなく、一般向けに書かれた教養書だったから
読めたような(他のは挫折しています 汗)


ドラマでは「マギ」というタイトルをついていますが、これって
バックグランドを全く知らない人がみて「なんでマギ?」ってことになると思うんですよね。

で、マギとはそもそも何かっていうと、
キリスト教ではイエスが生まれたとき、星が大きく輝いて、
それを見た東宝の三賢者が「救い主になるような偉大な人物が生まれた」ってことを知るんですね。
それで、わざわざ東からえっちらおっちらとイエスのところに来るのです。
名前が、バルタザール、ガスパール、メリキオールといいます。


当時、イエズス会の東洋の巡察師であったバリニャーノという人は
極東の日本人の少年を「東方三賢者に見立ててローマに派遣してはどうか?」という
壮大な夢を思いつくんですよ。

で、だけど四人の少年とこの東方三賢者となんのつながりがあるの?って思いますよね。
私も思っていました。
当時は船に乗って、日本からヨーロッパへ行くのはものすごい大旅行でした。
途中で死ぬことも多かったみたいです。
ですから、本当は三人でもよかったのですが、ひとりはなんと、「スペア」だったんです。

スペア!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まぁ、外枠のハナシはこれくらいにしておきまして、
ドラマの中身を言いますね。

なんの前知識もなくても、このドラマって非常に楽しくて
ファンタジックでかわいらしいドラマだったと思います。

主人公の四人の少年はみんなイケメンでかわいらしい男の子ばっかりだったですし、
容貌が優れているので、日本人には結構恥ずかしい恰好である16世紀のヨーロッパの
エリザベス・カラーにカボチャズボンが非常によく似合っていた。

でも、貴人に拝謁するときは、皆本来の日本人の正装である裃を着るんですね。
それがまぁ、なんていうのかな、金襴で作ってあるのだけど、
みな花柄でピンクとか水色とか、まるで人形浄瑠璃に出てくる「お城の若さま」のような
かわいらしい恰好なんですよ。そこがまたよかったなぁと。

そして、四人の少年がいわゆる「カトリックの信仰に燃える日本人」という切り口ではなく、
「みんなそれぞれ他の目論見があって、カトリックを利用しているにすぎない」
というふうにきわめて現代的な視線で描かれていたのが、素直に共感できる気がしてよかったです。

マルティノは日本のコレジョ(英語のカレッジね)では一番の秀才で、
ポルトガルもラテン語もできました。
彼は広い世界に出て、いろんなことを吸収したいと思って出かけるんですね。

マンショは、戦乱の世で負けたある領主の息子だったようです。
ですが、一族郎党すべてを失った今、自分の生き方がわからず、こういう世を作った
信長に拝謁したいがためにキリシタンに近づいた少年として描かれていました。

信長に拝謁したとき、「イエスの愛とは何か」「自分がまっすぐに立っていられるためにどういう手立てを成すべきなのか」をしかとヨーロッパへ行って学んで参れと送り出されたのですね。


~~~~~~~~~~~~~~
しかし、ヨーロッパへ行っても、そこには日本とは違う文明国家があるだけで、
キリスト教の宣教師たちが説く、イエスの愛を実践している天国はありませんでした。

そりゃそうですよね。キリスト教も仏教も根本的にはそんなに違わないものだと思います。
ただ、日本人が何に惹かれてキリスト教に改宗するかといえば、
宣教師の姿を見て、「キリストの愛の実践している」と思うからでしょうね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
少年たちは長崎からゴアへ行き、そこからアフリカの喜望峰を通り、北上して
ポルトガルのリスボンへいき、スペインのフェリペ二世に会い、
そこから、地中海で船に乗ってイタリアへいき、ボローニャに行き、フィレンツェへ行き、
ローマへ行ってローマ教皇に拝謁して帰るのですね。


史実では中浦ジュリアンは、マギに扮しているので、
教皇に拝謁できなかったとあります。

ですがドラマでは、教皇は「本当は三人ではなく、四人でやって来た」と知るのです。
すると、「なぜ、全員でやってこなかったのか。ぜひ私に会いに来なさい」
といって、中浦ジュリアンだけがひとりで、教皇に会うシーンがあります。

教皇はジュリアンをひしと抱いて「よくやって来た」と歓迎するのですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中浦ジュリアンは、本当は教皇に拝謁していません。
ですが、一番激しくキリシタンとして生きた人です。
たぶんですが、ローマに足を運んでいながら、
バチカンに行けなかったことが、彼の生涯に暗い影を落としていたのじゃないかなって
思うのです。

彼が、一番惨い方法で殉教される直前、こう叫んだといいます。
「われこそは、かつてローマに赴きし中浦ジュリアンぞ」と。

ですから、たとえフィクションでも
中浦ジュリアンが教皇に拝謁したシーンがあるのは、
ジュリアンにとって良かったと思えるのです。

Dx6MKMVXQAAaSt3.jpg



nice!(2)  コメント(0) 

こんにちは。最近あったうれしいこと。 [雑文]

こんにちは。

最近、とんとご無沙汰しております。
ちょこっと虚脱状態にあるっていうかね…。


婿が4月になってイギリスから帰ってきました。
やっぱり顔を見るととてもうれしいです。
彼とは馬が合うんですよね。

まぁ、もともと実力があるので、
すぐに再就職も決まったし。

いろいろとうれしいです。
nice!(3)  コメント(2) 

もうすぐ脱稿することができる!と思う。 [雑文]

こんにちは~。
毎日、ひーこら書いているsadafusaです。

あともう少しで脱稿できると思う!!!!!

はぁ~、実に、実に長く苦しい道のりでした。
話がいろいろと複雑なので、最後きちんとまとめられるかなぁ~と
ものすごく不安でしたが、
どうやら、きれいに収束できそうな予感(笑)

まぁ、とはいえ、脱稿ですから。
出来上がりじゃないのよね。

まぁ、基本的には6割ぐらい推敲しているので、
大幅な書き換え自体はないだろうと思うものの、
細かいところで文字や漢字の見直しはしなければらならぬのう、とは思うんですよ。

たくさんの人に読んでもらうのが一番うれしいんですが、
それでも自分の実力以上にうまく書けることもたまにあるんで、
そういうときは狂喜乱舞してしまいます。


脱稿して一か月ぐらいは、自分の好きな他のことをして
遊びます!

ドラマや映画みたいものもたくさんあるし、
本や漫画も読みたい。

ソーイングも長らくご無沙汰だったし、
編み物も止まったまま、

あ~、早く終わりたい~。

nice!(3)  コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。