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イイオトコの系譜 ⑥ [イイオトコの系譜]

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皆さま、こんにちは。

最近、ちょっとマニアックなトピばっかり上げていたら、
閲覧数すくな~い!

わたしのブログの中で結構人気があるカテゴリはこの「イイオトコの系譜」ですね。
では、久しぶりにこれをやらねばなりますまい!


⑤はさいとうちほさんの三神弦で終わっていたのだから、
もうちょっとさいとうちほさん色で行きましょうかね。

三神弦が前なら、次はこれかな。

アレクサンドル・プーシキン! & ジョルジュ・ダンテス!


さいとうちほさん特有のかっこよさを持つキャラクターですね。
このふたり、甲乙つけがたくかっこいいので、今回は二人まとめてってことで(笑)

なんに出て来るかといいますと、『ブロンズの天使』っていう漫画ですね。

ブロンズの天使 文庫版 コミック 全5巻完結セット (小学館文庫)

ブロンズの天使 文庫版 コミック 全5巻完結セット (小学館文庫)

  • 作者: さいとう ちほ
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: 文庫






さいとうさんのマンガってわりとひとりの女に男がふたり、っていう図式が多いです。
まぁ、それでひとりは黒髪でひとりは金髪って感じ。

時により、白(金髪)が主役だったり、黒が主役だったりするのですが、
たいていの場合、主役のほうがもう一方よりずば抜けて魅力的で、あきらかに読者の視点が
イケてるほうに注がれるのに対し、

この作品は黒も白もそれなりに力が拮抗していて、どちらがいいとも判じがたいのが特徴ですかね。

あ、今考えたけど、黒白拮抗している漫画は他にもあったわw
(それは『円舞曲は白いドレスで』『白木蘭円舞曲』『紫丁香夜想曲』のシリーズをお読みだください)

お話は、ロシアの押しも押されぬ大文豪、プーシキンとその妻ナターリア。そしてそのナターリアと道ならぬ恋をしてしまうフランス軍人のジョルジュ・ダンテスです。

プーシキンは若い頃から、サンクトペテルブルクの社交界に情熱的なプレイボーイとしてその名をはせていましたが、あるとき信じられないような美少女に出会ってしまうのです。
彼女の名はナターリア・ゴンチャローワ。

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そのとき、ナターリア16歳、プーシキン29歳かな。
すでにプーシキンは名達の恋の猛者なので、
本来なら恋もしたことのないような小便くさい小娘なんか、
洟もひっかけないはずなのですが、
その超弩級の美貌の前には陥落して跪くしかすべがなかった。

真っ白で透き通るような肌に完璧な美貌、黒黒としたブルネット。
そして、これまた完璧なプロポーション。

一説によりますと、ナターリアの美貌というのは、
おばあ様が北欧の人だったからというのがあります。
スラヴ美人もなかなか美しいと思うのですが、
すこし北欧のニュアンスが入っているとさらに美しかったのかなぁって思います。

実際に彼女の肖像画がありますので、貼っておきます。

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たしかにキレイですね。

ま、ナターリアがどんなにキレイだったかということはそこらへんまでにしておいて、
プーシキンはもうその美しさに心を打たれたのです。そして心奪われたのです。

プーシキンは作家ですから、常にインスピレーションが下りてくるのを待っているのです。
そして彼女を見てこう思うのです「ナターリアはこの世の美の概念の具現だ!」
彼女こそが天の啓示そのものだ!と。
大袈裟なようですが、彼女を見て、常にインスピレーションが湧きだすのであれば
そうなんでしょうね。


そして彼女がまだまだ子供で、恋を知らないことにとてつもなく安堵するのですね。
というのも、プーシキンは彼女を大事に大事に自分だけのものにしておきたいのです。
恋なんてなまじ知らないほうがいい。

う~ん、源氏と紫の上って8歳差でしたっけ?
ところが、プーシキンとナターリアはさらに13歳ほど差があるんですよ。
ロリコンだったんですかね。(笑)

ナターリアは紫の上と違って、美貌は超弩級でも中身はわりと平凡な女なのですね。
それなのに、若年にしてすでに大作家として有名だったプーシキンに乞われて、お嫁に行くのです。
(まぁ、それもすんなり嫁に行ったわけじゃないですけどね⇒詳しくは漫画を)



で、しばらくは平和な夫婦生活が続くんですよ。
ナターリアは夫婦になって、プーシキンがすごく優しい夫であることにホッとする反面
なんとなく失望に近いものも心に抱く。
「結婚って、なんだこんなものか、って感じ」

本当は、破天荒な生き方をこれまでしてきたプーシキンにとって、
ひとりの妻のために自分自身の貞操も守って、妻一人だけに愛をささげる
良き夫として生きるなんてこと自体が、
この人の本来性質に沿わない信条を自ら課していた、ミラクルなことだったのですが、
そういういきさつを知らないナターリアにとっては、
刺激のない夫であったことは確かなのですね。


かといって、ナターリアは精神病を患って軟禁されていた父親、
そして絶えず自分の不運を呪う母親を見て育っていたので、
自分から、この穏やかな家庭を壊そうという気はさらさらなかったのでした。
こういうナターリアを、プーシキンはもう嘗め転がすようにして、可愛に可愛がる。
なんでもかんでも、自分以上にうまくやりとげてしまうプーシキンをみて
ナターリアは早々と降参してしまうのですよ。
「もはや、わたしなんかの出る幕はないわ」
とこのように対して自己主張もせず、彼女はずっとプーシキンの可愛いお人形さんでありつづけたのでした。


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ところが、
ところがですよ。
運命はいつまでもナターリアをナターリアのままでおいてはくれなかった。

ナターリアが22歳のとき、目の前に美貌のフランス人将校が現れるんです。
すらりとした長身で、輝くような金髪に真っ白の軍服に身を包んだ彼の名こそ

ジョルジュ・ダンテス。

ダンテスはフランスの王党派だったのですが、マリー・カロリーヌ王大后が
不倫で失脚したのを見て、失意のうちに故国を去るのです。

しかし、もともとフランス人としての矜持を強く持っているダンテスは、このロシア行にはあまり乗り気ではありませんでした。
やはりダンテスにとってはロシアなんてフランスから遠く離れた、ヨーロッパの片田舎の三流国にしか過ぎなかったのです。

そこでダンテスはナターリアの完璧な美貌を見て、少し驚きはしましたが、
それよりも彼女の会話の野暮ったさに辟易してしまうのでした。


「フランス女ならば、こんなとき機転を利かせて、当意即妙でエスプリ溢れた会話が楽しめるのに、
 なんだろう、この野暮ったさは…」と思っちゃうのですね。それに彼女の夫は文豪で名高いプーシキンなのに、なぜ?

