日本人は揃えられない…。 [雑文]


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自分のコレクションした薔薇をみると、まったくといっていいほど
統一が取れておりません。本当に雑多な感じがする。

わたしと言う人間は昔から器用貧乏というか、よくばりというか、
とにかくひとつに絞り切れない人間なんですよ。
どんな場合であっても。

趣味もなんかこう、雑多だしなぁ。

それになんていうのか、そのときの気分でかなり好き嫌いも変わるしねぇ。


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それで思い出したことがあります。

わたしは習い事の関係で月に一度ほど神戸は三宮のほうまで出向くのですが、
そこであるコーヒー店でコーヒーを飲むのを楽しみにしているんですね。

名前はまぁ、そのお店の迷惑になるのでここで書くことを控えますが、
とても静かでクラシックな雰囲気のお店です。

店内はスイスの山小屋を思わせるような茶色の板張りです。
それでそこはLPレコードでクラシックを聞かせるのがウリなのか、
いつも静かにブルックナーのような音楽がなっているのです。


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で、お店の人が念入りにコーヒーをたてて淹れてくれます。
本当においしいです。
興に乗れば、チョコレートケーキも食べることもあります。
それも本当においしい。

わたしはたいていひとりでしか行動しませんから、たいていの場合、
こういうお店に入っても、おしゃべりはしませんが、
ここにはたいてい、年配の素敵なおじさまがいらっしゃって、
すてきな会話が弾むことがあります。
好きな音楽のこと、バレエのこと、絵画のこと、文学のこと、薔薇のこと…。
本当にどんなことでもよくご存知で楽しいです。

さてこのお店は素敵な食器があることもひとつの大きなウリなのです。
お店には、ヘレンド、ウェッジウッド、スポード、リチャード・ジノリなどなど
すてきなコーヒーカップがたくさん並んでいるのです。

あるとき、わたしがその方に「ヘレンドでお願いします」
って頼んだことがあったのです。

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で、何の話からそうなったのかは忘れちゃったんですが、こうおっしゃたんですよ。
「日本人は例えば、同じ銘柄の一揃えを持っていることに耐えられない」

たとえばフランスだったら、最初から最後までセーブル焼きの同じ柄のもので、全員揃えるでしょう?
あれが日本人にはたまらなく苦痛だと。

日本人は懐石料理のとき、初から終わりまで同じシリーズのお皿を使うことがありませんね。

八寸だったら、こんなの、焼き物だったら、アユだしこんなのかな、季節は夏ならガラスにしようか、とか、全部バラバラです。
でも、そういう変化を楽しむというか、バラバラなんだけど、統一感のあるバラバラなんですよね。
お料理の流れにストーリーがあるというかね。

でコーヒー店の件の紳士はこうおっしゃいました。
「昔、輸入食器がとても珍しい頃、(たぶん、昭和40年ぐらい)デパートを通じてウェッジウッドのコーヒーカップを買ったことがあったんですよ。その当時で六客300万ぐらいしました」
でも、と続くのです。
「やってみてわかりましたが、よかろうと思ってしばらくそのウェッジウッドばっかりを使ってい見たのですが、堅苦しくて嫌になって来るのです」
「今日はこのカップで飲もうかなと思うのは、季節の移り変わりが激しい日本人にとっては当たり前の習性です」と。

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わたしね、ちょっと気になっていたんですよ、たしかにコーヒーカップを買うのは好きなんだけど、全部違っているってことに。
あれこれ目移りしちゃうんですね。
あれもいいけど、これもいいってね。
で、見事にバラバラ。
それをいうと紳士はにっこりわらってこうおっしゃいました。

「それでいいんですよ、でもね、そのコレクションもあるひとつの基準について集められています」
「それはどんな?」
「あなたがそれを好きだ、という大きな基準ですよ」





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