50年も昔の日本の姿 『神秘日本』by 岡本太郎 [読書・映画感想]
みなさま、こんにちは。
気が狂ったように暑かった日々も少し、小康状態に入っているように思えます。
いつもだったら、あつくてやりきれない夕方も、相対的な問題なのでしょうが、
あの連日、サハラ砂漠から吹いてい来るような風に比べれば、
そよりと肌に心地よいものがあるような気がします。
ただ、わたしは完全に体調を崩していますね。
昨日からおなかを壊して大変だったのですが、
今日は起きてしばらくすると、片頭痛がして頭痛薬を飲みましたが、
それでも治らない。
左の眼の奥が痛い~。これはわたしのいつものパターンなのですが、
目にウィルスが入っているんですね。
しょうがないので風邪薬のみながらこれを書いています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
小説を書いているときは、途中で自分の文体や話の流れが他の作品に影響を受けて
変わってしまうのが嫌なので、ほとんど読まないように努めるのですが、
一旦、全部書き上げて、しばらく熟成というか、放置しておく期間を設けているのです。
そういう放置機関というのは、他になんにもすることがないので、
本をよく読むのですが、なんていうのかな、一種のカンがさえわたっていて
自分の作品に関連性のありそうなもの、ヒントを与えてくれそうなものに
よく出会ったりします。
この時、読んだのが岡本太郎の『神秘日本』ですね。
奥付をみると1964年と書かれていますからそうとう昔です。
当時の岡本太郎自身の目で観察した「日本」について書かれています。
この時、岡本太郎は特に日本の祭礼について注目していたらしく、
北は恐山のイタコの口寄せやら、熊野の火祭りやら、奈良の最南端の十津川へ探訪する,あるいは曼荼羅図をみての考察などいろいろと
日本各地を巡り歩いているのですが、
ちょうど、そのとき、永久保さんの『御石神落とし』を読んだ次ぐらいに、これを読んでいたので、
妙にふたつが重なる部分も多くて、偶然とはいえない共時性というものに軽く驚嘆しました。
岡本太郎さんという方は、見た目はなんか変なおじさんにしかみえないのですが、
当時の日本を生きていた人にしては、本当に世の中の流れを一歩も二歩も先取りしたような
鋭い人で、しかも文章がとてつもなく美しく、かつご自身が芸術家であるゆえか、
書かれる文章も色彩感にあふれています。
史学的にいうと、岡本太郎が残してくれているこういった、フィールドワーク的調査というものは
非常に貴重なもので、放って置くと、どんどん祭礼などは廃れていく一方なのです。
ですから、このように詳細な式次第のようなものをきちんととるというのは、非常に大事なことです。
たぶん、50年も昔の東北の人が持っていた信心とか、死生観などはとうの昔になくなってしまっているものでしょう。
あまりに文章がすばらしいので、読みながらところどころメモを取りました。
で、読んでいて一番印象に残ったのは、十津川のことです。十津川は50年前だと、日本の秘境中の秘境と言われたところらしく、岡本さんのたちの一行は大阪から十津川へ向かうのに、宿にとどりつけなかった時のためにキャンプの用意、軽食の用意、そしてガソリンまで用意して出かけたのですよねぇ。
はじめ「こんな大げさなことをしなければたどり着けないものなのか?」とあきれていた岡本さんですが、やはりなかなか目的地にたどり着けなかったらしく、「やはりちゃんと用意しておいてよかった」と記述しているのですね。
たかだか50年も昔のことなのに、そんな土地がまだこの日本にあったなんてと不思議に思わざるを得ません。
気が狂ったように暑かった日々も少し、小康状態に入っているように思えます。
いつもだったら、あつくてやりきれない夕方も、相対的な問題なのでしょうが、
あの連日、サハラ砂漠から吹いてい来るような風に比べれば、
そよりと肌に心地よいものがあるような気がします。
ただ、わたしは完全に体調を崩していますね。
昨日からおなかを壊して大変だったのですが、
今日は起きてしばらくすると、片頭痛がして頭痛薬を飲みましたが、
それでも治らない。
左の眼の奥が痛い~。これはわたしのいつものパターンなのですが、
目にウィルスが入っているんですね。
しょうがないので風邪薬のみながらこれを書いています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
小説を書いているときは、途中で自分の文体や話の流れが他の作品に影響を受けて
変わってしまうのが嫌なので、ほとんど読まないように努めるのですが、
一旦、全部書き上げて、しばらく熟成というか、放置しておく期間を設けているのです。
そういう放置機関というのは、他になんにもすることがないので、
本をよく読むのですが、なんていうのかな、一種のカンがさえわたっていて
自分の作品に関連性のありそうなもの、ヒントを与えてくれそうなものに
よく出会ったりします。
この時、読んだのが岡本太郎の『神秘日本』ですね。
奥付をみると1964年と書かれていますからそうとう昔です。
当時の岡本太郎自身の目で観察した「日本」について書かれています。
この時、岡本太郎は特に日本の祭礼について注目していたらしく、
北は恐山のイタコの口寄せやら、熊野の火祭りやら、奈良の最南端の十津川へ探訪する,あるいは曼荼羅図をみての考察などいろいろと
日本各地を巡り歩いているのですが、
ちょうど、そのとき、永久保さんの『御石神落とし』を読んだ次ぐらいに、これを読んでいたので、
妙にふたつが重なる部分も多くて、偶然とはいえない共時性というものに軽く驚嘆しました。
岡本太郎さんという方は、見た目はなんか変なおじさんにしかみえないのですが、
当時の日本を生きていた人にしては、本当に世の中の流れを一歩も二歩も先取りしたような
鋭い人で、しかも文章がとてつもなく美しく、かつご自身が芸術家であるゆえか、
書かれる文章も色彩感にあふれています。
史学的にいうと、岡本太郎が残してくれているこういった、フィールドワーク的調査というものは
非常に貴重なもので、放って置くと、どんどん祭礼などは廃れていく一方なのです。
ですから、このように詳細な式次第のようなものをきちんととるというのは、非常に大事なことです。
たぶん、50年も昔の東北の人が持っていた信心とか、死生観などはとうの昔になくなってしまっているものでしょう。
あまりに文章がすばらしいので、読みながらところどころメモを取りました。
で、読んでいて一番印象に残ったのは、十津川のことです。十津川は50年前だと、日本の秘境中の秘境と言われたところらしく、岡本さんのたちの一行は大阪から十津川へ向かうのに、宿にとどりつけなかった時のためにキャンプの用意、軽食の用意、そしてガソリンまで用意して出かけたのですよねぇ。
はじめ「こんな大げさなことをしなければたどり着けないものなのか?」とあきれていた岡本さんですが、やはりなかなか目的地にたどり着けなかったらしく、「やはりちゃんと用意しておいてよかった」と記述しているのですね。
たかだか50年も昔のことなのに、そんな土地がまだこの日本にあったなんてと不思議に思わざるを得ません。