芸術家のジレンマ  『ファントム・スレッド』 [読書・映画感想]

640 (11).jpg




みなさま、おはようございます!!

さて、昨日わたしは、『ファントム・スレッド』という映画を観て参りました。
これってアカデミー賞も取っている作品なのに、イマイチ日本人にはアピールできない作品なのか、
あんまり人は入っておりませんでした。

で、そしてまた主演を務めた天才仕立屋・レイノルズ・ウッドコックをダイエル・デイ・ルイスが。
そしてこの作品を持って彼は俳優を引退することにしたそうです。
いわば「引退記念作品」なんだそうです。

まぁね、今でもものすごくハンサムですけどね、さすがに年取ったなぁって感じですよ。
この人と、ジェレミー・アイアンズとレイフ・ファインズは、なんていうのかなぁ、
いわゆる英国人の典型的なハンサムといった感じで、互換性があると言ってもいいような気がする。
似てるんだよね、顔の配置とか、輪郭とか、身体の線とか…。

彼を知ったのは『存在の耐えられない軽さ』だったかと思いますが、
それからこんなに年月が経ったんですね。
本当に人間の一生とは短い…。そう思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、この映画の見どころっていうのは、
なんといっても、出て来る衣裳、これに尽きますね。
素晴らしい衣裳の数々。
お金持ちのマダムがお召しになる、外出着っていうのかな、スーツ。
そして夜会服。
そして花嫁さんのドレス。


640 (7).jpg


時代は1950年代。第二次世界大戦が終わって、少し世の中に活気が出始めたころ。
50年代ってね、コルセットはなくなっているけど、ちょっと昔のクラシック路線が流行ったころですよ。きゅっとウエストを絞って、丈が眺めのソワレが流行った。実際、博物館でこの頃デザインされたものは、コルセットを締めて丈が長いのが当たり前の時代のものをインテグレードされ、表現されたものが多く、ローブ・ア・ラ・フランセーズはこう、とか、エドワーディアン時代の服はこう、っていう締め付けから解放されて過去のありとあらゆる手法がリバイバルとして表現されていて、見ていて楽しい。


舞台がフランスじゃなくて、イギリスっていう設定も良いですね。
物語の終盤に主人公の仕立屋の贔屓筋だった伯爵夫人がよそのメゾンに行ってしまったんですよ。
そしてたら、すごく怒っちゃって、経営マネジメントを一切任されている姉のセシルに問うんです。
「なぜだ? 今まで作って来た洋服に問題はなかったはずだ!」
「よそのハウスに目移りしたのよ。今はやっているシックな服とかにね…」
「シック? シック! シックってなんだ? シックって意味が解らない! ああ、シックって言葉が僕の感情を傷つける!」
って苦悶するんですねぇ。

…シックってのは、シャネルから来てるんじゃない?
でも、シックが看板のシャネルも破れて
華やかで遊び心のあるスキャパレリが台頭してくる。
流行って流行であるかぎり、普遍的なスタイルってないよね。
華やかなのが流行れば、シックなものが流行るのよ。


あと、メゾンのスタッフの年季の入った縫子さんたち。
ン百万もするお召し物は決して、ミシンで縫われることはないんですのよ。


640 (7).jpg


編み物もそうだけど、ソーイングもね、機械がすると、優しいソフトなラインが出来ないものなのね。
だから、細かいカッティングがものを言う縫い仕事っていうのは、
縫子さんたちの超絶技巧でもって仕上げられるものなのです。

本当のプロの人たちの縫い目ってね、ミシンよりも綺麗。そして指の先で布地の特徴をとらえて、微調整しながら、塗っていくからねぇ。本当に素晴らしいものですよ。

たぶんこういうメゾンのお召し物というものは、布地からして特注。大量生産しないんですね。
で、裏地もたぶん絹を使って、職人の手で丹念に仕上げられるからン百万もするんでしょう。

