イイオトコの系譜 ⑥ [イイオトコの系譜]
皆さま、こんにちは。
最近、ちょっとマニアックなトピばっかり上げていたら、
閲覧数すくな~い!
わたしのブログの中で結構人気があるカテゴリはこの「イイオトコの系譜」ですね。
では、久しぶりにこれをやらねばなりますまい!
⑤はさいとうちほさんの三神弦で終わっていたのだから、
もうちょっとさいとうちほさん色で行きましょうかね。
三神弦が前なら、次はこれかな。
アレクサンドル・プーシキン! & ジョルジュ・ダンテス!
さいとうちほさん特有のかっこよさを持つキャラクターですね。
このふたり、甲乙つけがたくかっこいいので、今回は二人まとめてってことで(笑)
なんに出て来るかといいますと、『ブロンズの天使』っていう漫画ですね。
ブロンズの天使 文庫版 コミック 全5巻完結セット (小学館文庫)
- 作者: さいとう ちほ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 文庫
ブロンズの天使 全7巻完結 (フラワーコミックス) [マーケットプレイス コミックセット] [−] [-]
- 作者:
- 出版社/メーカー:
- メディア: -
さいとうさんのマンガってわりとひとりの女に男がふたり、っていう図式が多いです。
まぁ、それでひとりは黒髪でひとりは金髪って感じ。
時により、白(金髪)が主役だったり、黒が主役だったりするのですが、
たいていの場合、主役のほうがもう一方よりずば抜けて魅力的で、あきらかに読者の視点が
イケてるほうに注がれるのに対し、
この作品は黒も白もそれなりに力が拮抗していて、どちらがいいとも判じがたいのが特徴ですかね。
あ、今考えたけど、黒白拮抗している漫画は他にもあったわw
(それは『円舞曲は白いドレスで』『白木蘭円舞曲』『紫丁香夜想曲』のシリーズをお読みだください)
お話は、ロシアの押しも押されぬ大文豪、プーシキンとその妻ナターリア。そしてそのナターリアと道ならぬ恋をしてしまうフランス軍人のジョルジュ・ダンテスです。
プーシキンは若い頃から、サンクトペテルブルクの社交界に情熱的なプレイボーイとしてその名をはせていましたが、あるとき信じられないような美少女に出会ってしまうのです。
彼女の名はナターリア・ゴンチャローワ。
そのとき、ナターリア16歳、プーシキン29歳かな。
すでにプーシキンは名達の恋の猛者なので、
本来なら恋もしたことのないような小便くさい小娘なんか、
洟もひっかけないはずなのですが、
その超弩級の美貌の前には陥落して跪くしかすべがなかった。
真っ白で透き通るような肌に完璧な美貌、黒黒としたブルネット。
そして、これまた完璧なプロポーション。
一説によりますと、ナターリアの美貌というのは、
おばあ様が北欧の人だったからというのがあります。
スラヴ美人もなかなか美しいと思うのですが、
すこし北欧のニュアンスが入っているとさらに美しかったのかなぁって思います。
実際に彼女の肖像画がありますので、貼っておきます。
たしかにキレイですね。
ま、ナターリアがどんなにキレイだったかということはそこらへんまでにしておいて、
プーシキンはもうその美しさに心を打たれたのです。そして心奪われたのです。
プーシキンは作家ですから、常にインスピレーションが下りてくるのを待っているのです。
そして彼女を見てこう思うのです「ナターリアはこの世の美の概念の具現だ!」
彼女こそが天の啓示そのものだ!と。
大袈裟なようですが、彼女を見て、常にインスピレーションが湧きだすのであれば
そうなんでしょうね。
そして彼女がまだまだ子供で、恋を知らないことにとてつもなく安堵するのですね。
というのも、プーシキンは彼女を大事に大事に自分だけのものにしておきたいのです。
恋なんてなまじ知らないほうがいい。
う~ん、源氏と紫の上って8歳差でしたっけ?
