『オスマン帝国外伝』season2 を見終えて [読書・映画感想]
皆さま、こんにちは、sadafusaです。
もうすっかり秋も深まりましたね。
さて、今日はまたまた『オスマン帝国外伝』について語ろうと思うわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今まで日本には西洋の歴史などはよく知られているものの、
中東の歴史ってあんまりよくわかんないって感じだったと思うんですよね。
でも、トルコ側から見たトルコの歴史および、西洋のキリスト社会の歴史など
トルコ側の人間がどう思っているかっていうのは、これまでわからなかったのです。
ですから、なんとく、砂漠、夜空、ハーレム、モスク、ベールなどと
こうエキゾチックでスパイシーな幻想を見ていただけに過ぎないのですが、
これはある意味、日本人にとってトルコの歴史の啓蒙ドラマかなぁって思うわけですよ。
ですが、とっても不思議に思うのは、
オスマン帝国の後宮の在り方っていうか、
もっと広く言えば、帝国の身分制っていうものですね、
日本人には不思議に思うところがいっぱいあるのです。
例えていうなら、江戸城ですね、
あそこには、将軍と御台所サマと側室、そして瀧山のようなお局さまが控えております。
それがだいたい、中国か朝鮮でひっとらえてきた奴隷だったとしたら?
なんか不思議じゃありませんか?
要するに、将軍さまはそうやって、
中国や朝鮮からひっとらえてきた美女を御台や側室にしていると、
将軍サマご自身だって、いつしか日本人の血統っていうものは
薄く薄くなっていくものじゃありませんか?
その一方で、お江戸の城下では代々続く、生粋の日本人ばかりなのです。
また、家来にも同じことが言えたりして、老中は井伊直弼みたいな殿様じゃなくて
フィリピンなどでひっとらえてきた奴隷だったりしたら?
なんか一般庶民にとって、お城ってところは、
気ごころの知れない場所になるような気がするのですが。
まぁ、それが世界宗教であり、現在も信者数ナンバーワンのイスラムの国だったから、
そして、三大陸にまたがる帝国だったから、
そういうことも実現できたって言えるかもしれないです。
そこらへんは非常にローマ帝国の在り方にも似ているような気がしますね。
たしかローマ帝王は、シリア出身の皇帝もいたんじゃないかな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というわけで、本題。
たぶん、主人公はヒュッレム・スルタンなんだと思うんですよ。
彼女はルテニアっていう、今でいうウクライナにある場所で生まれたのですね。
しかも正教徒の司祭の娘だったそうです。(清教徒は司祭でも妻帯できた)
そして幼なじみの男の子がいいなずけだった。
もし、ヒュッレムが突然運命を狂わせられなかったら、
ルテニアの地で、生涯、よき妻、よき母として
穏やかな人生が遅れたに違いないと推測するのですね。
しかし彼女が14歳のとき、タタール人に村が襲撃され、
親きょうだいは皆殺しにされた。
ヒュッレムは美少女だったので、金になると思われて
奴隷船に載せられ、イスタンブールに送られたのでした。
ヒュッレムは、そこでこれまでの人生が終わったんですよ。
彼女は一度そこで死んでいるんですね、精神的に。
で、イスタンブールに着いてからの人生というのは、
正教徒の司祭の娘であった彼女のこれまでの価値観とか
倫理観とかをすべてぶち破ったものだったのです。
ヒュッレムは、日本人の私たちから見ると、決して正直でもないし、
結構姦計を巡らして、宿敵である寵姫マヒデブランや他の女性を
次々と倒していくのです。
そして皇帝の愛をわがものだけにしようとするのですね。
それは一見、ものすごく日本人から見れば、容赦のない姿なのだけれど、
でも考えようによれば、否応なく故郷から引き離され、
理不尽に奴隷として売られてしまった彼女の
この世における復讐ともいえると思うのです。
一夫一婦制ではなく、オスマン帝国のハレムという世界。
あまたの奴隷女がひとりの皇帝に、侍って愛を乞う世界。
そういう世界に彼女は一糸報いてやらねば、気が済まなかったのでしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
宰相であるイブラヒム。彼も当時ベネチア領だったパルガという島の漁師の息子でした。
やはり、幼い時に、さらわれて奴隷にされて聡明で勇敢だったのを買われて
皇帝の側近になった人物です。
ヒュッレムとイブラヒムは、男と女という違いだけで、資質においては
大変よく似ているもの同士だと思う。
けれど、結束すればこれほど、強い絆はないとは思うものの、
彼らはお互いを嫌い抜き、いずれは亡き者にしようと虎視眈々と
チャンスをうかがっているわけです。
その容赦のない姿勢っていうのは、本当に戦慄するほど残酷なものなのですが…。
ヒュッレムはあるとき、イブラヒムにこういいますね。
「おまえはいつか、おまえ自身の血の海の中でおぼれ死ぬ」と。
なにかこう、皇帝も含めて、このドラマの登場人物は繋がっているようで繋がっておらず、
みんな砂のようにバラバラで、孤独です。
皇帝の愛を繋ぎ留められたと思っても、それはほんの瞬間で
永遠ではない。
ヒュッレムは皇帝の間に五人の子供を成しますが、
それでも、ホンモノの夫婦の情愛とはちょっと違う。
皇帝は、皇帝であるがゆえに、常に公正であろうとし、
公正であろうとするがゆえに、ヒュッレムやイブラヒムを何度も何度も試すのです。
もうすっかり秋も深まりましたね。
さて、今日はまたまた『オスマン帝国外伝』について語ろうと思うわけです。
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今まで日本には西洋の歴史などはよく知られているものの、
中東の歴史ってあんまりよくわかんないって感じだったと思うんですよね。
でも、トルコ側から見たトルコの歴史および、西洋のキリスト社会の歴史など
トルコ側の人間がどう思っているかっていうのは、これまでわからなかったのです。
ですから、なんとく、砂漠、夜空、ハーレム、モスク、ベールなどと
こうエキゾチックでスパイシーな幻想を見ていただけに過ぎないのですが、
これはある意味、日本人にとってトルコの歴史の啓蒙ドラマかなぁって思うわけですよ。
ですが、とっても不思議に思うのは、
オスマン帝国の後宮の在り方っていうか、
もっと広く言えば、帝国の身分制っていうものですね、
日本人には不思議に思うところがいっぱいあるのです。
例えていうなら、江戸城ですね、
あそこには、将軍と御台所サマと側室、そして瀧山のようなお局さまが控えております。
それがだいたい、中国か朝鮮でひっとらえてきた奴隷だったとしたら?
