二次利得ってことを考えてみた [雑文]
こんにちは!
あしたから3月ですね!
早いです~。
sadafusa、いつもこの時期言っていると思うけど、
早春のこの季節が一番好きです。
兼好法師が
「花はさかりに、月はくまなきをのみ、みるものかは」
って言ってますね。
昔からこの言葉がすきだったのですが、
最近、ますますこのことばが好きです。
私は待っているってことが好きなんですよ。
「もうすぐ春が来る、一年で一番美しい花の季節が来る」っていうふうに、
日々木の芽が赤く膨らんできたり、剪定して丸裸だったバラの枝から
新芽が芽吹いてきたり、あるいは植えっぱなしにしているムスカリの葉っぱを
よく探せば、堅いつぼみがあるのを発見したりすると、
「ああ、春が来るなぁ」としみじみ嬉しくなるんですよね。
あと、風が運んでくる独特の香りとか陽光のきらめきとか、
絶対に冬の季節には感じられない春の兆しがあることが
それこそまさしくかけがえのない一期一会の到来だと実感するんです。
だけど、いざ、桜が満開になっちゃうと
その花のめでたさってことに素直に酔えなくなってしまうんです。
まぁ、目の前にひとつの桜の木のマックスの姿があるじゃないですか。
それってまぎれもなく、ひとつの真実の具現だし、
そこに自分の「希望」っていうオブラートにくるまれた夢の姿の破壊にもつながるわけですよ。
それにね、「盈つれば虧くる【みつればかくる】」って言葉があるじゃないですか。
満月だって満月の時がピークであって、そこから、満月の大きさが今までの100倍になる!なんて話でもなく、必然的にそれからはだんだんと月が欠けていく。
たとえば藤原道長だって「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
なんて「今はワシの人生のピークじゃ!」って
おごり高ぶって歌を詠んでいるけど、
人間、天人でも神でもないんで、そう思った瞬間にもうすでに、衰えっていうものが
始まっているんで。
そう、素直に喜べないんですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日はね、二次利得ってことについて少し、自分とかかわる話をしてみようと思う。
そもそも二次利得っていうのは、なんぞやっていう話なんですが、
たとえばですね、あなたにこんな悩みがあったとします。
「親がつべこべ干渉してきてうるさいんだけど、自立できない」
いつまで経ってもこの悩みから解放出来ない人というのは、
実はそこに必ず自分にとって利益があるから解決できないのだ、っていう意味。
たとえば、イヤな親ではあるんだけど、毎日三食黙っていても、ご飯は食べられるし、
お風呂には入られるし、しかも家賃を出さなくていいっていうメリットがある場合。
つまり親がイヤだという悩みよりも、親と一緒に暮らしているメリットのほうが
大きい場合はその問題って解決されないんだよね。
ほとんどの人がそのことを自覚していないんだけどさ。
自分のことで言うと、コロナ前って、
往路だけでもたっぷり1時間かかるような結構遠い他府県の編み物教室に、通っていたんだよ。
そこの先生はさ、結構気まぐれで時間とか約束にもルーズだったりするし、
そこに集まっている連中も実はそんなに好きじゃなかったんだよね。
だけど、じゃあ、なんでそんなにしてまで私はそこに通っていたかっていうと、
結局、そこの先生は他の一般の編み物教室の先生とは別の付加価値があって、プロじゃなきゃ伝授できない特別な技を持っていたからなんだよね。
だから、やめられなかった。
だからさ、私にとって、教室や先生や仲間が嫌いということより、
二次利得として、そこの教室じゃなきゃ、得られないものがあるってことに軍配があがっていたということだよ。
だけどね、突然コロナがでてきたじゃん?
それでみんな商売上がったりになった人々がオンライン・サロンを開いたじゃない?
