境界の旅人3 [境界の旅人]



「本当に入学式にはわしが付いて行かなくてもいいんか?」
 朝食を食べながら辰造は由利に訊いた。
「うん、もう高校生だもん。そんないつまでも保護者に付き添われるような歳でもないし。大丈夫」
「まぁ、そうやな」
 辰造は味噌汁をすすりながら答えた。
「学校へは歩いてだって行ける距離だもん。京都って本当に東京と違って楽よね。街がこじんまりとコンパクトにまとまっているもん」
「まぁ、四方が山に囲まれている土地やしな、そりゃ東京みたいに広がりようもないわな」
 由利は居間に掛かっている年代物の柱時計を見た。
「うわ、もうこんな時間? 急がないと」
 由利はバタバタと自分が食べていたご飯茶碗と汁椀を重ねて、隣の土間の流しへと運んだ。
「ああ、由利。急いでやると粗相するからわしがやっとく。おまえはもう学校へ行き」
「うん、おじいちゃん、ごめんね!」
 バタバタとカバンを抱えて由利は玄関へと走った。
「由利、あんまり慌てたらあかんで。事故にあったらどないするんや? 気ぃ付けて行きや!」
「うん、おじいちゃん! 行ってきまーす」

 入学式も済ませ、新しく桃園高校の新一年生となった生徒たちは、クラスごとに担任となる教師に引率されて教室へと向かって行った。他の生徒たちは中学校か塾かで一緒だったらしく、それぞれ見知った顔を見つけてはほっとしたように声を掛け合っていた。由利はまるっきり京都に地縁もないので、黙って歩いていた。そこへ誰かが後ろからタタタと駆け寄ってきてポンと背中を叩いた。びっくりして振り返ると、それはどうも新しくクラスメイトになるはずのひとりの女子生徒だった。小柄でちまっとしている佇まいは、リスのような小動物か、あるいはゆるキャラを彷彿とさせる独特の愛嬌があった。
「こんにちは」
 突然、こんなふうにあいさつをされると、どんなふうに返していいものか、由利には見当もつかない。
「あ、こ、こんにちは」
 仕方なく相手の言ったことばをオウム返しした。
「あたし、加藤美月っていいます。よろしくね」
 にっこり笑って相手が自己紹介した。
「あ、あ。あたしは小野由利」
 由利はドギマギしながら、自分の名前を言った。
「あ、あなた、小野さんっていうんだね。ああ、この列ってあいうえお順に並んでいるんだ。小野さんの苗字が『お』だから、『か』で始まる名前のあたしがその後ろ」
なるほど、と言うように美月はまた由利に向かって、にっこりと微笑んだ。げっ歯目っぽいつぶらな瞳がきらきらと輝いている。
「さっきからすごく気になっていたの。すごく背が高いんだなって」
 たしかに由利は女子としてはずば抜けて身長が高く、百七十二センチある。中学生のとき、百六十五センチを過ぎた辺りから、これ以上伸びませんようにと祈り続けていたにもかかわらず、結局こんなに伸びてしまった。
「え、うん。まぁ」
「いいなぁ、憧れちゃう」
「え? 憧れる?」
「うん、そう。すらっとしていて素敵だなぁって。式の間中、うっとりして見てた! まるでランウェイを歩くファッション・モデルみたいじゃない? あ~、いいなぁ。あたしなんて百五十五センチしかないんだよ。超チビじゃん。うちのお兄ちゃんがね、『おまえは走るより転がったほうが早い』って言うんだよ? ひどくない? もう、いやんなる。小野さんみたいに背が高かったら、世界も違って見えるだろうね」
「え、そんなことないと思うけど」
 たしかに背が高い美女は素敵だろうと思う。だが背が高いだけじゃ、美女にはなれない。
「え~。ご謙遜!」
 美月は由利の肩をポンと叩こうとしたが、背が高すぎてできなかったので、わざわざ伸び上がった。初対面にしては妙に距離感が近いのだが、その遠慮ない無邪気さが由利には心地よく、悪い気はしなかった。
あれこれふたりが話しているうちに教室に到着した。担任は廊下で待っている生徒たちに向かって行った。
「え~、皆さん。静かに! これから君たちは一年間、ぼくが受け持つ一年三ホームの生徒となります。教室に入ると机の左側に各々の名前が書いてあるから、そこにまず座るように。解ったら返事して」
「はーい」
 まるで気のない返事がユニゾンとなって廊下に響いた。
「じゃ、小野さん、またあとでね。このホームルームが終わったら。いいかな?」
「え、うん。いいけど」
「うん、良かった。じゃあね!」
 美月は小さく手を振りながら、自分に割り当てられた席に向かって行った。

