『ボヘミアン・ラプソディ』を観て [読書・映画感想]

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皆さま、こんにちは。

今日は娘とふたりで久しぶりにデート。
往年のロックの大スターであるバンドQueenのボーカリストである
フレディ・マーキュリーを主人公にした『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行ってまいりました!

このフレディをというか、Queenを映画化するという話は、結構昔からあってですね、
サシャ・バロン・コーエンをフレディにとか、
いや、ジョニデがフレディをやればいいとかいろいろ話はあったみたいですが、
どれも途中で頓挫したみたいですね。

それが、今回のこの快挙。
主役のラミ・マレックさんにしろ、他のメンバーの役者さんにしろ、
素顔は全然別の人です。
ですが、演技でここまで似ることができるのかっていう迫真の演技でした。

ボヘ・ラプのメイキング・ヴィデオを見ていると、
フレディはもちろん、他のメンバーさんにも
彼らの演奏するときのクセとか、しゃべるときのクセとか
すべてにわたってコーチする人が付いたみたいですね。


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さて、フレディ・マーキュリーですが、
彼は、インド生まれなのですが、
実は古い時代にペルシャから、ムスリムたちに国を追われて
インドから逃げてきたパールシー(ペルシャ人という意味)といわれている
ゾロアスター教徒の末裔なのですね。

フレディの一家は、アフリカのザンジバルに住んでいたのですが、
(インドもザンジバルのイギリスの統治下という理由からだと思うけど)
フレディがたしか17歳ぐらいに、当地で革命が起きて、
着の身着のまま、難民としてイギリスに逃げてきた一家なのですよ。

わたしは、Queenが現役の時から知っていて、兄が買っていた「ミュージック・ライフ」
をよく読んでいたのですが、
その時、フレディは外交官の息子として紹介されていて、「へぇ、すごいエリートなんだな」
と感心していた覚えがあります。
当時の日本人の女の子から見たら、長髪のフレディって、本当に王子様に見えたと思うんですよ。

少し話は変わりますが、当時の芸能界の、沢田研二、西城秀樹、野口五郎などの衣裳は
絶対的に当時のQueenやレッド・ツェッペリンなど、有名なロックバンドの影響を
受けていると思うのですね。

そして、もっと言えば、『ベルサイユのばら』をはじめとして
『エロイカより愛をこめて』などのファッションなども、
実はロココのものでも、革命後のものでもなく、1970年代のブリティッシュロックの
ファッションの影響がものすごく強いと私は思っています。

フレディの魅力は、結構アンビバレンツな複雑なものだ、と私は思っています。
彼は、ルックスが決して万全じゃないんですよね。

妙に高くてとんがった鼻、そして出っ歯で、えらが張ったしもぶくれの顔。
最初は「えっ、ドラキュラみたい」とか「気持ち悪い」っていう印象なんです。
でも、なんていうのかなぁ、フレディには果物のドリアンとか、クサヤのひもの的な
魅力があって、何とも言えない異臭がするけど、それに一度ハマってしまったら
もうのめり込むように、それにおぼれてしまうような、そんな悪魔的な魅力があるんですよね。


芸術家らしく、ピュアでセンシティヴなシャイな面と、ずうずうしいくらい高飛車で自信満々な面。
最初の恋人だったメアリーを「生涯の恋人」と愛したのも本当なのですが、
ゲイとして男色におぼれていたのも確かなことなのです。

フレディはいわば、自分の中に飼いならすことのできない猛獣のようなものが潜んでいて、
全生涯、それと葛藤して、そして死んだような気がするのですね。


美しい曲の数々。
Queenの曲は、毎日だれかにカヴァーされて、耳にします。
それも一曲や二曲じゃない。
ボヘミアン・ラプソディ、サムバディ・トゥ・ラヴ、
サムワン・バイツ・ザ・ダスト、
バイシクル・レース、ウィ・アー・ザ。チャンピオン、などなどなど。
数えれば、キリがないほどです。


有名なレディ・ガガの芸名も実は「レディオ・ガガ」から来てますしね。

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フレディは、自身がバイセクシャルだと自覚したあたりから、
恋人のメアリーとステディな仲を解消します。
それからがもう、放埓に放埓を極めた生活をしていて
おそらく、このころ、エイズに感染したと言われています。

昨日、ソロで作った曲である「you don't fool me」ってのを聞いたんだけど、
声とか曲の調子が重くて、荒んだ感じがして、聞いてられないんですよね。
たぶん、彼はこのころ、自分の死というものを受け入れられずに
苦しんでいたのかと思ったりします。

ですが、最後のアルバム「イニュエンドウ」になりますと、
もうフレディは、身体は現世にありながら、心は彼岸に行っているみたいで、
突き抜けているんですよ、すべてが。
妙に明るい曲の後には、この世の人々すべてにさようならを告げているかのような
悲しい曲。また、明るい曲、また、暗い曲と交互に入っています。

ですが、どの曲もどの曲も、声は澄み切って、エイズに侵され、やつれ切った身体のどこから
そんなに力が潜んでいたのだと思うくらい、力強く熱唱しているのです。

イニュエンドウを聞いていると必ず、その声のワンフレーズ、ワンフレーズから、
魂のほとばしりというか、命のかけらのようなものが天に向かっているような
そんなゾクゾクするようなそんな感触を受けます。

最後、映画が終わって、クレジットであの名曲
「show must go on』が流れてくると、なにか胸に熱いものが突き上げて来て
涙が止まりませんでした。

そして、どんなに迫真の演技を見せているにせよ、それはやはり演技であって
フレディの不在というものを、改めて知って、彼の歌と共にあった自分の青春というものが
二度と帰らないものであるということを強く感じてしまいました。

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