ペチカって何? [雑文]

もう早春なのに、時期外れの話になってしまってすみません。

この間、寒い日があって雪が降っていたのですが、
ソレを見てウチの夫が鼻歌を歌っていました。
「ゆきのふるよは~、たのしいペチカァ~」

自分で歌っておきながら、私に訊くのです。
「ねぇねぇ、ペチカって何?」

「えっ?(突然何を訊いてくるんじゃ) 暖炉のことじゃない?」

「ペチカって楽しいの?」

「知らんわ~」

で話をやめておいても良かったのですが、
「そう言えば、昔、子供のころ、ロシア民話を読んでいたら、
 必ず、『バカのイワン』っていうのが出てきて、
 必ず、『バカのイワンは今日もペチカの上に寝転んでいました』
 って書かれてあったなぁ~」
というと、夫がまた聞き返します。

「暖炉ってその上で眠れるもんなの?」

「う~ん。なんかやけどしそうだよね…」

昔なら、「ペチカの謎」として未解決なまま、人生を終えてしまうのですが、
今って便利~。グーグルの画像検索してみるの、そういうときは。

すると見てください。こういうのが引っかかる。
pechika.jpg

20171229091358.jpg


おおお、たしかに眠れるスペースがあるじゃないか!
やっぱロシアみたいな極寒の地にはこういうあたたまる場所がないと
寒くて眠れないんだろうね。

言うなれば、日本のこたつみたいなものか。


~~~~~~~~~
この「ペチカ」って北原白秋が書いた童謡ですが、
彼の歌ってどこか、異国情緒があるんだよね。
「この道はいつかきたみ~ち~」
って聞くと、私の頭にはぱぁ~っと、北海道かどっかのポプラ並木みたいなものが
よぎる。

っていうか、高校生ぐらいになってチェーホフの『桜の園』を読むと、
この北原白秋の歌が思い起こされるっていうかさ。

やっぱ、白秋の時代って一種のロシアブームだったのかな。

京都には、『村上開新堂』って老舗があって、今は誰でも入れるけど、
ちょっと前までは一見さんお断りで、だれかの紹介がなければ売ってくれなかったんだよね。

このお店もたしか、クッキーの上にジャムが乗った「ロシア・ケーキ」の専門店だった。
あと、やっぱり老舗で「バイカル」っていうお店もあって、そこも昔はロシア・ケーキ
オンリーだったって聞いた覚えがある。


今はロシアもお手軽に行けてしまう時代だけど、
昔は共産国でもあったし、なかなかロシアも遠い国だったなぁって
思うんだよね。


実際に現地に行って知見を増やすっていうのもいいことだと思うけど、
知らなかったら知らなかったままに、憧れているっていうのも
それはそれでいいことなんじゃないかって思ったりもする。

想像力が豊かっていうのは、貧乏人の特権デスネ。

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二次利得ってことを考えてみた [雑文]

こんにちは!
あしたから3月ですね!
早いです~。

sadafusa、いつもこの時期言っていると思うけど、
早春のこの季節が一番好きです。

兼好法師が
「花はさかりに、月はくまなきをのみ、みるものかは」
って言ってますね。
昔からこの言葉がすきだったのですが、
最近、ますますこのことばが好きです。

私は待っているってことが好きなんですよ。
「もうすぐ春が来る、一年で一番美しい花の季節が来る」っていうふうに、
日々木の芽が赤く膨らんできたり、剪定して丸裸だったバラの枝から
新芽が芽吹いてきたり、あるいは植えっぱなしにしているムスカリの葉っぱを
よく探せば、堅いつぼみがあるのを発見したりすると、
「ああ、春が来るなぁ」としみじみ嬉しくなるんですよね。

あと、風が運んでくる独特の香りとか陽光のきらめきとか、
絶対に冬の季節には感じられない春の兆しがあることが
それこそまさしくかけがえのない一期一会の到来だと実感するんです。

だけど、いざ、桜が満開になっちゃうと
その花のめでたさってことに素直に酔えなくなってしまうんです。
まぁ、目の前にひとつの桜の木のマックスの姿があるじゃないですか。
それってまぎれもなく、ひとつの真実の具現だし、
そこに自分の「希望」っていうオブラートにくるまれた夢の姿の破壊にもつながるわけですよ。


それにね、「盈つれば虧くる【みつればかくる】」って言葉があるじゃないですか。
満月だって満月の時がピークであって、そこから、満月の大きさが今までの100倍になる!なんて話でもなく、必然的にそれからはだんだんと月が欠けていく。
たとえば藤原道長だって「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
なんて「今はワシの人生のピークじゃ!」って
おごり高ぶって歌を詠んでいるけど、
人間、天人でも神でもないんで、そう思った瞬間にもうすでに、衰えっていうものが
始まっているんで。

そう、素直に喜べないんですね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日はね、二次利得ってことについて少し、自分とかかわる話をしてみようと思う。

そもそも二次利得っていうのは、なんぞやっていう話なんですが、
たとえばですね、あなたにこんな悩みがあったとします。
「親がつべこべ干渉してきてうるさいんだけど、自立できない」
いつまで経ってもこの悩みから解放出来ない人というのは、
実はそこに必ず自分にとって利益があるから解決できないのだ、っていう意味。
たとえば、イヤな親ではあるんだけど、毎日三食黙っていても、ご飯は食べられるし、
お風呂には入られるし、しかも家賃を出さなくていいっていうメリットがある場合。

つまり親がイヤだという悩みよりも、親と一緒に暮らしているメリットのほうが
大きい場合はその問題って解決されないんだよね。
ほとんどの人がそのことを自覚していないんだけどさ。


自分のことで言うと、コロナ前って、
往路だけでもたっぷり1時間かかるような結構遠い他府県の編み物教室に、通っていたんだよ。
そこの先生はさ、結構気まぐれで時間とか約束にもルーズだったりするし、
そこに集まっている連中も実はそんなに好きじゃなかったんだよね。

だけど、じゃあ、なんでそんなにしてまで私はそこに通っていたかっていうと、
結局、そこの先生は他の一般の編み物教室の先生とは別の付加価値があって、プロじゃなきゃ伝授できない特別な技を持っていたからなんだよね。
だから、やめられなかった。

だからさ、私にとって、教室や先生や仲間が嫌いということより、
二次利得として、そこの教室じゃなきゃ、得られないものがあるってことに軍配があがっていたということだよ。

だけどね、突然コロナがでてきたじゃん?
それでみんな商売上がったりになった人々がオンライン・サロンを開いたじゃない?
そしたらさ、なんとありがたいことに、ニットサロンっていうのも探せばやまのようにあってこれまで教えてもらっていたことと同様のことが、金と時間をかけてその教室に行くこともなく、
いやだなぁと思う連中と社交することもなく、
マンツーマンで、ピンポイントで自分の教えてもらいたいことが聞けて、
しかも料金がべらぼうに安い。

それにさ、オンラインサロンの先生とは、
結構ビジネスライクな関係であって人間的なしがらみもないし、
ストレス・フリーなわけよ。
もし、1回レッスンした先生と相性が悪かったり、
技術的にハズレだなって思ったら、
二度とレッスン受けなきゃいいんだから。


まったくオンラインさまさま、なんですよ。

となったら、今までカネと時間をかけていっていた教室なんか
そく、サヨウナラになるんだよね。

そうなると私は本当にドライです。
「これまで元気だった義父の調子が悪くなったので、
 退会しま~す。これまでありがとうございました~♬」

適当な口実をつけてやめてしまう。

私の場合、人間関係っていうのは、必ず自分と相手が高め合うリワーディングなものでなければならない。お金も払っているのに、得るものがなかったらそこで、関係は終了です。

これまでも我慢していることが、二次利得よりもウエイトが大きくなったと無意識であれ自分が認識した時点で、その関係を終わらせているなぁ~と

ある時点でふと、自分の無意識の行動の指針っていうものが理解できたのね。

もし、私が無償でなにかをするとしたら、
よっぽどその人物に惚れ込んでいるかどうかだと思うんだよね。
まぁ、その対象はだいたい夫か、息子か娘か、娘婿、そのご家族に限られるんだけどね。

あ~、わたしって基本的にひとりが楽で、人と歩調をあわせるのが
とことん苦手な人間なんだって悟りましたよ。

私、自己愛も高めだけど、内向的な人間で自分の行動の起点には
内発的動機づけが強く、それほど認証欲求も強くない。
ブログだって、小説だって、自分が書きたい、追求してみたいテーマがあるから書く。
そこに他人の称賛が加味されれば、そりゃ願ったりかなったりだけど、世の中そうは甘くない。

しかしそうじゃなくても、全然困らないね。自分が書いているときが、楽しいんだから。
何事もそのプロセスが好きなんだよね、結果じゃなくて。
自分が資料探して新しい発見があって、それを創作に活かせるかなぁって考えているとき、
一番楽しい。

世の中の多くの人がコロナで孤独になる、ウツになるって騒いでいるけど、
私に至っては、生活自体はコロナであろうとなかろうと全く変わらないよね。

なにか「物言わねば腹ふくるる心地」がするときは
このブログで、吐き出しているし。

まぁ、私のこんなダークな気持ちも、案外人間に共通する意識でもあるらしく、
共感してくれる人も多かったりする。
そう、人間って清らかで生きてはいられないもんなんですよ。
煩悩もあれば、嫉妬もする。誰よりも自分がカワイイ。それが本音です。


ってそういう話でした!!

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ノリタケの思い出 [雑文]

私は昔から、建物そのものとかそれに付随した庭園、インテリア、エクステリア、什器類、そしてファッションに至るまで見て回ることが好きだ。

その最たるものとして、私は今でも食器を買うのがひとつの道楽となっている。
今の日本は高度成長期~バブルを経験し、今はデフレの時代だが、
それでも平成生まれの娘や息子の世代は豊かな時代に生まれているので、
洗練されたモダンでシャープなデザインが周囲に溢れ、
私達の世代なんかより、よほど目が肥えている人が多い。

私も若い頃は私なりに上昇志向が強く、ガツガツしていた。
だけど本物の奢侈というか、ものの価値が分かっていなかったので、
ティーカップなどは、
マイセン、ヘレンド、ロイヤルコペンハーゲンが欲しかった。
だけど、一通りそういう満艦飾全開みたいなのを集め終わって、満足を得ると、
そういうのは、広大な庭のついたお城で飲むからこそ、その真価が発揮できるという
TPOのなんたるかが、やっと理解できるようになる。


そして今度はもっと身の丈にあった
シンプルでカジュアルなものが欲しくなってくる。
あるいは粉引きのモダンなデザインの和食器なども
いいなと初めて思えるようになるのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私の娘は喫茶店巡りが趣味なので、たまに私を誘ってくれて
一緒にお茶を飲むこともある。

彼女はモダンでゴージャスな喫茶店よりも、
ちょっとひなびた感じのレトロ喫茶が好きなので、
当然、そういうところへ行く機会が増える。

この間、娘が連れて行ってくれた喫茶店では
ノリタケの40年代ぐらいのティーカップでお茶を供された。

noritake cup.jpg

そのとき、いろんな思いが胸中を満たしたのだが、
今日はその思い出を話そうかなと思う。


私は少女時代を北陸の県庁所在のあるところで過ごしたのだが、
その頃、そのひなびた都市でも、ちょっとしたオハイソな母親の集団があって、
その人たちの憧れの食器のブランドはノリタケだったと思う。

実は同じ時期でも東京や大阪などの大都会のデパートではノリタケよりも
もうひとつランクが上の「大倉陶園」のものや、
舶来のブランドものがあったのだけれど、地方の奥さんたちは当然そんなものが
あることすら知る由もなかったというわけ。

うちは貧乏だったというより、
父親が給料のほとんどを使ってしまってしまうような家庭だったので、
プライドの高い母は「武士は食わねど高楊枝」とばかりに、
そういうオハイソ集団をバカにしていた。
いや、バカにしなければ、自分の矜持を保てなかったのだと思う。

で、昔、小学校を卒業する時、母親だけで放課後の教室を借りて、
茶話会みたいなことをするんですよ。

で、そのとき、紅茶とケーキを食べるので、家から紅茶茶碗をご持参お願いしますって
ことになっていた。

で、オハイソ集団はこのときとばかりに、
ノリタケブランドのティーカップを出すわけです。
「ど~だっ!」って言わんばかりに。
そして、それと同時にお上品さを演出するため、膝にハンケチを載せるわけ。
まぁ、今でも近沢レースのような店はないので、
たぶん、地元のデパートで売っているスワトウ・レースのハンケチあたりが
せいぜい見栄のはれる上限だったと思うけどね。

で、小さな地方都市のシケた小学校の母親同士の中でも
やっぱり、昔も今と同じように、マウント合戦があったんだね。

うちの母親は開き直っていたから、「ただ、紅茶が飲めればいいんだろ」とばかりに
紙コップを持って行ってた。

私はそのとき、恥ずかしいなと思うより、いっそそのほうが潔くていいなって思った。
おそらく天の邪鬼な性格は認めたくはないけど、母親譲りなんだと思う。

だが叔母はそんなことする勇気もないから、
自分の息子が卒業する1ヶ月ぐらい前から、ソワソワして
「ノリタケだったらどの柄のものを買えば、目立ち過ぎず、恥ずかしい思いもしないだろう」
って悩んでいたのを思い出す。

で、「これにしたのよ!」って私の家に来て、それを見せてくれた。
そのときの私の目には、叔母のノリタケのティーカップがまばゆいくらい、もうピカピカの、きらきらに輝いて見えて、子供ごころに
「お母さん、こんなふうにお父さんにお茶碗も買ってもらえないで、
 ああいうふうに何でもないって顔をして、毅然としているのは
 どんなに辛いだろうな」って胸を痛めていた。

そして、そんな母のことも思いやれずに、見せびらかしている叔母が憎かった。

喫茶店の中でノリタケのお茶碗をサーブされた一刹那にそういう思い出が
さぁ~っと私の脳裏を過ぎっていったのだが、
改めて見てみると、小学生のころ、あれほど光り輝いて見えたはずのティーカップの
なんとダサくて冴えないことよ。

かの偉大な寵姫ポンパドール夫人が設立した、セーブルあたりの本物のロカイユ模様を、ただ小器用に猿真似しただけの貧弱な唐草模様。
今になるとその頃、いかにヨーロッパが遠い場所だったか、
戦争に負けた日本人が、いかに西洋に対して卑屈になっていたかが、わかるようなデザインじゃないか。
かつて伊万里焼は、ヨーロッパの宮殿の奥深くに、大切に飾られていたというのに。
そんなことも知らないで安っぽいデザインの茶碗を誇らしげに見せびらかす母親たち。
そんな卑小な何もかもが嫌だった。


私はなんにつけ、自分が少女時代に周りにあったものを見るのが嫌いだ。
優しい気持ちで懐かしいとは思えない。
ほろ苦い記憶として心に染み付いているから。




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断捨離決行中  捨てられないセーター [雑文]

みなさま、こんばんわ~。sadafusaです!

文字だけ見ると、ちょ~元気に見えるかもしれないけど、
なんだかここ二三日、落ち込んでねぇ。

気持ちをリセットするため、おとといなんかは
歩いて一時間ほどのスーパー銭湯へいって、
韓国人のおばちゃまにガンガンにアカスリしてもらったわw
それからカカトもこすってもらって、つっるつる!

私、基本的に行動するときは何でもひとりですることにしているの。
だけど、私って案外と小心者だから、初めて行くところって妙に緊張するんだよね。
そう、こんな些細な、韓国アカスリをしてもらうだけでも
妙にソワソワしちゃってね。

でも韓国人のおばさまは非常に誠実な人で
すっぽんぽんになったわたくしの体のすみずみまで、
一生懸命垢をこすってくれました。
ま~、本当に汚かったわw
昔ばなしの垢で作った、「こんび太郎」の話を思い出してしまった…。

でも、汚い垢と一緒にわたしのドヨンと淀んだ気持ちも流れ去ったようで
気持ちが良かった。
それに、そこには露天風呂もあって、
2月の冷たい空気の中で生ぬるいお湯に浸かっているのが妙に心地よかった。
わたし、あたたかすぎるところでお風呂入っているとのぼせてきてダメなのよね。

思い切ってでかけて良かったでーす。

おばさまに聞いたら、10日に一度、アカスリするのが理想的だって。
まぁ、そうおっしゃるようには頻繁にはいけないけど、一ヶ月に一度は行きたいよねぇ。

美容院・整体・アカスリは一ヶ月に一度行くのを習慣にしたいな。


~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、ここに来て、よろこぶべきだと思うんだけど、
とうとうダンナさまが重い神輿を上げてくださいました。

今まで重たいものをひとりで運んでいたので非常に辛かったのよ~。
旦那様がずっと大事にされておられた、昔のアイドルのグラビアなど、
業者に結構高く買い取ってもらったので、かなりご満悦のご様子でしたw

自分にとってはただのゴミでも、人によっちゃあ、お宝だったりするもんだよね。
ただ、この場合、そういう業者を探すまでが至難の技なんだけどね。

で、部屋の床の面積がだんだんと広くなるにつれ、埃が溜まっているのがわかってくるの。
そして、ひとつ掃除すると、これまで全く気にならなかった汚れが気になってくるもんなんですね。

でね、埃っていうのかな、細かいチリっていうのが非常にクセモノなんですよ。

そういうのを掃除機や箒で履いている時って、めっちゃくちゃ服が汚れる。
汚れた服を着て家の中を歩くと、また家が汚くなるので、
そく脱いで、洗濯機直行なんです。

でもね、作業しているとき、すごく寒いし、やっぱセーターがいるのよ。
昔、夫に編んだんだけど、糸がびろ~んと大きく広がる性質だったので、
失敗したセーターがあるのね。
めっちゃブサイクなんだけど、糸自身はイギリスのローワン製なので
保温力抜群なんだよね。

これを着て、作業して、終わったら、洗濯機に突っ込む。

私は手洗いはしないの。そこまで繊細なセーターは編みたくない。

洗剤はね、驚くだろうけどシャンプーを入れているのよ。
だって、毛糸も一種の髪の毛じゃん。

すごくきれいになるし、手も荒れないし、何より香りがいいよね。
私はいつも柑橘系のハーブシャンプーを使っているし。

私、失敗したセーター見ているのが嫌いなので、
どんなに高かった毛糸だろうと、潔く捨てるんだわ。

だけど、これだけは命を永らえています。


*追記*

まぁ、これまでは楽しくやればいいかと思って
コメントについては多めに見てきたのですが、
やはり、マナーは守って欲しいかなって思います。

やっちゃいけないこと

① トピックから極端にずれたコメントはご容赦願います。
  たとえあなたが興味のあることでも、私には全く興味が持てない内容のものもあります。
  sadafusaが特に嫌いな領域。芸能人のゴシップ。皇室ネタ(海外も含める)。
  私は歴史の、ある領域においては興味がありますが、一口に歴史といっても
  通史、政治史、ほかにもいろんな領域があります。
  その中でも特に興味がないのは御朱印集め。
  私はいわゆる歴女ではありません。


② ここはこのブログの主催者であるsadafusaのものです。
  コメントはすべてsadafusaに向けて書いてください。
  たとえば、Aさんのコメントに向けてBさんが「こんにちはAさん。わたしはBです」
  みたいな、主催者を飛び越したコメントはやめてください。
  あるいは、私がある人に対して怒っている場合も、勝手にフィクサー役をする人がいますが、
  こういった相対的な越権行為もやめてください。ここは私のブログです。
  また、このブログのコメント欄は掲示板とは違います。
  コメントを書いてくださった方はここで社交を求めているとは限りません。

③ コメントはよほどのことがない限り、
  基本的に1つのトピに対して、一回にとどめてください。
  私はこれまで、書かれたトピに対して必ず返事をするようにしていましたが、
  そうするといつまでも続いて煩雑ですし、そして回を重ねるに連れ、
  どんどん本来のトピとはかけ離れた流れとなってしまいます。
  また、そうやっていると、うちわ受けするような雰囲気が出てしまい、
  新しく訪問してくださった方がコメントしにくくkなります。

④ 基本的に書かれたトピックに対して、ネガティブなコメントはご遠慮ください。
  もし、書かれたものがマナー違反していると私が判断した場合、
  通告なく削除します。
  たとえば、私は日々興味の対象がかわっていく人間なのですが、
  突然「投資の勉強をしています」とか「断捨離をしています」と書いた場合でも、
  「投資は怖くてできません」とか
  「断捨離は興味ありません」などというコメントは要りません。
  またかというくらいに再三再四ここでも言っていますが、
  私は二次小説は書くつもりはないので、
  それを知っていながら、しつこく書いてくるコメントは問答無用で削除します。
  
  

最後に、私は親から虐待された人たち、そして貧困やニグレクトのなどのせいで、
万策尽きて心ならずも売春するしか生きるすべがない人々を、
何らかの方法で少しでも助けたいと思っています。
そしてどのような理由であれ、その幇助を示唆する考えなどは、
とうてい受け入れられるものではありません。


もし、この趣旨に賛同できない方は、私のブログから速やかに離れてください。
私は論争するつもりも、説得してわかってもらうつもりも、全くありません。
そして、どうぞご自分のブログ、ツィッター、フェイスブック、あるいは他の手段なりで
ご自論を心ゆくまで展開なさってください。
それに対しては、私はなんら反対するつもりはありません。
興味ありませんから。

よろしくお願いします。
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『逆境力』 パトリック・ハーラン [読書・映画感想]

私は、普段、目的なしにほとんどテレビを見ません。
ワイドショーなんてここ30年ぐらいみたことがありません。
要するに、嫌いなのね。
芸能人がどーした、こーした、そんなことは全く興味がない。


ただ、平日は投資の勉強のために去年の2月ぐらいから『モーニング・サテライト』を
視聴するようになりました。

で、毎週金曜日の終盤ごろになると「パックンの目」っていうコーナーがあるんですよ。
そこで初めてパックンことパトリック・ハーランさんを知りました。

で、テロップっていうのかな、彼が画面に登場すると
「パックン ハーバード大卒、投資歴20年」って書かれてあるんですね。
で、パックンってすごくすらりと背も高いし、いかにもアメリカのエリートってかんじの
爽やかな容貌だし、スーツの着こなしもいかにも、投資顧問会社のアナリスト然としているので、
「わ~、この人、代々親もハーバード卒で、
 きっと幼稚園から超お金持ちの有名私立かなんかで育って、
 高校はフィリップスみたいなところで勉学にいそしんだんだろーなー」
って、思いながら見ていたんですね。

それにしては、言うことが洒落ていて、いわゆる寒い親父ギャグとは無縁の人なんですよね。

 

で、パックンって実は「パックン・マックン」というコンビを組んだ芸人さんだとは、知りませんでした。

へ~!ですよ。

それでそのつい先の金曜日にお金持ちのお坊ちゃまだと思っていたパックンは
番組の中で
「実はですね、ボクって母子家庭で育って、いわゆる貧困家庭に育ったんデスヨ。
 で、大きくなるまでずっと脱脂粉乳しか飲めなかったくらい貧しかったんです」
っておっしゃったんです。

すごくびっくりしました。そして「この本を上梓したので、抽選で◯名さまのプレゼントしま~す」
みたいなことをおっしゃる。

私はすぐに読みたかったので、番組が終わったら即、アマゾンでポチリました。



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で、もうページ繰るのももどかしく(あ、電子書籍だから本当はページなんか繰らないんだけどね)
一気に読みました。

パックンはコロラドのど田舎で育ったんです。
お父さんが軍人だったのですが、
非常に責任の重い任務についていて
お母さんはお父さんの持って帰ってくる重たい雰囲気に耐えられなくなって
パックンが7歳の頃、ついに離婚されたそうです。

パックンにはお姉さんがいて、
当時お母さんがふたりとも引き取ったので、
お父さんからそれなりの養育費をもらっていたのですが、
パックンが11歳のとき、お父さんがお姉さんも自分の元に引き取ってからは
養育費は一切送られてこなくなったそうです。

結果的にはお母さんが小学校教諭の資格をとり、
それからはかなり状況が好転したとはいえ、
その最悪の状態が、パックンが17歳になるまで続いたそうです。

本を読みながら、テレビに映っているパックンは
非常に快活で幸せそうなのに、実はこんなにこんなに苦労していたんだね、
ってびっくりしました。

例えば、貧乏すぎて、鉛筆が買えなかったので、
たいてい、学校でどこかに落ちているものを拾って使っていたとか。

お腹いっぱい食べることすらできなかったとか。

貧乏すぎて、アメリカの高校生にとって一番華やかな行事であるプロムに
女の子を誘えなかったとか。

お金のかかる部活である、力のある男のコなら絶対に入部したい
アメフト部に入部できなかったとか。

私も経験があるからわかるんだけど、
みんなが楽しそうにしているのに、自分がお金がないからできないで
じっと我慢している状態っていうのが一番辛いんだよね。

これが、貧しいアフリカの国で、村中がみんな貧しくて裸足でしたっていうのは
さほど辛いわけじゃないと思うんだよね。


とにかく、パックンはお母さんを喜ばせることなら、なんでもやったと書かれていました。
なぜなら、お母さんは保険の外交員をやっていて、それも本当にほそぼそとしたお給料しかもらえなくて、「明日はどうやって生きよう、何を食べられるだろう」って思って、夜中にひとりで泣いていたのを知っていたから。

それでパックンも中高生のころは、家計を助けるために
新聞配達をしたそうです。

朝の三時に起きて、三時間配達をして、六時半に学校について、
学校が始まる前まで寝ていたとか。

それでも、高校は主席で卒業し、教会のグリークラブの参加し、
ビーチバレー部に所属して、ばりばり部活に勤しんでいるんですよね。

すごいことです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんかこの自伝、読んでいると落合信彦さんとか、
姜尚中さんなんかを思い出すんですよ。






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なんでかって言うと、落合さんも姜さんも、育った環境ってめっちゃくちゃ劣悪だったんだけど、
三人とも、めちゃくちゃ頭脳明晰でかつスポーツもでき、オールラウンドプレイヤーなんだよね。
しかも、みんな容貌もよく、人に好かれるっていうか、「この子になら!」と思わせるカリスマ性があるんだよね~。


だから、非常に苦労はされただろうけど、
こういう人はいずれ、世に出る傑物だから、それはそれでいいと思う。


ただ、ここからが問題。
世の中、そうそう、彼らみたいに才能や容貌に恵まれている人はいないんです。

いまや、日本の貧困家庭は7人に1人。
しかも、日本の場合はその貧困ってものが、一見しただけではわからない。
なぜかといえば、お金持ちも貧乏人もファストファッションで身を包んでいるし、
また、みんなそれなりにスマホを持っている。

昔みたいに『巨人の星』の星飛雄馬みたいにツギのあたった洋服を着て、
いかにも貧乏って人っていないもの。

で、そこがまた問題を複雑にしているんですよねぇ。

で、話は元へ戻す。

貧困家庭とされるボーダーラインは122万円だそうですよ。
そこから導き出された日本の相対的貧困率は15%。
さらに子供の貧困率は14%ということです。
つまり、1クラス35人だとすれば、そのクラスの中には5人は貧困家庭の子供がいるってことです。
貧困線スレスレの家の月収は約10万。
家賃、水道光熱費、食費を賄えば
あとはほとんど残っていませんよね。

こんな家の子は1万、2万というレベルではなく、1000円、2000円にも困っているのです。
こんな家は「塾に通わせられるお金がない」どころではなく「昼食代がない」のですよね。

お金がない家の子供は、親は働きづめに働くから、ほとんど鍵っ子。
親子の会話がないから、語彙力は伸びない。
そしてギリギリの生活をしているから、
普通の家庭に育っている子供なら当然の思考力が育たない。

ピザやホールケーキを切って分けたこともないから、ケーキを三分割することすらできない。
これはこの本に詳しいです。


ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

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  • 作者: 宮口 幸治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/12
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こういった子供は、自分の心の中に湧いた感情を言語化すらできないから、
自分がどう困っていて、どう助けを求めていていいかわからない。

それで、だいたい小学校の中学年の終わりぐらいになると
先生の言っていることが全くわからなくなり、
孤立して学校がつまらなくなり、似たような環境の子とつるみ、
ドロップアウトしてしまうんですねぇ。

ですから、このパックンの本の後半は、現在の日本の貧困家庭の実態、
そしてそういう子供を救うために活動しておられるNPO法人など紹介し、
取材されています。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この本で非常に慧眼だなと思ったのは、
貧困家庭や施設で育った子供にも、進学のチャンスを与えようとしている
取り組みを紹介しているところです。

たとえば施設で育った子は、たとえどんなに優秀でも
「施設育ちだから」ということで
進学の道が閉ざされてしまうということです。

それでも自分の力で進学しようとすると、とてつもない借金地獄に見舞われる。
しかし、中にはチェコの大学を卒業している子もいます。
なぜなら、チェコは日本より物価が安く、授業料は年間12万ほどで済むため、
日本で教育を受けるよりも安くすむからですね。

あと、企業の中には優秀な人材でも、そういった貧困家庭出身ゆえに
背負った学資ローンを肩代わりし、その後、無利子でゆっくりと返済していくシステムがあるところも
あるそうです。

日本って「おまえは貧乏な家に生まれたんだ、分相応に世の中の最底辺の仕事をすればいい」
と平気でいう、無神経なところがあると思います。

でも、こういった団体はまず、「あなたはなにをしたいの?」と子供に尋ねることからするそうです。
自分には未来なんかない、と思い込んでいた子は初めて、自分は何が好きで、どういうことに興味があるんだろうって考えるそうです。

少しずつですが、世の中、いい方向へ向かっていくようになったらいいですね。

私も自分の力だけでなく、周囲の方々のいろいろな温情で、無事子供を成人にすることができました。
これからは、少しずつ、その感謝の気持ちを何かの形で恩返ししたいなと思っているところです。


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フェイクな食べ物 [雑文]

私は、現在、投資の勉強をしているので、
毎月「テレビ東京ビジネスオンデマンド」で
ウィークデーは「モーニングサテライト」「WBS」を視聴し、
週末になると、「ガイアの夜明け」と『カンブリア宮殿」を視聴しています。

「モーサテ」は投資家には必須の番組だそうで、
見ていて、専門家が分析するのを聞いているのですが、
実際、とても難しく理解するのに時間がかかります。

とにかく、経済指標が多すぎるんだよね。


で、「ガイアの夜明け」と「カンブリア宮殿」っていうのは、
今頑張っている企業があって、どんなことをしていて、
それがどれだけ世の中に貢献しているかってことを
伝える番組なんですよ。

これも投資の勉強の一端としてみているのです。
企業というのは、テクニカル分析、
つまり、直近の業績など数字であらわすことができるものもあれば、
もっと深謀遠慮というか、長期的にこの会社は将来性があるかどうか、
ファンダメンタルな分析も必要になるんですね。

私みたいな何も知らない人間は、ファンダメンタル分析なんていうのもおこがましくて、
ただこれらの番組で、世の中にはどんな企業があるの?
ってところを学ばせてもらっています。

堅いことはこのくらいにして、
それでもこのコロナ禍にあって、逆風を逆手にとって、
業績を伸ばしている大手企業もあれば、
小回りの得意なベンチャー企業もあったりして、とてもおもしろいです。
世の中って、経済ってこんなふうに回っているんだって肌で実感できることもあります。
(ただ、この番組は必要以上に紹介する企業をヨイショしている回も多いので、
 全部本当と思わないほうがいい場合もある)

どうすれば、消費者のマインドをつかめるのかとか、
ネットビジネスをする人たちのために、
知恵を貸して指導していくみたいなビジネスもあったりで、
世の中、柔軟な思考が求められるなぁって思います。


