自己認証欲求とパワハラ ③ [ひとつの考察]

皆さん、おはようございます。

気がつけば12月も今日は21日ですね。今年も残す所あとわずかです。

このトピ、結構思いつきで書いて、本来なら
ベルばらの二次に興味ある方しか、このブログにたどり着くはずのないものだと思うのですが、
思いのほかよく読んでくださっているようです、


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わたし、常々思いますに、

お仕事って、結局のところ、「お金を稼ぐ手段」なんだと思うのです。

世の中には、お医者さんや看護師さんなど居なくてはならない人々もいらっしゃいます。
それはそれで本当にありがたいことだと思うんです。

こういう方は時としてはお金のことを度外視して働いておられる場合も多々あると思います。


でも、世の中というのはわたしのように、平凡でたいした能力がなくても
働かなくては生きてはいけない世の中なんですね。

ですから職場で「ごくつぶし!」とか「給料泥棒!」とか
酷いことばをなげつけられて、じっと我慢している人もたくさんいるかと思います。
でも、そういう酷いことばをなげつけられていると、いつのまにかその人は
「自分はそういうことばをなげつけられても仕方がない人間なんだ」と
怒りのこぶしを下ろして、がっくり肩を落として生きる気力も目的もなくなってしまうことがあります。

でも、この世の中、どんな人もそんなふうに裁かれて、尊厳まで失って生きていくことは間違っていると思います。

それは許されないことなんですよね。

日本国憲法も言っていますよね。「基本的人権の尊重」

人は自分が幸せになるために生きて行ってもいいんです。


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さて、前回はどのような仕組みで人は気持ちよくなることをやめられないかをお話ししました。

自前で調達することができる麻薬物質ドーパミンがでることで、
人は脳に快楽を感じるということです。


ドーパミンは、早い話が頑張ったとき生成されるのです。

でも、図らずも最近はネットと言うツールがでてきたことで
自己認証欲求が満たされることを偶然に知り、
そういうSNSの依存をしている人が多い、って話をしましたよね。



今回は少し、本題の核心に少し触れていくのですが、
ドーパミンって他にも出ることがあるのです。

ふつう、「怒る」っていうか人を叱責するときっていいうのは
決していい気持ちにはならないものなのですね。

子供を叱ったときが、親御になられた人ならわかると思いますが、
叱るという行為は案外親も疲れると感じたことがありませんでしか?

子供にうわ~んと泣かれたりしたら、
「ああ、可哀そうだったかな」とか「いいすぎたかしら?」と
反省されることもあるのは当然です。


人ってもともと頭の中にそういう自分の行動に対するチェック機能があるもんなんですよ。
どうやってそれを知らせるか、というと
なんとな~く嫌な気持ちになるんですよ、後ろめたくなるとか。


ですが、ときとしてそういうチェック機能が働かなくなる場合があります。

それは自分の行動は正しいのだ、相手のためを思ってやっているのだ、
と制裁することに対して、「これこれ正しい理由で自分は正しいことをやっているんだ」と
思えた時ですね。

こういう場合がちょっと厄介です。

たとえば、上司が部下であるあなたに
「叱ってやっている」「あなたのためを思えばこそ、愛の鞭をふるってやっている」という
理由付けをして叱責の名を借りて、いじめをしているとき。

こういう時には反対にドーパミンが出るんですよね。

こういう人はね、結局自分では気がついていないけど、
自分の快楽に溺れているんです。

これは本人はあなたをいじめているという意識すらないですから
いつまでも、いつまでも繰り返しますね。
そして、説教をしたりすると、ますます自己認証欲求も満たされて、
「わたしはこの職場にはいなくてはならない大事な人間なんだ」とますます増長してしまう、
という悪循環が出来てしまうのです。

そして、毎日叱責されると、その職場は硬直します。
みんなその人に、あなたのように度外れの叱責をされるのがいやなので、
あなたはますます孤立します。

ですが、こういう職場環境は非常によくない。
だってそういう特定の人を精神的にやり込めて毎日毎日すぎていくとすれば、
職場では一番大事な相互の信頼関係がなくなってしまうし、

なにより、「この職場は病んでいる」という認識すら、あまりに毎日執拗に繰り返されていることで、わかんなくなってしまうことも多々あります。


わたしは以前、石森章太郎の『サイボーグ009』をひさかたぶりに、それこそ
ん十年ぶりで読んだことがあるのですが、なにかと言うと「女のくさったような奴」という
セリフがしょっちゅうでてくるんですよ。

この漫画が連載されている当時は「女の腐ったような奴」ということばは
頻繁に使われて過ぎていて「別段どうってことないじゃん」と思っていたのだと思うのです。

ですが、そういうことばを禁止されて淘汰されたあと、この漫画のこの文句を読んでいると、
いかに侮蔑度が強い、聞くに堪えない汚いことばであるか、っていうことが
よくわかります。

同じように、この職場は毎日、上司の行き過ぎた叱責に慣れ過ぎて
いかにそれが尋常ではない非人間的なことが毎日行われているかってことを
問題にもしなくなってしまうのです。


これが、この問題の一番怖いところです。

そして、いじめられた人はひとり、どんどん追い詰められて、時には「自裁」という行為にまで及びます。

そして人がひとり死んで初めて、周囲や上位の管理職の人間たちが
そこで非人道的な行為が行われていたかを知るわけですが、

失われた命が戻ってくるわけじゃないですよね。





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