呪いの言葉に惑わされてはダメ! その2 [雑文]
みなさま、こんにちは。
今日も暑いですね。
あ、でも関東より北のほうはそうでもないのかな?
それぞれに地方差はあると思いつつ、お届けしております。
そういえば、台風が九州に上陸すると言っていました。
九州にお住まいのみなさんはさぞや大変なこととお察しします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、ですね。
昨日、「呪いの言葉に惑わされてはダメ!」って話をしましたが、
ちょっとね、どういう切り口で話していけばいいのか、難しかったんですけど、
言い足りないような気がして、今日は補足って意味で自分の忘れられない体験を書きます。
「こいつはダメ」と思われている環境下に自分を置くことがいかに危険なことなのか、
それをもう少し突っ込んで話てみたいなと思います。
人って他人をどういう人間か判断するときは、
これまで自分が培ってきた経験によって、判断していると思うんですよ。
でも、もともとその人がたいして経験という経験を積んでこなかったり
あるいは、経験を積んできたにしても、古い時代の古い価値観であったりしたら、
今の時代の新しくて柔軟な考え方をする人に対してどのような評価を下すでしょうか。
私が思いますに、「あいつはなかなか面白いヤツだ」という評価を下せる人というのは
結構、自分に自信があって、しかもその人自身が多様な価値観を認められる人ですね。
反対に実は自分に自信がなくて、古い価値観にしがみついてそれを死守しているような人にとっては
新しい価値観に沿って行動している人間は、自分の存在自身を脅かす脅威ですから
大抵の場合はその人を否定したり、攻撃したりすると思いますね。
私は幼少期から親から否定的なことを言われ続けて育ってきましたが、
結構当時の学校のセンセイもすごくてですね。
小学校四年生のとき、26歳の女性教師が担任だったのですが、
たしか、四則計算ができなかったんですよね。
そしたら、こんな事言われたんですよ。
「sadafusaっ! アンタはね、低能なんだから絶対に将来結婚したらあかん!
アンタが結婚して子供が生まれると、またまた低能な子供が生まれる。
そしたら、世の中のお荷物になって社会のみんなが迷惑だ!」
すごくない?すごいよね?
自分、どれだけ賢いんかわからんけど、よくもこんな10歳になるかならずの子供に
こういう強烈なことが言えると思う。
まぁ、冷静に分析するとですね、当時26歳だったわけでしょ?
どれだけ自分が強烈なことを言っているかってってことが自覚できてないんですよね。
かてて加えて、突っ込んでいうと、
当時10歳の私は、「わぁ、かわいいw」って可愛がりたくなるような外見じゃなかったってことだろうと思います。太めで鈍くさそうな外見。そこにすでにバイアスがかかっているんだよね。
そして断罪する。
「こいつはいじってもいいキャラだ」「こいつにはどんな酷い事を言っても許される」
「こんなダサい外見なんだから、こういうことを許している親も親」
なんかこういう思考回路、わかりすぎて逆に痛いw
なんだろ、ひとつの鬱憤晴らしの材料にされていたんだろうなぁと思うんですよ。
昔の教師なんてこの程度のモンですわw
そう思えば、腹も立たない。
そういうことがあった一方で、
たしか小学五年生のときだったかなぁ、
私やっぱり昔からその手の道が好きだったと見えて、
手芸クラブに入ったんですね。
で、どういうわけかクラブ長になったんですが、クラブ長は
授業が始まるときは、出欠を取らなきゃならなかったんですよ。
で、私は親が言うところの、小心者だったので、未然に対処できるだろうと思えるトラブルの目っていうのは潰しておきたかったので、休み時間に全員の名前をチェックしていたんですよ。
「この人は田中さん、この人は杉山さん、そしてこの人は角田さん、、、、カクタかな、ツノダかな?」って感じで。
するとですね、顧問のセンセイが、この方は当時、随分と年配に見えたのですが、
いくつくらいだったのでしょうか? 40代後半?
