究極の二次作品 『ハンニバル』season3 [読書・映画感想]

とうとう、念願だった『ハンニバル』シーズン3をもって
全シリーズを見終わることができました。
脚本からカメラワーク、俳優、衣装、美術、ロケーションなどなど
これほどまでにこだわりぬいて作ったドラマは数少ないと思われます。


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たぶんこれは、トマス・ハリスの小説『羊たちの沈黙』に始まって、『レッド・ドラゴン』『ハンニバル』『ハンニバル・ライジング』の愛好者たちがそのシリーズすべてを読了し、
また、各々の映画を作ったあと、

「わたしがハンニバルというキャラクターを使うドラマを作るならきっとこうする!」
というハンニバル愛好者たちが集まって作り上げた究極のドラマだったんじゃないかと
思うのですね。

この作品は原作を下敷きにはしていますが、まったく原作の通りではなく、いわば原作のパラレル・ワールドのような世界観なんですよね。


と私が思いますに、ハンニバル・レクター博士はプリマヴェーラの模写をしたり、チェンバロでバッハを奏でたり、原語でダンテの詩を暗唱できたりもする超弩級の教養人でもあり、外科医でもあり、精神科医でもあるのですが、『食人鬼』でもあるのです。

で、原作では迷宮入りしている操作のために、当時まだFBIアカデミーの訓練生だった
クラリスを使って、ハンニバルの知恵を借りようとするところから話は始まるのです。

クラリスの上司であるクロフォード捜査官の思惑どおり、ハンニバルはクラリスの知性や美貌に
一目ぼれして、難航している操作に知恵を貸してやるのですね。
ですが、ハンニバルはその後、『ハンニバル』ではクラリスの心をを操作して自分の情婦にしてしまうという…。わたしからしたら「え~? そんなのアリ?」みたいなちょっと残念な結末で終わっているのですよねぇ。

あのレクター博士がそういう、並みの人間みたいなことをするだろうか?

というのをたぶん他の愛読者さんたちもわたしと同じことを思ったんだろうと思うんですよ。
で、この作品が生まれたんじゃないかなと思うんですね。


以前のトピにも書きましたように、『ハンニバル』のドラマにはクラリスは出てきませんで、小説『レッド・ドラゴン』でレクター博士と対決したウィル・グレアムがその本来のキャラクターにクラリス的な要素が備わっている人物として描かれているのがとてもとても、秀逸だと思うのです。

ウィル(ヒユー・ダンシー)は自閉症スペクトラム障害といって、わたしもイマイチそれがどういうものなのかはわからないのですが、殺人現場などへいってその光景を見ると、事件が起きたその一部始終を頭の中に再現できるのですよ。そしてその殺人者がそのとき、どんな心理でいたかというのも。一種の特殊な共感ができるという、なんか超人的な能力を備えているのです。


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ウィルは自閉症スペクトラム障害で、他人の意思とほぼ同一に共感することができる能力があるため、精神的にもろいところがあって、こういう恐ろしい現場を次々と見せつけられていくと、心が病んでいくだろうと心配されて、「超一流の精神科医」であり、セラピストであるハンニバル・レクター博士のところへセラピーを受けに行くことを義務づけられるのですね。

まぁ、レクター博士は羊の皮をかぶった狼どころか、悪魔ですので、ますますウィルは病んでいくのですが…。

ですが、レクター博士には目論見があったのです。
ウィルには自分と同じ要素があるということを。
今はまだ覚醒していないけれど、きっと鍛えて行けばいつかは…。
という危ない欲望があるのです。

ここがドラマのオリジナルなところでしょうか。
なんかぼーっと見ているとBLなんか?と思ったりもするのだけれど、なんというかそういうチープな愛ではなく、ちょっと説明しがたいんだけど、もっと高度な愛情をレクター博士はウィルに抱いているのですねぇ。


で、俳優さんの選び方がいいな、って思うのね。レクター博士にはマッツ・ミケルセンじゃないですか? この人、もともとセクシーなんだけど、そこになんていうのか、一種の清潔感があるんですよ。それにもともとダンサーだっただけに、プロポーションも抜群だし挙措も優雅だしね。

