小説と左腕と松山旅行 [雑文]

みなさま、こんにちは。

ずいぶんと久しぶりです。
この間、私は決してぼーっとしていたわけではなく、
四月の初旬から小説を書いていました。

今度のヤツはつまびらかにすることはできないのですが、
ある大名と絵師の話で、時代は江戸初期なのですよ~。

私、日本史って嫌いなので、高校では日本史とってないんですよね。
世界史は好きだったので、別にそれでいいや、と思っていました。
しかし日本に住んでいて、「日本史を知らない」ということはずいぶんと勿体ないことだな
と今更ながら思いました。

知っているっていうことは、「興味の対象が広がる」つまり「生活が豊かになる」ということでもあります。

普段、なにげなく通り過ぎるような地名、地形からでも歴史というものは感じ取ることはできます。
でもそれを「どうしてだろう?」と疑問を持つことなく、単に「そんなん当たり前じゃん」と思って通り過ぎてしまうのは人生もったいないのですよ。

今、江戸初期のお殿様の生活を調べるにあたって、参勤交代とか、お城の成り立ちとか、お殿様の日常生活とかそんなこんなを勉強してみると、実にわかっていないことのほうがはるかに多く、
本当にソンしているなと思いました。


さて、タイトルで左腕というのは、3月ぐらいから左腕がだんだんと痛んできて、
四月ぐらいには、「痛い!」ぐらいでは済まなくなったんですね。
それこそ、痛すぎて眠れないぐらいでした。

初めは整体院に通っていたのですが、ある時「これは単にコリとか体のゆがみ」といった問題ではないのではないかと思い、ペインクリニックへ行きました。

そしたら案の定、左の第二頸椎の神経が炎症していて、すぐさまブロック注射をしてもらいました。
お蔭さまで「キーン」とするような痛みは取れました。でもまぁ、まだ全快というわけでもなく。

たしか以前帯状疱疹にかかってやはりブロック注射を打ったときも、即時全快というわけでもなかったので、じょじょに治っていくのでしょう。


最後に先日、松山旅行へ行きました。
実は私、はじめて海を渡って四国へ行きました。
松山って本当にいい所ですね。
鯛めしはめちゃ美味しかったです。あこうというおさかなもお刺身もおいしかったです。

瀬戸内海は非常に幻想的な海で、土佐派の絵のような島があちこちに浮かんでいました。
今回は行は岡山から丸亀のほうへ海をわたり、帰りは淡路島を通ってバスで帰ったんですが、
初めて渦潮というものを見ました。
夕陽に輝く海と真っ赤な太陽。。。とても印象的でした。

できれば次回はしまなみ海道を抜けて今治あたりで夕陽がみたいなぁと思いました。

松山は松山城が抜群に面白く、町の真ん中にありながら、山城があるって不思議です。
今のお城は1602年に築城を始めたもので、まだ完全に戦国時代が終わっておらず、
戦争することを想定して作られているので、徳川時代の美意識とはまた別の白い壁の城ではなく、
豊臣時代の黒いお城なのがとても風情があっていいと思いました。

道後温泉にも言ったのですが、近くに伊佐爾波神社という赤い神社がありまして、
子ぶりながらも実にお金のかかった作りだったので、結構階段を上がらなければならなかったのですが、勇んでいきました。

なんかどっかの神社に似てるなと思ったのもどおりで、実は京都の男山にある岩清水八幡宮と同じ
構造の神社なのだそうです。八幡作りといわれるものだそうです。
なるほど。他にも宇佐八幡宮とか、柞原八幡宮八幡宮とか、、、


岩清水八幡宮はさすがに社殿は国宝でしたが、
この伊佐爾波神社も重要文化財でした。


あと愛媛県立美術館で、日本刀の展覧会があったので、成り行きで見てしまいました。
これまで日本刀のことなど一度も考えたこともなかったのですが、
結構ビデオが充実していまして、「太刀と刀」の違いとか、

国宝である「銘 一」というのとか「蜻蛉切り」という薙刀も見ました。

パッと見た感じですが、刀は実戦があった鎌倉時代のものが最高なのだそうです。
でも鎌倉時代のものって、見た目は地味で「ふうーん」って感じなんですよ。

だけど、江戸時代になって刀が単なる武士のアクセサリーに成り下がってしまうと
今度は見てくれが物を言うというか、こう、なんというか非常に派手な感じになりますね。

あと、昔「松井江」という有名な刀鍛冶がおりまして、その方は私が育った土地の人なので
「あんなド田舎にそんな名工がいたんだ」となんか不思議な気がしました。

日本って、やっぱり文化がそれぞれ違いますね。

今度時間があったら、しっかり風土記とか日本書紀なんかを読んで勉強したいと改めて思いました。
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