ですが~。恋っていうのは、往々にして、こういうネガティブな心情から入っていくものなのですね。
嫌い、というのは好きの裏返しなのです。いわゆるギャップ萌えというヤツでしょうか。

1%も脈がない場合というのは、無関心な場合をいうのです。
フランス女性のように自分が美貌であることを百も承知でコケットリーを振り回すのに対して、
このロシアの美女、ナターリアのなんとも素朴は風情はどうしたことだろう。
まるで、自分自身の美しさも知らず、人のいない森に咲いているすみれのようだと
ダンテスは却って自分をことさらに飾ろうともしない、ナターリアの純朴さに一種の穢れの無さというか、神聖さを感じて、心を打たれてしまうんですね。

そしてプーシキンが自分の妻をあえて機転が利くような教育しないでおくのか、実はそこにはしたたかな色好みのプレイボーイの究極の選択だったことにも気が付くのです。

はぁ、なにがきっかけで人は恋という深い迷路に迷うか知れたものではありません。



もともとダンテスもナターリアもそうですが、
恋愛体質ではないのですね。

だから理性では、
「プーシキンの美人妻なんか、最も恋愛に不適当な女だ、やめておいたほうがいい」
と思っているし、ナターリアはナターリアで
「あたしはそんな恋愛をして楽しめるタイプの女じゃない。あの人は危険だ」
と思っているのです。

ですが、ですが、運命はこれでもか、これでもかといったふうに、
心ならずも二人を近づけて行ってしまうのです。

ナターリアもダンテスもこれまで本当の身を焦がすような恋というものをしたことがない。

そして、この不可解な恋という火だるまの中にふたりして突っ込んでいくのですねぇ~。
そこらへんの心理描写がまた、何とも言えず、手に汗を握るような展開でして、
読ませるんですよねぇ。

それで、彼らは一度は駆け落ちを結構するのですが、
あまりに緊張しているのか、ナターリアはその晩、熱を出すのですよね。

ダンテスが彼女を抱こうとすると、ナターリアは今さらながら不義を実行することを恐れて
退けるのです。

そして、うわごとで「サーシャ…(プーシキンのクリスチャンネームであるアレクサンドルの相性)」と夫の名前を呼ぶのです。

ダンテスはこのとき、諦めてしまったのです。
きっと駆け落ちをして彼女をフランスへ連れて行ったとしても、決して彼女はそこで幸せにはなれないと。きっと故国から離れたら、子供や夫を捨ててきたことを責め抜き、罪悪感に縛られる一生を過ごさせることになるだろうと…。

そこで、思いっきり残酷な言葉で彼女を突き放すのです。

そこからは…もう、漫画を読むしかないですね。
こんなに緻密で深い心理描写を漫画で描きえた、っていうことにまず脱帽です。

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ナターリアにとって、プーシキンの結婚とは、身を焦がす大恋愛の末に結ばれたものではない。
ですが、この稀代の天才が夫であった家庭には常にやさしい春の日差しのような愛に包まれていた。
ナターリアも子供たちも親鳥が大きな翼を広げて守るように、いつもいつも彼の庇護下にいてぬくぬくとすることができた。

これほどの大きな愛を、裏切ろうとしている自分はなんと身勝手な人非人なのかと、ナターリアは戦慄するのです。

ですが、プーシキンも自分の妻の恋に気づいていたのですが、嫉妬ゆえなのか、彼女をわざとダンテスのもとへ向かわせて、その愛を試そうとするのです。
「ぼくは君のダンテスへの恋心は知っているよ。だけど約束してくれるね、きっと君は無事にぼくのところへ戻ってくる」
こんなふうに追い詰める方も実はどうかしていると思うのですが、バカですね…。


こうなるとナターリアも、これまでのようにと春の日差しを浴びながらウトウトまどろんでいる状態でなんかいられないですね。
そこでナターリアもまた、己自身さえもが知らなかった自己というものに目覚めるのです。
そうなると、プーシキンも善人面した夫なんて演じてられないのです。
己の全身全霊をかけた、ふたりの抜き差しならぬ会話がなんともすさまじい。

そして、三者三様にまっさかさに皆、悲劇の中へと突き落されていくのです。

最後の最後、ナターリアが夫のプーシキンを、彼の偉大な才能ごと愛していることに気づき、
彼とダンテスの和解を求めるためにした裏切りが、読者の胸を打ちます。
天才作家は持ち前の鋭い観察眼で、妻の、そつのなく見える答えや顔つきをみて、瞬時に何事かを悟ってしまうのですよ。


これは本当に傑作中の傑作です。
一読することをオススメします。

こちらは過去のプーシキン視点のブログです。併せてご一読ください。

https://sadafusa.blog.so-net.ne.jp/2012-02-19-1




オネーギンについて語っているブログ。これはプーシキンが結婚前に書いた作品なのですが、作中のふたり男と同じ運命をダンテスとプーシキンがたどってしまうというのも皮肉な話です。

https://sadafusa.blog.so-net.ne.jp/2012-10-22





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イイオトコの系譜⑤ [イイオトコの系譜]

前回までは理代子先生だったので、今回はなんにしよう。



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そうですね~、さいとうちほ先生の中の登場人物で行きましょうかね。


今回は三神弦です。



さいとうちほ先生との出会いは、わたしが30代になってからです。

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わたしの漫画人生を振り返ると、漫画に目覚めたのって結構遅くて、高学年ぐらいからなんですよ~。


「ベルばら」を真面目に読むことができるようになったのは小学六年生の秋で、そのときのことはよく覚えている。自分があるとき、目覚めたのね。ぱぁあ~っと世の中が開けたというか、大人になったって気がした。


一番最初に「ベルばら」を知ったのはたしか、小学四年生のころかなぁ。
週刊マーガレットに連載中で、オスカルがブイエ将軍に罵倒されたシーンを初めてみたのよ。
そのときはね、「なんだ、この人?」だったのです。
わからなかったのね、オスカルさまの事情が。


でも、小学六年生ごろになるとちょっと大人になってやっと、オスカルさまが実は女性っていうこともうけいれられるようになり、そして先生の大人っぽい絵柄と結構理屈っぽい世界観が好きで、憧れていたっていうのが、好きだった理由かな。




一方ちほ先生の漫画との出会いは、前述したように、わたしの息子が幼稚園のとき
ママ友さんが「これ、面白いよ」って『花冠のマドンナ』ってのを貸してくれたのが始まりだったんです。

このお話は、ルネサンス期のイタリアの話でして、結構少女漫画のど真ん中を突っ走っているじゃないか~って感じではあったんですが、どういうのかな、その中心にはちほ先生の美意識というか、生きる大義というかテーマが横たわっておりまして、それが結構骨太なのね。


