うちに帰ったら、マンガ読も。 [雑文]

最近、絶不調だ。

自律神経が乱れているので、夜になるのが怖い、最近。
なんでかっていうと、そのころになるとランランと目は輝き、
布団に入っても、体がいきり立っているっていう状態っていうか、
全然お休みモードにならないのですね。

そして、昼はどんより~って感じが多いです。

でもそれでも薔薇に毎朝水はやらなきゃならないので起きてますが、
全く眠れないときは、五時半ぐらいに水をやっていたりします。


なんかねぇ、本当は何もしていない今の時期、たくさんいい小説を読むべきなんだけど
どういうわけか、まったくそういうフィクションを受け付けられないんですよ。

じゃあ、何を読んでいるかっていうと、ノン・フィクションばっかり。
それでも、そのノン・フィクションすら読めない時もあるんですねぇ。

でも、そういうときでも漫画だけは読める。
中学生で中間・期末試験がうまくできなくてどんよりしてたときも
とりあえず、学校の帰りに本屋によって漫画買ったり、
友達にずら~っとシリーズを借りて帰ったり。

そういうときって不思議と試験の結果なんかどうでもよくって
早く家に帰って漫画をじっくり読もうっていう、よろこびにあふれていたりするんだよね。

うん、面白い漫画がある限り、わたしは大丈夫な気がする。


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ドラマ『ハンニバル』 season1 &season2 [読書・映画感想]

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暑いときはおうちにこもってぞっとするようなドラマを見るに限る。

このドラマを見ていると、結局死霊とか妖怪とかドラキュラとかより、生きている人間のほうが
ず~っとこわいよなぁと思わさせられます。

まぁ、『ハンニバル』ってタイトルからして「ああ、羊たちの沈黙の続きかなんかなんだね」とまずピンとくると思うのです。
映画のレクター博士を演じていたアンソニー・ホプキンスもそれなりに怖いのですが、このドラマの比じゃないのですよ。
もう、毎回、毎回「よくもまぁ、こんなグロい殺し方考えられるよなぁ」とグロさにも慣れ、ひたすら感心していました。

マッツ・ミケルセンが演じるレクター博士っていうのは、アンソニー・ホプキンスが演じるのとはまた性格の違う感じかなぁ。どっちも独特の美意識とか美学があって、自分に無礼にふるまうやつは容赦なく食べられてしまうところは、おんなじなんだけど。
マッツはあの独特の風貌ですからねぇ。まぁ風貌もそうなんだけど、あの人は今更ながらだけど、スタイルめっちゃいいわ。診察室で何気なく組んだ脚の線がきれいすぎてみとれるもんねぇ。

すんごいおしゃれなキッチンですごい凝ったお料理を作っているシーンも思わず「もしかしてこの肉って…」と鳥肌が立つんですよね。

それでも、残酷なシーンを含めてものすごくスタイリッシュな画像はとっても評価できます。
全体にブルーを基調としたクールな画面。
たしかにやってることはものすごくグロいのだけれど、それを含めて美しく撮ろうとしているクルーの方の意気込みというのを感じました。

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さてお話というのは、原作を元にして新たな創作を加えられている二次創作のようなものかしら。

このドラマでは、『羊たちの沈黙』の主人公ともいえるクラリスの代わりに、
レッド・ドラゴンに出て来るウィル・グレアムが、クラリス的な要素を含んだ人物として描かれています。

ウィルっていうのは、もともと自閉症スペクトラムが引っかかって、FBIの捜査官にはなれなかったのですが、かれには不思議な共感能力っていうのがあって、殺人の現場を見ると、殺人者がどのような気持ちでこのような犯罪を犯したのかが理解できるという、一種のエスパーのような能力を持っているのですね。

ですが、レクター博士が犯した殺人なら、容赦ないサイコパスの心理に共感することにより、ウイルはそれによってだんだんと心が疲弊していくのです。

それなのにあんぽんたんのFBIはウィルのためにセラピストを用意させるのがですが、されがなんと
レクター博士。

あ~、ウィル可哀想~。

シーズン1は、8人の残酷な殺人事件が起こって、それの模倣犯が出て来たってところから話が始まるのですが、それがなかなか全体を把握するのに時間がかかるし、8人を女子学生を殺害した男のプロファイルも説明されないから、ものすごく唐突感があって、「これって面白いのかな~」って感じで見ていたのですが、シーズン2になるともう駄目ですね。先を見ずにはいられない!

