元気なうちに考えておくこと [ひとつの考察]

生まれて初めて体験するようなすごい台風が過ぎ去った思ったら、息継ぎをする間もなく、
北海道に大地震が起こってしまいました。

うわぁ~、災害列島日本です。
なんか神様がお怒りなのですかねぇ。人々が慢心しているから?

いやぁ、そんなことよりわたしは日本人の和を尊ぶ気質が本当にすごいなと思います。
北海道の方々、みんなで水や食べ物を分け合って昨日は過ごされたみたいです。

それに、わずか一日で北海道の電気が3分の1復活したんですよね。
それってすごいことだと思います。

災害地のみなさま、お風呂に入れなかったり、お水がなかったり、暑かったり寒かったり、わたしの想像もつかないような、いろいろな困難に見舞われているとお察しします。一日でも早く、回復に向かうよう、切にお祈りいたします。



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さて、誕生日のことです。
こんな歳にもなりますと、誕生日祝ってもらうのもありがたいような、ありがたくないようなで複雑な気持ちになるのですが、でもやはり、つつがなく今日の日を迎えられたことに感謝しようと思いました。

これまでは、夫婦で外食してお祝いすることが多かったのですが、やはり寝る前の夜にお酒を飲んで、消化の悪いものを食べる、しかも夏バテしているときに食べると、ものすごく身体にダメージをくらっちゃうので、今年からは、外食じゃなくて、お昼に少しおいしいものを食べるのがいいなと夫にお願いしました。

夫は娘を招いて、ウナギをごちそうしてくれました。あと、デパ地下でかったちょっとしたオードブルと白ワインを飲みました。

わたし、本当にお酒が飲めなくなって、グラスに軽く一杯か二杯で十分でした。つくづく年取ったなぁと思いました。


で、まぁ、このように元気なときじゃないと話せないことを娘と三人で話し合ったのです。

実は自分たちが死んだあと、すなわちお葬式と埋葬のことについて話し合ったのですね。
わたしは、ここを続けて読んでいらっしゃる方はよくご存じだと思うのですが、籍だけは日本聖公会という教会にあるのですが、まったく教会に行っていません。

まぁ、それにはいろいろと理由があるのですが、今ここではあえて書きません。
夫自身も別に信じている宗教はないようです。

我々夫婦は、神様入ると思っているし、死んだあとの世っていうのも信じてはいるんだけど、それがそれぞれの宗教に縛られたくはないと思っているんですね。
つまり、神様はいるけど、神様というのはキリスト教とかイスラム教とか仏教の教義に定義されるものじゃないんですよ。ある程度霊能力のある人はあの世というか霊的な世界を垣間見ることはできたとしても、その奥義をきちんと理解しているとはとうていいいがたいのではないかと。

神は人間に認めてもらえなくても、また、きがついてもらえなかろうと、定義されなかろうと、また人間が滅び去ろうとも、て原初から存在して、存在し続けるものなんです。

ま、この話もあんまり深く掘り下げないでおこうと思います。深くなにかの宗教に帰依されて、その信仰をきちんと守っておられる方はそれはそれで大変尊いものだとも思っています。



で、お葬式のとき、お寺さんを呼ぶにしても、教会でミサをあげるにしてもえらくお金がかかるわけですよ。なんかそういうの、普通にやると軽く300万以上かかってしまうんで…。

昔はそれでもよかったのかもしれませんが、今は平均寿命も延びて来て、リタイア後の生活が厳しくなることも予想に入れると、そうそうそんな贅沢なことはしていられないんですね。

ですから、かなり前からあるところと契約して、必要最低限度の葬儀はできるようにしてあるんです。

棺とか、霊きゅう車とか、お骨にしてもらうにもそれなりにお金がかかるんですよ。

あと、お墓なんですが、わたしあの、石だらけのじめ~っとした墓場の雰囲気が好きじゃなくて。
それにいつまでも、骨壺に収められてかろうとの中で朽ち果てずに「ある」ってことが、なんとなくイメージ的に嫌なんですよ。

それで!最近、発見したんですが、樹木葬ってところがあるんですね。
まぁ、樹木葬というのもなんだかいろいろありまして、単なる墓場にお花を植えてあるみたいなものもあれば、桜の木の下にずらりと植えるもの、本当に人が自分のイメージする死後の在り方ってさまざまなんですよ。

わたしはできれば、あんまり長い時間自分がこの世を生きていたことを後世の人に知られたくないタイプね。ひっそりと忘れていってほしいのです。とにかく凡人ですので。


わたしが今、死んだら、大阪にあるきれいな薔薇園であるメモリアルパークにしようと思っています。
いろんな設定があるのですが、夫婦で入って、どっちも死んじゃって、最後の一人が13回忌を迎えたところで、合祀するというものらしいです。

わたしが死んでも生きてことを思い出してくれるのは子供ぐらいだろうと思うので、それぐらいがちょうどいいんじゃないかなと思うんですよ。墓参りも大変だしね。そのころ、子供がどこに住んでいるのかわからないし。
自分の眠るところが墓石じゃないってところも気に入っています。


ただ、やはり、公園を美しく保つ管理は結構大変なんじゃないかなーって思うんですよね。薔薇の花って手入れが大変だし。

まぁ、京都にもこんなふうなメモリアルパークができれば、大阪まで出向く必要もないんで、それはそれでいいんですけどね。でもしばらく様子見かなぁと思います。だって会社が経営破たんしたら、すぐにこんな霊園草ぼうぼうになって怖い感じになるものね。

それでも、それなりに死後の準備も怠りなくお金を貯めないといかんなぁとしみじみ思いました。

死ぬのも結構お金使って大変です。


娘に釘をさされました。
「万が一お父さんが先に死んじゃったら、お母さんしょっちゅうお墓に行って、勝手に珍しい薔薇とか植えたりして、公園の管理員の人に迷惑がられるタイプだよね。やめようね」

たしかにそうかも…。



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Yui

sadafusaさま

うちの父の場合、母が亡くなった時、母の家系は神道だったからと神道でお葬式したのですが、3回忌の前に埋葬するにあたって、うちにある仏壇に入れて、近所の父の宗派のお寺の納骨堂に入れて欲しくなったらしく仏教で納骨しました。
宗派めちゃくちゃです。
それでも宗教的なものに救いを求めているらしく、本山や高野山などを訪ねたり、エルサルムに行ってみたいなどと言っています。
日本人の典型的な無宗教ですね。

>勝手に珍しいバラとか
まさにうちの父がそのタイプ。自分の好きなものは故人の好きなもの、他の人も好きなはずっと信じています。
by Yui (2018-09-09 13:37) 

sadafusa

Yuiさま


日本人は無宗教だとよくいわれますが、わたしはそうではなく、特定の宗教にしばられない民族なのだと思っています。

神は確かに存在するけれども、人間はどんな賢人といわれる人でも、神のみせるある側面しか見ることができず、全容を知ることができないのです。

仏教徒なら仏教徒なりの、神道なら神道なりの、イスラム教ならイスラム教なりのキリスト教ならキリスト教なりの。

人間というのは、気が付いていないけれどその時代の「常識」というものに常にとらわれているもので、時代が変わるとまた「常識」も変わる。

お父様は頭ではなく、感覚で「崇高」とか「神気」を感じ取っておられるのではないでしょうか。

お父様はお母様と過ごした中でご自分なりのチョイスでお母様の「存在」を荘厳しようとされているだけなんだと思います。

他人から間違って見えることでも、動機が大事で、「お母さまを思う気持ち」、それがすべてを語っていると思いますね。
by sadafusa (2018-09-09 17:40) 

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