~~~~~~~~~~~~

ここまでが前置き。(いつもながらに長いね)

でね、いつもなら「はぁ~、すごいな~」って感心ばっかりしているのだけど、
昨日見た回は違った。

はっきり明記することはしませんが、ある油を扱う企業を紹介していたのですよ。
で、その企業は大豆で『ソイミート』を作っていたんですよね。
私は食べたことがないからわからないけど、巷のみなさんの反応は
「わぁ、本物と思って食べていた」
というものなんですね。

その企業は、ある超有名なラーメン屋さんにも出向いて
大豆と油だけで「豚骨スープ」そっくりなものを作って売り込んでいました。

まぁ、これも考えようによればいいのかもしれないとは思うのよね。
世の中には、イスラム教徒の人みたいに豚肉食べちゃダメとか
アレルギーで食べちゃダメって人もいるから。

そして、その企業はやはり豆乳と油で
非常に高価で足の早いマスカルポーネチーズの代わりに
「マスカポーネ・ガトーR(なんてか、非常にあざといネーミングだよね)」
っていうマスカルポーネそっくりの味と食感で
しかも十分に日持ちのする代用食品を作っていたんですよね。

一見、それっていいことづくしのように思えるでしょう?
でも、、、まぁ、大豆はとりあえずヨシとしよう、
(本当はこれにも多いに問題があると思うんだけど、それはまた別の回に)
だけど、おそらくこれはパーム油ではないのかなぁと思うんですよ。

パーム油は非常に安価で、しかも扱いやすい油なんですよね。
ですが、体に非常に悪いとされるトランス脂肪酸たっぷり。

もっと知りたいという方はこれを読んでみてください。
https://plantation-watch.org/abunaiabura/


しかし、油ってパーム油だけに限らず、高温で処理されているものって
封を切る前から、酸化されていて非常に体に悪い事を知ってますか?
もし、これらの商品がパーム油でなかったにしても、抽出法で採取された
油だったら、やっぱり体に悪いんよ。


現在、世の中に大多数で売られているのは「抽出法」の商品です。
抽出法は、ヘキサンという溶剤をかけて原料から油をとりだします。
この油は黒く、臭いも強いため色をぬき(脱色)、臭いをとります(脱臭)。
この抽出法では、効率よく油を搾ることができるので市場では安価に流通しています。



だから、私は多少高くても昔ながらの圧搾処理で作られた胡麻油とオリーブオイルしか
使わないことにしています。

(オリーブ油もスーパーで売られているものはほとんど問題ありな商品です。
 だからといって、オーガニックで高いと言われる商品がいいかというと、
 それはそれで違っていたりします。心配な人は『オリーブ・ソムリエ』が選ぶお店で
 購入してみてください)



私は過去にガン・ノイローゼになったこともあって、なるべくなら
体にいいものを食べるように心がけているのです。


おいしいから、安いから、といって、コンビニで売っている一見美味しそうなティラミスや
チョコレートケーキ、絶対に体に良くないです。
あと、ピザね。(安価なピザのチーズはチーズの中に小麦粉が混じっている)


私は自分でティラミスを作るのですが、マスカルポーネチーズって
一番安いザネッティってブランドのものでも250グラム、500円します。
それに、純生クリーム、マルサラ酒、エスプレッソに
コーヒーリキュールにサヴォイアルディのクッキー、
材料だけでも結構します。
(こういう場合、私は砂糖を使わず、ラカントを使うことにしてます。
 どっちみち高カロリーには違いないけど、油と砂糖を一緒にとるよりはマシ)

それに作ったら、次の日に食べないと腐ってしまう(ティラミスは食べるのは作った次の日)。
か、著しく味が落ちます。

それなのに、ひとつ300円しかしないって、偽物に決まっています。



やはりですね、贅沢なケーキっていうのは、
昔はそうそう食べられるものじゃなかったってことです。
今は飽食の時代、気をつけないと美味しいからって
偽物を食べていることのほうが多い。
それに、砂糖ってものすごく中毒性があるから、
定期的に欲しくなるんだよね。

だけど、いつもいつも甘いものを食べていると、
インスリンが出すぎて、その機能が疲弊してしまって
糖尿病になるんです。




イクラやカニやウニなんて
海辺でないかぎり、本物を安く食べられる事自体、
ないと思っていたほうが安全です。
なんとなんと恐ろしいことに、
この会社は大豆と油でウニも作っていました。

怖くないですか~?


あとですね、メンタルの不調っていうのも案外
食べ物から来ている事が多いんですよ。
現代人はカロリーだけは足りているけど、
栄養が足りているのかって言われると
案外疑問だったりするよね。



「安くて美味しいからいい」と思って、安易に食べていると
恐ろしいことになりますよ。

日本人って美味しいものって聞いたら、
目の色を変えて、長い行列についたりするじゃないですか?

それが本当にちゃんとした本物ならいいけど、フェイクっていうところに
私はひっかかりを感じるんですね。


日本って国は衛生面にはめっちゃ気を使っているけど、
食中毒を出しちゃいけないっていうんで、
ともすると、食品って防腐剤がありえないほど入っていたりするんですよ。


気持ちが暗くてしょうがないとか
やる気がでないとか、常にイライラするって人は
まず、食生活を見直してみて。



食べることは、生きること。
そして楽しいことでもあるけど、
快楽にばっかり溺れないで、
きちんと考える必要もありそうです。



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現代の仙人? 『5度の臨死体験が教えてくれたこの世の法則』 [読書・映画感想]

皆様、こんにちは~。
sadafusaです!


さて! ばらネコさんとのベルばら合作のお知らせですが、
pixivのほうでは、もしかしたらこの週末ぐらいにはUPできるかもしれない、
というところへ来ているそうです。

ただ、それでもpixivにUPするにつれてやらなければならない諸々の雑事みたいなものが
あるみたいなので、延期する可能性も無きにしもあらず、というところらしいです。

また詳しいことが分かり次第、連絡しますね。
楽しみにお待ち下さい。


~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、私、kindle unlimitedを定期購読していることは、
以前ここでもお話しました。

これのいいところは、実額だしてまで買わんわ、というような
本でも読めるということです。
何冊までタダということではなく、一定額を払っていれば、
どこどこまでも読めるということ。
だから、unlimited なんでしょうか。


この世の不思議が好きな私は、またしょーこりもなく、
こんな本を読みました。



5度の臨死体験が教えてくれたこの世の法則

5度の臨死体験が教えてくれたこの世の法則

  • 作者: 小林健
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2017/09/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




著者の小林健サンという方ですが、すごく不思議な方です。
父方のおじいさんがユダヤ系ロシア人、おばあさんがロシア人。
この方たちは、どういう事情でロシアから日本へ亡命したのかまでは
書かれていませんが、おそらくロシア革命かなんかなんでしょう。

亡命先の新潟でこのふたりのロシア人は出会って、うまれたのは
お父さん。日本生まれの日本育ちですが、外見は完全なロシア人ですよね。

そして、そのお父さんと日本人のお母さんの間に産まれたのが小林さんというわけ。

で、まぁ、これだけなら珍しいけど、ありえる話なんですが、
不思議なのは、ここから!
おじいさんはユダヤの神秘である、カバラを扱う一種のマスターみたいな人だったそうです。
どんなふうに?と言われると私も完全に理解していないのですが、
一種の霊能があったようです。

そして小林さんのお母さんの血筋は、本草綱目の大家だったみたいで、
要するに東洋医学のエキスパートだったようです。

で、この小林さんは現在、80歳ぐらいだそうですが、
これまで、なんと! 5回も完全に死んだ状態から生き返ったそうなのです。

それも、溺死してまる一日経っているのに、おじいさんのカバラの力で蘇生したとか、
パラシュートが開かなくて、海面に激突したのに、やっぱりお父さんが助けてくれたとか、
なんやかんや完全に死んでいる状態で、5回生き返ったんですよね。

で、その後、臨死体験した時、あ~だった、こ~だったみたいなお話なんですよね~。


読んでみて、とてつもないヨタ話にも思えるところもあるし、
もしかしたら、そうなのかな~と思えることもある。

ただ、小林さんは輪廻転生とか、因果応報とか、来世の運命みたいなものを
基本的には否定されていますね。


ただ、これまで読んできた本の中で、
流水りんこさんなんかのインタビュー漫画の中では
インド占星術などは、星の運行と人の運命(来世も含む)はほとんど決定されている
みたいなものもあるので、
(インドはそのための国立大学もあり、歴とした学問にジャンルされている)

にわかにはこの小林さんのおっしゃっている主張というのも
「そうなのかな」とは信じがたい。

ただ、なんとなく、現代に生きる仙人みたいな、
あるいは18世紀に現れた「サンジェルマン伯爵」みたいな人のような
そんな感じですかね。

「量子力学」について述べられていますが、私は全く理解の範疇外です。

ただ、もしあの世があるとしても、
人間の認知能力には限界があるので、
霊能力を持ってしても、全知というわけにはいかないんじゃないだろうか、
などと考えております。

小林さんは、現在、自然治癒というか
東洋医学というか、そういうものをもっと知らしめるという使命のために
NYのほうに在住ということです。

~~~~~~~~~~~~~

余談

私は、自分のメンタルが病んでいてソレを直すために
いろんな本を読み、いろんな「体と心にいい」と言われることを
実践してきましたが、

食事療法ひとつについても、本当にいろんな考え方があり、
「断食したようがよい」とか
「肉はたべないほうがよい」「肉は積極的に食べないとよくない」とか
「油を取ったほうがよい」とか「油は体に悪い」
とか本当に真逆なことを説いた健康法が山ほどあるんですよね。

正直、私にもどれが本当に正しいのかわかりません。

ですが、まぁ一つ言えることがあるとすれば、
「食事は楽しくするもの」であまりに苦痛を伴うことはしないほうがよいだろう
ってことです。

人間、ひとりひとり体質が違うので、
その人がいい、と思えるような
暮らしをしていくのがベストかなぁと。

いくらも体に良くても、一ヶ月ン万円もするような
サプリを購入するのって、現実的じゃないです。





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断捨離継続中~2月の時点 [雑文]

こんにちは~。

毎日、断捨離に明け暮れているsadafusaです。
今の断捨離状況は、ピークを越えたかな…?ってところです。

断捨離を始めたばっかの12月のときは、
とにかく、毎日、毎日、これでもか、これでもか!っていうくらい
モノを捨ててました。

そこで猛省したことは、
「きちんと整理されていないと、同じものを何度でも買い続けてしまい、
 めちゃくちゃお金のムダ使いをしている」ってことでした。

あとですね、モノを捨てるのにもやっぱりお金と手間がかかるってこと!



とにかく、障子紙とか、便箋とか、香典の袋とか、あとハサミ!
そんなものが本当に一個や二個じゃなくて、
ハサミに至っては10個ぐらい出てきて、本当に驚きました。

あとですね、考えさせられたのが、寝具ね。
昔、それこそ私が結婚したときは
「お蒲団は一生使うものだから」とか言われ、
たしか羽毛布団を買ったのよね。
たしかそのとき、ン十万して、高いお買い物でした。

ですが、そんな高価な羽毛布団だってね、
結婚してから30年も経ってりゃ、醤油で煮しめたみたいに、
汚いの!

それに今は無印とかニトリなんかで、高機能でしかも廉価なものがたくさん
売られているのよ。

敷布団とか枕なんかも低反発素材で体にいいのがたっくさん。
それとね、毛布!

今なんか無印になんか行けば、おしゃれなデザインで手触りのいい毛布なんて
2000円ぐらいで買えるの。

昔のダルマイヤー毛布なんて、重たすぎて窒息しそうになるわ。

もうね、そういう過去の遺物みたいなものはさっさと処分して
いつもきれいな寝具で寝たいなって思うようになりました。

私たち夫婦もいい加減くたびれていて、汚くなってきているから、
よっぽど気をつけないと、そのうち子供たちに生ゴミだと間違われて
捨てられてしまう可能性がある。

あと、そう、洋服ね。
ブログの読者さんたちは
もしかして、私のこと、
おしゃれさんだと思っている人いるかもしれないけど、
違うのよ。


わたしはね、毎日過ごすものだったら、
基本、気楽な服でいるのが好きなの。

だから、よっぽど改まった席じゃないと
スカート履かないし、たいていユニクロだったりする。
(セーターは自作のものだったりしますが)

若いとき夫に買ってもらってものすごく気に入って
ずっと着ていたポール・スチュアートのヘリンボーンのハーフコートですが
最近、これが非常に重たく感じてしまうのよね。

最近、巷で有名な「ワークマン女子」のお店が京都の河原町あたりに
できないだろうか~と待っているのよ。

とにかくね、毎日ウォーキングしてるんだけど、
寒い日でも歩いていると、熱くなるんだよね。
だから、下は半袖でもコート着ると温かいみたいな、
そういうヤツでおしゃれなのがほしい…とか切実に思うんだよね~。


~~~~~~~~~~~~~~~

あと、びっくりしたこと。

断捨離をするにあたって、いろんな知識を得ようと
断捨離関連の本を読んでたりするんだけど、

なんと!
断捨離とスピをくっつけた本って結構多いんだね!
びっくりだわ!

