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明日から最後の推敲 [雑文]

去年の4月に約半年掛けて書いたものを
二か月寝かせて、その三分の二を削り取り、
いわば、ぶよぶよとしたぜい肉的部分を切り落とした。


これに約二か月かかって、
それが終わったのが、今年の一月末。


人間っていうのは、自分が一生懸命書いたものに
固執しがちでバサっと削除したり直したりすることが
なかなかできないものなので、

それから約一か月ほど寝かせておいて、
その間、編み物や読書などしていた。

だけど、頭のどこかで気になっているんですねぇ。
今日、ありがたいことに主人がプリントアウトしてくれて、
私はまったく他人が書いたものを読むような気持で
原稿にアカを入れなければならない。

結構、今、緊張しています。



そして四月にはプロが文体なり構成なりを批評していれる
有料のサイトに預けます。

今回は時代劇なので、もしかしたら致命的に間違っているところもあると思うので、
かなりのお叱りも受ける覚悟でいます。


それを直して、全体の使う漢字、ひらがなにすることばなどを統一し、チェックをしたあと、
さる新人賞に応募するつもりでいます。


小説を作るって、結構体力がいるので、趣味だといっても
いつまでこれができるんだろうと不安になりますが、
できるところまでやろうと思います。


書いているときは孤独でとても苦しいのですが、しかし
それでも一つの作品をゼロから作り出す作業というのは、
やはり何とも言えない達成感があります。


私、高校では日本史は取ってないので、
とにかく戦国時代の通史、それから
「天下人になるということはどういうことか」
「江戸幕府とはどういうしくみか」
「江戸初期の人の風俗、楽しみとはなにか」

などまったく知らなかったので、本は軽く50冊以上読みました。
これまで、歴史は書物を中心に考察されてきたのですが、
新に図像学といって、当時描かれた絵を基にして、
歴史を考えるという新たな分野も出てきたりして、
絵を見ながら、本に描かれているところを探して理解するのが
本当に大変でした。


でも、本を書くという目的がなければ、こんな面倒くさいことは金輪際やらなかったと思います。

本を書くことは、旅をすることに似ている、、、、と思います。
思いっきり想像力を働かせて、自分でその世界を作り、その中を歩いているような感覚。


あしたからは精神を集中してコトに当たろうと思っています。
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癒したがりの卑しさ [雑文]

最近、仏教の歴史の本を読んでいる。

大雑把にいって、タイやチベット、中国、日本の宗教が
ひとくくりに「仏教」と言ってしまえるのなら、

「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」なんか
もっと狭義のひとつの宗教と言えそうだ。

だいたい、三つとも「旧約聖書」(旧約聖書という言い方はキリスト教だけで通じるものだけど)
という同じ聖典を使っているわけだし。



仏教の始祖と言われる、ゴータマ・ブッダは
おそらく、自分が新しい宗教の始祖だと思って活動してないと思う。
(そういう意味ではイエスも同じかな)

たぶんゴータマさんは自分はバラモン教を信奉していて、
その教義にある「輪廻転生」から解脱して、二度と今生に生まれ変わらない涅槃へ
いくために修行していたのだ。


だから、生きているときには、「涅槃」へ行くためのハウツーを説いていたのであって、
まさか自分がホトケとして拝まれるようになるとは思いもしなかったに違いない。


原始仏教からテーラワーダ仏教ぐらいは、ブッダの教えの片鱗ぐらいは残しているが、
大乗仏教となると、これはもう別の宗教というか、
カトリックでいえば、カタリ派ぐらいの異端宗教へと変容していくのだねぇ。



だけど不思議なことに仏教って、「異端審問」ってことをやらないんだわw
昔カトリックなんかはキリストをどう位置付けするかで侃々諤々の論争をしていた。

神に最も近い人間とする「アリウス派」は論争に敗れ、異端。
母マリアの神性を認めていた「ネストリウス派」も異端。
これは景教として日本にまで来ているよ。(太秦寺はもともと景教寺院ではなかったかといわれている)


だけど仏教ってどんどん変容しても、
「まぁ、それが好きならそれを信仰すれば? こっちはこっちでやりまっさ」
って感じでどんどんお経も増えるのよね~。
(浄土三部経のひとつ、大無量寿経で実は中国製って言われてる)
(あと、父母恩重経は、儒教色の強い中国で生まれた偽経であって、
 そもそもインドには「孝行」という考えはなかったとか)


もともとゴータマさんは輪廻転生を脱出する方法を編み出したのであって、
ゴータマさんを拝んだって、呪文を唱えたって、輪廻転生の輪から逃れることができないはず。

だけど、いつしか人はゴータマさんを拝む対象に変容させ、
なおかつ、実在しないもっともっと強力な仏がいると夢想する。


それは大日如来であったり、弥勒菩薩であったり、阿弥陀如来だったりするんだね。
なんかここらあたりは、仏教のグノーシス化なのではないかとすら思えてしまう。





でも、私はキリスト教で育ったんで、キリスト教には普通の人より
親しんでいるけど、
仏教はさっぱりだったんだよね。

だってさ、手塚治虫先生のあの超巨編「ブッダ」を読んだって、
なぜうちの仏壇には阿弥陀さんがいるのかはわからないじゃないの。



そこには大乗仏教の教えがあって、空の教えがあって、中国の善導さんというえらいお坊さんが
浄土思想というものを説かなければ、出て来ないものだったんだね。


でも、仏教世界って深淵で、なかなか華厳の教えとか、空の思想とか理解できないので、
まだまだ仏教関係の本は読み続けると思います。



でも私がなんとなく感じるのには、仏教はインドで信仰されなくなったのではなく、
ヒンズー教に同化していって、吸収されてしまったんでしょう。


だって、帝釈天なんてインドラだよ。
弁天さんだって、川の女神サラヴァスティ、
ブラフマーは梵天、
大黒さんはマハーカーラ、
お稲荷さんはダキニと
私達が拝んでいる神様のほとんどはインドのヒンズー教の神様なんだもん。


そしてついにブッダもヴィシュヌの化身(アバタール)のひとつと見なされているの。


非常に興味深い。

やっぱりもっともっと追求せずにはいられないよね。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、ここまでが前ふりです。長いね。


私、たいてい編み物しているときは、ラジオを聴くみたいに、
YouTubeを流しながら仕事していることが多いんだけど、


この間、たしか松原タニシさんのラジオ番組で
融通念仏宗のお坊さんとの対談があったんですよね。


いろいろ面白い話をされていましたが、
そのとき、お坊さんが
「人はとかく可哀そうな人も見ると、親切をしたくなるものだ。
 で親切をするとどういうわけか、気持ちよくなれるものなんだ。
 ともすれば(自分が気持ちよくなりたいがために)人を癒そうとする卑しさがある。
 だから親切をするときは、気を付けなければならない。
 
 親切をしてあげた、と思ってはいけない、親切をさせてもらう機会を仏さまに与えてもらったと
 感謝するべきなので、決して驕ってはならないのだ」


 う~ん、めっちゃ深く、含蓄のあるお話で、私、思わず雷に打たれたようにハッとなりましたね。

 それにね、親切って、しているほうは親切と思っていても、
 相手にとってはすごぶる迷惑、ということも大いにある。


 歩いていて道を聞かれるぐらいなら、即答したらいいと思うけど、
 やっぱり人になにか特別なことをしようと思うときは、
 よくよく考えなきゃならないんだよね。


 うちの母は、よく贈り物で本当にがらくたみたいなものを送ってきたよ。
 だけどさ、「よかったでしょ? センスいいでしょ? 嬉しいでしょ?」

 で「ありがと、ありがと、ありがと」
 を三か月くらい言い続けないとめっちゃ怒りまくる人だったね。

 認証欲求が強すぎるのかなと今なら冷静に分析できるけど
 人に何かを上げるときはぶっちゃけ「何が欲しいか」聞いてみるのが一番いいと思う。

 サプライズがなくていや!っていう人もいると思うけど、
 私、サプライズのプレゼントで嬉しいと思ったこと一度もないもん。笑

 まぁ、嬉しいのは食べ物ぐらいかな。
 でも、今、ダイエット中なので、甘いものもらうと困るしね。


 話は脱線しまくりですが、とにかく、自分の今の行動は「偽善かもしれない」と
 一度疑ってみてもいいと思うよ。

 自分は善人だと信じて疑わない人は、自分は悪人だ、悪いことをあえて相手にやっているな、
 と意識的にやっている人より、鈍い分だけ罪が重いと私などは思うのであります。







 


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純粋に趣味 [雑文]

皆さま、こんにちは~、
今日はさっぶいですね~。
師走なのに、一月下旬並みの寒さなのだそうです。


さて、今回はちょっとだけ、ディープなお話をしようかな~~と思っています。

書くべきかどうか、かなり悩んでいたんだけどね~。
















































































さて、
私、結構悩んできたことがあるんですよね。

私ねぇ、実ははっきりと「これがずっと好きでした!」っていうものがないのよ。
結構熱しやすく冷めやすいタイプというか~。


私ね、自分からなんかやってみようと思って本格的にやり出したのが、
長男が大学に入ってからなのよね。


それまで金も暇もなかったというか、
暇があっても、何かを習う金がない。


仕方がないので、その間は図書館で本を借りて読んでおりましたね。


ま、本を読むのだけは、これまでの人生を通じて欠かさない習慣かもしれない。



で、ですけどね~

私、あるとき物語が書きたくなったのよね。
で、最初できたものを誰かに読んでもらいたかったのよね~。

だけどさ、素人が最初に描いたものなんて、ぶっちゃけ読めるような代物じゃないのよね。

で、まぁ、それでもぼちぼちではあるけど、続けていたんです。
ここにもUPしてたりしてさ、

だけどこういうところに載せたとしても、的確な批評はもらえないわけよ。
当然だけど、みんな素人だから。


で、私はある時から、自分の書いたものをプロの方にお金を払って
文章を添削してもらったり、物語の構成の良し悪しを分析してもらうようになったんです。

お金払っている以上、みなさんそれなりにきちんとした文章のプロだし、
的外れな批評なんか皆無なんだよね~。


私は自分の小説なんか、お遊びで書いていると思っています。
プロになんか今更なろうとも思っていません。
これはね、才能がないからそういうふうにいいわけしてるんだろう、見苦しいと
読んだ方は思われるかもしれないけど、

もうね、作家も旬っていうものがあって、
わたしみたいな古い人間は、新しい時代の人の話は書けないんだよね。
それはわかっているのよ。


ただ、自分個人として作品の質を高めていきたいなと思うのね。

やっぱ、文章って難しい。だからこそやりがいがあるんだけど。
ま、でも自分だけで書いていて自己完結しちゃうと、どうしても自分に甘くなるんだよね。

それで一年に一度、どこかの公募に応募してます。

大きな大賞だったら、一次を通るのも難しいといわれています。
だからね、一次に通るだけでもいいのよ。


その努力を自分で認めてあげたいと最近は思うようになったかな。

面白いことに、私はどうしてもジャンルが定まらないんだよね。

結構、あっちこっちに手を着けています。
というのも、興味の対象がそのときどきで移るからで、
結局、自分の興味の持てないテーマは書けないということなのよね。

今は歴女でもないのに、歴史ものを書いています。

時代はちょうど、大坂夏の陣を挟んだ江戸の初期ですので、
そのときの世相を掴もうと思うと、案外難しい。

大河ドラマも、時代考証はきちんとしているけれども、
それを鵜呑みはできないところもあるんだよね、映像だから嘘もあるというか。


だから、絵画資料としてその当時描かれたものを見るんだけど、
これが結構難しいよね~。
なかなか素人の手に余るというか…。


あっちこっち旅もしました。やっぱり実際に事件が起こった場所に行ってみるのも大事だよね。


本もめっちゃ買いました。図録が多いので、結構お金かかったかな。
趣味なのに、こんなにお金かけていいのだろうか、と思うけど、
自分の興味あるものを調べて、それをもとにお話を作るって
結構高等なお遊びだよなと自分で納得しています。

娘には「どうしてプロになろうとしないんだ!」って
しょっちゅう言われていたんだけど、
それって私にしたら重たいことなんだよね。

仕事になったら、楽しくなくなるじゃないの。


私は、ものすご~く内向的な人間なので、
別に自分の作品をたくさんの人に読んでもらって、
「すご~い、素敵です」とか賛辞を貰わなくてもいいかなって思ってます。

っていうか、そういう自分ではどうにもならないことを他人に期待していると
自分のやっていることが空しくなってしまうんだよね。

自分が一番に楽しむ、自分が納得できる文章にする、


劇中の人物同士が、敵対しあったり、喧嘩したりしますね。
それは、どんな人間にも自分なりの大儀というか、正義があるからなんですよ。

他人から見て悪人と思われる人でも、当の本人からみたら、相手のほうが悪人に思えてしまう、
それはその人の世界観が他人と違うからなんだな~と思います。


小説を書くということは、神のような視座をもって、俯瞰的に見ること、
つまり、自分自身の分析にもなることだな、と思いながら書いています。



現実世界は、案外辻褄の合わないことが多いのだけれど、
物語の世界は整合性が求められます。

だから、時代劇で実在して人物の行動を描く場合、
その意味づけを考えるの。

たいてい意味不明の出来事をやらかして、謎な部分が多いんだけれど、
それをどう料理するか、それが小説を書く醍醐味かもしれないですね。

小説を書こうと決めて、資料集めや、プランを練っている時、実際に書き始めたとき、
そして推敲しているとき、

どの段階もそれなりに辛くて、早く終わらせたいと思ってドキドキしていたりするんだけど、
終わっちゃうと、なんだか寂しくなってまた書きたいな~とか思ってしまう。

不思議ですね。





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菊池桃子さんにまつわる思い出 [雑文]

こんにちは。sadafusaです。

う~、すっかり秋ですね。
今年の京都は、冷え込みが深かったらしいので、
いつになく紅葉がきれいです。

この間まで、どこもここも観光地ががらーんとしていて、
観光で成り立っている京都は大打撃でした。

いまはね、日本全国から人が押し寄せていますね。

だからなのか、いつもバスはコミコミ。
流しのタクシーは捕まりません。

やっぱ、GOタクシーのアプリ入れなきゃな~と
思っている次第でございますね。


今は世界全体もそうなのでしょうが、
もちろん日本も経済的苦境に立たされているので、
多少、ジモティとして不便な環境を強いられてしまうのですが、
世界中の人々、カモン、カモン、京都へ。



さて、今日のお題は「菊池桃子さんにまつわる思い出」ですが、
別段、わたくし菊池桃子さんのファンというわけでもなく、
実際にお会いしたこともありません。

が、私、最近よくYOUTUBEでケンケン先生の観相学を視聴しています。
で、たまたま菊池桃子さんのお顔を観相学の観点から
判断されていたのですが、全体の印象してい「ほとんど吉相」とのことでした。

先生はたいてい眉の形、眉間のしわや
眉間の幅、眉と目の幅、目の形、鼻の孔の向き方、大きさなどから、
吉相、凶相を判断されているように思いますね。

でもたいていの人の顔というのは、吉凶入り交じっているので、
説明を聞いて、「ふぅ~ん」と思うだけですね。

ただ、これまでの観相から見て思うのは、
いくら美男美女でも、なんとなく感じ悪いなぁと思う顔ってあるじゃないですか、
「ハンサムだけどなんか好きになれない」とかさ
そういうのって、たいていその受けた印象って合っていて、
凶相ってことが多いんだなぁってことです。


でも、まぁ、ど素人なので、そういうもんなのか、で楽しんでみているだけですが…。


さて、昔、うちの家族が精神をわずらって、結構長い期間、
精神科に入院していたのですが、
そこの看護師さん、どういうわけかびっくりするほど美人さん揃いなんですよ。

精神科の病棟って、少し離れていて一般の人が入れないから、
この美貌を拝めるのは、入院している人とお見舞いに来る家族だけ。

ある日、わたくし病院へ行きましたら、なんと菊池桃子さんそっくりの方が
ナースステーションにおられたんですよ。

でねぇ、めちゃくちゃ美人でびっくりして
「どうしてこれほど美人の方が、こんな地味なところにお務めなんだろう」
って思ったんですよね。

女優にならなくても、もっと華やかそうなお仕事ありそうじゃないですか。
看護師だとしても、なにもこんな閉ざされた精神科にいなくてもよさそうなものなのに…。

とも思ったんですが、
心を病んだ人だからこそ、こんな天女みたいな美貌の人にお世話されると癒されるんかなと
そのとき思ったんですね。



しばらくして、また全く別の病院で、またまた菊池桃子さんに激似の方が
受付しておられるのに遭遇しました。

この方は前者の精神科のお務めの方とはまた別人です。
ですが、菊池桃子さんのようなお顔なんです。
超絶美女です。


で、ケンケン先生の占断を見て、なんとなくこう思ったんですよね。

菊池桃子さんタイプの顔の人って、もともと徳が高い顔なのかも。
たまたま菊池さんは女優さんになられたけど、
こういう人は優しくてしっかりした方が多いのかもなぁ…と思った、
という


そういうたわいもない話でした!

ちゃん、ちゃん!

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F.プーランク 『愛の小径』に寄せて [雑文]

先日、夫がBASEにてフルートのCDを買いました。

saori tokumoto.jpg

フルート 徳本早織さん
ピアノ  市川未来さん

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夫は地元の音楽家のコンサートによく出かけますが、そのとき
この方のフルートが非常によかったのだとか。

そうなのかと思って一緒に聞いたのですが、本当によいのです。

フルートのイメージとはしては銀色の音でしょうか。
鈴が鳴り響く音ともまた違い、非常にまろやかです。
フルートから発せられた銀色の音の粒がいつしか細かい光となって
蒼穹に吸い込まれていくような
それを聞いている人の心もいつしか清い音で清められていくような
そんな楽器かなと思います。


演目も非常に考えられていて、
みんなになじみのある、フォーレの「シシリエンヌ」に始まり、
ドビュッシーの「月の光」とか、美しい曲がいっぱい。

私はその中でも、ふたつの曲にとても心が惹かれました。
ひとつはE・ブロの『メロディー』。

そしてもうひとつはF・プーランクの『愛の小径』ですね。


クラシックってそれこそ、ビバルディやバッハの昔ぐらいから年代順に聞き重ねていくと、
そのうち耳が肥えてきて、近現代の音楽っていいな、って思えるようになるものなんですよね。


このふたつの曲って20世紀入ってからのものです。
私も若い時は、近現代特有の不協和音とか、不安定な半音の上がり下がりに
どうも馴染めないでいましたが、最近はそういうのが逆に美しいと思えるようになりました。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さて、このプーランクの『愛の小径』ですが、
聞いていると、なぜか昔の「小暮サーカス」とか「木下サーカス」などで
演奏されていた「美しい天然」をちょっとだけ連想するんですよ。

「美しい天然」って聞いてもピンとこない方もたくさんいらしゃるだろうから、
昔、サーカスやちんどん屋がよく鳴らしていた曲と思って下さったら
おわかりになろうかと思います。
何なら、しっかりYOUTUBEでも検索できますので、そっちでどんな曲かを聞かれてもいいかな
とは思いますね。


「美しい天然」のイメージは一言で言うと、中原中也の詩、「サーカス」に出て来る
「ゆや~ん、ゆよ~ん、ゆやゆよん」という言葉がぴったりです。

どこか物悲しくて、うらぶれていて、健康的じゃない。


うちの息子がまだ幼児のとき、そういうものを非常に怖がっていて、
リングリングサーカスとかシルクドソレイユのような完璧に演出されて
洗練されたショーであれば、喜んで見るのです。


非常に古い話になるのですが、一度里帰りした折、
久しぶりにあった祖父母は、孫をなんとか喜ばせてやろうと思い、
ちょうどその時、郷里に来ていた木下サーカスに連れて行ったのです。

サーカスのテントの隙間から漂う、動物の糞の臭い、
薄暗い空間。

周りを見渡す息子の目には不安の影が見えました。

「大丈夫、これから面白いのが始まるから」
祖父母は一生懸命孫を励ますのです。

ですが、この美しい天然のメロディを奏でるトランペットの音が響いたとたん、
息子は思わず、吐いてしまったのでした。


今でも、何とも言えない情けない表情を見せた父や母の顔が目に浮かびます。
喜んだ顔を見たかったのに、吐かせてしまった。

亡くなった父のことをふと思い出すとき、申し訳ないことをしたなと
懐かしさと寂しさがないまぜになった気持ちになります。


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なんでこんなことを書いたかと言いますと、
「美しき天然」とこの「愛の小径」はなぜか始まる音が一緒で、
それでもってふたつとも短調で、ワルツというか三拍子なんですよ。


ですが似ているのはそこまでで、このふたつには天と地との差があります。
愛の小径は三拍子といっても、アーフタクトなんですよね。

ワルツは、1,2、3, 1,2,3 と拍子をとりますが、
アーフタクトは1,2、は休符で3から始まります。

だから短調に、おんなじ硬い調子でタンタンタン、タンタンタンと音を刻むのではなく、
タッタータ、タッタータ、と円を描くワルツを踊るように緩急があるのですね。


せめて、あのときサーカスの音楽が「愛の小径」であったらなら、
息子の反応もかなり違っていて、両親の悲しい顔を見ることもなかったのじゃないかと
考えたりします。


まぁ、しかしそんなことを覚えているのも
今は主人とわたしだけかもしれないです。


昔語りをしました。


しかし、今は秋。
フルートを聞くには絶好の季節になりました。







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寂しさと決断とコミュニティ [雑文]