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まぁ、花冠のマドンナの話はまた後日ゆっくりしようと思いますが、今日はね、
『花音』の三神弦についてお話しようかなと思います。


ちほ先生の描く男の人はひとことで言うと、「みんな悪者」です(笑)
魅力的な登場人物はもれなくエキセントリックです。

そしてね、物語って「あ、これってスポコンなんだ」とか「宝探しがテーマなんだ」とか
思わせておいて、途中でガーンと全く違う展開に突入っていうのが、よくあるパターンです。

なんだったかなぁ、ちほ先生のごくごく初期の作品でたしか、「もうひとりのマリオネット」ってタイトルだったと思うんだけど、最初読んでいたら、「これは『ガラスの仮面』のさいとう版なのかしら」とフェイントをかけて置いて、実はなんか人格分裂症の男の人に狂おしく主人公が愛される、みたいな話で、さいごどうなるのかと思ってハラハラしていたら、最後統合失調症がなおって、二つの人格が統合され、マイルドで素敵な人になっていました、ちゃんちゃん!とか。


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この話もね、そういうパターンなんです。
これね、タイトルが『花音』なんで一応、花音っていう女の子が主人公なんですよ。

で、導入部分がちょっと変わっていて、天童っていう新進気鋭のミュージシャンが
なんかのテレビ番組の主題曲をつくるために、モンゴルへ旅する。


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そしてそのモンゴルの地で出会ったのが花音ですよ。
モンゴルだから花音はモンゴル人なのかっていうとそうじゃなく、
花音のお母さんが世界を放浪してたどり着いて腰を落ち着けた土地がモンゴルだったというだけ。
花音は純粋な日本人だったのです。

でも、花音は父親を知らない。

まぁ、エキセントリックで魅力的な少女だったのですが、さらにびっくりしたのが、
花音は「えええ?」っていうほどヴァイオリンの名手だったのです。
ミュージシャンだった天童は花音の才能を惜しむのです。

「もっと専門教育を施せば世界に打って出ることもできるだろうに、こんなところで才能を埋もれさせるのはもったいないなぁ~」って思うのですよ。

ですが、話は半ば強引に急転直下。お母さんが急に死ぬんです。
花音に自分の父親は誰なのか教えることもなく。

でも母親は花音に常々いっているんですねぇ。
「あなたのお父さんは、あなたのヴァイオリンを聴いたら、きっとあなたのことを気づいてくれる」

天涯孤独になった花音は、天童と一緒に日本へ。
そして父親は誰なのかを探そうとします。

ただ唯一の血縁は北海道に住んでいる母親の妹に当たる人でした。
その人に連絡を取ると、彼女は非常に迷惑、といった態度で
「姉さん、つまりあなたのお母さんは本当に破天荒な人で、周囲に迷惑をまき散らす人だったわ、
もうこりごり。もうあなたたちとは付き合いたくない」と言って置いて
鞄から三枚の写真を出します。
「これは、あなたが生まれる以前に姉さんが付き合っていたといわれている男たちよ。この三人のうちのだれかがあなたの父親であるかもしれない、ってことぐらいしかわたしにはあなたに言ってあげられることはない」っていって去っていくんですよね。


確かに三人とも音楽家でした…。



いたずらに日々は過ぎていき、花音は少々焦り気味です。
あるとき、花音は手持ち無沙汰になり、つい弦をとって誰に聞かせるでもなく
街角でヴァイオリンを弾くのです。ドヴォルザークの『家路』を。


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その音にふと足を止めて声を掛けて来た若い男がひとり。
「きみ、その曲、かわったアレンジだね。君って日本人? なんて名前? だれにヴァイオリンを習ったの?」
それが運命の男、三神弦だったのですわ!


三神弦はまだ若い音楽家なのですが、もともとヴァイオリン国際コンクールを総なめにした、
クラシック畑出身で、今はジャンルを問わず、いろんな音楽をクロスオーバーにアレンジして
編曲、作曲、指揮もするマルチタレントな音楽家に育っていたのです。

加えて、生来人を惹きつけてやまない容姿端麗な男だったのですね。

ですが、この男、似ても焼いても喰えぬような、ナルシストなんですよ。
花音に声を掛けてきたのは、花音の美貌・才能を素早く読み取って、自分の手ごまとして使えそうだなと感じたから。決して義侠心ではないのです。

当時、花音の世話をみていた天童にこれまた非常に残酷なことばを浴びせるのですよ。
「きみが世話をしていたからって、凡庸な君に花音が育てられるとは思わない。時間の無駄だ。それよりもぼくが君の世話をしてやる、そのほうが双方にとっていいだろ?」

そういいながら、天童が一生懸命に番組のために作った曲を「まぁ、悪くはないけど」とかいいながら、ポンポンポンとアレンジしなおして「ほら、このほうがダイナミックでいいだろう? いや、クレジットはきみの名前にしといてやるから安心しろ」


…辛辣ですねぇ。天童もそこそこ才能はあるのですが、才能の規模が違う。ひとりは秀才、ひとりは天才。これって映画の『アマデウス』のモーツァルトとサリエリのやりとりを思い出させますね。男同士のマウンティングですよ。おれの方がお前より実力が上。だから女はおれがもらう。そんな感じです。

天童も悔しいけれど、たしかに三神が主催している音楽専門のアカデミーで勉強するほうが、花音のためにはなるんですねぇ。天童は花音のことを愛していたけれど、いや、愛していたからこそこの状況は決して花音のためにはなるまいと思って花音を手放す。

まぁ、そして花音は三神の庇護のもと、自分の才能を伸ばしつつ、父親さがしをするのです。

まぁ父親と目された人に当たるのですが、中には結構危ない両刀使い男もいたりして、助けに行ったはずの三神もターゲットにされたりしてなかなか大変だったりするんですよね。

一緒に協力して危機から脱した男女って仲良くなりやすい、とは「スピード」のセリフですが、うん、三神も花音もだんだんお互いを理解していくようになるんです。

三神がなぜあんなにも、利己的なのか。
それは父親がコンツェルンを経営している大変裕福な家に生まれながら、実は三神はその家の嫡出子ではなく、美貌の愛人の間の子に過ぎず、音楽でもやらせておけば、世間に対して見栄がはれるじゃないか、という冷たい計算のもとに教育されたにすぎないのです。

