境界の旅人17 [境界の旅人]
第四章 秘密
4
由利は持っていた合鍵で、春まで自分が住んでいたマンションの一室のドアを解錠した。
一階に常駐している管理人は、十二時から十二時半までの三十分間、全館見回りのため、入り口にある管理人室の席をはずす。万が一にも玲子の帰宅よりも前に管理人に出くわして、由利が家に入って行くところを不用意に見られたくない。管理人がいなくなったのを見計らって、由利は入口を無事通過した。
「はぁ、見つからずに済んだ。よかったぁ」
また誰かに見咎められるのが嫌で、一応が外出せずに済むように、駅の近くのコンビニでおにぎりとジュースは買っておいた。
玄関で靴を脱ぐ前に、由利は自分の長い髪を真ん中で二つに分けてツインテールにすると、そこからさらに三つ編みにして最後にゴムで留めた。
「まだ帰ってきてもいないのに、廊下や部屋にあたしの長い髪が落ちていたら、やっぱりそれはおかしいでしょ?」
髪を束ねたあと、上り口を見るともう髪の毛が落ちている。
「ヤバイ、やばい」
由利は持ってきたガムテープで玄関口をぐるりと用心深く拭いた。それをやはり用意してきたビニール袋に捨てた。
几帳面できれい好きな玲子らしく、しっかりどの部屋も掃除がいき届いていた。特に由利が京都へ行ってからは、汚す人間がいなくなったので、余計にすっきりと片付いているような気がした。
キッチンと続きのリビングに入ると、備え付けのリビングボードには由利が赤ちゃんの頃からこれまでの成長の記録として、節目節目に撮られた写真がずらりと並んでいた。
「あれっ、これは?」
由利の見たことのない写真がきれいなフォトフレームに入れられて飾られていた。それは中学校の卒業式の日の由利だった。額の中の自分は、幾分気弱げに口角を上げて写っていた。撮影された日からほんの五か月ほどしか経っていないはずなのに、過去の自分がずいぶんと幼く思えた。
このマンションは3LDKで、十二畳の大きなリビングと続きの六畳のキッチンがあり、そのほかに部屋が三つあった。ひとつは由利の部屋。もうひとつは玲子の寝室。中学校に上がるまで由利は、母の部屋に置かれたダブルベッドで玲子と一緒に眠ることのほうが多かった。完全にひとりで眠るようになったのは中学校へ入ってからだ。
そして残されたもうひとつの部屋は、玲子の書斎だった。この部屋には玲子の仕事関係の書類、研究資料などが置いてあった。実は由利が小学校三年生ぐらいに勝手にこの部屋に入り込んだことがあった。それでパソコンをいじって大事なデータを吹っ飛ばしたのだ。それ以来玲子は用心のために、この部屋には施錠するようになった。
「まさかわたしがいなくなっても、鍵をかけてるってことはないよね、ママ?」
そう言いながらぐるっとドアのノブをまわすと、思った通り鍵は掛けられておらず、部屋のドアは開いた。
「うは、やった!」
由利はバンザイをしながら歓声を上げた。
「だけど、待って、待って。迂闊なことはできないんだからね」
由利は慎重に玲子の部屋の書棚の段を、ひとつひとつカメラに収めて行った。そして念には念を入れて、最初にどのような状態だったのか、部屋全体の写真を撮った。
「ママがフランスに行っていたときの、職員名簿みたいなものがあればいいんだけど」
由利は玲子の戸棚にそれらしきものはないかと物色した。横文字の本がたくさん入れられており、それをひとつひとつ引っ張り出してはみるものの、ほとんどなんらかの研究書らしく、難しそうな数式か化学式のようなものが羅列されていた。
「うわっ、何これ? 呪文みたい・・・」
数学の不得意な由利は顔をしかめた。
「変だなぁ。何かあっても良さそうなのに・・・」
玲子は悲しい思い出のよすがになりそうなものはすべて処分したのだろうか。由利はがっかりして玲子の机の椅子にどっかと腰を下ろした。
「あれから何時間、ここで本棚から本を出したり入れたりしたんだろ。さすがに疲れた・・・」
ふと足元に視線を落とすと、机の一番下の引き出しをまだ開けてないことに気づいた。
「もしかして・・・?」
由利は取っ手を引いて開けようとした。だが引き出しには鍵がかかっていた。
「うん! 何なのよ、これ!」
由利は机に突っ伏して頭を抱えた。鍵はどこにある? 玲子は鍵を捨ててしまったのだろうか?
