境界の旅人41 [境界の旅人]

第11章 跳躍

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 祖父は坂上田村麻呂さながら、唐綾威(おどし)の甲冑に身を固めていた。背中では儀式用の鏑(かぶら)矢(や)ではなく、実戦用の征箭(そや)を刺し、刀全体と帯取りの鎖には銀で飾られた兵庫(ひょうご)鎖(ぐさりの)太刀(たち)、そして短い腰刀を佩(は)いていた。

ヴィグネーシュヴァラは辰造を見ると、ハッとして深々と頭を下げた。

「そうだ、失念しておりました。これはご無礼なことを。大将軍さま、あなたさまがいらっしゃいましたね。この都はあなたさまのような清い気で護られるのが一番です」

「お、おじいちゃん! ど、どうして?」

 あまりのことに、由利は身がわなわなと震えていた。

「由利。今起こっている一連のことは、すべて偶然ではない。わしは子供のころに命を助けてくれたあの女学生の顔は、ずっと忘れずに覚えておった。この時間のゆがみは経若の過ちではない。これは、天がわしのために仕組んだ符牒だったのじゃ。おまえがわしのもとへ参ったとき、わしはそのことを一瞬で悟った。そしておまえは、自分の成すべきことをした。よくやった。わしはおまえのことを誇りに思う」

「えっ? 符牒って? どういうことなの?」

 またもや由利は決壊しそうだった。

「はは、由利。おまえは賢い。それに肝も据わっておれば、思いやりもある。ほんに優れた娘やったが、せやけど、泣き虫やったな。怒っていても涙をこぼすからの」

 祖父はいつもの京ことばに戻って、優しく由利に笑いかけた。

「符牒というのはな、由利。これはわしがこの世に生まれてくる前に天とわしの間で取り決めがあったということや。わしは誰に無理強いされて、この京都を護るのやない。天からのおたずねがあって、ただわしが、そのお役目を自ら進んで引き受けたっちゅうだけのことや。だから経若の前におまえが姿を現したのも、言わば天の計らい。わしの番が回ってきたというこっちゃ」

「じゃ、じゃあ、最初から仕組まれていたってこと?」

「うん、まぁ、このことに関してはな。言ってみりゃ、これは変えることのできない宿命。せやけど、その与えられた宿命の中で自分の身をどう処していくかは、それぞれ個人の器量によるわけや。たとえ間違ってもいいねん。それは人間の自由意志が尊重されているということや。人は神仏のように一挙に悟ることはできん。ひとつひとつ経験を積んで、その中に込められた意味を考えて納得していく。それが、人間がこの世に生まれてきた目的や。わかるかな?」

「わからない、わかりたくなんかない!」

 由利は小さな駄々っ子のように泣きわめいた。

「はは。ほんの短い間やったけど、あの家でおまえと一緒に過ごせて楽しかったなぁ。毎日ふたりでご飯を作って、食卓を囲んで食べて。他愛ない話をして。ああいうんをほんまの幸せって言うんやなぁ。わしは天がこの今生で最後に授けてくれたおまえとの思い出を、決して忘れることはないやろう。おおきに、ほんま、おおきにな。由利」

「おじいちゃん!」

 また由利のまつ毛に、涙が絡んで大きく珠を作った。

「おじいちゃんが行ってしまったら、あたしはどうすればいいの? あの家でひとりぽっちよ? ねぇ、そうでしょう?」

「ほらほら、また! 泣いたらあかんで、由利。せやけど、おまえはひとりぼっちじゃないで。おまえはいろんな人から愛されておるやないか……」

 辰造は慈しみにあふれたまなざしで由利を見た。

「わしはここにしばしとどまって、お役目をまっとうする。そしていつか天がもうよいと言ってくださるまでここに根を張って頑張るつもりじゃ」

 辰造はこれまで見せたことのない威厳ある武士(もののふ)そのものの表情になって、何千もの灯が光る京の街を睥睨(へいげい)した。

「由利、達者でな」

 辰造は、由利に背を向けて将軍塚のほうへ歩いて行き、そしてすーっとその中へ吸い込まれるように、消えていった。

「おじいちゃん、おじいちゃん!」

―こういうときこそ、心を尽くしたことばで寿ぐものぞ―



 由利は心の中の声に命じられるままに、経若の持っていた舞扇を再び開いた。舞や詩など知らなくても、身体が勝手に動いている。

〆今日よりは 顧みなくて 大君の  醜(しこ)の御盾と 出で立つ吾は  
〔今日からは身を顧みることなく、大君(天皇)の強い盾となって我は出で立つのである〕
            『万葉集巻』二十・四三七三より引用