三神はぜいたくは知っているけれど、人の情けっていうものを全然知らない。
愛し方を知らないから、人は愛せないのです。

ですが、そういう心の凍った部分は花音の天真爛漫さ、天衣無縫さによって、少しずつ解かされていくんですね。

そして三番目のアメリカ人の作曲家が結局、花音の本当の父親じゃないかとほぼ確定されたところで、ふたりは幸せに酔いながら、結ばれる―。

ここまで読んで、「ああ、良かったなぁ」って読者は思うのね。
だけど、ここからがちほ先生の真骨頂ですよ。

実は、実は三神は多感な14歳のとき、憧れていた女性がいたのです。音楽ジャーナリストで、ずっと年上の大人の女のひと。

まだ世間ってものを知らず、才能は美貌はあるけれど、いや、あるからこそ、孤独な少年の三神を初めて愛してくれて、男女の道を教えてくれたのがその女性だったのです。まさかそのとき、彼女が自分の子を妊娠するとは夢にも思わなかった―。


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そうなんですよ、花音は三神の娘だったのです。
なぜこんなにも自分が花音に惹かれるのか。
それは、彼女が自分の面影を濃く、濃く映し出していたからなのです。
初めて会った時、弾いていたあの曲―。普段なら足を止めることもないはずなのに、
あまつさえ彼女に声を掛けたのは、自分の影をそこにみたのだと―。

う~ん、この奈落に落ちてしまうようなカタルシスはちほ先生ならではですねぇ。


禁忌を犯したふたりは、宿命に引き裂かれるのです。



ですが、それで終わらなかった。
三神は自分と花音のためにある交響曲を作曲します。

知らなかったとはいえ、花音とのことは「間違いでした」で終わらせたくない。
自分が生まれて来た意味、花音が生まれて来た意味があるはずだ。
二人の間には「男女の愛」ではなく、もっと密接に繋がれるものがあるはず。

三神のことばが読むものの心を刺します。
「また再び抱き合えば、一時は酔えるのかもしれない。歳をとって挫折を味わったおれにはおまえはなぐさめだ。だがそれだけじゃダメなんだ! お前も音楽家なら、わかるだろう? おれたちはそんなことよりもっと陶酔して没頭できるものがあるじゃないか!」と。

それが音楽。

音楽こそ、自分たちが生まれて来た理由。自分たちを繋ぐ橋。


再会したふたりは渾身の力を込めて共演するのですよ。
そのシーンは本当に圧巻です。
ふたりは苦しかった思いのたけをすべて音楽に昇華するべく、懸命に力を合わせるのです。



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今の『とりかえ・ばや』の絵も端正でいいのですが、『花音』のときの絵のほうが
自分としては好きなのですね。

絵に勢いがあるの。

この頃はまだまだ、PCも今みたいではなく、せんせいは本当に努力、努力の人で
三神が指揮をしている姿をちょっとでも美しく描きたいってことで、
当時、指揮者として立ち姿が美しくてセクシーと言われていた人、うろ覚えなんで間違っているかもしれないんだけど、たしか、リッカルト・ムーティーの録画の「ここだ!」と思ったところを静止させ、それを出力させて、三神を描いたということです。

さいとう先生は常々「わたしは才能に恵まれていなくて、努力することしか能がなかったので」っておっしゃっておられますが、そういうひたむきさが、現役の最前線を今でも走っておられる第一の理由だと思いますね~。本当に尊敬いたします。







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イイオトコの系譜④ [イイオトコの系譜]

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イマイチ恋人同士に見えない不思議な絵だ!


こんにちは!

急に寒くなってきましたよ、京都は。

さて、ちょっと③のレオニードについて、あれからちょっと考えてみたのですが、(まったくどうでもいいことですけど)レオニードって名前はギリシャのスパルタの王であり、英雄であるレオニダスから来ているんじゃないか?って話をしました。

やはり予想は当たっていまして、レオニ―ドはレオニダスから来ているようです。このように、ロシアって他の西欧や中欧と違い、ギリシャ文化を直接伝えられた土地でもあり、ラテン文字ではなく、キリル文字っていうギリシャ文字を変化させた文字を使用して、文化が独特なんですね。


で、なんでそんなことを言っているかというと、ふと、ユリウスのミドルネームが「レオンハルト」じゃないですか?

もしかして、レオンハルトってレオニードと互換可能なのかな?って思ったのです。
レオニダスの意味は「獅子の子」と言う意味なのだそうです。
でも、レオンハルトって、ライオン・ハートっていう意味だし(リチャード獅子心王と一緒」
また、レオナルドのレオというのは、レオン(ギリシャ語)のラテン系で、ナルドっていうのもどうやらゲルマンの言葉らしくて「獅子のように強い」らしいんですよねぇ。

もしかしたら、互換可能なのかもしれないけど、派生した大元がちょっと違うかなって感じです。
そのままそっくり同じ名前だったら、つまり、ユリウスとレオニードが名前が一緒だったら、結構面白い偶然の一致だと思ったのですが、そうは単純にいかなかったようです。

西洋の名前って面白いです。古い名前はヘブライわたり、ギリシャわたり、ラテン語わたり、といろいろあって。モーリス(Maurice)って名前もロシアじゃ、マヴリーキー(東ローマ皇帝 マウリキウス Mauriciusに由来する)ですからね。でもカタカナにしてみると、「ええ?」って感じですが、アルファベットにしてみると、UをVに読んで、Cを「サ行」じゃくて「カ行」の発音にすると「ああ、なるほど」と納得することも多いです。

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初っ端から脱線気味ですが

今日は、アレクセイにしましょう!

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レオニードの恋敵であり、ユリウス不滅の恋人!ですよね。
わたし、ず~っと長いこと、レオニードとアレクセイどっちがいいかな、と思って、「やっぱアレクセイだ!」と思っていましたが、それは最終的にユリウスがアレクセイを選んだからなんであって、最近、「アレクセイってちょっとなぁ」と思うこと多いです。

アレクセイと言う名前は、ローマで殉教した聖人「アレクシウス Alexius」から来ています。そしてアレクシス Alexis から Aleksej と綴りと発音が変化するんですね、ロシア風に。

昔スター・ウォーズにでてきた、オビ=ワンを演じていた俳優さんはアレック・ギネスって人だったけど、あれは、アレクシスの英語風につづめた名前だと思います。トマス・ハーディスの『テス』出て来るアレックも同様。

もし、ユリウスとアレクセイの娘が生きていて、その娘に父親譲りの名前を付けるとすれば、
Alexa  アレクサ か Alexia アレクシアって名前にするでしょうね、たぶん。
もちろん。アレクシスそのまま、女のコにも使えるようです。(インスタで人気のアレクシス・レンっていう子もいるし)

母親の名前を譲られるとすれば、ユリア・アレクセイエヴナ・ミハイロヴァ になるのか。
ロシアって必ず、真ん中に父親が誰かっていうアレクセイエヴナみたいなのがはいるのよ。
親しい人なら必ず、「ユリア・アレクセイエヴナ」と呼ぶみたいね。

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名前の話ばっかりになってしまいました!