ところが、プーシキンとナターリアはさらに13歳ほど差があるんですよ。
ロリコンだったんですかね。(笑)
ナターリアは紫の上と違って、美貌は超弩級でも中身はわりと平凡な女なのですね。
それなのに、若年にしてすでに大作家として有名だったプーシキンに乞われて、お嫁に行くのです。
(まぁ、それもすんなり嫁に行ったわけじゃないですけどね⇒詳しくは漫画を)
で、しばらくは平和な夫婦生活が続くんですよ。
ナターリアは夫婦になって、プーシキンがすごく優しい夫であることにホッとする反面
なんとなく失望に近いものも心に抱く。
「結婚って、なんだこんなものか、って感じ」
本当は、破天荒な生き方をこれまでしてきたプーシキンにとって、
ひとりの妻のために自分自身の貞操も守って、妻一人だけに愛をささげる
良き夫として生きるなんてこと自体が、
この人の本来性質に沿わない信条を自ら課していた、ミラクルなことだったのですが、
そういういきさつを知らないナターリアにとっては、
刺激のない夫であったことは確かなのですね。
かといって、ナターリアは精神病を患って軟禁されていた父親、
そして絶えず自分の不運を呪う母親を見て育っていたので、
自分から、この穏やかな家庭を壊そうという気はさらさらなかったのでした。
こういうナターリアを、プーシキンはもう嘗め転がすようにして、可愛に可愛がる。
なんでもかんでも、自分以上にうまくやりとげてしまうプーシキンをみて
ナターリアは早々と降参してしまうのですよ。
「もはや、わたしなんかの出る幕はないわ」
とこのように対して自己主張もせず、彼女はずっとプーシキンの可愛いお人形さんでありつづけたのでした。
ところが、
ところがですよ。
運命はいつまでもナターリアをナターリアのままでおいてはくれなかった。
ナターリアが22歳のとき、目の前に美貌のフランス人将校が現れるんです。
すらりとした長身で、輝くような金髪に真っ白の軍服に身を包んだ彼の名こそ
ジョルジュ・ダンテス。
ダンテスはフランスの王党派だったのですが、マリー・カロリーヌ王大后が
不倫で失脚したのを見て、失意のうちに故国を去るのです。
しかし、もともとフランス人としての矜持を強く持っているダンテスは、このロシア行にはあまり乗り気ではありませんでした。
やはりダンテスにとってはロシアなんてフランスから遠く離れた、ヨーロッパの片田舎の三流国にしか過ぎなかったのです。
そこでダンテスはナターリアの完璧な美貌を見て、少し驚きはしましたが、
それよりも彼女の会話の野暮ったさに辟易してしまうのでした。
「フランス女ならば、こんなとき機転を利かせて、当意即妙でエスプリ溢れた会話が楽しめるのに、
なんだろう、この野暮ったさは…」と思っちゃうのですね。それに彼女の夫は文豪で名高いプーシキンなのに、なぜ?
