F.プーランク 『愛の小径』に寄せて [雑文]

先日、夫がBASEにてフルートのCDを買いました。

saori tokumoto.jpg

フルート 徳本早織さん
ピアノ  市川未来さん

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夫は地元の音楽家のコンサートによく出かけますが、そのとき
この方のフルートが非常によかったのだとか。

そうなのかと思って一緒に聞いたのですが、本当によいのです。

フルートのイメージとはしては銀色の音でしょうか。
鈴が鳴り響く音ともまた違い、非常にまろやかです。
フルートから発せられた銀色の音の粒がいつしか細かい光となって
蒼穹に吸い込まれていくような
それを聞いている人の心もいつしか清い音で清められていくような
そんな楽器かなと思います。


演目も非常に考えられていて、
みんなになじみのある、フォーレの「シシリエンヌ」に始まり、
ドビュッシーの「月の光」とか、美しい曲がいっぱい。

私はその中でも、ふたつの曲にとても心が惹かれました。
ひとつはE・ブロの『メロディー』。

そしてもうひとつはF・プーランクの『愛の小径』ですね。


クラシックってそれこそ、ビバルディやバッハの昔ぐらいから年代順に聞き重ねていくと、
そのうち耳が肥えてきて、近現代の音楽っていいな、って思えるようになるものなんですよね。


このふたつの曲って20世紀入ってからのものです。
私も若い時は、近現代特有の不協和音とか、不安定な半音の上がり下がりに
どうも馴染めないでいましたが、最近はそういうのが逆に美しいと思えるようになりました。




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さて、このプーランクの『愛の小径』ですが、
聞いていると、なぜか昔の「小暮サーカス」とか「木下サーカス」などで
演奏されていた「美しい天然」をちょっとだけ連想するんですよ。

「美しい天然」って聞いてもピンとこない方もたくさんいらしゃるだろうから、
昔、サーカスやちんどん屋がよく鳴らしていた曲と思って下さったら
おわかりになろうかと思います。
何なら、しっかりYOUTUBEでも検索できますので、そっちでどんな曲かを聞かれてもいいかな
とは思いますね。


「美しい天然」のイメージは一言で言うと、中原中也の詩、「サーカス」に出て来る
「ゆや~ん、ゆよ~ん、ゆやゆよん」という言葉がぴったりです。

どこか物悲しくて、うらぶれていて、健康的じゃない。


うちの息子がまだ幼児のとき、そういうものを非常に怖がっていて、
リングリングサーカスとかシルクドソレイユのような完璧に演出されて
洗練されたショーであれば、喜んで見るのです。


非常に古い話になるのですが、一度里帰りした折、
久しぶりにあった祖父母は、孫をなんとか喜ばせてやろうと思い、
ちょうどその時、郷里に来ていた木下サーカスに連れて行ったのです。

サーカスのテントの隙間から漂う、動物の糞の臭い、
薄暗い空間。

周りを見渡す息子の目には不安の影が見えました。

「大丈夫、これから面白いのが始まるから」
祖父母は一生懸命孫を励ますのです。

ですが、この美しい天然のメロディを奏でるトランペットの音が響いたとたん、
息子は思わず、吐いてしまったのでした。


今でも、何とも言えない情けない表情を見せた父や母の顔が目に浮かびます。
喜んだ顔を見たかったのに、吐かせてしまった。

亡くなった父のことをふと思い出すとき、申し訳ないことをしたなと
懐かしさと寂しさがないまぜになった気持ちになります。


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なんでこんなことを書いたかと言いますと、
「美しき天然」とこの「愛の小径」はなぜか始まる音が一緒で、
それでもってふたつとも短調で、ワルツというか三拍子なんですよ。