そりゃあ、ものがガチガチに多い家は、
不潔だし、家が汚いから、気持ちも明るくならないとは
思うけど、

だからといって、断捨離をして自分のこれまでの歴史である
大事なものまで、スピ系の人がいう「運気をよくする」とやらのために
捨ててしまうのってどうかな?って思うんだよね。

やっぱり、人には大事な思い出につながっている大事な品っていうものが
あるんで、それを見て心の縁にすることもあると思うの。

(反対に言えば、嫌なことを思い出すようなものは捨ててしまったほうがいい)


断捨離っていうのは、毎日を快適に楽しく、そして効率よく
生きるためのヒントなんであって、
逆に言えば、何でもかんでも捨てることとは違うと思うんだよね。

「捨てる」というその行為そのものには別に「尊い」とかいう意味はないし、
もちろんスピを関連付けるのはどうかなって思う。

なんかこういうことにまでスピを持ってくる人って
頭どうかしていると思ってしまいました。

~~~~~~~~~~
ま、そんなわけで商品知識を増やすために、
最近、ウオーキング途中に北大路ビブレに入っている
「ニトリ」「無印良品」「ユニクロ」「エディオン」なんかに
よく行くようになりました。

やはりね、捨てたあと買い換えるにしても
納得のいくものを買いたいからね。

選ぶ目は真剣です[ウッシッシ]



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寄植えの講習会へ言ってきたYO! [園芸]

毎日、毎日、毎日、
あけてもくれもて、あけてもくれても、あけてもくれても、
断捨離、断捨離、断捨離で
いったいこの家はどんだけゴミがたまっておるんじゃ~~い!!!

って気持ちがクサクサしてくるっていうか、
寒いのに、重たい物を持ったりすると、
体のあちこちが筋肉痛になったりして
本当にいや!

今の段階では子供のものをかたづけております。
娘夫婦には、これまで買った画集と
絵本を引き取ってもらうことにしました。

これがまた、結構重くてですね!
自分で運んだりすると、マジで体痛めそうなので、
赤帽さんを頼むことにしました。

息子のほうは、高校時代のコミックなど
本屋さんに持っていきます。
まぁ、それでも「ガンダムオリジン」とか「スラムダンク」みたいなんは
娘のほうで保管してもらうことにしました。
(娘は鉄筋コンクリートの一軒家に住んでいるので)

だいぶ、私も精神的に疲弊してきちゃったので、
昨日は息抜きも兼ねて、
寄植えの講習会へと行ってまいりました!

これまではフラワーアレンジメントの要領で我流でやっていたのですが、
これまではどうしても自分がイメージしたものとはかなり乖離したものしか作れませんでした。

そんなわけで、やっぱり餅は餅屋、
一度専門家からレッスンしてもらおうと意気込んで生きました。

でね、私、ディノスでハンギング型のものをふたつ買ったので、
それを春らしいきれいなアレンジしてみたかったの。

で、わかったこと。
苗ポットに入った植物は、ですね、
まずは土を削ることから始めるんですよ!
だいたい単一の電池ぐらいまで土を落とす!
知ってました?

それにね、土は使わないんです。
で、椰子の実から作られた、ベラボンっていう物を使うの。

そして、株分けできるものは、なるべく細かくして、
細かくした者同士、小さな花束を作って、それから
ハンギングバスケットの中へと入れていくんだって!!

知らんかった~!

でね、作ったものがこれ!!


Etbw585VIAA64AV.jpg

2つありまして、上のほうは紫と黄色で春っぽい配色にしました。
下はちょっとダークな感じの色調にしました。

でも、2つ一緒に並べるわけだから、ちょっと共通点もないとって感じで
先生にアドバイスしてもらったの。

すごく楽しかった!

バラの花を育てるのももちろん楽しいんだけど、
最近はこんなふうな草花もとてもカワイイなって思うんですね。

年取った証拠かなぁ。


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セラピー・セッションのこと [雑文]

こんにちは、今日は特別寒いです。
みなさん、温かくして過ごされているかなと思います。

ところで、今日はちょっと先日行ってきたセラピー・セッションのことについて
お話しますね。

私はこれまでを思い返してみれば、
とても自己肯定力が低く、ですね。
なんとなく、人にバカにされているんじゃないかっていう疑念が払拭できなかったんですね。

それでいて、じゃあ、いつも、卑屈になって人にへいこらしているのかっていうと、
そうでもなく、実にケロロ軍曹に出てくるタママばりに、人から受けた屈辱みたいなものを
結構完膚無きまでに仕返ししたりする、ものすごくドライでクールなところもあったりで、
自分でもなんでこうなんかなぁってよくわからなかったんですね。

で、10年前、母が大病を患ったことを機に、家族の間でいろんなことが起こって、
なんだか生きているのがイヤになったんですね。
「こんなに自分の思うように生きられない人生なんて、なんてつまらない」
って絶望を感じて、少しウツっぽくなったんです。

当時、そういう私を心配して、夫が「この先生、すごくいい先生らしいよ、行ってみれば?」
とある、カウンセラーを紹介してくれたんですね。

で、通い始めてからいろんなことが発覚。
私はそれまでごく自分は普通の家に生まれて、
ごく普通の平均的な家庭で育ったと思い込んでいましたが、
実はそうではなかったんですね。

まぁ、親は今で言う「毒親」と分類されるのかもしれませんが、
要するに、『毒親」の親も毒親だったっていうかね。

そういう負の連鎖があったということです。
そういう自分が生きづらいという原因がつぎつぎとわかって、
それはいいんだけど、
こんどは変わりに、ものすごくマグマのような怒りが
爆発したように突如現れるようになったんですよ。

たとえばコーヒー飲んでいたりとか、ご飯食べているとき、
お風呂に入っているときですら、
「あのとき、親は理不尽にも気分で怒鳴って、私は泣いて謝ったなぁ~」とか、
そういう過去の悲しくて苦しく、恥の記憶ってもんがしょっちゅうしょっちゅう
蘇ってくるんですね。

それと同時に、過去、自分が犯した失敗なんかも許せないし、ものすごく恥に思うし、
また、現在自分が犯すかもしれない失敗がイヤだったりして、
結構、神経質になるっていうか、完璧主義みたいになってしまうんですね。

失敗する自分が許せない、常に自分は完璧じゃなければいけないみたいな。
だけど、人間、完璧を目指そうと思っても、絶対にミスはしてしまうもんなんで、
そうなると、もう、死にたい!って思うほど、屈辱を感じて落ち込んでしまうという…。

なんかそこに病的なものを感じて、それから私はいろんな心理学の本を読み漁るようになりました。

で、どうも幼少時に親から無償の愛っていうものを受け取ることができなかった人っていうのは、
愛着障害っていうものを背負ってしまうらしいです。

あと、心理学用語で、「ダブルバインド」っていう親からの二重規制みたいなものがかかってしまうみたいな…。

まぁ、要するに私はAC(アダルト・チルドレン)だったんですよ。
こういう人っていうのは、年齢的には大人になっていても、
どこか子供のままの育ちきれない子供の部分があるってことらしいです。
で、幼少時のトラウマを解放することで、いつまでも自分の中で大きくなれず、
小さい子供のままだった部分が次第に成長して、次第に精神的に成熟した大人になれるということらしいですね。

私ね、とにかく過去ががぁ~っと自分に襲いかかってくるのが怖かったのね、
特に不眠症だったとき、夜中にうつらうつらしていると、
昔の嫌な、嫌な思い出が蘇ってくるの、これだけはなんとかしなくちゃって思ってた。

あと、怖かったのは、世代間にある負の連鎖よ。
うちの親だって、別に「毒親」になろうと思ってなったわけじゃない。
それどころか、母親のほうは結構根は真面目の性分だから
一生懸命、自分の生きる道みたいなものを探そうとしていたのは知っているんだよね。
だけど、それがことごとく間違っているのよ。

今更、私は80過ぎた婆さんに「あんとき、あんたは~」
で、ああだ、こうだ、と責めても仕方がないと思っているんだよね。

それよりも、これまで自分が間違った認識で、子供を育ててしまって、
その結果、今では成人している子供の深層意識にトラウマを残してしまったんじゃないかって
それがものすごく気になっていたんですよ。

どうせなら、この間違った認識を改善して、
これからの親子関係をよりよいものにして、
やがては生まれてくるであろう、孫には、幼少時は幸せに育ってもらって、
そして、人生、豊かなものにしていってほしいと思っているんだよね。

~~~~~~~~~~~~~~

はぁ、長い前フリでしたね。

そういうわけで、ここでは詳らかにはできないんだけど、
最近、You Tubeで知った、あるセラピー協会に所属する、
セラピストにセッションしてもらうことにしたんです。

それも結構なお値段しました。
(この業界の適正な値段っていうのは知らないけど、2時間で◯万円)

でね、結果は残念なことに…サイアクだったんだよね。

ここの協会は、この協会の代表になる方が従来どおりのセラピーに限界を感じ、
当事者の幼少時のトラウマを解消させることで、知らずしらずのうちに
それまで感じていた生きづらさっていうのがなくなっていくってものだったんです。

だけどさ、私を担当してくれたセラピストさん自身、
かなり乱暴な口の利き方をする人なんですよね。
なんかセッション中ずっと感じていたけど、言葉がぞんざいなんだよね。
デパートの店員さんみたいになってくれとはいわないけど、
それってどーなの?

まぁ、結構威圧的な人で、私、めったに緊張することないんだけど、
マジで緊張すると頭が真っ白になって、人の言葉が理解できなくなるんです。

で、一回聞いても、その人が言っていることがわからないの。
で必ず、「え? なんておっしゃったんですか」って聞き返してしまったのよね。
「何度も何度も聞き返さないでください」って高圧的。
わからないから聞き返してるんだろーよ、察しろよ。

腕のいいセラピストだったら、「ああ、この人は今、緊張しているんだね」ってわかるはず。

あと、違和感めっちゃ覚えたのがですね、
過去の辛い体験を思い出したあと、
「そのとき、どう感じましたか?」って訊くのよ。

人間ってさ、たとえ「悲しい」と感じていたとしても、
他にも別の感情があったりするもんなんだよね。

泣いていても、今の状況を俯瞰して面白がっている自分とかさ、
ご飯何食べよとか、
この壁の色、変だなとか…。
結構、関係ないことも同時に考えていたりするものじゃない?

もし、悲しみの色っていうのが青一色だとすれば、
心全体がべったり青一色じゃないと思うんだよね。
心はもっと複雑だと思うよ。どんな人であっても。

だけどね、この協会にはおそらくマニュアルみたいなものがあって、
クライアントに期待すべきというか、必ず言わせたい文言があるような気がするんだよ。


で、もしかしたら、私には過去のトラウマってないかもしれないのに、
トラウマと思っていたのは別のものかもしれない可能性もあるのに、
無理やり、マニュアルに沿ってやっていくような気がした。

つまりね、なんか洗脳されているような気がして、やってる途中で
めちゃくちゃ腹が立ってきたんだよね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なんかさ、その協会出身のセラピストさんたちのほとんどは過去にトラウマがあって
それを克服された人で、その結果、そこの協会の主催者が推奨する心理学を勉強して今、こうやってセラピストしておられるのかもしれないけど

でも、なんつーか、大学の心理学部とかきちんと卒業して、「そも、心理学とは何か」みたいなところから、きっちりその歴史や哲学・倫理なども一緒に勉強してきた人たちとは違う視野の狭さ、っていうか圧倒的な知識の乏しさみたいなものを、その人には悪いけど感じたよ。

なんつーの、政治家っていわれるのと、政治屋っていうわれる違いがあるじゃない?
この人も「セラピスト家」じゃなくて、「セラピスト屋」なのよ。
どんなに上手くても、芸術となりえない看板絵を描いてる感じがするのよ!


大学って心理学部に入ったといっても、すぐに心理学を勉強するわけじゃなくて、
一般教養っていうのも勉強するじゃん?
アレが意外と大事なんじゃないかって思ったりしてさ。

要するにこういうセラピストって、きちんとガクっていうか、
いや、私は学歴云々ってことを言ってるわけじゃなくて、
きちんと段階を踏んで勉強してきた、
全人的な人じゃ務まらないんじゃないかなって思ったのよ。

そこらへんのろくすっぽ本も読めないような人が、
訓練受けただけで、セラピストになるって怖いなって思うんだよね
(その人が本当にそうなのかはわからないけどね→念の為)

こういうのは、勉強ばっかりでもダメだろうし、
また、実践ばっかりでもダメだと思うんだよね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

世の中の常識なんて、時代、時代ですぐにコロコロ変わるものじゃない?
私が幼少期の昭和の時代って、女は男のよき補佐役であれ、
良妻賢母であれってことを口やかましく言われた時代だったわよ。
それに学校の先生だって「女は男よりすべての能力が劣る」って真面目な顔して、
生徒に諭していたわよ、そういう時代だったの。

まぁ、男にしてみれば自分たちの都合のいいように世の中動いていたわけだけど、
女のしあわせっていうのは、そういう力強い伴侶に恵まれて、
そしてその人に守られて従い続けることだって、
うちの親世代なんかはそのことに微塵たりとも疑問を抱かなかったね。


でさ、思うんだけど、そういう風潮で楽をしてきた人々っていうのも、実際にいるのよね。
それは葛藤したくない、ごくごくフツーの人よ。
昔はね、22歳ぐらい過ぎて嫁入り先がなかったら、
たいてい近所のマッチング専門のおばさんがいて、
「ここの娘にはあそこの息子がぴったりかも!」
ってお見合いさせてくれたもんなのよね。

だから、自分から恋愛する勇気がない
シャイな男の子も女の子も近所の世話焼きおばさんのお蔭で無事結婚できて、
そしてその結婚もひとつの縁と考えて、長続きできたりするもんだったんだよね。

私はね、別にその頃がいい、って言ってるわけじゃないよ、もちろん。

しかし、昨今のように、自由恋愛が進むと、
シャイな若者はず~っと恋愛を経験せずに
本当はいいお母さんになれる素質もありながら、
シングルで居続ける場合もあるな、って思っているわけ。



今はさ、個人個人が能動的にセルフプロデュースができなきゃ、
一歩も進めない時代なんだよね。
そのせいか、結構みんな認証欲求が強くて、
「見てみて~! 光っている私を見て!」
ってバエを気にしすぎるような気がする。

なんていうの、世の中はさ、「世界にひとつだけの花」になれ、って
本当は平々凡々で慎ましく生きていきたい人でさえ、
無理やり理想に燃えろ、夢を持て、って駆り立てているような気がするんだよね。

だから、あんなにスピが流行っているんだと思う。


ま、時代は後戻りできないんで。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

何がいいたいのか、よくわかならい文章になってきたけど、
つまりね、「幸せ」なんて定義ができないの。

たしかに私にはトラウマがあるかもしれない。
心に傷があるかもしれない。
人とつるむことが苦手かもしれない。
お人悪かもしれない!
だから友達がいないのかもしれない!


しかし!
その御蔭で、ひとりでできることのなんと多いことよ!
本や漫画なんかひとりで読むしかないじゃん。
基本的に、映画やドラマだって誰かと一緒に観るかもしれないけど、
ひとりでできる行為じゃない?

編み物だって、ソーイングだって、話のストーリー考えるのも、
文章を書くのも、推敲するのも、ひとりじゃなきゃできないのよ。
散歩だってひとりでするから、楽しいの。
ひとりだから、フラッとルートを変えて寄り道もできるしね。
ちなみに基本的に巷で騒がれているコロナウツなんてものとは
私は全く無縁よ。
コロナになったって、自分の生活習慣は何ら変わらず。

わたしの場合、ひとりでする作業が8ぐらいで、
誰かと話し合う、一緒に食事するのは2ぐらいで十分なんすよ。
まぁ、ず~っとひとりきりって嫌だけどね。


それよりもね、常に誰かと一緒じゃなんにも出来ないって人のほうが
困ると思うよ。

知り合いに人と一緒じゃなかったら、喫茶店も入れないって言ってたな。

とにかくのべつ幕なしでず~っとず~っと、
どうでもいい話をし続けてる人っているじゃん?

本人はアウトプットできてすっきりしていいのかもしれないけど、
聞かされる方はたまったもんじゃないわw

面白い話ならいいけどさ、大抵の場合、そうじゃないことのほうが多い。
私の大事な時間を搾取しないでくれってマジで思うよ。

そういう人とは早晩、疎遠一択しかないですね。





いいんですよ、多少心に毒を持っていたって、
怒りがエネルギーになって、小説書きたくなるんだから。

なんにも葛藤がない人はこころが健康だろうけど、
そういう人は、心の痛みがわからないから、結構人生薄っぺらいかもしれないし。


そう思えば、味わい深い人生よ。









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近況・左肩のこと・断捨離・不眠の原因・セラピーセッションなど、など、など [雑文]

みなさま、おはようございます。

ちょっとばっかり間が空いてしまいましたね…。

というのも、実は私、断捨離にいそしみすぎたのか、
はたまた、編み物をしすぎたせいなのか、
あるいはPCのキーボードを打ち込みすぎたせいなのか、
おそらくは上に上げた原因がちょっとずつ連鎖したせいなのか、

左肩が故障中なんです。

とにかく、左肩が痛い~い!

別にね、五十肩とか全く手が上に上がらないとかそういうんじゃないんだけど、
なんかイタ重いっていうのかな…。

昨日、整体院にいってみっちりマッサージケアしてもらったけど、
先生は「おそらく、ストレスかなんかで、血の巡りが悪いんだろうね~、
    当然、リンパの巡りも悪いと思うよ~。とにかく冷やさないように!   
    あとね、あんまり何事も集中してやらないように!」

っておっしゃった~。

たしかにね。

体を悪くすると、これまで当たり前と思っていたことが全然当たり前じゃなくなっちゃうの。
私は、編み物が好きで、ず~っとやっていても、全然平気だったけど、
今は二段も編むと、左腕が悲鳴上げちゃう…。

だから、本当はあともうちょっとデ、メンズ・セーターが出来上がるんだけど、
それもストップ…。

他にも編みたいもの、いっぱいあるけど、それもストップ。

こうなると、つくづく健康でいられることの大切を感じてしまう。
健康って大事よね~。


~~~~~~~~~~~~~~~~

次に断捨離のことです。

去年の12月2日から断捨離をする!って決意して、
捨てて、捨てて、捨てまくっているけど、それでもなお、モノが山積み状態です。

始めは、それなりにお金になりそうなものは業者に来てもらって、8万以上になったんだけど、
それから次っていうのが、全くお金にはならないね。

本とかゲームなんかも、ほとんどタダ同然。ただし、こういうものって
たとえ二束三文だったとしても、また第三者に活用してもらえるかもしれない、っていう
希望があるので、それほど罪悪感が伴わないので良し、とするです。

私、今回思ったんだけど、まず、自分の持っている紙の漫画は二年以上読んでいないものは
処分しようと決心しました。漫画ってかさばるしね。
もし、それでもどうしても読みたいと思うものは、kindleで買おうかなって思います。
とにかく、小説であろうが、ビジネス書であろうが、これからは、なるべくkindleで買おうと思っています。

あとですね、結構手強いのは、服だよね。
これも、「あ~、結構高かったのになぁ」とか思っても、やはり2年以上着てないものは
基本的に処分しようかなって思いました。
特に、編み物教室に通っていたとき、義理で買っていた先生の作品など、
結構高かったんだけど、結局好きじゃなくて、「いつか着る」と思いながら一度も手を通さなかったみたいなものも処分しようと思ってます。

断捨離の極意ってあって『それを見てときめくか、ときめかないか」に尽きると思うんですよ。
私、昔親に、親戚の結婚式かなんかの引き出物だったかなんかの食器を結婚する時に持たせられたんだけど、ソレって使っていても嬉しくないんだよね。

だから、全部処分して、自分が使ってみたいなぁ~って思っていた、
替わりにノリタケの「イングリッシュ・ハーブス」っていうシリーズのお皿を五枚買いました。

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これね~、別にノリタケのお皿ってこれまでそれほど惹かれなかったんだけど、このペール・ペパーミント・グリーン(色として大好き)と、バラみたいなコテコテした花じゃなくて、ハーブっていう楚々とした植物が描かれていることに、惹かれたんだよね。



あと、これまで大事にしていた使わなかった、ロイコペのお皿とか、ヘレンドとか、
普段にも使うようにしました。
人生って二度と戻らないんだし、生きているこの一瞬、一瞬を喜びに満ちたものにしたいかなっておもったから。

断捨離って捨てまくるってことじゃないと思うんだよね。
要らないものを処分して、自分の好きなものに囲まれて楽しく生活することだと思います。

私、近い将来、今の家をリフォームすることを計画していて、子供もいなくなったことだし、今度こそ誰にも邪魔されずに、自分だけのお気に入りの空間を作りたいなって思っています。
そのためには、やはり要らないものを徹底的に処分しないと本当に何が必要なのかがわからないと思うんだよね。

部屋のリフォームの本などを読むと、「インテリアはだいたい3色でまとめるとスッキリする」って描いてあったの。
今、リビングは基本的に白・茶色が大部分ではあるんだけど、他にいろいろと色がごちゃごちゃ混じっているんだよね。
とすれば、アクセントカラーに茶色と調和する、自分の好きな濃いめのトルコブルーというかペパーミントグリーンみたいな色を合わせようかなと。

ま、何事もあれこれと考えているときが一番楽しいよね。

~~~~~~~~~~~~

次は不眠の原因についてです。

これはね、わかったんです。
実は、実は、これは不安神経症とかメンタル疾患とかじゃなくて、
私、血圧が高かったのよね。
ダイエットしたから、それでもかなり下がったんだけど、
やっぱり、うちの母方のほうは卒中が原因で亡くなった人が多いので、
遺伝的に血管家系なんだ、ってお医者サマに言われたの。

で、血圧高いままでいると、そのうち血管が固くなって破れちゃう可能性高いから
今からケアしたようがいいよ、って言われて、お薬もらって血圧手帳もらって毎日つけています。

そしたらあ~ら、不思議。

これまであんなに苦しんでいたのに、あっという間に眠れちゃったんだわ~。

私、お医者サマにはトラウマがあって、
これまでなかなか足が向かなかったんだけど、
やっぱり、心の不調がどうこういうより、
それよりも先に、体の不調を疑ったほうがいいときもあるんだなって実感しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あと、最後、
小さい時のトラウマケアをすると、
今の認知のゆがみが矯正できると思い、
ある団体のセラピー・セッションを受けてきました。

まぁ、保険効かないので、決してお安くはなかったですよ。

人間、常識的な親に育てられると、基本的に、幼少時というのは
無条件に安心・安全でいられるんですね。
愛されて、ダダをこねても泣いても、親が優しく受け止めてくれるものなのですよ。

普通、この物心がつかないときに、人っていうのは、理由のない「自己肯定感」というものを
身につけていくものなのですね。

しかし、そうじゃない場合、家庭に問題がある場合は、この普通の人なら当たり前に持っているはずの
「自己肯定感」がなく、心の根底に「恐怖」が根付くんですね。

私の親は、母親自身がそういう自己肯定感のない人で、自己認証欲求が強い人でした。また逆にですね、父親のほうは、責任感というものがまったくなく、モラハラ人間でした。
どっちも愛着障害と言えるんですよね。

ま、私はずっと「家庭ってこんなもんじゃろ」って別段、両親に対して「変だ」なんて思わなかったんですけどね。あるとき、非常に自分の人生に対して、「こんなつまらない人生、なんのためにあるんだろ、死にたい」って思うようになったんです。

まぁ、そういうわけでこれまであちこち行脚していたんです。
セッション自体は、それなりに意義はあったのか? しかし、まだ確信はないです。
セラピストの方がおっしゃるには、
「これまでものすごく我慢しているので、自分の感情がフリーズしてますね~。
 しばらく様子みて、またいらしてください」

とのことでした。

激しいワークだったびで、その日はぐったりして、帰ってきてからずっと眠っていました。


私は、恐怖が根底にあるので、自分の本音を他人に言うことができないと言われました。
でも私、やっぱり自分の本音を「ここぞ」というタイミングで伝えることができそうもないです、今のところは。
だってさ、やっぱり本音いうと角立つこと、多くない?
それを関係を壊すことなく、言えるようになるのは、私には結構高いハードルかな。


セラピストさんは、私のような歪んだ認知も、「二次利得」っていうものがある限り、治らないかもね、治す必要がない人もいるっておっしゃいました。


私思うに、自分はそういう心の寂しさを抱えているからこそ、小説が書けるんであって、心が健康になってしまったら、そういう活動はしないだろうなぁって思うんですよね。
私、お話書くのが好きだし、かけなくなったら嫌だなぁ。

でも、この問題はすぐに解決せずに、とりあえず、一旦、棚上げでしょうか。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

断捨離の本や、心理系の本も随分と読みましたが、最近ってどんなものでも
「スピ系」とつながるものって多いんですよね。

私、この世の中には神秘的なことが存在するとは個人的には思うけど、
オーラとかゴーストとか、引き寄せの法則とか、全く信じられないです。

もし、神という高次元の存在がいるとしても、
「引き寄せの法則」で願いを達成するためには、自身の波動を高く上げなければならないっていうらしいけど、
こんな煩悩まみれの人間の波動のなんて、しょせん神からみたら、「低い!」の一択しかないですよ。
それに、いつも機嫌よく笑顔でいたら、幸せが訪れるって本当ですか?
そしたら、ユダヤ人のホロコーストってどうして起きるの?
広島、長崎に原爆が落ちたのは、広島・長崎の人々が極悪人だったせいなの?