アレクセイですね、アレクセイ。

アレクセイは、一部、三部と出てきます。
一部のときは、レーゲンスブルグ時代で、ザンクト・ゼバスチャンの音楽学校の生徒だった時代です。
このころは、洒脱でお茶目で、ちょっと大人っぽくてセクシーで、そしてどこかミステリアスな少年と描かれていました。

よく考えてみれば、この頃のアレクセイが一番魅力的なんですよね。彼本来の輝きとでもいいましょうか、あんまりいろんなものに縛られていないのびやかさがあると思います。

ただし、三部になって彼の生い立ちなどが明らかになってきますと、いろんな重たーいくびきがわかってきます。

彼は、名門ミハイロフ家の次男ということになっていますが、実は七つぐらい違うお兄さんとは異母兄弟でありまして、要するにお父さんの愛人の子なんですよね。

わたしは、漫画以外読んだことないから、(なんたら事典みたいな、あとづけみたいなものは読まない主義)わからないのだけれど、本妻さんを早くに無くして、やもめ暮らしになったお父さんが領地に引きこもっている間に隣村の貧乏貴族の娘との間にできちゃった子なんじゃないかとも思ったりして。
領地の中の農奴の娘とも考えられるけど、、アレクセイはお母さんのメダイユとか持っていたし、農奴にしては品格があるような気がして。ミハイロフ家ってユスーポフ家に匹敵するような名門だったんでしょ?もし、農奴の間のコだったら、あまりにも母親が卑しいので嫡子としておばあさまが認めないと思うのですね。それで、たとえ相手が貴族の娘だとしても、格に開きが開きすぎておばあさまが「賤しい素性の女」と呼んだのではないかなしらんと。(まぁ、これはわたしなりの予想)まぁ、ユリウスのお母さんもなんとなく貧乏貴族の娘って感じがするから、二人とも似たような事情だったんでしょう。


で、問題なのは、その次なんですよね、
お兄さんが大貴族の跡取りのくせに、革命思想に侵されているんですよ。アレクセイが引き取られて、ひぃひぃ家を恋しがって泣いているときにすでにそうだったんで、アレクセイがお兄さんに認めてもらうためには、お兄さんの思想を受け入れなくちゃいけないじゃないの。

そこがすでに悲劇の萌芽というか…。たった六つかそこらの子供に「世の中を変えなければ!」みたいなことを言われてもね。ただ、アレクセイがこの家で生き延びるためにはそういうお兄さんを受け入れなければならなかったってことです。


そして、ご丁寧にしばらくするとお兄さんの婚約者で美人のドイツ人、アルラウネって人が現れるんですよね。この人、頭も良くて気が強くて、男勝りな人だったんですが、それが新鮮だったのか、アレクセイはほのかに恋心を抱くのですが、これがまたお兄さん以上に革命思想に凝り固まったような人で、嫌も応もなく、彼を革命家に追い立てていくんですよね。

まぁ、アルラウネも婚約者であるアレクセイの兄、ドミートリィが皇帝の暗殺に加わった反逆者として処刑されちゃったもんだから、たぎる情熱みたいなものを弟にぶちまけてしまうっていうのも一因ですね。

別に兄は兄、弟は弟であって、兄弟そろって同じ道を歩まなくてもよかろうに、などと私は思うのだけれど、そうは問屋が卸さないんです。


で、兄が処刑されたため、弟も嫌疑がかかって亡命したのだけれど、またしばらくするとアルラウネとアレクセイはロシアにいって活動するために戻っていくのです。


で、すぐに捕まる。そしてシベリアに8年程流刑ですよ。
アレクセイってボリシェヴィキの若き指導者みたいに描かれているけど、捕まったの18歳ですよ。ほんの小僧っ子じゃない? どこまで革命ってわかっていたのかなって思うけど。

そして、九死に一生を得て、シベリアからペテルブルグに戻って来た時に、ユリウスに出会うのです。

わたしは、ユリウスのこの一途さが、すごく愛しい気がします。彼女はいろいろと脆いところがある女性なんだけれど、こと「愛する人」を希求する、って段になると、まったく迷いがないのね、どんなにつらくても、どんなに孤独であっても、じっと耐える。これがユリウスのユリウスたる所以といいますか、すごく魅力的なところ。

オスカルはかっこいいけど、こと、恋になると受け身。反対にユリウスは能動的に自分からどんなに拒絶されようと、諦めないしぶとさというか、ガッツがあるね。そこを評価したいです。

ですが、アレクセイっていう人は革命家だから仕方ないのかなって思うけど、案外、ユリウスが殺されたかもしれない、っていう段になっても、あんまり真剣に彼女の行方を探したりしないんですよね。どうもそういうところ、解せないっていうか、ちょっとユリウスが可哀想。

かといって、勝手に自分が捨てたくせに、その後記憶を失って、レオニードのところに身を寄せていたと知ると、すごい嫉妬したりするし…。(別に関係があってもなくても、どうでもいいことでしょ!)
それを実際に口に出してクドクド言われたりしたら、百年の恋も冷めますけどね~。(私なら、さようならするわw)

レオニードがひそかに気を付けて、彼女の動向を見てくれていたから、どうやら生き延びることができたけど、アレクセイだけだったら、とっくの昔に死んでいたと思います。

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最後に。

疑問に思っていたことがあって、ユリウスは金髪、アレクセイは亜麻色(フラクスン)の髪って書いてありましたが、
金髪だろうが亜麻色だろうが、向こうじゃブロンドと言われるものなのじゃないでしょうか?

まぁ、ブロンドといってもいろいろあって、本当に金色に近いものもあれば、本当に白金みたいに白い髪もあり、また灰色に近いもの、ちょっと赤みがかった、ストロベリーブロンドってものもあります。


ただ、西洋の赤ちゃんって生まれたばっかりの子供は皆、金髪で目が青いもんなんですよ。でも三か月ぐらいたつと、目のほうはだんだんと暗い色に移行する子がほとんどで、その子は大人になると茶色い目になったりすることが多い。ただ、本当に金髪になるんだろうな、って思わせる赤ちゃんも中にはいて、そういう子は本当に明るい真っ白な髪をしているそうなのです。要するに、金髪ってもんはうまれつきってわけでもなく、成人のとき、金髪ならず~っと金髪のまま、ってわけでもないらしい、ということです。
金髪の美少年だったレオナルド・ディカプリオは若い頃本当に輝くようなブロンドだったけど、最近は黒っぽいダーク・ブロンドに変わってきているように思うし…。そこらへんは日本人のわたしにはよくわからないことが多いです。