「はい、皆さん、それでは改めてぼくから祝いのことばを言わせてもらいます。入学おめでとう! ようこそ、桃園高校へ。わが校は今宮神社や大徳寺も近く、学校も百年以上の歴史があります。ぼくは担任の篠崎雅宏といいます。君たちはこれから一年間、ぼくと一緒にすごすわけです。ぼくが教える教科は社会科領域。ですから君たちとはこの三年の間に地理、日本史、世界史、あるいは公民を教えることになります。これからもよろしく」
 篠崎と名乗る担任はこうあいさつした。篠崎は年の頃、三十代半ば、ベテランの中堅教師といったところだった。
「さてと。ぼくが自己紹介したところで、これからみんなにも自己紹介をしてもらおうかな」
 篠崎が提案した。クラスの中は一気にざわめいた。
「まあ、みんなの中にはお互いにどこかで顔見知りの人間もいるだろうけど、それでも中には全く知らない人もいるだろうからね。じゃあ、まず、自分の名前、そして出身中学。あとはそうだな、自分の好きなものとか、趣味とか、なんでもいいや。一言言ってください」 
クラスの中は再び騒然としたが、担任はそういうとこには慣れっこなのだろう、軽く手を叩いて鎮めた。
「はーい、みんな。静粛に。じゃあ、一番右側の列から行きます」
篠崎は一番前に座っている女子生徒の机に近寄って行って、机のそばに貼られている名前を一瞬じっと見つめ、読み上げようとした。
「じゃあ、あなたね。えっと山下・・・さいかさんと呼ぶのかな?」
「あ、あやかと呼びます」
最近の名前は親の願いがこもった凝った名前が多く、読むのにも苦労する。しかしこの程度では、苦労の内にも入らなかった。
「そうか、どうもありがとう。じゃ、山下さんからね」
 山下と呼ばれた女子生徒は、おずおずと立ち上がって自己紹介した。
「あ、こんにちは。一条中学から来ました、山下彩加といます。中学のときは卓球部に入ってました。あ、あとジャニーズの『嵐』の大野クンと『トワイス』が好きです。よろしくお願いします」
 次は男子生徒が立ち上がった。
「あ~、あざ~っす。あれは鴨東中学から来た斎藤卓也といいます。中学は、えっと、そのサッカー部で、ポジションはセンターバックをやっていました! 引き続き高校でもサッカーやろうと思っています。一年間よろしくっす」
 斎藤と名乗った男子生徒は、ぺこりと恥ずかしそうに頭を下げた。こうやってどんどん自己紹介が進んでいった。
 真ん中ぐらいに来ると、美月が立ち上がった。
「えっと、洛桜女子中学から来ました、加藤美月といいます」
 そう言った途端、クラスからほうっといったため息のような声があちこちから漏れ聞こえた。
「え~っと、あたしは中学のときは茶道部でした。それでいわゆる世間でいうところの歴女ですので、趣味は御朱印集めです」
 篠崎はそれを聞いて嬉しそうに、茶々を入れた。
「御朱印集めかぁ。それは頼もしい。それじゃ、加藤さんはどんな時代が好きなの? やっぱり戦国時代か幕末?」
「いいえ、先生。中世です。鎌倉と室町。現代日本の根底にある精神文化が成立した時代ですから」
「すばらしい! ぼくも君みたいな生徒がいると、授業のやりがいがあるよ。加藤さん、一年間よろしく」
 美月が自分の紹介が終わったので席に着こうとすると、ひとりの男子が手を挙げた。
「あ、質問でーす」
 美月が促した。
「あ、どうぞ」
「加藤さんは中学から大学まである名門女子高の洛女から、なんでまた、ここへ入学してきたんですかぁ」
 美月はああ、といった顔をして、澄まして答えた。
「それはぁ、女ばっかだと息が詰まるからです。それに中学から大学まで一緒に学ぶ人間がずうっと同じっていうのは、コミュニケーションスキルが鍛えられないって意味では残念な環境なのかなって考えたんです。あたしはこの高校に在学する間、なるべくこれまでとは違うタイプの人達と接することで、変化と刺激を自らに課して、人間力を鍛えたいんですよ。こんなあたしですが一年間よろしくお願いします」
 美月がちょこんと頭をさげるとへぇとクラスのあちこちから感嘆したような声が聞こえた。美月は可愛らしい見かけによらず、結構はきはきした頭の切れる子だった。
 こうやってとうとう由利の番になった。由利は少し緊張の面持ちで席から立ち上がった。その途端、男子から声が上がった。
「すげ~っ、背たけーっ!」
 予想していた反応とはいえ、由利の身体はビクッと震えた。 
「えっと・・・小野由利といいます。東京から来ました。まだこちらに来たばかりなので・・・京都のことはまったくわかりません」
 由利はボソボソとほとんど聞き取れないような声であいさつした。
 そこでまた見るからに中二病チックな男子生徒の何人かが挙手した。
「あ、ハイハイ、ハーイ、質問ですっ」
「あんまり変な質問を女子にするなよ、坂本」
 篠崎は何となくこれから発する質問の内容が察しられたと見えて、坂本と呼んだ男子生徒にそれとなく牽制した。
「小野さんは身長何センチあるんですか?」