いや、そんなはずはない。もしここにフランス時代のものが入っていたとして、鍵を捨ててしまう可能性があるだろうか。
「そんな。鍵を捨ててしまうくらいなら、あたしなら初めから何も残さずに処分してる。でも捨てきれないからこそ、こうやって残してあるんだし。それなら絶対に開けられるようにしてあるはず」
その鍵は一体どこにあるだろう?
由利は稲妻に撃たれたように、突然脳裏に閃めくものがあった。
「ママは昔あたしの乳歯が抜けたとき、きれいな外国製のそれ用の箱に入れていた・・・。えっとあれは・・・真鍮製で 箱の上にティンカーベルみたいな妖精がついていたような」
由利が保育園に通っていたころ、乳歯が抜けると他の園児たちの親は、屋根の上に放り投げていた。
それは「今度は生えてくる永久歯が丈夫でありますように」というおまじないなのだが、玲子はそうはしなかったのだ。
「こんなかわいい歯を捨てられるもんですか」
由利にはそう言いながら玲子が、抜けた由利の乳歯をその箱に入れていた、薄っすらとした記憶が蘇った。内側はきれいな緋色のビロード張りで、指輪の箱のように畝が作ってあり、そこに乳歯を差し入れ固定させるようになっていた。
「あそこに鍵が入っていたような気がする・・・」
由利ははじかれたように立ち上がると、今度は玲子の寝室へ行ってクローゼットの戸を開けた。
「たしかママの慶弔用の真珠のイヤリングやネックレスをしまっている、日ごろめったに開かない引き出しがあったはず」
クローゼットに備え付けられている引き出しは二重ひきだしになっていて、普段よく使う引き出しの後ろに、めったに使わない引き出しがあるのだ。由利は順番を間違わないように写真を撮った後、ひとつひとつ、奥に隠された引き出しを暴いていった。
一番下の奥の引き出しに、真珠のネックレスと共に妖精が付いた銀色の小箱が収められていた。
「神さま、お願いっ! どうぞ鍵が入っていますように!」
そう言いながらふたを開けると、思った通り、小さい由利の乳歯のそばに鍵がひそませてあった。それを緊張にふるえる手でこわごわ掴んで、由利は机の鍵穴に差し込んだ。
カチッと解錠の音がする。
「ビンゴ!」
やはり由利が睨んだとおり、その鍵は机の鍵だったのだ。
ドキドキしながら由利が机の引き出しを開けると、中にはほとんど横文字のものばかり入っていた。
またもや写真を撮ったあとに、背表紙に印字されたタイトルを読んでいった。
「うへぇ、みんなフランス語だから、何て書いてあるのか、予想もつかないわ」
だがその中に、ひとつの白くて分厚い年鑑のような冊子があった。由利はそれを見てピンと心に響くものがあった。
表紙には『Centre national de la recherche scientifique』と書かれてある。
「ん? Recherché って英語でいうところの、リサーチじゃないのかな。つまりこれって、英語に直すと『Scientific research national center 』って言う意味?」
由利は自信がないので、グーグル翻訳を仏→英に直して確かめた。
中をパラパラめくると、やはり研究者名簿のようだった。一ページには八人ぐらいの研究員ひとりひとり名前と写真が載っていた。
「だけどこんなに分厚い本の中を、どうやって調べたらいいの?」
しばらく考えて由利はとりあえず、後ろの索引のほうを調べることにした。
「まずママの名前があるかどうかを調べないと」
玲子は小野玲子だからOの索引で調べられるかどうか、それを確かめた。
「Ono, Reiko ああ、あった、あった。516ページか」
516ページを調べると確かに玲子の写真と、フランス語で玲子の簡単な履歴と博士号取得時の論文のタイトルとその掲載誌名が載ってるようだった。
「これってどういう分類方法?」
由利は見出しをの文字を読んでみた。
「Institut des sciences de l'ingénierie et des systems…? ママってそういえば『工学システム科学』ってところにいたって聞いたような気がする。多分ここがそうなんだ」
由利はもう一度、芙蓉子がくれた写真を見た。
「あ、ここって」
見出しの下に工学システム科学研究所の建物が写っていた。由利はじっとふたつの写真に写っている建物を見比べた。
「うーん、なるほど。ここって研究所の敷地内で撮られたものなんだわ。それじゃあやっぱり芙蓉子さんが言ってた通り、十中八九はラディはママと同じ研究所の同僚だったと考えていい。ふたりとも同じ職場で働いていたんなら、きっとラディもここにいるはず」