なんか不思議じゃありませんか?
要するに、将軍さまはそうやって、
中国や朝鮮からひっとらえてきた美女を御台や側室にしていると、
将軍サマご自身だって、いつしか日本人の血統っていうものは
薄く薄くなっていくものじゃありませんか?
その一方で、お江戸の城下では代々続く、生粋の日本人ばかりなのです。
また、家来にも同じことが言えたりして、老中は井伊直弼みたいな殿様じゃなくて
フィリピンなどでひっとらえてきた奴隷だったりしたら?
なんか一般庶民にとって、お城ってところは、
気ごころの知れない場所になるような気がするのですが。
まぁ、それが世界宗教であり、現在も信者数ナンバーワンのイスラムの国だったから、
そして、三大陸にまたがる帝国だったから、
そういうことも実現できたって言えるかもしれないです。
そこらへんは非常にローマ帝国の在り方にも似ているような気がしますね。
たしかローマ帝王は、シリア出身の皇帝もいたんじゃないかな。
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というわけで、本題。
たぶん、主人公はヒュッレム・スルタンなんだと思うんですよ。
彼女はルテニアっていう、今でいうウクライナにある場所で生まれたのですね。
しかも正教徒の司祭の娘だったそうです。(清教徒は司祭でも妻帯できた)
そして幼なじみの男の子がいいなずけだった。
もし、ヒュッレムが突然運命を狂わせられなかったら、
ルテニアの地で、生涯、よき妻、よき母として
穏やかな人生が遅れたに違いないと推測するのですね。
しかし彼女が14歳のとき、タタール人に村が襲撃され、
親きょうだいは皆殺しにされた。
ヒュッレムは美少女だったので、金になると思われて
奴隷船に載せられ、イスタンブールに送られたのでした。
ヒュッレムは、そこでこれまでの人生が終わったんですよ。
彼女は一度そこで死んでいるんですね、精神的に。
で、イスタンブールに着いてからの人生というのは、
正教徒の司祭の娘であった彼女のこれまでの価値観とか
倫理観とかをすべてぶち破ったものだったのです。
ヒュッレムは、日本人の私たちから見ると、決して正直でもないし、
結構姦計を巡らして、宿敵である寵姫マヒデブランや他の女性を
次々と倒していくのです。
そして皇帝の愛をわがものだけにしようとするのですね。
それは一見、ものすごく日本人から見れば、容赦のない姿なのだけれど、
でも考えようによれば、否応なく故郷から引き離され、
理不尽に奴隷として売られてしまった彼女の
この世における復讐ともいえると思うのです。
一夫一婦制ではなく、オスマン帝国のハレムという世界。
あまたの奴隷女がひとりの皇帝に、侍って愛を乞う世界。
そういう世界に彼女は一糸報いてやらねば、気が済まなかったのでしょう。
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宰相であるイブラヒム。彼も当時ベネチア領だったパルガという島の漁師の息子でした。
やはり、幼い時に、さらわれて奴隷にされて聡明で勇敢だったのを買われて
皇帝の側近になった人物です。
ヒュッレムとイブラヒムは、男と女という違いだけで、資質においては
大変よく似ているもの同士だと思う。
けれど、結束すればこれほど、強い絆はないとは思うものの、
彼らはお互いを嫌い抜き、いずれは亡き者にしようと虎視眈々と
チャンスをうかがっているわけです。
その容赦のない姿勢っていうのは、本当に戦慄するほど残酷なものなのですが…。
ヒュッレムはあるとき、イブラヒムにこういいますね。
「おまえはいつか、おまえ自身の血の海の中でおぼれ死ぬ」と。
なにかこう、皇帝も含めて、このドラマの登場人物は繋がっているようで繋がっておらず、
みんな砂のようにバラバラで、孤独です。
皇帝の愛を繋ぎ留められたと思っても、それはほんの瞬間で
永遠ではない。
ヒュッレムは皇帝の間に五人の子供を成しますが、
それでも、ホンモノの夫婦の情愛とはちょっと違う。
皇帝は、皇帝であるがゆえに、常に公正であろうとし、
公正であろうとするがゆえに、ヒュッレムやイブラヒムを何度も何度も試すのです。