 実に気分の悪い質問だ。ちらりと横目を走らすと、坂本はそれほど背が高くない。おそらく由利より低いだろう。結局こういう質問というのは、相手を貶めて自分のコンプレックスを正当化しようとする卑劣な手段だ。由利は質問の本当のねらいを理解していた、だから失礼な質問を無視して、あえて答えないでおく選択肢も頭に浮かんだ。だが相手をそれとなく観察するに、クラスのみんなの面前で恥をかかせては禍根を残す面倒なタイプのような気がした。仕方なくここは少し譲って正直に答えた。
「百七十二センチです」
「あはは、やべっ!」
 坂本が笑い出すと、その雰囲気に引きずられて、急にクラスの雰囲気が悪い方向へと向かった。
「いるんだよなぁ、こんなヤツ!」
「そうそ、いるいるっ! クラスには必ずひとりいはいる、バカでかい女!」
 由利を容赦なく揶揄する声が響き渡る。クラス中が由利を嘲笑する声で充満した。
「ちょ、ちょっと君たち、いい加減にしなさい! ほらっ、みんな! そこまでにしないか!」
 だがもはや、篠崎の注意は男子生徒たちの耳には届かない。
「はい、はい。質問、しつもーん」
 別の男子生徒が懲りずにまた手を挙げた。よきにつれ悪きにつれ、この場で一度強い結束が生まれてしまうと、もはや担任といえど生徒たちを抑えることはできなかった。
「小野さんてハーフなんですか?」
「ちょっと、あんたたち! やめなさいよ! これってもう、歴然としたいじめじゃないの!」
 美月は立ち上がって、男子生徒たちに向かって叫んだ。
「うるせーな、このガリ勉チビ! おまえはすっこんでろ!」
 また先ほどの失礼な質問をした坂本が、美月にヤジを浴びせた。
 たしかに母親の玲子ははっきりと教えてくれなかったけれど、由利を身ごもったのはフランスに行った時代と重なる。由利はどう考えても純粋な日本人ではなかった。身長の高いのももちろんそうだったし、顔の彫りも深く、色も抜けるように白かった。それに髪や目の色も真っ黒とはいいがたい。
「あ、そうです・・・」
 由利は消え入るような声で答えた。怒りと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
 自分のクラスメイトの中に異国の血が混じっている人間がいるとわかると、急にクラス中は好奇心に駆られた目をして由利の一挙手一投足を観察していた。
「どこの国なんですかぁ」
「・・・・・・」
「どこの国って訊いているんですけどぉ~」
 男子たちは是が非でも由利に答えさせようと迫った。
「・・・フランス・・・です」
「すっげー、かっけー」
 クラス中がどっと沸いた。
 そのとき、部屋のうしろのほうでひっそりと席についていたひとりの男子生徒が、すっと立ち上がった。
 ものすごく背が高い。どう見ても百八十センチは軽く超えていた。少年は由利を執拗にからかっていた生徒たちの中心だった坂本の許へ、無言では足早に近づいて行った。
それに気が付かずに他の生徒たちと一緒にげらげらと笑い転げていた坂本は、ふいに横を見ると長身の同級生が席の横に立っていたので、その威圧的な態度に驚いてはじかれたように立ち上がった。
「な、何だよ、文句でもあんのか、おまえ」
 坂本は目の前の相手に向かって精一杯の虚勢を張った。
「なぁ、おまえ。坂本って言ったっけ? これもせっかくの機会だしさぁ、是非、オレの身長も訊いてくンないかなぁ」
 ふたりの身長差は二十センチ以上あった。これではまるで大人と子供だ。
「えっ・・・?」
「だからさぁ、オレにもよ、さっきの彼女にやったみたいに訊いてくれっつって頼んでんだよ、ああ?」
 長身の男子生徒は敵意をむき出しにして言った。それから坂本の胸倉をグイっとつかんで自分のほうへ引き寄せた。
「何なら体重のほうも訊いてくれてもいいんだぜ? オレって見かけよりずっと重いの。筋トレ欠かしたことねぇからな。へへっ」
 相手は身体が小さいので、つま先だちにならざるを得ない。
「世の中には、いろんな人間がいんだよ。おまえみたいにコンパクトなチビもいれば、オレのようにバカでかい人間もいんのよ。ほらっ、『みんな違って、みんないい』っつうでしょ? わかってンのか、ええっ?」
 こうやってすごむと十五歳の少年とは思えないほどの迫力がある。突然彼はクラスメイトに向かって自己紹介をし始めた。
「オレは常磐井悠季。身長は百八十八センチ。体重は八十キロ。で、趣味はそうだな・・・。喧嘩?」
 そういうと、狂暴な目をぎらりと件の男子生徒のほうに向けた。
「だがそれをしちゃうと、相手に必ず大けがをさせて病院送りになっちまうんで、シャレになんねぇ。だから今は自主的に止めてます・・・」
 常磐井と名乗った少年は、つかんでいた相手の胸倉をもう一度自分のほうへもう一度ぎゅっと引き寄せてから、座っていた席へと乱暴に放り投げた。
「だが理不尽なこととか、弱いものいじめが大嫌いなんで、今後この部屋で同じようなことが起きたら、誰だろうと絶対に許しません。オレが必ず天誅を下すってことを覚えといてください。ってことでそこンとこ、どうぞよろしくっ」
 そういうと、坂本が座っていた机に、拳を作り満身の力を込めて振り下ろした。

