『死刑執行人サンソン ―国王ルイ16世の首を刎ねた男』 [読書・映画感想]

今回は『死刑執行人サンソン ―国王ルイ16世の首を刎ねた男』についてです。



この本は、小説でもなんでもなく、まったくの学術新書なのです。
しかし、まさに「事実は小説より奇なり」を地で行ったような内容で、
かつ非常に感銘を受けました。

筆者はフランス文学者の安達正勝さんとおっしゃる方です。
この方は、他にもフランス大革命期に活躍した人々について書かれた
著書が多くあります。

佐藤賢一さんの『小説 フランス革命』という小説がありますが
合わせて読むとより広い視野でフランス革命を理解できるかな、とも思います。

とにかく、フランス革命関連の本を読んでいて思うのは、
「革命」というものは、例えていえば、
鋭い切っ先の上にバランスを取りながら立つヤジロベエのようなもので、
一つ間違えれば「暴動」に転落してしまいかねないのです。

そうならないために、時は心を鬼にして
人々を粛正してしまわねばならない非情さが必要になるのですね。
あらぬ情をかけたりすると、それは単なる上部の人間の入れ替えにすぎなくなってしまう。
実際、あれほどの犠牲を払って断行したフランス革命ですが、その後たびたびのバックラッシュにあって王政に戻ったり、帝政になったりしていますね。

中心軸を失った国というのは、もろいものです。
うかうかしていると、他の国に侵略されてしまう。フランスと言う国は
そういう内憂外患の中を生き抜いてきたという歴史があるのです。

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パリの死刑執行人

さて、フランスにおける死刑執行人とはどんな人間なのか。
やはりどんな人間も死は恐ろしいものです。
ましてや、公衆の面前で顔色ひとつ変えるでなく、
人を殺してしまえる人間に恐怖すら感じしてしまうのは
自然な感情かもしれません。

死刑執行人というのは、単なる殺人者とは違います。
公の裁きを受けて、その罪状が「死刑」となったもののみ、
死刑執行人は自分に負わされた役を執行するのですね。
ですから、私情にかられて、怒りや憎しみをもって
人を殺めるのではない、ということをまず確認しておく必要があります。

しかし、死刑執行とは、言うは易いことながら、
ただ単に刀や斧を振り回していれば人は死ねるのかというとなかなかそうはいかないもののようです。
特に、斬首の場合、死刑執行人は毅然とその場に臨まなければなりません。
殺されるほうだって怖いに決まっています。

この殺すほうと殺されるほう、そうして衆人環視の何とも言えない緊張感の中で、
振り下ろす一撃のみで人を死に至らせるのは、かなりの熟練した技と度胸が必要だそうです。

とにかく、さっと殺してやらないと、どうせ助からない人間に何回も何回も切り付けなければならず、
いたずらにその人の尊厳を傷つけ、そして同時に苦痛も味合わせてしまうのです。

当時、斬首される人間というのは、貴族だけの特典!だったので、
死ぬ前にはみな盛装をしてその場に臨んだのです。

アン・ブーリンしかり。メアリー・スチュアートしかり。

こういった人々は美しく斬首してやらなければならないのです。
そうでなければ、場合によっては見ている人間の憎悪も引き起こし、
時には執行人が公衆から殺される場合もあったようです。

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国王から授けられた秩序の執行者

しかしながら、細心の注意を払って刑を執行したとしても
それを喜び、いたわってくれる人間なんていないのが現実です。

死刑執行人には触れられるのも汚らわしい、おぞましいと思うのが当時のふつうの人々の
偽らざる感情だったようです。

しかも、死刑執行人というのは、世襲制でその役から逃れることができなかった。
王が生まれた時から王に生まれつくように、
死刑執行人も生まれた時から、死刑執行人だったということです。

とたえ、死刑執行人がイヤで、どこか遠くの地へ逃れ
何か別の商売を始めたとしても、
何かの拍子に彼らの氏素性を知ったとたん、
彼らは世間から締め出しを食らってしまいます。

つまり、早晩廃業に追い込まれてしまう。

また、隠しおおせたとして、子供がある時、親や先祖の素性を知ったとき、
子供はなんと思うでしょう?