違うでしょう?
非業の死を遂げられた人たちの中には
人格的に立派な人はたくさんいらっしゃったはずです。



そしてですね、その法則が本当なら、人間、なんのために努力するの?

じゃあ、天才的なアスリートだった浅田真央ちゃんと羽生結弦君の運命の差ってなに?
って思いません?


墓参りに行かないと運気が下がるとか、ご先祖がたたっているっていうけど、
そんなの嘘だと思う、
死んでまで、そういうこと言っているのって、毒親ならぬ、毒先祖だって
最近、好きになったyoutuberの橋本翔太さんがおっしゃっていたけど、
本当にそうだと思います。


スピの全部が悪いわけじゃないけど、
結構スピって使いようによっては危険だと思う。


そんなことをあれこれと考えている、sadafusaの最近の所感でした。









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結婚って本人同士だけのことじゃない『顔で選んだダンナはモラハラの塊でした 』 [読書・映画感想]

今日はこの漫画を読みました。


顔で選んだダンナはモラハラの塊でした (コミックエッセイ)

顔で選んだダンナはモラハラの塊でした (コミックエッセイ)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2020/06/04
  • メディア: Kindle版



これね、読むのが非常に、非常に辛かった…。

なんかあっけらかんとした可愛らしい絵で、そんなに難しい内容の本ではなかった。

けど、モラハラ男というのは、こんな感じかなぁ~って、
なんか胸がえずくと言うか、ムカムカするんですね。


話の内容は簡単に言っちゃうとこうです。

あるとき、主人公の女の子が自分にとってどストライク・ゾーンのお顔のハンサムな人に出会うのです。
女の子のほうはひと目ぼれ。

ですが、女の子のほうは東京在住、反して男性の方は広島に住んでいたのです。
で、頻繁に会うこともなく、ラインでだけの会話が一年半ほど続いたあと、
男性のほうか「ねぇ、一緒に住まない?」

女の子のほうは、ぞっこんの男性にこう言われて、一も二もなく快諾してしまうのですね。

~~~~~~~~~~~~~
そこから先は、もうわかりますね。
この男はモラハラ男だったのです。

貯金はゼロ。
つまり金銭感覚ゼロです。
自分で結婚式をするだけの甲斐性もない。
一緒に住む所を用意する金もないので、
敷金や礼金まで彼女に払わせる。


なのに、物欲や性欲だけは人一倍で、主人公の女の子が
妊娠してつわりで苦しんでいる時も、出産して身体が弱っている時も、
ストレスから子宮にポリープができて、手術した直後も、
「いつ◯◯できる?」
ってこいつバカじゃないの?

って思わざるを得ない。

とにかく何から何まで、大人の男性が持ち合わせるべき責任感とか
そういう諸々の自覚がまるでなく、まるで子供が大人になったようなわがままさ。


ということで、最後にはひと目ボレした主人公の女の子も離婚に踏み切ったという、
そんな話です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私、なんでこんなにムカムカきたのかなぁと考えてみると、
それはこの男がうちの父と兄にそっくりだったからなのですね。

うちの父という人は自分だけが贅沢していればいいみたいな人間で、
自分だけは常にロレックスの時計をし、アカスキュータムのコートを着、
ネクタイはエルメスか、ニナ・リッチか、ピエール・カルダンか…。

うちの母は、イケメンだったうちの父に一目惚れで、実は当時婚約者がいたというのに、
結婚したらしいです。

でも、どんなに訊いても、結婚した日も答えられないし、どんな花嫁衣装だったのと訊いても
「う~ん、忘れちゃった~」ってごまかすばかり。
ハッキリ知ったわけじゃないけど、
おそらく、だらしない父の誘いを断りきれなくて、デキ婚だったんじゃないかなと推測します。

で、母はどんなに父が理不尽なことを言っても結局は耐えているんだよね。
で、辛いから、実◯倫◯に入ってみたり、キリスト教に入信したり、また仏教に帰依したり、
インドの経典を読んだりで、宗教ジプシーになるんだけどね。。。

しかし、どっかでこの遣瀬ないイライラを解消しなきゃならないわけよ。
その餌食が私だったというわけです。
私はさながら、クレヨンしんちゃんにでてくるナナちゃんのママのうさぎでしたね。笑


~~~~~~~~~~~~~~

私、両親みていて、絶対にこういう夫婦生活だけは嫌だ、って思っていました。
かあちゃんばっかり働かされて、とうちゃんは贅沢に飲み食いして遊んできてさ~。
うちの場合なんて父親が帰ってくるまで部屋がピカピカに掃除されてなくちゃいけなくて、
しかも子供は絶対に寝てなきゃならなくてさ~。
起きて騒いでいようものなら、またフッと父親がふてくされてどっか行くんだよね。
そして母親の金切り声の雷が落ちるんだわw

ほんと、不健全な一家ね。


とにかく、結婚なんて相手がアイドルなみにイケメンであるとか、そういうことで選ぶもんじゃないと小さい頃から悟っていましたね。


で、私、読んでいて不思議に思うのは、ロクに会いもしないのに、いきなり同棲しちゃうことですよ。

なんで?って思うのよね。

お試しに同棲して、合わなかったら同棲解消すればいい、みたいな軽い気持ちなの?って思わずにはいられない。

そんなうかつな気持ちでいるから、失敗するんだと思う。
(失敗するのが悪いといっているんじゃない。
 だけど、失敗しないに越したことはないと思うんだな)

まず、順番としては男のほうが女側の親に挨拶に来て、
そして家族の履歴を渡して、「年収はどれだけあるの?」とか「今、貯金はどれだけあるの?」
ぐらいは訊きますね。

その答え方次第では「これはやめといたほうがいいヤツかもしれない」ってわかるもの。
実際に娘が結婚した場合でも、同じようなことしました。

まずね、これが快諾できない男は社会人として失格よ。
それを嫌がる男なら、結婚は賛成できませんね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~
案外、こういうところがうまくいく結婚の前提なんじゃないかと思ったりするのね。

まぁ、それでも離婚することもありますが、だけど、それでもこんなモラハラ男と離婚するんであれば、女性のほうが有利になる場合が多いと思うよ。

しかし、この主人公の両親は、同棲することも反対しないし、
男のほうが家に挨拶に来なくても平気。

いやいや、そうじゃないと思うよ。

~~~~~~~~~~~~~~

同棲して成功する場合もあると思うけど、
それは男女が同等な経済力、同等な地位にある場合だけだと思うな。


まぁ、舞い上がって同棲刷る前に、きちんと相手がどんな人間か見抜く
洞察力が大変大切になるというわけです。

苦労しても苦労しがいのある相手を選ぶべきだと思います。


結婚式ってね、案外両家の価値観みたいなものがはっかりと現れるものなの。
家の裕福度とか、価値観とか、教養とかいろいろなものがね。
実際にあった話なんだけど、知り合いで家族婚したあと、話がご破算になったケースを知ってるの。
嫁さん側はお父さん、お母さんはきちんとモーニングで黒留、もちろんお嫁さんは花嫁衣装を着ましたよ。だけど、お婿さん側はスーパーへ買い物にでも行くような格好してきたんだって。

いやしくも厳粛なお式にそんな格好でくる人とは、この先うまくいくはずがないってね。
お嫁さんも悲しかったけど、お婿さんが「何が悪い?」と開き直った態度を見て、
「あ~、これはあかんわ」って悟ったんだって。
ま、そういうケースもあるってこと。


*これはあくまでも、私の私見ね。
 別に同棲した人が悪い、モラハラを見抜けなかった人が悪い、というつもりはないです。
 片親でも必死になって子供を立派に育て上げたお母さんはたくさんいらっしゃいます。
 そんな人には頭が下がります。

 ですが恋は盲目のことわざ通り、たとえ若い娘が相手の男のモラハラの可能性を見抜けなくても、
 それなりに人生の経験を積んだ両親なり親戚の人みたいな第三者が鋭く見抜いてくれて、
 大きな痛手には至らなかったっていう場合も実際にあるって話です。

 好いた惚れただけでは結婚はできないんですよ。
 一番大事なのは相手の人間性かな。



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子供は親が思うようには育たない  『娘が不登校になりました』 [読書・映画感想]

最近はかなり毎日が忙しいです。

というのも断捨離作業なんですが、やってみるとまだまだ、まだまだってカンジで
「日が暮れて道遠し」って気分です。

まずですね、要るもの、要らないものに分別する作業が一番最初に来るのですが、
これがまぁ、本当に大変な作業なんです。

12月中は毎日毎日ゴミ袋に要らないものをパンパンに入れて、ゴミの日ともなると
だいたい45Lのゴミ袋を6・7袋出していました。

今は、それとはまた違って、屋根裏の物置部屋の分別作業をしています。
長い間、怠慢こいて、うっちゃっておいた大量の大型ごみ。
こいつをまず出さなくちゃいけない。
昔子供らが使っていたCDつきのラジカセとか~。
20年前イタリアで買ったトランクとか~。
今でも使えるっちゃ使えるけど、不便なんだよね。
毎年、毎年海外旅行に行けるほど裕福でもないので、やっぱりこれもゴミ。

子供が小学生の頃作った図画・工作。
大事な思い出の品ではあるんだけど、やっぱりとっておくことなできないので、
一枚一枚、ていねいにホコリをはらって写真に収め、お弔い作業です。

こんなことしていると、あっという間に毎日毎日日が暮れてしまう。

で、最近はkindleumlimitedのタダ本を寝る前に読んでおります。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日紹介する本はこれ!


娘が不登校になりました。「うちの子は関係ない」と思ってた (本当にあった笑える話)

娘が不登校になりました。「うちの子は関係ない」と思ってた (本当にあった笑える話)

  • 作者: 小林薫
  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2016/10/27
  • メディア: Kindle版




これを執筆された小林薫先生という方は、主に「ホンコワ」かなんかでサイコ・スリラーみたいな作品を描いておられる人。

私がなんで小林薫さんを知ったかと言うと、流水りんこさんが小林薫さんの漫画のキャラである、齋さんをご自分の漫画に登場させていたからなんだよね。



流水さんちの浮遊霊 (ぶんか社コミックス)

流水さんちの浮遊霊 (ぶんか社コミックス)

  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2014/12/18
  • メディア: Kindle版



齋(いつき)さんは、実はと言えば架空の人物ではなく、実在のお方なんです。
そしてこれまで実際に霊障に遭われて困っている人などの除霊した事件をもとに、小林先生が作品を描いておられたみたいなんですね。

この漫画、実に面白いんですよ。齋さんもかっこいいしね。

強制除霊師・斎 (1) 怨念旅館 (あなたが体験した怖い話)

強制除霊師・斎 (1) 怨念旅館 (あなたが体験した怖い話)

  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2013/07/25
  • メディア: Kindle版



強制除霊師・斎 (10) 霊圧の匣 (あなたが体験した怖い話)

強制除霊師・斎 (10) 霊圧の匣 (あなたが体験した怖い話)

  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2020/07/17
  • メディア: Kindle版



強制除霊市・斎(いつき)ってシリーズで10巻まであるんだけど、惜しいかな、斎さんはどうも最近、お若いのに、乳がんで亡くなったのです。なんかこれも生まれてくる前から決まっていたみたいですが、やはり斎さんといえど人間、やはりいろいろと悩んでおられたみたいですね。

その闘病記もあります。


霊能者ですがガンになりました (ぶんか社コミックス)

霊能者ですがガンになりました (ぶんか社コミックス)

  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2019/03/07
  • メディア: Kindle版





みなさんも興味があったら、読んでみてね。


~~~~~~~~~~~~~
さて、小林先生のご紹介はこれくらいにして、

『娘が不登校になりました』

この本、衝撃的です。

実は私もいじめがもとで中学校へ行けなくなり、
高校は一年遅れて入学しているものです。

うちの親はアレですが、過干渉気味なところもあるのですが、それは自分が興味のある範疇だけ。
しかし、ほかは放任気味だったので、そこは気楽で良かったです。

私は学校の先生も学友も大嫌いだったし、それにお勉強もできず、成績も悪かったので、
ここに出て来る小林先生のお嬢さんの気持ちは半分だけわかります。

でも、解るのは半分だけ。

私は確かに頭も悪けりゃ、勉強もできなかったけど、決して
『勉強したくない」とは思わなかったんですよ。

確かに理科は嫌いだった。しかし、だからといって「知らなくてもいい」とは思わなかったんだな~。

だけど、この子の場合、ものすご~く繊細というのか、近くの公立中学へ行って、一年の間は学校生活をエンジョイしていたのだけれど、2年になって担任の先生というのが、なんというのか乱暴な人というか、デリカシーっていうものが欠如しているっていうか、要するに教育はあっても、教養がない人だったんでしょうね。

それでもう、いけなくなってしまったんですね。

それで、お嬢さんはず~っとず~っと引きこもって、布団ぐらしだったそうです。
やはり心身ともに成長期である娘がこのまま、運動も勉強もせずに
毎日を無為に過ごさせてはならないとさすがの先生も思われたわけですよ。

それで普通の学校が行けなくなった子供のためのフリースクールへ行くことになります。
ただし!
ここで勉強したからと言って、ここの学校の名前というか責任において成績表がつけられ
卒業できるわけじゃないってことなのですね。あくまでも籍はもとの中学校にあるわけ。

となるとどういう弊害があるかというと、内申書がどの教科であれ「1」になるということ。
これは相当厳しいです。

で、先生は娘さんを受け入れてくれる私立中学へ編入させるべく奔走するんですね。
で、めでたく編入試験合格!
そしてしばらくは新しい環境の中学へもたのしげに通っていたのですが、中学3年の途中からまた
引きこもり。「学校へ行きたくない」

は~、ため息が出ますね~。

今度の学校はお役所主義的な公立中学とは違い、もっと先生などのスタッフは思慮深い。
もっと慎重に子供たちを扱っていて、何が不満なのかと、先生は鬱憤やる方ない。

でも、子供は笛吹けどけど踊らずというか、やっぱり脅してもすかしても、学校へ行こうとしないんですね。

漫画仲間からは「義務教育はほぼ終えてたんだし、親としてやることはやったんじゃない? もう勉強したくないっていうなら、そりゃ、自己責任だよ、ほっておけば?」って言われるんですけど。

でも、このまま放置しておけば、学歴は中卒。今どきこんな低学歴の人間がどこで働けるっていうの?
社会的弱者になることを恐れて、親である小林先生は必死で娘を励ますんだけど…。

やっとの思い出、今行っている私立中学の付属の高校で内部試験を受け、高校の入学金を収めたあと、
「やっぱりよく考えたけど、行きたくない」と娘がしれっと宣告。

小林先生、とうとうキレます。
「どうして、大金払ったあとで、そんなこと言うのよ!」
「だって行きたくないんだもん!」
「バカ~!」
「お母さんなんか、死ね! 死ね死ね!」
「何だって~、人の苦労も知らずに! あんたなんか産まなきゃよかった!」

子供に向かって「産まなきゃよかった」っていうのは言ってはならない禁句だそうですが、私もその立場に立たされたら、きっと言ってしまうと思います。


結局、またもとのフリースクールに戻ったらしいです。
もう、小林先生は娘に対して、向上心とか向学心を持つことなど諦めていたので、
娘が「語学の専門学校へ行きたい!」といったときにはそうとう悩まれたそうですが、
結局、やはり子供が可愛いで、行かせたみたいです、
卒業できたのかどうかまでは描かれてありませんでしたが、
小林先生のために、娘さんが卒業してご自分の道を歩まれていたらなと思わずにはいられませんでした。


~~~~~~~~~~~

同じ漫画家業の流水りんこさんのお子さんたちは、すごく優秀でお兄ちゃんは政治学者になるべくイギリスへ留学、そして妹さんはファッションの勉強をするためにやはりイギリスへ。

これはわたしの私見なのですが、これはお父さんの資質の差なのかなって思うんですよ。
りんこさんのサッシーさんはインドの方ですが、非常に仕事に熱心で、子煩悩な方です。
骨身を惜しまず、お客の立場になって少しでも美味しいメニュー、ていねいなサービスを心がけておられる。常に前向きです。りんこさんとしょっちゅう喧嘩しているけど、いつも夫婦は対等。
それでいて、どんなときでもご夫婦力をあわせて、難局を切り抜けて行っておられます。

ところが実は小林先生の元旦那さんは、突然、会社をやめて、布団かぶって引きこもり。


夫がまったく働きません。~大黒柱かーちゃんと、元うつ病ダンナ~ (本当にあった笑える話)

夫がまったく働きません。~大黒柱かーちゃんと、元うつ病ダンナ~ (本当にあった笑える話)

  • 作者: 小林薫
  • 出版社/メーカー: ぶんか社
  • 発売日: 2014/04/28
  • メディア: Kindle版




「うつ」なんだって説明されていましたけど、私はそうは思えない。
というのも、私の夫もものすごいうつになって、何ヶ月も入院していたんです。
たしかに最初のうちはバッテリーが消えたアトムみたいになって目に光がなく、
死んだようになって眠っていました。

だけど、こんな旦那さんのように奥さんや娘さんのことを考えない自分勝手なことをするようなことはしませんでしたね。
これはうつとはまた別の症状なんじゃないかと思います。
私にはこれは、モラハラか一種のDVなんじゃないかと思いますね。

小林先生自身はりんこさんと同じように非常に勉強熱心な作家さんだと思います。
もしかしたら、小学生という非常に大事な時期に、全く向上心のない、努力がきらいで、あわよくば濡れ手に粟のような生活を目論んでいた旦那さんを見て育ったことが、原因のひとつなのかも?
人間ってミラー・ニューロンっていうのがあって、環境に染まりやすいっていうしね。

ただし、小林先生自身は非常にあれこれと心を砕いておられていて、気の毒だったなって思います。



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見知らぬ他人の親切が心に沁みる 『NY 親切なロシア料理店』 [読書・映画感想]

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このお正月は、全くもって映画三昧で、ず~っと『京都シネマ』に通っていました。
なんかね、普段なら007とかなんたら殺人事件とか超ビッグでゴージャス&リッチな映画が楽しめるはずなのに、みんな延期なんだもん。

かといって、私もう、若い人が楽しめる映画を面白い、と思えるような年齢はとっくに越したような気がするんだわ。
しかしそれも食わず嫌いで、食べてみたら案外美味しかったってなるのかもしれないけど、今、それほどまでに食指が動かないっていうか~。


~~~~~~~
前フリはこれぐらいにしておいて本題に入りましょう。
私は見たい映画のジャンルのひとつに『お料理がおいしそう』っていうのが好きなんですよ。
ロシア料理って、「なに、それ美味しいの?」って思われる人も多いかも知れないけど、
実はフランス料理のコース料理っていうのは、ロシアから入ってきたものなの。
それまではぜ~んぶお料理をお皿に並べて食べていたのね。

だけど、オードブルならオードブル、温かいスープなら温かいスープとひとつひとつお皿を持ってくるという習慣を持ち込んだのはロシアなんだよね~。

それでもって、ロシアって意外と美食の国でもあるんですよね。
やはり強い権力を持っている皇帝がいましたからね、ロシアは。
そういう国は宮廷が栄えていて、必ずお料理を供されるものだから、必然的に洗練されたものになりますね。


さて、ですからタイトルを見て、「美味しそう』と思ったのですが、
お料理はこの作品の場合、全くの主役ではありませんでした。
ロシア・レストランは出てくるには出てくるけど、ちらっとだけです。

この話はですね、実はDV被害に遭ったまだ若い母親とふたりの息子がですね、命からがら夫から逃げてNYで生き抜いていくかって話なのです。
ほんわかとハートウォーミングで童話みたいな話なのかと思ったら、案外重たい話でした。

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この話を見ながら、アメリカって人権とかいろんなシステムが日本よりも一歩も二歩も進んでいて、夫によるDV被害なんて簡単に逃れるんじゃないかなぁって思っていたけど、

アメリカって一口に言っても広く、いろいろな州があるってことです。

アメリカの大統領選とか見ていると、トランプは共和党で、バイブル・ベルトってところからものすごく指示があるというけど、バイデンなんかは民主党なので、非キリスト教徒にものすごく支持されていました。

まぁ、ものすごく保守的なところと、進歩的なところが混じっているのがアメリカ。

たしかにNYなんて、いろんな人種やLGBTとかいろんな人にとっては寛大な土地だとは思うけど、
また逆にカトリックとか筋金入りの清教徒ばっかり澄んでいて離婚さえ許されなくて、またDVなんかも父権の象徴だとして女や子供にそれを無理やり認めさせていると言うか、黙認しているところもある、ということですね。

そしてこの映画のとっても怖いところはですね、
夫に暴力を受けたのなら、シェルターに入ればいいじゃん?って思うでしょ?
でも、夫は地元では優秀な警察官で通っていて、そのネットワークを使っちゃうとすぐに
居所がバレて引き戻されるってことなんです。

ですから、この奥さんと子供はなんとかNYにたどり着くまでは車で逃走できたんだけど、
お金もないし、クレジットカードも使えないし、身分証も使えないので、
本当に悲惨で、下の子なんか夢遊病か夜驚症らしく、夜フラフラと外に出ていってしまって、
低体温になったりして死にかけたりしたんですよね。


で、もう万事休す、これは居所がバレても病院へ行くしかない!ってところで、本当に見ず知らずの人々が、何人も出てきて、その哀れな親子を残酷な男から見つからないように、命がけでかばってやるのですよ。
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ソレはなぜかといえば、その助けてくれた人々も、おそらくはマイノリティなのです。
移民であるとか、犯罪歴があるとか、おそらく学習障害だったとか。
だからこそ、彼らは切羽詰まった親子の切なさ、悲しさが解るのです。

