否定から入らない [雑文]

こんちは~。
少し間が空いてしまいましたね。スミマセン。

実はね、書けなくて悶絶していたの。
よくよく考えてみたら、これは趣味なのだし、
「ま、今日は調子悪いしやめとくか」で済む話なのですが、
でも、結局自分をキープしているのは、自分自身なんで
そうやって自分を甘やかしていると
何事も成すことはできなくなってしまうんですよ。

1月7日から書き始めたからかれこれ2か月ぐらい、せっせと
書いていたことになります。

でも、ここにきて、登場人物の細かい気持ちのヒダを書こうとして
なんかこう、ことばがこんがらがった糸をほどくように
とてつもなくめんどくさいものに思えてしまって

ああ、疲れているんだなって思いました。
それに、編み物教室の課題も迫ってきている。
そっちを放り出すことも潔しとしない自分がいるんだねぇ。

まず、編み物のほうをやっておくかと決心したところで、
今日はものすごい頭痛がするわwで実はこれを書いているんですが…


今日のテーマは…「否定から入らない」ということです。

人とおしゃべりをするときに、なるべく「それ、あたし好きじゃない」
とか嫌いとか、そういうことばを使わないほうがいい、と個人的には思うんですよ。

あたしは、フィギュアのザギちゃんがすごく好きなんだけど、
あるとき、初対面に近い人が
「ザギトワのあのコスチューム、田舎臭くて、よくないよね。嫌いだった」
って言ったんですよ。

あたしとしては、さすがロシアはバレエ大国。
音楽はバレエ「ドン・キホーテ」を使用していたので、
「ああ、キトリ(バレエの『ドン・キホーテ』はドン・キホーテが主人公ではなく、キトリとバジルという恋人たちが主人公)のコスチュームなんだね!」
と思ったのですが、そういうふうに「あたし嫌い」って言われると
会話が続かない。


だから、本心では好きじゃないことでも、「キライ!」って話さないほうがいいと思う。

世の中にはそれがいいと思っている人もたくさんいるんだからサ。



まさに、『十人十色』『蓼食う虫も好き好き』『亭主の好きな赤烏帽子』なわけです、世の中は。





人に自分の考えを発信するときは、まず自分が好きだなって思うことを言ったらいいと思うんですよ。

そして、相手が自分が好きじゃないものを好きだ、といったとしても
「アタシは嫌い」っていうと話が続かなくなるんで
そういうときはやんわりと「そうなんですねぇ」ってスルーしときゃいいんです。

あたしももともと、コミュニケーション・スキルが高い人間じゃないけどさ、
そのアタシでさえ、「?」って思うこと、最近、多いと思うんだわ。

別にこびへつらってまで無理に人に好かれなくてもいいとは思うんだけど、
かといって、ムダに敵を作らなくてもいいとは、思う。
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