こんにちは~。sadafusaです。

めっきり日も短くなりましたね。
最近、何が嫌かというと一年の経つのが妙に早く感じられるんです。

というのも、夏がめちゃくちゃ暑いじゃないですか。
もうさ、夏を楽しむって気分になれないんですよ。

じりじりと太陽に照らされた真夏のアスファルト道路なんて歩けたもんじゃないしね。

こんなに熱してしまった地表に「遣り水」なんて風情なんかまったくもってそぐわないですよね。
せいぜい、水蒸気になって余計あたりをもやもや蒸し暑くするだけですしね~。


そう、何が言いたいかと言うと梅雨が明けると、夏は秋が来るまでひたすら
凌ぐものになっちゃったってことです。

しかもうちのエアコンがまた性能悪くて~。
これまで二度付け替えようとしたけど、立地条件がこの家に住み始めたときと
かなり変わってしまっていて、大手の電気屋の下請け工事の人なんか
すぐに断って来るんだよね~。

だから、余計に辛いんだよね。
ダイキンのうるるとさららだったらもっと違うだろうに。

そう、だから夏の7,8、9,10月の中旬ぐらいまで、およそ三か月半ほど
ひぃひぃ言って耐えているだけだから、その時間の分が充実してないのよ。
だから余計に一年が短く感じてしまう。


さて、昨今は自民党と統一教会との癒着問題が取りざたされてますね~。

まぁ、別に今更そういうの、私にとってショッキングでもないというか。
うちの旦那の父親は自民党の政治家で、
こういうカルト的な宗教団体ってごそっとそのまま、いい票田になるんですよ。

だってさ、そこの教団の支部長さんが「政治家の〇〇先生を、この支部全員で盛り立てましょう~」
とか言うと、み~んな右にならえで投票してくれるんだもん。
そういうのを嫁に来た時からず~っと見てきました。

政治家っていうのは、恐ろしいもので自分の票田のためなら、
孫でも売り渡しますね。

なんとうちの義理の父親は、さる右翼系のカルト教団の寄宿舎つきの中高六年生の学校へ
私たち親を無視して、娘を入学させようと画策していました。

私はそれに激怒して、絶縁を言い渡しました。

すごいよね~。

そういう人たちなんですよ。政治家って。
人間ってお金とか権力を一度手に入れて「先生」って呼ばれると
その座を絶対に手放したくないんだなぁと思います。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

反対に、私の実母は宗教ジプシーでした。

自分を「不幸」と決めつけ、ありとあらゆる宗教団体に3~5年ほど在籍して
「ここは違う!」といってまた別の宗教へ鞍替えするんですよ。

うちの母親はちょっとボーダー気質なんかなと思うんだけど、
独断するのとか、人の反感を買うのなんかは案外平気で
それだから、宗教ジプシーできるんだよね。


でも私がこれまで観察してきて思うことは、
こういうカルト宗教というところは、
上の人が右か左か、ゆく道を決めてくれるのよ。
だから葛藤がないわけ。従っていれば楽じゃん。

決断っていうのは、それなりにしんどいもので、
右か左か、そのたびに決めなきゃいけないんですよ。

右か左、どっちにしても100パーセント全部が全部、善であり悪ということはない。

どっちもメリットがあり、デメリットがあるんだよ。
しかし決めた以上、自分自身がその後始末をしなきゃならないわけよ。

だから~、決められない、葛藤を抱えたくない、って人は
結構簡単にこういうカルト系の宗教に入ってしまうね。

それに、だいたいにしてこんなところに入る人というのは
寂しい人が多い。

それはしょせん作られたものであるにせよ、
連帯意識っていうのは、こういう寂しい人たちにはたまらない魅力があるわけよね。

その教会にいけば「おかえりなさい」と笑顔で出迎えてくれる。
自分の話を聞いてくれる。

やっと自分の居場所を見つけられることができた!と思う人はいるでしょう。

そこをカルト集団の幹部は見抜いているだよね。
その人の財産を全部没収したり、子供を二世、三世信者へと仕立てる。



自分の行動すべてに責任を持って生きて行けっていうのは、
実は非常に人間力のある、賢い人にだけ許される行動なのであって、
我々のような下々の人間っていうのは、
肩を寄せ合って生きて行くのがせいぜいってことを
今の政治家は本当は知っているくせに、知らないふりをしているね。
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不調の原因 [雑文]

こんにちは、sadafusaです。


さて、私8月21日に結構大きなけがをしまして、今日に至っています。
一度は結構快方に向かっていたのですが、
「わぁい、治った~」と浮かれて、デパートに行ってウィンドウショッピングしてたら、
そのあと、治りかけていた靭帯二か所がまた悪くなって、元の木阿弥状態になったんですね~。


さすがの私もこれにはかなりへこみました。
「もう、若くはないのね」

知っていましたよ、ちゃんとそのぐらい。
しかし年を取ると若いときみたいに傷の回復力も遅くなるってことを
身をもって実感させていただきました。
トホホ。


私ねぇ、結構ひとりっきりでやる趣味が多くて、
これまで別段、おしゃべりする相手がいなくても一向に構わなかったのですよぉ。

それにさ、小説のプロットの話なんか、普通の人は興味なさすぎて
聞いてもらえそうもないし…。


これまで一時間ほど歩きながら、プロットやキャラクターの設定をぼうっと考えたり、
途中で素敵な花やお屋敷があったら、カメラに収めたり、
素敵で雰囲気のある人がいたら、それはさすがにカメラに収めるのは失礼なので、
心のカメラに収めて、あとでメモをしていたりで
これまで結構楽しく暮らしてきたんですよ。


歩くってね、気分が変わってとてもいいの。
それに私みたいなもともと運動音痴にはちょうどいい運動にもなるし。


しかしそれが出来なくなった今、とてもストレスを抱えてしまうようになりました。

アウトプットしたあとは、大量のインプットをするのです。
だから、めちゃくちゃドラマも見るし、映画も見るし、
本も読むし、漫画も読む。YouTubeだって一日中見ていられるほど集中力あったんだけど、

突然、視界がカラーから灰色に変わったっていうかなぁ、
何をしていても楽しさを感じられなくなったっていうかなぁ、
お年寄りの自殺って多分こういう気分から回復できない人がやるんだろうなぁと
実感しましたよ。


ただ、私にとって何よりだったんは、家の近くに娘夫婦が住んでいてくれたこと、
夫の存在が大だったかなぁと思うんですね。

彼らがいなきゃ、私本当にひとりぼっちですし~。
いや、友達だと思ってくれている人は案外多いんだけど、
私、他人サマの思惑が気になって、人と会って家に帰ると
どっと疲れるんですわw

だから、こういう気の置けない家族はとてもとても大切な存在です。

まぁ、それでも怪我のほうもすこしずつ回復しているだろうし、
きっとそのうち、また元に戻って散歩できていますように。


また、面白い話のネタが思いつけますように。

奇麗なものを見て感動できる心が取り戻せますように。
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セルフ前世療法体験? [雑文]

皆さま、こんにちは。

昼間は未だに暑いけど、夜エアコンを掛けて寝なくてもよくなり
少し身体が楽です。


さて、私はもともと精神世界とかいろんな宗教のドグマなどを比較したりするのが
好きなのです。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、そんなこんなで
最近、こんな本を読みました。




セルフ前世療法 誘導音声DL特典付き: 繰り返してしまう自分の前世トラウマがみえる (クラブハウスブック)

セルフ前世療法 誘導音声DL特典付き: 繰り返してしまう自分の前世トラウマがみえる (クラブハウスブック)

  • 作者: 根本恵理子
  • 出版社/メーカー: クラブハウス
  • 発売日: 2020/09/08
  • メディア: Kindle版




この著者の根本さんと言う方は、東大で心理学を学んでいらっしゃいます。
そしてお医者さんになろうとして、三度医学部を試みるも失敗。

そして、江原さんの「オーラの泉」を見て、前世というものに興味を持ち、
ブライアン・ワイス博士の「前世療法」にたどり着く。



前世療法 米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

前世療法 米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2019/04/03
  • メディア: Kindle版




このですね、ワイス博士はもともとセラピストで、退行療法といって心の問題を抱える人に催眠状態に持って言って、トラウマを受けたところまで戻ってその原因を突き止めるのを仕事とされていたのです。
ですが、どういうわけかある患者さんは、幼少期どころか、自分が生まれる前の体験を語るのですよ。

初めワイス博士は「人がありもしない前世を語るなど、これは潜在意識が間違ってそういうふうに持っていっているに違いない」と思い、何度も何度も、前世へ行かないように、行かないように持っていこうとするのですが、やはりどうしても前世へと移行してしまう。

しかも、それもひとりやふたりではなく次々と前世をみてしまう患者を目の前にして
とうとう博士も「前世」というものを認めざるを得なかったというのが
ごく簡単な内容のあらましです。

現在、この「前世療法」というのは、欧米ではごくごく当たり前な
カウンセリングのひとつとして認められており、保険もきくんだそうな…。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ただ、わたくしの場合ですね、
神秘的なことに興味あるくせに、疑いぶかいんだよね。

「引き寄せの法則」みたいな現世利益的なメソッドなんか絶対に信じない。
願えば叶うのであれば、どうしてロシアとウクライナは未だに戦争をしているの。
皆が平和になってほしいと願っているのに!



とまぁ、きちんと心理学を勉強もせず、ちょこっとセミナーを受けて
へプノセラピストを名乗っている人は怖い。
法外なお金を払わされるのも業腹だし、
下手したら、変なトラウマを受け付けられるかもしれんじゃん。


というわけで、この「セルフ」でってところがいいなと思ったんでした。
だって、失敗したってタダじゃん。


で、この本には、ダウンロードすると、根本先生の催眠に誘導する音声がゲットできるの。

で、やってみました。

不思議ね。これまで三回やってみたけど、全部ちがっていた。

ひとつ目の私は大航海時代の南インドのゴアに住んでいるヒンズー教徒の漁師だった。
ヒンズーの教えも好きなんだけど、近くに建っているカトリックの大聖堂のステンドグラスが
とても美しくて、思わず床にひれ伏し、ガラスを通して七色に輝く光に神の神性を感じてしまうんだな。
神父さんはそんな私を見て、「カトリックに改宗すればいいのに」ってしきりと勧めるんだけど
そんなに気にとうていなれない。

また、わたしは好きな女の子がいて相思相愛なんだけど、なんとその女の子はムスリマなんだよね。
娘の父親が「おまえがムスリムに改宗しない限り、絶対に結婚は認めない」っていうんだな。

