自己認証欲求とパワハラ ② [ひとつの考察]

今日も寒いですね。

さて昨日はたちの悪い認証欲求オヤジを
昨今の娘の相対する問題を例にして説明しました。

ではですね、ではどうしてこういうことをする人間がいるのか、
今日はその話をしたいと思います。

人間には、ある行動をしたとき、とても愉快になることがあるのです。

それは『脳内麻薬』といわれるドーパミンが出ているときなのですよ。
人間ってなんのアクションもしないでドーパミンがでることはありません。

ドーパミンがでるときというのは、脳が人間のある行動に関して”報酬”として認めたときなのですね。

じゃあ、どんな場合にドーパミンがでるの?ってことなんですが

それはですね、

おおまかにいえば楽しいことをしているときです。

具体的に言えば、目的を達成したとき、他人に褒められたとき、新しいことをを始めたとき。

またシチュエーションでいえば、意欲的でヤル気がでた状態、好奇心が働いているとき、
恋愛でときめきを感じている状態、恋が成就してその相手と事に及んでいるいる状態、
あるいはおいしいものを食べている状態などなどです。

こういえば、皆さん思い当たることはありませんか。

自分が長年努力してきたことが結実したとき、そのとき得も言われぬ幸せ感に包まれて
酩酊したような状態に陥ったことは、普通の人なら一度や二度は感じられたことでしょう。

例えば、
会社で大きな困難を抱えたプロジェクトがやっと実現したときとか。

何年も偲ぶ恋に耐えた末に結ばれることになって、結婚できたときとか。

手塩にかけた子供が結婚したときとか。

まぁなんかしら、感極まったときってあると思います。

そんな大ごとじゃなくても、おいしいごはん食べているときなどは「はぁ~、しあわせ~」と思ったりするものじゃないでしょうか。

わたしだって、最近の話でいえば、自作の小説を書き上げたときとか、
それを読んでくださった方が「面白かったです」ってコメント残してくださったときなど、
死ぬほどうれしかったですよ。もう、こんな状態のときって、多幸感の海を漂っているような状態です。
たぶん、人間は麻薬を吸わなくったって、自分の身体でそういう状態を賄えるのですよ。



そして、人間、一度そういう快楽を感じると、身体をそこまでに至る回路を記憶していて
二度目、三度目ともなると、一度めよりさらに大量のドーパミンがより短時間で生成されることになるらしいです。

人間、努力してこういうふうに酩酊できるというのは、天が与えてくれたなによりのご褒美だと思うし、基本それは肯定されるべきものだと思います、快楽物質のドーパミンが出るってことは。だってそういうことでもなきゃ、誰が苦労してまで努力をしますか?って話なんですよね。






お気づきのように、件のfacebookに登場する「ユアビューティフル男」の
分類すれば、自己認証欲求が満たされるということは、他人に褒められた状態であるわけですよね。

つまり、この場合も脳内麻薬といいますか、快楽物質であるドーパミンが多量に分泌されているわけですよ。
初めは単なる報告のつもりで日記的に自分の身の回りに起こったできごとや、おいしかったものの写真をUPしていたのが、不特定多数の称賛を思いがけず得てしまったときの、その人の潜在的な認証欲求は満々と満たされてしまったわけです、図らずも。

そうなんですねぇ。
人間ってのは、こういう快楽を一度覚えてしまうと、なかなかそれを手放せないものなのです。
そうして、またその陶酔感に包まれた状態に何度でも陥りたいという誘惑には勝てないものでしょ。

まぁ、それはそれで自己完結していれば自分が幸せなのだから、
他人は文句をいう筋合いにはないです。わたしだって、認証欲求満たされて幸せなときっていうのは
わかりますもん。



ですが、面白いのは、人間ってのは他者と比較して自分のほうが勝っていると認識したとき、さらに
快楽度が増すのですねぇ。「おれはあいつもより、グレートなんだ!」と思えるとき、さらに人間は陶酔することができるのですね。


とすれば、「インスタ映え」に躍起になるのはとても納得できることです。
facebookに、自分が少しでも自慢できるようなことがあれば、
それを写真にとって吹聴するほうが、より快楽にふけることができるのですよ。


そして、他人にとっては全くもって面白くない自慢話を延々としゃべりまくる人がいるのは至極当然なわけですよ。

でもね、人間って何事によらず、物事を俯瞰してみるってことは、バランスのよい人生を送るためには大変大事なことなのですね。
酩酊していてもいいんだけど、そこでふと「我に返る」ってことも大事なんです。
わたしの場合で言えば、そうやって自作の小説をほめて下さる方もいる一方で
「おまえの小説なんかクソだ!」って言ってくる人もいるのです。

面白いという称賛もあれば、クソだとなじる人もいて、わたしは自分を冷静に保っていけているわけですよ。ですから適度に貶されているのも自分にとっては非常に大事なことだと思っています。
天国と地獄、どちらも経験してその中間にいるってことがとても大事なんだと思います。
確かに「ここがなっていない」とか「18世紀のこの時代にはそういう観念はない」とか
「主人公のこういう行動は不愉快だ」とか言われるているのを聞くのは苦痛ですよ。でもね、そこにはさらに自分を飛躍させてくれるヒントがあったりもするのです。

いつまでも生ぬるい称賛ばっかりでは人間は、改めるってことをしないじゃないですか。
向上できないんですよ。それを忘れちゃいけないんだな。



ですが、世の中、まかり間違うとどうもこの冷静な客観視というものを
忘れて、ひたすら称賛されたがる人が多いのではないかということです。



ここからは、自前で調達できる麻薬物質であるドーパミンびたりの脳がどう他人の幸せを犠牲にして
自分が快楽にふけりたがるかってことを話そうと思います。

今日はここまでです。ではでは。

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