この映画の邦訳は『NY 親切なロシア料理店』ってなっているけど、
本当は『Stranger's kindness』つまり、「見知らぬ人の親切」なんですね。


深い、深い映画でした。

~~~~~~~~~~

余談ですが、この映画のロシア料理店ですが、昔はNYでも指折りの名店だったのですが、リニューアルもせず、そのままず~っとやってきたので、今では古臭くて全くイケてない店なんですね。
黄ばんでしまった地模様入の絹の壁紙、汚れて傷んでいる真紅のベルベットのカーテン。そしてロシア教会に吊り下げられているような立派なシャンデリア。かつては誰もが感嘆して見惚れるほどゴージャスでキラキラと輝いていただろうけど、今は落ちぶれて見る陰もない。

でも、私はそういう一種の胡散臭さ、汚さっていうのも案外魅力的だと思っています。

昔、東京タワーの下にボルガというロシア料理の名店がありました。
東京タワーの下から見下ろすと、そのすぐ真下におもちゃのような玉ねぎ頭のキューポラが見えたものです。

ここはロシアがソ連だった時代、KGBがたむろしていたところだとも言われ、一説によるとこの店とKGBの本部は地下で通じているなどとも言われていました。

全く映画の内容とは関係ないけど、映画を見ながら、そういった昔の思い出を懐かしく思い出していました。


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みなさま、あけましておめでとうございます! [雑文]

みなさま、おくればせながらあけましておめでとうございます!!

今年もよろしくお願いします!!


さてと、今年はいつもより寂しいお正月で、それはみなさまもおそらく立場は同じだと思うのですが、我が家の場合は息子が転職しまして、仕事の関係でお正月は一緒に過ごせなくなったからです。

いつもなら、元日は息子と夫と三人で、京都ではない畿内の古いお寺や神社に参拝するのがここしばらくの習慣だったのですが、ソレも行けなくなりました。

結婚したときは、もともとふたりだけだったのだから、それがまたふたり戻っただけと考えればいいのですが、なんとなくなにか急に身体が軽くなったような、なにかこれまでしっかりと大事なものを抱えていたのをどこかに落としたような、そんな心もとなさを感じています。

ただ、うちの子供はとっくに成人して、ふたりとも親にあれこれ指示されなくてもとっくに自分で判断できる年齢に達していますし、またそうなったことを喜ばなくてはいけないんですね。

これから夫とふたりで楽しく生きる方法を考えなくては行けないような気がします。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このブログは2012年から始めて、これで足掛け9年目に突入します。

私はもともと飽きっぽい性格で、そもそも何事も長く続けられない性分なのです。

フラワーアレンジメントを載せたり、編み物を載せたり、また、読書や映画の感想文を載せてみたり、はては自作の小説を載せたりと、方向性の全く定まらないコンセプトとしては、全くダメダメなブログなのですが、しかし何かに特化できないのが、この私という人間なので、そこはご勘弁ください。

自分にとって興味が持てて、誰かに自分の胸のうちを吐き出すというのが、このブログの一番の効用だと思っています。自分がまず楽しくやっていける、それが一番自分にとって大事なことなのかなぁと思っています。


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小説のほうは二次小説で、半分はオリジナルの登場人物、状況設定を使っているので、完全な自作物とはいえないので、ここに載せてあります。
(他のオリジナルはnoteで有料で読むことができます)

今から五年前に、私はそれまで作品全部を通して、アニメ『ベルサイユのばら』作品を見ていなかったのですが、通して見て、「これはもう、主人公は完全に愛着障害を背負った、アダルトチルドレンの話であろう」と思ってものすごく感動したんですよ。

それまで原作しか知らなかった私は、なんか妙にアニメの主人公に惹かれてしまいまして…。
ほら、原作ってほとんどスーパーウーマンじゃないですか?
トラウマとか孤独とかあんまり関係ないっていうか。
あまりに自己肯定感が高いのです。だから常に颯爽としていて、悲しい場面ですらもやはり颯爽として雄々しく、「うわぁ、かっこいいな」と思いはしても、心の痛み、心の弱さを共感するまでには至らなかったっていうか…。いや、そういう側面がないわけじゃないのですが…。

要するに二次創作とは、作者が違えば、登場人物の性格も変わるということです。


で、私はこれまで、海外の続編とかサイド・ストーリーなどを色々と読んできたのですが、
例えば『風と共に去りぬ』の続編、『スカーレット』
あるいは『オペラ座の怪人』のサイドストーリー『ファントム』

あと、文学的にもものすごく素晴らしいと思ったのが、『ジェーン・エア』のサイドストーリーで、後にジェーンの伴侶となるロチェスターの隠された前半生を描いた作品。

タイトルも『サルガッソーの広い海』


この作品もジーン・リースという女性作家のもので、もともとジェーン・エアって少女小説っていう側面が強いと思うんだけど、この作品は場面がカリブ海の孤島で、最初の妻、バーサことアントワネットとの気だるく爛れた愛の生活を描いたものだったのですね。これには唸らされました。


このみっつは全員作者が女性でして、女性ならではの細かい心理描写とか状況設定なんかも秀逸でした。たしかに原作を下敷きにはしているものの、全く別の作品だったのですね。

私もどうせなら、こんなのを書いてみたいわって思って、意気込みと理想だけは高く、二次創作を書いたものです。

私は、実はその頃、人生に躓いておりまして、なんだか自分の中に生きにくさっていうものを感じていて、それを作品にぶつけていたのですね。


まぁ、これは人様に読ませる体裁にはしていますが、完全に自分のために書いたものなのです。
五年以上も前に、それも結構拙いのですが、未だに読まれていていて幸せな作品です。


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また、読書感想、映画感想なども結構読まれています。

本当にありがたいことです。

これからもなるべく、読んで楽しく、少しはタメになる記事を書くように精進していこうと思っています。
















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燃ゆる女の肖像 [読書・映画感想]

今年はコロナのせいで年末年始といえど、めったに人とあうこともないし、
つまらないので、映画ばかり観ています。

とはいっても、ハリウッド製の面白そうなものは全く上映されないので、
最近はヨーロピアンで芸術性の高いフィルム系のものをよく見ています。

今回観たのは、『燃ゆる女の肖像』という映画。

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この映画は、評価が高くてですね、なんでも2019年・第72回カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィアパルム賞を受賞したという作品だそうです。

確かに非常に映像は美しく、繊細な女性の気持ちを描いた作品として、秀逸なのかなとは思うものの、
何ていうかな、同性愛について描かれたものなので、ちょっとそこらへんはわかんなかったというか、私には共感できなかった部分がありました。


あらすじをさらりといいますと、時代は18世紀、解説にはそれだけしか書かれていないけど、女性の髪型や服装、そして男性がまだ三角帽を被っているのを見ると、多分時代は1750年代ぐらいじゃないかなぁというのが、私の思うところです。

ある女性画家がブルターニュの小島から仕事の依頼を受けます。
ブルターニュって言ったら、フランスの北西のほうで、イギリスと海峡に挟まれているところで、タダでさえ、ブルターニュってどえりゃあ田舎なのに、さらに島ってことだから、それがどれだけ、不便なところかが推し量られるよね。

劇中では、島のお城に住んでいる奥様から、娘をミラノに嫁に行かせたいので、肖像画を描いてくれって依頼されたんですよね。

でも、そこにはいくつか問題があったのです。

このお嬢様はつい最近まで修道院ぐらしをしていました。
貴族の娘が適齢期になるまで修道院で育つというのは別段珍しくもないのですが、実はこの結婚話というのは本来彼女に来た話ではなく、彼女の姉にあたる娘にもたらされた話なのですね。

ですが、おそらく結婚相手のミラノの男性はひどく年が離れているかなんかで、(おそらくベルばらのシャルロットのように)姉がその結婚を嫌がり、世を儚んで自殺してしまったのです。それで本来は一生修道院にいるはずの妹のほうにお鉢が回ってきたというわけ。

で、観ているこっちは妹娘って十五、六の少女なのかなって思うじゃないですか。

しかし、実際に女性画家が会ったお嬢様って、結構おばさん臭い、とうのたった女性なんですよね。
おそらく当時の感覚で言えば完全に行き遅れの年齢なんだと思います。

なぜ、こんなふうに一人しか結婚できないのかといえば、恐らく彼女の家は貴族なんですよ。
だけど、ひどく貧乏なのよね。だから二人も結婚させられなかったんでしょう。
要するに持参金が一人分しか用意できなかったというわけです。


それが証拠に、お城もボロボロだし、食事もひどく質素だし、
召使いは一人の少女しかいない。


行き遅れの歳で娑婆に急に戻されたお嬢様は、ひどく頑固で扱いにくいんですよね。

彼女もいまさらミラノにお嫁に行くのは嫌なんです。
だから、母親は一計を案じ、彼女の散歩に付き添ってそれとなく観察して
肖像画を描いてほしいと頼むのです。


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女性画家のほうも、お嬢様と一緒でとっくに行き遅れの年齢ではあるし、また画家と言っても、女性はまだまだ世の中に進出できない時代であるし、結構苦労しているようです。

そして何回か散歩しているうちに、ふたりは除々に気持ちが打ち解けてきて、親しくなっていくんですね。

で、突然、レズビアン行為ですよ。

日本人の私が見ていると、「え、なんで急に?」と思うのだけれど、




この時代の女性同士の愛って、今の同性愛とはちょっと違うんですよね。
彼女らだって、できるものなら自由恋愛したいです。
でも、世の中がソレを許さないんですよね。
バレたりすると、女性だけがそしりを受ける。
罪というなら男だってあるはずなのにね。

リスクは常に女性側にあり、下手をすると妊娠という決定的な不名誉を負ってしまう。

実際、劇中でも島の男性と恋愛していたメイドが妊娠してしまい、どうしようもなくなって、村の堕胎専門の女に堕ろしてもらうシーンもあります。
そのことに対して、女性画家もお嬢様も同情的で、「女って辛いねぇ」って態度なんですよね。


ここでちょっとね、プルーストの『失われた時を求めて』の後半に出て来るヒロイン、アルベルチーヌを思い出すのですよ。







消え去ったアルベルチーヌ (光文社古典新訳文庫)

消え去ったアルベルチーヌ (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/05/13
  • メディア: 文庫





アルベルチーヌは、主人公マルセルの愛人でした。アルベルチーヌは聡明でものすごく美人だったけれど、両親が早くに亡くなってしまい、持参金が全くないのです。
で、親戚のおばさんにお情けで女学校だけは出してもらったのだけれど、つまるところ、彼女はこの先、一生、金持ちの子供の家庭教師をして行きていかなきゃならなかったのですね。

全くの庶民だったら、自由恋愛もできるのだけれど、なまじっかいい家に生まれてたりすると、それもままならない。

こういう女性たちってとても孤独なんですよ。
それで、こんなふうに人恋しさのあまりにレズビアンに走ってしまうものだったらしいです。
アルベルチーヌは、身寄りが全くないので、DVのマルセルの体の良いおもちゃで我慢していたのですが、あるとき耐えきれなくなって、マルセルの家から飛び出して行って、その後、事故死するんですね。
で、マルセルはアルベルチーヌの死後、彼女が本当にレズビアンだったのかどうか、確かめようとするのです。(そんなことどうだっていいだろう?って読んでいて辟易するのですが)


この女性画家とお嬢様の間にも、そういう孤独な者同士、温かい肌にふれあいたいという欲求がわいてきたように思えます。



~~~~~~~~~~~~~~~~~

で、まぁ、この映画のタイトルは『燃ゆる女の肖像』というくらいだから、絵が結構大きなモチーフになるわけよ。

でさ、時代はロココなわけでしょ?
だけど、描かれた絵が全くロココっぽくないんだな。

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全くのリアリズムっていうかさ、クソ真面目な絵だと思うんよね。
貧乏なのは解るけど、本当にきれいなレースひとつ、アクセサリーひとつつけていない。


ロココって、何ていうかな、この時代独特のコケッティッシュな可愛らしさが求められると思うんだけど、それも皆無だよね。もっと骨格は華奢で、肌はやわらかそうで透き通るように白くって輝いていて、目はキラキラと輝き、ほっぺたもピンクに描かれてないとな~と観ていて思ったわw

こんなふうに描かれたら、依頼主は激怒しそう。
どこの百姓女よ、って思われそう。


ロココ時代を代表する画家は、ちょっと思いつくところを言えば、ワトーとかブーシェとか、あるいはナティエ、ルブラン。

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やっぱり、似せて描いたとしても、人間というのはどこまでいっても、自分の生きている時代の美意識から逃れられるものではないな~と別の面から観て、感心しました。

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断捨離決行中 [雑文]

みなさま、こんにちは。

もう年の瀬も迫り、2020年もあと僅かですね。
今年はほんとうに大変な年で、去年の今頃、世界中の誰一人として、
こんな世の中になるとは想像していなかったでしょう。

ロックダウンってよくわからない言葉を使っていますけど、
言ってしまえば「戒厳令」ですよね。

折しも、英国には新型の変異ウィルスに罹患している人が激増したとかで、
昨日でしたか、英国帰りの日本人五人が陽性になって隔離され、
辛くも、水際で食い止められた形になり、今日、日本は本当に文字通りの鎖国をして
しまったようです。

私は、昨日クリスマスの日ながら、仁和寺に行って護摩行に参加してきました。
なんでも、御室八十八ヶ所霊場が台風の被害にあい、お堂が吹き飛ばされたり、
御池が決壊したりと大変な被害にあったそうで、
いわば、これは霊場修復のための勧進護摩ということです。

今年の元日には比叡山根本中堂にて護摩行を偶然見学しましたが、
今回はふとどうしても自分から行きたくなって参加したものです。

間近で見るお護摩の火ってすごいですね。
そのお堂の本尊さまは薬師如来さまだったので、
「オンコロコロセンダリアソウギソワカ」と一緒に唱えることができました。

これも仏縁でしょうか。

よくわからないけど、コロナの終息を祈念してきました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ところで!
ながらくブログを放置していましたが、実は毎日めっちゃ忙しいんです!
結婚して32年、この家に越してきて30年あまり。

子供が成長するにつれ、ものがどんどん溜まって家の中がパンパンです。
京都は知られているように「うなぎの寝床」といいますか、小さい敷地しかないので、
我が家も三階まで一応ありますが、三階はもはや部屋として機能しておらず、
ただの物置と化しています。それも本が多いので、
2階のふすまなど開けにくく、ものを全く捨てたがらない夫に言いました。

「私かモノか、どっちかを選びなさい」

夫は渋々従っています。今のところ。


ですが、まぁ、夫のせいにばかりもしていられない。
整理されてないのから、しまったところがわからず、
同じものばかりいくつもいくつもでてきます。

もう、ゴミ袋に何袋捨てたでしょうか?

服もどさ~っと捨てました。
五年以上着たことのない服ってこれからも着ない可能性高いので、
高かった服も思い出深い服も処分しました。

まだ、要るもの、要らないものと分別中ですが、
その後、古い家具なども処分するつもりです。

整理していて思いましたが、整理されてない家って結局、
合理的じゃないし、お金の無駄遣いが多いんですね。
反省しました。

シンプルでも豊かで快適な暮らしがしたいです。




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運命の学問・インド占星術 『流水りんこのインド占星術は深いぞ~!』 [読書・映画感想]

皆様、こんにちは。


最近はすっかり流水りんこさんのマンガにどっぷりハマっております。
この方、マンガのジャンルは特に決まっておられないようですが、エッセイマンガが面白いんですよ。

エッセイマンガの中には前回紹介した、ご自分のご家族、人生を題材にした『インド夫婦茶碗』ももちろん面白いのですが、

この方の描かれる、オカルト・スピリチュアル・精神世界に携わる方々を取材したマンガが、決定的に面白いです。

今回ご紹介するのは、これです!!


流水りんこのインド占星術は深いぞ~!





sadafusaはですね、これらの精神世界というのは、どっぷり信じていません。
特にですね、『引き寄せの法則』などは端っから信じていません。

ですから、よくスピリチュアルを信奉している人の中には、
「ああ、夕日の雲の形が◯◯に見えるから、(自分にとって)きっといいことがある」
など一喜一憂されている人を見かけます。ですが、私はそういう立場の方々とははっきりと境界線を引いています。
「神」「上位的存在」はおそらく、「わたし」という一個人に対して、常に味方して有利に働いてくれるとは思えません。
それに、人の生き死にに関しても、もっと俯瞰的というか、大きな目で見ているような気がします。
ぶっちゃけて言えば、あんまり気にしてないっていうか、ね。
そうじゃなきゃあ、これまで幾多の善人が大虐殺や大災害で亡くなったのか、わからないじゃないですか。

またですね、「目に見えないし、何も感じないから、精神世界とか、あの世を否定する」っていう考えにも、懐疑的であります。
なぜなら、五感に訴えないという意味では電磁波なども同じじゃないですか?



だから、こういう世界が存在する、しないと考えるのはそれぞれの自由であります。
しかしまぁ、私のような凡人には「わからない」という一応の結論を出しておきたい、と思います。
それは、このマンガの作者である流水りんこさんも同じで、彼女もこれまで様々な霊能者や精神世界の権威の方にインタビューされてこられましたが、立場は「中立」です。

わからないものは、わからない。
それに無理にわかったフリをしないっていうのも、読者に好印象を与えると思います。




~~~~~~~~~~~~~~

さて、なぜ作者の流水りんこさんが、インド占星術とご自分のマンガの題材として
選ばれたのかというのは、それなりに経緯があります。

前回も書いたかとは思いますが、彼女はマンガ家となってから10年以上、1年の何ヶ月かはインドの各地を放浪する生活を続けてきました。そして、バラナシで出会ったインド人男性と結婚することになったのですね。

ご主人のサッシーさんは、日本に来て、練馬で南インドカレー屋さんを開業するのですが、やはりね、一国一城の主になるというのは大変なことであるらしく、常にキリキリと働いて休む間がなかったのですね。

で、奥さんであるりんこさんが「これ以上働くとストレスで病気になってしまう」と思い、西洋医学の病院ではなく、ご主人と一緒に南インドにあるアーユルヴェーダの病院で療養することになったのですね。

まぁ、ここらへんの詳細は本書を読んで頂くとして、びっくりしたのが、アーユルヴェーダというのは、太古から現代にまで連綿として受け継がれてきた知の集大成だということです。一時期、それはなんの根拠もない迷信だと切り捨てられてきた時代もあったのですが、最近はまた、見直されてきているようです。

そして、アーユルヴェーダでは、個々人のホロスコープというものを非常に大事にするということなのです。今、目の前にいる患者さんがいつ、どこで生まれたかというのがとても大事なのですね。

で、ですがこのご主人のサッシーさん、さすがインド生まれというか、ご自分の生まれた年というものは把握しておられるのですが、生まれた月日というものが定かじゃないのですよ。それはなにもサッシーさんおひとりのことではなく、だいたいサッシーさんが育った地域はそういうのが当たり前なのだそうです。ですから、サッシーさんが小学校に上がったときに、学校の先生が「だいたいこんなもんだろう」とそれぞれの生徒の生年月日を決め、役所に届けたのだそうです。

だから、今もサッシーさんのパスポートなんかは、この学校の先生が決めた生年月日が使われています。

でも!
ここがインドの摩訶不思議なところというかなんというか、そんなに大雑把なのに、実は子供が生まれた瞬間、何年何月何日、何時何分までものすごく正確に記し、この子はこんな性格で、将来こうこうこうなるだろうと人生を克明に記したジャータガというものを作成するらしいのですね。
しかしこれは、一般の人には読めず、それを専門にする人間(パニキャーというらしいです)しか読めないのだとか。。。。

サッシーさんのお母さんは、ジャータガを作成してもらったことに安心して、そして大事なものだからと多分大事にしすぎて、どこか奥深いところにしまってしまって、行方不明になっていたそうなのです。
ですが、アーユルヴェーダというのは、治療する上でジャータガが結構参考にすることが多いらしく、本当の生年月日がわからないのは困る、ということで、探しに探したところ、とうとう見つかったんですよ。

そして、パニキャーに読み上げてもらったところ!
信じられないくらいいろいろなことが、当たっている!
妻のりんこさんがマンガ家であることも、実名とペンネームがふたつあるということもなぜか記されていた。
そしてふたりのお子さんである、アシタくんとアルナちゃんが留学すること書かれてあった~!

どっひゃあ~。これは、サッシーさんが生まれたとき書かれたことであって、そのときはもちろんりんこさんも生まれていなければ、おこさんたちも影も形もなかったはずです!
どうしてこんなに細かいことまでわかってしまうの?

そして、占星術師であるパニキャーさんはこうも言うのです。
「サッシーさん、りんこさん、あなたたち夫婦は、過去世のカルマで一緒になりました。そうでなければ出会えない縁です。それをよく理解してください」と。



りんこさんとサッシーさんもこの言葉には本当に驚きとともに、深い感銘をうけたのですね。


~~~~~~~~~~~~~~~
ここまで読んでですね、なんかこれに非常に似たような本を以前読んだ覚えがあるぞと。
そうだ、これは一昔前、結構巷で流行った『アガスティアの葉』『理性のゆらぎ』にそっくりではないか!
それに、りんこさんたちの担当医となる「シャシクマール」先生という名前もその本に出てきた覚えが…。シャシクマールってインドによくある名前なのかな?




アガスティアの葉―運命か自由意志か、そして星の科学とは何か

アガスティアの葉―運命か自由意志か、そして星の科学とは何か

  • 作者: 青山 圭秀
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 2020/11/18
  • メディア: 単行本



理性のゆらぎ (幻冬舎文庫)

理性のゆらぎ (幻冬舎文庫)

  • 作者: 青山 圭秀
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2020/11/18
  • メディア: 文庫



それはどうも当たっていたらしく、
流水りんこさんの南インド探求シリーズの
『アーユルヴェーダはすごいぞ!』に、これとは別にアシスタントさんと一緒に、同じ病院に体験入院をレポートするマンガがあるんですが、



流水りんこのアーユルヴェーダはすごいぞ~!

流水りんこのアーユルヴェーダはすごいぞ~!

  • 作者: 流水りんこ
  • 出版社/メーカー: 主婦と生活社
  • 発売日: 2016/07/15
  • メディア: Kindle版



入院中にアシさんが、青山さんの『理性のゆらぎ』を読んでいて「あ、シャシクマール先生のことが書いてある!」って言ってます。

~~~~~~~~~~~~~~~

ま、アーユルヴェーダもインド占星術も深すぎて、それを詳らかに説明することができないです。
でも簡単にかいつまんで説明されるところによると、占星術といってもそれは非常に天文学に近いもので、非常に高度な計算が必要だとのことです。

ですが、この星の動きと人の運命はどうやら連動するものらしく、その人の正確な生まれた時間、場所さえわかれば、非常に熟練した占星学者であれば(そういう人は非常に稀なものらしいですが)おおよそのその人の一生、気質などもわかってしまうものらしいのです。
そして、その人が死を迎える瞬間でさえも…。

さらに言えば、その人が来世に生まれる場所や時間、そしてどんな人生を送るかでさえも!

こっわ~。怖くないですか?

もうすでに死ぬ前から来世の自分の運命って決まっているんですよ?




私は今、日本の京都にいて、自分の自由意志でありとあらゆることを選択していると思っていますが、
それが運命だったのだとしたら?

もっとも、人間はほとんど運命は避けられないものなのですが、それをどういった気持ちで迎えるかはその人の自由意志に任せられているとのことです。

また、人間というものは一生に積んだカルマ(業)によって、来世の運命も決まってくるものらしいですが、おおよその人というのは私も含めて愚かなものだから、負債のカルマばっかり増えていって、よい行いで負のカルマを返済なんてできず、どんどん雪だるま式にカルマが増えていっているような…?

恐ろしいことですよね。



インドの神話によりますと、現在クリシュナ神は地球を離れて故郷に帰っているので、この地上はカリユガ(暗黒の時代)なのだそうです。でも、また再びクリシュナはこの地上に戻ってきて、黄金の時代を迎えることができるのだそうで…。

もし、それが本当ならカルマが積もりに積もった、業の深い私はそのとき、どうなっちゃうんでしょうかね???



