シニカルな語り口 『純愛小説』 篠田節子① [読書・映画感想]

皆さま、こんにちは。

ここによく来てくださる方はお分かりかもしれませんが、
わたしは大甘な恋愛小説は好きじゃないのです。

ちょっとドライでシニカルな語り口っていうのが好きです。
だいたい幸せな話って、どっか嘘くさくて、読んでてちっともときめかないのね。
そういう意味で篠田節子さんの小説はどれをとっても好きですね。


今回読んだ篠田節子さんの『純愛小説』っていうのも
そういう意味では非常にインパクトがあるお話でした。

純愛っていうのは、若くて美しい男女ばかりの専売特許ではないんですよね。
どんな醜い人も、どんな年齢であっても純愛というものはあるよ、と。
しかし、たいていの場合は悲惨な結果に終わってしまうものが多いけれど…。


純愛小説 (角川文庫)

純愛小説 (角川文庫)

  • 作者: 篠田 節子
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2011/01/25
  • メディア: 文庫



この小説は、「純愛」をテーマにした短編集なんですね。
四つのお話が入っています。

でも、この四つの中で非常に心を打たれたお話を二つ紹介したいと思います。

ひとつめは『鞍馬』ってお話。

ある東京出身で今は孤島に定年退職して住んでいる女性が狂言まわしなのですね。
この人には東京に一人暮らしの姉がいるのですが、
あるとき、電話をしても全く通じなくなってしまったのです。
もしかしたら、家で倒れて死んでいるのかもしれない。
嫌な予感に駆られて、もどかしい思いで孤島からはるばる東京の実家へ行ってみると、
実家はあとかたもなくなって、その敷地は更地になっていました。

で、初めはご近所さんに行って行方不明になった姉の消息をたずねるも、なんの情報もない。
最終的に、登記簿を取ってみると、やはりこの地は売却されていました。
実家の家を買い取った業者を最終的に突き止め、姉が実家を売ったお金、約八千万を振り込まれた銀行にたどり着き、どうにか細い、細い姉の消息の糸口が出てきたのですね。

どうやら、世間とは隔絶されて生きていた姉は、母の死後、あるカルチャースクールの書道教室へ通っていたことを突き止めました。

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さて、この姉を探していた狂言まわしの次女は孤島の小学校で校長先生をしてきた人で、情熱的に教育っていうものにかかわってきて、そこに強く生きがいを感じてきたのですね。

で、この人は定年後、都会の学校に疲れた引きこもりになってしまった子供のためのフリー・スクールを作ろうと思ったのですが、あと300万ほど資金が足りなかったために、発足できなかったのです。
ですから一旦、相続放棄はしたものの、今東京で80坪ほどの土地に一人暮らししている姉に少し、庭を切り売りして300万ほどを用立ててほしいと思っていたのです。
今になって、相続放棄したことはちょっと惜しかったなぁと思っていたのです。


ですが、実家の土地はすでに全部売却されて、その当の姉が行方不明になってしまったとは。
慌てるんです。

で、とうとう探し出すと、もうぼろぼろのアパートに、もうどう見ても80ぐらいの老婆にしか見えない老いさらばえた姉が、ほとんど家具もない部屋にポツンと呆けたようにして座っているのを見つけて驚愕するんですね。それに姉は少し頭のほうに変調があるようなのです。

この姉に何があったのか―。
この人からみたら、姉は自分というものがなく、流れるままに生きて来て、人生の醍醐味とか、理想とかなにも持っていない詰まらない人、その上、引っ込み思案で、行動力がなく、なんの趣味もない人ということになっているのです。




ですが、姉には姉の、心の真実があったのです。
この主人公の姉にあたるこの人は、三人姉妹の長女で、ちょうど高校を卒業するころに父親が倒れ、
自分は恋のひとつもせず、妹たちの大学へ行くための学資のためにずっと働き続け、
その後はかけおちしてシングルマザーになった末の妹の子供の面倒を見続け、
その後、ひとりになった母親の介護を死ぬまでしてきた人なんですね。
人に尽くしてばかりの人生だったのです。

ですから、嫁に行きたくてもこんな事情があって、身持ちが硬いまま60代の後半を迎えてしまった人なんです。
だって、妹たちは自分の情熱とか理想といういわば、「錦の御旗」を掲げて、実家から遠く離れてしまったのですから。

こんなふうに介護などというしんどいだけで、なにが報わるというでもない大きなものを一人だけで抱えて来て、それでいざ、その障害となっていた母親が死んでしまうと、この人はもう、どう生きていいかわからなくなるのですよ。


妹たちは、八千万相当する家屋敷を財産放棄してくれた。
「これからお姉さんだけの人生なんだから、しっかりね」
そして
「なにか困ったら連絡ちょうだい」という。
でも、それは反対に
「なにも困ったことがなければ、連絡なんかしないでね」
「自分のことは自分だけで解決して、わたしたちに迷惑かけないで」ってひとりぼっちになった姉には妹たちのセリフはこんな風に冷たく聞こえるのですね。

このとき、虚無感がこの人を襲うんです。
ああ、このまま死んでしまいたい、わたしの人生、一体なんだったのかなって思うんですね。

そんな心に冷たいすき間風を感じたとき、カルチャー・スクールの書道教室で
ステキな紳士に出会うのです。

姉は、もう自分も老境に差し掛かっているのだし、こんな老いさらばえた姿でなにが恋愛だろうと思うと居ても立っても居られないほど自分があさましくて恥ずかしいと思うのです。

でも、そう思う反面、こういった心を沸き立たたせてくれる恋心に力強さも感じてしまうのです。
その紳士は、押しつけがましいことは何一つなく、実に繊細に優しい。
傷つき干からびた枯れ井戸のような姉の心は、再び清水がこんこんとわき出すように情感が備わっていき、生きる意欲が湧いてくるのですね。

ここらへんの描写は、さすがだなぁと思いましたね。

そうやって、少しずつ少しずつ、老いた姉の心の中に、その男の存在が大きく占めるようになるのです。

やがて、抜き差しならぬ男女の仲になってしまうと、姉はその恋に酔いしれしまうのですね。
そして、その紳士に見えた男が実は、お金目当てで近づいているということも。

冷静に考えてみれば、男に騙されているという時点で別れを告げてもよかったのです。
ですが、生きる気力すらわかなかった自分にここまで活力を与えてくれたことも事実。
今さら、この男に去られてしまったら、自分はどうなってしまうのだろう、と思うのです。
そうやってすべてのことを承知で、姉は深い深い恋の渕へと落ちて行ってしまうのですね。

これを純愛といわずしてなんという。

『鞍馬』というタイトルは、最初読んでいるとき「なんで?」と思うのですが、
最後の最後で得心するのですね。


夫といっしょに孤島に移り住んで、見ず知らずの子供を幾人も教育し、希望を持たせて羽ばたかせてきた次女は、はたから見れば、非常に立派な女性かもしれません。
ですが、大して歳の違わない姉に生きる希望も見つけられないほど精神的に疲弊させて、家庭に引きこもらせた罪は深いと思います。

この人はまず、もっと独り身の姉に対して、もっと親身になってあげるべきだった。
ただ、姉の犠牲というのはあまりにさりげなく行われていて、誰も彼女が追い詰められていたとは気が付かなかった。


つくづく人間はエゴイスティックなものだなと痛感せずにはいられません…。


いやぁ、短編ってキュッとエッセンスが詰まっていて、こんなふうにコンパクトに仕上げるのは
非常に難しいと思うのです。


明日はもうひとつのお話を紹介したいなと思います。




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