ですが~。恋っていうのは、往々にして、こういうネガティブな心情から入っていくものなのですね。
嫌い、というのは好きの裏返しなのです。いわゆるギャップ萌えというヤツでしょうか。
1%も脈がない場合というのは、無関心な場合をいうのです。
フランス女性のように自分が美貌であることを百も承知でコケットリーを振り回すのに対して、
このロシアの美女、ナターリアのなんとも素朴は風情はどうしたことだろう。
まるで、自分自身の美しさも知らず、人のいない森に咲いているすみれのようだと
ダンテスは却って自分をことさらに飾ろうともしない、ナターリアの純朴さに一種の穢れの無さというか、神聖さを感じて、心を打たれてしまうんですね。
そしてプーシキンが自分の妻をあえて機転が利くような教育しないでおくのか、実はそこにはしたたかな色好みのプレイボーイの究極の選択だったことにも気が付くのです。
はぁ、なにがきっかけで人は恋という深い迷路に迷うか知れたものではありません。
もともとダンテスもナターリアもそうですが、
恋愛体質ではないのですね。
だから理性では、
「プーシキンの美人妻なんか、最も恋愛に不適当な女だ、やめておいたほうがいい」
と思っているし、ナターリアはナターリアで
「あたしはそんな恋愛をして楽しめるタイプの女じゃない。あの人は危険だ」
と思っているのです。
ですが、ですが、運命はこれでもか、これでもかといったふうに、
心ならずも二人を近づけて行ってしまうのです。
ナターリアもダンテスもこれまで本当の身を焦がすような恋というものをしたことがない。
そして、この不可解な恋という火だるまの中にふたりして突っ込んでいくのですねぇ~。
そこらへんの心理描写がまた、何とも言えず、手に汗を握るような展開でして、
読ませるんですよねぇ。
それで、彼らは一度は駆け落ちを結構するのですが、
あまりに緊張しているのか、ナターリアはその晩、熱を出すのですよね。
ダンテスが彼女を抱こうとすると、ナターリアは今さらながら不義を実行することを恐れて
退けるのです。
そして、うわごとで「サーシャ…(プーシキンのクリスチャンネームであるアレクサンドルの相性)」と夫の名前を呼ぶのです。
ダンテスはこのとき、諦めてしまったのです。
きっと駆け落ちをして彼女をフランスへ連れて行ったとしても、決して彼女はそこで幸せにはなれないと。きっと故国から離れたら、子供や夫を捨ててきたことを責め抜き、罪悪感に縛られる一生を過ごさせることになるだろうと…。
そこで、思いっきり残酷な言葉で彼女を突き放すのです。
そこからは…もう、漫画を読むしかないですね。
こんなに緻密で深い心理描写を漫画で描きえた、っていうことにまず脱帽です。
ナターリアにとって、プーシキンの結婚とは、身を焦がす大恋愛の末に結ばれたものではない。
ですが、この稀代の天才が夫であった家庭には常にやさしい春の日差しのような愛に包まれていた。
ナターリアも子供たちも親鳥が大きな翼を広げて守るように、いつもいつも彼の庇護下にいてぬくぬくとすることができた。
これほどの大きな愛を、裏切ろうとしている自分はなんと身勝手な人非人なのかと、ナターリアは戦慄するのです。
ですが、プーシキンも自分の妻の恋に気づいていたのですが、嫉妬ゆえなのか、彼女をわざとダンテスのもとへ向かわせて、その愛を試そうとするのです。
「ぼくは君のダンテスへの恋心は知っているよ。だけど約束してくれるね、きっと君は無事にぼくのところへ戻ってくる」
こんなふうに追い詰める方も実はどうかしていると思うのですが、バカですね…。
こうなるとナターリアも、これまでのようにと春の日差しを浴びながらウトウトまどろんでいる状態でなんかいられないですね。
そこでナターリアもまた、己自身さえもが知らなかった自己というものに目覚めるのです。
そうなると、プーシキンも善人面した夫なんて演じてられないのです。
己の全身全霊をかけた、ふたりの抜き差しならぬ会話がなんともすさまじい。
そして、三者三様にまっさかさに皆、悲劇の中へと突き落されていくのです。
最後の最後、ナターリアが夫のプーシキンを、彼の偉大な才能ごと愛していることに気づき、
彼とダンテスの和解を求めるためにした裏切りが、読者の胸を打ちます。
天才作家は持ち前の鋭い観察眼で、妻の、そつのなく見える答えや顔つきをみて、瞬時に何事かを悟ってしまうのですよ。
これは本当に傑作中の傑作です。
一読することをオススメします。
こちらは過去のプーシキン視点のブログです。併せてご一読ください。
https://sadafusa.blog.so-net.ne.jp/2012-02-19-1
オネーギンについて語っているブログ。これはプーシキンが結婚前に書いた作品なのですが、作中のふたり男と同じ運命をダンテスとプーシキンがたどってしまうというのも皮肉な話です。
https://sadafusa.blog.so-net.ne.jp/2012-10-22
2018-10-21 05:00
nice!(2)
コメント(0)
コメント 0