そして、クラリスの心を支配したように、ハンニバルはウィルの心を支配するようになるのです。
そして、二人の間には一種の友情のような温かい絆が生まれたのかとすら思えるのだけれど、
それをすべて裏切って、ひとり逃れていくレクター博士。

さすがですわ。サイコパスには友情はいらない。サイコパスは人に共感しない。
そして親しくしていた人間を殺すこともためらわない。

トマス・ハリスの『ハンニバル』に出てくるようなけったくそ悪い関係は、ここでは覆されています。あくまで残酷な殺人者に徹するハンニバル。

シーズン2はここで終了。

さて、シーズン3はおそらく妹のミーシャとのからみの部分なのかなとは思うのですが、サイコパスは小さい頃のトラウマが原因でサイコパスになるわけじゃない。サイコパスははじめからサイコパスです。

どんな展開になるのか楽しみですねぇ。

ここ最近みたドラマの中ではピカイチの出来だと思います。
まぁ、グロいのさえ、我慢できるようなら、ウィルとハンニバルのお互いの裏の裏までを読んだ心理戦に浸るのも一興かと…。



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50年も昔の日本の姿   『神秘日本』by 岡本太郎 [読書・映画感想]

みなさま、こんにちは。

気が狂ったように暑かった日々も少し、小康状態に入っているように思えます。
いつもだったら、あつくてやりきれない夕方も、相対的な問題なのでしょうが、
あの連日、サハラ砂漠から吹いてい来るような風に比べれば、
そよりと肌に心地よいものがあるような気がします。

ただ、わたしは完全に体調を崩していますね。
昨日からおなかを壊して大変だったのですが、
今日は起きてしばらくすると、片頭痛がして頭痛薬を飲みましたが、
それでも治らない。

左の眼の奥が痛い~。これはわたしのいつものパターンなのですが、
目にウィルスが入っているんですね。

しょうがないので風邪薬のみながらこれを書いています。


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小説を書いているときは、途中で自分の文体や話の流れが他の作品に影響を受けて
変わってしまうのが嫌なので、ほとんど読まないように努めるのですが、
一旦、全部書き上げて、しばらく熟成というか、放置しておく期間を設けているのです。

そういう放置機関というのは、他になんにもすることがないので、
本をよく読むのですが、なんていうのかな、一種のカンがさえわたっていて
自分の作品に関連性のありそうなもの、ヒントを与えてくれそうなものに
よく出会ったりします。


この時、読んだのが岡本太郎の『神秘日本』ですね。

神秘日本 (角川ソフィア文庫)

神秘日本 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 岡本 太郎
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
  • 発売日: 2015/07/25
  • メディア: 文庫



奥付をみると1964年と書かれていますからそうとう昔です。

当時の岡本太郎自身の目で観察した「日本」について書かれています。
この時、岡本太郎は特に日本の祭礼について注目していたらしく、
北は恐山のイタコの口寄せやら、熊野の火祭りやら、奈良の最南端の十津川へ探訪する,あるいは曼荼羅図をみての考察などいろいろと
日本各地を巡り歩いているのですが、

ちょうど、そのとき、永久保さんの『御石神落とし』を読んだ次ぐらいに、これを読んでいたので、
妙にふたつが重なる部分も多くて、偶然とはいえない共時性というものに軽く驚嘆しました。

岡本太郎さんという方は、見た目はなんか変なおじさんにしかみえないのですが、
当時の日本を生きていた人にしては、本当に世の中の流れを一歩も二歩も先取りしたような
鋭い人で、しかも文章がとてつもなく美しく、かつご自身が芸術家であるゆえか、
書かれる文章も色彩感にあふれています。


