平和への祈り  『暗幕のゲルニカ』 [読書・映画感想]

みなさま、こんばんは。
昨晩の京都はすごい風でした。
夜も更けて、蒲団に入ったとき、吹き抜ける風があまりにすごいので
「バラちゃん、大丈夫かな?」と思い、
避難できるバラちゃんはすべて玄関に入れ、大きすぎるものは枝が折れるのが嫌なので、全て横倒しにしました。

薔薇は、動けないのでついお世話するのも力が入ってしまいますね。

さて、連日「マッツ、マッツ」と連呼していましたので、いい加減うんざりしている方も多いかと思いますが、わたしは一度気に入るとず~っとそればっかりを「食べ続ける」とか「聞き続ける」ことが多いんですね。
ですが、現時点でマッツ・ミケルセンの出ている作品は見たかもしれません。

「見るべきものは見つ」

なので、これからは今まで読んでいた読書感想をしていきたいと思います。


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さて、今日は原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』をご紹介したいと思います。


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暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

  • 作者: 原田 マハ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/06/28
  • メディア: 文庫




原田マハさんはもともと、学芸員をされていて単なる一愛好家としてではなく、研究者の立場から描いた絵画サスペンスみたいな小説が多いです。

だいたいは現代と画家が生きた時代を交錯させながら、華麗なドラマ作りをするのが得意な方だと思います。
ドラマティックなストーリー展開をさることながら、この方の文章はさながら、美しいドラマを見ているような絵画的なところがあり、それが食事の風景だったりすると「ああ、いいなぁ~」と素直にその世界に浸れるほど、リッチな描写が秀でていると思います。

『楽園のキャンバス』では舞台がたしか、スイスかドイツだったかな、ちょっとゲルマンっぽいの硬質な空気が非常に美しく描かれていましたし、今回はパブロ・ピカソが主人公ですので、ラテンの国、スペインらしい端正さが非常に華麗な筆致で描かれていたのがさすがです。

この作品で非常に重要な登場人物である「イグナシオ公爵」と言う方が出てくるのですが、その公爵のお屋敷の様子、食事の様子、非常に素敵です。

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あらすじは、現代のニューヨーク。9・11事件から話が始まります。
MoMA美術館のキュレーターである、八神瑤子は専門がピカソ。

ですが、9・11のとき、イスラム過激派のテロ攻撃を受けて、夫を失ってしまいます。

呆然自失としている彼女がテレビを見ていると
イラクの報復攻撃をすると発表した国連の『ゲルニカ』の複製のタペストリーに暗幕がかけてあるのを見て、腹の底から怒りがこみ上げるのです。

彼女はどんな場合にも暴力という手段はよろしくないと考えているのです。
しかもどんなときでも平和裏に解決しなければならないはずの国連が、臆面もなく武力による報復をする発表した。いつもなら、重大な発表をするときは必ず、平和の象徴でもあり、暴力による悲惨さを訴えた『ゲルニカ』のタペストリーをバックにしていたのに。
今回は「あんたはちょっと黙っていて」とでも言うように、暗幕をかけるなんて。


実はこのタペストリーはロックフェラー財団が、平和の尊さを忘れないために国連に貸し出していたもので、その代表であるルース・ロックフェラーの怒りも並みではありませんでした。

折も折、MoMA美術館はピカソの回顧展を企画していましたが、スペインの至宝である『ゲルニカ』を貸し出すことは以前から無理なことだと瑤子は知っていました。
ですが、ミセス・ロックフェラーは瑤子に命じます。「世界に平和を取り戻すために、ぜひともゲルニカを奪い取ってきてちょうだい!」と。

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ま、このようにどこどこまでのドラマティックに話は進行するんですね。

このピカソのゲルニカというのは、スペインのバスク地方の一地方であるゲルニカがナチスドイツによって空爆された悲惨さを描いたものだったのですね。
フランコ独裁を嫌って、ピカソは故国であるスペインを離れパリに移り住んでいたのですが、新聞でゲルニカ空爆の事実を知り、怒りに駆られて作ったのがこの作品なのです。


やはり時代は違えど、平和を祈り気持ちはひとつ。
イスラム過激派によるテロ行為は赦すことのできない残虐行為ですが、だからといってイラクに住んでいる何万という無辜の民の命が犠牲になってしまっていいのでしょうか。

これはたぶん、原田マハさんが岡山出身で、広島にごく近い地域に生まれた影響かと思います。
アメリカは「戦争を終わらせるためには、原爆投下は必至だった」といいます。
ですが、原爆投下は当時から禁止行為だったし、それを正当化する理由は実はない。
「勝てば官軍負ければ賊軍」のセオリーですよね。
それはおかしいとマハさんは思われたのでしょう。


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さて、肝心の『ゲルニカ』ですが、私は実は実物を約30年ほど前に、プラド美術館で見たことがあります。当時からゲルニカは分厚い防弾ガラスに囲まれていました。
当時何も知らなかった私は「すんごいなぁ~。こういうことする必要があるのかなぁ」と思っていましたが、この小説を読めば、それもむべなるかな、と思い知りました。


プラド美術館は本当に素晴らしい美術館で、当時の日本人は『裸のマハ』と『着衣のマハ』そして『ゲルニカ』のみっつをみたら、「見た、見た」と満足して帰っていきましたが、実はここには他にもティッツィアーノやベラスケス、ヒエロニムス・ボスなど、超弩級の絵画が無造作にかけられているのです。ほとんど誰もいない素晴らしい王宮の大広間に夫と二人でじっくりと見て回ったことを思い出します。
30年も経ったんだから、もう少しにプラド美術館もにぎわっているのでしょうか。

当時を懐かしく思い返しながら、読書しました。


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ただ、『ゲルニカ』はそういう反戦という意味では重要な作品なのかもしれませんが
芸術性が高いのかと言われると、私はちょっと「わからない」としか言えないのです。

というのも、私あんまり『ゲルニカ』が好きじゃないんですよ。
最初、戦争の悲惨さを描いた絵とすら認識できず、
「なんか馬とか人が暴力的なポーズをとっているなぁ」ぐらいにしか思えず…。

白黒ですから、陰気ですしね。

まぁ、ピカソはあらゆる意味で「常識」というものを打ち破って創造活動をしてきた巨人ですから、専門家からみたら、それなりに価値はあるのでしょうが、わたしは素直に気持ちが天上に向かうような美しい絵を見ていたいと思います。



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