その方がですね、お慈悲深いことにこうおっしゃったんですよ。
「sadafusaさん、あなたはしっかりしてるわね。そんなふうに小学五年生で確認できるのは偉いわ」
ってうちの母親なら「ビクつきやがって、みっともない、鈍くさ娘」と野次られるところを褒めてもらったんですよ。
いやいや、びっくりしてね~。
でも嬉しかった。
で、たしかね、手芸クラブの中には難しい名前の人もいたんですよ。
たしか、夙川さんて人がいてですね。
私は当時から漫画大好きだったんで、白土三平の「カムイ外伝」のファンだったんですね、
カムイは通称「夙のカムイ」と呼ばれていたので、私は彼女の名前をちゃんと「しゅくがわ」と呼ぶことができた。ただそれだけなんですよ。
でも、件のセンセイは「わぁ、こんな難しい名前も読めるんですね!」って
素直に驚いてくれるんですよ。
なんかね~、「お前は低能だから結婚するな!」とまで言われていたのに、
同じ学校の中でもセンセイが違えばこんなふうに褒められるというのは
私にとって大事件で、忘れられない思い出です。
単純に褒められたら嬉しいという思いもありましたが、
そのとき、センセイによって、下す評価はかなり違うというのが
子供に私にとってはかなりインパクトのあるできごとだったのです。
私みたいな子供はこういった人に出会っていなければ、本当に救われなかったですね。
~~~~~~~~~~~~~~~
人間はネガティブな言葉には弱いです。そして引きずられるのです。
たとえば、昼一で重要な会議があったとしましょう。
あなたは少し緊張しています。
そのとき上司が「おまえはいつもここっていうとき、腰砕けで発言できないヤツだから、
今日は頑張るように」って言われたとします。
そしたら、その言葉がプレッシャーになるんです。
上司はもしかして鼓舞する気持ちで励ましたのかもしれませんが、
こういうのは逆効果です。
どうせなら、
「君はいざとなったらいつもやれる人間だから、期待しているよ」
って言ったほうがいいのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私を褒めてくれたセンセイは
何も、根拠もなく歯の浮くようなお世辞をいってチヤホヤしていたわけではありません。
いつもなら、親や担任の教師だったなら、「バーカ」と思うようなことを別の角度で見て、
評価してくれたのですね。
人間にはこのように多角的な視野が時には必要なのかもしれないです。
私を否定的に見ていた人たちは、
私のとった行動を「卑屈、小心者」と判定したのに対し、
肯定的に見たセンセイは、
「授業をスムーズに進ませるための用意周到な準備をしている責任感の強い子」
と見てくれたということです。
今でも私は、ものごとを実行に移す時には、
リサーチをして、計画を立てたりすることが多いです。
そして、失敗したらそのフィードバックが必ずします。
そういうことが結構仕事を進めていく上でも非常に大事なことかなって思うのですね。
~~~~~~~~~~
私のやったことはそれ自体、とくにいいも悪いもなかったとは思いますが、
いやしくも教育に携わる人なら、そこに緒を見つけて、
その子の持っている長所を引き出すように導いてやってほしいものです。
「お前はバカ」なんて誰でも言えるようなことを、教育者が言ってはいけないのです。
今日も暑いですね。
あ、でも関東より北のほうはそうでもないのかな?
それぞれに地方差はあると思いつつ、お届けしております。
そういえば、台風が九州に上陸すると言っていました。
九州にお住まいのみなさんはさぞや大変なこととお察しします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、ですね。
昨日、「呪いの言葉に惑わされてはダメ!」って話をしましたが、
ちょっとね、どういう切り口で話していけばいいのか、難しかったんですけど、
言い足りないような気がして、今日は補足って意味で自分の忘れられない体験を書きます。
「こいつはダメ」と思われている環境下に自分を置くことがいかに危険なことなのか、
それをもう少し突っ込んで話てみたいなと思います。
人って他人をどういう人間か判断するときは、
これまで自分が培ってきた経験によって、判断していると思うんですよ。
でも、もともとその人がたいして経験という経験を積んでこなかったり
あるいは、経験を積んできたにしても、古い時代の古い価値観であったりしたら、
今の時代の新しくて柔軟な考え方をする人に対してどのような評価を下すでしょうか。
私が思いますに、「あいつはなかなか面白いヤツだ」という評価を下せる人というのは
結構、自分に自信があって、しかもその人自身が多様な価値観を認められる人ですね。
反対に実は自分に自信がなくて、古い価値観にしがみついてそれを死守しているような人にとっては
新しい価値観に沿って行動している人間は、自分の存在自身を脅かす脅威ですから
大抵の場合はその人を否定したり、攻撃したりすると思いますね。
私は幼少期から親から否定的なことを言われ続けて育ってきましたが、
結構当時の学校のセンセイもすごくてですね。
小学校四年生のとき、26歳の女性教師が担任だったのですが、
たしか、四則計算ができなかったんですよね。
そしたら、こんな事言われたんですよ。
「sadafusaっ! アンタはね、低能なんだから絶対に将来結婚したらあかん!