史学的にいうと、岡本太郎が残してくれているこういった、フィールドワーク的調査というものは
非常に貴重なもので、放って置くと、どんどん祭礼などは廃れていく一方なのです。
ですから、このように詳細な式次第のようなものをきちんととるというのは、非常に大事なことです。

たぶん、50年も昔の東北の人が持っていた信心とか、死生観などはとうの昔になくなってしまっているものでしょう。


あまりに文章がすばらしいので、読みながらところどころメモを取りました。


で、読んでいて一番印象に残ったのは、十津川のことです。十津川は50年前だと、日本の秘境中の秘境と言われたところらしく、岡本さんのたちの一行は大阪から十津川へ向かうのに、宿にとどりつけなかった時のためにキャンプの用意、軽食の用意、そしてガソリンまで用意して出かけたのですよねぇ。

はじめ「こんな大げさなことをしなければたどり着けないものなのか?」とあきれていた岡本さんですが、やはりなかなか目的地にたどり着けなかったらしく、「やはりちゃんと用意しておいてよかった」と記述しているのですね。

たかだか50年も昔のことなのに、そんな土地がまだこの日本にあったなんてと不思議に思わざるを得ません。






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生と性  『御石神落とし』 [読書・映画感想]

みなさま、こんにちは。
前回永久保さんの新シリーズを丸善で購入したとき、このシリーズを発見しました。
永久保さん曰く「Hなのがキライじゃなかったら、是非読んでみてください」
ってことだったのですね。

え~、永久保さんって意外~。そういう方面の才能もあるのかぁと
興味に駆られて読んでみたのが
「御神石落とし」です。

なんでも絵コンテまでは永久保さんの手によるものなのらしいのですが、
やはり内容が内容だけに、永久保さんの絵柄だと読者もひくものがあると考えられたのか、
わりと今風のかわいい絵を描ける漫画家さんが描いておられました。





御石神落とし 1 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 1 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2004/09/29
  • メディア: Kindle版



御石神落とし 2 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 2 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2005/06/29
  • メディア: Kindle版



御石神落とし 3 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 3 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2005/10/28
  • メディア: Kindle版



御石神落とし 4 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 4 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2006/03/29
  • メディア: Kindle版



御石神落とし 5 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 5 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2006/09/29
  • メディア: Kindle版



御石神落とし 6 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 6 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2007/01/29
  • メディア: Kindle版



御石神落とし 7 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 7 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2007/05/29
  • メディア: Kindle版



御石神落とし 8 (ジェッツコミックス)

御石神落とし 8 (ジェッツコミックス)

  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2008/01/29
  • メディア: Kindle版




わたし、もともと民俗学ってすごく興味がある分野でして、
大学で農村の「若衆組」とか「娘組」の夜這いの風習とか
軽く学んだことがあるんですよ。

日本って昔から「貞節」ということをつい最近まで
非常にやかましく言っていた国だと思っていたんですよね。

ですが、それは江戸時代であれば、武士階級に限ったことであり、
明治に入ってから、日本全体にじわじわと蔓延した考え方なんで
もともと農耕民族である日本人は「性」に対しては驚くほどおおらかな考え方をしていた
というのがこの作品のもともとのコンセプトですね。
やはり田植えなどをするとき、神様に「豊穣」を祈願するわけですから
子供もたくさん授かることがよいことだったのですね。


現代に生きる草食系の大学生(男)が主人公なのですが、
あるとき、知らず知らずのうちにタイムスリップしていたみたいで、
昭和の初期の時代に来ていたんですね。

で、本人はそれに気が付かないですごい田舎でフィールドワークをしていたつもりで、
村祭りに参加するんですが、ふとしたことでその村の神社の神さまである「御石神さま」に
いたく気に入られてしまうんですよ。