仕方ないムスリムになるかなぁと思いながら、心の片隅で
「神というものは、人がどうこうと線引きをして定義できるものじゃないのに」って思っていたのでした。


非常に私らしい前世のような気がします。笑

~~~~~~~~~~~~~~~~~
ふたつめはアフガニスタンの裕福な主婦。
男の子ふたりに恵まれ、旦那さんも優しくてお金持ち。
上から下まで、青い絹の服を着て、翡翠のピアスをしています。

奥には料理や掃除をしてくれる小間使いがいます。
私は窓辺に座って、色とりどりの絹糸で刺繍をしています。
ひとさし、ひとさし、丁寧に刺していきます。

主婦の私は幸せにひたっていました、
仕合せな一生を送ったみたいです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みっつめは江戸時代の大津。
私は奉公に出されたばかりの飯盛り女。
旅をするお侍さんにシジミ汁とおにぎりを渡すのですが、
お侍さんは横柄でおっかない。

まだ子供の私は、しょっちょう失敗をして店の女将さんに怒鳴られて
おしおきに食事抜きのこともしょっちゅうです。

家に帰りたいけど、口減らしのために奉公に出されたので、
帰るところはありません。
夜中に蒲団の中で仕事が辛くて、家が恋しくてひとり泣いています


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とまぁ、時代も場所もさまざまです。
でも、だからといって、これが本当に自分の前世かといわれると自信ないですねぇ。

潜在意識のフタが空いているという意味では
小説書いている時も同じだからなぁ。


ただ、人の生き方を俯瞰的に眺めるという意味では
それなりに意義はあるのかもしれないです。

まぁ、始めたばっかりで何とも言えませんが、
飽きなければしばらくやっていると思います。


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屋上屋を架す [雑文]

皆さま、こんにちは。

最近、脱稿して一息ついたものの、
私、実は夜ウォーキングしていたとき、
ひどい捻挫をしてしまったんです。

これまでほとんど毎日歩いていたのですが、
それも出来ず、身体の調子が非常に悪い。

整骨院に通っているのですが、
人間の身体って私のように大きな衝撃を受けたときは
最大限に筋肉が伸びるんだそうです。

でも、その反射でその後、急に縮むのだそうです。
私は靭帯もかなり損傷していて、そっちも痛いのですが、
とにかくふくらはぎの深部の筋肉が縮んだせいで、血の巡りが悪く、
足が冷たい。お風呂に入っても表面部分が温まるだけで、深部が温まらない。

というわけで、この暑いのに、エアコンですらかけているのに、
ひざ下だけはごっつい遠赤外線が織り込んであるレッグウォーマーみたいなのを
付けていますね。

あと、かてて加えて、最近喪失感があって~。
そもそもあんまり精神が安定してないのに、
ケガをしたせいか、鬱っぽいです。

心療内科行こうかなってググってみたけど、みんな「要 予約」なんですよね。
まぁ、わかるんですよ。要予約じゃなきゃ、待たせられるし…。

だけど、思いついとき、心に決めた時、行きたいんだ…。
タイミングが合わないと、また機会を逃すことになる…。

かといって、私のように常に情緒不安定な人間って
心療内科へ行ったとて、ってところがあるんだよね~。

結局、「カウンセリングを受けてください」みたいになるんだよ。
いや、カウンセリングは8年ほど通いましたから、もういいです。

あ~、あたしはこんなもやもやしたもやもやした気持ちを抱えて
これから死ぬときが来るまで生きなきゃならないのか、
…ユーウツです。ものすごく…!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は単なる言葉によるうっぷん晴らしです。
私はたいていリアル世界の人にはあんまり文句をいいません。
それは、不思議な感覚だけど、愚痴を言った後、
ものすごく落ち込むんだよね~。

自分の中のもうひとりの自分が「恥を知れ」って怒って来るんですよ。
他人は解決できない問題は言わないことにしています。
だって聞かされている側に立つと、いやな気持になるんだもん。。




さて。

最近、プロじゃない方の小説を目にすることが多いのです。
時には、非常に面白いものに出くわすので、
馬鹿にしたもんじゃないんですよね。

ただ、いつも気になるのが、
美形キャラの人物描写かな。

みんな、「屋上屋を架す」って言葉知ってる?

屋上の上にさらに屋上を建てることだよ、
つまり、無駄なことのたとえなんだね。

似たような言葉に「蛇足」っていうのもあるかも。
こっちのほうがもっと頻度としては軽い気がする。

私、常々美女とか美男って書く時は気を付けていることがあるの。
それは「美しい」と連発しない。
また直接「美しい」というダイレクトな表現を使わないってこと。

向こうから「超絶美少女」が歩いてきた。

って書かれていたら、もうそれ以上書くことはない。
だって超絶美少女なんだからさ。

なんてのかな、こういうの、やっちゃいけない典型だと思うんだよね。
超絶美少女ってことばには、「どんな風に魅力的なのか」を創造させる余地がないもん。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

たとえば、主人公が横断歩道で信号が青になるのを待っていたとする。


ふと対岸を見るとですね、セーラー服の女の子がひとり佇んでいた。

割と背の高い子で、すらっとしている。
主人公は
「こんなに背が高いんだから、バスケとかバレーボールをしているのかなぁ」
とぼんやり考えていた。

青になると他の人と同じように女の子もこちらに向かって歩き出した。
おそらく校則では膝丈のはずのスカートは、
放課後になると思いっきりたくし上げられているのだろう、
ミニスカートの下にはぜい肉のついていないまっすぐな足が伸びている。
女の子は主人公に見つめられているとも知らず、颯爽とこちらに向かって歩を進めてきた。

赤みがかった膝小僧が初々しい。

思わず主人公は近づいて来るその子の顔を凝視した。
そこには切れ長の瞳がキラキラと輝いていた。

そしてすれ違いざまにわずかな風になびいていた髪から
シャンプーの清潔な香が漂って来る。

しかしそれも一瞬で、女の子はほとんど主人公を気に留めることもなく、
横断歩道を渡り切る。そしてさらに早い足取りでどんどん通りを進み、
やがてその姿は人込みの中へ溶け込んでいった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



とこんなふうにします。絶対に「超絶美少女」とは書かないですね、私は。

この中には「美少女」とか「美しい」とかあえて書くことを止めました。
ほっそりと奇麗な足の描写とか、髪の毛とか、切れ長の目って書いただけで
たぶんこの子が「超絶美少女」だということがわかるんじゃないかな。。。


とにかく、「美人で」とか「この上なく美しい」とか
書き過ぎる。美しい、美しい、って書くと、それはフォルテシモの表現となってしまいますので、
それ以上書くと、くどいのです。
で、つい私は、「屋上屋を架す」と思ってしまうのです。

まぁ、そうは言ってもなかなかね、さりげなく「美しさ」を表現するって難しいことだから。
私も日々苦労はしています。


そうそう、もう一つ大事なことを書き忘れていた。
美人ってなにも外見だけじゃないんですよね。
やっぱり姿も美しいければ、内面も美しくないと厳密な意味で
「美しい人」というか「人を魅力するに十分な人」とはなり得ないんじゃないかな。

だから余計に「超絶美少女」って書くのは危険なんですよ。
それに、なんか「超絶」って言葉自体、なんだかそぐわない気がする。
超絶技巧とはいうけど、超絶美少女って使い方は特殊だと思うんだな~。
こういう時は、面倒くさがらず「超絶 使い方」とググって見ましょう。


そんなん言ったら、マネキンが一番きれいという事になってしまう。
欠点も含めてその人の持ち味になるような、そんな描き方ができたら…と思いますね~。



だいたい主人公か、主人公が好きになる子は「美形」が多いもんだよね。
なかなか中年の禿親父を好きになるというプロットにするのは、
よほどの力量が必要だと思う。あんまり共感されないから。

だからと言って、美男美女、美男美女、美しくて、きれいで、美しくて、きれいで

っていうのも、芸がない、

そんな愚痴でございました。


愚痴なので、かる~くスルーしてくださいましましね。
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小説を書く時、仲間は必要か [雑文]

こんにちは。

残暑も厳しいですねぇ。気温が高くてしんどいというより、
蒸し暑くて辟易しますね。

今日は私の悩みを聞いてください。
出口のないループのような愚痴になる予感もあります…。

私は八月の終わりぐらいに、それまで書いていた小説をやっと脱稿できました。
時代は江戸で徳川家の家門である殿様とその殿様の注文を受けた絵師の話がメインなのです。

そもそもこの小説は娘に「こんな面白い画家をNHKの日曜美術館で紹介されていたから、この人の小説を書いてみたら?」と勧められたことにあります。


それを言われるまでその画家の名前すら知りませんでした。
ですが名前こそ、知られていなかったものの、描いている絵がことごとく、
国宝か重要文化財に指定されているので、上手い画家だったことには違いないのですね。

わたくし、日本史にはほとんど興味がなくて、
というのも日本の武家社会には片諱という習慣がございまして、
例えば、信長の家来だったら信長の「信」という字を貰うか、あるいは「長」という字を貰う人が続出するので、みんな同じような信康とか、信雄とか、似たような名前ばっかり。
覚えにくいんですよ。

未だに京都所司代を務めていた人の名前が板倉重勝なのか、勝重なのか覚えられないし、






~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あ、そうそう、すぐに脱線しますね。

小説の話だったです。

で、四月の頭から書き始めて、八月いっぱいまで書いていました。
字数にして約20万字あまり。

その前の半年は関連する本を約50冊ほど読んで勉強していました。
いやぁ、日本史って難しいですねぇ。
政治史と徳川家の話と、絵画史ですかね~。
あと、17世紀初頭の、人々の暮らしとか、お金の値とか…。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

まぁ、そんなことはモノを書くなら当たり前なんですけどね。


私は、小さい頃から小説を書きたいなぁと思ったことは一切ありませんでした。
本を読むのは好きでしたが、だからといって高尚な本が好きだったわけじゃありません。

小説書いてみたいなと思ったのは、子育てが終わった四十代後半からです。
初めは人称などどうやって決めていっていいのかすらわからず、本当に暗中模索でした。

結局、誰にも教えてもらわないで一人で書いていたんですよね。
でもさ、ひとりで書いていると自分が本当に正しい道を歩いているのかどうかでさえ、
覚束ないものなんですよ。


それでプロになりたいわけじゃないですが、公募に出すわけですね。
最初なんか、一次選考なんて通りすらしないです。

でも、誰かに読んでもらってなにがしかの反応が知りたいわけですよ。

でもね、私、ある時わかったんです。
素人の人に批評してもらうのは、あまりにも無謀だということを。
モノを書いたことすらない人になにがしか利益のあることを聞こうとしても無駄です。

なぜなら彼らはその道に精通しているわけじゃないから。

また、批評してもらうのに、ただのところも危険だと思いました。
noteを検索していたら、それはどういうシステムなのかわからないのですが、
あるセミプロみたいな方に、自分の書いた小説を批評してもらい、それをnoteに掲載しているのがありました。

読んでいて、怖くて鳥肌立ちました。
もしこの批評される方が100パーセント正しいとしても、
放たれる言葉がどうしようもなく、きつい。

こんな批評を頂戴したら、私なら自殺したくなりますね。

しかもその方は駄目であることを、きちんと「こういう表現がダメだからやめましょう」
とはおっしゃらないで「稚拙すぎて読むに堪えない。こんなものをまともな思考を持った人間が書いたとは思えない」ってすごいですね…。


これね、感覚的に「駄目だ、とか、面白くない」なら誰でも言えるんですよ。
いくら文章がダメだからといって「まともな思考を持った人間が書いたものとは思えない」なんて
人格攻撃じゃないですか。

そうではなく、ダメなところをきちんとわかりやすく指摘し、どうすれば改善できるのか、
詳しく相手に伝えることができるのが、ものを教える人の基本的な姿勢だと思います。
もちろん、改善したからといってプロの書く作品には遠く及ばないでしょう。
しかし上達するように指導するのが、この場合一番大事なことです。
文章がダメなら内容を云々しなくても、まずそのことを何よりも先に伝えてあげるべきなのです。

私はそう、強く思いましたね。



まぁね、私も日ごろ思うところはあって、
それはイラストや漫画を添削されているペガサスハイドさんも仰っていることなのですが、
「出来ないことを無理してやることよりも、今、自分ができることは、100パーセントできるようにしておく」ってことです。

たとえば話自体のセンスも悪く、構成も悪く、登場人物の魅力にも乏しいかもしれないです。
でも正しい日本語を書くことなら(文法として正しいのか)努力次第でできるわけですよ。

主語と述語がきちんとあっているのか、とか、修飾語は正しいのか、とか
文章がねじれていないか、とか。
単語を重複して使っていないかとか(これはね、推敲しても推敲しても、なかなか全部発見できない難しい作業なんだけど)

とりあえず、何度も何度も推敲します。
でも、それが多すぎるとは思いません。もっと徹底されている方はなんぼでもいらっしゃると思います。


あと、無知による思い込みっていうのも、払拭しなければならない大事なことだと思いました。
実はわたくし、ついこないだまで、薙刀と槍って同じようなもんだろうと思い込んでいました。
しかしふっと「薙刀という名称と槍という名称が違う以上、なにかが違うはずだ」と思い、調べてみました。薙刀というのは刀と一緒で、半身だけ刃なんですね。それに反して槍というのは、遠いところからグサッと相手を衝くので両側が刃なのです。

平安時代は薙刀が主流だったらしいですけど、戦国時代になると長槍オンリーになっていったらしいです。


とこのように、文章も難しいけど、時代に即したものの名称なんかも細かく調べて行ったほうがいいんんですよね~。文章を書き続けて行くと、そういうことを「疑ってみる」っていうセンスも培われていくような気がします。(最初はそういうものに疑問すら感じられないものです)


自分が思う小説というのは、ある時代、ある国、ある場所、さらには実在の人物の姿を借りて、
自分の世界観、自分の思考、自分の信念を書く作業であって、嘘の塊なんです。

しかしそういう大きな嘘をつく時は細かいところは真実を書かないと、読者には非常に薄っぺらい印象しか与えられないものなんじゃないかなぁと思っています。

ま、これは私の考えなのでそれとはまた別な考えをお持ちの方もいらっしゃいましょうが、
芸術には「これが正解」というものがないのが、非常に難しいところではありますね。






こないだ、noteでアマチュアの大人の文芸クラブの会員を募集していました。
しかし、募集の要綱のところに
「プロは目指さない文学好きが集まって、ワイワイ楽しくやりましょう」
ってところにちょっとひっかかりを感じてしまって…。

いや、プロにはおそらくなれないでしょう。
しかし、プロの書いたものに少しでもいいから、
近づくような努力はすべきだと思うんですよね。

正しい文章が書けたなら、もっと美しい文章を目指すべきだと思うし、
それが出来たなら、もっと上手な構成ができるように目指すべきだと思うし…。

「どうせアマチュアだから、下手でいい!」
で推敲もしない人とは仲良くなれない気がするんだなぁ…。
どうもそこらへんの温度差というのが気になる。

文章の上達の進捗状況なんて、本当に人それぞれなんで、
「この人はもう、プロと言ってもいいんじゃないか」と思う人もいれば、
「いやぁ、何から何まで全部できてない!」と思わされる人も中にはいるわけですよ。


ピアノだってさ、バイエルが覚束ない人と
ツェルニー50番とスクリャーピンのエチュードを習っている人とは
おのずと悩みが違うんですよね。

でも文章の世界って、ピアノほどはっきりとレベルの違いが人には判断つけにくいものなんだと思うのですよ。


と言う訳で、誰かに相談したいと思っても、できないのが現状です。
結局ね、自分が書いたものを後で読んでみて、
「あ、ここはいかんなぁ」と思えたなら、上達している証拠です。

で、まぁ、最終的な結論としてはですね、
作品をひとつ書いたなら、プロにお金を払って添削してもらう、あるいは講評してもらうことです。

決して安くはないです。しかし相手もお金というものが介在している以上、
「へたくそ!」とか「読むに堪えないので5ページで止めてしまった」とは言えない訳です。
まぁ、実に嫌な言い方になりますけど、そういう風に放言してしまうのが、
やはりプロになりきれていない人の忸怩たる思いというか、
ジレンマがそこに現れているような気がしないでもないですけどね…。




やはり「常に先達はあらまほしきものなり」、というようにですね、
プロに教えてもらうのが、一番近道のような気がします。
非常に孤独ですが…。






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最近、思うこと。プラス、京都府立植物園を守りたい! [雑文]

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みなさま、こんにちは~。

気が付けば7月。昨日は七夕でしたよ。
私は、星座とかそんなのに疎いので、「七夕、あ、そう」って感じでしたが、
うちの旦那が「牽牛と織姫」が出てるよ~としきりにいうので
半分、めんどくさいなと思いながら、
そういえば、それまで一度もしっかり見たことなかったような気がして
空を仰いでいました。

見えました、ヴェガとアルタイルでしたっけ?違うかな。

直接みた感想は「めっちゃ遠いやんけ~」!」ってことです。
一年に一度会えるという話ですが、めっちゃ距離離れています。
なんでも、その間には天の川が流れているそうです。

ですが、私、天の川見たことないんで…。

ふたつの星の間には真っ黒な空間が続いていました…。

…寂しい時代やね。

一年に一度しか会えないんなら、他の恋人探して楽しくやったほうがいいのに…、と
つい現実的なことを考えてしまう私です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今年の参院選、おそらくこれまでの人生の中で
ある意味一生忘れられない選挙になると思います。
(しかも、このブログを書いている最中に安倍元首相が散弾銃で狙撃されました。
 歴とした民主国家なのに、こんな暴力行為は許されないことです。
 安倍さんのご無事を祈念しております)


〇〇〇党のTさん、面白い。
面白いだけじゃなくて、雄弁。
そしてすごく度胸あるよね。

一匹オオカミだから、ここまでできるのかなぁという気もする。
その彼とつるんで出馬しているドバイに住んでるG氏。


彼らを見てると、フランス革命のときの闘士を思い出しますね。
T氏はさしずめ、ミラボーとかダントンを彷彿とさせる。
ミラボーは大政治家ですね。
清濁併せ呑んだところがあって、彼は志半ばにして、病に倒れます。
彼が死ななかったら、もうちょっとフランス革命は穏やかに収束できたんじゃないのか
って思っています。
フランスは結局、国土にあるカトリック教会の領地とか修道院を解散させて、
完全につぶしはしなかったけど、ライシテの国になってしまった。

でも、そうじゃなくて、イギリスのようにカトリックから離れてガリア国教会とか
作れたかもしれないのにな~とか思います。

ミラボーは死後、パンテオンに埋葬されたんですが、
汚職していたことがわかったので、掘り出されて、遺骸はさらしものになったんじゃなかったっけかな。

ミラボーは、でも、貴族でして、そういう意味で王室と民衆とのパイプ役になっていたんですよね。
だから、ミラボーさえいれば、フランスの王室は続いていたかもしれない。

ダントンは庶民ですが、ミラボーっぽい資質があったと思っています。
誰からも好かれて、「すばらしいダントンさん」というのが、彼のあだ名でした。

彼はやはり穏健派のジロンド派だったので、ジャコバン派に負けてギロチンにかけられてしまうんです。
そのとき、ロベスピエールに「次は貴様の番だからな」といって死んでいった人です。



で、まぁ、G氏はエベールかなぁ。
エベールはね、結構ヤバい暴露新聞、「デュシェーヌ親父」っていうのを作っていた人です。
それで当時のフランス王室や貴族のスキャンダル、あることないことを面白おかしく書いた人で、
国民の大人気を博したんですね。

でも、この新聞、下品すぎて最後は失墜するんですよ。
ベルばらの漫画9巻にも、この事件取り上げられていましたよね。
エベールは「マリーアントワネットは、息子と同衾している。自分の性的欲求の道具にしている」って訴えたんですよ。

で、マリーアントワネットが答えていますよね。
「あなたのおっしゃることは、この世のすべての母親に対する侮辱です」ってね。

それで一気にエベールの人気は失墜して、この人も「侮辱罪」か「詐称罪」かなんかでギロチン行だったかな。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

わたしがなんでこんなこと言ってるかっていうと、
結局ですね、フランスってなんだかんだ言って、革命失敗しているんですよ。

だってさ、結局ナポレオンが台頭して皇帝になったじゃないですか。
まぁ、強いリーダーが出てきて、フランスって国は守られたのかと思うけど、
結局、常勝将軍と称えられたナポレオンはロシアにも負け、イギリスのウエリントンに負けてるじゃん。

そう思うと「う~ん」って思うんだよね。


確かにさ、今の日本の政治って汚職とかさぁ、いろいろあって腐敗していると思うよ。
それに、未だ昭和の価値観引きずってる妖怪みたいなジジイがいるせいで
IT化とかめっちゃ遅れてるじゃん。

昔、とある行政のとある部署で短期間働いていたんだけど、
そもそも役所の人って役所以外の場所を知らないわけじゃん?
悪気はないんだと思うけど、利益追求しないからって
結構無駄な経費とか無駄な時間とか、そういうのが多いんだよね。

バイトに言っている間、「ここはご城下か」ってマジ思ってました。
裃が背広に代わっただけ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

なんかの会議でエライさんがどこの席に座らせるか、N02はどこに座らせるか、
じゃあ、No3はとか、そんなことに半日以上かけて会議してたよね。
そんでもって配る資料の中に、席順の紙があったんだけど、
エライさんの写真、顔映りが悪いし、心証悪くされると忖度したおかげで、
何百枚も擦ったカラーコピー全部、廃棄処分よ。
毎日、毎日、こんなことしてるんよ。

トナーってさぁ、プリンタ持ってる人ならわかると思うけど、
結構お高くつくよね。
それをトナーを毎日、毎日、替えてるんだよ。そういうくだらないことに。

まぁ、これはとても小さな一例だけど、
自分たちの血税をこんなアホなことに使われたくないなと
そのとき、マジで思いましたね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あと、私の住んでいる京都の北区に
日本で最古の植物園、「京都府立植物園」っていうのがあるのよ。
ここはね、バックヤードで絶滅危惧種とか育てているの。

植物園って、美しい植物を愛でるという目的もあるけど、
そういうバックヤードで植物を保護するみたいな、アカデミックな役割も果たしているんだよね。

で、ここはですね、周りにコンサートホールとか、府立大学があって、
周辺の町全体がですね、静かでアカデミックな雰囲気が漂う場所なのよ。

でも、アカデミックっていったって、門外漢はお断りってわけでもなくて、
誰でも一律200円かな、なんなら年間パス1000円払えば、ず~っと一年間
毎日通っても、ただです。

そういうところを再開発しようとしているんだよね。
植物園をアミューズメントパークにするって言ってるんだよ。
そして、すごく端正で本格的なフランス庭園とか薔薇園とか
植物園を囲う生垣とか、北大路通から植物園にいたるまでのケヤキのプロムナードを
全部ぶった切るっていってるの。
その後、商業施設を立てるんだってさ。

それを知事が行ってるんですよ。
ちょっとちょっと、って思います。
それは知事のもんじゃなくて、府民の財産でしょうよ。

経済復興も大事だけど、
この人たち、一種の文化オンチ、美的感受性欠如なんんかなって思いますね。
文化都市、京都って威張ってるけど、聞いて呆れるわ。


とにかく、お金儲かる、儲からないでそういう判断しないでほしい。
たしかに植物園は一億円の収益はあるけど、五億円の赤字だってわけよ。

植物園はたしか、子供とお年寄りは無料なんだよね。
それに一律200円じゃん。
だけど、赤字が出たとしても、それは府民の税金からまかなっているんでしょ。



じゃあさ、再開発するとどうなのよ、っていうと
たしか、うろ覚えなんだけど、再開発費用がトータルで600億円っていうじゃん。
そんなん30年かかっても返せんわ!

赤字だからといっておいて、もっと重い負担を府民に背負わせようとする、
それって詐欺じゃん。


そんな借金、府民に押し付けんな!

アミューズメントパーク作るんなら、他の土地に建ててください。


今どき、シネコンとかわけわからん。
今の人はね、見たいものがあったら、ネトフリで見るわ。
そんなお金は持ってないよ。
(ひろゆき氏によると、日本人は年間平均、映画館へいくのは一回なんだって)

なんでこういうアカデミックな雰囲気の場所にわざわざ作らなあかんねん。

なんか感覚が昭和チックでずれとるんよ。イラッ


あ、それからついでやから、言うけど、京都コンサートホールな
あれ、バブル期やったから、すごいお金をかけて磯崎新が設計したのよ。
だけどさ、行政はメンテナンスしないよね。
今どき、駅のトイレでさえ、ウォシュレットつけとるわ。
もう、大理石の床や壁は美しいのに、老朽化して木で作ったドアなんかボロボロ。
そういうたわけた再開発とか言っていないで、既存の建物の設備のメンテナンスお願いします。

いっつも行政は箱ばっか、どでかいもんを作って、あとは知らんぷり。



ほんま、なんか私ら、府民を馬鹿にしくさってるなぁと思う。
それもさ、建設するのは東京資本だよね。森ビルやっけ? なんでやねんとか思う。


これだけでも頭おかしいとしか思えないんだけど、


さらに、そういうアカデミックな雰囲気のところに、1万人収容できるアリーナを建造して
この地域を活性化したいとかおっしゃっているんですよ。