で、ウィルにはヒュー・ダンシー。日本人の私たちからみれば、イギリス人の彼は歴とした男なんだけど、彼は大学生の頃「美少女」っていうあだ名があったくらい「美青年」だったらしいんですね。
とにかく、美少女とあだ名されていたころはグリーンアイがキッラキラにきらめてていて、ダークヘアーも天使のようにカールしているという…。まぁ、このドラマの頃は、もう30代だからどう見たって男性なんですが、要するに彼はどこか「中性的」な魅力があるんですね。だからといってオカマっぽいというわけでもないんですが。

でも、絵としてヒュー・ダンシーとマッツ・ミケルセンが並んでいる図は美しいんですよ。

あとですね、なんとレクター博士自身もセラピーを受けていて、ものすごく優雅で美人のペデリア・デュ・モーリア博士のところへ通っているのですね。(ついでに言えば、デュ・モーリア博士のしゃべり方がまた、すんごくいいんですよねぇ)

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ですが、このデュ・モーリア博士の謎な美女でレクター博士の正体を知っているんですよ、実は。
「自分だけは私に食べられないとでも思っているのか?」と畳みかけられると、
「いいえ。でも、今じゃないわ…」って答えるんですよね~。

恐れているわけでもないし、レクター博士を男として愛しているっていうんでもない。
不思議な関係でした。たまにウィルが「ハンニバル、お願いだ、頼むよ」って言うと、ハンニバルの目元と口許がわずかに緩むんですよね。マッツってこういう演技が本当に上手です。


でも、最後にレクター博士を晩餐に招くシーンがあって、そのテーブルに置かれたものを見て
「んんん?」と唸ってしまいました。あ、あれは…。


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本当はこのドラマはまだまだ続くはずだったらしいのですが、いろんな理由があって
シーズン3で、一応終わるのです。

ふたりは『レッド・ドラゴン』ことフランシス・ダラハイドを討つべく、岸壁に立つ建物でワインを飲もうとするのです。ですが、ダラハイドがレクター博士の腹部を貫通させてワイン・ボトルを粉々にするのですね。

目の前で恐ろしいことが起こっているにも関わらず、ウィルは注がれたワイングラスから、何事もなかったかのようにワインを一口飲む。
うわ~、こいつ、ここで覚醒しちゃったよ!って感じです。

ふたりとも大量の血を流しているにも関わらず、肉弾戦でダラハイドを殺し、そのあと、ふたりで抱擁したあと、東尋坊の3倍ぐらいありそうな崖の上から落ちていくのでした。
まぁちょっとBLチックな演出のようにも思えるけど、わたしはなんか不動明と飛鳥亮を思い出しましたけどね。ふたりはいわば同一の陰と陽だったんだな、って感じで終わるのです。

余談ですが、アメリカに住んでいるとき、レクター博士は非常にかっちりとした仕立て上がりの結構ド派手なグレンチェックのスーツに、ネクタイのノットを結構ぶっとく結んでいたりするんですが、フィレンツェへ行くと、急にやわらか~い色のやわらか~い仕立てのスーツを着こなしているんですよね。一瞬、レクター博士は宮廷服を着ているのかって思うほど優雅でありました。それと呼応してデュ・モーリア博士のおしゃれもアメリカ東部のおしゃれからイタリアっぽく変わるのが素敵でした。




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本当は続くはずだったから、またウィルとレクター博士は蘇って
二人で共謀して恐ろしいことをやるはずだったんだと思うのですが、
でも実際、ドラマはそうはいっても、筋が複雑で込み入っており、なおかつ非常に重たくて見るのに緊張しますし、何度も何度もウィルがレクター博士によって非情な方法で殺されそうになるので、見ているうちに同じ悪夢を繰り返して、見ているような気になってきて、実をいえばシーズン3で終わってくれてホッとしているのでした。


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「あなたは神になろうとしているのか?」
「わたしは神ほど気まぐれでも残酷でもない。だって神は意味もなく信心深い修道女が祈っている教会の屋根を落としてその命を奪ったりするんだからな。わたしはそんなひどいことはしないんだよ」



次に見たいドラマも控えているのですが、ちょっと今は気持ち切り替えてみる余裕がないなぁって感じです。



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