 これは万葉集に収められている防人(さきもり)が詠んだ詩だ。たしかにこの詩は、自ら京の護りの礎となった、辰造の心情にそぐわしいのかもしれない。

 だが決然とした力強い意志を秘めたことばの裏には、これまで過ごしてきた家族を思いやる心情も隠されているように由利には思えた。これ以上ないほどの切なさを覚えながら、その一方で祖父の武士らしい潔さに心を打たれていた。



 舞い終えたとき、これまでに起こった一切のことは終わっていた。気が付けば三郎の姿がない。

「三郎は? 三郎!」

 そこには金色に輝くヴィグネーシュヴァラから、またもとの姿に戻った小山が立っていた。

「小野さん……」

「こ、小山先輩?」

「うん。何だか元に戻っちゃったみたいだよ。ボクに憑いていた難しい名前の神さまもどっかへ行ったみたいだ」

「さ、三郎は? 三郎はどこへ行ったんですか?」

「うん、何だか神さまに、番人はもうしなくてもいいって言われたらしいよ」

 小山は他人事のように説明した。

「それで?」

「汝はいづちへも去れってさ」

「それって、どこへでも行けってこと?」

「そうなんじゃないかなぁ」

 小山もはっきりとは確信が持てないでいるようだ。

「で、三郎は?」

「三郎は消えた」

「消えた…? それってどういうこと?」

 由利は明らかに恐慌をきたしていた。

「さあねぇ。どうなんだろう? ボクもそこのところはよくわからないよ。彼がいるにふさわしい別の次元に移行したんじゃないかな?」

「そんな…」

 由利はまた目に涙を浮かべた。

「小野さん。キミがこれほど経若を思って泣くのはたぶん、キミの中にいた経若のお姉さんと同調しているからだと思うよ。お姉さんはそりゃあ、弟の経若のことを可愛がっていたんだ」

「でも経若は、弟だってことが不満だったんですよね? だってどんなに男として優れていても弟だったら、有無を言わさず恋愛対象から外されてしまうから」

 由利が言ったセリフを聞いて、小山は首を傾げた。

「でもね、こんなことを言うと、ロマンティックな恋愛を夢想している人には興ざめかもしれないけど、結局のところ、こういう男女のことって陰と陽の気の交換ってことに過ぎないんだよね。ほら、小野さんも太極図ってどこかで見たことあるだろう?」

「えっと、そうだ。韓国の国旗の中にもありますよね?」

「そうそう。円の中に白と黒の勾玉みたいなのが向き合って合わさってるでしょ?」

「ええ、ありますね」

「ほら、あれってさ、よく見れば円の中に勾玉みたいなのが相対してお互いがお互いを抱き込むような形をしているでしょう? 白なら白の円の中心に黒の点、反対側には白の点がね」

「ああ、勾玉の真ん中の穴みたいなもののことですか?」

「そうそう。あれもちゃんと意味があってね、あれは極まったところに、また相反するものが生まれているって印だよ。一対のものが完璧に結び合っている象徴だよね。ほら『満つれば虧(か)く』ってことわざがあるだろう? 物事はマックスになったら、それ以上に肥大することはないんだ」

「そうなんですか?」

 由利は腑に落ちないという顔をした。

「だからさ、もともと男女というものは陰であり陽だから、お互いが欠けたもの同士で、完璧になりたいという欲求があるんだ。男女の交わりっていうのも結局のところ、それを満たす一手段に過ぎないってことなんだろうけどなぁ」

