小さな奇跡 [雑文]

皆さま、こんにちは。



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涙と汗のファックスの送付状 笑



さて、今日はわたしの身に起こった、奇跡の話をしますね。(ちょっと大げさかな)

わたしのブログの愛読者さまならお分かりいただけていると思うのですが、
今、わたしのところに、トルコの青年、E君が滞在しています。

E君は、トルコでもエーゲ海といいますか、ロードス島の近くの出身です。

E君のお父様は、トルコの政変の折に、ご家族で西ドイツのほうへ難民として逃げて、そ
のまま西ドイツで教育を受けて成人されたとのことです。
ですから政変が収まって、トルコへ帰ってきた当初は、
まったくトルコ語が話せなかった状態だったらしいです。

そんなとき、お母さまと出会って結婚されて生まれたのが、E君です。
E君はホテル教育の高校を卒業したのち、これまたホテル教育の大学へ入るためのお金を作るため、
2年間働いて、大学へ2年通い、
また学資金を作るために働いて残りの2年大学へ通ったあと、
兵役を一年、勤めました。

彼の住んでいるところは、トルコでもとっても田舎なので、
日本語はもちろんのこと、英語の語学学校すらありません。
でも、彼は20歳ぐらいのときから、いつかは日本へ行くという夢をもっていたそうです。
ですから、独学で日本語と英語をマスターされたのです。

こういうふうにサラッと一言でいうのは簡単ですが、これがどんだけすごいことか
わかりますでしょうか。
大学の学費は自分の力ですべて賄い、そして、ネットやyoutubeを聞いて
日本語を学んだというその精神力。

本当にすごいことだと思います。

彼はちょうど、うちの娘がSNSで、画家としての自分の知名度を上げようという
自分なりの信念のもとにどんな人でも、承認申請をしてきた人は無差別で承認していた時期があって、
そのとき、娘とSNSで知り合ったのです。

始めは、娘も結構警戒して付き合っていたのですが、
付き合っていくうちに、彼の日本に対する情熱、
そして努力にだんだんと彼の人となりがわかるようになり、
だいたいほぼ毎日、彼とは15分ないしは20分ほど、日本語の会話の相手をしていました。
会話の練習といっても、たいていはごくごくたわいない話ばかりで
今日、どこでどんな話があったとか、そんな話でしたが。

だいたい今年の夏を過ぎたあたりで、
E君が来日して就活したい、という希望があったので、
娘も彼の期待にこたえたいと思い、それなりに周囲にツテはないかと聞いていたのですね。


なんせ、トルコは一か月一生懸命働いて3万ぐらいの収入を得ることしかできないので、
彼は8か月間、一生懸命働いても日本人の月収ぐらいにしかならないわけですよ。
ですから、滞在日数は2週間。

ある方に
「本当にものすごい力のある人を紹介してあげる。大船に乗った気持ちで安心してください」
っていわれ、娘はかなり警戒して
「本当ですか。そのお言葉をそのまま、文字通りに理解して大丈夫ですか?」
とかなりしつこく念を押したのですね。
「大丈夫です。本当に安心してください」
って言葉を信じたのですね。

ですが、これが失敗で、その方の言っている「成功」とか「安心」というのは、
わたしたちが思っているようなものとはかなりかけ離れていたのですね。

E君は、喜び勇んで日本に来たのに、なんの成果もありません。
でもそのとき、ふとわたしの脳裏にひらめいたことがありました。
たしか、大坂で外資系の超一流ホテルに勤めている娘の幼なじみがいることを!
わたしは娘にいいました。
「たぶん、90%以上はダメだと思う。だけど、ダメもとでも
 トルコ男性で、英語と日本語に堪能なホテルの専門教育を受けてきた人がいるってことを
 伝えてほしい」

まぁ、もともとダメだろうと思ったのですが、ところが!すぐにメールの返事が返ってきました。
「それこそが、うちの人材にもっとも必要とする人だと思う。人事課長がすぐに履歴書を書いて
 FAXで送ってほしいと言っているからお願いします!」と。

そこから、秘密の扉が開きました。

FAXを送ったあと、娘が日本の履歴書に慣れてない、E君をビシバシ叱咤して完璧なものを
書かせたのです。製作時間4時間。
「E君、日本の世の中は厳しいよ。一度言われたことを、二度、三度ミスするということは
 社会人としてありえないことなの。こんなことができないくらいなら、とっととトルコに帰って!」
「アンタ、バカじゃないの? もしか勉強オタクなの? 仕事できないんじゃ話にならない!」
とかものすごいこと言って、さすがのE君も涙目に。
それをみて娘が
「アンタ、何しに来たん。泣いてるよりすることあるやろ? 泣くのはトルコへ帰ってからにしな!」

そして、そして、ネットのテストの案内が。
娘の幼なじみさんのアドヴァイスもありました。
「このテストは採用の中で非常に大きなウェイトを締めます。これが通れば、面接へと行けますから
 頑張って。どんなトラブルにでも、明るく接して、お客様が楽しめる、それが基本だからね!」

テストはわたしの家で受けてもらいました。
ただ、どういうわけか、途中でレジストリができなかったり、フリーズしたりして、
喉がからからになるほど、緊張しましたが、トラブルがあったら、そくホテルの人事部に
電話をして対処法を聞いたりしまして、最後、パソコンだけでなくiPad、iPhoneを総動員して
フリーズしている画面を動かしました。
中身は彼が答えているとはいえ、そばでみているわたしも緊張して、手が震えました。

そして、ネットのテストもパスしました。

ですが、彼はなんと!スーツを持ってきてなかったのです。トルコでは面接のとき、スーツをきる習慣がないのだそうなんですね。

で、真っ青になりながら、E君をつれてスーツの量販店に連れて行きました。
彼は日本人と比べると、首や手や足が格段に長くて細いのに、肩幅、腰回りが大きいんですよ。
で、どうしてもスラックスを治さなきゃならなくて
「お願いです、かくかくしかじかのワケがありますから、お金はかかってもいいです、
 今日中に直してください」
と必死の形相で頼んだのが功を奏したのか、店員さんもなんとか手配を取ってくれました。

お直しの間に彼に、ホテルの下見をさせるため大坂へ一人でいかせました。

当日、娘はず~っと胸の前で手を合わせていましたね。
いつまでたっても、連絡がこないのでじりじりしていましたが、
4時半ごろ、
「今まで四回、面接をして、五時半から、ホテルマネジャーとの面接があるんだよ」
と連絡してきました。
どうか、どうか、うまくいきますように!

と思っていると、「合格したよ!」との連絡が。

もうもう、娘と主人と抱き合って喜びました。

ホテルの支配人が
「親にお金をかけてもらって、教養を身に着けた人はたくさんいるが、
 ひとりでここまで完璧に、英語日本語を話せる人間をわたしは初めてみた。
 これは、まさに奇跡だ、合格です、おめでとう」
と言ってくださったそうです。

もう、うれしくて、うれしくて…。

他人の成功がこれほど身に染みてうれしいと思ったことはありませんでした。
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