「うおぉおおおおお~ッ!」

 常磐井が発した奇声と同時に部屋中にガーンという破壊音が響き渡った。
「以上です」
 教室は水を打ったように静まり返った。


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ひょんるん

ぐいぐい引き込まれました。

美月ちゃん、賢い
由利ちゃん、気配りが出来ている
常磐井君、格好良過ぎる
坂本君、頑張って大人になろう

次々と映像が浮かんできました。

そして、作者さんの思慮深さが随所に表れていて、読んでいてドキドキしました。

どんな人間模様が繰り広げられるのか
想像が膨らみます。
by ひょんるん (2019-05-07 13:58) 

sadafusa

ひょんるんさん。

あら、こちらのほうに来られたのですね。

noteのほうが読みやすいかもしれないけど、
まぁ、どっちも書かれてあることは一緒だからいいか。

美月ちゃんはだれしも「こんな子が親友だったらなぁ」って
いう理想の女の子にしました。

常磐井君はかっこいいけど、どうだろ、これからいろいろあります。

由利は、お母さんのことが嫌いじゃないんだけど、
いろいろとコンプレックスがあって、今ひとつ
自信をもって生きていけない子なんだよねぇ。

坂本君、そうなんですよ。こういう子って困った子なんだけど、
どこにでもいる子です。

脳科学者中野信子さんによると、
人間は成人になるまで、「こういうことをやっちゃダメだよ」っていうブレーキの部分が完成されてないので、こんなふうにクラスという団体というか群れになると、異分子を排することで自分たちを守ろうとする本能みたいなのが働いて、由利みたいな子を遠慮会釈なくいじめる行為に走りやすいのだそうです。

自分たちの群れを守っているという「大義」が生じると、ドーパミンという快楽物質が分泌されるので、なかなかこういう「いじめ」はやめられないのだそうです。

いろいろとテーマが重なっているので、楽しみにしてくださいね。
by sadafusa (2019-05-07 18:50) 

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