ですが似ているのはそこまでで、このふたつには天と地との差があります。
愛の小径は三拍子といっても、アーフタクトなんですよね。

ワルツは、1,2、3, 1,2,3 と拍子をとりますが、
アーフタクトは1,2、は休符で3から始まります。

だから短調に、おんなじ硬い調子でタンタンタン、タンタンタンと音を刻むのではなく、
タッタータ、タッタータ、と円を描くワルツを踊るように緩急があるのですね。


せめて、あのときサーカスの音楽が「愛の小径」であったらなら、
息子の反応もかなり違っていて、両親の悲しい顔を見ることもなかったのじゃないかと
考えたりします。


まぁ、しかしそんなことを覚えているのも
今は主人とわたしだけかもしれないです。


昔語りをしました。


しかし、今は秋。
フルートを聞くには絶好の季節になりました。







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寂しさと決断とコミュニティ [雑文]

こんにちは~。sadafusaです。

めっきり日も短くなりましたね。
最近、何が嫌かというと一年の経つのが妙に早く感じられるんです。

というのも、夏がめちゃくちゃ暑いじゃないですか。
もうさ、夏を楽しむって気分になれないんですよ。

じりじりと太陽に照らされた真夏のアスファルト道路なんて歩けたもんじゃないしね。

こんなに熱してしまった地表に「遣り水」なんて風情なんかまったくもってそぐわないですよね。
せいぜい、水蒸気になって余計あたりをもやもや蒸し暑くするだけですしね~。


そう、何が言いたいかと言うと梅雨が明けると、夏は秋が来るまでひたすら
凌ぐものになっちゃったってことです。

しかもうちのエアコンがまた性能悪くて~。
これまで二度付け替えようとしたけど、立地条件がこの家に住み始めたときと
かなり変わってしまっていて、大手の電気屋の下請け工事の人なんか
すぐに断って来るんだよね~。

だから、余計に辛いんだよね。
ダイキンのうるるとさららだったらもっと違うだろうに。

そう、だから夏の7,8、9,10月の中旬ぐらいまで、およそ三か月半ほど
ひぃひぃ言って耐えているだけだから、その時間の分が充実してないのよ。
だから余計に一年が短く感じてしまう。


さて、昨今は自民党と統一教会との癒着問題が取りざたされてますね~。

まぁ、別に今更そういうの、私にとってショッキングでもないというか。
うちの旦那の父親は自民党の政治家で、
こういうカルト的な宗教団体ってごそっとそのまま、いい票田になるんですよ。

だってさ、そこの教団の支部長さんが「政治家の〇〇先生を、この支部全員で盛り立てましょう~」
とか言うと、み~んな右にならえで投票してくれるんだもん。
そういうのを嫁に来た時からず~っと見てきました。

政治家っていうのは、恐ろしいもので自分の票田のためなら、
孫でも売り渡しますね。

なんとうちの義理の父親は、さる右翼系のカルト教団の寄宿舎つきの中高六年生の学校へ
私たち親を無視して、娘を入学させようと画策していました。

私はそれに激怒して、絶縁を言い渡しました。

すごいよね~。

そういう人たちなんですよ。政治家って。
人間ってお金とか権力を一度手に入れて「先生」って呼ばれると
その座を絶対に手放したくないんだなぁと思います。



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反対に、私の実母は宗教ジプシーでした。

自分を「不幸」と決めつけ、ありとあらゆる宗教団体に3~5年ほど在籍して
「ここは違う!」といってまた別の宗教へ鞍替えするんですよ。

うちの母親はちょっとボーダー気質なんかなと思うんだけど、
独断するのとか、人の反感を買うのなんかは案外平気で
それだから、宗教ジプシーできるんだよね。


でも私がこれまで観察してきて思うことは、
こういうカルト宗教というところは、
上の人が右か左か、ゆく道を決めてくれるのよ。
だから葛藤がないわけ。従っていれば楽じゃん。