きっと自分がそうとは知らずに受けついてしまった「死刑執行人」という血を呪うに違いありません。

そういう重責を担ってきたという先代の苦労を知らず、侮蔑に走るのはたやすいことです。
そうであってはならないのです。

天から定められた苦しい役目であっても、
それをきちんとまっとうしなければならない責任が自分たちにはある。
自分たちがいればこそ、この国の秩序が保たれる。

犯罪人は何が怖いといって、「死刑」と罪状が書かれてある判決文が怖いわけでもなく、
それを書いた羽ペンが怖いわけでもない。

彼らが恐れるものは死刑を遂行されることだけだ。

遂行されなければ、この国に秩序はもたらされない。
犯罪を罰し、無辜の民を守るために、神は国王の手に剣をゆだねた。

国王みずからがこれを実行することができないため、
国王はこの任務を死刑執行人たるべく私にゆだねられた。

そういう矜持がなければ、こんな仕事できるわけがないのです。

人間としてまっとうに生きるには、つらい現実に目を背けるのではなく、
しっかり見開いてそれをじっと見続けるという度胸が必要なのですね。

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二律背反の中で生きて

ですが、この死刑執行人という立場の人間は常に二律背反の中で生きていかねばなりませんでした。
彼らは、ふつうの市井の人々から嫌われ、恐れられ、
食べ物などのごくごく普通の日用品を買うのも困難なときがありました。

そして、意外だと思われますでしょうが、やはり死刑執行人というのは、
きちんとその職務を果たすためには、体の構造もしっかり把握しなければならず、
かなり専門的な医学の知識も必要でした。

また、高等法院の末端に属していましたから、書類などもきちんと書けなければならず、
やはりそれなりに教養も必要だったのです。
サンソン家が立派な教育を受けさせるだけの財力はありますが、
受け入れてくれる教育機関は皆無に近い
結局、遠くの学校へ素性を明かさずに入学させるか、
個人的に家庭教師をつけるしかない。

それですら、大変な困難が伴うのです。

とはいえ、もっとも卑しむべき職業といわれながら、国王からの特権や報酬などは
そこらへんの貴族にも引けは取らないくらい多く、
実際、彼らはブルジョワか貴族のような財産をもち、生活も豊かでした。

また、医者といしての腕前も一流だったので、
やはり、怖いとかいってられない重篤な病気の人もサンソンの家にやってきました。

サンソンは、この副業の医師に非常な喜びを覚えていたようです。
人の命をうばいもするが、その代わり、病気の人や大けがをした人を助けることができると。
サンソンは貴族からは結構な報酬を受け取ってはいましたが、
お金の無い人からは一銭もとらなかったということです。

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サンソン家の系譜

さて、このパリの死刑執行人の家系である
サンソン家は初代から六代続いています。

初代サンソンは、ふつうの家庭に育った軍人でしたが、
あろうことか、死刑執行人の娘にそれとは知らず、熱烈な恋をしてしまったのです。

恋をしたまではよかったのだけれど、彼はその娘に手を出したのです。
父親は、娘が貞操を失ったのをみて非常にけしからんことだと怒り、
自分の商売道具で娘を拷問にかけたのです。

普通死刑執行人の一族は、死刑執行人の家どうしとしか婚姻はできませんでした。
それなのにどこの誰ともわからない男に傷物にされた娘なんて嫁に出せない、と思ったからです。

それを見たサンソンは観念しました。もともと自分が悪かったのです。

拷問にかけられる娘が可哀そうでした。

そして処刑人の娘であろうと、自分は結婚しようと決心しました。
これは運命なのだと。

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シャルル・アンリの苦悩

さて、そうやって淡々と職務をこなしてきた
サンソン家の人たち。

この中でとくに有名なのは巷でも「大サンソン」といわれる
フランス大革命時代を生きた、シャルル・アンリ。

彼は初代から数えて四代目に当たります。
あるとき、彼は「八つ裂きの刑」を執行せよとの通達を受けます。

しかし、これは人間の四肢を四頭の馬に放射状にひかせるというなんとも酷い死刑の方法でして、
非常に苦しい割には、なかなか死ねない。

これまででも「車裂き」という刑を、何回か執行したことがありますが、
これもかなり残酷な刑でしたが、「八つ裂きの刑」の比ではありません。

実際に、シャルル・アンリは八つ裂きの刑を執行して、そのあまりの残酷さに
打ちひしがれる思いをしました。

彼は思います。
「いくら秩序を維持するといっても、これほどまでに非人道的な処刑というものが
あっていいはずがない」と。

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ギロチンの発明とその功罪

今でこそ、ギロチンというとその残酷な処刑法で有名ですが、
それは相対的なもので、
やはり、車裂きの刑や八つ裂きの刑の残酷さ、死ぬまでの苦痛の持続の長さなどを考えれば、
ということを考慮しなければなりません。

ギロチンは、失敗が単なるサーベルで首を断つより少なく(誰もがやって成功できるわけではない)
そして、貴族だけが斬首できたことを思えば、どんな身分の人間でも適用されて
平等な温情ある処刑方法だ、と発明当時は思われたのです。