玲子と同じ付近の写真を丹念に調べて行った。
「pierre? え、ぴ、ピエール・・・? 苗字は何て読むんだろ? いや、どっちにしろピエールなんて名前に用はないわ。これは? ギュスターヴか。違う、ラディのせめて苗字が判ればなぁ。こんなに苦労はしなくて済んだんだけどな」
そうやってページをめくっていると一人の男の写真が目に留まった。
「え、この人・・・」
名前を読んでみた。
「Rashid Khadra・・・ ラシッド・カ・・・ドラ?」
自分が持参してきた芙蓉子から渡された写真を、ラシッド・カドゥラと表された人物の写真の側に置いて二つを見比べた。
「似てると思えば似てるけど、別人のような気もする。こんな小さな写真じゃ確信がもてないなぁ。でもラシッドって名前は、ニック・ネームとしてラディと呼ばれる可能性は捨てきれない」
そしてカドゥラ氏のプロフィールに記載されている生年月日を見た。
「ママより三つ年上なんだ。とすると、この人は今四十五歳ってことか」
とりあえず由利はその人物の写真と履歴の箇所を、何枚も写真に収めた。
「まぁ、解んないことは京都に帰ってから調べればいいし。収穫はあった」
昼過ぎにこの家に入って来たのに、気が付けばとっくに時計は九時を回っていた。
由利はともかく一旦玲子の部屋から出て、自分の部屋でコンビニで買ってきた、おにぎりとジュースを食べた。へとへとだったけれど、何かを食べると元気が出た。少し気力と体力が共に回復したところで、再び部屋に入り写真を慎重に確かめながら、まず研究者名簿を机の引き出しに元通りにしまい鍵を掛けた。その鍵を真鍮製の小箱に戻し、それをまたもとからあった真珠のネックスレスが入っている引き出しの箱に戻し、その引き出しをまた元通りの場所に収めた。由利は作業を黙々とこなしているうちに、何となしに入れ子状になっているマトリョーシカをひとつひとつ胎内に戻しているような気がして、ひとりで声に出して笑った。
何もかも元の通りになっているかどうかを念入りに写真と見比べながら確認してから、最後にガムテープで丹念に自分の痕跡を消し去り、玲子の書斎から出た。
由利は思わず大きなため息をついた。
「ホントは泊っていきたいところなんだけど、やっぱり予定が繰り上がってママが突然帰って来たら大変だしなぁ。仕方ない。今日と明日はカプセルホテルで泊まるとしますか。あ、その前にラーメン食べに行こっと」
由利は夜更けに再び、自分の家から外へ出た。
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由利は持っていた合鍵で、春まで自分が住んでいたマンションの一室のドアを解錠した。
一階に常駐している管理人は、十二時から十二時半までの三十分間、全館見回りのため、入り口にある管理人室の席をはずす。万が一にも玲子の帰宅よりも前に管理人に出くわして、由利が家に入って行くところを不用意に見られたくない。管理人がいなくなったのを見計らって、由利は入口を無事通過した。
「はぁ、見つからずに済んだ。よかったぁ」
また誰かに見咎められるのが嫌で、一応が外出せずに済むように、駅の近くのコンビニでおにぎりとジュースは買っておいた。
玄関で靴を脱ぐ前に、由利は自分の長い髪を真ん中で二つに分けてツインテールにすると、そこからさらに三つ編みにして最後にゴムで留めた。
「まだ帰ってきてもいないのに、廊下や部屋にあたしの長い髪が落ちていたら、やっぱりそれはおかしいでしょ?」
髪を束ねたあと、上り口を見るともう髪の毛が落ちている。
「ヤバイ、やばい」
由利は持ってきたガムテープで玄関口をぐるりと用心深く拭いた。それをやはり用意してきたビニール袋に捨てた。
几帳面できれい好きな玲子らしく、しっかりどの部屋も掃除がいき届いていた。特に由利が京都へ行ってからは、汚す人間がいなくなったので、余計にすっきりと片付いているような気がした。
キッチンと続きのリビングに入ると、備え付けのリビングボードには由利が赤ちゃんの頃からこれまでの成長の記録として、節目節目に撮られた写真がずらりと並んでいた。
「あれっ、これは?」
由利の見たことのない写真がきれいなフォトフレームに入れられて飾られていた。それは中学校の卒業式の日の由利だった。額の中の自分は、幾分気弱げに口角を上げて写っていた。撮影された日からほんの五か月ほどしか経っていないはずなのに、過去の自分がずいぶんと幼く思えた。
このマンションは3LDKで、十二畳の大きなリビングと続きの六畳のキッチンがあり、そのほかに部屋が三つあった。ひとつは由利の部屋。もうひとつは玲子の寝室。中学校に上がるまで由利は、母の部屋に置かれたダブルベッドで玲子と一緒に眠ることのほうが多かった。完全にひとりで眠るようになったのは中学校へ入ってからだ。
