祈りのことば ドラマ『エクソシスト』 [読書・映画感想]

みなさま、こんにちは。

今日はお彼岸。これから夜が長くなっていくのですね。
でもまだ暑くて半袖ですし、実感としてはまだ夏のような気がしています。

日本は民度が高くて、豊かな国だなと思うんですが、たったひとつ近年のこの過酷な夏さえなければなぁと思います。

昔はどんなに昼間暑くても、日が落ちれば涼しくなりましたし、
「盆が過ぎたら、寒くなる」とかいいましたもん。
確実に変化が起きていますね。

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さて、今日はドラマ『エクソシスト』のご紹介です。

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このドラマは実は春ごろ、暇つぶしに見ていたのですが、
小説を書くのに取り掛かっていたら、すっかりその存在を忘れていた作品です。

わたしは映画の『エクソシスト』そして小説の『エクソシスト』はアメリカ文学界に輝く、超傑作だと思っていますが、このドラマはあの映画のコケ脅かし的部分しか強調されてなくて、とても残念な作品ですね。

オリジナルと同じように、ふたりの神父が悪魔祓いに取り組むのですが、オリジナルの神父たちの神を希求する真摯な態度、博愛の精神、自己犠牲など微塵も感じられず、どこかガードの甘い、緩い作品ですね。

このドラマにはマーカス神父とトマス神父という二人の神父がいるのですが、マーカス神父は善意で悪魔祓いをしたにせよ、上の言うことを聞かず、自分勝手に突っ走ったため、神父をやめさせられた人です。
一方トマス神父はスラム街が自分の教区で、熱心に普及活動などをしている一見真面目な人なのですが、裏では人妻と情事にふけっていたりして、精神修養の足りない人です。

見ていて思うのは、これから「悪魔祓い」をする、って人は日本の行者のお坊さんみたいに、精進潔斎して、肉を食べず、酒も飲まず、滝のひとつにでも打たれて、百万遍数珠を手繰ってお経をあげて自分の心身を神や仏の神気で鎧を作るようにガードでもしやがれ、って思うんですよ。

女と寝てきたその足で、悪魔祓いなんかしたって、悪魔はとれちゃあ、くれませんよ。

で、「甘いなぁ、緩いなぁ」って思うのは、最終回ぐらいで悪魔との最終決闘しているときに、信仰告白みたいなことを言うんですよね。「わたしは、これこれこういう罪を自分が犯して、それを赦してしまっている弱くて甘い人間です」とかさ。

いや、だからね、人間は罪を犯すものですよ。それはいいんです。だけどね、知らず知らず犯してしまっているのが性だとは思うけど、どう見たってそれは大罪だろうっていうような罪を、精進潔斎中みたいなときに犯さなくてもいいだろうって思うのね。例えていうなら、運転前に酒を飲もうとする人はいないでしょうってこと。もう、そういうことをやってる時点で自分はこの悪魔祓いという人の命がかかっている大変な仕事から手を引くべきだと思うし、よほど自己というものを戒めなければならない高い人格を必要とする神父なんかやれる資格ないなって、思うのよね。
かなり厳しい意見だけど、在家の信者ではなく、僧侶なんだから、それぐらいの決心をしてくださいよ。というか、神父になるとき戒を与えられませんでしたか。

そう、そういうのは破戒ですよね。

というわけで、どうやらシーズン2、シーズン3と続くらしいけど、なんか聖職者をくそバカにしたような内容なので、見る気がうせた。

確かに昨日、インドのケラーラの司教が尼さんを二年間にわたって強姦していたってニュースになっていて、非常にけしからん事件だったけど、やはり世の中いる神父さんの多くは、一生懸命使命に燃えて活動している人もいるので、こういうので「宗教は腐っている」と思われてしまうのは心外ですね。
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おかもん