このギロチンの開発には、ギロチンの名前の由来のギヨタンとサンソン、そしてルイ16世が
関わっていました。

ルイ16世は、どうも鈍重な人のように思われがちですが、
結構理系で非常に精密科学への造詣が深く、頭脳明晰な人だったといいます。

ギロチンの刃についても、最初は丸い刃を採用するはずだったのですが、
ルイ16世が「それでは失敗する可能性がある」と指摘して
最終的には今日知られるような形になったといいます。

貴族のようにいざとなれば死ぬこともいとわないという胆力がある人ならいざ知らず、
普通の人間には、斬首という刑そのものを執行することが非常に難しいのです。

なぜなら、もう死刑台に上がった時点で、人間はもうあまりの恐怖に体を垂直に立っていられることすらできなくなるからなのです。

というわけで、ギロチンは寝そべらなければクビは刎ねられませんので、
それなりに合理的なものだったのでしょう。

しかし、確実にすばやく死刑ができるということが、災いしてしまうのです。

今まで、物理的に一日にそう何人も処刑することができませんでした。
しかし、ギロチンが出来たお蔭でスイスイ死刑が進みます。

フランス大革命のとき、シャルル・アンリが手をかけた人間は二千人とも三千人ともいわれいますが、
もし、ギロチンが発明されていなかったら、こうもたくさん殺されはしなかっただろうし、
人間が苦悶しながら、死んでいくのをみれば、やはり死刑というものは恐ろしいものだ、
と人々の脳裏にきざまれてしまうのでしょうが、

ギロチンはそういうことを考えさせるヒマもなかったようです。

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敬愛する国王の処刑

シャルル・アンリもやはり革命の時代に生きた人間、
第三身分に対する圧制は身に染みるほどよくわかっていました。
ですが、国王に対して非常な敬愛を捧げていました。

この当時の人々のほとんどは、王政廃止は望んでいなかったのです。

ただ、第三身分に対する圧制を緩めて、ゆくゆくはイギリスのように
絶対王権ではなく、制限付きの立憲君主制であったら、と願っていたのでした。
ですが、革命はどんどんと進み、悪いことに国王一家がヴァレンヌで逃亡が発覚したことが
王政廃止につながってしまいます。

国民を捨てて、よその国に助けを求めるような国王はもういらない!

世論はこれまで国王を擁護していましたが、一変してしまいす。
シャルル・アンリはこれまで二度、国王に会ったことがありました。

それはもう、本当に国王としての神々しいばかりの威厳も身に着いた
すばらしい方、と言う風にシャルル・アンリの目には映りました。

この方のために大切な仕事を引き受けているのだとさえ、思えたのです。

ですが、とうとう議会は国王の死刑を確定してしまったのです。
シャルル・アンリは目の前が真っ暗になりました。

シャルル・アンリの不幸というのは、
死刑執行人という逃れられない運命ももちろんですが、
彼があまりにもまっとうすぎるほど、まっとうな人間で、
かつ、人に対して非常に情けがある、温かい人間だったということです。

国王が死刑になる前の日は妻の誕生日で、
彼はせめてその日ぐらいは愛する妻をねぎらい、
楽しく過ごしてほしい、と思っていた。

しかし、そんなわずかな願いも叶えられなくなってしまう。

妻が明日、夫が国王を処刑しなければならないことを知ってしまったから。
シャルル・アンリの妻は夫が真っ青な顔をして体を震わせているのをみて
本当に可哀そうに思います。

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今まで、国王の命で行っていた死刑なのに、
こんどはあろうことか、その国王のお命までも奪うことになろうとは。

シャルル・アンリは必死で神に祈りました。

だれか国王の死刑を反対して、当日は大乱闘になるかもしれない。
何か奇跡が起こるかもしれない。

しかし、奇跡は起こらず、シャルル・アンリは心が凍り付いたようにしびれたまま、
まるで悪夢をみているように、国王をこれまでの罪人と同じように処刑したのでした。

シャルル・アンリは自分が国王を手にかけたということでパニックになってしまう。
そして、人づてに聞いた革命に協力しないいう「非宣誓派」の僧侶を探して、
国王のための鎮魂のミサを挙げてもらおうとしたことでした。

非宣誓派の司祭に国王の鎮魂のミサを挙げてもらうなど、ばれてしまったら
サンソンすら処刑されるような大胆不敵な所業だったのですが、
とにかく、信仰に篤いシャルル・アンリはそうでもしないと、正気が保てそうになかった。