そして残されたもうひとつの部屋は、玲子の書斎だった。この部屋には玲子の仕事関係の書類、研究資料などが置いてあった。実は由利が小学校三年生ぐらいに勝手にこの部屋に入り込んだことがあった。それでパソコンをいじって大事なデータを吹っ飛ばしたのだ。それ以来玲子は用心のために、この部屋には施錠するようになった。
「まさかわたしがいなくなっても、鍵をかけてるってことはないよね、ママ?」
そう言いながらぐるっとドアのノブをまわすと、思った通り鍵は掛けられておらず、部屋のドアは開いた。
「うは、やった!」
由利はバンザイをしながら歓声を上げた。
「だけど、待って、待って。迂闊なことはできないんだからね」
由利は慎重に玲子の部屋の書棚の段を、ひとつひとつカメラに収めて行った。そして念には念を入れて、最初にどのような状態だったのか、部屋全体の写真を撮った。
「ママがフランスに行っていたときの、職員名簿みたいなものがあればいいんだけど」
由利は玲子の戸棚にそれらしきものはないかと物色した。横文字の本がたくさん入れられており、それをひとつひとつ引っ張り出してはみるものの、ほとんどなんらかの研究書らしく、難しそうな数式か化学式のようなものが羅列されていた。
「うわっ、何これ? 呪文みたい・・・」
数学の不得意な由利は顔をしかめた。
「変だなぁ。何かあっても良さそうなのに・・・」
玲子は悲しい思い出のよすがになりそうなものはすべて処分したのだろうか。由利はがっかりして玲子の机の椅子にどっかと腰を下ろした。
「あれから何時間、ここで本棚から本を出したり入れたりしたんだろ。さすがに疲れた・・・」
ふと足元に視線を落とすと、机の一番下の引き出しをまだ開けてないことに気づいた。
「もしかして・・・?」
由利は取っ手を引いて開けようとした。だが引き出しには鍵がかかっていた。
「うん! 何なのよ、これ!」
由利は机に突っ伏して頭を抱えた。鍵はどこにある? 玲子は鍵を捨ててしまったのだろうか?
いや、そんなはずはない。もしここにフランス時代のものが入っていたとして、鍵を捨ててしまう可能性があるだろうか。
「そんな。鍵を捨ててしまうくらいなら、あたしなら初めから何も残さずに処分してる。でも捨てきれないからこそ、こうやって残してあるんだし。それなら絶対に開けられるようにしてあるはず」
その鍵は一体どこにあるだろう?
由利は稲妻に撃たれたように、突然脳裏に閃めくものがあった。
「ママは昔あたしの乳歯が抜けたとき、きれいな外国製のそれ用の箱に入れていた・・・。えっとあれは・・・真鍮製で 箱の上にティンカーベルみたいな妖精がついていたような」
由利が保育園に通っていたころ、乳歯が抜けると他の園児たちの親は、屋根の上に放り投げていた。
それは「今度は生えてくる永久歯が丈夫でありますように」というおまじないなのだが、玲子はそうはしなかったのだ。
「こんなかわいい歯を捨てられるもんですか」
由利にはそう言いながら玲子が、抜けた由利の乳歯をその箱に入れていた、薄っすらとした記憶が蘇った。内側はきれいな緋色のビロード張りで、指輪の箱のように畝が作ってあり、そこに乳歯を差し入れ固定させるようになっていた。
「あそこに鍵が入っていたような気がする・・・」
由利ははじかれたように立ち上がると、今度は玲子の寝室へ行ってクローゼットの戸を開けた。
「たしかママの慶弔用の真珠のイヤリングやネックレスをしまっている、日ごろめったに開かない引き出しがあったはず」
クローゼットに備え付けられている引き出しは二重ひきだしになっていて、普段よく使う引き出しの後ろに、めったに使わない引き出しがあるのだ。由利は順番を間違わないように写真を撮った後、ひとつひとつ、奥に隠された引き出しを暴いていった。
一番下の奥の引き出しに、真珠のネックレスと共に妖精が付いた銀色の小箱が収められていた。
「神さま、お願いっ! どうぞ鍵が入っていますように!」
そう言いながらふたを開けると、思った通り、小さい由利の乳歯のそばに鍵がひそませてあった。それを緊張にふるえる手でこわごわ掴んで、由利は机の鍵穴に差し込んだ。
カチッと解錠の音がする。
「ビンゴ!」
やはり由利が睨んだとおり、その鍵は机の鍵だったのだ。
ドキドキしながら由利が机の引き出しを開けると、中にはほとんど横文字のものばかり入っていた。
またもや写真を撮ったあとに、背表紙に印字されたタイトルを読んでいった。