アンタが結婚して子供が生まれると、またまた低能な子供が生まれる。
そしたら、世の中のお荷物になって社会のみんなが迷惑だ!」
すごくない?すごいよね?
自分、どれだけ賢いんかわからんけど、よくもこんな10歳になるかならずの子供に
こういう強烈なことが言えると思う。
まぁ、冷静に分析するとですね、当時26歳だったわけでしょ?
どれだけ自分が強烈なことを言っているかってってことが自覚できてないんですよね。
かてて加えて、突っ込んでいうと、
当時10歳の私は、「わぁ、かわいいw」って可愛がりたくなるような外見じゃなかったってことだろうと思います。太めで鈍くさそうな外見。そこにすでにバイアスがかかっているんだよね。
そして断罪する。
「こいつはいじってもいいキャラだ」「こいつにはどんな酷い事を言っても許される」
「こんなダサい外見なんだから、こういうことを許している親も親」
なんかこういう思考回路、わかりすぎて逆に痛いw
なんだろ、ひとつの鬱憤晴らしの材料にされていたんだろうなぁと思うんですよ。
昔の教師なんてこの程度のモンですわw
そう思えば、腹も立たない。
そういうことがあった一方で、
たしか小学五年生のときだったかなぁ、
私やっぱり昔からその手の道が好きだったと見えて、
手芸クラブに入ったんですね。
で、どういうわけかクラブ長になったんですが、クラブ長は
授業が始まるときは、出欠を取らなきゃならなかったんですよ。
で、私は親が言うところの、小心者だったので、未然に対処できるだろうと思えるトラブルの目っていうのは潰しておきたかったので、休み時間に全員の名前をチェックしていたんですよ。
「この人は田中さん、この人は杉山さん、そしてこの人は角田さん、、、、カクタかな、ツノダかな?」って感じで。
するとですね、顧問のセンセイが、この方は当時、随分と年配に見えたのですが、
いくつくらいだったのでしょうか? 40代後半?
その方がですね、お慈悲深いことにこうおっしゃったんですよ。
「sadafusaさん、あなたはしっかりしてるわね。そんなふうに小学五年生で確認できるのは偉いわ」
ってうちの母親なら「ビクつきやがって、みっともない、鈍くさ娘」と野次られるところを褒めてもらったんですよ。
いやいや、びっくりしてね~。
でも嬉しかった。
で、たしかね、手芸クラブの中には難しい名前の人もいたんですよ。
たしか、夙川さんて人がいてですね。
私は当時から漫画大好きだったんで、白土三平の「カムイ外伝」のファンだったんですね、
カムイは通称「夙のカムイ」と呼ばれていたので、私は彼女の名前をちゃんと「しゅくがわ」と呼ぶことができた。ただそれだけなんですよ。
でも、件のセンセイは「わぁ、こんな難しい名前も読めるんですね!」って
素直に驚いてくれるんですよ。
なんかね~、「お前は低能だから結婚するな!」とまで言われていたのに、
同じ学校の中でもセンセイが違えばこんなふうに褒められるというのは
私にとって大事件で、忘れられない思い出です。
単純に褒められたら嬉しいという思いもありましたが、
そのとき、センセイによって、下す評価はかなり違うというのが
子供に私にとってはかなりインパクトのあるできごとだったのです。
私みたいな子供はこういった人に出会っていなければ、本当に救われなかったですね。
~~~~~~~~~~~~~~~
人間はネガティブな言葉には弱いです。そして引きずられるのです。
たとえば、昼一で重要な会議があったとしましょう。
あなたは少し緊張しています。
そのとき上司が「おまえはいつもここっていうとき、腰砕けで発言できないヤツだから、
今日は頑張るように」って言われたとします。
そしたら、その言葉がプレッシャーになるんです。
上司はもしかして鼓舞する気持ちで励ましたのかもしれませんが、
こういうのは逆効果です。
どうせなら、
「君はいざとなったらいつもやれる人間だから、期待しているよ」
って言ったほうがいいのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私を褒めてくれたセンセイは
何も、根拠もなく歯の浮くようなお世辞をいってチヤホヤしていたわけではありません。
いつもなら、親や担任の教師だったなら、「バーカ」と思うようなことを別の角度で見て、
評価してくれたのですね。
人間にはこのように多角的な視野が時には必要なのかもしれないです。
私を否定的に見ていた人たちは、