狂っていると思う。

でさぁ、アリーナ建設予定地は府立大学の体育館があるわけよ。
府立大学のほうは、耐震工事してなくて危ないから新しく立て替えてください、っていってるだけなの。
なぜそこにアリーナなわけ?
それに府は、近くの工業繊維大と、あともうひとつどこだったかな、みっつの府立大学の学生は
このアリーナで普段は体育の授業をしろってわけよ。

なんで、自分のキャンパスに作らないで、わざわざバスに乗ってまで体育の授業しにアリーナにまでいかなきゃならないわけよ?
遠いじゃん。不便じゃん。

おかしいよ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

で、話はもとに戻るけど、
私はもともとわりと保守的な考えなんだよね。

だけど、今の与党には入れたくない。
そりゃあさぁ、政治って経済とか外交とか、福祉とか、
いろいろ複雑に絡みついていますよ。


だから悪事を暴き過ぎて、本当に有能な政治手腕のある人まで
辞任に追い込むのはいかがなものかなとは思うけど、
しかしこの、旧態依然としたシステムを打開しないと
日本の未来はないように思えるんだよね。


今はいろんなyoutubeとか探せばいっぱいあります。
それらをじっくり見たり聞いたりして、あるいは本など読んで、
やっぱり考えてみるってこと、大事だと思うな。


若い人も、かんけーない、とか興味ない、とか言ってないで、
選挙へ行こう!

地味な行為だけど、世論が世の中を変えることもあるんやで。




https://www.change.org/p/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E7%9F%A5%E4%BA%8B-%E8%A5%BF%E8%84%87-%E9%9A%86%E4%BF%8A-%E6%A7%98-%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E6%A4%8D%E7%89%A9%E5%9C%92%E3%81%8C%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%84-%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%A4%8D%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8-%E3%81%AE%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%8A%9B%E3%82%92%E3%81%8A%E8%B2%B8%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84-the-kyoto-botanical-garden-is-in-danger-we-need-your-help-to-keep-this-museum-of-living-plants-alive



日本一古い、伝統のある素晴らしい植物園を守りたいと思った方は
署名お願いします!!

(上の美しいあじさいの写真は、私が植物園へ行ったとき撮影したもの。
 京都へはとかく社寺仏閣に行きがちだけど、本当に美しい植物園なの。
 私は個人的に、美しさではイギリスのキューガーデンにも負けてないと思うほど、
 立派な植物園です。)

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小説と左腕と松山旅行 [雑文]

みなさま、こんにちは。

ずいぶんと久しぶりです。
この間、私は決してぼーっとしていたわけではなく、
四月の初旬から小説を書いていました。

今度のヤツはつまびらかにすることはできないのですが、
ある大名と絵師の話で、時代は江戸初期なのですよ~。

私、日本史って嫌いなので、高校では日本史とってないんですよね。
世界史は好きだったので、別にそれでいいや、と思っていました。
しかし日本に住んでいて、「日本史を知らない」ということはずいぶんと勿体ないことだな
と今更ながら思いました。

知っているっていうことは、「興味の対象が広がる」つまり「生活が豊かになる」ということでもあります。

普段、なにげなく通り過ぎるような地名、地形からでも歴史というものは感じ取ることはできます。
でもそれを「どうしてだろう?」と疑問を持つことなく、単に「そんなん当たり前じゃん」と思って通り過ぎてしまうのは人生もったいないのですよ。

今、江戸初期のお殿様の生活を調べるにあたって、参勤交代とか、お城の成り立ちとか、お殿様の日常生活とかそんなこんなを勉強してみると、実にわかっていないことのほうがはるかに多く、
本当にソンしているなと思いました。


さて、タイトルで左腕というのは、3月ぐらいから左腕がだんだんと痛んできて、
四月ぐらいには、「痛い!」ぐらいでは済まなくなったんですね。
それこそ、痛すぎて眠れないぐらいでした。

初めは整体院に通っていたのですが、ある時「これは単にコリとか体のゆがみ」といった問題ではないのではないかと思い、ペインクリニックへ行きました。

そしたら案の定、左の第二頸椎の神経が炎症していて、すぐさまブロック注射をしてもらいました。
お蔭さまで「キーン」とするような痛みは取れました。でもまぁ、まだ全快というわけでもなく。

たしか以前帯状疱疹にかかってやはりブロック注射を打ったときも、即時全快というわけでもなかったので、じょじょに治っていくのでしょう。


最後に先日、松山旅行へ行きました。
実は私、はじめて海を渡って四国へ行きました。
松山って本当にいい所ですね。
鯛めしはめちゃ美味しかったです。あこうというおさかなもお刺身もおいしかったです。

瀬戸内海は非常に幻想的な海で、土佐派の絵のような島があちこちに浮かんでいました。
今回は行は岡山から丸亀のほうへ海をわたり、帰りは淡路島を通ってバスで帰ったんですが、
初めて渦潮というものを見ました。
夕陽に輝く海と真っ赤な太陽。。。とても印象的でした。

できれば次回はしまなみ海道を抜けて今治あたりで夕陽がみたいなぁと思いました。

松山は松山城が抜群に面白く、町の真ん中にありながら、山城があるって不思議です。
今のお城は1602年に築城を始めたもので、まだ完全に戦国時代が終わっておらず、
戦争することを想定して作られているので、徳川時代の美意識とはまた別の白い壁の城ではなく、
豊臣時代の黒いお城なのがとても風情があっていいと思いました。

道後温泉にも言ったのですが、近くに伊佐爾波神社という赤い神社がありまして、
子ぶりながらも実にお金のかかった作りだったので、結構階段を上がらなければならなかったのですが、勇んでいきました。

なんかどっかの神社に似てるなと思ったのもどおりで、実は京都の男山にある岩清水八幡宮と同じ
構造の神社なのだそうです。八幡作りといわれるものだそうです。
なるほど。他にも宇佐八幡宮とか、柞原八幡宮八幡宮とか、、、


岩清水八幡宮はさすがに社殿は国宝でしたが、
この伊佐爾波神社も重要文化財でした。


あと愛媛県立美術館で、日本刀の展覧会があったので、成り行きで見てしまいました。
これまで日本刀のことなど一度も考えたこともなかったのですが、
結構ビデオが充実していまして、「太刀と刀」の違いとか、

国宝である「銘 一」というのとか「蜻蛉切り」という薙刀も見ました。

パッと見た感じですが、刀は実戦があった鎌倉時代のものが最高なのだそうです。
でも鎌倉時代のものって、見た目は地味で「ふうーん」って感じなんですよ。

だけど、江戸時代になって刀が単なる武士のアクセサリーに成り下がってしまうと
今度は見てくれが物を言うというか、こう、なんというか非常に派手な感じになりますね。

あと、昔「松井江」という有名な刀鍛冶がおりまして、その方は私が育った土地の人なので
「あんなド田舎にそんな名工がいたんだ」となんか不思議な気がしました。

日本って、やっぱり文化がそれぞれ違いますね。

今度時間があったら、しっかり風土記とか日本書紀なんかを読んで勉強したいと改めて思いました。
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ウィル・スミスのこと [雑文]

ちょっとまえに、ウィル・スミスがアカデミー賞の席で
彼の奥さんが脱毛症にかかって借り上げたヘアスタイルを
司会者のクリス・ロックが揶揄したとき、
その言葉に激昂して
つかつかとステージに上がって、司会者の横面を張り飛ばすという事件がありました。

で、この行為は日本人には割と好意的に受け止められたのですが、
欧米では「暴力はどんなときにもするべきではない」ことと
「ウィルの奥さんは、自分で反論することもできた。しかしウィルは司会者の横面を張ったことで、その機会を奪ってしまった。つまり彼はこの行為を通して、女は保護すべき対象なのであって、男と同等の能力を持っていると認識しておらず、つまり彼はレイシスト(差別主義者)なのだ」っていうのが主流らしいのです。

ひろゆきさんがyoutubeにも「ウイル・スミスを擁護する人は全員頭悪いです」というキャプションで上記のような内容のことをおっしゃっていました。

私、ひろゆきさんのことが割と好きで、よく彼の切り抜き動画を見ているのですが、
ただね、彼が良く言う「頭悪い」という言葉を聞くたびに、ちょっと心が痛むのです。

まぁ、私はひろゆきさんがおっしゃる通り、決して賢い部類の人間じゃないので、図星を言われたからいい気がしないのかもしれないです。

それに、やはり再生回数を伸ばすためには、時にはああいうどぎつい言葉で釣るってことも必要なのかもしれないですけどね。

で、ですね、話はまたもとに戻るのですが、「暴力はいかなるときにも行使してはならない、卑劣な行為だ」っていうの、ちょっとなぁって思うんですよ。

男女差別とかそういうのはおいておいて、ウィルの奥さんのジェイダは、おそらく普段ならば、そういうのを撃退するだけの能力は持ち合わせていたのでしょう。

だけどさ、精神的ストレスから脱毛症になっていたんでしょう?
クリスにからかわれた時のジェイダの顔色がみるみる変わっていくのが見ていてはっきりとわかりました。人間って心が弱って言い返せない状態のときもあるんです。
ましてや、「髪は女の命」、「みめ形より髪形」っていうじゃないですか。
たしかにジェイダはものすごくゴージャスなドレスを着ていた。
だからといって、心の武装は万全ではなかった、と私は思うんですよ。

たしかに暴力はいけないと思うんですよ。
だけどそれをいうのなら、テレビカメラも入って、衆人環視の場で
思いやりのかけらもない下品なジョークを言うクリスのほうはどうなんですかっていいたい。
ことばだって立派な暴力だと思うんですよ。
クリスのからかいは無慈悲なもんだった。

そんなとき、夫であるウィルが愛する妻が侮辱されてカッとなって
相手の横面を張った。それはつまり、奥さんを愛していたからでしょ?
そういうエモーショナルな動機から横面を張るのがそんなにいけないわけ?
なにも頭にきて、ピストルで相手を射殺したとか、
バズーカー砲で会場を吹き飛ばして、全員を無差別殺人したとかじゃないじゃない?
何事も物事は程度問題なんだっていいたい。
アメリカ人はオール・オア・ナッシングで白黒はっきりさせたがりますね。
反対に日本人はグレイゾーン、あやふやなことの塩梅が上手いんだと思うんですよ。

なんかものすごく理性的に「そんな冗談はやめていただけませんか?」って
言っている方がかえって怖いなとか私には思えるのよ。


あともうひとつ、思うことがあって、
最近って「できているのが当たり前」「賢くて当たり前」「自己責任が当たり前」って言い過ぎるように思えるのよね。

人間っていつもいつも、調子のいいときばかりじゃないし、
いくら有能な人だって、年取れば体力・気力・その他ものもろのものが衰えていくもんだと思うんだよね。
それにね、やっぱり私みたいに無能な人っていうのも少なからず存在するのよね。
むしろ、有能な人より無能な人のほうが多いと思うんだよね。

そりゃあ、常に努力することは大事だと思うけれど、
そういうことが時には困難に感じることもあると思うの。

私がジェイダなら、あとで糾弾されるリスクをおかしてまで
自分を周りの好機な目から遮断してくれた夫に感謝すると思います。




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ウクライナ侵攻について考えさせられたこと [雑文]

こんにちは~。
ウカウカしてたらもう3月も半ばじゃないですか!

いつもならこの季節は一年中で一番好きな季節なんだけど、
しかしながら今年はいつものようにウキウキと心が弾みません。。。

まぁ、コロナがずっと蔓延していたせいで自粛、自粛といって
外食してもお酒飲めなかったりでつまらないってせいもあるし、
ロシアのウクライナ侵攻っていうのもあるよね。


私、投資をしているから毎日、モーサテを見ていて、
ちょっと前まではプーチンのライバルと言われていた
ナワリヌイさんが毒殺されそうになって結局ロシアにこのままいるとヤバいってことになって
ドイツで治療を受けているって話で持ち切りになっているところへ
年明けぐらいからは、ロシアが演習と称してウクライナの国境付近にうろちょろしているって
ニュースばっかりやっていたのよね~。

で、まぁ、ロシア系住民が多いドネツクとかルガンスクという親ロシア地域をぶんどるんじゃないかっていうのがだいたいの専門家の予想だったのだけれど、
まさか、まさかのウクライナのキエフ侵攻ですよ。

びっくりですねぇ。

ウクライナは歴とした国連も認める独立国家なのに、突然攻撃したって
プーチンどうなってるの????
って思いましたね~。

まぁ、私は政治の解説しようと思っているわけじゃなくて、
ちょうど今、小説の構想を練っていたのですね。


まぁ、主人公はだれそれとは言えないんだけど、徳川家康の身内にあたる方なのですよ。

で、皆さん不思議に思われることなかったですか?
戦国時代って下剋上が当たり前で「力が正義」じゃないですか?

ちょっと前、明智光秀が主人公だった『麒麟が来る』って大河ドラマあったじゃないですか?
あの光秀って素晴らしい人物なわけですよ。
強くて頭よくて、人望があって、要するに天下人たらん要素満載だったわけよ。
それなら、すんなり天下人になってもよさそうじゃない?
ところが実際は、誰も光秀に加勢する大名はおらず、秀吉側に回るわけですよ。
そして天王山近くの小栗栖ってところで、百姓かなんかに首とられちゃうんです。。。


実際は秀吉が光秀より強かったって言ってしまえば簡単だけど、
それは今になって言えることで、その当時はもしかしたらもしかして、
光秀のほうが強いかもしれないじゃないですか?

でも、光秀に加勢するものはいなかった…。
それが現実なんですよ。


そこで、じゃあじゃあ、どうして家康はどうして天下人になれたんだろうって
疑問がむくむくと湧いて出てきたんですよ。
私の描く物語には直接家康が出て来る場面はあんまりないとは思うけど、
これをしっかりわかって、かつ読者に納得してもらうように描写できなければ、
きっと失敗するだろうなって悩んでいたのです。
(まぁ、それがあんまり楽しくなれない最大の原因だと思うんだけど)

それで、いっぱい参考文献を読んでいたんですよね~。
すると、まぁ天下人になるための条件っていうのは、それなりにいろいろとあって
家康はそのための布石っていうものをおさおさ怠りなく打っているんですよ。

だけどね、17世紀初頭に将軍になって天下を治めた家康にしろ、
今のプーチンにせよ、今も昔も変わらないことがあるんですよね。

それはですね、「世間に納得できる形でその地位に就く」ってことなんですよ。
家康が関ケ原にせよ、大坂の陣にしろ一番腐心したのが、
「無理くり、豊臣体制から王権を奪った王位簒奪者に見えないようにすること」なんですよ。

なるべくしてなった、時の天皇をはじめ、大名、公家、民衆、すべての人が
「この人なら」と思わせることが大事なんです。

あとすごく大事なのが、「秩序の維持」「世の中を繁栄させること」なんですよねぇ。


フランス革命がなんで起こったか…。
それは、飢饉で民衆は食べるものがなかったからです。

プーチンはもともとエリツィンの側近でしたが、2000年ぐらいに
ソ連が崩壊してめちゃくちゃなロシアを豊かな国にしたんですよ。
混沌としたロシアに跋扈していたロシア・マフィアを一掃して、
天然ガスなどの地下資源をテコに経済を立て直したんですよね~。
そしてロシア国民が安心して暮らせるように「秩序」をもたらした人でもあったんです。

しかしながら、彼は20年間ロシアを独裁していたんですよね。
ただ、彼の頭の中には「場合によっては有能な人間の独裁のほうがいいことだってある」
という物語があったわけですね。それは中国の習近平も同じことを思っているかもしれません。


ただね、プーチンも人間です。人間っていつまでも頭キレキレってわけにもいかないんですよ。
始めは高邁な精神で政治にあたっていても、長く権力の座に付くと腐敗することもある。

どうも自分も老いて鈍する人間だってことをプーチンは自覚できてないように思えます。
今、ロシアの通貨、リーブルは紙くず同然にハイパーインフレを起こしそうになっています。
ロシアの国民が明日の食料のめどがつかなくなって飢える時が来たら、
その時こそ、プーチンの政治生命は断たれることになるんでしょうね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回のウクライナの侵攻って、NATOもアメリカも最初は黙ってみているだけでしたよね。
トランプ前大統領は「私なら絶対にロシアの好きにはさせなかった」とは言ってますが、
しかしSWIFTを凍結させたことで、ヨーロッパはロシアから買っていた天然ガスを買えなくなりました。ということは電気の供給がままならないってことなんですよね~。


私ね~、アメリカのバイデン大統領ってわざとウクライナが侵攻されているのを見ていたような気がするの。だって、それまでバイデン大統領って支持率がものすごく低迷していてヤバかったんですもの。
やっと去年、アメリカの悲願だったアフガンだって撤退できたわけだし、、、、。
アメリカの人々はもう、戦争にはうんざりだったんです。

だけどさ、いざ戦争が起こったらバイデンの支持率が急激に増えたのよ。それにさ、それまでコロナでさえなかった景気もよくなったのよね。アメリカも地下資源の豊かな国、ロシアが天然ガスを供給できなくなったら、全部とはいえなくてもガスを液化して船でヨーロッパにまで運べるじゃん!

そう、アメリカ経済は潤う…。

なんか嫌な言い方になるんだけど、政治ってその国にとっての国益が一番なんだなぁって
これほど実感させられたことはなかったような気がするのよね。

参戦するのかしないのか、それはその国にとって益になるかどうかが最大の焦点になるんだね。
でもそこをうま~く「大義」という美名のオブラートに包んで
国民の賛同を得なければ、大統領と言えど動けないわけですよ~。

そう思いながら、本を紐解くと家康は本当に幼児の頃から、人質にされて苦労しているから
我慢強く、したたかなの。

しかも勝機を決して見逃さないのです。

いい人というだけじゃ、決して天下人にはなれない、
そういうお話でした。


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新しく飼い始めた猫二匹 [雑文]

こんにちは。

なんだかんだと雑事に追われて過ごしているうちに、
はや、二月も終わりですよ。

はや~い、一年が過ぎるのって…。


ところでですが、
私子供のころ、野良猫を拾って飼っていたのですが
最近、子供も巣立っていって寂しく思っていたので、
猫が欲しいなぁと思っていたのです。

娘夫婦も同じことを思っていたらしく、
保護猫を二匹飼うことになりました。

保護猫といっても二匹ともとても美しい猫で、
一匹が黒猫ともう一匹が三毛猫です。


仕事柄、娘夫婦は家を空けることも多いので、その間は
私がお世話することになりそうなのと、
やっぱり、動物を飼うといっても命を預かることになるので、
ちょっと責任重いかなと思って、
私はもっぱら、娘の家に行って、二匹と遊ぶだけにしました。

ま~、可愛いのなんの。

黒猫のほうは社交的な猫で、とてもフレンドリーな猫です。
始めは保護猫のお母さんに「こんまき(こぶまき)」とつけられていたのですが、
もうちょっとかっこいい名前にしようと「ディエゴ」という名前にしました。

私は美術オタクなので、「ディエゴ」と聞くと、「ああ、ベラスケスからとったの?」
と尋ねたのですが、どうも婿が偶然アニメの『怪傑ゾロ」を見ていたらしく、
黒づくめの衣裳を着たゾロの本名にちなんで「ディエゴ」としたそうです。笑

でも、たいていの人は「ディエゴ」と聞くと、「ああ、マラドーナね、強そう」
と言ってくれます。

でも鳴き声もしぐさもとても愛らしく、あんまりたくましい猫になってほしくないな~と
ババとしては思います。

飼い主が変人のせいか、お風呂には入るわ、マグカップに注がれた紅茶を飲むわ、
(猫のくせに猫舌ではないらしい)
とても変わった猫です。



もう一匹の三毛ちゃんは「うるか」ちゃんと言います。
私は父親が酒のみだったので、「うるか」と聞けば一発で
鮎の内臓の塩辛だなぁと分かったのですが、
でもそれを知らなければ、「うるか」という字面といい響きといい、
和風だしちょっとキラキラしていて、めっちゃ美猫のこの子にぴったりだと思ったので、
(もちろん、娘夫婦がそう思ったのですが)そのまま、うるかとしました。

同じ猫とはいっても、全然違う性格で、こっちの猫は保護されるまでよっぽど怖い目にあったのか、
それとも生来の性格なのか、とても怖がりです。

抱っこされるのも怖がります。
もらわれてきて一週間ぐらいはテレビと壁の隙間に入り込んでじ~っとしてました。
それから、一番高い食器棚のてっぺんにいるので、そこに猫の巣箱みたいなのをのっけて
じ~っとしています。

でも、実は結構頭はよくて、お行儀もよいです。
いつも食器棚の上の巣箱に居座って、顔を動かさず目だけで下界を睥睨するように
見下ろしていて、それはそれで面白い子です。


たいてい、夜にその日のハイライト動画を送ってくれるのでそれが楽しみです。
でもたまらなくなって、ときどきふらりと娘の家にもふりに行きます。

ディエゴは毎日お風呂に入っているので、全然においがしません。
黒い毛もつっやつやのピッカピカで、生きた襟巻になって、ご主人さまたちの
首に巻き付いています。

お婿さんは「あったかいですよ~。おかあさんもどうですか?」って言われるけど
肩こりがひどいので、今のところ遠慮しています。笑


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未来は過去を変えられる 『マチネの終わりに』平野啓一郎  [読書・映画感想]

みなさま、こんにちは、sadafusaです。

もたもたしているうちに一月ももう、半分過ぎようとしていますね。
みなさま、お元気でいらっしゃいますか?

去年もコロナ一色でしたね。
デルタ株が収まったら、今度はオミクロン株ですか?

もう政府も世間も疲れ果てていますよね。
しっかりワクチン打ったのに、また、コロナは蔓延していますもん。

収まるのを待っていたら、人生が終わってしまいます。
また、密を避けてひとりで仕事していると、必然的に言葉数が減りますね。
人間、一日にある程度しゃべらなくなるとウツになるようです。

やはり、人と人との交わりは大事かなと痛感しますね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、いろいろとやらなければならないことはたくさんあるのですが、
あんまり気がめいっていたので、大好きな小説の世界にふけろうと思い、
年末、年始にかけては好きな作家さんの本を何冊か読みました。

今日は、特に印象的だった小説、『マチネの終わりに』をご紹介しようかなと思います。

平野家一郎さんって、昔からすごく好きな作家さんです。
作家さんってたいてい博学なもんですが、この方はなんか特別ですね。
「なんでそんなことまで知ってるの?」って思いますわ。

それでもって、いろんな文体でいろんなジャンルの物語が書けるという
稀有な存在でもあります。
そういう意味では、ちょっと日系の英国作家のカズオ・イシグロにも似てるかもしれないですね。

で、たいてい作家さんは文章巧いのは当たり前とは思うのですが、
いつもへぇ~っと思うような単語をさらりと使われますよね。
「醇化」なんんて言葉、私、この小説を読んで初めて知りましたわ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、この小説のテーマはおそらくですが、
「過去おこったできたごとは、現在あるいは今起こったことで、それまで認識していた意味が変わる」ということでしょうかね。


最初、この小説のヒロイン・洋子の祖母が、洋子が子供のころおままごとをしていた石に躓いて、転んで死んでしまう。

すると洋子が
「これまでこの石は子供の頃の幸せの象徴のような意味を持っていたけれど、
祖母がこの石のせいで死んだから、これまでと同じ気持ちで見ることはできない」
っていうんですよね。

だって、その石が原因で祖母が死んだという新たな事実が植え付けられたなら、
これまではその石は幸せの象徴であったにせよ、それが書き換えられて、悲しみが喚起させられてしまうじゃないですか。


まぁ、過去は未来によって変わるというのは、そういった意味なんだろうと思います。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あらすじは熟年の男女の恋の話なんですね。

男は天才ギタリスト、女のほうは雅子皇后陛下のような才色兼備。
天才ギタリストは世間を探せば、結構それなりにいるような気がしますが、
こんなふうに雅子さまのような女性はそうそういないんじゃないか?とちょっと思いました。

幼少は母親の故郷である長崎で過ごすのですが、その後、母親はスイス人と再婚し、洋子は全寮制の学校へ入ります。結果的に彼女は日本語、英語、フランス語を自由自在に話すことができ、今はフランスでジャーナリストをしていました。


ヒロイン洋子は、ハーフなんです。
父親はユーゴスラヴィア人の世界的に有名な監督なんですよ。
何十年たってもその作品を語り継がれるような、、、日本の黒沢監督とか小津安二郎監督みたいな感じなのかな。

しかし、彼女の両親は彼女が幼少の時、離婚してウィキを読んでも、洋子と母親のことはなかったことになって削除されている。。。
洋子はいい大人なので、父親とはいい距離感でつきあっていますが、未だに父親がなぜ自分と母親を捨てたのかは訊けないでいました。



で、まぁ、そういう芸術家の娘でものすごく教養のある洋子には、天才ギタリストの孤独が解るんですよ。凡人には到底理解できない、言葉にもすることもできないような繊細な感覚を共感することができるのです。

天才ギタリストである蒔野(まきの)は、聡明で美しい洋子に一目ぼれしてしまうんですね。
洋子も実は、婚約者がいて近々結婚する予定だったのですが、蒔野を愛してしまうのです。

ふっ、なんかこう言ってしまうとめっちゃ陳腐なメロドラマに感じるだろうけど、それは私の