そしたらさ、なんとありがたいことに、ニットサロンっていうのも探せばやまのようにあってこれまで教えてもらっていたことと同様のことが、金と時間をかけてその教室に行くこともなく、
いやだなぁと思う連中と社交することもなく、
マンツーマンで、ピンポイントで自分の教えてもらいたいことが聞けて、
しかも料金がべらぼうに安い。
それにさ、オンラインサロンの先生とは、
結構ビジネスライクな関係であって人間的なしがらみもないし、
ストレス・フリーなわけよ。
もし、1回レッスンした先生と相性が悪かったり、
技術的にハズレだなって思ったら、
二度とレッスン受けなきゃいいんだから。
まったくオンラインさまさま、なんですよ。
となったら、今までカネと時間をかけていっていた教室なんか
そく、サヨウナラになるんだよね。
そうなると私は本当にドライです。
「これまで元気だった義父の調子が悪くなったので、
退会しま~す。これまでありがとうございました~♬」
適当な口実をつけてやめてしまう。
私の場合、人間関係っていうのは、必ず自分と相手が高め合うリワーディングなものでなければならない。お金も払っているのに、得るものがなかったらそこで、関係は終了です。
これまでも我慢していることが、二次利得よりもウエイトが大きくなったと無意識であれ自分が認識した時点で、その関係を終わらせているなぁ~と
ある時点でふと、自分の無意識の行動の指針っていうものが理解できたのね。
もし、私が無償でなにかをするとしたら、
よっぽどその人物に惚れ込んでいるかどうかだと思うんだよね。
まぁ、その対象はだいたい夫か、息子か娘か、娘婿、そのご家族に限られるんだけどね。
あ~、わたしって基本的にひとりが楽で、人と歩調をあわせるのが
とことん苦手な人間なんだって悟りましたよ。
私、自己愛も高めだけど、内向的な人間で自分の行動の起点には
内発的動機づけが強く、それほど認証欲求も強くない。
ブログだって、小説だって、自分が書きたい、追求してみたいテーマがあるから書く。
そこに他人の称賛が加味されれば、そりゃ願ったりかなったりだけど、世の中そうは甘くない。
しかしそうじゃなくても、全然困らないね。自分が書いているときが、楽しいんだから。
何事もそのプロセスが好きなんだよね、結果じゃなくて。
自分が資料探して新しい発見があって、それを創作に活かせるかなぁって考えているとき、
一番楽しい。
世の中の多くの人がコロナで孤独になる、ウツになるって騒いでいるけど、
私に至っては、生活自体はコロナであろうとなかろうと全く変わらないよね。
なにか「物言わねば腹ふくるる心地」がするときは
このブログで、吐き出しているし。
まぁ、私のこんなダークな気持ちも、案外人間に共通する意識でもあるらしく、
共感してくれる人も多かったりする。
そう、人間って清らかで生きてはいられないもんなんですよ。
煩悩もあれば、嫉妬もする。誰よりも自分がカワイイ。それが本音です。
ってそういう話でした!!
あしたから3月ですね!