~~~~~~~~~
ちょっと話は外れますが、日本の密教は大変にインドのバラモン教の影響を受けているといいますね。
私の浅はかな考えなのですが、密教って案外、真実を突いている結構高度な宗教体系だと前々から思っていたのですよ。

それでですね、密教っていうのは、未来仏っていう考え方があって、過去にお釈迦さまのように立派な悟りを開かれた方っていうのがいるはずなのだから、私達が知ることができない、遠い、遠い過去にもそういう偉い人がいただろうし、そして遠い、遠い、未来にもそういう人が現れるはずだっていう考えに基づくんですよ。
で、弥勒菩薩って方がその未来仏にあたるのよね~。

それって私、昔から不思議に思っていたのよ。
「なんの確証があって、そういうことがあるといえるのか?」
「やっぱ、宗教って胡散臭いな~」って。

弥勒菩薩はお釈迦さまの入滅後、56億7千万年後の未来に現れるってことです。
(こんなに長い間だと、太陽系自体がすでに滅亡してんじゃないの? [ウッシッシ]
お釈迦さまが生きている時代には、アーユルヴェーダもインド占星術もすでに歴とした学問として存在していたそうなので、もしかして、もしかしたら、シッダルダのジャータカを見て、古代の哲人、アガスティアのように計算した人もいるかもしれない…。


そんな不思議な気持ちにさせられた一冊でした。

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Uber eats 使ってみた! [雑文]

皆様、こんにちは。

前回から随分と日にちが経ってしまって…。
気がつけばって感じですよね。

というのも、わたくしね、最近イマイチ体調良くなくて~。
身体の調子というより、精神的なものなんでしょうかねぇ。

さて、さて。

もともと私はインドカレーが大好きなんですが、
(欧風カレーはそうでもないです)

実は、先月の中旬ごろに東京へ行く機会があったのです。
私としては、そりゃ~練馬のケララ・バワンに行きたかったのですが、
スケジュールの都合上そういうわけにもいかず~。

そのとき使った宿泊所が神保町だったのですが、実は、ここって
カレーの一大聖地だったみたいです。

で、見つけたのがやっぱり南インド料理専門店の
「バンゲラズ・キッチン」ってところだったんですよ~。

そこで酸っぱいベジタブルスープと、豆とココナッツが入ったサラダ、そして豆のコロッケ、
それでビリヤニを頼んだのかな。
で、最後にチャイね。

場所もものすごく良かったわりにお値段、お値ごろで大満足でした!


で、ですね。
京都へ帰ってきてから、「南印度料理よ、もう一度」ってことで、
探したんですね。するとそこって、実はむか~し、クリスマスイブに入ったお店が南インド料理店だったんです。
その昔はなんか古びてぼろっちいイメージしかなかったんだけれど、
最近は流行ってきていて、お店の品質も向上していたみたいです。

行きたい!行きたい!と思っていたんですが、インド料理って一品が結構大量なので、
食べきれない。やっぱり二人で行きたいな~と思っていたんです。

だけど、夫は私ほど、熱烈にインドカレーが好きじゃないみたいなので
「こないだ、東京で食べたでしょ?」って感じで話に乗ってくれないんです。

娘は、小学校までカレーは「カレーの王子さま」オンリーの、辛いの大嫌いな人なので、
誘うことすら無理。

う~ん、でも、いました、娘のオムコさんが!
彼は辛いもの、大好きなんですよ。

でも、できるなら平日のお昼にしてくれと。
で、幸いにも、そこはウーバーイーツで配達もしてくれるみたいなので、
さっそく注文することに。

約束では11時45分から12時のあいだに到着ということだったんですが、
12時から10分過ぎても届けられる気配はない…。
お店に電話すると、「11時30分には取りに来ましたけどね~」とのこと。

配達している人に電話するけど、つながらず…。
で、よくよく見ると、その方、どうも日本人ではなく、中国かベトナムの名前っぽい。

時計を見ると12時半!
だんだんお腹が空いて、気が立ってきました!
「ちょっと、おそすぎるよ!」
「11時半にできたものなんでしょ? 冷めてますよね!」
「そんなまずいもん、食べたくないよね!」
「これはウーバーイーツが悪いで一択だよ!」


で、もう一度、お店に電話して
「もう、届かないから直接お店に行くし!」
「今からすぐに来られますか?」
「タクシーに乗ってすぐに行きます!」

というわけで、我々二人は、ランチメニューでは一番高い、「スペシャル・ミールス・セット」
をふたつ、食後に熱いチャイを頼みました!

いやぁ、神保町のお店も美味しかったけど、ここのほうが断然美味しいような気がした。
めちゃくちゃ空腹だったせいかもしれないけど。


頼んだのに、届かないのはウーバーイーツ、あるあるだそうです。
まぁ、発足してまだ間もないから、そういうトラブルあるんだろうけど、
頑張れ!!

婿に聞いたら、
当然だけど、事前に払ったお金は戻ってきたそうです、よかった、よかった。


そしてその数日後、その味が忘れられなくて、
今度は一人で食べに行きました!

♪おいしいものがあれば、そこはパラダイス~
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インド夫婦茶碗 [読書・映画感想]

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最近、アマゾンのサブスクである、kindle unlimited を利用しています。
月額だいたい1000円、つまり単行本一冊ぐらいのお値段で
unlimitedと表示してあるものはどれだけ読んでもタダというシステムなんですね。

ちょっと前までは、unlimitedって表示してあるものが異様に少なく
全くお得感がなかったので、お試しだけをして延長はしなかったのですが、
最近、結構いろんな範囲に網羅していて、それなりにお得感があるので、
入会しています。

これのいいところは、普通だったら、絶対に買ってまで読まんわみたいなものが
月月千円で読めるのが、とてもいいところ。

最近、漫画も本当にいろんな種類のものが読めるようになりました。
そんなとき、見つけたのが、この本!

流水りん子さんの「インド夫婦茶碗」!!

インド夫婦茶碗 コミック 1-24巻 セット [コミック]

インド夫婦茶碗 コミック 1-24巻 セット [コミック]

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2018/03/10
  • メディア: コミック



これね、本当にいい本です!
なんていうのかな、温かい家族っていうのは、こんな感じかなってしみじみさせられちゃう。

作者の流水りん子さんは、私と同い年の漫画家さんです。
彼女は若い頃から10年ほどは一年の3分の2を漫画家として一生懸命働き、
あとはひたすらインド放浪の旅。
そしてバラナシで出会ったインド人男性と結婚するのですね!!
で、お二人の間にはアシタ君という男の子と、アルナちゃんという女の子が生まれるのです。

結婚してから子供が生まれて、お兄ちゃんのアシタ君が大学を卒業するまでの家族エッセイなんですよ。

りん子さんはそれまでお母さんと二人暮らしだったので、ご主人のサッシーさんが
日本に来ることになったのですが、漫画家さんとインドカレー屋さんをしていて
ふたりは猛烈に忙しいんですよ。

っていうのも、やはり一年に一度か長くても2年に一度はインドのお母さんに会うために、ケララ州の郷里へと帰らなければならないため、お金をせっせと稼ぐ必要があったからです。
やっぱり、いくらインドは物価が安いとはいっても、家族四人が海外渡航するっていうのは
結構なお金がかかるもんですよね。

日印ハーフのふたりのお子さんは生まれてしばらくすると、
家の近くの保育園へと預けるのですね。

私ね、自分の子供はなんだか不憫で保育園に預けられなかったのですが、
今から考えると幼稚園へ預けるより、保育園に預けたほうがよかったかなぁって思うことが多いんですよ。
っていうのも、今は核家族だし、ともすれば狭い家に母親と子供だけっていうのもお互いにストレスがかかるっていうかね。
で、幼稚園っていうのは、9時頃に始まって、終わるのが1半ぐらいで、本当にあっという間なんですよ。掃除して洗濯してスーパーへお買い物行っていたら、お迎えの時間だったみたいな。
それだけならともかく、私がものすごくイヤだったのは、幼稚園のお友達同士でお約束してくるんですよね。誰々ちゃんの家に遊びに行く、誰々ちゃんがウチに遊びに来るってね。
なんかそれが妙に煩わしかったんですよ、ママ友たちのおつきあいとか。

それならいっそのこと、保育園で精一杯遊んでこ~い!とか思ったりして。
保育園というのは、幼稚園とは違って教育の場というよりも、幼児の生活の場であるから、それはそれで非常にありがたいって思ったりするんですよね。

もちろんお仕事してなきゃ、保育園には入れないんだけど、子供の教育費っていうのは、高校にもなると莫大にお金がかかってくるものだし、教育資金を作るためにも、自分の生活を充実させるためにも、働いていたほうがいいような気がするんですよ。


私の述懐はさておき、
りん子さんは好むと好まざるとにかかわらず、お子さんふたりを保育園に入れて、
日中は漫画を作っていたりするんですよ。

で、またりん子さんのお母さんとかお姉さん夫婦のご家族っていうのが、
本当に温かい人たちでね、家族みんなが仲がいいんですよ。
でね、この家族っていうのは、基本的にみなさん「自己肯定感」が強い人たちなんですよ。

だからなのかなぁ、人を偏見で見たりすることがないから
インドが好きになり、国際結婚もできるのかなぁって思うんです。

まぁ、もちろん漫画にかかれていないことで、ご苦労されたことも多いとは思いますが、
それでも、なんかとてもうらやましく思いました。

お兄ちゃんのアシタ君は、のんびり屋さんだけど、人付き合いがよく、生真面目な性格。
妹のアルナちゃんは、怖いもの知らずの剛毅な性格。
運動神経抜群だけど、細かい仕事も好き。おしゃれな大好きな女の子なんですね。

ときどき、お母さんであるりん子さんやお父さんのサッシーさんにめちゃくちゃ叱られたりもするんだけど、親の愛ってもので強く繋がれているから、信頼感ってものがありますよね。


アルナちゃんのことでものすごく感動した箇所が2つあって、
アルナちゃんが小学校の低学年ぐらいのときかな、学校で猫にひっかかれて
病院へ連れて行かれたっていうアクシデントがあったんですよね。
その顛末をおもしろおかしく、病院の先生や看護師さんに話しているのを見て
アルナちゃんはお母さんのりん子さんにこういうのです。
「ママ、アルちゃんね、ママのことが嫌いになったよ」
「どうして?」
「だって、ママはアルちゃんのことみんなの前で嗤ったもん」

いいですね~。子供にだってプライドはある。そうやって素直に訴えることができて、
ああ、そうか、悪かったな、ごめんね、と謝れる親。

素敵な関係だと思います。

その2
アルナちゃんは活発な女の子なので、よく学校のお友達とお外遊びをするのですね。
あるとき学校の近くの公園で、ギザギザに折れたツツジの幹に躓いて膝下を大怪我するのです。
それは遊んでいたお友達が恐ろしさのあまり、動けなくなるほど、スプラッタな光景だったらしいのですね。
はじめ、家にいたりん子さんのお母さん、つまりアルナちゃんのおばあちゃんが病院へと向かったのですが、アルナちゃんは絶対におばあちゃんを処置室に入れようとはしませんでした。
そして次々と駆けつけてきたりん子さんにもお父さんのサッシーさんにも
自分の傷を見せようとしなかったんです。
なぜか。
あまりにすごい傷だったので、親に見せると必要以上に心配をかけてしまうからと子供ごころに
子煩悩な親を思いやったんですね。
こんな10歳にもならない小さいこどもが、しかも自分が大怪我しているのに、親のことを心配しているんですよ。ものすごく痛かったらしいんですけど、泣けば親がまた心配するだろうって思って、泣かなかったっていうから、本当に大したものだなって読んでいるこっちのほうが、アルナちゃんが健気すぎてもらい泣きしてしまいました。

アルナちゃんは、普段は結構甘ったれで、親にはわがままを言い放題みたいなところがある子なんですが、こんなふうに肝心のところにくると、ぐっと我慢できる。人のことを思いやることができるって、すごいなぁって思うんです。

他にもアシタ君のことや、ご主人のサッシーさんのカレー屋さんの箇所も非常に読ませます。
とにかく、子育て中の親御さんには読んでもらいたい漫画かなと思います。





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スパイの妻 [読書・映画感想]


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昨日、ロードショーで『スパイの妻』を見に行ってきました。
見ていて初めてきがついたんですけど、これって制作がNHKなんですよね。
え、NHKって映画作るんだって思ったんですが、実は8kドラマ用に放映したのを
映画用に編集し直ししたものらしいです。


この映画はたしかヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したとかで、
海外からも高い評価を受けた作品だそうですよ。


映画はものすごくお金がかかるけど、でも潤沢にお金がかけると
確かにいいものができやすいと思う。

舞台は戦前戦中の神戸の上流階級の若い夫婦の話なんですが、
監督さんのおそらく大事にしたいのであろう世界観が非常によく作れていてよかったですね。


特に私の眼を引いたのが、ヒロイン聡子のお洋服ですね。
昔の人ってこんなふうにじっくりと時間をかけて洋服を吟味していたんだなぁって
思えるような作りでした。

昔の洋服って今のハイブランドの洋服みたいに「これみよがし」なっていうか、
人を威嚇するようなティストは一切ないんですよ。
プリンセスラインの、おそらく神戸の中国人のテイラーかなんかに作らせたような
控えめながらこだわりのワンピースとかスーツの数々。
さりげなくヒロインの聡子はおそらく今のお金にして何百万もするようなマベパールの耳飾りを日常につけたりしていて、ものすごく上品です。今の時代、冠婚葬祭以外にパールをつけるとなんか重たくなるものねぇ。

昔の上流階級の奥様はゆっくりと時間をかけて、髪を結って着付けをされていたんだろうなぁって
そんな空気がとても魅力的でした。

ヒロインの聡子は、蒼井優さんが演じておられました。
蒼井優さんは文句なく美しい人ですが、特にね、肢体のきれいな人でして、
四肢が長くて細い。手なんかも指が細くて長くて、手首もほっそりとしていて
そこがとても魅力的です。
で、後ろ姿で演技する人っていうかなぁ、後ろ姿だけでもほれぼれとしますね。
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お屋敷もですね、赤レンガが積まれた塀があって、どっしりとした石を組んだチューダースタイル。
玄関に続く道までうっそうとした杉に囲まれています。

こんな贅沢な暮らしした人、戦前にいたの? 華族でもないのに?って思うのですが、
まぁ、でも実業家の中には、こういった庶民とは隔絶されたものすごく優雅な暮らしをしていた人もいました。知っているだけでも朝吹登水子さんの一族とか、白洲次郎さんの一族とか。

そういったブルジョワの優雅な生活を丁寧に描いていて、とてもリッチな気持ちになれる作品です。


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さて、あらすじですが、
時代は太平洋戦争前夜です。
神戸の大きな商社を営んでいる福原は商用のため、甥と一緒に満州へと渡航するんです。
ですが、福原の妻の聡子は満州から帰ってきた福原の様子がおかしいことに気がつくのです。
妻の自分にさえも明かせないようななにかとんでもない秘密を隠し持っているような??

ある日、聡子は夫の秘密をついに知ってしまうのです。
それは満州で現地の人間にペスト菌を投与して生体実験をしているという恐ろしい事実でした。
福原は証拠として、入手した英文で書かれた当局の極秘文書と、まさに生体実験をしている当局のありさまを撮影していたのですね。

それを偶然発見して、夫のいない隙を見計らってフィルムを全て見た聡子はそのあまりの残酷さ、恐ろしさに戦慄します。

こんなことは、いくら戦争をしていると行っても人道的に許されることではない。
なんとかしてこれをやめさせなければと思った聡子はある決心をします。

ここから先は言わないでおきますね。
ぜひ、ご自分の目で確かめてほしいなと思います。


とはいえ、恐ろしいことではありますが、生体実験などというのはナチス・ドイツやソビエトでもやっていて、別段日本だけがやっていたことじゃないです。
日本がこういった生体実験をして生物兵器を作ろうとしていた頃、アメリカは核爆弾を作っていたんですよ。やっぱり国力の差っていうのかな、お金持ちの国はやることが違うっていうか。

結局大義といってもそれは所詮、自国民にとって利益があるから大義なのであって、敵国の人には通じないものです。
戦争っていうのは、そういう世界のパワーオブバランスが崩れて、武力でしか決着がつかないから勃発するもんですよね。
殺し合いで解決するなんて非常に野蛮ですが、
そうはいっても、今でに連綿として続いていますよね。


映画を見終わったあと、なんか硬いしこりが胸に残るんですよね。
これは愛なのだろうかって。
この福原夫妻は実のところ、本当に愛し合って、信頼しあっていたのだろうかって。

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タロット占い [雑文]

みなさま、こんばんは。

今日は寒いですね~。
前回からだいぶ間が空いてしまいました。

その間に、結構いろんな映画もみたし、
本も読んだし、いろんな体験をして
いろんな思いを心にいだきました。

ただね、
前回の記事はわたしには強烈すぎたようです。
やはり自分のトラウマを深く覗き込んでしまうのは
なかなかハードで辛い作業でした。



ま、それだけならいいんだけど、
一気に開いてはならぬパンドラの箱が開かれてしまったっていうか。

なんか毎日、毎日、ふとした瞬間に過去に起こった母との辛い思い出っていうのが
蘇ってきて、なんかそれが非常に自分の生気を奪うっていうか、、、

実は解決しているようで、全然解決されていないんですねぇ。


私は、今から7年ぐらい前に、実母とほぼほぼ絶縁した状態でいるんですね。
というのも、母は非常にエキセントリックな価値観であること、
そして過干渉すぎるんですよ。

私は母親のなんとも言えない価値観には付き合えないし、
私の価値観を母親の価値観で断罪されたくないんですよ。

だから母とは距離を置いたほうがいいだろうなって思ったんですね。

それまでは母親からはめったに電話をかけてこなかったんですが、
私はそのとき、自分から電話するのは少し自重しようと思っていたんですよ。
しかし、実際はそれっきり、母親から連絡をとってくることはなかったんです。


なんかねぇ、結局、母親はこうやって、自分から連絡を断つことで
私に罰を与えたかったんだと思いますね。

それでもって、私から「ごめんなさい、お母さん」って言わせたかったんだと思います。

ですが、そのとき私は腹をくくっちゃったんで
「なんで私が謝らな、あかんわけ?」
「私なにも、悪いことしてないやんけ」
って開き直ったんですよね。



しかし、先日、ここで母のことを書いちゃったら、なんだか
ドドドといろんな過去のトラウマが蘇ってきちゃって
老齢の母親をこのまま捨て置いていいのかなぁという、
罪悪感に苛まれちゃったんですよ。

とはいえ、私の本音は母親には会いたくないんですね。

で、この膠着状態から逃れるために、
ある有名なタロット占いの方にメールで占ってもらったんですよ。


というのも、実はまぁ、これまで8年ぐらいカウンセリングなんかも受けたんだけど、
なんか話を傾聴されるばっかりで、全然物事が改善するってわけでもないですよね。
カウンセリングは、カウンセラーの人が「ああしろ、こうしろ」というふうに
指示をしてはいけないものらしいんです。
とはいえ、自分が何かに気づいて、物事を改善していけばいいのでしょうが、
全然、何かに気づけなかったんですねぇ。

最後のほうは、なんていうか、自分から懺悔する事柄を考えていたんですね。

なので、これは神意という形で啓示をもらうべきなのかなって思ったんですよ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

で、占い師さんが占ってくれたのは、
占い結果 ペガサスハイド.jpg


① 母親の気持ち
② 母親に再会しなかった私の状態
③ 母親に再会した私の状態


っていう3つの質問だったんですね。

今の母親の気持ちを表すカードは King of Pentacles (金貨のキング)
そして母親に再会しなかった私の状態は Queen of Cups(聖杯のクィーン)
さらに母親に再会した私の状態は 5 of Wands(棒の5)だったんですね。


まぁ、で、占い師さんのおっしゃるには、会わないほうが私のため、
そして、私の家族のためによいであろうってことでした。
会わないほうが、心の安らぎが得られるし、私自身も子どもたちにとって、
良い母親、良い妻でいられるだろうとのことでした。
そしてまた、たとえ仏心を出して母親と会ったとしても、
諍いは耐えないだろうってことだったんですね。



それを聴いて少し安堵しました。
私は幼少期から、家族から恥と罪の意識をずっと着せられてきたので、
我慢することに慣れていてというか、我慢しすぎていて、「我慢をしている」ってことすら
わからなくなっているんですよ~。

たとえ、親であろうと自分が嫌いな人には会わなくてもいいんだってことです。

そんなことは分かりきったことなのですが、
どうも昭和の価値観でしばられていた私には
棄老したように思われ、ずっと悩んできたことだったのですね。


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自己の充実をはかるには ① [読書・映画感想]

こんにちは。気持ちのいい日が続きますね。

昨日は中秋の名月でしたが、本当に大きくて美しい満月でした。

昨日はそれと同時に夫の誕生日でもありまして、
私達夫婦と娘夫婦と四人で美味しいものを食べて
お祝いしました。

こんなふうに気のおけない人たちのために、昨晩から材料を仕込んで
朝から準備をし、自作のパンを焼き、オードブルやメインデッシュを作って
みんなで集まると会話が弾んで本当に楽しかったです。




~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、私のライフワークのひとつに親との関係を乗り越えて
自分の人生の充実を図るということがあります。

私は長い間、親との関係に悩んできました。
最近でこそ、「毒親」ということばが定着しつつあり、
必ずしも親という存在は子供にとって愛情に溢れたものではないという
考えが定着してきた感がありますが、

私の若い頃などは、「親孝行」というのは当たり前のことであり、
自分の親を悪く言うだけでも、社会の常識にそれていると見なされていたような気がします。

どんなに親が子供を精神的、肉体的に虐待しようとも
「それでも親は何パーセントかの愛情を持って接しているはずだ」
「だから親に感謝すべき」
「だから親をいたわるべき」

っていうのが本当に根強い考えでありまして、それがどうにも苦しかったです。

ですが、1990年代に初めて「AC アダルト・チルドレン」ということばとともに、
親の加害性の犠牲になって、本来ならのびのびと幸せに包まれた幼児期・児童期を
取り上げられた子供たちを心理カウンセラーの方たちがそれを本にまとめて出版して
世に知らしめたんですね。

ACといわれる方々は成人になっても心の闇が深く、癒やされることもなく、
苦しみながら生きているのです。

そしてACは世の中には結構いるんですよ。





最近、また毒親サバイバーといわれる方たちの本をまとめて何冊か読みました。



毒親サバイバル (中経☆コミックス)

毒親サバイバル (中経☆コミックス)

  • 作者: 菊池 真理子
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/08/31
  • メディア: Kindle版