筆力がないせいなので、本当はもっと複雑で繊細です。

で、洋子はフィアンセとの婚約を破棄して蒔野と結婚する決心をするのですが、
そこには悲しい運命が待っていて…

ここから先は原作なり、映画なりをご覧になってお楽しみください。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
うちの夫は乙女男子なので、蒔野が洋子に言った愛の告白のことば、
「洋子さんが死んだら、僕も死ぬ。もし、洋子さんが自殺したら、ぼくも自殺する。
なかったことになんかできない、だって僕たちは出会ってしまったんだから」

って箇所をいたくお気に召していたようですが、そんな気恥しいセリフ、実際言われたら
女のほうは困惑するだけですよね。
いうことが許されるのは蒔野に扮していた超絶イケメンの福山雅治さんだけです。笑


それよりもですね、私がものすごく心動かされたのは、
物語の終盤、恋に敗れて人生にも失敗して、ボロボロに傷ついた洋子が
カリフォルニアに住んでいる父親に会いに行くシーンです。
そのとき、はじめて洋子は、なぜ父親に自分たち親子を捨てたのかそのわけを聞くのです。

実はその映画のせいで、政情不安なユーゴスラヴィア人だった父親は
右翼にも左翼にも命を付け狙われていたのです。

愛する妻と娘を守るために、父親は一番つらい選択をしました。
それは、妻と娘と別れ、彼らを日本に返すことでした。

母親は洋子を死の恐怖に怯えさせながら、幼少期を過ごさせたくはなかったのですね。
ですが娘にとっては母親としてベストなチョイスだったのかもしれませんが、
夫にとってはこれ以上ない冷たい妻だったと、洋子の母親は自分を責めながら生きていきました。

けれど、誤解が解けて、両親の深い思慮のうちに自分が幸せに育ったことを知り、
二親のそれぞれの自己犠牲を知って、号泣するのです。


ふたりの会話に心を揺さぶられます。

「大事なのは、お前たちを愛していたということだった。理解しがたいだろうが、
愛していたからこそ、関係を断ったんだ。そして、お前はこんなに立派に育ち、
お母さんも平穏に暮らしている。おそらく間違ってなかったんだろう」

父親が言うと、洋子はこう返します。
「でも、お父さんと一緒に暮らせなかった」

しかし父親はこう静かに断言するのですね。
「だから、今よ、間違っていなかったって言えるのは。……今、この瞬間。
私の過去を変えてくれた今。……」


映画では父親のやりとりの箇所は時間の関係でカットされていましたが、
私はこの箇所がこの小説のキモなんじゃないかなって思いました。


一見残酷に見えるようなことでも、動機が大事なのです。

そんなことを考えさせてくれる貴重な一冊でした。









マチネの終わりに(文庫版) (コルク)

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  • 作者: 平野啓一郎
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  • 発売日: 2019/06/06
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マチネの終わりに DVD通常版(DVD1枚組)

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  • 発売日: 2020/05/27
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気が付けばもう師走 [雑文]

みなさま、こんにちは。sadafusaです。

もっと頻繁にブログを更新せねばならない、とは思うものの、
なかなかできないでおります、ゴメンナサイ。


今年はですね、人生においてビッグ10の中には絶対入るだろうと思うほど
絶不調な年でして、結構毎日ハードモードでした。

実はいろいろと映画も見たし、本も読んでいて、
皆様にぜひご紹介したいなって思うものも本当にたくさんあったのですが、
どうもパワー不足でできませんでした。

そんな中でも、趣味の小説だけは、どうにかこうにか小品ですができました。
字数は5万字弱です。

私、自分の小説の実力がですね、本当のところはどの程度なのかを知りたくて、
以前、ブログやnoteなんかにも出していたんですが、
やはりプロの方に添削なり書評してもらうほうが、抜群に伸びることができるって
ある時わかったんですよ。

で、漫画なんかは出版社に直接持ち込みができるのですが、文学においてはそれは
絶対にやってはいけない禁止行為だということがわかったのです。
理由のひとつには、やはり文章は漫画ほどサッと読めるものではないから、
編集者の方にものすごく迷惑をかけるから、らしいんですよね。

で、どうしようかなって考えていた時、
婿がある雑誌を持ってきてくれて、
「おかあさん、ここにプロが有料で添削してくれますよ、一応ここに出してみたら?」
と勧めてくれるんです。

いやぁ、世の中にお婿さんほどやさしい人はいないです。
実の娘なんかより100倍優しいです。笑

で、ですね~。
やはりお値段は字数・枚数(原稿用紙にして)にして大幅に変わってきますので、
まあ、書いていた五万字の作品はほどほどに添削してもらうにはよい分量だったわけです。


今年は絶不調だったので、特に変わったこともせず、どこか特別な場所にもいかず、
ず~っとひとりで家に閉じこもっていたのですが、
まぁ、昔から脳内旅行だけは得意だったので、
アラビアン・ナイトの世界を描いてみようかなって思ったんですね。
『オスマン帝国外伝』もシリーズ4まで全部見ていたわけだし、
トルコはアラビアンな国ではないですが、それでもイスラム文化圏でもあったわけだし、
映像的には結構参考とすることも多かったので、それを題材にしようと思ったのです。

で、書いたのが戻ってきました。
プロの作家さんが添削および作品の指導をしてくださいました。
うれしいです。いいことでもあろうと、たとえ悪いことであろうとも、的確に「ここはこうしたほうがいい」と具体的に指摘されるのは本当にありがたいです。

やっぱりお金払ってでもプロの方に見てもらうのが一番だなと痛感しました。


文章については、「添削するところがありませんでした。巧いです」とのこと。
作品指導については、「文章の巧い人は自分の文章に酔ってしまうところがあるので、
ストーリーもなかなか練られていてよかったのですが、新人賞を手に入れるには
もっともっと人物の深堀りということをして、キャラクターの魅力を探ってください」と
書かれてありました。

これね、半分すごくうれしかったけど、半分ショックだった。
このままだと、そこそこのところまでは行けるけど、新人賞をもらうってところには至らないじゃないですか。

文章巧いのなんて、プロになったら当たり前。
素人には誉め言葉だけどさあ。

あと、私がすごく悩んでいたのは、自分は昔から『雨月物語』『聊斎志異』みたいな情念の世界で、死の世界から魂がさまようという話が書きたくて、それはどちらかというと、「ファンタジー」に分類されるわけですよ。ですが、文体からしてラノベじゃないんですよね。しかも今の若い人が書くような異世界に転生するみたいな内容じゃないです。
私ね、年齢的に今っぽいラノベは書けないです。
ああいう世界観ってやっぱり、一見簡単そうに見えてるけどそうでもなく、
それなりに若くて新しい発想が必要だと思うのですね。


で、添削してくれた先生が、「狙うとしたら日本ファンタジーノベル大賞」でしょうね、とおっしゃるんですよね~。ううう、佐藤亜紀さんとか受賞されたヤツですよね。
私にそんな実力あるでしょうか…。



私ね、変なこというようだけど、別にプロになってじゃんじゃん儲けたいとか、今更そういうこと思っているわけじゃないのよ。

ただ、このブログには未だに「読みたい」とおっしゃる方も多いので、「ベルばらの二次創作」を残していますが、私は二次創作ばっかりが好きなわけじゃないのよ。
二次創作の方っていわゆる「推し」への愛が深く濃くって、一途なんですよね。

私はそういう意味ではすご~く淡泊なんです。
別なことばでいうと、熱しやすく冷めやすい、移り気なんですよね。


やはり、興味は次々と移ろっていくのです。
そういう意味で、なんていうかな、そういう一途な二次の作家さんとご一緒していると
違和感が半端ないんですよ。なんて言ったらいいのか、興味となるものの、主体が違うといったらいいかな、目指しているところが違うといったらいいのかな…。
みなさん、中高の文芸部にいるみたいに和気藹藹としていて仲良くてすごく楽しそうなんだけど、私には馴染めないところでした(決して悪口ではありません、念のため)

で、そうなるとひどく孤独になって、結局プロの人に書評してもらうのが一番ためになってうれしいという結果にたどり着いたのですね。

書いた作品は、発表しないのですかとはよく聞かれるのですが、
以前は読んでくださる方がいればいいな、とは思っていたのですが、
今は「読んでもらわなくても別にいいや」という気分です。

世の中、プロ・アマチュア問わず、これだけありとあらゆる作品にあふれている世の中です。
自分の地味な作品なんて、読んでもらうのが申し訳ないって感じです。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

実は、あるとき娘が日曜美術館かなんかを見ていたらしく
「これ、小説にしたらすごくいいと思う」といって
戦国時代の終わりごろに生まれた岩佐又兵衛という画家を教えてくれたんですよね。

で、この人の手掛けた絵巻って、もんのすごくグロくてですね、
それは幼少期の悲惨な体験によるものではないのかと言われていたりしていたのです。

お母さんは大河ドラマの『黒田官兵衛』に出てきた荒木村重の妻の「だし」って人なんですよ。
桐谷美玲が扮していました。
私、このドラマみていましたので、「ふ~ん、あんな感じか」と思っていたのですが、
専門の学術書を読めば読むほど、ドラマとはかけ離れていて、
いかに、父親の荒木村重という戦国大名が戦上手で立派だったか、
母親のだしも乳飲み子の又兵衛を心に掛けながら立派に果てていったか、
ってことがわかるのです。
ちなみにですね、テレビやゲームの影響だと思うのですが、
織田信長って過大評価されすぎているのですよ。
彼は現代人が思うほど、戦上手でもない。
それに部下にたいしてものすご~く不公平だった。


また又兵衛は画業のほうも一筋縄ではいかない不思議な人で、彼は40歳ぐらいのときに福井藩主松平忠直っていう殿様に仕えることになり、件のグロい絵巻物を手掛けることになるのですが、

この忠直って殿様はですね、ちょっとクレイジーな方でして、例えるなら、
『ババリアの狂王』ことルートヴィヒ二世に似ているんですよね。

現実が受け入れられなくて、自分の夢の世界に閉じこもるというか…。
ルートヴィヒは金持ちですので、ノイシュバンシュタイン城なんかを作らせるんですが、
日本の殿様はそこまで金持ちじゃないので、自分の趣味にあった絵巻物を描かせるわけですね。

それがどうも、常軌を逸している。

しかしながら、又兵衛のほうは両親の悲劇など辛酸をなめつくしているので、
もっと現実主義者であり、「今、この場所で起こっていることを楽しむ」
ややもすると不品行で享楽的な絵も辞さず、描き続けるのですよ。


調べれば調べるほどに、自分の頭の中のちっぽけな想像より、
現実のほうがスケールがでかいのです。


こんなの手掛けることができるのかなぁ…って空恐ろしい気持ちがします。
出来上がらなければ何とも言えませんが、ファンタジーにはならないような気がします。

でも、書評をしてくださいました先生のおっしゃる通り、人物設定はやりすぎじゃないのかと思われるほどやり、プロットもきっちり設定してから、次作には挑んでいきたいなと思う所存でございます。

ファイト!

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三人三様の真実 『最後の決闘裁判』 [読書・映画感想]

みなさん、こんにちは。sadafusaです。


本当にお久しぶりです。

さて!ですね。今回は前振りなしです!

今日はマット・デイモン主演、リドリー・スコット監督の
『最後の決闘』をロードショウにて鑑賞して参りました。

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ただですね、


この映画をこれから劇場で見たい人、経過や結末が知りたくない人は注意が必要です。 ネタばれがあります。 何事も自己責任でお願いします

では、あらすじに参りましょう。

舞台は14世紀の後半、フランスはノルマンディ。
この頃のフランスというのは、ぐちゃぐちゃの時代でして、
フランスという国もですね、今のようにきちんとまとまった国では、ありませんでした。

南フランスで人気のプロヴァンスも別の国。ブルゴーニュ公国も別の国。
あまつさえ、ちょっと前にフランス王の家臣であるノルマンディ公がイギリスの国王に収まってしまうという、ハチャメチャな時代でした。


このころの日本はと考えてみますと、時代は室町時代に移っているわけですね。
まぁ、建武の新政をしようとした、後醍醐天皇が隠岐の島へ島流しにあったりすることを考えると
世界ってこういう野蛮な時代だったのかなぁ~っていう気がします。



簡単な俯瞰的概要はこれくらいにして、要はどういう事件だったかということですね。

この話には、主要な三人の人物がいます。

ひとりはジャン・ド・カルージュ。
ノルマンディの地主ですね。身分はエクスワイア(准騎士)
これはマット・デイモンが演じていました。



もうひとりは、ジャック・ル・グリ

この人もエクスワイアなのかな。
しかし彼は次男でしたので、
家督は継げず、そのため聖職者になる道を一旦は志はしたのです。
が、性に合わずノルマンディの一番の権力者であるアランソン伯爵ピエール二世の家来となるのです。

で、一言添えると彼は聖職者を志しただけあって、
彼は教養があってラテン語も読め、
そして何といっても超絶イケメンだったのです。
実際この役を演じたアダム・ドライバーは身長が190センチほどもあり、
かつ、どこか往年のキアヌ・リーヴスを彷彿とさせるところがありますね。




三人目の人物は
カルージュの妻、マルグリット


マルグリットはですね、金髪の大変な美女で、英語のフェア・レディということばは
こういう人のことを言うんだろうなって実感しました。
しかも彼女は歴とした貴族の娘なんです。
ですから、貴族の娘らしく、きちんと教養もあります。

ですが、悲しいかな、彼女は貴族の娘でも没落した貴族の娘なんですよ。
だから十分な持参金がないため、
こんな無教養で身分も貴族とも言えないカルージュのところへ嫁がなくてはならない。


ところが事件が起こるべくして起こった。
なんとカルージュがパリへ行って不在の中、
ひとり屋敷の留守を守るマルグリットの中にル・グリがやってきて、
嫌がるマルグリットを無理やり強姦してしまうのです。

ル・グリによって屈辱を与えられた彼女は、夫であるカルージュに、
ル・グリに強姦されたことを正直に告白します。

義憤に駆られたカルージュは正義を知らしめすため、
賄賂や汚職でまみれた自分の直属の主であるピエール伯爵に告訴するのではなく、
パリに赴いて王に自分の妻が友人によって恥辱を与えられ旨を訴えるのです。

しかしながら、事件が起こった時にはマルグリットの姑がわざと、
家の使用人を全部ひきつれて外出してしまったので、
現場を知るものがいないのです。


マルグリットの無実を知るものは、神のほかはいないのです。

で、ですね、そこで決闘裁判ですよ。

神は真実を知っておられる。
だから正しいものの味方です。
神は常に正しい者を守護します。反対に偽証したものは
死の鉄槌を与えられるのです。

ま、なんていうのかな、日本の「くがたち」と一緒だよね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

で、この物語はですね、
三部構成なんだよね。

三人の視点で同じ話が語られるわけ。
しかし、そこにはかなりの齟齬があるんだよね。

もちろん、ル・グリだってバカじゃないです。
自分が罪を犯したと思って、自分の名誉と命を懸けて戦うわけないじゃないですか。
彼にだってそれなりに言い分があるんですよ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

カルージュ視点では、カルージュ本人は常に正義の人です。
神を重んじ、筋の通らない曲がったことは嫌います。

だから、つねに退廃的なアランソン伯爵に追従している、
ル・グリのことを軽薄な卑劣漢だと軽蔑していますね。

今回の美女の誉高い自分の妻を強姦したのだって、いかにもル・グリのやりそうなことだと
カルージュは憤り、彼は決闘裁判へと持ち込むのですよ。



ところが、こんどはル・グル視点で物事を見ることになります。
そうなると、世の中の景色がまたガラリと変わる。
ル・グリは親がエクスワイアであったとしても次男ですので、自分の財産がありません。
ですから、己の才覚ひとつで世の中を渡っていかなきゃならないのです。

ですから、字も読めず、親の残した既得権益にしがみついているカルージュに対して
覇気のないヤツ、と心底バカにしています。

またカルージュの美人妻のマルグリットに対しては、犯行に及ぶまえ少しだけ
ラテン語を交えて当時はやっていたロマンスに対する文学談義(という大したもんじゃないですけど)
をして、「あ、この女は俺サマに気があるな」という大いなる誤解をしてしまうのです。

なんなんでしょうね、この変な自信。


で、どこからかカルージュの不在を聞きつけて、
ひとりで留守を守るマルグリットを騙して門を開けさせ、
嫌がるマルグリットを力づくで犯すんですよ。

それでもマルグリットは「お願い、お願いです。どうぞ赦してください。それは罪です」
って言ってるのにさ、「あ、こいつ、俺に感じているな」とか
また一方的に自分の都合のいいように解釈して、
ふたりで歓びを分かち合ったと、ものすごい勘違いをして
意気揚々と帰っていくんですよ。

いやぁ、この人、自分が美しい貴婦人と秘密裏に不義を共有した
ランスロットとかトリスタンになったつもりだったのでしょうか???
めっちゃおめでたい人です。



三人目が、被害者のマルグリットの視点です。

これがねぇ、本当に辛辣極まりない、真実だと思いますね。

夫のカルージュは、これからまさに結婚式をしますって段になっても、
持参金として持ってくる土地がついてない!とかいって激怒するんですよ。
花嫁を前にして。

で、初夜の晩ですが、
カルージュの記憶ではまだ男というものを知らない妻のために
大変に気を使って、デリケートに、そして優しく
その夜を過ごしたということになっているのですが、
妻側の真実は違います。

怖がる本人をいきなり押し倒して、花嫁の気持ちは無視して
自分だけやることをやって終わったらさっさと寝てしまうんですね。
これって強姦と何にも変わらないじゃんよと思うのね。

で、妻のマルグリットは夫は男として女に全然優しいところもないし、
ものすごい粗野でしかも目先の欲にばかり囚われて、
深謀遠慮ってことができない人なんだってことが早晩わかってきて、
新婚にしてすでに結婚生活なんか破綻しているんですよ。

ただ、当時というのは妻は独立した人権なんかなくて、
あくまでも夫の庇護の中にあり、隷属物だという認識でしたから、
相変わらず、一方的にマルグリットは夫の性欲のはけ口にはされていましたが…。

しかしあるときマルグリットは
アランソン公が主催するなにかの集まりに夫と一緒に出掛けました。
こういうとき、使えるものは何でも自慢するのが人間のサガ。

マルグリットがめちゃくちゃ美人ということだけは本当だったので、
このときとばかり、集まる男どもに見せつけるため、
美しいドレスを新調させ、美しい金髪も真珠のピンをあしらいながら
きれいに結ってその場に臨むのです。


おお、と男たちのどよめきは止まりません。
カルージュはいい気になって、ル・グリにも挨拶させました。

その後、マルグリットはル・グリとラテン語を交えて、二言三言、会話はしました。

でも、マルグリットは
「この人はそれなりに教養はありそうだけど、なんか嫌味な人だな」
ぐらいにしか思ってなかったんですね。

しかもル・グリにはいろいろとつきまとう女の様々な噂がありましたので、
賢明なマルグリットはそのことも警戒していたのです。


ああ、それなのに、それなのに!


マルグリットはそれでも正直に自分の身に起こった不幸を
夫に話しました。何も自分にやましさがなかったからこそ、
秘密にしなかったのです。わかる、この心理?

するとカルージュって「お前が誘ったんじゃないだろうな?」って
ものすごい力でマルグリットの首を絞めにかかるのです。

ひどくない? 
本当にひどい。
嫉妬心だけは人一倍なくせに、自分の妻のことなんか
これっぽっちも信用なんかしてないんですよ。
愛してなんかいないんです。


マルグリットはですね、夫に共感してほしかったんですよ、単に。
「こういう恐ろしい男だから、もうあの人に私を近づかせないで」って。
そして、どういうわけか長らく恵まれなかった子宝が、恵まれてしまう。


昔だし、腹の中の子がどっちの男の胤なんかはわからないですよ。

しかし、とどまることなく激昂してしまった夫は
行くところまでいかないことには、収まらないんです。

それで自分の名誉と命を懸けた「決闘裁判」でお互いの是非を決めることになったのです。
で、当時の教会法は告白した妻のほうも、もし夫が負けることがあったなら、
自分も偽証したことになり、身ぐるみぜんぐはがされ、
公衆の面前にて火刑にされることになるのですよ。


元気な男の子を産んだマルグリットは悔しくて悲しくてなりません。
「この子は下手したら、不名誉な両親の死を背負ったまま、
ひとりで生きていかなければならないのよ。

どうしてもうちょっと自分を抑えることができなかったの?」


初めて辛辣に夫を責めますね。



しかしすでに賽はふられたんですよ。

パリのとある修道院の裏庭に決闘場を作り、カルージュとル・グリは死闘を繰り広げます。
ここらへんはさすが、リドリー・スコットだなぁ、めっちゃ迫力のあるシーンですよ。
存分にその映像美を堪能してくださいまし。


結局のところ、辛くもカルージュが勝つんですよね。
マルグリットの正義は神によって証明されたんですよね。


民衆に祝福されて凱旋するカルージュ夫妻…ところで終わるんですが、

しかし最後のテロップが効いていた。

「その後すぐにカルージュは十字軍に参戦して二度とフランスの地に帰ることはなかった。
 が、マルグリットはその後誰とも再婚することなく、裕福なまま幸せな生涯を送った」


皮肉が効いていますね。
人の心を読むのが格段にうまく、農地経営も合理的にできるマルグリットは
無能な夫よりもはるかに蓄財能力があったということです。

夫の子供か、ル・グリの子かはわかりませんが、それでも息子は自分の子には違いありませんから
ふたりで楽しく生きていったんでしょう。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このようにですね、人間とは
同じものを見たとしても、すでに心にはバイアスがかかっていたり、
また自分自身を過剰評価したりして、すぐに自分を正当化したりするもんなんですよね。


人間は「自分はもしかして間違っているかもしれない」ってことを
前提に生きていくことができれば、
少なくともこういう間違いはぐっと少なくなるかもしれないです。

しかしそれを認めてしまうと、人は案外生きにくいものかもしれず…。

なかなか難しい問題だなぁと視聴後は深いため息が出ました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さらに話を詳しく知りたい方は、原作もあります。
私も今、読書中です。










最後の決闘裁判 (ハヤカワ文庫NF)


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美女は死んで女神となる『パドマーワト 女神の誕生』 [読書・映画感想]

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みなさま、こんにちは~。sadafusaです。

この前の『天平の甍』から一ヶ月以上経ってしまいました、気がつけば…。
まあさ、いろいろあったんだよね。

で、ですね。そういうときって、没頭することが一番だろうって
創作することにしたんですよ。

でね、5月に奈良の当麻寺に行ってきたんです。
まぁ、当麻寺って言ってもピンとこない人も多いだろうけど、
ほら、バスクリンと漢方薬で有名なツムラってあるじゃない?
あれってお姫様のマークじゃない?

あれが当麻寺と縁の深い「中将姫」なの。

でまぁ、私って物好きだから、そこで中将姫物語ってお寺の縁起絵巻を元にした本っていうのを買って読んでみたのよ。そしたらさ、なんちゅうか、現代人には理解できない「美徳」のオンパレードなわけ。

昔って儒教に凝り固まっているから、娘が親孝行として女郎に売られるのって美徳なの。
あと、主君の子どものために臣下の子が身代わりに討ち取られるのも美徳なのよね。

昔は子どもは親の所有物で、子どもが親にちょっとでも逆らうと「この親不孝もの!」ってみんなこぞって糾弾するのに、親が子どもを間引きしたり、捨て子したり、折檻のあげく殺したり、女郎屋に売りつけるのなんか当たり前だったんだね。


そういうつっこみどころが多すぎる説話を読んで、『自分が説話っぽいものを書いたらどうなるだろう?」って思ったのね。

場所を日本にしても別に良かったんだけど、ちょっとエキゾチックなものを書いてみたくって、アラビアンナイトに出て来るシェヘラザードがシャヘリアル王に語って聞かせた話のひとつ、みたいに書いてみたらどうかなって思ったのね。

でね、これ、実際に書いてみてすごく痛感したんだけど、イスラムのことをあんまりよくわかっていない日本人がイスラム世界のことを書いちゃいけないなって、やっぱり宗教はデリケートな問題ですので、茶化しちゃいけないって思ったのね。

で、まぁ、場所はアッラーの教えが浸透してない昔で、異教の神を崇めていたという設定にしました。やっぱ、怖いもん。こんなド素人の書くものと言っても。


で、今回は短編にして、こうモローの絵のような、エキゾチックで幻想的な雰囲気のものにしたいなって思ったのね、
で、私のいつもの癖なんだけど、いくら創作だからといっても、やっぱり中近東の風俗とかファッションとか把握して置きたいわけよ。

それがねぇ、意外とそういう資料みたいなものがないわけ。

まぁさ、『オスマン帝国外伝』のシーズン4の最後まで視聴した身ですので、
なんとなく雰囲気はわかるんだけど、でもさ、あの番組の衣裳ってほとんど史実を無視しているっていうじゃない?
ま、それはいいんだけど、じゃあ、他にもいいものはないのか?と探してみたんだよね。


で、あったのさ、ひとつだけ、超弩級にいいのがね!!
それはね『ハドマーワト 女神の誕生』って映画だったの。

2年ほど前の映画で芸術系の映画館で上映していたんだけど、
スケジュール会わなくて見逃したんですよね。


しかし、この映画は話の内容ははっきり言ってどうでもよくて、