ま、日本の着物もいいものを買えば、百万、二百万は当たり前だから、同じね。


640 (6).jpg

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

はい、ではあらすじに行きましょう。

この話はね、結局のところ、一緒に生活を共にする人は、
それはまぁ、結婚相手でもあってもいいんだけど、
とにかく一緒に生活をするとき、お互いに同じ価値観、同じ知的水準でないと、
その生活はとてつもなく苦しいものになるということ。

主人公のレイノルズは、仕立屋。まぁ、仕立屋といっても、ハウスを構える
デザイナーですから、芸術家なわけですよ。
でも、芸術家といっても、絵とか彫刻ではなく、人に服を着せることなので、
どうしてもインスピレーションを沸かせる、こうなんていうかなぁ、
着せてみたい!と思えるような人が常に必要なんですね。


640 (4).jpg


まぁ、ときにはそのインスピレーションの源となる、ミューズとも恋に陥ることもある。
まぁ、そういうデザイナーの受難の話ですよ。



ロンドン(たぶん)で店を構えるレイノルズは独身。
姉のセシルも独身。

つまりですね、実質的にこのふたりは想像面はレイノルズ、お店の運営などはセシルが一手に引き受けてきて、二人三脚で生きてきたわけよ。

結局このふたりは、これで完結しているのね、お互いにこれ以上といっていいほど、よくわかりあっているんだよね。姉弟だから、阿吽の呼吸ですべてを掴んでいるですよ。

ですが…。創造に関わった仕事をしているレイノルズは、それだけじゃ足りないんですね。
自分の霊感を高めてくれる女が必要なんです。

これまで彼のミューズをしてきた女には飽きがきて、姉のセシルは「ほかのだれかを見つけて来なさい」とレイノルズを旅に送り出す。

そしてふらりと立ち寄った田舎のレストランで、ガチャガチャとあか抜けない動作で給仕してくれた女の子を見て、レイノルズは雷に打たれたように魅せられてしまう。


640 (9).jpg

ですがね、そのウエイトレスであるアルマですが、なんか微妙な顔で、はっきり言ってそんな美人じゃないんですよ。思わず、ムンクのお姉さんの肖像画を思い出してしまったんですけど、妙にあごががっしりした顔なんだよね。

で、本人は「妙に首が長くって、肩幅があって腰もそれなりに細いんだけど、お尻周りがあり過ぎて、
そのわりには胸がない」と思っていてコンプレックスを感じているんですねぇ。
だけど、レイノルズはこういうボディを持った人間を探していたというわけです。

まぁ、ここまではよかったんですが、一緒に暮らしてみるとこの女、本当に教養も教育もないガサツな人間で、バタバタバタバタ、常になんかしら音を立てるんですよ。
お茶を飲むにしても、トーストを食べるにしても。朝は静かにインスピレーションが降りて来るのを待っているレイノルズの感情をかき乱すんですね。

640 (10).jpg

で、また、なんていうのかなぁ、女が幼稚で、わたしなんかは本当の愛とは想像力を持って、相手が喜ぶようなことをすることであって、決して自分の思い通りにさせようと相手を調教することではないとは思うんだけど、このアホ女はやってしまうんですなぁ。

で…もう、レイノルズを逆上させて、どうなるんかとハラハラしていると、「え?」っていう方法でレイノルズを黙らせるんですわ。

640 (5).jpg

まぁ、ある種の毒を料理に盛ってですね、死なない程度に身体を痛めつけて、抵抗できないようになると子供を介抱するように優しく接してやるんです…。

うわ~、なにを考えているんだ、この女…。と思いながら、手に汗を握りながら見ておりました。


最後はですね、またあり得ない終わり方でして…。
最後のシーンはあれは、来世の話かあるいは、女のほうのあり得ない未来の話なのか?
で終わるんです。

まぁ、決して心地よい映画ではないんだよね。
私的にはね。

わたしは悲劇でもいいんだけど、こういう割り切れなさっていうのは嫌なんだな。

でも、最後まで飽きさせないで見れたので良しとします。



nice!(3)  コメント(4) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。