他人の子供嫌い [雑文]

皆さま、こんにちは。
今日は七草がゆの日ですね。

さて、タイトルのとおり、今日はちょっぴり
辛口です。

『他人の子供嫌い』とは、子供が嫌いという意味ではありません。
大人の場所にそぐわない子どもがいることが嫌いという意味です。

たとえば、プロポーズをするために高級なレストランに入ってたら、
となりのテーブルの赤ちゃんがギャン泣きしていたらどう思います?
ロマンティックな雰囲気ぶち壊しじゃないですか。


sadafusa、子供が嫌いなんだと思わないでください。子供は好きです。
見ていると癒されます。
子供が公園で遊んでいる声などを聞くと、生気にあふれていて
元気がもらえるような気がします。


子供はなんにも悪くないですが、要するに大人の時間をたのしみたいのに、
そういうことを無視する親が増えているのかな…というお話。

昨日、月一回の編み物のお稽古のために、神戸の三ノ宮までいくのですが、
いかんせん、私は大の出不精で、出かけるまで
「ああ、なんで三ノ宮まで行かなきゃならないんだろう」って思っているのですが、
出かけちゃったらそれはそれで非常に楽しくなる人なんですよね。

で、たいてい出るのが嫌な自分のために、ちょっとしたお楽しみっていうのを用意するんですね。
三ノ宮に、名前は申せませんが、ステキな喫茶店があるんですよ。
一種の音楽喫茶っていうのかな、いつもLPレコードから心地よいクラシックが流れ、
お店の方が丁寧に丁寧にコーヒーを淹れてくれます。
それで器がいつも、ヘレンドみたいな欧州の一流陶磁器を使ってくれているのですね。
お店もキンキンに明るくなく、間接照明で落ち着けますし、お店の中がちょっと暗い茶色と紫で
統一してあるのも自分的に大変好みなんですよ。

で、そこでしばし世間も憂さもわすれてコーヒーを楽しんでいるんですよね。
ちょっと自分がいつもより「オトナ」になった気分。
(いや、もう大人を通り越して老人の域にはあるんですが…(笑)


そうやって、お店の方にコーヒーのカップをいただき、さて口を付けようかなとしましたところ!
なんかがやがやとたくさんのお客さんが来られた様子。

わたしの横にすわった人を見ると、
小さな子供をふたり連れた夫婦でした。

それまで自分が「いい女」になれた非日常の場所が急に何と言いましょうかねぇ、
所帯臭いこちゃこちゃした場所に成り下がっちゃったんですよ。
「パパ、パパ!」
「ちいちゃん、なにが食べたい? チーズケーキあるよ?」
「ケーキ!ケーキ!ケーキ!」

ああ、萎えます。
もうわたしはコーヒーの味などゆっくり味わうことはできなくなり、
そそくさとその場を後にしました。

お願いです。こういう場所には子供は連れてこないで欲しい。
あなたたちも日頃、子育てで疲れているのかもしれないけど、
一杯のお値段が他の倍の値段を払っているのは、
ただコーヒーがおいしいからという理由だけではないのです。

日常の喧騒を忘れ、美しい非日常の世界に漂いたいお値段だったのですね。



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鳩ぽっぽ

う~ん…sadaさまのお気持ちわかります。
私も以前、玉三郎さまの舞踊公演を観に行った時、同じような思いをしました。
ご存知のように玉三郎さまの舞台は細い糸がピーンと張りつめたような上質の緊張感が
舞台と客席に張りつめています。
観客も息を飲んで玉三郎さまのワールドに浸り素晴らしい舞を楽しんでいました。
舞台がクライマックスに近づき盛り上がっていた瞬間、突然小さな女の子が「うわあぁぁん!!つまんないよぉ!!ママ!!」とけたたましく泣き喚きだしたのです。
途端に張りつめた心地よい緊張感が崩れてしまい私達観客は玉三郎さまの耽美な世界から一気に現実世界へと引き戻されてしまいました。
焦った係員の女性が急いで客席に飛んできて「申し訳ございません。他のお客様にご迷惑ですから…」と母親に注意すると「いつも泣くんで大丈夫です。すぐ泣き止みますから」とがんとして咳を立たずに子供はギャンギャン泣き続けているうちに父親が泣いてる子供を引っぱって
連れて行ったのですがムードはめちゃくちゃ…
なぜ踊りを理解出来ない子供を劇場に連れて来るのか、連れて来る以上は迷惑をかけないように子供が泣いたら即、席を立つのは常識でしょうにと腹が立ったと共に真剣に踊っていらした玉三郎さまが本当に気の毒でした。
大人が楽しむ場所に子供を連れてくるのはどんなものかと思います。
せっかくコーヒータイムを楽しまれていたのに本当に残念でしたね。
あ、けして私は子供が嫌いなわけではありません。
by 鳩ぽっぽ (2019-01-07 15:23) 

sadafusa

ぽっぽちゃん、こんにちは。

玉さまの舞踊公演…。それは超残念なことでした。

京都も一時期顔見世には必ず玉さまが来てくださっていた時期が
あったのですが、最近京都にはとんとご無沙汰です。
玉さまどれもこれも、見とれるくらい美しかったです。
世の中の出来事は、何事も一期一会なんですよ。
玉さまが演じられる演目をすべて見ることはできないし、
そして玉さまだって人間なのですから、ベストコンデションじゃないときだってある。
ですから、珍しい演目でベストコンディションのときに、そういうことが出来したら、それは演ずる人にも、見ている人にも
本当に残念なことですよね。

わたしは舞台芸術をこよなく愛する者にすぎませんので、演じる人の気持ちがそんなにわかるわけではないですが、そりゃあ、緊張されると思います。でも、一歩舞台に入れば、そういう心配とかかなぐり捨てて、普段鍛錬された技を披露されるのでしょうね。

で、このとき、演じ手と見手には、おっしゃる通り、上質の緊張感がふわわ~んと劇場内に包まれるのですね。
ですから、演じるほうもそういう手ごたえを感じて、さらに舞台はすばらしいものになるのだと思います。

そうそう、いるいる。
自分のことしか考えないわがままな親。
自分もみたかったのかもしれませんが、他の人も見たいんです。
その中には、自分のお給料を少しずつためて今日の日を楽しみに来ていた人もいるかもしれないじゃないですか。

そういう人がいることを考えて欲しい。

子供はなんにも悪くないです。
こんな高級な芸術を子供が理解できるはずもない。

大人には大人の楽しみ方があり、
そういうところに子供を連れてきちゃ、迷惑なんだってことですよ。
by sadafusa (2019-01-07 16:49) 

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