決断っていうのは、それなりにしんどいもので、
右か左か、そのたびに決めなきゃいけないんですよ。

右か左、どっちにしても100パーセント全部が全部、善であり悪ということはない。

どっちもメリットがあり、デメリットがあるんだよ。
しかし決めた以上、自分自身がその後始末をしなきゃならないわけよ。

だから~、決められない、葛藤を抱えたくない、って人は
結構簡単にこういうカルト系の宗教に入ってしまうね。

それに、だいたいにしてこんなところに入る人というのは
寂しい人が多い。

それはしょせん作られたものであるにせよ、
連帯意識っていうのは、こういう寂しい人たちにはたまらない魅力があるわけよね。

その教会にいけば「おかえりなさい」と笑顔で出迎えてくれる。
自分の話を聞いてくれる。

やっと自分の居場所を見つけられることができた!と思う人はいるでしょう。

そこをカルト集団の幹部は見抜いているだよね。
その人の財産を全部没収したり、子供を二世、三世信者へと仕立てる。



自分の行動すべてに責任を持って生きて行けっていうのは、
実は非常に人間力のある、賢い人にだけ許される行動なのであって、
我々のような下々の人間っていうのは、
肩を寄せ合って生きて行くのがせいぜいってことを
今の政治家は本当は知っているくせに、知らないふりをしているね。
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不調の原因 [雑文]

こんにちは、sadafusaです。


さて、私8月21日に結構大きなけがをしまして、今日に至っています。
一度は結構快方に向かっていたのですが、
「わぁい、治った~」と浮かれて、デパートに行ってウィンドウショッピングしてたら、
そのあと、治りかけていた靭帯二か所がまた悪くなって、元の木阿弥状態になったんですね~。


さすがの私もこれにはかなりへこみました。
「もう、若くはないのね」

知っていましたよ、ちゃんとそのぐらい。
しかし年を取ると若いときみたいに傷の回復力も遅くなるってことを
身をもって実感させていただきました。
トホホ。


私ねぇ、結構ひとりっきりでやる趣味が多くて、
これまで別段、おしゃべりする相手がいなくても一向に構わなかったのですよぉ。

それにさ、小説のプロットの話なんか、普通の人は興味なさすぎて
聞いてもらえそうもないし…。


これまで一時間ほど歩きながら、プロットやキャラクターの設定をぼうっと考えたり、
途中で素敵な花やお屋敷があったら、カメラに収めたり、
素敵で雰囲気のある人がいたら、それはさすがにカメラに収めるのは失礼なので、
心のカメラに収めて、あとでメモをしていたりで
これまで結構楽しく暮らしてきたんですよ。


歩くってね、気分が変わってとてもいいの。
それに私みたいなもともと運動音痴にはちょうどいい運動にもなるし。


しかしそれが出来なくなった今、とてもストレスを抱えてしまうようになりました。

アウトプットしたあとは、大量のインプットをするのです。
だから、めちゃくちゃドラマも見るし、映画も見るし、
本も読むし、漫画も読む。YouTubeだって一日中見ていられるほど集中力あったんだけど、

突然、視界がカラーから灰色に変わったっていうかなぁ、
何をしていても楽しさを感じられなくなったっていうかなぁ、
お年寄りの自殺って多分こういう気分から回復できない人がやるんだろうなぁと
実感しましたよ。


ただ、私にとって何よりだったんは、家の近くに娘夫婦が住んでいてくれたこと、
夫の存在が大だったかなぁと思うんですね。

彼らがいなきゃ、私本当にひとりぼっちですし~。
いや、友達だと思ってくれている人は案外多いんだけど、
私、他人サマの思惑が気になって、人と会って家に帰ると
どっと疲れるんですわw

だから、こういう気の置けない家族はとてもとても大切な存在です。

まぁ、それでも怪我のほうもすこしずつ回復しているだろうし、
きっとそのうち、また元に戻って散歩できていますように。


また、面白い話のネタが思いつけますように。

奇麗なものを見て感動できる心が取り戻せますように。
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