ただただひたすら、主役の王妃『パドマーワト』が美しかったです。

王妃さまはもう5分に1回ぐらい、お召し替えしているんだけど、
そのサリー(私達が思っているのとはちょっと違う円形のスカート履いているんだけ)というか
衣裳のひとつひとつが本当に豪華で、お金がめちゃくちゃかかっているのが丸わかりでした。
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でね、王妃様はいつも、ものすごい宝石のついた耳飾り、髪飾り、首飾りは当たり前だと思うけど、
鼻飾りをされているんですよ。それがすごく豪華で、かつ、美しい。
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こんな重たいのを付けていたら、絶対に鼻の形がおかしくなるよなって思うくらい。
そして、手の飾りね。これがすごい。腕輪と指輪が合体したもので、
掌全体に金色に光るものが散りばめられているって感じ。

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まぁ、私はしょうがないからブルーレイ3600円で買いましたけど、
皆さんももしテレビで上映することがあったら、きっとめったに見られないと思うので、
(あ、ネトフリでは見られるみたい)録画してみてみて。

オスマンのファンだったら、好きだと思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このお話はね、こんなにお金がかかっていて、すごく美しいにも関わらず、お蔵入りになりそうになったんだって。

っていうのも、ちょっと宗教にひっかかっているんですよ。
アフガニスタン人でスルタンである叔父を殺した、いわゆる王位簒奪者である
アラーウッディーンって、ちょっと危ないヤツが、世界一美しいといわれるパドマーワトを手に入れるために、インドの西の小国に侵攻してくるのよ。

パドマちゃんは、もともと仏教国であるスリランカ出身なんだけど、たまたまスリランカをおとずれていた王さまと恋愛しちゃってお嫁に来るのね。

旦那さんであるラタン・シン王が、なんつーか正義を重んじるんはいいんだけど、相手を見ろよ、っていいたい。相手はどんな手を使ってもパドマちゃんを手に入れたいと思っている悪漢なんだよ~。
ってちょっと臨機応変って言葉を知らない王さまを見ていてイライラ。

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で、何度もパドマちゃんが王国の危機を救ったんだけど、ついに敗れる日が…。


インドって『尊厳殉死』という因習があるらしい。
まぁ、昔からありますよね「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」ってのが。

これって、第二次世界大戦時の日本でもよく使われていて、玉砕とかが正当化されちゃったりもするので、一つ間違うと非常に危ない考え方だと思うのね。

で、おそらく夫が生きて帰ってこれないことを悟っていたパドマちゃんは、夫から『尊厳殉死』の許しを受けるのね。

もし、夫たるあなたが死んだら、私も殉死しますっての。

で、王国中の女性がみんな赤い服を着て、火の中に入って焼死することになるんだけどね。
やはりここらへんが、上映中止になる原因だったのかもしれないね。
だって、パドマひとり死ねば、他の女性は関係無いような気もするし。

まぁ、戦国時代の武将の奥方なんて、誰にもなんにも言わず、辞世の句をサラリと読んで、
首を掻っ切って自裁する人なんてめずらしくもないけどね。

あと、やっぱり、アラーウッディーンがいかにもイスラムの悪者っていうか、ステレオタイプに陥っているところが、ちょっとかなぁ…。

でも、この人、ワイルドでかっこいい。インド映画ってみんな、めっちゃくちゃダンス上手いし。
一昔まえのインド映画って女性は、本当に女神みたいな美女ばっかだったけど、男のほうは、けっこうぽや~んと太い人が多くて「なんで?」って思っていたけど、最近は男性の美の概念の世界水準に達したらしくて、みんなマッチョで背が高かったです。

ちなみにパドマを演じていた女優さんの本当の旦那さんは、この危ないイスラムの王さまのほうらしいw
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天平の甍  [読書・映画感想]

こんにちは、sadafusaです。

私は読書が大好きです。もし本を携えていけるなら、
絶海の孤島にでも行くのも何とか耐えられると思うけど、
本を取り上げられたら、多分、生きていけない。

それぐらい本を読むのが好きです。

しかし、読書にもいろんな読み方がありまして、
自分は疲れている時は小説は読まないんですよ。
どっちかというと、新書とかノンフィクションみたいなものを読むんです。

意外と小説って読むのに力いるんだわw



しかし、このGWになんとノーベル文学賞候補にもあがった
井上靖大先生の傑作

「天平の甍」

を読了いたしました。


実際にノーベル文学賞を取るかどうかというのは、
そのときの社会情勢にもよるんですよね。運も関係ありそうだし。

しかし、三島由紀夫にしろ、遠藤周作にしろ、この井上靖にしろ、
はたまた現在、いつも候補に上がっている村上春樹にしろ、
こういう候補にもなるような方っていうのは、話の内容も外連味などまったくなく、
文体も非常に静謐で端正なんですよね。

やはり読むに値する素晴らしい名著だと思います。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

とはいえ、天平の甍って誰でもその名前だけは聞いたことあると思うんですよ。
私も名前だけは知っていましたが、「なんか難しそうだし、めんどくさそうだな」って
思っていました。

というのも、私、漢字の名前ってなかなか頭に入ってこないんですね。
というのも、カタカナの名前ならきちんと発音できるでしょ?

ですが「普照」なんてパッと書いてあったりすると、「ふしょう」ときちんと声に出して
頭にインプットしないと覚えられないんですね。

奈良時代のお坊さんの名前って聞いただけで、怖気づく。

しかしながら、私、最近、京都国立博物館で鑑真和上の展覧会へ行ってきたんです。
それで、いつもは唐招提寺の奥深くに秘蔵されているはずの
和上のお像を間近に見るという僥倖に近い機会を得たんですね。

失明して閉じられた和上の目には、細かいまつげがきれいに描かれていて、
いかにこのお像を作った作者が、鑑真和上に深い崇敬の気持ちを抱きながら、
細心の注意を払って、ていねいに作られたかっていうのが
見ている私にもじんじんと伝わってくるのです。

私、恥ずかしながら鑑真和上のことはほとんど知らなくて、
中国の偉いお坊さんで、たしか日本に渡ろうとして8回ほど遭難して
海南島にまで流されたこともある人で、
そしてその途中で失明して、艱難辛苦のあげくやっと日本に正しい仏法を伝えた人という
高校の世界史でざくっと習った知識しかなかったんですよね。


ですが、その展覧会でいろいろと鑑真関連の宝物を見ている内に
非常に胸を打たれまして、かつ自分の無知を恥じたのですね。
本当に何も知らないなぁと。

それで今更ながらですが、一念発起してこの本を読んだのです。





天平の甍(新潮文庫)

天平の甍(新潮文庫)

  • 作者: 井上 靖
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/02/07
  • メディア: Kindle版




一応ここには、現在、アマゾンで売られている新装版を貼り付けておきましたが、実は私、夫の本(それも多分、大学生ではなく、彼が中学か高校のとき、買ったもの)を借りて読みました。

ごくごく薄い本だったのですが、まぁ、長い年月のうちに紙なんて劣化して茶色の変色しているし、
字は今の本と違ってめっちゃ細かいし、「鑑真」の鑑なんて旧字体ですよ。

ですが、今回は精読致しました。さらっと読み飛ばして理解できるわけがないと思ったので。
井上さんの文章は格調が高いので、「須臾」なんて言葉もさらっと出てくるし、

しかも、時の時代の宰相の甥のことをわざわざ姪(てつ)と呼ばせているのです。
それをそのまま、わからないままに読み飛ばすと絶対に話がわからなくなるので、調べると、
中国では、自分の兄弟から生まれた子供(男であろうが女であろうが)のことを姪と呼び、
反対に自分の姉妹から生まれた子供(男であろうが女であろうが)を甥と呼ぶらしいのです。
さらに唐代までの漢文においては、姪(てつ)は甥のことを指すことが多いとありました。

ひえぇえ~、ですね。こんなのは序の口でございまして、
唐の時代の官僚の名前とか当たり前にさらりと出てくるしで、
やっぱり、ノートにわからないことを書いて、調べて、実にノロノロとではありますが、
この名著を読んでいたのですね。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、この物語には五人の留学僧が出てきます。

ひとりは、普照(ふしょう)。
この物語の主人公です。彼は日本を離れたときは28歳ぐらい。
この人は大安寺のお坊さん。ものすごい秀才でした。


ふたりめは、栄叡(ようえい)。
この人は美濃国出身。興福寺の僧。
大柄で、ちょっと頑固な人です。

三人めは、玄朗(げんろう)。この人は紀州出身。普照と同じく大安寺のお坊さん。
しかし、不思議なことに普照が大安寺にいたときには、
顔を一度もあわせたことがありません。
この人は一番年若く、25歳。容姿や挙措などが
いかにもいい家の坊っちゃんといった雰囲気を漂わせていました。


四人めは、戒融(かいゆう)。この人は筑紫の寺にいたお坊さんです。
この人も普照と同じく28歳。どこか狷介な性格で、一匹狼タイプでした。

そして、五人めは、業行(ぎょうこう)。
この人は、先の四人が唐の東の都である洛陽に来た時に出会ったお坊さんでした。
業行はすでに、唐の滞在歴は30年近く。ということは、もう50歳ぐらいなのでしょうか。

ともかく、この四人は、それぞれ唐に行ったら、「ああしよう、こうしよう」という
若い人なりの大志を胸にいだいて渡航してきたわけなんですよ。

日本にいたときはそれなりに秀でていたから、「我こそは」という自負心もあったのです。
ですが、実際に大海原を越えて唐に着いて、それから陸路を取って長い旅を重ね、
東の都の洛陽、そして西の都の長安につく頃には、
だんだんと自分たちの立ち位置っていうものが分かってくるのです。

いかに日本が遅れた国であるか、
そしていかに自分たちが仏法の真髄ってものを知らずにいたかということが。

それはそうなのです。
日本には、中国には当たり前にある経典が全く伝わっていなかったんです。

お経も死ぬほどあるけど、またそのお経に対する「義疏(ぎしょ)」
という解説本っていうのも、死ぬほどあるんですよ。

で、四人はこれは一生唐にいて、勉強してもとてもじゃないけど
間に合わないってことがやっと分かるんですよね。

じゃ、どうする?ってことになるのですが、そこは登場人物5人それぞれの思惑が交錯するんです。

普照は、一番現代人っぽい考え方で、己の自己実現、自己完成っていうことを望むのですね。
唐にずっと留まって、仏法の真髄をとことん学び尽くしたいと思うのです。

一方、栄叡は自分よりも故国のことを考えるのです。
日本には、まだきっちりと「律や戒」が整っていない。
これはですね、現代では出家っていうと、すぐにでもなれると思うかも知れませんが、
昔は僧になるにも、きちんと律師という免許のようなものを持った人が
僧になることを希望する人がきちんと仏法を学び、修行をしたことを見定めて
「戒」を授けて初めて、正式な僧侶になれるのですよね。

だから栄叡は、日本には未だそういう正式な戒を授ける人がいないということで、
だれか日本に渡ってもいいと行ってくれそうな高僧を探すことをライフワークにするのです。


しかし、坊っちゃんの玄朗は、脱落してしまい、出奔して唐人の女と暮らすようになります。

そして狷介な性格の戒融は、死ぬような思いをして唐まで来たからには、座学などに時間を割かれるのは無駄だと判断し、托鉢僧として広い大陸を行脚し、実際に自分の足を運んで、自分の眼で広い世界を見る道を選ぶのです。


そして、業行。この人はどこにも行かず、日本にお経を伝えるため、
ただただひたすら、机に向かって写経をしていたのです。

劇中の登場人物たちは、わざわざ唐まできて、どこにも行かず、学ばず、写経にあけくれる
業行のことをバカにします。

しかし、と私は思うのです。
皆さん、博物館や美術館で、昔の写経の巻物をご覧になったことがありますか?
今のようにワープロもなく、印刷機もない時代。
貴重な紙に一字一字写して行くのが、どんなに苦しい作業か。
墨で漢字を書いていくのですから、間違いは許されません。
ものすごい集中力が必要です。

業行はそんな苦行を30年以上もやっているのです。
こんなことは、ちょっとやそっとの意思ではできないと思います。
読んでいて、バカにされつつもひたすら写経に明け暮れる業行が
こう、なんていうか胸が締め付けられるくらい健気で愛しく感じられるのです。


普照らが何年か滞在していた時、日本へ帰る船が出ることになったのです。
普照は業行にこれまで彼が写してきた膨大な数の写経の一部を船に乗せてはどうかと
打診するのですが、きっぱりと断られるのです。

「いざというとき、お経の代わりに自分が海に入るくらいの気概がある人でなければ」
と。

それはそうですよね。自分が心血注いで書いたお経をそう簡単に海の藻屑にされては
かなわないってことです。
そこらへんのこだわりは並の人間にはわからないんですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

一方、律師を探していた栄叡は、ついに日本へ行ってくれるという高僧を探し出すのです。
その人こそは鑑真。

しかし、鑑真は唐でも国の宝と思われるほど、徳の高いお坊さんですので、
日本などへ行かせたくはないのです。
「そんな野蛮な国へなど行って、何になるというのですか?」
とにかく、鑑真の真の価値を知っている人ほど、彼の日本行きを邪魔しようとするのです。
そして、鑑真に日本行きを決意させた日本人である栄叡や普照らを憎むのですね~。

しかし、何回となく座礁しても、鑑真の堅い決意は変わらない。
「行くと決めたからには、必ず行く」

しかし、海南島に流された時、頑健な身体、堅固な意思を持っていたはずの栄叡が
病に倒れ、死んでしまうのです。


ひとり残された普照はなんとか業行に掛け合い、彼が写経したお経を一緒に携えていこうと
説得します。
業行はすでに齢、六十を越えた老人となっていました。
写経に人生をほとんど費やした彼は、異様なぐらい自分の膨大な写経に固執するのですね。
渡海する時、必ず自分の乗船する船と一緒にお経がなければ承知しない。

本来ならば、冷静に考えれば、出航する船は四隻あるのだから、四分の一に分散するべきなのです。
たとえ、一隻でも日本に付けば、少なくとも彼の本懐は果たしたことになるからです。
しかし、頑迷な老人と成り果てた業行は、それを承服できないのですね。

結果として、業行を乗せた船だけが、沖縄の海中沖で沈んでしまうのです。

もう、泣きました。
こんなことになるなんて、本当に神も仏もあるものか、と思ってしまいます。
そして彼の人生って何だったのと。


井上さんは、業行に空海が留学するまで伝わらなかった秘密部(密教)の経典も書かせています。
もしも、このお経が伝わっていれば、もっと早く密教、もっと完全な浄土宗の教え、
そして、中世にやっと伝わった禅の教えも伝わったはずなのですねぇ。

唐の時代には、すでにすべての教えが存在していたのです。
私はそんなことも今の今まで知らなかったですね。



ともあれ、艱難辛苦のあげく、鑑真は日本に四年とどまり、そして亡くなられたのです。

彼が日本に正しい律をもたらしたことも素晴らしいことなのですが、
そこに至るまでの俯仰不屈の精神、それを助けた人の意思、
それこそが奇跡だと思うのです。



静謐で深い感動、これが井上文学の真髄かもしれないですね。
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掃除機のストレス [雑文]

みなさま、こんにちは~。sadafusaです。

今年もバラの季節がやってきましたね~。
去年の冬にオースティンのジュビリー・セレブレイション(だったかな?)
っていうものすごくきれいなバラの蕾がもうすぐ開きそうになっているんですよ。

バラって開いたときもきれいなんだけど、ほころびそうになっていない蕾のときも
なんとなく中国の桃まんみたいで、かわいいなって思います。

おんなじバラでもイギリスで作られたものとフランスで作られたものでは
かなり雰囲気が違っておりまして、それぞれとても美しいんだけど、
品の良さで勝っているのはイギリスのもので、色の艶やかさで勝っているのが
フランスのもののような気がします。

もちろん、他にもドイツらしいバラとか、アメリカのバラとか
日本で作られたバラもあるんだけど、それぞれの国民性みたいなものがでるのが
興味深いですね。


日本のバラに関して言えば、日本のものは本当に素晴らしい。
形といい、香りといい、色といい、とても繊細なものが多いんですね。
しかし! 育てにくい…。私が買った日本のバラで今のところ元気なのは
京成バラ園の「オスカル・フランソワ」だけ。

だけど、これも家に届いたときから、調子が悪くて、いつ死んでしまうんだろうって
ヒヤヒヤしながら育てていて、蕾が出てきても身体に触るだろうからってすべて
摘んでいました。

今は一回り、大きい鉢に移そうかなって思うくらい元気になりましたけど…。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、いつもの前フリはここまで。

今日は掃除機についてお話したいと思います。

我が家はつい最近まで断捨離しなければならないほど、汚家でした。
とにかく、とにかく、汚かったです。
モノが多すぎるのよね。

そして使っていた掃除機も約25年ぐらい前の東芝の掃除機でした。
その当時ですごく高くて6万円ぐらいしたのよね。

だけど、ものすごく重いし、引きずるとすぐに虫がひっくりかえったみたいになるし、
階段なんか重たくて掃除しにくいから、結局、億劫になって掃除しなくなるんだよね。
すると階段なんか埃がたまり放題になるじゃない?


ってことで、去年の今頃だっけかな?
日立の型落ちモデルのものを購入したんですよ。
本当はイギリスのダイソンのサイクロン式のコードレスを買おうかなって思っていたんだけど、
しかし、ダイソンって体格のよいイギリス人が使うのを想定しているだけあって、
馬力はあるんだけど、妙に重たいのよね。

それで、まぁ、お安いアイリスオーヤマなどを蹴って、
日立の軽量、1.3キロのものにしたんだよね。

でね、やっぱりサイクロン式ってすごいなって思ったわw
細かい粉塵みたいなものを本当によく吸い取ってくれる。
それにやっぱり、コードレスっていうのも良くて、階段なんかも
すいすい掃除できる。

しかし! そんなに細かく粉塵を吸い取れるこの掃除機もですね、
弱点があって、米粒くらいの大きさのゴミなんかは吸い取るのが下手なわけよ。
たいてい吸い取らないんだわw

で、イラッときて、パワーを「強」にすると、すぐに目詰まりしてしまって
3分もしないうちに、「フィルターをお手入れしてください」って表示されるのよ。

フィルターなんか毎回お手入れしておるわいw
だって、ゴミを収容するキャパシティがものすごく小さいんだもん。

まあ運良く「強」でずっと掃除できたとしても、
だいたい5分ぐらいでバッテリーが尽きるんだよね~。

しょうがないから、その間、捨てないでおいた、小型の掃除機で掃除してたりするんだけど、

とにかく! 引き戸の溝っていうの? みたいな細かいゴミが溜まりやすいところのゴミを
吸うのが下手!


しかし、今、夫婦ふたりだけで生活しているんだけど、
「よくもまぁ」って思うほど、埃が出るよ、毎日、毎日。

え?ルンバは使わないのかって?

う~ん、なんかあれ、隅をきれいに出来ないような気がして。
階段も掃除できないよね? おそらく。


もっと軽量でパワフルな掃除機がほしい!と切に思うこの頃でした!

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人のサガ [雑文]

こんにちは、sadafusaです。

最近、木の芽時のせいなのか、
ちょっと気持ちがウツっぽいなぁ~と思っていたのですが、

それってもしかして、日頃、誰とも話さないからなのでは?
とか疑うようになりました。


たしか、なんかの本で読んだのですが、
人間はどうしてもしゃべるように作られているそうで、
一日に少なくとも6000語は話さないと
ウツっぽくなるものなのだそうです。

今、コロナで自粛、蔓延防止とかうるさいですが、
これってなんなんでしょうかね?

日本ってワクチンを打つの、めちゃくちゃ遅くないですか?
先進国の中じゃ一番遅い国だと思うし、
発展途上国の中でも、もっともっとワクチンが普及している国もあります。
まったくこれで、オリンピックなんか開催できるんでしょうか?
まぁ、オリンピックによる経済的波及効果っていうのは、
もう開催されてもされなくても一緒ということですから
どーでもいいんでしょうかね。

しかし、株価の上値がず~っと重いのは、やっぱりコロナのせいだと思うんだよね。


あ、話が脱線してしまいました。
話が脱線するのは、わたしの悪いところ。

そうなんですよ。
去年、同じ頃なんか、同じコロナで人と接触が全くなくても、
全然へっちゃらだったんですが~。

やっぱ、体重がこのところ、思ったように減ってくれないせいでしょうかね?
これは意外と大きな要因なのかもしれないです。

とはいえ、体重は減らなくても、身体のほうはかなり締まったようで、
かなりサイズダウンしました。

でも、そうは言っても、私は話す人を選びたいんですよ。
誰でも彼でもいいから話しまくる人ってたまにいますが、
あれは一方的にこっちのことを考えないで、
自分のしゃべりたいことだけをしゃべる人ですよ。

どうせなら、楽しい会話をしたいんですよね。

先日、たまたま寄ったお店で、ニット初心者の方が
編み方が解らなくて困っていらしたので、
教えて差し上げたら、よろこんでくださっていたようでした。

私は、編み物の先生じゃないので、そんなたいしたことは
教えられないのですが、ごくごく基礎的なことだったら
教えて差し上げることもできます。

人に喜んでもらえて自分も楽しい、そういう関係が
ベストなんですが、なかなかね。

(もしかしたら、私が勝手に喜んでいるだけで
 向こうはありがた迷惑ってこともあるから
 押し付けは厳禁なんですけどね~)


いつも、「相手は本当に楽しんでいてくれるのかな」って考えてしまうから、
結構、人と楽しく会話するのも難しいなって思ったりするんですよね~。



ああ、困ったものだわw




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あなたはレギュラーコースじゃ、間に合わない。 [雑文]

こんにちは、sadafusaです。

あっという間に、4月も半ばを過ぎました~。
桜が咲いている頃は、夏か?と思うほど暑かったのに、
急に寒の戻りが来て、ブルっているところです。

最近、京都市内にある、スーパー銭湯でアカスリにハマっています。

というのも、内風呂だけじゃどうも、背中の汚れを落ちきれてないような気がして、
っていうか、一度夫に背中の写真を撮ってもらったのですが、
最近の写真ってものすごく画素数が高いから、
拡大すれば背中の毛穴までくっきりはっきりみえるんですよね~。

それが異様に汚い!
身体の全面だけ見ていて安心していたけど、
見えない背後って本当に汚いです。
毛穴は汚れで詰まっているし、
長いあいだ、アカスリしてもらったことないから、
汚れが沈潜して、肌の色が変わっているし~。

夫に一度、背中を流してって頼んだんだけど、
彼は何につけても経験値が低いから、痛いだけで、
全然ダメなんだよね。

それで、スーパー銭湯へ行くことに。。。
まぁ、いろいろなコースがあるんだけど、
最初は無難にレギュラーコース、30分っていうのにしてたのよ。

そこの銭湯は露天風呂があって、
私はいつもこっちのほうのお風呂に入ることにしているの。
なぜかといえば、こっちのほうが外気温が低くて、のぼせにくいから。

アカスリをするためには最低でも15分ぐらいはじっくりお湯に浸かって
身体をふやかす必要があるからね。

私はたいてい、露天風呂に30分ぐらいは浸かっている。
(途中で、さすがにのぼせてくるから、腰湯で入っているけど)

だけど、何回か通っている内に、いつもこすってくれる係の人と
顔なじみになると、
「金儲けで言っているんじゃないんだけどね、
 あなたは汚すぎて、いつも時間内で終わらないんだよね。
 こすってもこすっても、垢がでるのよ。
 だから、今日は延長して」
って頼まれたんだよね~。

えっ?って思って、思わず背中を触ってみると、
ものすごい量の垢が…。

たしかに、こんなんじゃ、終わるに終われないんだろうな~、

「あなたはね、いつも中途半端で終わらせなきゃならないから、
 完全にきれいな状態になったことがないの!」

そ、そうですか、それはすまんっこってした。

ということで、コースを変更してもらい、すみずみまで洗ってもらいました。

「お尻なんかね、いつも時間切れで洗う暇なかったけど、
 今日は、ピッカピカにこすったからね!」
と係のおばさんも嬉しそう。晴れ晴れとおっしゃる。
ありがとう、ありがとう。

ここのところ、ずっと家のお風呂でしか洗ったことがないから、
さぞや汚かったんでしょう。

まさにン十年分の垢が溜まっていたのでしょう。

「最初は大きな垢のかたまりでボロボロと出てくるんだけど、
 その後、細かい垢が出てきて、初めて肌が清潔な状態に保たれるんだよ」

って教えてくれました。

なるほど~。

家に帰って、夫に再び、背中の写真を撮ってもらうとね、
たしかにきれいになってる。
角栓のつまりなんかは全部落ちてるけど、

拡大してみると、でもしかし、背中の手の届かない部分が未だに垢が何層かに
別れて階段式に肌にこびりついているのがわかるんよね。
しかし、こういうのも、段階があって、急に全部は洗い流せないのかもしれない。
(拡大しなきゃ、絶対にわからないよ。 等倍に見たら、普通の背中にしか見えないです。念の為)

やっぱこれは、定期的に、スペシャルコースでじっくり磨いていってもらうしかない。

おまけ、
「アカスリしたら、次の日、必ず体重減ってるよ」
と言われ、半信半疑で帰りましたが、
次の朝、体重計に乗ったら、あ~ら不思議。
やっぱり、体重、体脂肪、共に減っていました。

なおさら、やめられないですね、これは。

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美徳って何? [雑文]

こんにちは。sadafusaです。

今日の京都はちょっと寒いです。
でもこれが例年並の気温らしくて、
これまでが妙に暖かかったんでしょうね。

寒暖差が激しいので、みなさんもお風邪を召さぬように
お気をつけくださいね。