だから思うに、ふたりとも、ブロンドだったのよ…。


たしかにね、フランス人ってラテン系の国だから、本当に天然の金髪の人はレアで、それはそれは、周りに羨ましがられもするし、本人も本当に自慢にする大切な大切なものなのでしょうが、ドイツになると、少し事情は変わって来まして、金髪の人はチラホラといます。(それでも金髪って珍しいものなのだけれど)

ユリウスの金髪とオスカルの金髪って、ありがたさが全く違うの。オスカルの金髪は「ええっ!マジで? 金髪なの? すご~~いい! 世の中本当に金色の髪の毛の人もいるんだねっ!」ぐらいのレベル。
ユリウスのは「綺麗な金髪だねぇ、ブロンド美人だねぇ。ほぅっ」って感じ。感嘆の仕方がもっとナチュラルだと思います、たぶん。


あと、ちょっとなぁ、と思うことがあって、これって第一次大戦前の話なわけでしょ?
理代子先生はファッションには疎いのかなぁ~。ゼバス時代の全盛期ってヌーボォースタイルっていって、花がついたつばの大きな帽子を被って、ウエストをぎゅっと絞った細身のスタイルなんです。
ユリウスの夜会服(なのか? ものすごく胸の開いた服だったけど)は、あり得ない!というほど大時代がかったシロモノでした。(できるなら、アールヌーヴォー風に神を結い上げて、ステキなドレスを着ていて欲しかった)

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世紀末の典型的なスタイルです。

で、じょじょに1920年代になると、第一次世界大戦のあと、コルセットをはずして、フラッパースタイルが流行る。
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それなのに、三部のロシア時代の女性の格好はどうみても18半ばなのか?みたいな恰好なんですよねぇ。もうちょっと史実に忠実だったらもっと素敵だったのに、とちょっと残念に思います。
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1917年ぐらいだったらこういうドレスが流行っていたはず

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このユリウスのママンの格好は妥当なのですが、ときどきママンはバッスルスタイルで40年も昔の格好をしていたりして、変なときもあるのです。
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イイオトコの系譜③ [イイオトコの系譜]

さて、③ですね。

オル窓でイザーク出したんだったら、やっぱり他の人も出さねば。
イザークの次は…黒髪つながりで、この人にお出まし願おうかな…。

それは…レオニード・ユスーポフ侯爵ですね!!


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レオニードって名前がいいですよね、ロシアらしくて。
ピアニストのキーシンもレオニードだったかな。

レオニードって名前はロシア風ですが、西に行けば、レオニードもレオナルドになり、
イギリスに行けば、レナードになるのだと思う。

そう考えてみると結構普遍的な名前ですねぇ。

レオってライオンが入っているから、「獅子のナントカ」っていう意味なんだろうな、と思っていましたが、最近、ベルギーチョコで「レオニダス」という商標があるものをプレゼントされて、これをみて「ああ!『レオニード』ってギリシャ神話の中の『レオニダス王』から来ているんだね!」
と突然納得してしまいました。

ロシアの文化は西ヨーロッパと違い、ローマ帝国からビザンチン、そしてロシアと渡っていったので、結構、ギリシャ起源の名前が多いと聞きます。
余談ですが、オル窓の主人公のひとり、アレクセイの兄のドミートリィはギリシャ神話の豊穣の女神の『デメテル』を男性形に直したものだと聞きました。


さて、レオニードですね、レオニード。

この方はねぇ、私にとってはオル窓の中の男性の中で一位か二位を争う程好きな人物です。
っていうか、私の中の「物語の王子サマランキング(そんなものがあるのか? (笑))の中で、たぶんトップ10には入っていると思うな。それぐらい好き!

この方は帝国ロシアの軍人ですね!
しかも、陸軍の親衛隊の中でもたぶん、参謀だと思います。

『坂の上の雲』などを読むと、日本軍では秋山好古をはじめ、弟の秋山真之、児玉源太郎、明石元二郎、大山巌などなどなど、第二次世界大戦のあのアホみたいに硬直した日本軍とは違い、ものすごく優秀な人がいっぱいいます。
また、それとは反対に、ロシア軍もすごく強い将軍はいっぱいいて、とてもぞくぞくするほど楽しい。
クロパトキンとか、ロジェストヴェンスキーとか。

『オルフェウスの窓』って結構重層的な漫画で、西側から見るとマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の裏バージョンにも思えるし、東側から見ると、『坂の上の雲』のロシア版にも思えたりするんですのよ。
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あ、また脱線しちまった…。

レオニードに行かなきゃ。

主人公のユリウスは、いろいろと複雑な背景を一杯背負っている人なんですね。彼女の父親であるフォン・アーレンスマイヤは貴族で、現役時代にはバイエルン地方はレーゲンスブルグという街の顔役だったようですが、(彼女の母親はこの男の妾になっていたのですが、ユリウスを身ごもっちゃうと、捨てられちゃったのです。ですが、ユリウスが14歳ぐらいのときに後妻としてユリウス共々引き取られるんです。)それはいわば表の顔。実は裏ではロシア側の密偵をやっていたのです。いわば売国奴なんですね。

そして、なんとロシア帝室のスイス銀行に隠してある財産の『鍵』を持つ人物だったんですよ。
なにも知らず、愛するアレクセイを求めて、はるばるペテルブルグまで来たユリウスなのですが、ついたとたんに暴動が起き、そのときの流れ弾が当たって、看病してくれた家の当主がこのレオニード・ユスーポフ侯爵なのです。

レオニードは皇室の裏側を知る数少ない人間のひとりですが、「なんでまた、あのアーレンスマイヤの娘がロシアに…?」って感じでユリウスを危険人物だと知り、軟禁するんです。

そのとき、ユリウスは16か17歳。もう恋に盲目な少女でありまして、愛しいアレクセイのことしか眼中にないのですが、そういう一途さをみると、破綻した結婚生活を送っていたレオニードは苦々しい気持ちにならざるを得ない。はじめは結構いじめられちゃうんですよね。ユリウス。靴を履いたままの足で手を踏まれちゃったりさ。なんか酷いの。

ですが、ふたりの関係に突然変化が現れるのです。

それはユリウスは記憶喪失になってしまって、アレクセイのことも忘れちゃうんですね。もともと、ユリウスって母親に無理やり男のふりをさせられていて、自己の確立ができてない人だったので、なんだか記憶喪失になるとさらにさらに、情緒不安定になっていくんですよ。それで今まで散々ひどい目に会わされてきたレオニードにも捨てられた子犬みたいに、涙目でうるうるして慕っていくんですよ。