角川つばさ文庫版 母さんがどんなに僕を嫌いでも

角川つばさ文庫版 母さんがどんなに僕を嫌いでも

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/10/15
  • メディア: 新書





しんどい母から逃げる!! ~いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった~

しんどい母から逃げる!! ~いったん親のせいにしてみたら案外うまくいった~

  • 作者: 田房永子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2018/03/23
  • メディア: Kindle版



の三冊です。


これって基本的に三冊とも漫画なんですね。(「母さんがどんなに僕を嫌いでも」はもともと漫画だったのをノベライズ化したものを読みました)


どの本も、結構みんな衝撃的でですね、こんなものをまともに文章にしてしまうと、
重すぎてとてもじゃないけど、最後まで読みおおせないです。

「真実は小説よりも奇なり」をそのまま行ったような内容です。
簡単に内容を紹介しますと、「毒親サバイバル」は、いわゆる毒親に育てられた11人の方に
インタビューした内容をまとめたものですね。

子供はそれがどんなに苦しみに満ちたものであったとしても、他を知ることができないので、
自分の家庭が「当たり前」になるんですよ。
そして、当然のことながら、幼児というのは親に見捨てられればそれは即、死につながると
本能的に知っているので、どんなに親にひどいことをされても反撃することもなく、
親を無条件に愛するのです。

11人の方々は男女ともにいらっしゃって、中には漫画家、医療記者、文筆家、主婦など職業はさまざまです。
その方たちが親にされてきたことといえば、放置、過干渉、性的虐待、暴力、精神的虐待、もう、ありとあらゆる事が家庭という密室で起こっているのですね。

一昔前なら「これは家の恥になることだから、言えない」っていう気風が強かったのですが、
それでもこの漫画に出てこられる方たちのように、自分の家庭で何が起こっていたのかを詳らかにする人たちが現れるようになりました。

これって相当な勇気だと私には思えるのです。
子供にとって一番しんどいことがですね、おそらく親から屈辱的なことを言われることだと思うんですよ。そりゃあ、直接暴力という手段も酷いは酷いんですが、そこに恥をかかせるとでも言うんですかね~。親が子供が自尊心が保てないように、侮蔑のことばを投げかけるのがしんどいんです。

おそらくどの人も過去には虐待とともに屈辱的な思い出が蘇ってくるので、それにきちんと対峙できるのが本当に強いなって私などは思ってしまう。


 2冊目の「母さんがどんなに僕を嫌いでも」という本は、本当にこんな親っているのか?って思うほど鬼のような母親の話です。


たいてい不幸な家庭というのは、夫婦仲が悪いものなのですよ。
この本の主人公である、歌川さんの家庭もそうでした。

歌川さんは、どうやらお父さんが浮気している間に出来た子らしく、
それもお母さんが望んで妊娠したわけでなく、「家の跡とり=男の子を産め」という
圧力に負けて妊娠したらしいのです。

そして歌川さんのお母さんはどうしても歌川さんが可愛いと思えなかったみたいですね。
わかります、私の場合もそうでした。

歌川さんのお母さんは、近所でも評判の美人でしたので、
夫婦仲が悪くても、彼女の美貌に群がる男たちがいっぱい。

いつしかお母さんのほうも不倫をしていたのですが、
歌川さんのことが邪魔になって捨てるんですよね。そして施設に預けるのです。

はぁ~、いくら夫がよそに女を作って不仲であっても、
自分の子供が邪魔になって捨てたりできるもんなのかな~って
その所業に戦慄するのですが、


歌川さんが17歳の高校2年生のとき、お母さんが本気で包丁で歌川さんを殺そうとし、
あわやというところで難を逃れたのですが、

歌川さんはそのとき、心の中で何かが弾け、家出をして一人で暮らしていくのでした。
歌川さんはもともと賢く、人間力の合った人なのでしょう、自力で大検に合格し、
その後、通信教育制の大学へ行き、一流会社へと就職も決まるのです。

私が信じられないことに、歌川さんはその後、お母さんとの再会を果たすのですよ。
私ならいつまでも親とのことで怒りを持っているとこれからの人生を勧めなくなるので、
決着はつけたいと思いますが、絶対に再会はしないと思いますね。

だって包丁で切りつけて怪我させられて、下手したら殺されていたんですよ?
そんな人間には、見切りをつけたいと思います。
(私は昔から、ある意味ものすごくドライなところがある人間でした)


歌川さんがお母さんの実家のほうへ行ってリサーチしたところ、
お母さんの両親、つまり歌川さんにとって、祖父母にあたる人も
お母さんを虐待していたようです。

つまりですね、愛を十全にもらえなかった人というのは、
愛着障害というのに、陥るんですよ。
いつも見捨てられるのではないか、裏切られるのではないかと不安なのです。

子供の虐待の恐ろしさというのは、その限定された親子間だけのトラブルにとどまらず、
その子供が成人して結婚したとき、また子供を虐待してしまうという
負の連鎖が延々と続いてしまうことなんですね。

だから、誰かがどこかでそれを気づいて、
自分の歪んだ認知を正さなければ、永遠に止むことなないということです。

三番目の「しんどい母から逃げる!」というのは、
正直いって、他の2冊はまだ客観視することができるのですが、
この作者の田房永子さんのお母さんっていうのが、結構ウチの母親に
似たタイプの人で、読んでいて冷や汗をかいてしまいました。

それというのも、このお母さんって褒めては貶すってことの繰り返しをして
子供のやる気とか喜びを削いていくんですよ。
いわゆるダブルバインドな親です。


田房さんはお母さんの強い希望で、市立中学を受験するのですね。
初めは受験を勧めるお母さんに反対していた彼女なのですが、
あまりのしつこさに音を上げて、受験することを決意します。
死にものぐるいで勉強して志望校へ入学できたまではいいのですが、
それはあくまでも、母親の希望を叶えたに過ぎないのですよ。

ですが、母親が荒れ狂うとき、「せっかく、おまえが入りたいっていうから
授業料の高い私立へ入れてやったんだろ! それなのに、なんだ? この成績は?」
みたいに言うんですよ。

これね~、うちの親もよくやる手口でして
「あれ? 私そんなこと言ったんだっけ? ごめんなさい、お母さん」
ってなってしまうんですよ。
自分の言動に急に自信がなくなるんですね。
「そんなこと言ってないわ!」と強く出られないのです。

というのも、私は時々すっぽりと過去の記憶がなくなっていることがあったんです。

だから、自分自身っていうものでさえ、信用ならなかったんです。
(結局、人間は過去の記憶が自分にとってあまりに辛く耐え難いものになってしまうと、
一種の防衛本能が働いて、記憶を消去してしまうらしいです。)


私は、幼少期蓄膿症だったらしいのですが、それを察知できなかった母親が「何だ、おまえはいつもウスノロみたいに、口をぽか~んと開けやがって」とかなんとか言われて、ぶん殴られていたらしいのですが、今でも全く覚えていないのですね。
他にも頻尿でトイレにしょっちゅう行っていたので医者に連れて行ったところ、「精神不安定ですね」という診断だったらしいです。
このとき母は「私に恥をかかせやがって!」といって滅多叩きをしたらしいですが、記憶にはありません。
当時の写真を見ると、幼児の私はひとりで、ぽつんと座って砂いじりしている写真しかないんです。
「あんときのおまえはまるで浮浪児のようだった」
とよく母親は私を嘲笑っていましたが(よくも自分の落ち度になるはずのことをあざ笑うことができるものだとその精神構造を疑いますが、所詮はこういう人なので仕方がありません)、人がいることが怖かったのだと思います。

普通、良識的な親なら子供が「精神不安定です」って診断を受けたなら、反省するのでしょうが、ウチの親はまだ年端もいかぬ娘のせいにして殴ることで、精神の均衡が保てたようです。

本当にひどい親ですね~。


小さい子供のときの自分を抱きしめてやりたい、と思います。





田房さんのお母さんはまた、「ノノシラー(すごい暴言で罵りまくる人)」でありまして、田房さんが一番言われたくないことを敏感に察知し、完膚無きまでに罵り言葉で打ちのめすのです。

これも非常に似てます。

あと、お母さんだけでも厄介なのですが、新たに出来た恋人が筋金入りの「ノノシラー」なんですよ。
こんなふたりに精神的に炒め続けられたら、本当にどうにかなってしまいます。

私も実の兄が彼女の恋人の「ノノシラー」にあたりまして、兄は本当に怖い、怖い、暴君でした。
なにかあると、罵り言葉のほかに、お腹をドンっと足で力いっぱい蹴られるんです。

それをみて母親は
「子どもたちって無邪気でいいわね~。またふたりでじゃれ合っているわw」
と笑っていました。
いやいやいや、こっちは命の危険を感じていたのに、
全く助けようとしないのはどうなのか。


あと兄の嘲り方がすごかった。
「おまえの話はわけがわからない、バカ、死ねっ!」
「おまえはブスでデブ。だから2つ合わせてデブスだ! これからデブスと呼ぶからな!」
「おまえの頭の悪さは最悪。バカが移るから近寄るな、ブス!」

女の子に「ブス」って言っている息子をたしなめたりは絶対にしないのですよね。
どんなに母親に「辛い」といっても無駄でした。
それでも小さい時の私は、基本的には兄を恨むことはせず、
どうしたらブスでダメな自分を兄が受けていれくれるのか、
赦してくれるのか、
ず~っとそればっかりを考えていたような気がします。



読みながら、途中で何度も本を閉じて、ため息をついてしまいました。



普通は家庭というのは、安全な場所のはずです。
それなのに家庭でさえ、心の休まる場所ではなかったのですね。


私は小さい頃よく、真っ暗な部屋の学習机の下に潜り、蓋をするように自分の正面に椅子を置いてじっとしていたことが多かった気がします。そうしないと不安で不安でならなかったからです。
机と椅子でバリケードを作って自分を守っていたんでしょうね、おそらく。


田房さんはエキセントリックな両親と恋人から逃れ、漫画で身を立てていくことができるようになり、
自分で部屋を借ります。そしてネットで注文した自分の好みのケトルが届いたのを見て、感涙してしまうのです。
「自分の選んだもの…。なんていいんだろう!」って。
なぜなら、親や恋人の前ではさんざん自分の好みをバカにされてきたからです。

ここまで読んで、号泣してしまいました。
本当にわかりすぎて、辛かった。




田房さんも今は素敵なご夫君に出会うことができて、結婚され、お子さんもいらっしゃるようです。
こんどこそ、みんなで力をあわせてなごやかなご家庭を築かれることを祈ってやみません。









長くなりますので、これの続きは次回へとまわしたいと思います。




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セーター編めました!! [雑文]

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自分で毛糸を選ぶところから初めて、パターンを考え、製図して編み上げたものです。

私ね、どんなにそれが素敵でも、人のものをまるまる模倣することに
あんまり喜びを感じない人間なんですよね。

たとえそれが稚拙で上手く行かなくても、自分で考えたものを作ることに
喜びを感じます。


このセーターはもともと、娘のオムコさん用のもので、
彼は小さい頃からラルフ・ローレンを着て育ったそうで、
こうちょっとカチッとしたお坊ちゃんぽい服が好きなんですね。

で、彼自身がすんなりとスリムでかわいいタイプなのと、
今度は白っぽい編み込みのセーターが着てみたいというリクエストだったので、

そのふたつを鑑みて、
今回、こういう感じにしてみました。

パターンは「スゥエーデンの伝統ニット」というサンプルで
どっかの女子修道院が作った女子用(すまん…婿)のセーターのパターンを
いくつか組み合わせて作ったもの。

なんで男子用なのに、女子用にしたかというと、向こうの男性って大きいじゃないですか。
で、パターン自体も大きくて華奢な日本男子にはあんまり向かないと思ったからです。

胸の当たりに来る幾何学パターンは結構繊細な柄にしました。

まぁ、作っている途中で「あれ?」みたいなことが多数あり、
本来ならイチからやり始めたらもっと完成度は高まるとは思うんだけど、
それでも結構何回もほどきましたよ。

出来上がってみたら、65点が及第点として、自分では75点の出来かなぁと
思っております。

なかなか改心の出来というのはできないけど、
やはり、途中のハラハラするのが、言い換えてみれば
面白くて熱中できたりする理由かもしれないですね。


昔から我流で自分の好き放題にするのが好きでした。
今でも、きちんと編み図を読んで、難しいパターンに挑戦するのが苦手。

というのも、結局のところ、あんまり難しい技が習得できてないからなのよね。

いいんです、人生短いんだから、自分のできることしかできないわ~で
居直る。

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これは最後の調整の段階で裾を止めてないまま、試着してもらったところ。

男性のセーターは、男らしい肩の線がでること、
ヒップにあたる裾のサイズがきちんと体に合っていること。
袖丈がきちんと合っていること。
編地が適度にラフな感じで、なよっちくならないこと。

それを重要視しております。

あとは、ちょっと口幅ったいことだけれど、
できることなら、「いかにも手作りでござい」
みたいに見えないこと。

そう見えないことを祈りますが、
こればっかりは自分で評価できない。


次もすでに編むものは決まっている…。
肩こるわぁ~。
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旅行へ行きました。 [雑文]

皆様、こんにちは。

実はsadafusaですね、夫がずっと引きこもっているのに耐えられなくなって
一泊二日で関東のほうの温泉へ行ってきたんです。

そこはですね、オーシャンビュー、かつご飯がおいしい!ことが
売りの旅館でして、私、その写真につられてしまいました。
夫が代替案を出すんだけど、「絶対にいや! ○○温泉じゃないと行かないもん!」
とゴネにゴネて行った温泉だったんですよ。

出発の日はすでに台風が日本に迫っている状態でしたが、
だからといって今更キャンセルするわけにも行かず、
行ってきました。

到着したのは、夕方でそれから急いでお風呂を入りに行ったんだけど、
もうすごい風!
でも、せっかく来たんだし、露天風呂に入らずに帰らりょか、ってことで
ひとり、露天風呂へと直行したのでしが、
いや、すごい風!
滝壺から出るお湯が別の湯船に入っている私のほうまで飛んできます。
で、飛んでくるまでに温度が下がっていてもはや水!

やっぱりこれは無理だわと思って、すごすご退却。

で、この旅館はお食事が売りで、秘伝のタレで煮付けたお魚が非常に有名だったんです。

まぁね、すごく美味しかったですよ。

普通は年季の入った中居さんがお世話してくださるものだけど、
ここは袴をつけたお兄さんがそれはそれはかいがいしく面倒を見てくれました!


確かに美味しかった、それにサービスも良かった。
朝起きたら、ロビーで朝日をのぼるのを見ながら
コーヒーもサービスしてくれました。



だけど、だけどさ…。
なんっつーか、だけどすごく感動できないのよっ!

地元の京都のすぐそばにある料亭のほうが
なんていうかな、サービスがさりげなんよ。
それに出してくる器なんかもセンスがいい。
お汁を飲もうかなって思って黒いお椀の蓋を取ると
その裏に繊細な蒔絵が書かれていたりするしさ、
お料理も満艦飾じゃないんよ、京都は。

今更ながら、京都って世界に誇る観光都市なんだ、
おもてなしの真髄を極めているところなんだって実感しました。

降りた駅はこだましか止まらないとはいえ、一応新幹線が通っている。
それなのに、駅の周辺のお店は思わず昭和へタイムスリップしたのかと
思えるほど、感覚が古いんだよね。

ケーキなんかも、やっぱりショーワな感じ。

京都に住んでいて道を歩いていたら、
あちこちにしゃれたパン屋さん、ケーキ屋さん、レストラン、カフェ、雑貨屋さんなんて
あるもんなのになぁ~。

確かに東京はずごい!って思うけど、京都ほどコンパクトじゃない。
そこそこ賑わっているけど、東京や大阪ほど人で溢れていないってところが
非常にいいなって思っていたのよね。

二日目はバラ園に行ったのだけど、広すぎるせいか手入れが行き届かず、
荒れた雰囲気。

京都ならすぐそばに植物園があって、こんなふうに雑草なんか生えてないのにな~



やっぱり、お寺のお庭なんかもすごくきれいだもんね。


などなどなど…。


比べる気はないんだけど、
いかに自分は日頃無意識に極上のものに触れていたかを
改めて実感してしまいました。


やっぱり、日本中、世界中から観光客が詰めかけてくるはずだわw





ぶす~っと疲れた顔をしている私を見て夫は
「どうしたの?」
「ん…、なんつうか、期待していたのと違った…」
「温泉旅館なんてこんなもんでしょ」
「そーなのかなー」
「そうだよ、海辺の温泉なんてこんなもん、こんなもん」
「こんなことなら、コロナで行けなくなったけど、
春に予約していた日光金屋ホテルにしとけばよかった」
「あるいは富士屋ホテルとかね」
「うん…」

なんかね、旅館ってところは、お部屋で中居さんが甲斐甲斐しくサービスしてくれたり、
お布団しきに来てくれたり、かゆいところにも手が届くサービスなんだけど、
私にしてみりゃ、ちょっとウエットすぎるのよ。
重いのよ。

じっと見つめられすぎるのが辛いのよ。

「次はね、鹿島の森ホテルとかにしたいな」
「それ、温泉じゃないじゃん」
「ん。だけど、もうホテルにしか泊まりたくない」
「本当はそうなんじゃないかなって思ったけど、
sadaちゃん言い出したらきかないから。やっぱり得心してもらわないとね」
「じゃ、なに? 最初っからこーなるって予測できてたの?」
「まあね」


トラベルはいつでもトラブルなのであります。





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幸せの定義 [読書・映画感想]

皆様こんにちは。

書くときは毎日書くのに、書かないときは全くかかないsadafusaです。
ちょっと前までは、こういうなんてのかなー、ブレのある自分が嫌いでどうしようもなかったんですが、
最近、「それも、ま、個性だわ」ということで諦めました。

前々から子供たちに「お母さんは二重人格だ」ってよく言われていたんですよね。
ま、たしかに自分って突然趣味なんかがコロっと変わったりするんですよ。

で、この間娘が私の生年月日を六星占星術とやらで調べたら、
木製と金星の霊合星人で、かつ、運命数が33なんだって。

それがどのくらい特異なのかどうかはわからないのですが、
あ、そうなんだって感じです。

私ね、自分がず~っと同じものを好きで居続けられないんですよ。
結構、熱しやすく冷めやすいっていうか。

どうしてなんでしょうね。


~~~~~~~~~

さて、以前も紹介したけど、この本
「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

  • 作者: 苫米地英人
  • 出版社/メーカー: コグニティブリサーチラボ株式会社
  • 発売日: 2014/04/14
  • メディア: Kindle版




って本に確か幸せの定義なるものが載っていたのですよ。

この方の経歴ってすごくて、
認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)。計算機科学者(計算機科学、離散数値、人工知能)カーネギーメロン大学博士、CyLab兼任フェロー、株式会社ドクター苫米地ワークス代表、、、、

ずらずらと続くんだけど、まぁ、脳科学の権威なのですね。
で、この方が書かれていたんだけどね、だけどさ、なんかすんごく胡散臭いんよ。
言うなれば、ちょっと新興宗教のような感じもするんよね。

博士は「頭のゴミ」を捨てろっていうけど、
どうあったらその有害なゴミが捨てられるのかは書かれていない。
やり方さえわかったら、私だってこれまでの黒歴史を全部闇の中に捨て去って、
安心して夜眠れるはずなのにサ。



~~~~~~~~~~~

幸せには、抽象度の高い低いっていうのがあるらしく、
私にはこの「抽象度」って博士がいうところのものが、頭わるいんでイマイチ腑に落ちないんですよね。

抽象度の低い幸せっていうのは、
「おいしいものを食べて満腹になる」とか
「身体を動かして気持ちいい」とかいうのは、
脳でいうと、大脳辺緑系の扁桃体の情報処理とやらで、
サルやゴリラなみの幸せなんだそうです。

そうではなく、抽象度を上げたいと思うと、
「料理を家族のために作って、その結果おいしいといわれて嬉しかった」というふうに
人と関わることが大事らしいです。

で、最後になると、コロナ禍で一生懸命働いているお医者さんや
看護師さんたち、その他のスタッフさんたちに、クッキングカーっていうのかな
お料理できる設備のついたバンで現地に赴き、おいしいごはんを振る舞うとか
そういうことをするのが、抽象度で言えば、最大の幸せになるらしいです。

よく企業なんかはこういうことをよくやっておられますね。
たしか、先日「カンブリア宮殿」みてたら、丸亀製麺が病院へ行って、さぬきうどんを
病院スタッフに配ってたわw

大きく成長する会社というのは、ただ単に儲けるだけでなく、
自分たちが成長する先には、不特定多数の人間の幸せを必ず考えているものなのですね。

ま、それはなるほどとわかる。

自分以外の人も一緒に幸せになってこそ、人間の幸せである。

とこのように博士は説かれるわけですよ。

そこまではいい、わたしにだって解る。それは。

博士はこうもおっしゃっておられます。
「自分はもうすぐ60歳だが、今後もマラソン大会に出続けて、同年代の人たちに元気を与えるランナーになる」とか
「ボクシングの試合に出て、観衆に勇気を与えられるような戦いをみせる」

とかなると、ゴリラから少し人間のレベルに近づいているそうですよ。


博士によると、自分だけの幸せというのはありえないそうです。


しかし、こうなると全く私は受け付けられなくなるのよね。


よく、私も下手の横好きで、小説書いてたりします。
で、小説家の卵の人たちの多くにはこんな動機で書いている人って結構いるのよね。

「ボクの小説を読んで、たとえ一人でも感動してくれる人がいるなら、ボクはそのために書いている」

私、こういう言葉大嫌いなんだよね。

というのも、この動機はおそらく欺瞞だから。
人の心を動かす芸術というのは、善意だけで成り立つも者じゃなくて、才能が必要なんですよ。

たとえばですね、幼少の頃から毎日毎日ピアノを一日8時間以上練習して、最難関というわれる東京藝術大学の音楽部ピアノ科に在籍した人でさえ、人を唸らせる演奏できる人はそうはいない。

だれもがランランのように神業みたいなピアノが弾けるわけじゃない。
ミューズの神っていうのは残酷なものなんです。
努力したからって達成できるもんでもないんですよ。



かようにですね、プロになるためには、たしかに多くの人に支持される感性とスキルがいる。
しかし、小説や絵や音楽などというものは、自分の奥のどうしようもない衝動のマグマが燃え盛っていて、抑えきれずに書くもんじゃないかな。

アルタミラの洞窟の絵だって、描いた人は自分の内なる衝動に従って創作したんであって、
後世まで残る傑作を残そう!と思って描いたんじゃないんだろうなって思ったりするんよね。

私はなんで書いてるのかなって自己分析をしたんだけど、それはね、
親の支配を完全に逃れて、今まで洗脳されてきた自分自身の不甲斐なさに腹をたてて、
その怒りを創作物という形を借りて、アウトプットしたことで自身を浄化できたんだなって
思ってます。



私は自分のために作品を書いています。
それでいいと思っている。




話はもとに戻るけど、創作の原点っておそらく内発的動機がすべてじゃないかって確信している。
その結果、世に出ることが出来る人はできるんであってさ。

「人の感動できるものを書きたい」なんていうのは、体の良いいいわけであって、
実は「有名になりたい」って思っていることの裏返しなんじゃないかなって思う。
手段なんだよね。それって。

