お久しぶりです。近況② [雑文]

皆さま、こんにちは。

梅雨もまもなく始まりそうで、ムシムシと暑いですね。

ここには最近、サボっていてほとんど出没しなかったけど

今日はね、「内発的動機づけ」ってことについて
ちょっと語っていこうかなって思います。

お陰さまでサボり続けているこのブログですが、
読者が0とか10人というお寂しいことにはならないんですね。

なぜか?

それは過去のストックが曲がりなりにもいっぱいあるから?

ま、それも理由のひとつです。

ですが、そのストックの中でも、めちゃくちゃよく読まれているのが
小説群です。
コロナ禍の自粛期間って皆さん、よっぽど暇だったのか
本当によく読まれていました。

でも、これまで私は「ああ、ベルばらのファンの人がここに来て、読んでおられるのだろう」
とそのことをあんまり高く評価してなかったのですが、

ここにきて、オリジナルの小説も結構な頻度で読まれている。

これはちょっとびっくりなことです。



というのも、まぁ、私が利用しているnoteには、
よく小説を書いてそれをあげておられる方もいっぱいいらっしゃるわけですよ。

で、そういう方たちをディスるわけじゃないけど、その中の多くの方はご自作の解説をですね、
本文よりも多くの字数を割いて延々と説明されている。

それもご自分の作品がまだ終わっていないのに、です。

まぁ、気持ちもわかるんです。

自分が一生懸命手掛けたものって人一倍愛着がありますし。


ですが、私の考えを言うと、小説はダラダラと続けていいもんじゃない。
小説は終わらせてナンボです。

風呂敷を広げすぎて、収集がつかなくなって終われなくなったっていう
作品は結構見ますね。

まぁ、人さまのをどうこう言うのがここの趣旨じゃないんで、これぐらいにしておきますが、


小説ってものすごく読み手にとって、好き嫌いがはっきりと分かれるものだと思うんですね。
ジャンルも多岐に渡っています。

例えばハードボイルドが好きな方が、甘い甘いハーレクイン・ロマンスを読むとは思えないし、

ガルシア・マルケスが好きな人が、日本の時代劇が好きじゃないかもしれない。

そんなもんですよ。

それはいい悪いの問題じゃなくて、個々人の趣味の問題なんですよ。


私の事情を言えば、私の小説の世界観というのは
とてもじゃないけど一般受けするとは思えないんですね。

私は、海外のラブ・ロマンスが好きでして、
これまで偏愛してきたのは
『トワイライト』ステファニー・メイヤー
『ブーリン家の姉妹』フィリッパ・グレゴリー
『アウトランダー』ダイアナ・ガバルドン
『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル

でございます。

海外の女流作家のものが好きなのね。
ピエール・ルメートルだけはちょっと違うけど
だいたい文学賞とはあんまり縁のないタイプ。

こういう感じの小説書きたいなぁ~っていうのが
自分の根底にはあります。


よくね、小説をなんで書きたいのかっていう問いかけに対して、
「有名になりたい」っていう自己認証欲求を含むものが結構多いんだけど、
いいか悪いかは横においておいて、それはね、外向性の高い人の考えつくことなんじゃないかなって
思うのよね。

だからこそ、あんなにも一生懸命自作の解説をしてるんじゃないかなって思ったりする。

私はというと、今でこそこんな便利な時代になって、自分の作品を誰にでも見せられる世の中になったけれど、こういう世の中じゃなくて他人に見せることが出来なくても、小説は書いていたと思うんだよね、自分のために。

そうなんですよ~。
自分のために書いているんです。

自分の中にとぐろのように渦巻いているものをアウトプットすることで
客観視したいという、そんな願望に取り憑かれるわけですね。
自分の爆発しそうな感情を紙の上の主人公に代弁させることによって、
自分の頭はもう、そのことを覚えてなくていいんだっていう安心感があります。


書くことは、精神的に自分を浄化する作用もあると思います。



小説はプロットも結構大事ではあるんですが、
私が最も重要視しているのは、文章だったりするんですよね。

自分が推敲を重ねて、どれだけ洗練された文章にできるか、
それは自分にとって、かなり面白いし手応えのある作業なんです。

というのも、やはりこの作業がこれまでインプットして蓄積されてきた、これまでの読書量というものが物を言う領域のような気がするからですね。

これがまぁ、自分の内発的動機づけってことにつながっていくような気がするんですよ。

自分がインプットしたことに対して、誰かに聞いてもらいたい。
ですが、私は不幸にして自分の話を面白く聞いてくれる第三者に恵まれなかった。

ならば、小説という形を借りて、それをアウトプットしたらいいんじゃないかなって思ったのですね。


だから、まぁ、ここに小説を載せたりしていますが、できれば沢山の人に読んでもらいたいとは思いますが、それが絶対ってわけでもない。

人が顔をしかめて通り過ぎても、自分ひとりが読者になるのでそれはいいです。


以前は、自分の作品に対するコメントがすごくほしいなぁと思った時期もあるのですが、
作品は自分の手元から離れて、第三者の目に触れた時点で
自分が思っていたのと全く違う感想、また悪意のある感想を持たれることは
必然なんですよね。

誰もが褒めてくれるわけじゃないです。

私は去年、ある文学賞に応募して、一次選考に通りましたが、
そのときプロの方の批評に「書きぶりが応募作の中で随一だった。出版できるレベルにあるけど、ちょっと内容が陳腐だったかな」ってありました。

私は、それが非常に嬉しかったですね。内容はともかく文章を褒められたので。

あと、読者の素人評っていうのがありましたが、
これは本当にもう、散々で読んだ当初はショックでしたが、

よく考えれば、この方たちはプロじゃないし、
私の小説の世界観が好みじゃないんだろうな、
だから、中立の立場でもっと客観的に批評しているわけではないと
冷静に考えることができました。


私、もっと若ければ小説家を目指していたかもしれないですが、
実はほかにもいろいろとやりたいことがあるし、
めちゃくちゃ集中しなくては書けない小説を生業にしたいとは思ってないです。




そもそも自分のは文学ではない、と思うのね。


ただ、自分の思考の結果として、とどめて置いて、
あとで自分の人生の成果物として確認するのにはいいかも、と
思います。


でも、自分が死んだら処分してもらって全然構わないレベルです。


結構ドライな性格なんですよ。










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ぼんぼちぼちぼち

自分のために書く。書くことは自己浄化。いたく同感でやす。
あっしもそれでどれほどスッキリできたことか。
ブログというものが存在する時代に生きられたことに感謝してやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-06-09 21:52) 

sadafusa

ぼんぼちさん

ぼんぼちさんの文章は本当に素敵で、
頭とセンスの良さが際立っていますね。
それでいて、嫌味がない。
なかなかできることじゃないと思います。

同じ虐待を受けた身なので、私もぼんぼちさんみたいに
書いたらいいじゃないかって思うのですが、

なんかね、ぼんぼちさんのは自分の受けたトラウマを等身大で、
大げさでもなく、家と言って卑屈にでもなく、
淡々と事実だけを描いておられる。

それってなかなか出来るようでできないものだと思うのですね。

私はどうしても大げさに書いてしまうので、小説の形を借り、
自分が創作した主人公に自分の気持ちを語ってもらって
すっきりさせています。


by sadafusa (2020-06-09 22:02) 

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