~~~~~~~~~~~~~~

ここ最近、ちょっとシビアなことばかり書いていますが、
今日も常日頃私が感じている「美徳」とか「モノの善悪」の話についてしようかなと思います。


普段私達が何気なく口にしている「いいこと」とか「悪いこと」って
何を基準にしているのでしょうか?

ちょっと前、「どうして人を殺してはいけないの?」みたいな質問を子供がしていて
大人が絶句していた報道があったように思いますが、
これなんかは、案外簡単に答えられると思います。

もし人を殺すのが合法であれば、
私達はいつも「殺される」ことに怯えて暮らさねばならないことになりますよね。
そうすると、健全で文化的な生活を享受することができなくなります。
また、経済活動にも支障をきたすことにもなります。
つまり、「自分が殺されないために」「他人を殺してはいけない」のですよ。

でも~、ですね。
旧約聖書の出エジプト記に「十戒」っていうのがあります。
その中には「汝の父と母を敬え」っていうのがあるんですよ。
これが妙にハードル高いよね。
儒教でも、「親孝行」というのは、人間が為すべき「徳」と考えられています。

でも、じゃあ、私みたいな機能不全家庭で育った人間でも、
虐待された人間でも、親を敬わなければならないの?
って思うじゃないですか?

昔、私、江原啓之さんにハマっていたことがあって、
(とはいえ、私はいわゆるスピリチュアリストじゃないです)
彼は「あなたが今、ここに在るということは、
100%ではなくても、たとえ10%だったにしても、
親から愛を注がれていた証拠だ」っておっしゃっていたんですよね。
まぁ、江原さんは幼児の頃にお父様をなくされて、
それから後、愛されて育ったといえども、
中学生の頃にお母様を亡くされていて、
人一倍、親のありがたさが身にしみていらっしゃったから、
言えることだと思いますけれど…。

しかしこの言葉、当時の私にしてみれば、かなりキツい言葉だった。

でもある時、思ったんですよ。

たとえ我が子に嫌悪感を抱く人間であっても、
やはり子供を「捨てる」という行為は、かなり大きな決心、
つまり、罪悪感を覚えることです。

普通の人間はそんな度胸はないので、
常日頃からネチネチと憂さ晴らし的に子供をいじめながらも育てていっても、
子供は日々成長していくので、なんとかそれなりに育っていくものなのです。

だからといって、身体だけは育っているかもしれないけど、
心はズタズタですよ。

それに子供って親にニグレクトされちゃうと
すぐに死に直結するってことが本能的にわかっているので、
いろんなことに耐えているのです。


まぁ、別にこのトピは毒親について語るものではないので、これぐらいにしておきますが、
人間本能に従って性交すれば、若くて健康な男女だったらすぐに妊娠するし、
妊娠して産んだからには、育てなきゃって義務が生じるのですよ。

そこに愛が10%か20%、生じていたからといって
どうして子供が、親をずっと敬い続けなきゃいけないの?って話なんですよ。

あ、別に私は親は敬っていてもいいと思います。
でもそういう親って、子供が成人に達していても、支配しようとするからタチが悪い。
しかも「アナタのため」とか言って、妙な干渉をしてくる。
これが一番問題ですよね。

私はなぜ、親と付き合うことを止めたのかといえば、
これ以上親と付き合っていると、
自分の人生なのに自分らしく生きられないなって
思ったからです。

今更、親のことを、ものすごく嫌いとか、憎いとか思っていないです。
強く憎むってことも、したくないですね。

どうせなら、楽しく過ごしていてくれたらいいなとは思うのですが、
しかしこれ以上付き合いたくないのです。
なぜかといえば、私と親との価値観は乖離している。
美しいと思う行動の規範も、
お金の使い方も、
何もかも違いすぎるのです。


自分の好きなことを親に知られたくないし、
今自分がどういう気分でいるかを教えたくない。
喜びを共にしたくないんですよ。
というか、喜びを共にすることなんか未来永劫ないとある時わかったからです。

要するに親と「離婚」したようなものです。


まぁ、これらは非常にわかりやすい例として出してきたのですが、
なぜ、こんなふうに旧約聖書の時代から親を敬えだの、
「亀の甲より年の功」とか敬老しろとか、
あとは、男尊女卑とか。

こんなのは、そういうシステムにしておけば、上に立つ人たちが楽だからです。

無能な暴走老人であっても、「男」で「年寄り」だったら、
大事にされるシステムが便利だったからです。

ということは反対に、大変有能な人であっても、「若い女性」だったりしたら、
それだけで世の中に出ていくのは難しかったのです。

30以上前の日本は年配の男が常に頂点に立てるようにシステムが出来上がっていたのです。
先だって、森喜朗さんの女性蔑視の言い草を聞いていると、
森さんの中では、30年前の規範は今も生きているんだな、
やはりシーラカンスと言われても仕方がない。


ここで考えて欲しいのですが、
人って「葛藤」することが嫌いなんですよ。
「親や老人、男」を敬うのが常識だったりしたら、
「そういうもんだ」で流されてしまうのが楽だったりするんです。

だって、「私は女だけど、めちゃくちゃ有能なんだから、頭の悪い兄ちゃんに代わって進学したい」
っていうと、ものすごく周りと闘争しなきゃならなくなるじゃないですか。

日本って「和を持って尊しとなす」国だから、こういう争いごとを
起こす女は、昔なら徹底的に弾圧されたけど、
今は私の若い頃よりはだいぶマシになってきました。

私は若い頃から気管支が弱くて、隣の席でおじさんがタバコを吸っていたりすると
本当に苦しかった。
だけど、当時のお局さまなんて澄まして言いましたね。
「そんなに煙けりゃ、あなたが会社を退職すればいいの」
時代はつくづく変わったなって思います。


だからたとえごく小さなことであっても
自分で考えて決心するべきだと思うんですよね。

そのとき必ず、葛藤はつきまといますが、
物事にはメリット、デメリットの両面があると思うんですよ。

それでも自分らしく生きていくために、
よく考えて、結論を持っていく習慣をつけるようにすべきだろうな
って最近つくづく痛感します。


考えるといっても、ただ、自分の頭だけでグルグルしているだけではなく、
時には本など紐解いて、専門家の意見などしっかり読んで、
参考にするべきかなと。

そのほうが、なんの知識を持ち合わせていない知人や友達に相談するより有益です。
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秘密の共有 [雑文]

こんにちは。sadafusaです。

昨日、とうとう約半年に亘って行ってきた断捨離、ついに終了しました。

最後の難関は、主人が子供の頃に使っていた学習机だったのですが、
どういうわけか、突然、遺品整理の業者がやってきて、
大型ゴミはないかと聞いてきたのです。

学習机は3階にあったので、夫婦ふたりで持ち出すのは
結構厳しいものがあるなぁ~と思っていたのでした。

まさに、渡りに船!でした。

多少、高めなのかなぁと思いましたが、
前回の1万円の机に比べれば半額以下。
しかも、処分するのに困っていた、
一眼レフのカメラ、そしてテニスラケット。

ただのゴミとして処分するには、ちょっとためらうものばかりでした。

とにかく、第3国の人でもいいから、使ってくれる人がいればいいや、
と思い、タダ同然で引き取ってもらいました。

こういうものって、いらない人からすれば、タダのゴミだけで
欲しい人にしてみれば、お宝だったりするので、
なんだか、足元見られているようであんまり、気分は爽快!ってわけじゃないですけど、
まぁまぁ、それでもよかったです。

とりあえず、ミッション完了!ということです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、今日は女の人が大好きな秘密の共有という話について
自分の思うところをここに記そうと思います。

私ね、個人的に誰にも漏らしたくない秘密というのは、
基本的に誰にも教えませんね。
秘密があって、誰にも話せない場合、私は守秘義務のあるカウンセラーさんみたいな
第三者に話しますね。
それが一番安全です。
間違っても、家族とか友人には話しません。

まぁ、悩みがあれば、ごく親しい友人に相談することもありますが。

だって、自分ひとりの胸におさめておけば、その秘密はなかったことになるからです。
それがですね、昔から「王様の耳はロバの耳」の話の喩えもあるように、
秘密というのは、誰かに話たくなるものらしいです。

それも、たいていその秘密というのは、それを話したところで、
自分の周りに安全が脅かされない、
あるいは著しく損害を被らないものであれば、
人はその秘密を黙っていることができなくなるものらしいです。
(自分の恥になるような秘密は、黙っているものです。
 例えば自分がテストで0点を取ったら、それは未来永劫封印されるけど、
 たまたまとなりの席の子の答案みたら、0点だったら、誰かにどうしても
 いいたくなる秘密になるんだよね)


ですから、ですね。
こっちに確かめもしないで相手が一方的に秘密の話をした最後に
「あんな、これな秘密やし、誰にも話さんといてな」
っていう話は、私は基本的に守らなくてもいいと考えています。

だって、これは事前に「あんな、これから私に秘密の話をしたいんやけど、
誰にも話さないと約束してくれるか?」って訊いてきたわけじゃないもん。
こんなの、後出しじゃんけんじゃないですか。


まぁ、こう言われたところで、私は面倒くさいので
「ああ、秘密を守れる自信がないから話さないでくれる?」
って断りますが。

そうじゃないのに、一方的に自分が黙っていることが出来なくて、
べらべら喋った挙げ句、こっちに責任転嫁してくるなんて
どう考えてもおかしい。

でも、女性は秘密を他人に話したがりますね。
誰にも話せないような心の内を、ある特定の人に打ち明けることで、
「あなたは特別」という、結束を強めるのですよねぇ。

よくある手だと思います。

でもさ、最近思うのが、そういう連帯が強まることを見越して、
実はその当事者にとってはさほど大事でもないようなことを
いかにも秘密めかして「他言無用」といって秘密をばらしてくる人。

これね、他人から見たら、自分が相手にへりくだって、
その人の軍門に下るように見えて、実はマウント取っている場合も多々あると思うんだよね。

「こんだけの秘密をアンタに教えたんだから、あんたは私に従うべきだ」
みたいな?

なんか、ぼぅっとしているとそういう心理に陥りやすい。

だけど、人はそうそうトラウマになった自分自身の屈辱にまみれた過去の傷なんか
不用心に人に漏らしたりするはずがないんですよ。

たいていは本人のプライドが傷つかない程度のものなんです。

結局、秘密なんて口を開いて漏らしたとたん、全然秘密なんかじゃないんですよ。
「これな、ここだけの話なんやけど、」という但し書きがついて、
どんどん拡散していくもんなのです。

そういうふうに、秘密を洗いざらいしゃべる人間には気をつけないと、
と私自身は距離をとるようにしています。


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断捨離・終盤に向かいつつあります。 [雑文]

書く時はどどんと書いてしまうのが私の悪い癖なのですが、
私、調子悪いときって、本当に別人なんじゃないの?って思うくらい
何もできなくなるんですよね。

感情の振り子が大きいので、調子がいいときに、思いついたことを
どんどんと書いていきますね。

12月から始めた断捨離ですが、とうとう!終盤に向かいつつあります。
本当に断捨離は大変な作業でした。

最初は引き出しの整理、いらない服、いらない本、いらない道具、って
少しずつ範囲を伸ばして捨てていく作業よね。

ひどいときなんかは、週二回回収に来るゴミ収集日に毎回45リットルのゴミ袋6袋分ほど
出るのが二ヶ月ほど続きましたかね。
あと、エコリングなんかで、比較的お金になりそうなブランドバッグとかもう使わない貴金属など
売りました。

一番の難関は本でしたね。ブックオフみたいなところでは、
本なんて全くお金にならないのですが、
それでも引き取ってもらえるだけましかと思って出していましたが、
あるとき、夫が昔のアイドル系に強い古本屋さんを探し出してきまして、
それは結構、高い値段で引き取ってもらえました。


で、一番の難関は粗大ごみです。
うちには結婚当初買ったテーブルがあったのですが、
それはとにかくデカかったので、市の大型ゴミ係でも受け付けてもらえず、
結局、市から紹介された民間の会社で引き受けてもらうしか無かったのですが、
これが妙にお金かかりまして、たかがテーブルひとつだというのに、
引取料が1万円しました!

う~ん、やはり最終的にはこういうお金も出さねばならないのねって
感じです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


断捨離をして思い知らされたことはですね。

整理されてないと、重複して同じものを買ってしまうんですね。
これ、もったいない。

お客様なんかこないのに、「もったいないから」という理由で使わない
食器がある。
自分の人生の主人公は誰なんですか?って考えなければならないってことです。
好きなものは、普段でも自分のために使うべきです。
だって、今日という日は二度とこないんです。


ミニマルな生活が、いい生活になるかどうかはその人の価値観にもよりますが、
しかしひとりの人間のキャパシティに入り切らないほどのモノがあるというのは、
管理しきれないし、心の不健康にも繋がるものなんだなぁと思います。

たくさん買い物をしてしまうのは、案外心が病んでいるときなのかもしれないと
思うようになりました。


一応、断捨離に終わったあとは、
今度はDIYのほうに移ろうかなって思っています。

我が家は子供が小さかった頃に建てて、築30年ぐらい経っています。
階段なんかぼろぼろなんですよね。
とはいっても新しく取り替えるってほどでもないです。

じゃあ、電動やすりで表面をなめらかにして
思い切って、きれいな色にペンキを塗るのもありかなぁと思ったりして。
基本の色はだいたい3色に抑えるのが、家がきれいに見えるコツなんだそうです。

うちは白と焦げ茶と、差し色でグレーピンクの3色がメインなので、
それに絞ろうかなと。

この間、DIYのyou tube見てたらベンジャミン・ムーアというステキな塗料屋さんを
見つけました。
白は白でも、真っ白だと却って不潔な感じがするので、白に近い色で探したいと思っています。

考えている時が一番楽しいときですね。

ではではでは。


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単なるBBAの暇つぶしになるか、ステキな趣味なるか、の境界 [雑文]

こんにちは、sadafusaです。

先日、大阪は梅田に行く用事があったので、
久しぶりに阪急線に乗りました。

で、昼前についたので、どっかでご飯食べようということになり
夫の趣味に従って、「昔風洋食」の店に入ったのですが、
食後のコーヒーのほうは、私の趣味に従ってもらいました。

実はね、バーンホーフってお店に行きたかったの。
ここはバッハコーヒー・グループに属しているお店で、
カフェ・バッハの創設者、田口護さんが監修しているお店らしいです。
で、先年大阪で開催されたサミットのとき、バーンホーフさんが
大阪サミット用のブレンドコーヒーも作られたそうで、
今でも大阪サミットコーヒーが飲むことができます。

夫はストレートじゃなくて、ミルクも砂糖も入れる人なので、無難に
バーンホーフ・ブレンドっていうのを頼みましたが、
私はキリマンジャロのストレートで。
普通キリマンジャロって酸味が強いので、どっちかというと
私は苦手なんだけど、ここのは特別。

まぁ、ここで他のを頼んでもいいんだけど、
(焙煎した豆をその都度、細かく砕いて、丁寧に入れてくれるので、最高なんだけど)
とにかくね、一杯1500円ぐらいするから、それはやめました。

その代わりに、とても気になっていた、ミャンマーと中国の国境あたりで栽培されたという
その名も美しい『翡翠』って銘柄の豆を200グラム買って帰りました。
(ゴールデントライアングルで栽培しているのがとても気になるね。隣の畑には大麻が植えて有りそうでこわいw)
この豆、100グラム1500円もするんだけど、家に帰って飲めば、一杯150円だから
お土産としてはそれほどコスト・パフォーマンスは悪くないと思うのよ。

ここのお店、妙に気取りすぎているわけでもなく、
さらりとした接客が気持ちいいです。

それに、食べないけど、ドイツケーキのデザートを提供しているのね。
私は個人的にドイツケーキが世界で一番、手がかかっていて美味しいと思うので、
いつか、食べてみたいなって思わせてくれました。


だけど、店員さんがくどいくらい念を押したのが、
「お席は一時間しか確保できません」ってたしか、三回ほど言われたかな。
ちょっとびっくりしたんだけど、それは逆にいえば、コーヒー一杯でず~っと
しゃべくりまくるBBA連中がたくさん来るんだろうなぁって思ったのよね。

~~~~~~~~~~~~~~~~

ここから本題。

BBAって言うけど、私だって歴としたBBAでそこは自分でもわかっています。
だけどBBAの何が怖いかって言うと、
BBAってほとんど単独行動をしないのよ。
もしくはカップルで行動することがない。

たいていBBA3人ぐらいを最小単位として行動することが多い。
するとね、群れなす効果っていうか、本当に(女三人寄れば、姦(かしま)しい」との
ことわざ通りに、傍若無人に振る舞うのよね。
話し声もめっちゃでっかくて、あられもない内容だったりするしさぁ。

こっちは、ちょっとした非日常空間というか、祝祭感を味わおうとしているのに、
こんな現実そのもの、猥雑さそのもの、みたいな空気はいらんわけよ。
…迷惑です…。
気をつけようね。

~~~~~~~~~~~~~~~

で、そのあとバーンホーフの近くに輸入専門みたいな毛糸屋さんがあったんだよね。
しかし、飾ってあった参考商品が、実に実に、良くなかった。

見ただけで編む気も萎える、「これぞBBAの自己満の真骨頂」以外の何物でもない、っていう
セーターがありました。

だいたいにして、段染めにした糸でアラン編みにする、その魂胆がわからんわ。

アラン編みっていうのは、無地、もっといえば白っぽい糸で編まないとあんまり意味がないと
思うんだよね。だってさ、ギリシャ彫刻がなんであんなに静謐で美しいかっていうと、
白いから、その凹凸によって出る陰が美しいからだよね。
なのに、だまし絵じゃあるまいし、遠くからみたらレインボーカラーのただのセーターですが、
近くによってみれば、すごい模様がありました!
これはすごい!