早いです~。
sadafusa、いつもこの時期言っていると思うけど、
早春のこの季節が一番好きです。
兼好法師が
「花はさかりに、月はくまなきをのみ、みるものかは」
って言ってますね。
昔からこの言葉がすきだったのですが、
最近、ますますこのことばが好きです。
私は待っているってことが好きなんですよ。
「もうすぐ春が来る、一年で一番美しい花の季節が来る」っていうふうに、
日々木の芽が赤く膨らんできたり、剪定して丸裸だったバラの枝から
新芽が芽吹いてきたり、あるいは植えっぱなしにしているムスカリの葉っぱを
よく探せば、堅いつぼみがあるのを発見したりすると、
「ああ、春が来るなぁ」としみじみ嬉しくなるんですよね。
あと、風が運んでくる独特の香りとか陽光のきらめきとか、
絶対に冬の季節には感じられない春の兆しがあることが
それこそまさしくかけがえのない一期一会の到来だと実感するんです。
だけど、いざ、桜が満開になっちゃうと
その花のめでたさってことに素直に酔えなくなってしまうんです。
まぁ、目の前にひとつの桜の木のマックスの姿があるじゃないですか。
それってまぎれもなく、ひとつの真実の具現だし、
そこに自分の「希望」っていうオブラートにくるまれた夢の姿の破壊にもつながるわけですよ。
それにね、「盈つれば虧くる【みつればかくる】」って言葉があるじゃないですか。
満月だって満月の時がピークであって、そこから、満月の大きさが今までの100倍になる!なんて話でもなく、必然的にそれからはだんだんと月が欠けていく。
たとえば藤原道長だって「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
なんて「今はワシの人生のピークじゃ!」って
おごり高ぶって歌を詠んでいるけど、
人間、天人でも神でもないんで、そう思った瞬間にもうすでに、衰えっていうものが
始まっているんで。
そう、素直に喜べないんですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日はね、二次利得ってことについて少し、自分とかかわる話をしてみようと思う。
そもそも二次利得っていうのは、なんぞやっていう話なんですが、
たとえばですね、あなたにこんな悩みがあったとします。
「親がつべこべ干渉してきてうるさいんだけど、自立できない」
いつまで経ってもこの悩みから解放出来ない人というのは、
実はそこに必ず自分にとって利益があるから解決できないのだ、っていう意味。
たとえば、イヤな親ではあるんだけど、毎日三食黙っていても、ご飯は食べられるし、
お風呂には入られるし、しかも家賃を出さなくていいっていうメリットがある場合。
つまり親がイヤだという悩みよりも、親と一緒に暮らしているメリットのほうが
大きい場合はその問題って解決されないんだよね。
ほとんどの人がそのことを自覚していないんだけどさ。
自分のことで言うと、コロナ前って、
往路だけでもたっぷり1時間かかるような結構遠い他府県の編み物教室に、通っていたんだよ。
そこの先生はさ、結構気まぐれで時間とか約束にもルーズだったりするし、
そこに集まっている連中も実はそんなに好きじゃなかったんだよね。
だけど、じゃあ、なんでそんなにしてまで私はそこに通っていたかっていうと、
結局、そこの先生は他の一般の編み物教室の先生とは別の付加価値があって、プロじゃなきゃ伝授できない特別な技を持っていたからなんだよね。
だから、やめられなかった。
だからさ、私にとって、教室や先生や仲間が嫌いということより、
二次利得として、そこの教室じゃなきゃ、得られないものがあるってことに軍配があがっていたということだよ。
だけどね、突然コロナがでてきたじゃん?
それでみんな商売上がったりになった人々がオンライン・サロンを開いたじゃない?
そしたらさ、なんとありがたいことに、ニットサロンっていうのも探せばやまのようにあってこれまで教えてもらっていたことと同様のことが、金と時間をかけてその教室に行くこともなく、
いやだなぁと思う連中と社交することもなく、
マンツーマンで、ピンポイントで自分の教えてもらいたいことが聞けて、
しかも料金がべらぼうに安い。
それにさ、オンラインサロンの先生とは、
結構ビジネスライクな関係であって人間的なしがらみもないし、
ストレス・フリーなわけよ。
もし、1回レッスンした先生と相性が悪かったり、
技術的にハズレだなって思ったら、
二度とレッスン受けなきゃいいんだから。
まったくオンラインさまさま、なんですよ。
となったら、今までカネと時間をかけていっていた教室なんか
そく、サヨウナラになるんだよね。
そうなると私は本当にドライです。