そうすると、『氷の刃』で孤高の存在にならざるを得なかったレオニードの心も、ユリウスによって潤っていくっていうか、温かい情愛ってものを知るようになるんですねぇ。

だからといって、すでに妻帯者で謹厳実直な軍人であるレオニードは、愛人を持つことを潔しとしなかったのか、ユリウスは愛されながらも立場はいつまでも「愛される妹」なのです。本当の妹であるヴェーラには結構残酷なことをしていたりするんですが…。

ま、こうやって生ぬるい関係を8年間ぐらい続けて、いよいよロシアも危なくなってきたとき、レオニードはユリウスを故国に返そうと決心するのです。


そのときの別れのシーンはめっちゃ切なくって~。今でも泣けますねぇ。

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しかし、運命というものは上手くいかないもので、ドイツに帰ろうとしたユリウスは、思いがけず、アレクセイに出会ってしまったのですね。

アレクセイは昔の恋人に突然出会って、我を忘れてユリウスを抱きしめるのですが、ユリウスは「ああ、昔、こういうふうに情熱的に抱きしめられたことがあった。その人は今私を抱きしめているこの人なんだ!」とは思い出したんですが、その先のことはやっぱり思い出せない。

結局、アレクセイも革命家なので、恋人だったといっても、今は記憶を喪失している彼女をここに留めるのはよくない、と思っていました。ですが理性ではそう思っていても、逆らえなかったんですね、情熱に。

レオニードはロシア帝国軍人、アレクセイは革命家。当然敵同士なのですが、ユリウスがドイツに帰らず、アレクセイと一緒になったと聞いても、レオニードってびっくりするのですが、それでも「仕合せになってほしい…」と思える人なんですよ。

要するに、武田信玄じゃないけど『敵に塩を送る』っていうか、敵対するようになっても、やはり昔愛した女性には優しいんですよね。

そういったわけで、ユリウスは何度も何度も窮地をそれとは知らずにレオニードに救ってもらっているんですね。

そして最後…ロシア帝国の崩壊とともに、レオニードは自裁するのです。

ロシア人にしては、妙にストイックな人なのですが、理代子先生はモデルを2・26事件の日本の将校に求められたそうです。それは…妙に納得です。


わたしねぇ~、今にして読み返してみると、アレクセイってユリウスのこと、「本当にこの人奥さんのこと、愛しているのかな」って思うくらい冷たいと思ったりする箇所あるんよ。それに反して、レオニードは男なのに実に細々と、影でユリウスの世話を焼いていたりするんです。
でね、ユリウスは私生児で父親の愛を知らないで育った人なので、レオニードに「父性的な愛」を感じていたんじゃないかなと思うのです。

そしてレオニードも、ユリウスはライバルのアレクセイの奥さんになったとしても、ずっと変わらぬ愛を持ち続けるんですよね。愛の質が違うって言ってしまえばそれまでなんだけど、レオニードの愛のほうがアレクセイの愛より深いような気がするの。

そして、影の存在で徹していた分、レオニードの愛のほうが崇高かもね。

話は変わりますが、本当かどうかは知りませんが、イタリアでは断然にアレクセイよりレオニードが好きだ!というファンの人が多いんだそうです

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追記

せっかくだから…

このレオニードですは劇中で、皇后のお気に入りの僧、ラスプーチン暗殺を企て実行していますが、これは本当です。

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ユスーポフ家というのは、ロシア屈指の名門中の名門で、ロマノフ王家より金持ちだったといわれています。今でもサンクトペテルブルクの街をグーグル・アースで検索してみると、「ユスーポフ公園』って出てきます。やっぱり大したものだったみたいですね。
ただ、レオニードの生涯は歴史のユスーポフ侯爵なのかっていうと、まったく違っておりまして、
フェリックス・ユスーポフって人なのですね。

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女装が趣味で~って、ご大家の御曹司にありがちのちょっとイってしまっている感が否めない人物のような気がします。

フェリックスのほうは、レオニードのように殉死などということはしないで、さっさと西側に亡命して、1967年まで(!)生きておられたそうですよ。

なお、女装が趣味でも、夫婦仲は実によくて、奥さんはず~っと仕合せだったそうです。(劇中では離婚してるケド)



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イイオトコの系譜② [イイオトコの系譜]

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イイオトコの系譜②…

ん?②ってことは①ってあったんかい?と思っているアナタ。
そーなんです、結構昔に書いたのですが、放置していました。

http://sadafusa-novels.blog.so-net.ne.jp/2017-06-11-1 →①は、コレですね。


一番最初はアンドレ君だったもんで、次は誰にしようかなと考えているうちに
こんなに月日は経っていたのだった…。

そ~なんです、アンドレでしょ?
色々考えた末に、アンドレの次ならこの人しかいないかな、って思って。


それは、
イザークです。(『オルフェウスの窓』に出て来た主人公のひとり)

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イザークってさぁ、イザークって名前からしてなんかもう、あかんって感じしません?
イザークって、このトピ書く前に検索かけてみたんだけど、ほとんどユダヤ系の人の名前ですよ。

わたしの大好きなヴァイオリン奏者のイツァーク・パールマンもイスラエルの人だし!

以前プルーストの『失われた時を求めて』を読んだとき、主人公のおじいさんに当たる人が
ユダヤ人を見つけるのの名人で、その中のセリフに「ベルナールって名前のやつは、十中八九、ユダヤ人」みたいなのがあって、へぇ、そうなんだ、と思った記憶があります。
『失われた時』ってわりとユダヤ人について取り上げている章が多く、それはプルーストの自身の母親がユダヤ人で、キリスト教徒として育ったにしろ、多かれ少なかれ、差別があったのかな、と思ったりします。

はっ、また脱線しちまった…。

イザークね、イザークよ。
理代子先生はイザークをまっとうなクリスチャン中のクリスチャンとして描きたかったのだろうけど、
ネーミングで失敗していると思うな。それに、レーゲンスブルグはカトリックの街なのに、どうもイザークの行動はプロテスタントっぽいよね。




はい、私的には実はイザークは全然タイプじゃありません。

でも、なんとなく、黒髪で目が大きくて、優し気なところがアンドレを踏襲しているキャラクターかな、って連載中から思っていました。


『オルフェウスの窓』っていうのは、
ドイツのバイエルン地方は、レーゲンスブルグってローマの要塞から発展した古い街があって、
そこの男子ばっかりの音楽学校の話から、発端は始まるんです。
(レーゲンスブルグは、オーバーバイエルンにあってミュンヘンに次都市で、アウディの工場があること、フランケンシュタインの舞台でもあることで有名なんだそうです。へ―知らなんだ)

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そこにはね、『オルフェウスの窓』っていう、古い窓があって、
なんだろ、音楽学校の敷地の中にだれでもと通れる道が貫通されているんだけど、
その道に面してその伝説の窓があるんです。