「エクソシスト」小学生の時だったか、映画館で観ました。しかし視力低下中で字幕が全く読めたかったです。最近、小説があることを知り、読みたいと思っています。

週刊ポストで呉智英という(名前だけは知っている)人が「仏キ同罪論」という記事を書いていて(今、発売中・p109)、その後半に【私には不思議でしかたないことがある。全国の寺院でなにかよいことのように催されている稚児行列だ。日本中の人権団体はなぜ講義行動を起こさないのだろう。稚児って児童虐待だぜ。/『岩波仏教辞典』の「稚児」の項に、こうある。「寺院…などに召し使われる少年を指し、これが男色の対象ともなり、近世には〈寺小姓〉と呼ばれるものもあった」/ 女色は禁止されているけど男色を禁止する明文はないぞ、という言いわけで児童虐待である。上田秋成『青頭巾』に描かれたのは、幼児姦の上に屍体姦だ。確かに、屍体姦禁止も明文化されてないけど。】とあり、う~ん、なんだ、コレは・・・と思ってしまいました。前半はキリスト教について書かれています。男色の歴史は古く、調べるとキリがないというか、その背景に目を向けていない人も多い気がするし・・・。稚児が児童虐待って極論過ぎる気がするのですが。
by おかもん (2018-09-23 10:32) 

sadafusa

おかもんさま

あの映画も小説も非常に重厚なものなので、小学生や中学生なんかにわかるはずありません。全然オカルトどころか、信仰のカケラすらなかった合理的思考をする母親が追い詰められていきついた先がカトリックの悪魔祓いなんです。しかも、悪魔祓いをする神父ふたりのうち、ひとりは考古学の権威であり、もうひとりは大学で精神科学を専門に教鞭をとる医師なんです。(カトリックの神父はそういう二足の草鞋を履いた人はよくいる)
この人たちも、少女にとりついたものが悪魔なのかどうか、すぐに判断を下さず「これは統合失調症なのではないか」とずいぶん診断に苦しんでいるんですよ。それに悪魔祓いをするときは、調査書を報告し教区の司教に申請して(司教は教区で一番偉い人)それからバチカンにお伺いを立て、許可が下りてから初めて悪魔祓いするんです。
結構慎重なんですね。


>稚児って児童虐待
なんかさ、この呉智英さんていつも思うけど、変わった人だよね。
わたしが思うに、その時代、その時代で「常識」とか「モラル」なんてコロコロ変わるものですよ。今の男女平等っていうのも、もしかして100年後200年後にころっと変わるかもしれないし…。

私が思うに、「歴史」を今のモラルで裁いたって何の意味もないってことです。
確かに昔、衆道というものが流行って稚児はその大人の男たちの餌食になった時代もあったでしょう。ですが、実際には衆道というのは、大人の男がたしなむべきものと認められていた地域とか時代ってたしかにあったのですね。しかも昔は大人になるのが早い。

今日はうちの近くの晴明神社の祭礼で、稚児行列はもちろんあります。うちの娘も息子も小さい時「八乙女」という巫女と「稚児」をさせてもらいました。でもそれはいわゆる「ハレ」の儀式で、娘なんかきれいに白塗りにお化粧させてもらって、つけ髪して(もちろん、祭礼の前の一年間は髪の毛を切らずに伸ばしていた)きれいな冠を付けて大はしゃぎでしたよ。わたしの実家からも病身の父がそれを押して、一目孫娘の晴れ姿を見たいと思って田舎から出てきたくらいでした。
息子も紗の水干をきて馬に乗って、それはそれは晴れがましい思いをさせてもらいました。馬は当時「暴れん坊将軍」で使っていたものだそうで、脚の長くて細い、大変立派でキレイな馬でした。

今まで一秒たりとも子供をお祭りに参加させたことに「児童虐待」と思ったことはありませんでしたね((笑)

この方って、文化に対するリスペクトが足りないんじゃない?
今、当たり前のように我々が享受できている権利なんか、ちょっと前まではとてつもなく、ハードルの高いことだったんだと思います。それは悪政のためではなく、技術的に豊作になれなかったせいだし、生産力がなかったせいでもあります。
普通の人が余暇をたのしめたのは、産業革命が起こって以後のことだもんね。

うちのコメントのレベルは非常に高いなぁ~と感動しております。非常にうれしいでございます。


by sadafusa (2018-09-23 11:19) 

sadafusa

追加

たしか祇園祭のお稚児さんなんかは、精進潔斎して、御不浄にいくのに、地面歩いちゃいけないってんで、お父さんがおんぶして連れて行くんだったような気がします。なぜかというと、お稚児さんはもう、生身であっても、すでに神様に憑かれている状態であって、穢れちゃいけないそういう神聖ななにかにお祭りの期間だけ変身しているんですよ。
祭礼の行列は単なるコスプレとは違います。やはりおみこしというのは神輿というその名のとおり、その中に神様の霊が宿っているし、それを荘厳するために、稚児や八乙女、そのほかの方々がいますね。