私のとった行動を「卑屈、小心者」と判定したのに対し、
肯定的に見たセンセイは、
「授業をスムーズに進ませるための用意周到な準備をしている責任感の強い子」
と見てくれたということです。
今でも私は、ものごとを実行に移す時には、
リサーチをして、計画を立てたりすることが多いです。
そして、失敗したらそのフィードバックが必ずします。
そういうことが結構仕事を進めていく上でも非常に大事なことかなって思うのですね。
~~~~~~~~~~
私のやったことはそれ自体、とくにいいも悪いもなかったとは思いますが、
いやしくも教育に携わる人なら、そこに緒を見つけて、
その子の持っている長所を引き出すように導いてやってほしいものです。
「お前はバカ」なんて誰でも言えるようなことを、教育者が言ってはいけないのです。
2020-09-02 13:15
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コメント(2)
いい教師にもとんでもない教師にも、両方遭われてきたのでやすね。
いい教師に遭われたことが、せめての救いになりやしたね。
小学生にそんな将来まで全否定するような言葉、酷すぎやすね。
あっしの小学生5~6年の時の担任も、とんでもない人格の中年女教師でやした。
クラスに 貧乏だからとみんなから嫌われているSさんという女の子がいたんでやすが、
話してみると普通にいい子で、休み時間、みんながドッチボールをしている間、あっしは一人ぽつねんと教室に取り残されるSさんと話しをするようになってたんでやす。
するとある日、その担任がやって来て「あ〜ら!ぼんぼちさんはSさんみたいに嫌われ者じゃないんでしょ?だったら、Sさんなんかと話ししないでみんなとドッチボールしなさいよ」って。
あっしは今でも、Sさんのことが気の毒でなりやせん。
その女教師、自分では優秀な教師だと自覚していたようでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2020-09-02 15:54)
ぼんぼちさん
本当に酷いセンセイでした。
ですが、この人を通してこの世のことわりってことを
よく考えるようになりました。
人は美しいものを求めるのですね。
美しいものは真であり善だと思いこんでしまう。
ときとしてそれは、罠だったりすることもあります。
反対に惨めなもの、汚いもの、みっともないものが嫌いなのです。
なぜなら一緒にいると、自分までが惨めに見えてしまうから。
しかし、そういう彼らが案外素晴らしい人だったりしますね。
Sさん、お気の毒でした。
別にSさんの家が貧乏だからといって、それが悪じゃないです。
ましてや貧乏な家の子供だったのは、Sさんの責任じゃないしね。
前々から思っていたのですが、
お金持ちの家に生まれて、容貌にも恵まれ、聡明な子はですね、
そういう子はいざというときのお金も人手も足りているんですよ。
だから今更教師がしゃしゃり出てきて、その子を褒める必要なんかないんです。
むしろ、教師は恵まれない子供の学力をこそ
引き上げるべきだと思うんですよね。
社会に出ても困らないように。
そのための義務教育でしょうが。
それなのに、なんなの?
>あ〜ら!ぼんぼちさんはSさんみたいに嫌われ者じゃないんでしょ?だったら、Sさんなんかと話ししないでみんなとドッチボールしなさいよ
いやしくも生徒の見本である教師が、
自分の教え子に「嫌われ者」なんて
本人を目にして言うことでしょうか?
そこらへんの無学なおばちゃんと一緒じゃん?
「Sさんなんか」って何?
お前は差別主義者?
あ~、嫌だ、嫌だ。
別に大人だからって分別や弱者に対するいたわりの気持ちって
必ずしもあるわけじゃないんですね。
逆に年端もいかない裕福なおうちのぼんぼちさんが
その子に共感してたりするものね。
ぼんぼちさんは、ご自分のこともあって、
人の辛さが解る子供だったんですよ。
Sさんにとって、もしかしたらぼんぼちさんは
私にとっての手芸クラブの顧問のセンセイのような
人物だったかもしれないですよ。
それにその後はわからないけど、
きっとSさんは幸せを掴み取っておられるような気がします。
逆にね、その因業・中年女性教師のその後が案じられますね。
自分が優秀と信じ込んでいる人は、反省がないので、
きっと大きな落とし穴にハマって大変だと思います。
by sadafusa (2020-09-02 17:57)