で、この大学生はその神さまに授けられた力があって、
それはものすごいフェロモンを放って、どんな女でもメロメロにさせてしまうという
力なんですよ。

まぁ、他にもびっくり!みたいな力も授けられるんだけど、ここでは
ちょっと言いにくいので、興味がある人は読んでみて。

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主人公は現代はもちろんのこと、太古の昔から、自分の曽祖父が生きた農村の時代、はては吉原、そして平安時代とありとあらゆる世界に移行して、その時代の恋愛観を体験するわけなのですが、
わたしが一番興味を持って読んだのが、
主人公の曽祖父の明治の初期の時代の農村風景なのです。

結構、いろんな意味で「へぇ~」と思うことがいっぱいありました。
まずですね、男と女はある程度大きくなったら、
そうだなぁ、まぁ中学校へ入学するぐらいになるとそれぞれ
若衆組、娘組へ入るために
どうしても大人になるためには避けて通れない、通過儀礼みたいなものを体験するのですね。

まず、男の場合、
男は絶対に米俵を一俵担いで何メートルか歩かなきゃならないんです。
米俵はたしか70キロって書いてあったかなぁ、そういうのをひょいと担いで
歩かなきゃならないんですよ。

でも、それができないと村の力仕事なんか到底無理じゃないですか。

できることが最低条件。できなかったら、猿回しみたいな芸人に売られていくんですね。
厳しいです。

なんていうかな、これは「男として強い(つまり、力も強ければあっちのほうも強い)」という
証明なんですね。
そういう男じゃなきゃ、女に子供なんか産ませられないという、経験によって学んだ知恵みたいなものもあったようです。

女の子のほうは、こっちもなんかあからさまなんですけど、村の三十代ぐらいの、
誰もに尊敬されるような頭良い、性格もよい、容姿もよい、っていう若年寄みたいな人のところへ親に連れられていって、『初割れ』という初めての性体験をするわけなのです。(相手は、非常に人徳者ってところが大事だったわけですよ。この人はもちろん妻子持ち)
その男の人に初めて抱かれて、一人前の女、と村の人間から認められるのですね。


男の子たちは、神社のお堂に集められて、その道ではベテランの結婚して子供もいるような
お姉さまたちに、講習を受けるのです。


これもすごい!と思うんだけど、こういう若い男女の性のコントロールというのは
やはり若衆組、娘組のトップが管理していて、男女とも性の手練れになるまで、
いろんな人と組んで特訓していく…みたいな話になるんですよねぇ。
(村の掟はいろいろで、これはほんの一例)

なんか読んでて「えええ~」って思うんだけど、

反対に村のトップの命令って絶対なので、きちんと村の掟を守っている人に対しては
「あの人、不細工だから嫌」とか好き嫌いは言わせないんですよね。
だから、男女ともにあぶれることがないという…。

今日は自由恋愛が基本だから、どんどん男遍歴、女遍歴のつわものがいる一方で
まったく、男女のことに対しては奥手な人もいるので、
案外、こういう農村の若い男女のルールは合理的なものなのかと考えたりするわけですよ。
村の中にだって、やはり引っ込み思案のおとなしい人はいるはずなんで、若衆組、娘組のトップ同士が相談して「〇〇男と〇〇子なら、同じ年ごろだし、性格も似ているし案外うまくいくんでないか?」って、仲人さんみたいなこともしていたということです。


でもねぇ、だけど、読んでいてなんか、なんか腑に落ちないところもあるんですね。
わたしがもし、そのころの農村に生まれていて、こういう村のルールに喜んで従えることができるのかっていうと無理なような気がするんですよ。

好きでもない男とこういう本来なら秘密裡に行われるデリケートな作業ができるのか?
いやぁ~、嫌悪感が先立つわ~。村の祭りになると、乱交パーティみたいになるしねぇ。


うまく言えないけど、やはり女は産む性じゃないですか。
やはりものすごく永久保先生もデリケートな分野であるので、
そうとう気を付けて作っておられるとは思うのですが、
それでも、なんとなく男の手前勝手な、上から目線のような気がするんですよ。
(永久保先生、ごめんなさい! たぶん、女のわたしでもこのようなテーマに挑戦したとしたら、もっと悲惨な結果になっていると思います)


男は欲求が強くなると、「誰でもいい、女なら」みたいになるのかもしれないけど、
女は「誰でもいい、男なら」ってならないんじゃないですか?
いくら村の掟だからといって、好きでもない人とは肌を密着させたくないと思ってしまうのは、わたしが現代に生きる人間だからでしょうか?


