未来は過去を変えられる 『マチネの終わりに』平野啓一郎  [読書・映画感想]

みなさま、こんにちは、sadafusaです。

もたもたしているうちに一月ももう、半分過ぎようとしていますね。
みなさま、お元気でいらっしゃいますか?

去年もコロナ一色でしたね。
デルタ株が収まったら、今度はオミクロン株ですか?

もう政府も世間も疲れ果てていますよね。
しっかりワクチン打ったのに、また、コロナは蔓延していますもん。

収まるのを待っていたら、人生が終わってしまいます。
また、密を避けてひとりで仕事していると、必然的に言葉数が減りますね。
人間、一日にある程度しゃべらなくなるとウツになるようです。

やはり、人と人との交わりは大事かなと痛感しますね。


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さて、いろいろとやらなければならないことはたくさんあるのですが、
あんまり気がめいっていたので、大好きな小説の世界にふけろうと思い、
年末、年始にかけては好きな作家さんの本を何冊か読みました。

今日は、特に印象的だった小説、『マチネの終わりに』をご紹介しようかなと思います。

平野家一郎さんって、昔からすごく好きな作家さんです。
作家さんってたいてい博学なもんですが、この方はなんか特別ですね。
「なんでそんなことまで知ってるの?」って思いますわ。

それでもって、いろんな文体でいろんなジャンルの物語が書けるという
稀有な存在でもあります。
そういう意味では、ちょっと日系の英国作家のカズオ・イシグロにも似てるかもしれないですね。

で、たいてい作家さんは文章巧いのは当たり前とは思うのですが、
いつもへぇ~っと思うような単語をさらりと使われますよね。
「醇化」なんんて言葉、私、この小説を読んで初めて知りましたわ。


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さて、この小説のテーマはおそらくですが、
「過去おこったできたごとは、現在あるいは今起こったことで、それまで認識していた意味が変わる」ということでしょうかね。


最初、この小説のヒロイン・洋子の祖母が、洋子が子供のころおままごとをしていた石に躓いて、転んで死んでしまう。

すると洋子が
「これまでこの石は子供の頃の幸せの象徴のような意味を持っていたけれど、
祖母がこの石のせいで死んだから、これまでと同じ気持ちで見ることはできない」
っていうんですよね。

だって、その石が原因で祖母が死んだという新たな事実が植え付けられたなら、
これまではその石は幸せの象徴であったにせよ、それが書き換えられて、悲しみが喚起させられてしまうじゃないですか。


まぁ、過去は未来によって変わるというのは、そういった意味なんだろうと思います。



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あらすじは熟年の男女の恋の話なんですね。

男は天才ギタリスト、女のほうは雅子皇后陛下のような才色兼備。
天才ギタリストは世間を探せば、結構それなりにいるような気がしますが、
こんなふうに雅子さまのような女性はそうそういないんじゃないか?とちょっと思いました。

幼少は母親の故郷である長崎で過ごすのですが、その後、母親はスイス人と再婚し、洋子は全寮制の学校へ入ります。結果的に彼女は日本語、英語、フランス語を自由自在に話すことができ、今はフランスでジャーナリストをしていました。


ヒロイン洋子は、ハーフなんです。
父親はユーゴスラヴィア人の世界的に有名な監督なんですよ。
何十年たってもその作品を語り継がれるような、、、日本の黒沢監督とか小津安二郎監督みたいな感じなのかな。

しかし、彼女の両親は彼女が幼少の時、離婚してウィキを読んでも、洋子と母親のことはなかったことになって削除されている。。。
洋子はいい大人なので、父親とはいい距離感でつきあっていますが、未だに父親がなぜ自分と母親を捨てたのかは訊けないでいました。



で、まぁ、そういう芸術家の娘でものすごく教養のある洋子には、天才ギタリストの孤独が解るんですよ。凡人には到底理解できない、言葉にもすることもできないような繊細な感覚を共感することができるのです。

天才ギタリストである蒔野(まきの)は、聡明で美しい洋子に一目ぼれしてしまうんですね。
洋子も実は、婚約者がいて近々結婚する予定だったのですが、蒔野を愛してしまうのです。

ふっ、なんかこう言ってしまうとめっちゃ陳腐なメロドラマに感じるだろうけど、それは私の
筆力がないせいなので、本当はもっと複雑で繊細です。

で、洋子はフィアンセとの婚約を破棄して蒔野と結婚する決心をするのですが、
そこには悲しい運命が待っていて…

ここから先は原作なり、映画なりをご覧になってお楽しみください。


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うちの夫は乙女男子なので、蒔野が洋子に言った愛の告白のことば、
「洋子さんが死んだら、僕も死ぬ。もし、洋子さんが自殺したら、ぼくも自殺する。
なかったことになんかできない、だって僕たちは出会ってしまったんだから」

って箇所をいたくお気に召していたようですが、そんな気恥しいセリフ、実際言われたら
女のほうは困惑するだけですよね。
いうことが許されるのは蒔野に扮していた超絶イケメンの福山雅治さんだけです。笑


それよりもですね、私がものすごく心動かされたのは、
物語の終盤、恋に敗れて人生にも失敗して、ボロボロに傷ついた洋子が
カリフォルニアに住んでいる父親に会いに行くシーンです。
そのとき、はじめて洋子は、なぜ父親に自分たち親子を捨てたのかそのわけを聞くのです。

実はその映画のせいで、政情不安なユーゴスラヴィア人だった父親は
右翼にも左翼にも命を付け狙われていたのです。

愛する妻と娘を守るために、父親は一番つらい選択をしました。
それは、妻と娘と別れ、彼らを日本に返すことでした。

母親は洋子を死の恐怖に怯えさせながら、幼少期を過ごさせたくはなかったのですね。
ですが娘にとっては母親としてベストなチョイスだったのかもしれませんが、
夫にとってはこれ以上ない冷たい妻だったと、洋子の母親は自分を責めながら生きていきました。

けれど、誤解が解けて、両親の深い思慮のうちに自分が幸せに育ったことを知り、
二親のそれぞれの自己犠牲を知って、号泣するのです。


ふたりの会話に心を揺さぶられます。

「大事なのは、お前たちを愛していたということだった。理解しがたいだろうが、
愛していたからこそ、関係を断ったんだ。そして、お前はこんなに立派に育ち、
お母さんも平穏に暮らしている。おそらく間違ってなかったんだろう」

父親が言うと、洋子はこう返します。
「でも、お父さんと一緒に暮らせなかった」

しかし父親はこう静かに断言するのですね。
「だから、今よ、間違っていなかったって言えるのは。……今、この瞬間。
私の過去を変えてくれた今。……」


映画では父親のやりとりの箇所は時間の関係でカットされていましたが、
私はこの箇所がこの小説のキモなんじゃないかなって思いました。


一見残酷に見えるようなことでも、動機が大事なのです。

そんなことを考えさせてくれる貴重な一冊でした。









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