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このときのシャルル・アンリの苦悩はバルザックが描いています。
バルザックはサンソン家の人から綿密な取材を経てこの作品を書いたということです。
これはたぶん、フランス文学者である安達さんが、訳しておられるのだと思います。

調べてみましたが、この本は翻訳されたものは見つけられませんでした。
あまりに素晴らしいので掲載します。

バルザック作『贖罪のミサ』

暖炉の二本の煙突の間に、二人の修道女は虫に食われた古いタンスを運び移していた。

そのタンスは非常に古い様式のものだったが、
祭壇に仕立てあげるために上からかけた緑色のモアレ織の布地で形が見えなくなっていた。

黒檀と象牙でできた大きな十字架が黄色い壁に取り付けられていたが、
そのために壁のむき出しさがよりいっそう際立ち、
どうしても視線が壁に引き付けられてしまうのだった。

ふたりの修道女は、すぐに冷えて固まる黄色い蠟を使って、
即興の祭壇の上にかぼそくて丈の低い四本のろうそくを固定させることに成功していた。
その四本のろうそくが弱い光を放ち、壁が少しだけ光を反射させていた。

光が弱いので、部屋の残りの部分はなんとかやっと見える程度だった。
しかし、聖なるものしか照らしていたないため、
その光は、飾り気ない祭壇に天から注がれてでもいるかのようだった。
タイル張りの床は湿っぽかった。

屋根裏の物置のように両側とも急勾配の屋根にはいくつか裂け目があり、
そこから凍てつくような隙間風が入り込んでいた。

この陰鬱な儀式以上にみすぼらしいものもなかったが、
しかしながら、これ以上に荘厳さにあふれるものもなかっただろう。

近くを通るドイツ街道で発せられるどんな小さい叫び越えでも聞き分けられるほどの深い静寂が、
この真夜中の儀式にある種の重々しい雰囲気を与えていた。

そして、これから行われる行為の持つ意味は非常に大きなものであるのに
周囲の事物があまりに貧弱という、そのコントラストから、
人に畏怖感を覚えさせるような宗教的雰囲気が醸し出されていた。

二人の世捨人の老婦人はそれぞれ祭壇の両側、床の八角形のタイルの上に跪いた。

床のタイルは身体に障るほどにひどく湿っていたが、それにかまうことなく、
二人の修道女は司祭と一緒に祈りの言葉を唱えていた。

司祭服を身にまとった司祭は、宝石で飾られた金の聖杯を安置していたが、
これはシェル修道院の略奪を免れた祭器なのだろう。

王にもふさわしい豪華さを持つ記念物と言っていい。

この聖餐杯の傍らには、ミサ聖祭のための水と葡萄酒が、
場末の居酒屋でも見られないような粗末な二つのコップに入れられていた。

ミサ典書がなかったので、司祭は祭壇の片隅に職務日課書を置いていた。
ありふれた一枚の皿が、無垢で血に汚れていない手を洗うために用意されていた。

すべてが壮大だったが、卑小だった。
貧弱だったが、高貴だった。
俗世間的でありながらも、神聖だった。

「見知らぬ男」は敬虔な態度で二人の修道女の間に跪いた。

しかし、聖杯と十字架に黒い布がかぶせられていることに――というのも、
この死のミサが誰のためののものかを告げるものが全くなかったので、
神自身を喪に服させたからなのだが――そのときになって気づき
あまりにも生々しい思い出に襲われたため、男の広い額に汗のしずくが浮かんだ。

この場面を演ずる四人の静かな役者は、神秘的な気持ちにとらえられてお互いを見つめ合った。
そして四人の魂は、この上もなく強く互いに作用しあったので、
感情が通じ合い、宗教的憐ぴんの中に溶け合った。

四人は、その遺骸が生石灰に蝕まれている殉教者を思い浮かべ、
殉教者の影が尊厳さにあふれて彼らの前に現れたかのようだった。
彼らは、亡き人の遺骸もなしに死者のミサを行っていた。

隙間だらけの屋根瓦と木ずりの下で、
四人のキリスト教徒はフランス国王のために神にとりなしを頼み、
なんの下心もなしに遂行された、忠誠の驚くべき行為であった。

神の目には、これは、最高の徳をも試練にかける、コップ一杯の水のようなものだった。

一人の司祭と憐れな修道女の祈りの中に、王政のすべてがあった。

そして、おそらくは革命もまたこの「見知らぬ男」によって代表されていたのであろうが、
その表情にはあまりにもはっきりした悔恨の情が浮かんでいたので、
男が心の底から悔い改めようとしていることを信じないわけにはいかなかった。