だって、お産って命を懸けた一大仕事ですよ、
普通なら自分が好きだなと思う男の子を産みたいはずでしょ?
(それは無意識だろうけど、優秀な遺伝子を持つ子供を産みたいという願望だよね)
こんなことをしていたら、好きでもない男の子供をはらんでしまう可能性大じゃないですか?
よく考えられた合理的なルールであるとは思えるけど、うまく回っていたらそれでもいいのかもしれないけど、あまりに同調圧力が強すぎるとなぁ。

やはり小さい村の男女のこととはいえ、やはり年ごろの娘は好きな人と結ばれたいはずだし、そうじゃない人とはやりたくないものなのではないかなぁ~と。

まぁ、わたしはダメですね。こういうの。昔の農村に生まれなくてよかったと思う。


昔はそれでなくとも、男尊女卑が当たり前の風潮。
声を大にして「イヤ!」って言えなくて人知れず泣いた女の子は、結構多かったんじゃないかなぁ?




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夏に咲いた薔薇 [園芸]

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本当は夏に薔薇を咲かせると疲弊させるので、咲かせないように摘蕾をするようにしてはいるつもりなのですが、結構人の目を盗んでよく咲くんですよねぇ。

こんなに暑いのに…。

ガブリエルちゃんはとても育てにくいという触れ込みだったのに、本当によく咲く。
ただし、あまりに暑いので花の形は崩れて、あの独特の紫いろは入りません。


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そして咲いたとしても、こんな暑い中、すぐにしおれてしまうので、
朝水をまいたときに、即、切り取って毎朝、花瓶に刺しております。
気が付けば結構な量…。

花屋さんで買うように立派な花はないけれど、すごい芳香が…。


幸せな朝です。
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モロッケイア [雑文]

さて、涼しくなったらまた新たなお話をかこうと思っているのです。
今回、ネタはなんと!娘がくれたものなんだよね。

詳しくは言えないけど、面白そうなネタなので、挑戦してみようと思っています。

そこで、お話は料理をモチーフするつもりなのです。
それとチュニジアね。

チュニジア料理っていっても、まったくなじみがないので
娘の友達にチュニジア人がいたので、その人にレシピを教えてもらったのが
今日、紹介するお料理です。

お名前は「モロッケイア」
ん~、なんか聞いたことあるような…?と思った人は鋭い。

これはね、私たちが常日ごろ「モロヘイア」と呼んでいるものよね。
最近はとんとスーパーでも見かけなくなったけど、一時期はよく店頭に並んでいた。

モロヘイアは非常に栄養価が高い料理なんだけど、
その調理法がなんというかちょっと難なんなんだよね。

モロヘイアが出始めたころは、鶏肉と細かく刻んだモロヘイアのスープっていうのが
定番だったと思うのよね。あれはね、エジプトの料理法なんです。

ですが、チュニジアのこの「モロッケイア」という料理は
生のモロヘイアを食べるのではなく、いったん、乾燥させたモロヘイアを石臼で挽いて、
粉末にするものを使うのです。この粉末にしたモロヘイアを使うってところがどうも
チュニジア独特のものらしい、とのことです。
同じ地中海沿岸の北アフリカの国でもそれぞれ微妙に調理法が違うということです。
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さて、では調理法と行きましょう。

まずですね、粉末モロヘイアと地中海ではミソとか醤油のような万能調味料、『ハリッサ」っていうのを手に入れなければならない。

粉末モロヘイアは、地産地消でよいのではないかという考え方から沖縄産にしました。

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(このブログはね、画素数が高いと縦方向のものが横になるのよ~。もうめんどくさいからこれで赦して)