また自分の専門領域になりますが、昔は武者の恰好をした「つるめそ」が一番先頭に立って、歩くのです。なぜかというと、この人たちが一番先に立って歩くことで悪霊とか穢いものを自身に憑けて、清めていたからです。

昔、神社は犬神人(犬のように非常に身分の低い、非人の身分で神社に仕えた人間)と言う人たちがいて、常に神域がけがされないように守っていたんですね。

by sadafusa (2018-09-23 11:29) 

おかもん

いろいろ教えていただきありがとうございます!「犬神人」はどこかで聞いた記憶があるのですが、「つるめそ」初めて知りました。「弦召」と書くのですね。もっと若いうちにいろいろ興味を持って勉強しておけばよかったなぁ(-_-;)



by おかもん (2018-09-23 14:11) 

sadafusa

おかもんさま

「犬神人」って「いぬじにん」と発音します。すごいですね。わたし勉強するまでこんなことば知りませんでした。

平安時代というのは異常に「穢れ」っていうのを恐れ嫌った時代でもありまして、自分の庭にちょっとでも雑草とか生えていようものなら大変でした。「あそこの家は運が傾いているんだ」なんで噂でも立てられようものなら。それが除目のときにでも重なろうものなら…!

神社の犬神人は、「清め」とも呼ばれていました。神社は前述したとおり、穢れを嫌いますので、神職の人は一切穢れには立ち会いませんでしたが、たまに神社の境内で犬や猫が死んだり、まあ、非常にまれなことではありますが、殺人があったりした場合など、それらの始末をするのは、全部犬神人がやったんです。

いや、若いうちはこんな地味な本なんて読みませんよ。賤民史なんか。(笑) 読んでも本当に深いことなんか理解できないしね。人生なんてまだまだこれからです。一緒に楽しみましょう…!!
by sadafusa (2018-09-23 15:14) 

Yui

sadafusaさま
おかもんさま

浅薄な私がいうのもなんなんですが、人間には貶めたいという欲望とともに貶められたいという欲望も秘かにあると思うのね。
「愛ゆえに手を汚すのはあなたでなく私だ。」という場合もあるだろうし、ある種の正義感で「死骸には清らかな子どもには触らせない」ということもあると思うし。
最近の多数派による少数派迫害の応酬にはウンザリです。強い者が大人とは限らなくし、子どもや女性がすべからく弱者じゃない。

by Yui (2018-09-25 12:39) 

sadafusa

Yuiさま

>最近の多数派による少数派迫害の応酬にはウンザリです。強い者が大人とは限らなくし、子どもや女性がすべからく弱者じゃない。

まったくその通りです。盗人猛々しいって言葉じゃないですけど、『弱者』であることを売り物にしているふてぶてしい人いますからね。
日本には「生活保護」っていう制度があります。これは最後の手段だから、本当にこれで生き延びていかれる人もいると思います。
ですがなんというのかなぁ、ある方のツィッターで「生活保護でもらったお金で南の島にいってのんびりしてきました」ってのを読んでぬぐい切れない違和感が…。

そもそもこのお金はみんなの血税ですよね。のんびり旅行するためのお金じゃないですよ。

そこんとこ、はき間違えているのじゃないかな。それに旅行なんかいったらお金すぐになくなっちゃうじゃん? あとの期間どうやって過ごしているの?ってことになりませんか。

あと「妊婦だから大事にされて当然」とか「子連れなんだから、大事にされて当然」とか「老人だから尊敬されて当然」とか。
どけどけどけ~ってドヤ顔でいるのはどんなものでしょう?
「当然」と思った瞬間、感謝の気持ちってなくなっちゃうじゃないですか。

人間いつ自分に不幸が訪れるかわからない、だからそういう方法を使ってもいい。だけどそれを感謝して使うのと、当然と思って使うのではなんかちょっと違うような気がするんですわ。
by sadafusa (2018-09-25 13:17) 

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