普通はミサの決まり文句をラテン語で
「さらばわれ、神の祭壇に行き、またわが慶び、喜ぶ神に行かん」と唱える習わしだが、
神的な霊感を受けた司祭はそれはせず、
キリスト教のフランスを象徴する三人の出席者を眺め渡して言った。

「われわれは、これより神の領域に入ります……!」

心に染み入るような語調で投げかけられたこの言葉に、
男と二人の修道女は聖なる畏れの気持ちに捉えられた。

ローマのサン・ピエトロ寺院のドームの下といえども、
このキリスト教徒たちの目に、この貧困の隠れ家における以上に
神が尊厳さにあふれて姿をあらわしたことはなかったろう。

それほどに、人間と神との間にはいかなる仲介者も不要であり、
神はその偉大さを自分自身からのみ引き出すものなのである。

「見知らぬ男」の熱意は真実のものであった。

それゆえに神と国王の奉仕者たる、この四人の祈りを一体化する感情も共有されていた。
静寂の中、聖なる言葉は天上のように響いていた。
「見知らぬ男」が涙に捉えられた瞬間があった。

それは「我らが父よ(パーテル・ノストル)」のところだった。

司祭はさらにそこに次のラテン語の祈りの言葉を付け加えたが、
男にもその意味はわかったことだろう。

「また、弑逆者たちを、ルイ十六世自身が赦したように、赦したまえ」

二人の修道女は「見知らぬ男」の雄々しい頬を伝って大粒の涙が湿った道を描き、
床にしたたり落ちるのを見た。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

文豪の筆が冴えわたりますね。

さて、ここからが本書の最大の頂点なのですが、
しばし、本書を抜粋させていただきます。

ミサが終わった後、司祭は二人の修道女に合図して隣の部屋へ行ってもらい、「見知らぬ男」と
ふたりきりになった。

「わが息子よ、もしあなたが殉教の国王の血に手で染めたのなら、私に正直にいってほしい…。
神の目には、あなたが抱いているほどの感動的で誠実な改悛の情によって
帳消しにならない過ちなどというものはないのです」

「殉教の国王の血に手で染めたなら」と言う言葉をみみにしたとき、
サンソンは一瞬ぎくりとし、我知らずに体を痙攣させてしまった。
自分の正体がばれてしまったのかと思った。

しかし、司祭は死刑評決をした国会議員たちのことを思い浮かべたに過ぎなかった。

司祭は「見知らぬ男」が自分の言葉に異様な動揺を見せたことに驚いていたが、
サンソンは気を取り直し、落ち着いた目で司祭を見つめながらいった。

「神父様、流された血に対して、私ほど無垢なものはいません…」

なんとか、こうは答えたものの、声は完全に裏返っていた。
確かに国王の死を決定したのはサンソンではなかった。ただ、道具にされただけだった。
それでも、国王の死刑執行は自分の責任においてなされた。たとえ意に反してであろうとも、

国王の処刑に関わってしまった自分は、やはり大きな罪を犯してしまったのではないだろうか。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こうした経緯を経て、シャルル・アンリは死刑廃絶を望むのです。

やはり、人を裁くことは人にはできない。
なんとなれば、善悪の基準はその時、その時の人間の価値観で変わるものだからだ。

人を裁くことができるのは神のみ。

しかし、実際にフランスで死刑廃絶になったのは、1981年。

長い道のりだった。





死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

  • 作者: 安達 正勝
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2003/12/17
  • メディア: 新書





このトピックは過去の記事を再録したものです。
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コメント 2

Yui

sadafusa さま
こんばんは Yuiです。入試で埼玉に出張です。
ルイ16世の死刑を決めたのは1票差だったと聞きました。また白色テロで死刑に入れた輩がまたギロチンにかかったと。
試験でも1点差で運命を分けてしまうことがあります。どこかには線が引かれてしまうし、引いてしまうのです。それはどんなに考えて慎重に行っても運命の歯車のようなものかもしれませんね。


by Yui (2019-02-05 22:25) 

sadafusa

そうですねぇ。
運命の分かれ道というのはあります。
ルイ16世はある意味不思議な人で、
ギロチンにかけられるまでに、何度も何度も
逃げ出すチャンスも暴民を叩きのめすチャンスもあったにも
関わらず、逃してしまった人なんですよね。

人が良すぎたのが負けた原因かとも思うけど、
あんなにみんなに喝采をもって受け入れられたナポレオンも
結局島流しに。

変えられない時勢の流れってのがあるんだと思います。
by sadafusa (2019-02-06 00:12) 

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