「小山さんの言っていることが難しすぎてわかりません」

 由利はちょっと上目遣いで小山をにらんだ。

「んー。つまりさ、男女の交わりの究極的な目的って子を成すことだよね? つまり神の創造の真似事を、人間はそれとは知らずにしているんだよ。経若もどこかでそのことに気が付いて、煩悩を捨てられればいいんだけどね。彼は決して孤立しているわけではないんだ」

 話し合っている間に由利たちのもとへ、タクシーが二台やって来た。

「ほら、もうじき夜が明けるよ。ボクは常盤井君を家まで送っていく。キミは別の一台に乗って。病院へ帰らないとね」

 小山はかなり重たいはずの常盤井を軽々と抱えながら器用に片方の手で由利に手を振って、タクシーに乗り込んだ。

 気が付けば辺りはすでに、東の空が白々としていた。

「三郎……」

 由利は自分の手に残された三郎の舞扇を、しっかりとその胸に抱きしめた。
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おかもん

こんにちは。
現世ではおじいちゃんとお別れなのかな…仕方ないことなのかな…と思いながら、昨晩はウルウルしながら眠りにつきました。最後がまた美しくて、自分が記憶している限り最大限美しい風景で脳内で映像化してました。あと1回、もう最終回なのですね。ああ、とうとう最終回になってしまうのかと……結末を早く知りたい気持ちとイヤまだまだな気持ちでモヤモヤしています(笑) でも楽しみなのは変わらず…週末またお待ちしています!
by おかもん (2020-02-02 11:11) 

sadafusa

おかもんさま

うう~。世の中にはあなたのようなお慈悲深い方もいらっしゃるのですね~涙、涙

それだから私みたいな人間も救われます。

大好きな人との別れは辛いです。特に死に別れたりなどしたときは余計に。だけど、こんなふうに書けば少しは救われる気持ちになりませんか?

実はね、本当に書くかはまだ未定なんだけど、
由利が大人になったときの続編をこの間、考えていたんですよね。
全然さわやかじゃなくて、ドロドロで…。

こういうの、妄想している分には楽しいんだけど、
実際に書くとなるとものすご~く筆力がいるので、
ちょっとど~かなって思っています。

来週はまぁ、シメですわね。
また感想をお待ちしております。
本当にありがとうございます。
by sadafusa (2020-02-02 13:42) 

Yui

サンフランシスコから帰ってきて、有無をいわせず、年度末の諸仕事に追われています。
なんかすごい展開に驚きながら読みました。おじいちゃんの将軍のような登場にもびっくり。三郎が他の次元に飛ばされたり、小山さんの説得力も不思議な響きがあります。
さて、最終回はどうなってしまうのでしょうか?由利はどこへ帰ることになるのか。お父さんは結局あの人だけど、そこのところの時間の道筋がまた謎ですよね。
by Yui (2020-02-05 18:48) 

sadafusa

Yuiさま

長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。

この話、ダメな人には全く受け付けられないみたいです。
すごい展開なのかぁ~?
人によって受け取り方が本当に180度違うので、
ちょっと自分でも混乱してしまいます。

最後はどうなりますでしょうか。
由利の決意をどうぞ温かい目で受け取ってやってください。


by sadafusa (2020-02-05 20:06) 

Yui

いやいや、私もすっかり年寄りなので、高校生のアドベンチャーというとNHKのミステリードラマまで戻ってしまうのですよ。でもって、sadafusaさまの精神性の高さについていけないところがあるんです。
特に今回ついていけなかったのが小山さんのキャラです。普通に高校生をしている、性について悩んでる、でもっていきなり聖者の化身で突然現れてくる、、、すごいっと驚くばかりでした。逆にこの人が主人公でゆっくり書かれたらファンになったかもしれないです。
最終回が楽しみです。

by Yui (2020-02-06 17:44) 

sadafusa

そうですか~。

小山先輩って自分では思ってもみないほど、
皆様に人気のキャラでしたが、
自分としては最後のアレがあって、
主人公とかかわらせるとしたら
どうする?

ぐらいで考えて作ったキャラなので、
そんなふうに思ってくださっていたとは驚きです。

小山さんはさすがに主人公にはしにくいかなぁ~?

ま、軽く読み流していただければよろしいかと( ´艸`)
by sadafusa (2020-02-06 19:00) 

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