ハリッサは、いろいろと考えたのですがあまりにも本格的過ぎてめっちゃ、スパイシーでホットだったりしたら日本人には食べられないと思い、石垣島の「島ハリッサ」っていうのをamazonにて購入しました。なんかラベルの「イタリアンから中華まで」って謳い文句がちょっと気になるけど…。


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いやぁ、昔だったらハリッサを求めて一万里だったんだろうけど、今じゃ1クリックで家まで届けてくれるもんね。

さて、ムスリムの国のお料理なので、なるべくムスリムらしく作ろうと思ったわけです。

たとえば、このお料理には牛肉の塊が入るのですが、普通フランス料理のテクニックですと、
ワインなんかでマリネをするのですが、やはりお酒はご法度ということで、
玉ねぎをフードカッターで粉砕してジップロックにお肉とともに玉ねぎのみじん切りとともに
一晩おいておきました。

あくる朝には、カタイ煮込み用のお肉も柔らかくなり、塩コショウをして小麦粉をはたいて、オリーブオイルで表面に焼き色と付ける。
それが第一段階ですね。

そして、今度はモロヘイアの粉を溶いていくんですが、本場のレシピはなんと「100ccのオリーブオイルで溶く」って書いてあるんですよ!
いや、日本人にはそれは無理だろうと思い、水を少しずつ足して、粉を溶いていきましたね。
モロヘイアの粉は100グラムあったのですが、わたし、めんどくさがり屋のタチなので、
全部使っちゃいましたね、


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溶いた後、本来なら例のハリッサと肉を加えてぐつぐつ煮込んでいくだけらしいのですが、
それじゃなんぼなんでも、日本人の口には合わないと思い、あらかじめマリネした玉ねぎを飴色になるまで炒め、そこに乾燥トマトを入れてさらにソテーsにたあと、液体状のドロドロに加え、そこにさらに、ホールトマトとローリエを入れます。ハリッサは入れすぎると辛すぎるので、別個にクミンシード、キャラウエイ、パプリカパウダー、コリアンダーを加えました。

でもね、どうもそれだけじゃコクがでないんですよ。
で、そこでマギーブイヨンを加えました。
隠し味に、乾燥白イチジクと蜂蜜を。

そこで煮込むこと5時間以上だと思うけど、お味見してみますと

どひゃぁああ、旨い!

これはね、言ってみれば、チュニジア版、「ブフ・ブルギキョンですね」
本当にモロッケイアのルーがおいしい。

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お肉は400グラムしか買ってこなかったので、あっという間になくなっちゃった。
今度はもっとたくさん1キロぐらい買ってこよう。

で、大幅にルーばっかりあまっちゃったんで、
野菜を塩で似て、モロッケイアのルーに浸して食べたり、
最後は鳥団子入れて、ジャガイモやニンジン、玉ねぎのシチューみたいにして食べました。

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感想
おいしいけど、どえりゃあ、手間暇のかかるお料理でございました。
んで、かなり見栄えが悪いので、インスタ映えは全くしません。

でも、これね、鉄分が本当に豊富に入っているし、モロヘイア自体が緑黄色野菜の王様っていうわれるくらい、いろんなビタミンが含まれているので、健康的だと思うんですよ。


チュニジアの友人に作った写真を見せると
「おお、一番ハードルの高い料理に挑戦したんだね」と感動してくれました。
「全く、食べたこともない料理をいくらレシピがあったからって、想像力だけで作るってすごいね」
ともお褒めいただきました。

でも、思うに、本格的なものは、今自分が作ったものとはまた別の味なんじゃないかなって思うの。
でも察するにものすごい油の量だから、日本人がそのまま食べるとおなか壊すような気がする。


ほかにもチュニジア料理のいろんなレシピをいただいたんで、おいおい作っていこうとは思うのですが、まぁこの暑さですから…おいおいね。
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