まぁ、そう思っていても成功出来る人もいるから、全部が全部悪いわけでもないだろうけど。
しかし、戦略的にプロデビューしたいと思っている人は、こんなみっともないことはいわないだろうと思うんだよね。

ま、私は内向的な性格なんで、ついついこんなふうに考えるけど、
外向的な人はまた違う動機で動くかも知んないし、人はそれぞれなんかな、それは。

だけどさ、私は思うんだけど、世のため人のためって思ってやってることって、
案外実は、はた迷惑なことって多いような気がするの。

だってさ、人のティストって本当にそれぞれだしね。
強制される、それ自身を嫌う人もいる。

件のマラソンがどうちゃらこうちゃらっていうのも、
まず、マラソン出るとしても60歳近くにもなると自己管理することも非常に大事になるわけよ。

厳密な健康管理とかさ。
どっちかというと、克己心というか、そっちが大事で目標になるよね。
で、やりおおせたとき、そういうメンタル、フィジカルを含めてコントロール出来たって思う、達成感がものすごくあるだろうなって思う。

でその次に、マラソン大会に出ることができた結果、副産物的に人々に勇気と希望を与えられることができると思うんだよね。

だけどさ、こういうことって遂行するまでは非常に孤独だよね。
一度世間が騒ぎ出すとうるさいけどさ。


で、最初にある、ゴリラ的な幸せであるところの
「おいしいものを食べたら、幸せを感じる」とか「身体を動かすことで幸せを感じる」っていうのは
私にとって、最近非常に大事なことだと思っているの。

だってさ、ともすれば現代人はそういうゴリラ並の幸せだって
わかんなくなっている人も多いじゃない。

嫌がる他人を巻き込まず、己一人で達成できるこのシンプルな幸せを
もっと大事にすべきだと思っているの。









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神社詣でのはなし [雑文]

こんにちは。あ、こんばんは、だね。

皆様、今日はぐっと涼しく過ごしやすいですね。

不眠症のワタシですが、やはり夏は寝付きが悪い。
クーラーは身体の表面ばっか、冷やすけど、身体の深部まで冷やしてくれないので、
寒いような暑いようなで身悶えしてました。

だけど、これだけ涼しいと案外すっとねむれるときもある。
いつもじゃないけど。


今日ね、初めて歩いて太田神社まで行ってきました。
ここは、北区にある上賀茂神社の外摂社って位置づけらしい。
カキツバタがきれいなところで有名でもあるんだけど、
霊能者の間ではかなり力の強いスピリチュアルスポットなんだそうです。

なんか最近、そういう御神気に触れてみたいな~って思ってでかけたんですね~。
あ、わたし、別に霊感体質じゃないですよ。

結論から言うと、行ってみてちょっとがっかりした。
あんまり神社自体はそんなに大きなものじゃないのね、
むしろ、こじんまりとした感じ。
カキツバタ苑っていうから、どんな広大なものかなって期待していたのに、
え~、これだけ?って感じで…。

なんとなく御神気が満ち満ちている、っていう雰囲気だったら、
下鴨神社なんて参道がすばらしいし、
上賀茂神社も下鴨神社ほど好きじゃないけど、神々しい。
北野天満宮の松の参道もきれいだし、
京都じゃないけど、
奈良の大神神社とか、出雲大社とか…。

わたしね、最近、平均1万歩歩いているんですよ。
それでね、大田神社についたところで万歩計を見たら、6000歩に到達してなかったのよ。
これで帰ったら、いつもより単に1000歩多く歩いただけじゃん。
つまんないな~と思って、グーグルマップを開いて、なんか面白そうなところはないかと
物色していたのよ。



すると、太田神社の脇に通じる道があって、どうもそこから背後の山に登れるらしいのね。

で、歩きだして一年、自分の体力がどれだけ向上しているかを知りたくて、
山に登ってみようかなって。

でね、細い細い道を登っていくと、「大田の小径」って看板があって、
その先は柵がしてあてあったんだよね。

「あ、なんだ。行き止まりか」
と思って張り紙を見ると、野生の動物、イノシシとかサルとかがここを越えて町に降りてくるから、
通れないようにしてあるんだって。だから、ここを通るときは、柵が簡単に越えられないように、
錠を解錠したら、もう一度施錠して通ってくださいだって。

一瞬、どうしようかな~、女一人だし、なんかあったらちょっと怖いかな~とも思ったんだけど、
結局好奇心が勝ったんですよ。

それがね~、本当に獣道でね、両側にロープが張り巡らせてなかったらとたんに迷子になりそうだった。
途中、台風かなんかで大きい木がなぎ倒されている箇所も何箇所もあって、
ちょっとドキドキしながら歩いた。

途中、向こうから一人だけ女の人に出会った。
こういうとき、人間って自然に「こんにちは~」「こんにちは~」って挨拶するもんだなって思ったよ。なんての、お互い「変な人間じゃないですよ」って相手にわかってもらいたい、相手が変な人じゃないってことを知りたいって強烈に思うもんなんですよ。不思議だね。

その人はおそらくだけど、熊よけの鈴を付けて重装備で歩いてらしたので、
わたしなんて、Tシャツ・ジーパンにスニーカーという軽装備だったから、
ちょっとまずかったかなってヒヤヒヤしながら通りました。

途中山頂でひとりで見た景色は美しかった。

なんかビクビクしながら通ったんだけど、実質30分ぐらいの行程でした。
それでもこれまで一度もこういう経験をしたことがなかったので、とてもおもしろかった。
それから帰途について、約一時間ぐらい歩いたかな。

朝は10前ぐらいについたんだけど、約3時間ぐらいの遠足でした。
帰り道、おなかペッコペコだったので、夫に教えてもらったデリカテッセンによって
サラダとおかずを買って帰りました。

私は食事は一日二食と決めていたので、もうおいしいのなんの。

こういうとき、ものすごく幸せ感じる、というお話でした。


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2020年9月 近況状況 [雑文]

みなさま、こんにちは~。

前回からちょっと間が空きましたね。

一旦書き出したら、毎日書いて、
止まったらずーっと放置っていうのが
私のパターンなんだよね。

というのも、それにはちょっとした理由がありまして、
それは

睡眠

なんだよね。


睡眠障害になったきっかけっていうのが自分は長男を出産したときなんです。

ちょうど父親がガンを患ったんですよ。

どうも、妊娠しているときっていうのは、心が繊細なときらしいもんで、
なんかそのことが心理的にダメージを負ったみたいです。

で、眠れないってこともあったけど、それから病気ノイローゼになったんだよね。

常に自分は大病を患って死ぬんじゃないかっていう、妄想かなぁ。

一番深刻なときからは脱したけど、今でも自分は病院へ行きたくないんだよね。
特に健康診断。

もう、それを受けるくらいなら死んだほうがいいやと今でも思っている。

なかなか自分の中の弱い部分をひと目に晒す作業というものは苦しいもので、
今でも本当のことがなかなか言えなかったりするんだけど、
まぁ、これも言える時が来たらいいますね。



~~~~~~~~~~~~~~~

で、睡眠ですよ、睡眠!

一日のパフォーマンスのよしあし、
幸せの感じ方、充足感などは
睡眠によって左右されるんですよ、私の場合。

ものすごく良く眠れたなぁ、っていう日は
気力がみなぎっているし、めちゃくちゃ集中力もあるし、
頭も冴えてるから、
普段の日の150%くらい、ものごとがはかどる。

そういうとき、
「sadafusaさんの一日は36時間あるんですか?」って
言われるくらい、いろんなことを同時にやれたりするんだよね~。

そういうとき、自分は本当に幸せだなって思えるんですよ。

だけど、ここ最近は満足に眠れていないので、
まず、身体の調子も悪く、
頭もモヤがかかっているように重く、
気分も落ち込んでいる。

そういうときって、ものすごく失敗も多いんだよね。
編み物をしたら、ものすごく簡単な模樣を何度でも編み間違えるし、
身体が重たいので、家事をする気も起きず、
得意な料理もまったくしたくなく、億劫。

そしてどよ~んとしている。

それでほとんど一日の生産性が上がっていないので、
死にたくなってくるんだよ、マジで。

こんな自分なんていらね~って思ってしまう。


私は去年の誕生日の日に、それまで飲んでいた眠剤をやめたんだよ。
なんでかっていうと、ほとんど効かなくなって、
ぐっすり眠れないし、それなのに眠剤の副作用で、
身体がめっちゃ重たくなるから。

で、まぁ、一年、きちんと早く起きて、朝散歩して続けてきましたよ。
だけどね、眠れないんだよね。


たとえば、リラックスしながら軽い読み物(漫画とか)を読んで、
眠くなるのをまつんだけど、一旦、本を持ちながら目を閉じてうつらうつらしている
状態が少し続くんだよね。

じゃあってことで、本を閉じて、灯りを消して真っ暗にすると
どういうわけか目が冴えて、眠れなくなる。

今週ね、こういう状態がずっと続いて、昨日なんか
本当に嫌な気持ちになってどうしようもなかったんだよね。

それに寝ているときに、これまで自分の身に起こった思い出したくもないような
惨めでみっともない黒歴史みたいなものが、ひとつ、またひとつと
芋づる式にズルズル沸き起こってくるんだよね。

コレが実に嫌でさぁ。

そんなもの思い出したりしたら、眠るどころじゃないんだよね。

こんな前向きになれない記憶なんて、封印してしまいたいのに、どうして~って思う。


これまでは、なんとか自助努力で直す!って思ってたけど、
最近、このままで行くと相当やばいことになるんじゃないかって思って、

明日、睡眠専門の外来を訪ねようと思う。

これで夜11時ぐらいに眠って、ノンストップで7時間ほど睡眠をとって、
朝、六時ぐらいに起きられれば、めっちゃ時間を有効に使えるじゃないか
って思うんだよ。


その後のことは、また進展があったとき、記事にします。


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教育について思うこと [雑文]

みなさま、こんにちは。

引き続き暑いですね。
特に今日は台風の影響もあってか、
日本海側がフェーン現象が起こり、
ものすごく暑いみたいです。

みなさま、熱中症には気をつけてください。
常に水分補給をしてくださいね。


~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は教育について日頃私が思っていることを
ここで少し述べてみようかなと思います。


ま、昨日までのトピを読んで頂くとわかるかと思われますが、
私は小さい頃から、徹底的に孤独だったんですね。

本当は社交上手な大人が自分の周りにいれば、
それをお手本にして自分も社交上手になれた可能性もあったはずなのですが、
親は、ま、親といっても母親が主なのですが、
現在の私以上に社交下手で、かつトラブルメーカーだったので、
私も小さいときから周囲の人と良好な人間関係を築くのが下手でした。

で、まぁ、朝になると学校へ行きたくないので、お腹が痛くなるんですよね。
そこで結果的にですが、うちの親があんまり教育熱心じゃなかったおかげで
「学校へ行きなさい!」と強く言われるでもなく、
「あ、そう。じゃあ、休めば?」といったふうに
私は小学校から高校に至るまで首尾一貫して、結構ズル休みをしていました。

特に高校時なんかは、雨が降ったりするとお休みしていました。
級友もよくしたもので、
「sadafusa? あ~、今日は雨だから来ないんじゃない?」って感じだったと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~

まぁ、人付き合いが上手くなかったから、っていうのも理由のひとつだったのでしょうが、
今にして思えば、ああいう授業形態が嫌いだったのかもしれないなと思うのです。


私は自分が40歳になったとき、
ある大学の通信学部の史学コースに在籍していたことがあるのですが、
これが非常に自分に合っていたのですね。

私はセンセイが一方的に授業をして、だまって聞いているだけという
授業のあり方が実はあんまり好きじゃないんですよ。


だいたいにしてセンセイは子供の反応を見てない事が多いと思うんですよ。
それに面白くて魅力的な授業かどうかってことも気にしているわけでもなさそう。

何より、その場所へ行くために時間を費やす通学の時間っていうのが
どうも好きじゃないんですよね。

だから、今、株式投資の専門スクールでウェブ受講をしておりますが、
好きな時間に自分のペースで授業を受けられるスタイルは非常に自分に合っていると思っています。




普通、小学校に通うような児童というのは
集団で授業を受け、お互いに刺激を受けながら
育つのは非常に大事なことだと言われています。

それは大多数の子供には当てはまることなのかもしれないです。


ですが私のような人と比べられるのが非常に苦手で
自分のペースで続けたいと思う児童であれば、
家でひっそりウェブ授業みたいなののほうがいいのかも
って思ったりするんですよね。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あと、自分の子供を見て思ったこと。


うちは子供がふたりいまして、上は女の子、
下は3つ違いで男の子でした。

で、小学校は家の近くの公立小学校へ通っていました。

うちの小学校は親が大変教育熱心な人ばかりで、
小学校四年生ともなると、だいたいの子供がなんらかの形で
学習塾へ行くようになりました。

で、私思いますに、小学校四年生以上になったら、
公教育はもっとゆるい範囲で選択制になれば子供も楽でいいのに、って
思ってました。

小学校は建前、競争はしない、ということになっているようなので、
クラスは成績順じゃなかったです。

児童がわかってもわからなくても、
教師は教科書を一年の間に終わらなくちゃならない。
これって結構問題だと思いませんか。

国語とか数学って習熟度に合わせて、
勉強させたらいいなと実は思ったりしているんですけどね。

ですから、個々人の児童の勉強における進捗状況なんて、本当にそれぞれなんですよね。
小学校五年生であっても、ものすごく進んでいる子もいれば、
小学校三年生ぐらいの学習もおぼつかない子供もいるじゃないですか。
しかし、どんな子供も一応、日中は小学校へ行かなきゃならない。
その後、さささとご飯を食べるか、弁当を持っていくかして
学習塾へ行くんです。

だから二重生活をしていると言えるんですよね。

もし、これがですね、塾だけなら、どんだけ楽かって思っていました。
でも塾って、国語算数理科社会以外の勉強、例えば体育、芸術、技術・家庭科みたいなものを
やってくれるわけじゃないので、

一週間で特定の日にちだけ、その授業を受けられるようにしてくれたらいいな、とも思っていました。


今なら、オンライン授業っていうのも当たり前なっているので、
午前中はオンラインで授業を受け、前日提出していた宿題のチェックを返してもらうとか、
間違いの解説をしてもらうとか、なんかやりようがあると思うんですよ。



~~~~~~~~~~~~~~~~

今の小学生も、もしかしたら、進学校へ入るために塾へ行っているのかも知れないですが、
要は社会に出るためにスキルがついているかどうかなんですよね。

もはや出身校がどうこうではないような気がします。

私は株式の勉強をするようになってから、
テレビ東京ビジネスオンデマンドをサブスクしておりまして、
毎日、ビジネス番組を見ているんですが、

最近、「ガイアの夜明け」だったかな、(違うかも知れない)
こんな興味深い大学の紹介をしてました。

京都には、最近、「京都先端技術大学」っていうのが出来まして、
それは日本電産って会社の会長が作った大学なんですけど、
そこのポリシーは社会に出て、すぐに戦力となる人間の育成なんですよね。

この大学は実は以前は誰も見向きもしないようなFラン大学だったんですが、
授業がものすごく素晴らしくて、
例えば、英語の授業はベルリッツと提携していて、学生は個々人でベルリッツのネイティブの講師について
オンライン授業をするんですよ。
だから、大学を卒業するまでには、海外へ出て商談をまとめるぐらいには英語力はつくらしいです。
あと、やはりオンライン授業ができるおかげで、世界の権威と呼ばれるその手の専門家から、
手ほどきを受けることができるようでした。


今、この大学の偏差値がどのくらいなのかは正直わからないんですが、
地元では誰もが知る、超エリート高校出身者が、「名より実を取る」と言って
この大学の進学を決めていました。

だんだんと日本のエデュケーション・システムのヒエラルキーっていうのも
崩れつつあるのかなって思います。


~~~~~~~~~~

私が現代に生きる十代ならば、
おそらく高校は全日制は行かないと思います。
日中は洋裁学校かなんかへ行って、技術を磨き、
家ではコツコツ勉強してるかも。

どう頑張っても一日24時間しかないんで、時間は大事に使いたいですよね。
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呪いの言葉に惑わされてはダメ! その2 [雑文]

みなさま、こんにちは。

今日も暑いですね。
あ、でも関東より北のほうはそうでもないのかな?
それぞれに地方差はあると思いつつ、お届けしております。

そういえば、台風が九州に上陸すると言っていました。
九州にお住まいのみなさんはさぞや大変なこととお察しします。



~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、ですね。

昨日、「呪いの言葉に惑わされてはダメ!」って話をしましたが、
ちょっとね、どういう切り口で話していけばいいのか、難しかったんですけど、
言い足りないような気がして、今日は補足って意味で自分の忘れられない体験を書きます。





「こいつはダメ」と思われている環境下に自分を置くことがいかに危険なことなのか、
それをもう少し突っ込んで話てみたいなと思います。


人って他人をどういう人間か判断するときは、
これまで自分が培ってきた経験によって、判断していると思うんですよ。
でも、もともとその人がたいして経験という経験を積んでこなかったり
あるいは、経験を積んできたにしても、古い時代の古い価値観であったりしたら、
今の時代の新しくて柔軟な考え方をする人に対してどのような評価を下すでしょうか。



私が思いますに、「あいつはなかなか面白いヤツだ」という評価を下せる人というのは
結構、自分に自信があって、しかもその人自身が多様な価値観を認められる人ですね。

反対に実は自分に自信がなくて、古い価値観にしがみついてそれを死守しているような人にとっては
新しい価値観に沿って行動している人間は、自分の存在自身を脅かす脅威ですから
大抵の場合はその人を否定したり、攻撃したりすると思いますね。



私は幼少期から親から否定的なことを言われ続けて育ってきましたが、
結構当時の学校のセンセイもすごくてですね。

小学校四年生のとき、26歳の女性教師が担任だったのですが、
たしか、四則計算ができなかったんですよね。

そしたら、こんな事言われたんですよ。

「sadafusaっ! アンタはね、低能なんだから絶対に将来結婚したらあかん!

 アンタが結婚して子供が生まれると、またまた低能な子供が生まれる。

 そしたら、世の中のお荷物になって社会のみんなが迷惑だ!」

すごくない?すごいよね?

自分、どれだけ賢いんかわからんけど、よくもこんな10歳になるかならずの子供に
こういう強烈なことが言えると思う。

まぁ、冷静に分析するとですね、当時26歳だったわけでしょ?
どれだけ自分が強烈なことを言っているかってってことが自覚できてないんですよね。
かてて加えて、突っ込んでいうと、
当時10歳の私は、「わぁ、かわいいw」って可愛がりたくなるような外見じゃなかったってことだろうと思います。太めで鈍くさそうな外見。そこにすでにバイアスがかかっているんだよね。
そして断罪する。
「こいつはいじってもいいキャラだ」「こいつにはどんな酷い事を言っても許される」
「こんなダサい外見なんだから、こういうことを許している親も親」

なんかこういう思考回路、わかりすぎて逆に痛いw

なんだろ、ひとつの鬱憤晴らしの材料にされていたんだろうなぁと思うんですよ。

昔の教師なんてこの程度のモンですわw
そう思えば、腹も立たない。


そういうことがあった一方で、
たしか小学五年生のときだったかなぁ、
私やっぱり昔からその手の道が好きだったと見えて、
手芸クラブに入ったんですね。

で、どういうわけかクラブ長になったんですが、クラブ長は
授業が始まるときは、出欠を取らなきゃならなかったんですよ。

で、私は親が言うところの、小心者だったので、未然に対処できるだろうと思えるトラブルの目っていうのは潰しておきたかったので、休み時間に全員の名前をチェックしていたんですよ。

「この人は田中さん、この人は杉山さん、そしてこの人は角田さん、、、、カクタかな、ツノダかな?」って感じで。

するとですね、顧問のセンセイが、この方は当時、随分と年配に見えたのですが、
いくつくらいだったのでしょうか? 40代後半?

その方がですね、お慈悲深いことにこうおっしゃったんですよ。
「sadafusaさん、あなたはしっかりしてるわね。そんなふうに小学五年生で確認できるのは偉いわ」

ってうちの母親なら「ビクつきやがって、みっともない、鈍くさ娘」と野次られるところを褒めてもらったんですよ。

いやいや、びっくりしてね~。
でも嬉しかった。

で、たしかね、手芸クラブの中には難しい名前の人もいたんですよ。

たしか、夙川さんて人がいてですね。
私は当時から漫画大好きだったんで、白土三平の「カムイ外伝」のファンだったんですね、
カムイは通称「夙のカムイ」と呼ばれていたので、私は彼女の名前をちゃんと「しゅくがわ」と呼ぶことができた。ただそれだけなんですよ。

でも、件のセンセイは「わぁ、こんな難しい名前も読めるんですね!」って
素直に驚いてくれるんですよ。

なんかね~、「お前は低能だから結婚するな!」とまで言われていたのに、
同じ学校の中でもセンセイが違えばこんなふうに褒められるというのは
私にとって大事件で、忘れられない思い出です。

単純に褒められたら嬉しいという思いもありましたが、
そのとき、センセイによって、下す評価はかなり違うというのが
子供に私にとってはかなりインパクトのあるできごとだったのです。


私みたいな子供はこういった人に出会っていなければ、本当に救われなかったですね。




~~~~~~~~~~~~~~~

人間はネガティブな言葉には弱いです。そして引きずられるのです。
たとえば、昼一で重要な会議があったとしましょう。

あなたは少し緊張しています。
そのとき上司が「おまえはいつもここっていうとき、腰砕けで発言できないヤツだから、
今日は頑張るように」って言われたとします。

そしたら、その言葉がプレッシャーになるんです。

上司はもしかして鼓舞する気持ちで励ましたのかもしれませんが、
こういうのは逆効果です。

どうせなら、
「君はいざとなったらいつもやれる人間だから、期待しているよ」
って言ったほうがいいのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私を褒めてくれたセンセイは
何も、根拠もなく歯の浮くようなお世辞をいってチヤホヤしていたわけではありません。
いつもなら、親や担任の教師だったなら、「バーカ」と思うようなことを別の角度で見て、
評価してくれたのですね。

人間にはこのように多角的な視野が時には必要なのかもしれないです。
私を否定的に見ていた人たちは、
私のとった行動を「卑屈、小心者」と判定したのに対し、
肯定的に見たセンセイは、
「授業をスムーズに進ませるための用意周到な準備をしている責任感の強い子」
と見てくれたということです。



今でも私は、ものごとを実行に移す時には、
リサーチをして、計画を立てたりすることが多いです。
そして、失敗したらそのフィードバックが必ずします。

そういうことが結構仕事を進めていく上でも非常に大事なことかなって思うのですね。



~~~~~~~~~~

私のやったことはそれ自体、とくにいいも悪いもなかったとは思いますが、
いやしくも教育に携わる人なら、そこに緒を見つけて、
その子の持っている長所を引き出すように導いてやってほしいものです。

「お前はバカ」なんて誰でも言えるようなことを、教育者が言ってはいけないのです。










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