ってことになるじゃん?


こういうの、普通の感覚の人は絶対に着たくないよ。

あとね、アラン模様でも全面で「これでもか! これでもか!」って超絶技巧をいれまくって
いるセーターもあるよね。自分の技自慢をしたい気持ちもわかるけど、
こんなてんこもりのセーター、くどいし、重いし、だれも着たくないと思うよ。

私は、旦那が寒がりなのに、地球温暖化のせいでデパートに温かい素材で編まれたセーターが消えたから、しょうがなくてメンズセーターを自分で編もうと思ったのが、そもそも、ニットを編むきっかけだったのだけれど、

とにかく、メンズニットの本でさえ、そのまま編んだんじゃ、ロクな仕上がりにならないってことが
散々編んでみてわかったわよ。

たいていのニット作家さんが編んだものって、男の人の身体にフィットしないのよ。
ただ、インスタ映えするように、セーターだけみていればきれいだよ、たしかに。
だけど、実際、来てみると、裾や襟口はガバガバッテ物がほとんど。

男の服って、女の服のようにちょっと大きめの服を着崩すようなふんわり感は基本的に
いらんと思うのよ。
それに、変に凝っているのもダメだと思う。どこかヌケ感がほしい。

それでいて生真面目一辺倒っていうだけでもダメで、どこか遊びごころがほしい。

そういうのがsadafusaが思う、理想のセーターなんだけどね。

今までのニット人生で何が一番うれしかったかというと、
婿がロンドン芸術大学で3D学んでいた時、ファッション部門のセントラル・セント・マーティンに通っている男の子たちが、婿に向かって
「おしゃれなセーター着てるね、それ、どこで買ったの?」
って聞かれたってこと。
ものすごく名誉に思っています。

おしゃれなセントマの子たちに私のセーターが「おしゃれだ」「既製品かと思った」て言われたなんて。
まぁ、それはタマタマ上手く言った例であって、いつもいつも、ヒットを飛ばせるわけじゃないけど、
自分の頭の中では「これこれ、こういうセーターが理想だ」っていう青写真は常に持っているのよ。

最近、編み物自慢のBBAと付き合っているのが耐えられなく成ってきたのは、
そもそも、編んでる目的が違うから。

やっぱり、編む以上は他人に「さりげないけど、いいもの着てるな」って思われたいじゃない?

そこが客観的、俯瞰的視点のないBBAの単なる暇つぶしになるか、
ステキだなと思われる趣味になるかの分岐点だと思っています。
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感情はその人だけのもの、 [雑文]

こんばんは。sadafusaです。

前回のコメントでもちょっとだけ書いたけど、
バラねこさんとのコラボ漫画、閲覧数も1600越えました。
たくさんのスキ、たくさんのブックマーク、ありがとう!

バラねこさんの明るくてコミカルで現代的な画風が
私の暗い話を蘇らせてくれたというか、

コラボのおもしろさ、ってというものを
しみじみと感じているところです。

えっと、もちろん、pixivで閲覧するだけでも楽しいけど、
今、ブースの方でも販売しています。価格は350円かな。

すごい、あのクオリティで350円は激安だと思います。
冊子にしかない、特典もいくつかありますので、興味のある方はぜひ、
部数に限りがありますので、早いもの勝ちです。

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さて、今日は自分の感情について話そうかなって思います。

実はね、最近どういうわけか暗いのね、春がきたというのに。
なぜなのか、自分でも原因不明なの。
まぁ、もしかしたら栄養バランスが偏っているとか、
そういうフィジカルな問題から来ていることもあるかなって思います。
(人間のメンタルなんて、しょせんそういう脆いもんなんですよ)

最近、以前みたいに夜眠れなくて悶々とするってこともないし、
それなりに、毎日つつがなく暮らしているというのに、
これはどうしたことでしょう…。

昔、そう、子供の頃のことだけど、
悲しくて泣いていると
「おまえは本当は悲しくなんかない!
 大げささんだ。親の気を引きたいから泣いているんだ!」

って、そういうネガティブな感情表現する度にめっちゃ叱られていたのよね。
そのときは、そんなもんか、自分って悲しくないのに、悲しいそぶりをしたりして
下品だよなぁ、みっともないよなぁって、反省していたのね。

すると、成人しても、その癖って抜けなくて、
もし、瞬間的に何か切なさとか理不尽さとか感じたとしても
それは自分がよこしまなことを考えたからで、
本当は自分は悲しくなんてないはずなんだって、思っていたというか、
そういう風に考えるようになっていたんだよね。

そうすると、なんての、すごくいじめやすい標的になってしまったっていうか、
だって絶対に怒らないんだもん。
やっぱ、人間は自分の尊厳を守るために
怒るときには怒らにゃあかん。

ピエロのように泣いているような、笑っているような、
おそらくそういう表情をずっとしていたんだと思うんだよね。

だけど、あるとき、それは間違いだということに気がついたんだよね。

人が何と言おうと、立場がどうであれ、
そのとき、私が「悲しいな」と思うことは、間違いとか、間違いじゃないとか
他人があれこれ言うべき領域の事柄じゃないんですよ。

あとね、だいぶ昔にサヨナラした知人がいて(もはやその瞬間に友人じゃないね)
そのとき、うっかり自分の悲しみをそんな人に話してしまった私も私だったんだけど、

その人はね、「世の中には、あなたよりもっともっと悲しい思いした人なんかどれだけだっている」
って言うわけよ。
そりゃ、そうでしょーよ。相対的にみれば
わたしのそのときの悲しさってちっぽけなありふれたものだったのでしょう。

そのときね、「あ、そうなのかな」って納得してしまったんだけど、
(私って吟味して思考する前に、「私が悪いんだ」って条件反射で思ってしまうんだよね)
でもさ、今になってよくよく考えればですよ、
そんな感情の相対化なんて、何の意味もないってことよ。

たとえば、肉親をなくした人がいたとか、失恋した人がいたとか、
その人が悲しい思いに包まれている時、
「そんなことは世の中によくあって、そういう思いをしている人なんかなんぼでもいる」


なんだよ、そしたら、世界で一番不幸と認定された人じゃなきゃ、
「悲しいな、切ないな」って感じたり、思ったり、言ったりしちゃいけないのかよっ!

アホか!



こんなこと言ってくる人間なんか、蹴っ飛ばしておけばいいってことよ。

どんなに高貴な身分の人であろうと、
他人に羨ましがられるような立場の人であろうと、
その人がそう思うことに、他人がつべこべ、言えないんですよね。

お釈迦さんだって、一国の王子サマで綺麗なお妃さまもいて、
息子も授かったばかりだったのに、なんか虚しくて出家したんでしょ?
そしたら、アンタ、お釈迦さんに言えるの?
「王子サマでいい暮らししてるくせに、何が悲しいのよ?」って。

感情とはそういうものです。
私は、長い間、感情に蓋をしていたので、
自分が今どう思っているのかわからないって期間が
結構長くつづきましたかね。

今日は、天気も良かったし、道を歩いていたら木蓮の花も美しく咲いていました。
それでも、「なんだか悲しいな、切ないな」って思う今の自分のこの気持ちを大事にしようなーんて、
改めて思う、この頃でございました。

最後に大江千里の歌をご紹介します。
昔の歌人はうまいこと言うなぁ~って思いますね。

月見れば
ちぢにものこそ
悲しけれ

我が身ひとりの
秋にはあらねど


ま、季節的には違うけど、春も秋も気温が不安定だから、
こういうふうに人はおセンチになりがちなのかもねw


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接客態度って…? [雑文]

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ここしばらく、店員さんの接客態度ってなんだろうと思うことが続いたので、
そのことを書いてみたいと思います。

今日はですね、全国チェーンで有名な花屋さん、
通称◯フラと呼ばれているところでお花を買ったときのことを書きますね。

私はちょっと最近まで、ものすご~く有名なところでお花を習っていたのですが、
今ちょっとわけあって、休会しているのです。

でもたまに、ものすごく心が沈んだときなど、花を活けると
心に活力が蘇るので、街角の花屋さんで買うこともあるんですよ。

いい花屋さんというのは、やっぱり一に、花の種類が多いことです。
しかも、ただメインの花が多いだけじゃ及第点は出せません。
花はメインの花、サブの花、アクセントの花、そしてソレを取り巻くグリーンと
すべての要素が満たされてなきゃ、きれいにアレンジすることは難しいと感じています。

バラとかラナンキュラスとか主役級の花も大事だけど、
そういう主役級の花と花との間には、サブの花でつなげる。
そして、変化を出したいので、少し全体の色調とは違う、アクセントカラーの小花とか
実とか、つぼみとかがほしいのね。
そして、アレンジの土台であるオアシスを隠すためにグリーンが必要になります。
まぁ、ルスカスみたいなのが無難ですけど、それでも時には利休草みたいなツル性の
グリーンをアクセントに入れたりすると、とても優雅な雰囲気が出ます。

最近はニコライ・バーグマンみたいな、箱にずらっとバラの花を敷き詰めたスタイルも
結構人気がありますが、私はどっちかというとああいうのが苦手。

で、アレンジもどっちかというと、気取りすぎない田舎風っていうか
自然で優しい感じのものが好きですかね。


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まぁ、でも、こういうのを全部満たしている花屋ってあるにはあるけど、
実際、そうは多くない。

それで、まぁまぁの花でいいや、と思って映画みた帰りに
件の花屋へ行ったのですが、
そこの店の店員の接客態度が最低だった!

私はその時、ピンクのラナンキュラスをメインにしようと思っていて、
サブは何にしようかって悩んでいたんですよ。
ピンクだから全体をピンクにして統一感を出すすべきか、
補色をもってきてパキッとしたスタイルにするかどうかとか悩んでいたわけよ。

で、ニゲラを見て、「これって水色だしな~」とか考えていたんですよ。
そしたら、店員はあからさまに『コイツ、めんどくさそうなババアだわ」って思っているのが
丸わかりで、ちらりと私を一瞥すると、店の奥に引っ込んでしまったんですよね。
普通だったらさ、
『ラナンキュラスをメインにされるんでしたら、このお花なんかいかがですか~」
とかきちんとした店なら接客するよね。
接客のアドバイスが適確だったりすると、
「ああ、この人、センスがあるわ」とか
客の話を熱心に聞けば、
「ていねいな人だなぁ」って好感もつじゃない?

わたしは別に、店員さんに媚びへつらってもらいたいわけでもないし、
客だからって必要以上に尊大な振る舞いをしたいと思っているわけじゃない。
ただ、気持ちよくお買いものをしたかっただけよ。
それなのに、なぜ接客するのをやめて、(客は私しかいかなかった)
奥へ引っ込んで、事務仕事をするんだろうか???

「えっ? 私、勝手に花を取っていいの?」

って感じで仕方がないから、花を選り分けて取っていたんですね。
それで、持っていったら、また面倒くさそうな顔でニコリともせず、
「花は勝手に取らないでほしかったんですけどね」

カーッ、どの口で物を言う? おまえだろーよ。

で、ボソボソ言うので、聞き取ろうと近づいたら、
「あ~、コロナが移ると怖いんで近づかないでください』とかいうわけよ。

でもさ、私、少なからず結構お金払ったんだよ、その店で。

だいたい、世知辛い、この世の中、だいたいおばさん以外、
どこのだれが、こんなにお金を使ってくれるというの!
買い物で一番大事なのは、『いい買い物をした」という
満足感だと思うんだよね。
気持ちがほっこりすることだよね?
なんで買い物したのに、こんなにイヤな気持ちにならなきゃいけないの~???



世の中を回しているのは、口幅ったい言い方だけど、
年配の女性だよ!

若い子なんてお金がないから、せいぜい使って1000エンぐらいが関の山でしょう!
花なんてぶっちゃけて言えば、ナマモノだし、食べてお腹がふくらむものでもないし、
純粋にあってもなくてもいいものなの。


私はもう、二度とそこのお店には行かないとそのとき、強く、強く思いましたね。

その店員は客をなめている。
そこの花屋はそこそこいい花を揃えているんだから、
もし、もう少し、接客態度がよかったら、
私は満足して、「ああ、またあそこで花を買おう』って思うでしょう。

お買い物って自分が払った以上の付加価値があれば、
客は満足するものなの。

反対にどんなに安くても、自分が払ったお金より満足がいかなかったら、
「あ~、損をした」って思うものよね。

そこがここの店員はわかっていない。

で、最近、そういう慇懃無礼な店員が多いような気がするんだよね。

こんな店員に嫌な思いをさせられるくらいなら、
アマゾンかなんかでネット購入するほうがどれだけマシだろうって思うのよ。

花には原価もあれば、そこの店のテナント料、そしてその店員自身の人件費も
入っているんだよね。

じゃあ、おまえ、自分の人件費以上の仕事しろよって強く言いたい。


私、だから最近、自分が行く店は結構厳しく吟味して選んでいます。

努力しない店は淘汰されるのダ。

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冷えた心にひとつの情念 『霧(ウラル)』 [読書・映画感想]

最近、サボって読書感想文描いてこなかったわぁ。

くだらない愚痴ばっかり書いていてさぁ。

でも、本を読まない日というのは、ほぼないです。

さて、今回ご紹介したいと思うのはこの本です!ジャン!

『霧(ウラル)』

霧 (小学館文庫)

霧 (小学館文庫)

  • 作者: 桜木紫乃
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2018/11/16
  • メディア: Kindle版



このタイトル、気になりますね…。
霧と書いて、「ウラル」と読ませる。
このウラルというのは、いわゆる「ウラル・アルタイ語族」のウラルでしょうか?
とするとウラル山脈というのは、霧山脈という意味だったのかな?


日本ってごくごく当たり前に使っている言葉でも
意外と知らないで外国の言葉使っていることあるんですよね。
例えば、「イクラ」と「明太子」
イクラってロシア語らしいですよ。
それも鮭の卵じゃなくて、魚の卵ならすべて「イクラ」
明太子はもうちょっと複雑で、朝鮮渡りなのは明らかなのですが、
でも、ルーツを探っていくと、ロシアでも「ミンタイ」と呼ぶらしいので、
ロシア→中国→朝鮮→日本へと伝わったんじゃないかという話です。

あ~、また、言葉の迷路にハマってしまった!

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さて、本筋に行きましょう。

私ね、以前から書いているように、桜木紫乃さんって好きなのね。
なんでかっていうと、彼女の地の文がものすごく、美しいから。
特に情景描写で登場人物の心象風景を表現することが非常にうまい。
でね、桜木さんのお書きになる人物っていうのは、
感情がめったに高揚したり、沈んで悲しんだりしない
冷めた人が多いのね。

普通、人って「もっと幸せになりたい」っていう欲ってもんがあると思うの。
ところが、桜木作品の大抵のヒロインは、ものすごく美しくて、
しかも才能も気骨もあるくせに、それを発揮することなく
さらなる幸せの追求をすることがない。

それって「己の分際を知」っているから、慎んでいるっていうのとも
ちょっと違うと思うし、そこらへんが、いまいち私にはわからないところなんですねぇ。

彼女の創作した人物の心持ちっていうのを想像していると、
なんかいつも必ず、『嵐が丘』のヒースクリフを思い出すのね。
あの人もなんか不可解な人じゃん?




彼女の書く小説の舞台はそのほとんどが北海道、
それも小樽とか函館とか札幌みたいな拓かれたところじゃなくて、
いつも舞台は釧路あたりの道東なんだよね。
今回の舞台は根室ですよ。

根室半島から見ると、あらら、北方四島が目の前に!
こんな目と鼻の先が外国っていうのも、不思議な気持ちになるもんです。

おそらく、北海道に住んでいる人だって、こんな根室とか釧路みたいな
遠いところへ行ったことない人もすくなくないんじゃないんじゃないかなぁと
思いながら読んでいました。

根室ってとんでもないど田舎なんじゃないかと思ったりするんですが、
(行ったことないから実際、どうかはわからないのですが)
意外と海とヤクザって切り離せないものらしいです。

だってさ、魚って別にオリに入れられて飼われているわけでもないから、
「これは日本の海で取りました」って取っているところを見られさえしなきゃ
言い張れるじゃない?
それにさ、ロシア人はおそらく昆布なんか食べないから、日本人に売りつけたほうが
利益になったりするじゃない?

そういうね、国交が正常化していないのに、闇で取引されるものって意外と多いものらしいのね。
マグロ漁船に乗り込む人だって、あんまり過去を詮索しないものらしいよ。
だから、世の中からはみ出した前科者なんかも多いって聞くし。

とにかく、銀座なんかの一流のお店で、おいしい食材だったらどんに高くても
買います!っていう需要がある限り、こういう商売は廃れないってことよね。



さて、時代は昭和30年代の中頃。
根室を牛耳る河之辺水産の社長には娘が3人いた。

長女の智鶴、次女の珠生(たまき)、三女の早苗。

でヒロインは次女の珠生。
この人は親に反発して、15の時、地元の根室で
芸者になるんすよ。

私だったら、そんな親が住んでいるところの目と鼻の先で
しかもそんなしょぼい花街なんかで芸者しないで、
もっと東京の新橋あたりで修行したいなと思うんだけど、
しかし、珠生はそうしない。

まぁ、それで20歳のとき、闇稼業の男、
相羽重之(あいばしげゆき)のことが好きになる。

でねぇ、これ、夫が言うには、高倉健が演じたらピッタリだったっていうの。
でももう、おなくなりになっているし、
私だったら、そうだなぁ、舘ひろしかなぁ、
でも舘ひろしさんもステキだけど、もうかなりお年だしね、
今だったら、案外玉木宏でもいいかもしれない。

ぱっとみ、彼もしゃべらないクールな男を演じられるような気がする。

で、ヒロイン珠生の方なんだけど、思いつくとしたら、
夏目雅子以外にはいないような気がするんだよね。
絶世の美女だし、今の女にはない、芯の強いものをもっているじゃない?
いつもはひっそりとしていても、いざとなったら、啖呵を切れるような凄みがある女性。

あ、若い時の岩下志麻でもいいかもしれない、そういう意味では。


組の親分の肩代わりにムショに入る前の晩に、
珠生と相羽は野付半島へと車で向かう。
車の中で、相羽は自分の生い立ちを語ってくれた。
戦争でソ連軍が攻めてくるまでは国後島に住んでいたのだと。
だけど、追手から逃れて船で逃げようとした時、大波にさらわれて、
相羽以外の家族全員は失ってしまったのだと。


珠生は、そこで決心をする。
この人から離れない、と。

小説の中では、一度も『愛している」みたいな甘い睦言を交わすシーンなんてないんですよね。

相羽は裏稼業をしている人間らしく、籍を入れて妻となった珠生でさえも
打ち明けれられない秘密をいくつもいくつも抱えている。
しかも、自分以外に女もたくさん囲っていることも知っている。
でも、彼女は夫がその女たちの中から自分を妻に選んでくれた、
その気持だけを頼りに生きているんですね。

あるとき、ヒロイン珠生が、相羽とその愛人にばったり鉢合わせするシーンがあるんですが、
それが圧巻です。







 珠生は過去いちばん気遣いを込めたお辞儀をした。喜楽楼の玄関での見送りでも、こんなに心を込めたことはない。己をおとしめないためにする挨拶だった。心を込めて頭を下げなくては挨拶のあの字にもならない。下げた頭の隅に、自分という女の輪郭が浮かび上がった。


「お出かけのところに、あいすみません。相羽珠生と申します。主人が大変お世話になっております。近所に用足しに参りましたところ、うっかりお宅の前を通りかかりました。夕どきに無粋なことで、お許しください」




すごいねぇ~。いくらヤクザの親分でも、自分の妻にこんなふうに言われちゃったら、ぐうの音も出ないわ。ヒロインは惚れた男に邪魔な女、無粋な女、足手まといな女と思われなくないんでしょうね。まぁ、こんな気位の高さこそが、男が惚れる要因なんだと思うけど。

で、もともと親の敷いたレールに乗るのが嫌で、芸者になった珠生は、夫が愛人やら妾を増やすたんびに夫に嫉妬して泣きわめいたりしないかわりに、金で買える着物とか宝石とか買うようになる。それも生家の人間が着るようなお上品なものでは決してなく、かと言ってかつて芸者をしていた粋筋のスタイルでもなく、それはまぎれもなくヤクザの姐さんスタイルになっていくんだけど。

だけど、姉が地元の有力者でかつ国会議員に出馬しようとする男と結婚するあたりになると、だんだんと雲行きが怪しくなるんです。
姉が言うには、相羽は国会議員になるための資金を裏稼業で稼いでいるらしいとのこと。

二重三重にくるまれた嘘。
その嘘の中でも、毅然として生きていこうとするヒロインの姿には
心動かされるものがあります。

決してヒロインの夫、ヤクザの相羽は優しくないんですよ。
それでも、その中でひとつ、ふたつ、ちょっとでも優しい言葉をかけられると
珠生はそれを一生の宝として、心の支えとして生きていこうと思うのですね。

しかし、姉の夫が国会議員に当選した直後、
裏稼業をしていた相羽は、口封じのために何者かに殺されてしまう…。

さめざめとした愁嘆場もなく、淡々と葬式をこなすヒロイン。

やっぱり、『鬼龍院花子の生涯』でヒロインを演じた夏目雅子のような人が
演じるのがいいなと思いました。


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