で、その窓に初めて立った男子校生は、もし、道路に女性が歩いていたとしたら、
必ずその人と、オルフェウスとエウリディーケのように深い恋に落ちて愛し合う運命がさだめられるのだけれど、かならず悲恋に終わる、というもの。

ロマンティストなイザークは転校してきたその日に、ヴィルクリヒ先生にそのことを教えてもらうってさっそく、窓にドキドキしながら立つわけです。

すると、下にはいました!目も覚めるような金髪の美少年が!
でも、実はこの金髪の美少年は、ユリウスと言う名前の、遺産を虎視眈々と狙う母の思惑で男を装っている美少女だったのですが…。

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話は長すぎるので、ここら辺で割愛させていただくことにして、

イザークはね、ものすごくピアノの才能があって、お金もなかったけど、その才能を見込まれて、特待生としてこの音楽学校に迎えられた男の子だったんです。

最初に出会ったころは、イザークはどうも奥手だったみたいで、まだ二次性徴もそれほどでもなく、女の子のユリウスのほうが背が高かったんだけれど、
15歳ぐらいを境にしてぐぐぐっと背も高くなって、男っぽくなっていくんですよね、それなりに、ですが。

トータルで見ると、イザークも結構男前な男に育つんだけど、その前に大きなライバルが目の前にはだかるんだよね。
そのライバルっていうのは、二つ年上のヴァイオリン科の上級生、クラウス。

分が悪いことに、イザークは奥手。クラウスは早熟。出会った時にはすでに大きなハンディがあったのよね。しかも、クラウスのほうは持って生まれたセクシーさっていうのがあったね。それになっていうのかな、人を煽るのが上手いんだね。世慣れているし。(そりゃ~、14歳で兄が銃殺されて、命からがらはるばるロシアから逃げてきたんだもん、人生の経験値が違いますよね!)

しかも! 実はクラウスのほうも、イザークとユリウスが出会ったあと、オルフェウスの窓の前に立っていた時に、またまたユリウスを見てしまったのです!

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つまり、エウリディーケがひとりなのに、オルフェウスがふたりいたってこと。

ユリウスはイザークには友達としての親愛の情以上のものはどうしても抱けず、それにユリウスとクラウスはそもそも会った時からお互い、ひとめぼれしているんだよね。

ユリウスは、どうも男らしくて強くて、オレサマタイプの人が好きなんだよね。優しい一辺倒のイザークじゃ物足りなかったみたい。

紆余曲折の末、本当はロシア人で革命の闘士、しかもご丁寧に一度は捨てられたクラウスをどうしてもどうしても、諦めきれずに一途なユリウスは出会えることを信じ、彼を追ってロシアへ。

で、最後、別れる時にユリウスはイザークだけには、「さよなら」を告げにわざわざ、彼の家まで行くんです。

わたしは、どうして、イザーク『ぼくたちだって宿命の恋人同士なんだよ。しかもぼくはクラウスよりも先に君に出会っている。宿命の恋人になるのは、クラウスじゃなくてぼくだ!』ってごねてひきとめなかったんだろうって思っていたんだけど、今読むと、結構それなりに引き留めているね(笑)
ユリウスはきちんとお礼のキスをしてくれたけど、結局それだけ。

駄目だったんだね。かわいそう、イザーク。
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で、一部はここでお終い。
トータルでみると、一部ってサスペンスの要素もあって、かなり入れ込んで読んでいました。
ここまでは週刊マーガレットなのね。絵も線が太くて、力があったよね。ベルばらとはまた違った、ドイツっぽい硬質な造形が好きでした。

そして次は月間セヴンティーンなんですよ。
二部はイザーク自身の話になります。(ユリウスはイザークの回想の中以外出てこない)

イザークってピアノは上手かったのかも知れないけど、本当におぼこい世間知らずで、
自分にとって必要な人材はだれなのか、全然わかっていない。

芸術家であっても、この世界、競争が激しいですからね。
自己プロデュースできてナンボの世界よ。

彼ってでも実は結構モテてて、いろんな女性から好かれるんだけれど、ユリウスと失恋したのち、
後ろ盾もお金もない自分がピアノで身を立てていくなら、絶対に、絶対にお金持ちで品行方正でそこそこ美人で聡明で貞淑なカタリーナと結婚するべきだったんです。

それなのに、自分の教授の尻軽バカ女にもてあそばされ、しかも、次には絶対に、絶対に、結婚してはならない、娼婦あがりのロベルタを可哀想だと思って結婚してやる。

一見、こういうのは善人ぽくて、真っ正直でいい、と思うのかもしれないけど、いんや、そんなことはないね。世間は厳しい。イザークはまだ若くていくら才能があったとしても新進のピアニストにしかすぎないのだから、クリーンなイメージが大事だったのに、それも捨ててしまう…。

ここまでくると「ホント、バカ男」と思ってしまう。わたしが好きになれない理由ってそこにあるかも。

昔は、音楽会に行けるのは、貴族サマかブルジョアに限られてんだよ、階級差っていうのは依然として横たわっていたんだよ。

ピュアでナイーヴなイザークはそれにも気がつかない。(鹿島センセイはナイーヴというのは、フランスでは「バカの代名詞」と仰っていました。ハッ、ここはドイツだ、フランスの価値観とはまた別か~)

もしカタリーナと結婚していれば、第一次世界大戦でピアニストだからって招集されないように工作してもらえたかもしれないし、あるいは招集されたとしても、主計係とか事務方の方へ回されて、手をダメにするようなことはなかった。

それにナントカってアブナい友達が「弾いてはいけない」ってピアノ曲を作曲して、よせばいいのに、それにトライして指にダメージを与えているしな。

「君子危うきに近寄らず」ですよ。


結局ね、イザークにはなんにも感じるものも、共感できることもなくて、
「こんなん自滅して当たり前だよな」としか、感じなかった。

三部の終わり、四部も
クラウスに死なれて、絶望のあまりおかしくなってしまったユリウスにはもはや、なんの情愛も抱けないのよね。全身全霊をかけて愛していたクラウスが死んじゃったんだから、ユリウスはものけの殻よね。でもそれだからって、昔の情熱が蘇らないんじゃやっぱり、『オルフェウスの窓』で出会った恋人たる資格がないね! それプラス、ユリウスが殺された後、あんまり悲しみに暮れるわけでもなく、
「いい青春時代だったよな」って、アンタ、やっぱり、それじゃあ、オルフェウスになれなかったの、当たり前だわwって思う。ちっ!(これが私をしてイザークを嫌いにならしめた最大の理由かも)

もし、あのとき、ユリウスのハートをつかんでいれば、まったく別の展開が期待できたはずだったのにねと。

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