「うへぇ、みんなフランス語だから、何て書いてあるのか、予想もつかないわ」
だがその中に、ひとつの白くて分厚い年鑑のような冊子があった。由利はそれを見てピンと心に響くものがあった。
表紙には『Centre national de la recherche scientifique』と書かれてある。
「ん? Recherché って英語でいうところの、リサーチじゃないのかな。つまりこれって、英語に直すと『Scientific research national center 』って言う意味?」
由利は自信がないので、グーグル翻訳を仏→英に直して確かめた。
中をパラパラめくると、やはり研究者名簿のようだった。一ページには八人ぐらいの研究員ひとりひとり名前と写真が載っていた。
「だけどこんなに分厚い本の中を、どうやって調べたらいいの?」
しばらく考えて由利はとりあえず、後ろの索引のほうを調べることにした。
「まずママの名前があるかどうかを調べないと」
玲子は小野玲子だからOの索引で調べられるかどうか、それを確かめた。
「Ono, Reiko ああ、あった、あった。516ページか」
516ページを調べると確かに玲子の写真と、フランス語で玲子の簡単な履歴と博士号取得時の論文のタイトルとその掲載誌名が載ってるようだった。
「これってどういう分類方法?」
由利は見出しをの文字を読んでみた。
「Institut des sciences de l'ingénierie et des systems…? ママってそういえば『工学システム科学』ってところにいたって聞いたような気がする。多分ここがそうなんだ」
由利はもう一度、芙蓉子がくれた写真を見た。
「あ、ここって」
見出しの下に工学システム科学研究所の建物が写っていた。由利はじっとふたつの写真に写っている建物を見比べた。
「うーん、なるほど。ここって研究所の敷地内で撮られたものなんだわ。それじゃあやっぱり芙蓉子さんが言ってた通り、十中八九はラディはママと同じ研究所の同僚だったと考えていい。ふたりとも同じ職場で働いていたんなら、きっとラディもここにいるはず」
玲子と同じ付近の写真を丹念に調べて行った。
「pierre? え、ぴ、ピエール・・・? 苗字は何て読むんだろ? いや、どっちにしろピエールなんて名前に用はないわ。これは? ギュスターヴか。違う、ラディのせめて苗字が判ればなぁ。こんなに苦労はしなくて済んだんだけどな」
そうやってページをめくっていると一人の男の写真が目に留まった。
「え、この人・・・」
名前を読んでみた。
「Rashid Khadra・・・ ラシッド・カ・・・ドラ?」
自分が持参してきた芙蓉子から渡された写真を、ラシッド・カドゥラと表された人物の写真の側に置いて二つを見比べた。
「似てると思えば似てるけど、別人のような気もする。こんな小さな写真じゃ確信がもてないなぁ。でもラシッドって名前は、ニック・ネームとしてラディと呼ばれる可能性は捨てきれない」
そしてカドゥラ氏のプロフィールに記載されている生年月日を見た。
「ママより三つ年上なんだ。とすると、この人は今四十五歳ってことか」
とりあえず由利はその人物の写真と履歴の箇所を、何枚も写真に収めた。
「まぁ、解んないことは京都に帰ってから調べればいいし。収穫はあった」
昼過ぎにこの家に入って来たのに、気が付けばとっくに時計は九時を回っていた。
由利はともかく一旦玲子の部屋から出て、自分の部屋でコンビニで買ってきた、おにぎりとジュースを食べた。へとへとだったけれど、何かを食べると元気が出た。少し気力と体力が共に回復したところで、再び部屋に入り写真を慎重に確かめながら、まず研究者名簿を机の引き出しに元通りにしまい鍵を掛けた。その鍵を真鍮製の小箱に戻し、それをまたもとからあった真珠のネックスレスが入っている引き出しの箱に戻し、その引き出しをまた元通りの場所に収めた。由利は作業を黙々とこなしているうちに、何となしに入れ子状になっているマトリョーシカをひとつひとつ胎内に戻しているような気がして、ひとりで声に出して笑った。
何もかも元の通りになっているかどうかを念入りに写真と見比べながら確認してから、最後にガムテープで丹念に自分の痕跡を消し去り、玲子の書斎から出た。
由利は思わず大きなため息をついた。
「ホントは泊っていきたいところなんだけど、やっぱり予定が繰り上がってママが突然帰って来たら大変だしなぁ。仕方ない。今日と明日はカプセルホテルで泊まるとしますか。あ、その前にラーメン食べに行こっと」
由利は夜更けに再び、自分の家から外へ出た。