「これまで元気だった義父の調子が悪くなったので、
退会しま~す。これまでありがとうございました~♬」
適当な口実をつけてやめてしまう。
私の場合、人間関係っていうのは、必ず自分と相手が高め合うリワーディングなものでなければならない。お金も払っているのに、得るものがなかったらそこで、関係は終了です。
これまでも我慢していることが、二次利得よりもウエイトが大きくなったと無意識であれ自分が認識した時点で、その関係を終わらせているなぁ~と
ある時点でふと、自分の無意識の行動の指針っていうものが理解できたのね。
もし、私が無償でなにかをするとしたら、
よっぽどその人物に惚れ込んでいるかどうかだと思うんだよね。
まぁ、その対象はだいたい夫か、息子か娘か、娘婿、そのご家族に限られるんだけどね。
あ~、わたしって基本的にひとりが楽で、人と歩調をあわせるのが
とことん苦手な人間なんだって悟りましたよ。
私、自己愛も高めだけど、内向的な人間で自分の行動の起点には
内発的動機づけが強く、それほど認証欲求も強くない。
ブログだって、小説だって、自分が書きたい、追求してみたいテーマがあるから書く。
そこに他人の称賛が加味されれば、そりゃ願ったりかなったりだけど、世の中そうは甘くない。
しかしそうじゃなくても、全然困らないね。自分が書いているときが、楽しいんだから。
何事もそのプロセスが好きなんだよね、結果じゃなくて。
自分が資料探して新しい発見があって、それを創作に活かせるかなぁって考えているとき、
一番楽しい。
世の中の多くの人がコロナで孤独になる、ウツになるって騒いでいるけど、
私に至っては、生活自体はコロナであろうとなかろうと全く変わらないよね。
なにか「物言わねば腹ふくるる心地」がするときは
このブログで、吐き出しているし。
まぁ、私のこんなダークな気持ちも、案外人間に共通する意識でもあるらしく、
共感してくれる人も多かったりする。
そう、人間って清らかで生きてはいられないもんなんですよ。
煩悩もあれば、嫉妬もする。誰よりも自分がカワイイ。それが本音です。
ってそういう話でした!!
2021-02-28 13:55
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コメント(2)
お習い事で、「相性悪いと感じたり、技術面が至らないなと思ったらサヨナラ」解りやす。
あっしもお習い事先で、そうしてきやした。
15年くらい前にブルースの歌唱法をお習いしたくて「ボーカル教室、趣味のかたからプロを目指すかたまで、ジャンルは何でもお教えします」という私塾に行ってみたことがあるのでやすが
初日の自己紹介と世間話の後で先生に「で、どんなジャンルがご希望なんですか?」と問われたので
迷うことなく「ブルースです!」と答えたら、
先生は、「ブルースって何ですか?、、、淡谷のり子を歌いたいってことじゃ、、、ないよね」と ポカンとされやした。
あっしが次の週に、「父の実家に帰らなければならないので、申し訳ありませんが、通えなくなりました」と口実をつけて辞めたのは言うまでもありやせん。
人間的にはとても感じの良い先生だったので、「ブルースすら知らない先生にはお習いしたくありません」という本音を言えやせんでやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2021-02-28 16:41)
ぼんぼちさん
それは大変でしたね。その先生も「ブルースって何ですか?」ってお言葉だよね。淡谷のり子はたしかに「夜明けのブルース」を歌っていた。ブルースって英語のブルーから語源がきているらしくて、悲しみや孤独の感情を表す歌って認識です。ま、一口にブルースといっても、多岐にわたるから、難しいとは思うけど、それにしてもねぇ。
その人、セイガクの人だったんですかねー。ちょっとバックグラウンドはわからないけど、私だったらどう対応するかなぁ。
「どんな曲をご希望ですか? 来週までちょっと勉強してきますので曲名を教えてください」って言って、ぼんぼちさんの歌をまず聴いてみるかなぁ。どんなジャンルであろうと、発声とか音程とかリズムの取り方なんかは共通だからね。そして対策を練るかも。
昔、ピアノを習ってた時、スペインに凝っていたので、「アルベニスが弾きたいんです」って言った時、いくら先生だって全ピアノ曲を網羅していたわけじゃないから、私の先生は楽譜を見せて欲しい、そして勉強してきますっておっしゃったけどね。無知は悪いことじゃない。だけどそれなら、その穴埋めをしっかりできないと先生にはなれないかなって思います。
by sadafusa (2021-02-28 17:30)